研究のあゆみ
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 香川県中学校社会科研究会の歩み

 香川県の社会科に関係のある研究団体には,県下の中学校を基盤とする香川県中学校社会科研究会(略称香中社)と,小学校を中心とする香川県社会科研究会(略称香社研)と,高等学校関係の社会科研究会の三つの全県的な組織がある。また,別な組織として香川大学教育学部を中心に,県下の小・中・高校の社会科担任教員を会員とする同好的な香川地理学会や香川歴史学会などがある。そしてこうした諸団体が常にたてよこの連絡・協調をとりながら,香川県の社会科教育研究に真剣に取り組んでいる姿は,香川の社会科研究の一つの特色であるともいえる。
 さて,わが香中社が昭和26年に正式に結成されてから本年で40年,結成前の胎動期(昭和22年から昭和25年まで)を入れると40余年になる。そして,この40年間,香中社は,日本の社会の変動なり,教青界の動きに,あるときはゆさぶられながらも,われわれのめざす研究方向を堅持し,40年の歴史をつくりあげてきたのである。
 その間,香中社は,香川県の社会科教育の振興と推進に,多大の成果をあげてきたことを,あえて自負している。しかし,一方,今後の発展と向上を期するために,手がけなければならない課題も多く背負っているのである。
 いまここに,昭和22年に中学校が発足し,そして新しく社会科が誕生してからの香川県における社会科教育の動向なり,さらには日本の社会科教育の動きにふれながら,香中社40年間のあゆみをたどってみることにする。

 

1 結成以前(胎動期)

  −昭和22年から昭和25年まで−

 香中社の40年の歴史をみていく場合に,それ以前の,つまり香中社結成前の香川県下の社会科教育研究の動きなり,さらには香中社の結成にいたった経過なりを見なければならない。それは,その当時は,まさに香中社の胎動期であり,当時の社会科に対する関係考の考え方なり,構えが現在の香中社の研究活動なり,会の運営の中に受け継がれているからである。

 

 (1) 社会科の誕生と当時の社会科研究

 

  昭和22年4月,6・3制の実施により,新制中学校が発足したのであるが,当時の現場は,まさに敗戦の虚脱からようやく立ち上がりかけた時期であり,また,当時の教育界は新教育の全面実施を旗じるしに,だれもが新教青の原理なり,方法を五里霧中で求めていた時期であった。こうした中に社会科も発足したのである。すなわち,社会科の誕生が昭和22年4月(学習指導要領社会科編試案の発表)であり,実際に現場で授業が行なわれるようになったのは,同年9月からである。しかし,社会科が発足しても,社会科についての何の解説も講習会もなく,また教育課程も示されなかった。社会科の実施を控えて現場では,「社会科」というものを,もっとはっきりして欲しいという要望が強かった。

 こうした動きの中で,昭和22年の秋ごろから県下のあちらこちらで,小・中学校の有志グループが「社会科」というものを主体的に取り組み,研究に着手した。たとえば,坂出市における坂出市社研とか,高松市における小・中・高校の礼会科担任で組織された礼会科研究会とか,そのほか,伸多度礼会科同好会,三豊地区における小中連合の社会科研究会,附属坂出を中心とする西讃社会科同好会,木田郡社会科同好会,綾歌郡社会科同好会などがある。なお,当時の時勢としては異色なものとして,三豊地区における日本史研究会なども結成されていた。このような,県下の各地の,それぞれ有志を中心に結成された「社会科研究会」とか,「社会科同好会」では,各自の自費で,いろいろと参考となる資料を収集したり,または,遠隔の地における講習会・研究会などにも,つとめて代表を送り,それらが帰ってくると伝達講習会や研究会を開いた。このようにして,苦しい研究と努力を措しまずに,真剣に社会科に取り組んでいたことは特筆すべきである。そのころ,社会科を指導するためには,まずカリキュラムが構成されなげればならないという考えから,カリキュラム・ブームがおこってきた。特に全国的にけん伝された「川ロプラン」に刺激されて,県下の各地でも,前記の研究会や同好会が,たとえば,「坂出プラン」とか,「仲多度プラン」とかいった地域プランを作成したり,「高松市の実態」とか「三豊の実態」などの実態調査を実施したり,また,それぞれの有志の勤務する学校を中心に「○○学校プラン」なるものが各地で作られ,発表されるようになった。このブームは,昭和24・25年ごろが全盛であったともいえる。

