残 心   畠山武史先生語録

 

健康・人柄・実力のバランスのとれた理想的人間像の育成をめざし、高い見識に支えられた情熱と実践で、高松北高を創り育てられた畠山武史初代校長。この語録は、畠山校長の片腕として、北高の草創期にご活躍された、藤岡一郎教頭先生が、畠山校長の折にふれてのお話を、刻明にメモされていたものを整理し、百話にまとめられたものである。なにげない言葉の一つ一つに、教育の本質や理念が鋭く説き明かされており、読めば読むほど味わい深いものとなっている。

 

 

1 新設高校の創立は、私の三十有余年の教員生活の総集編です。私は命がけでこの仕事に取り組むつもりです。いっしょにやりませんか。

 

2 新しい学校を作る仕事にぶち当たるということは、何千人もいる教員の中の、ほんのわずかな人間にしか与えられないチャンスで、まったく宝くじに当たるようなもの、教師冥利につきることである。ここで全力をつくさなければうそだと思う。

 

3 北高は、産んで育てる学校、文字どおり手作りの学校です。

 

4 北高は、人間教育を根底として、健康・人柄・実力の三者の兼ねそなわった人間づくりをめざす学校である。

 

5 人に迷惑をかけない。人を侮辱しない。困難から逃げない。以上の3つの中に教育理念の基本的事項のすべてが含まれている。根幹を正せば、枝葉はおのずから正しくなる。

 

6 学校時代は点数で評価されることが多いが、世の中に出ると、むしろ点数で表わせないもので、その人間を評価される。

 

7 北高の教育は、勉強と運動と人間形成の三正面作戦である。

 

8 他の仲間の先生との情報交換を十分に生かして、生徒の全体的人間評価を行なってほしい。

 

9 一人前の教師とは、教科指導・部活指導・生活指導の三つの面で十分な指導ができる教師をいう。

 

10 こどもの能力は無限ではない。有限である。ただし、きわめて多様である。それぞれのすぐれた能力や特長を伸ばす教育こそ真の教育である。

 

11 勉強、スポーツ、人柄等すべての面での長所を認め、ほめてやって自信をもたせ、短所を少なくしていくのが指導のポイントである。

 

12 既成の、固定した線路の上を走らせるような教育は教育とはいえない。

 

13 権威のないところに教育はなり立たない。

 

14 北高の教育は、生徒が北高へ入ってよかったと感謝してくれて、卒業式に心から「仰げば尊し」を歌ってくれ、教師としては、自信をもってそれを歌わせることができるような教育でありたい。

 

15 現代の高校生のシラケ・ムードを克服する道は、生徒に、感激のある三年間の高校生活を体験させてやることである。

 

16 北高の教育の成否は、先生方がどれほど共通理解を徹底させて、協力体制を確立できるかどうかにかかっている。

 

17 三分叱って七分ほめよ。ほめることによって生徒を伸ばす効果を実践できる教師でありたい。

 

18 校長が燃え、教職員が燃え、それから生徒が燃えて、立派な北高が成長する。我々が先ず燃えずして生徒を燃えあがらすことはできない。

19 北高の教育の特色を一言で言い表すなら、それは、手作りの学校であり、手作りの教育であるということだ。

 

20 一年生より二年生、二年生より三年生がすべてのことに立派になって当然で、逆に上級生になるほど悪くなるのなら、そんな教育は、やらない方が良い。

 

21 仕事は他の学校の倍働いてもらうかわり、先生方を大切にする学校にしたい。

 

22 先生の後ろ姿で生徒を教育することが大切である。

 

23 生徒一人ひとりを大切にする教育というのは、学習指導面ではその能力を最大限に伸ばし、落ちこぼれを出さず、劣等感を持たせないことであり、生活指導面では、一人ひとりの心の内側へまで入りこんで指導することである。

 

24 北高の教育の基本は師弟同行の精神にある。

 

25 すべての教育活動に関して、その原点にたちかえり、原理・原則も洗い直して再確認したり、新しい解釈を加えたりしたい。これは、新設校のみがよくなし得ることである。

 

26 先生が、生徒と友だちになること自体は悪いことではないが、ある所ではきちっと一線を画して、叱るべきときには厳しく叱ることができる先生でなければいけない。

 

