オ−ストラリアでホームステイ

1番 大 西 寛 児

僕は行く前も、行く時も、行ってからも、帰る時も、帰ってからも、別に自分で変わったとは、あまり思ったりしませんでした。でも、最低するべきことはしてきたと思います。しっかり楽しめたと思えることがそれです。

スタディセンターに着いて、僕を迎えに来てくれたホストファミリーは、家に着くまでの車の中から、いろいろと話しかけてくれました。答えられなかったりしたけど、うれしかったです。僕がホームステイしている間、弟のトレントと兄のジェラートはいつもは別の部屋だけど、いっしょになって、僕の部屋を1つ、空けておいてくれました。

僕がホームステイしていたファミリーは、家族同志とても仲が良くて、お互いによく話していました。冗談を言ったり、ふざけたりします。特にホストファーザーのディーンがよくふざけたりして、おかげでずいぶん楽しめました。

裏庭には、キャスパーという名前の犬がいて、とても元気でした。ボールを投げるとすごい勢いで走っていって、ボールをくわえるんだけど、すぐには戻ってこないので、ちょっとしかられたりしていました。そんな庭で、ホストマザーのアンジェラはタバコを吸います。他のみんなは吸わないので、気を使うみたいな感じがしたけど、この国では室内ではタバコを吸わないので、当たり前のことといった感じでした。
クリスマスパーティーは、とても楽しかったです。ディーンの友達とか、母親、ジェラートの友達も来ていて、あの裏庭でパーティーをしました。横山さんと、そのホストファミリーも来ていました。
その時、隣の家のピーターというおじさんと、その家に行って、ギター片手に戻ってきて、歌いました。ピーターはビートルズが好きで、その時弾いたり歌ったりした曲は、ほとんどビートルズでした。僕も少々弾いたけど、やっぱり何か違うのであまり弾きませんでした。
このパーティーのおかげで、いろんな人達と打ち解けることができたので、このパーティーは僕にとってとても大切なものでもありました。
いろんな所へつれていってくれた中で、印象に残っているものが一つあります。それは個人の家で、すごいライトアップされているものです。クリスマスの何日か前から12月31日まで、その期間の夜は10時30分までライトアップされているのです。すごく凝っていました。
オーストラリアのエリザベスという所は、けっこう田舎らしいけど、僕はシドニーとか、そんな都会よりも好きだし、買い物するよりも楽しかったです。別れる時泣かなかったのは、2週間の間、楽しく過ごせてうれしかったから、泣かなかったのだと思っています。1日1日は長かったけど、2週間というのは短いとすら思えるくらいでした。ほとんど毎日、楽しんで疲れて眠ることができたのは、本当に久しぶりのことだし、本当にうれしく思えることです。僕はあんまりファミリーと写真を撮っていないけど、十分思い出せるくらい覚えているだろうから、別にいいと思います。でも、もっと英語が理解できていれば、もっと楽しめただろうと思うと、くやしいものがあります。それでも今は、十分楽しめたことがそのことより大きいので、それもいいと思います。もう一度、行けるものなら行ってみたい、そう思います。

