集会などで訓辞された内容を中心にお知らせします。

11月全校集会講話(11月1日(木))

 平成30年も残すところあと2か月となった。歳月は人がどのように過ごそうが、いつも「あっ」という間に過ぎてしまうもの。かねてから話しているが、この全校集会を一つの区切りとして、これまでの1か月を「反省」し、これからの生活、少し大げさかもしれないが、自分の在りように結び付けてほしい。 今「反省」という言葉を使ったが、「反省」というと、えてして「自分の過去について考察し、批判的な評価を加えること」という意味でよく使われるが、その前に「自分の行いをかえりみること」という意味がある。(「広辞苑」による。)私がいま皆さんに話しているのは、おもに後者の意味である。 皆さんは「三省」という言葉を知っているか。「三省」というのは、論語の第1章「学而第一」の中にある言葉である。それはこのようなものである。 「曾子曰く、吾れ日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習はざるを伝へしか」と。 いくつか解釈があるようだが、これを現代語訳すると、おおよそ次のようなものになる。「曾子(孔子の弟子)は言った。私は毎日何回も自分の行いについて反省している。人の相談相手になって、真心を尽くしていたか。友だちと付き合って、うそをついてないか。自分が十分に理解できていないことを、人に伝えたり教えたりしていないか。」出版社の三省堂という会社は、この言葉を社名にしたと聞く。我が身を振り返るというのは大切なこと。皆さんにも習慣化してもらいたい。  今日は、最初に2つの事柄について、皆さんをほめたい。  10月23日夕刻、一人のおばあさんが来校された。先日坂出駅付近で転倒したところを、本校3年生の女子生徒に助けてもらい、無事に列車に乗れたとのことでお礼に来られた。  もう一つも似たようなこと。先月の24日の朝、学校に電話があった。土曜日(おそらく10月20日)の夕方、犬を連れて散歩中に、本校の通用門付近で転倒。本校生と思われる高校生に助けてもらったのでお礼を言いたいとのこと。  昨年度も、このような電話があった。「坂出駅で自分の子どもが泣いて困っていたら、本校生が上手にあやしてくれて、助かった。」と。  皆さんのこのような行いは、先ほど述べた「三省」の、「人に真心を尽くしていたか」に相当する部分であり、今話した3件については、まさにこれを実践できたということであり、大変立派なことである。今後とも、自然とこのような行動ができる人であってもらいたいと願っている。  さて、今日皆さんに一緒に考えてもらいたいと思っていたのはここから。 このところ、テレビや新聞などで「カタカナ言葉(英語)」を見聞きすることが多くなったと実感している。特に、官僚や閣僚の答弁、ニュースの解説者などが多用しているように感じる。長年英語を教えてきた私が常々疑問に思うのは、「このような表現が、テレビの視聴者や新聞の読者に正しく伝わっているのだろうか」ということだ。  枚挙にいとまがないが、今から20の例を挙げるので、いくつ日本語に直せるか数えてほしい。

  1 アセスメント(査定・評価)
  2 インバウンド(訪日外国人旅行者)
  3 コンセンサス(合意)
  4 コンプライアンス(法令順守)
  5 ダイバーシティ(多様性)
  6 スペック(仕様)
  7 パブリックコメント(意見公募)
  8 ワーキンググループ(作業部会)
  9 アーカイブ(古文書)
  10 インセンティブ(動機づけ)
  11 エコノミスト(経済学者)
  12 ガバナンス(統治・管理)
  13 エビデンス(証拠)
  14 アカウンタビリティー(説明責任)
  15 アジェンダ(議題)
  16 コミット(約束)
  17 リスク(危険、危機)
  18 コラボ(協働)
  19 ペンディング(保留)
  20 サステナビリティ(持続可能性)

 さらには、「サブスクリプションモデル」(一定期間、継続的に受け取る商品やサービスに対して対価を払うことを意味する。「定額制」の料金形態がこのモデルである。例:月額3,000円払えばコーヒー店で一日一杯のコーヒーが飲める。)とか、「シェアリングエコノミー」(共有型経済:個人間の中古品売買)という表現も新聞等で見かける。 また、アルファベットの頭文字をとった、CEO(最高経営責任者)、IoT(物のインターネット)、iDeCo(個人型確定拠出年金)、NISA(小額投資非課税投資)などという表現も普通に使われるようになったという印象を持つ。 特定の分野の専門家同士でのやり取りにおいて、このようなカタカナ言葉が使われるのは構わない(世間に害はない)と思うが、テレビや新聞という「人に情報を伝える手段(これをメディアというのだが)」において、これらのカタカナ言葉を使うことはいかがなものか。 先月の全校集会でも話をしたが、コミュニケーションというのは意思疎通である。相手にきちんと伝わらないような言葉を使うことは、あってはならない、というか、それはコミュニケーションとはいえない。  皆さんには、しっかりとコミュニケーションができる人になってもらいたい、つまり、皆さんがコミュニケーションの発信者側に立った時には、できるだけこのような分かりにくいカタカナ言葉は使わないようにしてほしいものである。 しかし、とは言え、これらのわかりにくいカタカナ言葉が使われている現状は、今後もある程度は続くものと考えられる。それらのほとんどは、英語に由来している。英語できちんと意味が通じるものとそうでないものに分かれるのだが、コミュニケーションにおいて「受信者側」になるときには、英語を知っていることは、カタカナ言葉(英語)を理解するときには必須である。そういった意味でも、英語の勉強は不可欠である。大学入試は抜きにしても、である。 いつも英語の話になるが、現在は国(文部科学省)の方でも、今後到来が見込まれる「高度情報化社会(Society 5.0)」において、「文理融合」ということを1つのキーワードとして、これからの教育施策が考えられつつある。 英語だけでなく、高校で学ぶどの教科・科目もしっかり学び、「学びが浅かった・十分でなかった」がために、皆さんがこれから生きていかなければならない「高度情報化社会」の中で、取り残されることのないように、「学び」に対して高い意識を持っておいてほしい。  冒頭でも述べたが、平成30年の残り2か月。一日一日を大切に過ごしてもらいたい。



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Last-modified: 2018-11-01 (木) 12:37:42 (17d)