27 教師の権威とは、威張りちらすことではない。人柄・行動・実力に対して生徒が自然と一目置く存在でなければならない。

 

28 なんでも賛成、なんでも反対と言うのはおかしい。私の方針には、四十五度の角度の許容範囲があり、その範囲内の意見なら私と多少違っていても意欲に燃えている先生の意見は、できるだけ受け入れるつもりでいる。(四十五度以内方式)

 

29 色々議論をして、ひとたび決まったことには積極的に従事することが最も大切である。自分はそのことにもともと反対だったといって協カしない先生が一人でもいると、どんな仕事も絶対にうまくいかない。

 

30 全人教育の立場に立って、生徒が持っているあらゆる長所を公平に評価することが大切である。

 

31 個々の生徒に最も適した指導は何かということを徹底的に追求しなければならない。

 

32 教師は、共通理解の上に立つと同時に、それぞれの個性を生かして、自主的な創意工夫をする必要がある。

 

33 教師と生徒、生徒相互間の心のふれ合いにより、他人のすぐれた能カに敬意をもてるような人間を育てたい。

 

34 集団宿泊訓練を通して、知・徳・体のバランスのとれた教育をめざす。(註)セミナーハウスでの学習合宿開始に当たって。

 

35 いわゆる普通教科ができる生徒がすぐれた生徒だという考え方は誤っている。芸術科や体育科、家庭科等ですぐれているものも尊敬できるよう指導したい。

 

36 北高の教育理念は、一人ひとりを大切にし能力を最大限に伸ばすこと、厳しく鍛える全人教育を行なうこと、創始者としての情熱にあふれた師弟同行の精神を発揮することの三点にある。

 

37 世の中で、学校ほど本音の通る所はない。

 

38 教育においては、正しい方法が、人および条件によって無数にあり得るので、常に、誰にでも適用できる唯一の正しい方法というものはない。生徒の懲戒等も、生徒個々、人に応じてきめ細かく考慮しなければならない。

 

39 保護者に、いわゆる"先生臭さ"を与えない先生が良い先生である。特権意識にこもったりせず、他の色々な職業の人々に幅広く接して勉強することである。

 

40 真の教育は、形式や見え、かたち、ええかっこしいといったことと全く無縁である。

 

41 親の心得(子育て5か条)

  @親は信念をもってこどもを指導すること (父親は大砲、母親は機関銃でなければいけない。)

  Aこどもは、ていねいに育てること (ここに言うていねいは、こどもの気持ちを常に知ること、きめ細かい気くばりの意味であって甘やかすことではない。)

  Bこどもの能カを十分に知ること (こどもの能カは無限ではない。有限である。ただし、多様である。十分に観察する必要がある。父親は絶対評価、母親は相対評価の傾向があるが、二つの評価は共に必要なものである。)

  C両親の教育方針は必ず一致していなければならないこと (両者に食い違いや矛盾があると、こどもは決して親に心服しない。)

  Dこどもとの対話を心がけること (動作やそぶりだけでも対話は可能である。父が、だまってこどもの背中の糸くずをとってやり、こどもが、だまってうなずくといったこともりっぱな対話である。)

 

42 教育はヤイト(お灸)と同じである。ゆっくりと効いてくる

 

43 教師の熱意は大切であるが、熱意にはやるだけでは教育の効果は上がらない。コップに水を入れるとき、水道の水を余り勢いよく入れすぎると、水がコップからはね飛んで半分も入らないことがある。チョロチョロとゆっくり入れたほうがコップになみなみと入る。

 

45 私は高松中学時代に、剣道の試合の前夜、竹刀を神棚に供えて必勝を祈願したものだ。北高の生徒にも、精一杯努カした上にも自分のカを超えた何ものかに祈りたいほどの気持ちを持たせたいと思う。

 

45 私は大過なく物事をやることだけを考えていることは嫌いである。それでは新しい事、今までと異った事をやらないようになる。生徒の為に良いと思われることは、細心の注意をもって準備し、腹を据えて大胆に実行することである。その結果、大過となれば、全責任は私がとる。

 

46 近頃の親はこどもを甘やかし過ぎる。本来親は、字から考えても木の上に立って見ているものである。近頃はオンブ偏にダッコと書いて親と読ませるらしい。

 