オーストラリアでの日々

2番 近 藤 清 統

でかかった。何もかもスケールがちがう。道なんか一直線に地平線まで延びてる。感動した。何もかもすごかった。美しい大地、街並み、そして向こうの人達に。

僕のホストファミリーは、父、母、姉、弟、そして僕の5人だ。父は最初、腰を痛めて、ベッドでずっと寝ていた。始めのうちはあまり話す機会もなかった。母は、とても明るく優しい人で、いつもみんなのことを気にかけて過ごしている。姉は年も近く、明るい人だった。でもほとんど家にはいない。彼氏と遊んでいるようだ。そして最後に弟のBenだ。こいつはかなりのくせ者だ。最初は、少し照れたように話をしてくれた。明るくて、よくしゃべって、最初はよかった、最初は。しかし、だんだん慣れていくうちに、Benも本当の自分を出してきた。というのは、Benが、「柔道を教えて」というので、教えたのがそもそもの始まりだった。最初は、日本のことに興味があるのかと思い、快く教えてやった。そうすると、教えたこととはまったく違う「蹴り」をしてきた。「何やこいつ」って思ったけど、始めのうちは怒ることもできなかった。そしたら、蹴ったり、殴ったり、もう本当にむかついた。その日から、Benとの戦いの日々が始まった。サッカーボールを思い切り蹴ってきたり、せっかく日本から持ってきてやったお菓子を投げつけてきたり、本当に腹が立った。そういう時は日本語で、「くそーおまえむかつくんじゃ」などと文句を言っていた。もう一人Benにむかついた人がいる。賀世だ。賀世は、僕の家のすぐ隣で、たまに遊びに来たりしていた。Benは少し賀世を気に入ったようで、今度は賀世のほうをかまうようになった。そういうことが最後の方まで続いた。でも、今思えば、別の意味で思い出になったように思う。けっこう楽しかったかもしれない。Benも悪い所ばかりでもない。親などが何を言っているか分からない時は、ゆっくり一単語ずつ丁寧に言ってくれたり、違う言葉で説明してくれたりして、そういう意味ではなかなかいいやつだった。ちょっかいをだしてきたのはBenなりの親愛の表現だったのだろう。
それにしても、景色は最高だった。車の中から外を見ていてもぜんぜん飽きない。飽きるどころか、釘付けになる。街並みの西洋風の家や建物、本当によかった。海もとてもきれいだった。砂は真っ白でさらさら。しかもゴミなんて一つもなかった。そういえば、街にもゴミなんてなかったように思う。日本は汚すぎると思った。
家族以外の人達もとてもいい人ばかりだった。店の人も、日本では無愛想な店員がよくいるが、向こうの人は明るくて笑顔で、気がきいて、素晴らしいと思った。外国人はやっぱりかっこいい。みんなかっこいいし、きれいだし、明るいし。日本人も明るいと思うけど、何か違う。何が違うかって言われてもうまくは説明できないが。
思い出はやっぱり、一緒に過ごした家族だ。Benもそうだけど、父は、最初は寝ていたが、すぐ治り、よく話をしてくれたりしてよかった。とても明るくて変なことをしたり、変な声を出したり、とてもおもしろい人だった。さよならパーティーの後も、夜釣りに二人で行ったのは楽しい思い出だ。母は母で楽しい。やっぱり明るくて、よく話もした。朝のトーストがうまかった。あの味は忘れないだろう。いろんな所へ連れていってもらえたし、パーティーなんかも楽しかった。クリスマスや年明けなど。姉はほとんど家にいなくて、でもいる時はおもしろい人だった。CDを見せてもらったり、それを聞いたり、いつも笑顔で接してくれた。年明けには、ボーリングに行った。その時は踊ったりして、とても楽しかった。
スタディーセンターでも楽しかったし、みんなで行った観光やショッピングも楽しかったし、勉強になってよかった。
18日間という短い間だったけど、感動することがたくさんあり、いろいろといい経験になったと思う。オーストラリアが大好きになった。オーストラリアへは、必ずもう一度行くつもりだ。

忘れぬ日々・・・オーストラリア

3番 古 谷 忠 祐

「とうとうこの日が来たか」最初に思った事である。ぼくは早目に着いたのだが、みんなが来るのも早かった。この時、全員が不安と緊張に満ちた顔をしていたように思う。観音寺駅を出発してからは短く感じた。関西国際空港についたのはどのくらいたってのことだったろうか。よく覚えていない。そこで軽食をとったのは覚えているのだが・・・・・・