 これらは,当時,社会科を中心とする地域教育計画運動,つまりカリキュラム改編運動の全国的風潮の影響を受けたことにもよるが,むしろ,本県の社会科教師の積極的な意欲の現われであるといってもよい。なお,これらのブームに拍車をかけたものに昭和23年10月に発足したコア・カリキュラム連盟にあったことも付言しておきたい。

 

(2)全県的な組織への動き

 

 こうした県下各地の研究会・同好会は,自由卉放な研究活動を推進して行く中核となり,各郡市の社会科教青の大きなささえとなったものの,メンバーのかたよりとか,研究のための費用とかの問題があり,一方,全国的な社会科の先達たちにおくれをとるまいとする人々の動きが,県下の客地にみえはじめた。そして,おたがいに困難や悩みを語り合ったり,研究を交換したいという気運があちこちでかもし出されて,全県的な組織にもっていったらという声が,ようやく高まってきた。
 これよりさき(昭和23年),当時,高松高校内にあった香川県教育研究所の山下秀一氏らの努力により,県下各郡市の中学校社会科研究会,または同好会のリーダーの集りによって,香川県社会科研究会がつくられた。会長は浮田種市氏,書記は富永勝氏であった。
 この会は,いわば香中社の母体ともいうべきものであるが,結成後は,各郡市の研究の交換といった程度の会を時折開くぐらいで,組織をとおしての研究までには発展することができなかった。
 ところで,前にも記したように各地域なり,各学校でブラン作りがはなばなしく行なわれていた時期,すなわち昭和26年に,文部省は社会科学習指導要領を改訂し,新しく「中学校・高等学校学習指導要領社会科編」が出された。また,この年に香川県教育委員会も,県下各郡市の代表者の参加をえて「香川県中学校教育課程社会科編試案」並びに,「香川県中学校教育謀程日本史編」を作成することになった。
 この県の教育課程を作成する作業を通じて,単元構成なり,単元展開について全県的な立場から取り組んでみたところ,いろいろな問題が浮び上がってきた。そして,これを機会に共同思考の重要性をおたがいが意識し,全県的な組織の必要性を語り合い,ここにいよいよ,香川県中学校社会科研究会を結成する運びに至ったわけである。

 

2 香川県中学校社会科研究会の発足

 

 --昭和26年--

 

 「香川県中学校教育課程社会科編」,並びに,「同日本史編」を作成した昭和26年,県下各郡市の代表が,教青謀程作成のために十数回,高松市で会合を持っておたがいに真剣な研究討議を重ねた。その過程で,前にも記したように,全県的な組織をつくる必要性を痛感し,いよいよ結成することになったのである。この会合で言い交されたことは,民間研究団体の同好的なものの長所はじゆうぶん認められるが,県下全般の中学校社会科の向上・発展の立場から考えた場合は,むしろ,各郡市・各学校に地盤をおろした研究組織が望ましいのではなかろうかということと,さらには,いままで各郡市で独自な研究を進めてきた経緯を重視し,各郡市の独自性を尊重するということを確認したのである。
 かくして,教育課程作成委員のメンバーが一応中核となり,香川県中学校社会科研究会の結成をみるにいたったのである。初代会長に大森粂一氏を選び,事務局を香川県教育研究所内に置いた。なお,会の運営は各郡市代表によって構成された理事会がこれに当たり,研究活動なり,事業を遂行するために研究委員会(各郡市より選出された研究委員で構成する)をつくった。
 ここで付言しておきたいのは,教育課程の日本史編を作成した委員は当然,香中社研結成の中核になったのであるが,一部の有志は別に歴史研究会を結成し,県下の史跡・文化財研究を主とする郷土史研究に取り組んだが,これが後に香川歴史学会の結成をみるに至って,発展的解消をした。

 (香川県中学校社会科研究会「創立四十年記念誌」より)

 続きは、次回更新時に掲載させていただきます。

 



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