47 物をこわすことは簡単だが、それを修理するとなるといかに大変なことかを身をもって体験させるところに教育のねらいがある。(註)便所のフラッシュ・ドアを故意に破損した生徒に、こわれた表板の取りはずし作業を課した折りに。

 

48 教師は、教科の指導は予備校の教師以上に、生活指導は補導の専門家のごとく、部活動指導はプロのコーチのごとくありたい。

 

49 小さな過失を見過ごしていると、やがて大きな失態を招くものである。

 

50 生徒の処分は、ただ厳しくすればそれだけ効果が上がるというものではない。

 

51 教師は、ついこどもを人質にとっているような錯覚をもって思い上がりやすいものである。人間として謙虚で幅の広い、魅カに富んだ人がすぐれた教師になれる。

 

52 やさしいことをむつかしく言うのは良くない。むつかしいことを、やさしく言えることが大切である。(特に若い先生に)

 

53 良心には、権威的良心(外から規制される良心)と、理性的良心(みずから白主的に規制する良心)とがある。前者から後者へ進ませたい。

 

54 師弟同行の教育とは、ただ先生が生徒と同じことをやるということではない。教師が常に生徒の鑑(かがみ)になることである。

 

55 生徒の挨拶に対して答礼しないような先生には、生徒は絶対についていかないものである。

 

56 スリッパの脱ぎ方ひとつから、教師が手本を示さなければならない。

 

57 交通事故が増えるのは、自分がしたいことを辛抱できない、ブレーキのきかない人間が増えているからである。

 

58 灰皿のない所ではタバコを吸わない。こういったこと一つから実行できる教師でありたい。

 

59 生徒は純真であるだけに、本能的に、ほんまものを見抜くカをもっている。心のこもっていない指導は、生徒にいっぺんに見抜かれてしまうものだ。

 

60 青春を犠牲にして勉学に努カしたとか、青春を犠牲にして野球に打ち込んだとかよく言われるが、若い情熱を結集して何かに頑張ることこそ青春そのもので、青春とは好き放題をして遊び廻ることではない。

 

61 「ズボンの幅の少しぐらい」とか「タバコの一本ぐらい」といった「ぐらい」が最もよくないことである。

 

62 親の生活態度が、まるで鏡にうつるようにこどもに表れるものである。

 

63 たとえやりたくても、してはならないことはやらない人間をつくること、それが教育である。

 

64 親の権威が失われると、家庭でのしつけはできなくなる。こどもに向って父親を悪くいうような母親には家庭教育はできない。

 

65 幸福な人とは後悔することの少ない人をいう。人生のそれぞれの折に、十分に考え、全力を尽して事に対処した人は、それだけ後悔することの少ない人である。これが私の哲学である。

 

66 試含に必要なのは、技術、それに気カと体カと知カである。

 

67 教師はとかく固定した物の考え方に陥りやすい。「百円持ってボールを買いに行ったら二十円おつりをくれた。ボールのねだんはいくらか」という問いに頭をひねっているこどもに「お前こんなこともわからんのか」とたずねると、その子が「ぼくは、ねだんも聞かずに百円出してボールを買うような買物の仕方はしない。そんな買い方はおかしい」と答えたという話で、この子の考え方にも一理あると考えられるような思考の幅や柔軟性が大切なのではなかろうか。

 

68 人の見ている所で、正しい行動のできる人は普通の人。人の見ている所でも、ちゃんとした事のできない人は、どうかしている人か、ヤケをおこしている人間、人が見ていない所でも正しく振舞える人が立派な人である。そのような人間に育てたい。

 

69 こどもを放任している親は、よく「こどもに自主的にやらせている」などというが、自主的にやれるためには、小さい時から基本的なしつけや訓練がなされていて初めて可能である。自主的と好き勝手な放任とは根本的に異なるものである。

 

70 車の中からタバコの吸いがらを路上に捨てるような親に、こどものしつけはできない。

 

71 小さい時からの基本的なしつけが十分でないので、高校に入ってもハンカチを持たない生徒がいたり敬語も正しく使えなかったり、また「わたくしがァー」とか「それでェー」といった聞き苦しい口調が大人になってもなおらない人ができてしまう

 

72 花にもサクラやボタンやチューリツブなど色々あるように、人間の値うちや評価も様々である。生徒の個性や能力を見きわめて、かたよりなく評価できなければいけない。

 