飛行機に乗った時、初めてオーストラリアという国に行くのだなあと実感がわいてきた。飛行機の中ではとても楽しかったように思う。だが、機内食だけはおいしかったとは言えない。約9時間ぐらい乗っただろうか。オーストラリアの地に到着。しかしそこは、目的地ではなくシドニーで、そこから乗り換えをした。みんなは、シドニーからメルボルン、さらにそこから目的地のアデレ−ドまで飛ぶわけだが、僕達6人は、シドニーから直接アデレ−ドまでの飛行機に乗ることになった。
何はともあれ39人が全員アデレ−ドに到着したのは、夕方前だったように思う。そこからバスでスタディーセンターに向かうわけなのだが、そこまでの景色は僕らを魅了した。
当然ここは真夏であった。しかし、日本ほどじめじめしてなかった。実際に湿度も低い。5時30分ごろ到着し、そこでホストファミリーが迎えに来るのをみんなドキドキしながら待っていた。僕のホストファミリーが来たのは半ばごろだった。胃に穴があくような緊張を感じたが、実際会ってみると、とてもうちとけて話しかけてくれたので、少しホッとした。
僕の家は、学校からけっこう離れていた。学校までは、まず家からコーディネイターの人の家に行き、そこから学校までコーディネイターに乗せていってもらった。 次の日、学校に到着すると、みんな積もり積もった話をぶつけあっていた。

僕もみんなと一緒に話しているのだがやはり、それぞれ違うことがたくさんあった。 みんなと一緒にいた時間は少なかった。また一日中英語だけの世界に入ろうとしている。しかもクリスマスがあり次の日も学校は休みなのだ。

クリスマス当日、6時前に起こされた。何とプレゼントを用意してくれていた。僕はオーストラリアのぬいぐるみや本などをもらったがとてもうれしかった。
オーストラリアにいる間何かにつけて日本と比較してしまい、とても小さな所に自分がいるのだなぁと思い知らされた。それほどここはスケールが大きかった。地平線までも見ることができた。口では言い表せないほど素晴らしい所だった。
12月31日はもっとすごいこととかするのかなぁーとか思っていたのだが、僕の所はみんな早く寝て、大晦日という感じもなく1月1日も、たいしたことはしなかった。やったといえばクリケットというスポーツだ。オーストラリアの人はクリケットが好きで、僕も何回もつきあわされたが、最後までルールが分からなかった。
それからいろいろなことがあって別れの時が来た。12月23日に着いてから1月5日まで本当に早かった。
もっと早かったのはそこからだ。アデレード内のホテルで1泊し、岡山空港から学校まで・・・・・。
日本に帰って来てホットする一面、はやかったなという寂しさもあったように思う。
今、思うとやっぱりオーストラリアに行って良かったと思う。プラスになったことも多かったし、日本ではできない経験もすることができ、いい思い出になった。

オーストラリアでの貴重な体験

4番 赤 松 理 恵

入学してからの8か月間は、長いと思っていたのに、本当にあっという間に過ぎていった。しかし、何も準備をしていなかった私にとって、12月はとても忙しい日が続いた。そして、出発の日が近づくにつれて、私の心は期待と不安でいっぱいになった。

