学校風景

石庭南西にあるこの碑は昭和43922日に建立された。

「吾ここに ありと叫びぬ 千よろずの 

     中のひとつの 星と 知りつつ」

                不抱詠

香川不抱碑
香川不抱は(明治23.4.10〜大正6.10.5)、丸亀市川西町の生まれで、明治41年丸中卒。卒業後すぐに上京、新詩社同人となり与謝野鉄幹の内弟子として指導を受けた。その後、1年余りで帰省。大正629歳の若さで病没した。しかし、生前は石川啄木と並び称された明星派の歌人として活躍。「詩人としての天分及び実力は石川啄木より優る」と鉄幹に激賞された。上の歌は明治418月「明星第8号」に発表されたものである。なお、碑の揮毫者は上原華園氏。
創立110周年を記念して平成15年に記念館2階(左)が改築された。井上通女、津島寿一、猪熊弦一郎、中河与一などに関する資料や作品、肖像画なども展示されている
 セミナーハウス、同窓会館

  平成5年竣工。

  オリエンテーション合宿、クラス行事、会員の親睦、会合などのために建てられる。

  中には、会議室、宿泊室、浴室、研修室、資料室もあり充実している。

セミナーハウス、同窓会館
井上通女
西館
本館
新本館

平成25年(2013)12月27日 落成

新本館工事の様子は こちら







旧本館

昭和34年(1959) 第一期工事起工式

昭和37年(1962)9月19日 落成式挙行


平成24年(2012) 解体

旧本館解体工事の様子は こちら

西館

昭和62年(1987)竣工。

多目的ホール、書道教室、音楽教室、食堂
を含む。











また、多目的ホールには、本校の卒業生で世界的に有名な猪熊弦一郎画伯が母校に、と描かれた 「風車と太陽」の原画を拡大して美術陶板で作った絵がかかげられている。

 記念館

この建物は本校の前身である丸亀中学校の本館として、建築され、当時はモダンな北欧建築として珍しく、県下の至る所から、弁当を持って見学に来たそうである。

1959(昭和34)年校舎改築に伴い、取り壊される予定であったが、先輩諸氏の強い要望と支援により、現在地に移転した。

また、1996(平成8)年に国の登録文化財に指定された。

記念館文化庁登録文化財に指定されている。)
校訓碑
本館 校訓碑 西館 記念館
セミナーハウス、
同窓会館
香川不抱碑 井上 通女
終始一誠意

丸亀中学校時代の第六代 阿部虎之助校長が

「終始一誠意」の五文字を校訓にすると決めた。 

この碑は大正天皇即位記念事業の一環としてたてられ、

文字は子爵京極高徳氏によって書かれたものである。

                                 大正4年10月31日建立。

井上通女は、江戸時代(1660年)に丸亀に生まれた人で、幼少の頃より文才に優れ、勉強熱心で「東海紀行」「江戸日記」「帰家日記」など数多くの文学作品を書き、全国的に名声が広まった。明治になって、女子教育の亀鑑として日本中に崇められた。特に、本校の前身である丸亀高等女学校では、通女を「学神」として尊び、井上記念館を設け、井上文庫を置いた。命日の6月23日には、学校あげて墓参をしており、その伝統的行事を本校が受け継いで現在にいたっている。
肖像画(左)と木像(右)が記念館2階に展示されている。