73 北高の人間教育の基本はトイレの清掃にある。師弟同行の教育の基盤もまたトイレの清掃にある。

 

74 教師は単なる労働者ではない。生徒の服装を指導する前に、教師自身がまず自分の身なりを正さなければならない。

 

75 教師を志す者に必要なものは、情熱とアイデアである。生徒のために労をいとわぬ情熱と絶えざるエ夫とがなければ真の教育はできない。

 

76 教師が最もいましめるべきものは独りよがりである。

 

77 今の学校制度で、生徒は先生を選ぶ権利を有していないということを忘れてはならない。教師は絶えず研修して立派な先生になる努力を怠っては生徒に申し訳ない。

 

78 こどもの気持ちや親の気持ちをよく理解しきめ細かい気くばりのできる人間になりたい。

 

79 若い先生でも、先生ということで保護者は敬意をはらってくれる。それでいい気になっていると、「先生種族」という井戸の中の蛙になってしまう。

 

80 教師が自ら向上するための努力をしていれば、生徒は必ず見習ってくるものだ。研究と修養は一生涯のものである。

 

81 ほかにどのような長所や能カがあっても、情熱と工夫の足りない先生は、教育者として成長しない。

 

82 良い先生とは、「ネクラ」でなく明朗で、サラッとした性格、公正な人柄で視野が広く健康で、それに専門教科の実力をもっているような先生をいう。

 

83 前時の授業で誤りがあった場合、次の時間に確実に訂正できる先生でありたい。また、黒板に書く文字の誤りや筆順にも神経を配る先生でありたい。生徒は、教師の一挙手・一投足からも目に見えぬ影響を受けていることを忘れてはいけない。

 

84 生徒指導には、剣道でいう「残心」が肝要である。注意しっぱなし、叱りっぱなしではなく、その後の経過をみて、指導の効果を見きわめ、必要があればさらに反復指導するような態度や方法が大切である。

 

85 最近の教育界には、「教えこむ」とか「たたきこむ」とかいう「こむ」教育が薄れてきたように思う。生徒が先生を信じこむ、惚れこむような、先生が生徒を鍛えこむような、皆で校舎を磨きこむような、世間の人が先生や生徒に惚れこむような、生徒が先生の後ろ姿に惚れこむような、そんな学校をつくりたい。

 

86 性教育で最も大切なことは、性の尊厳と性差をしっかり教えることである。

 

87 母親は、こどもをどんなとき、どのように叱るか判断できる賢さを身につける必要がある。

 

88 最近は、健康や人柄を育てることを忘れてただもう学力、それもぺーパーテストの点数ばかりに血道をあげる親が増えている。

 

89 北高の教育は、人の目に立たない所を手抜きしない教育である。

 

90 単位は自分が努力して取るものであって、お情けで与えてもらうものでない。

 

91 教師は、自分のできないことは指導しないほうがよい。

 

92 生徒を叱るときは、生徒の身になって叱ることが大切である。カッとなって叱るのは最もよくない。

 

93 生徒をあごで使う教師になってはならない。生徒に何かしてもらった時に心から「ありがとう」と言える教師でありたい。

 

94 自分のこどものことしか考えない「我が子主義」の親のもとでは、こどもはよくならない。

 

95 北高は登校拒否症の生徒のいない学校、むしろノイローゼが治るような学校でありたい。

 

96 自分の理想とする学校を作り上げる。それこそ男の夢、男のロマンというものだ。

 

97 これだけの施設や運動場があって、これだけ優秀な部活の指導者がそろっているのだから、いずれ各分野で北高が名を成す時が来ることは間違いない。

 

98 生徒がいきいきとして、学校へ来るのが楽しいと思うような学校にしたい。

 

99 私はいままで色々な学校に赴任したが、それはすべて運命的なものだと思って、流れに身をまかせるような心境でいた。自分にとってもっと良い職場があるのではないかといった色気を持ってはいけない。いま、自分が勤務する学校に骨を埋める覚悟で働かなければ満足な仕事はできない。

 

100 創立三〇周年で、タイム・カプセルを開くため、全国各地から一期生が参集してくる時には、私もシビン片手に、杖をついてでも出席したいと思っている。