12月22日、私は、心の準備ができていないまま、日本をあとにした。
飛行機を降りて、オーストラリアの地を踏んだその瞬間から、私のもう一つの生活が始まった。広大な大地、どこまでも続く青い空、まっすぐに伸びている道路など、オーストラリアの何もかもが、私の興味をひいた。しかし、その反面、私の頭の中に「英語が通じるだろうか?家族の人は優しいだろうか?」などという不安がよぎった。 そして、ホストファミリーとの対面。ものすごく緊張していた私を、ホストファミリーは、温かい微笑みで迎えてくれた。
最初の頃は、微妙な発音の違いなどで、言葉が通じないことや、相手の言葉を聞き取れずに、何度も聞き返したことがあった。しかし、ホストファミリーは、いやな顔ひとつせずにゆっくりと、わかりやすく話してくれた。私は、語学力がないからこそ、相手に一生懸命伝えようとする気持ちが大切なのではないかと思った。
私のホストファミリーは、とてもユニークで優しい人だった。日本にすごく興味を持っていて、日本のことについて、たくさん質問された。その時、私は自分の国について、あまりよく知らないことに気がついた。でも、知っていることは、一生懸命説明した。そして、「ありがとう」、「こんにちは」など簡単な日本語を教えると、すごく喜んでくれた。日本について、多くのことを知ってもらえてよかったと思う。
私は、この貴重な生活の中で、多くの人たちと知り合うことができた。小さな子供から老人まで、年齢差はあるものの、親しみやすく、愉快な人たちばかりだった。多くの人たちと交流を持つ良い機会となり、オーストラリアをとても身近に感じた。
私は、ホームステイ中、お世話になっているホストファミリーのために、日本料理を作った。それは、とても喜んでもらえて、すごくうれしかった。そんな楽しい日々も、だんだん過ぎていき、いつの間にか、別れの日がきてしまった。私の頭の中に、それまでオーストラリアで過ごした日々の思い出が、次々と浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。そして、絶対泣かないと思っていた私の目には、涙がたまっていた。
18日間は、本当にあっという間だった。長いようで、すごく短かったように思える。私は、オーストラリアでの貴重な体験を絶対に忘れない。そして、いつの日かもっと英語を勉強し、オーストラリアへ帰りたい。

オーストラリアの思い出

6番 石 川 か お り

海外旅行など行ったこともない私が、オーストラリアでホームステイをした。18日間の海外生活だ。高校入学当時から、行くのはわかっていたけど、楽しみや不安と緊張でいっぱいだった。英語は話せるだろうか?ホストファミリーとコミュニケーションはちゃんと、とれるのだろうか?などいろいろ考えた。いろいろ気持ちの整理がつかないまま、両親とも別れオーストラリアへ出発した。オーストラリアまでは、約10時間かかった。オーストラリアに行く前からわかっていた事だけど、オーストラリアは夏だったのでとても暑かった。やっと、私たちがホームステイするアデレイド近郊のエリザベスに着いた。スタディーセンターへ行くと、もうホストファミリーが迎えにきている人もいた。少し待っていると、私のホストファミリーもきた。初めての対面だった。あいさつをしなくては、と思い、“How do you do?”と初めて話した。とても緊張した。私のホストファミリーは、両親と子供2人だ。ホストファミリーの家へ着き、部屋を案内してもらった。日本の家とはちがい、とてもかわいい家で、庭も広かった。前の日からずっと飛行機だったし、4回も乗り継ぎをしていたので、吐きそうで気分が悪かった。その様子をホストマザーが心配してくれて「寝てなさい。」と言われた。ホームステイ1日目はごはんも食べず、ずっと寝た。初日は、ぜんぜんコミュニケーションがとれなかったのでどうしようかと思った。次の日になってすっかり気分もよくなった。ホストファミリーともたくさん話した。

ホストファミリーと過ごす時間もたくさんあったが、半日研修などでクラスのみんなといろいろな所へも出かけた。中でも一番印象的だったのが、コアラを抱けたことである。コアラなんかテレビや本でしか見たことがなかったのに、見た時はとても感動した。
オーストラリアにホームステイしている間の最大のイベントは、クリスマスと、ニューイヤーズパーティーだと思う。暑いクリスマスなんて、なんか変な感じだと思っていたけど、とてもよかった。クリスマスには、プレゼントをもらった。そして朝からいろいろ人がたずねてきたり、行ったりもした。夜は、バーベキューパーティーだった。呼ばれていった。そのパーティーにはたくさんの人が来ていた。もちろんみんな英語で話すので、何を言っているのかわからない事が多かった。けど、わからなかったらもう一度言ってくれたり、ゆっくり話してくれた。とてもうれしかった。ニューイヤーズパーティーは、徳重さんと赤松さんのホストファミリーと一緒にした。ゲームをしたりして12:00になるのを待った。散歩にも行った。夜の星がとてもきれいに輝いていた。散歩から帰ってくるとラジオからカウントダウンが始まった。「10、9、8、・・・・・3、2、1、ハッピーニューイヤー!」と言って、みんなキスしたり踊ったりした。クリスマスもニューイヤーズパーティーも日本とは違った過ごし方だった。オーストラリアの過ごし方のほうがいいなと思った。
クリスマスもニューイヤーズホリデイも終わり、さよならの時がやってきた。2週間一緒にホストファミリーと過ごしたけど長いようで短かった。別れはとても、さみしかった。オーストラリアに来て、いろんな事を見て聞いて話したりした。言葉は通じないが、見るものすべてが新しく見えた。でも人は人。言葉が通じなくても心は通じたと思う。オーストラリアで学んだものは多かった。一生のいい思い出になった。これからの人生に大きく役立てていきたい。

忘れられない思い出 in AUSTRALIA

7番 石 川 智 絵

12月23日夕方、私はスタデイセンターで、初めてホストファミリーと会いました。オーストラリアという国へ行ったのも初めてで、実際に英語しか話さない、そんな外国の人たちと、うまく過ごしていけるかどうか、すごく不安でした。でも、DADもMOMも、初めに会ったときから、ジョークを言ったりして、私の不安を吹き飛ばしてくれました。

ホームステイが始まってすぐ、クリスマスでした。私は、DADやMOMと一緒に、教会へ行ったり、アデレードのクリスマスパーティーへ行ったりしました。クリスマスパーティーでは、食事をしたり、小さな子供たちが歌を歌ったり、踊ったり、ギターを弾いたり・・・見ていてすごく楽しかったです。夜には、DAD・MOMの息子(MARK)の家族や、娘(SAMANTHA)とその夫(SHANNON)が家へ遊びに来ました。一緒にご飯を食べた後、ビリヤードをして遊びました。9:30PM頃から、SAMANTHAとSHANNONと一緒に、大きなツリーや公園のライトアップや、何千個ものライトで飾っている家を見に行きました。
スタディセンターでの英会話の授業がなかった日には、DADやMOMと一緒に買い物へ行ったり、動物園へ行ったり、家で飼っている動物の世話をしたり、一緒にビリヤードをしたりしました。動物園では、カンガルーやウォンバットなどに餌をあげました。別の休みの日には、SAMANTHAやSHANNONと一緒に、エリザベス市にある公園へ行ったり、アデレードにある海や遊園地や商店街へ行きました。エリザベス市の公園で、ゴミが道に落ちていたとき、SHANNONが、「動物が食べると病気になってしまうから」といって、ゴミを拾ってゴミ箱へ捨てていたのは、すごく偉いことだなぁと思いました。日本人は、道などにゴミが落ちていても、拾う人は少ないと思います。でも、オーストラリアの人は、動物のために、街をきれいにする・ごみを捨てないという考えをもっている人が多いと聞いて、すごく感心しました。アデレードの海は、日本の海に比べてとてもきれいでした。海水はとても透き通っていたし、砂も粒が細かくてサラサラでした。
ホストファミリーと別れる日、MARKの家族や、SAMANTHA,SHANNONが、もう一度来てくれて、一緒にご飯を食べたり、遊んだりしました。これで、もう会えるのは最後なんだなぁと思うと、すごく寂しかったです。夕方、DAD,MOMと一緒に、スタデイセンターへ行ったとき、涙があふれてきました。
たった14日間という短い間だったけど、私は、このBRISTOWさんの家でホームステイができて、本当に良かったと思います。そして、ここで作った、数え切れないくらいのたくさんの思い出や、ここで出会ったたくさんの人達を忘れないようにしたいと思います。私は、DADやMOM,MARKの家族,SAMANTHA,SHANNONと、これからもずっと手紙を書いたりして、オーストラリアでのいい家族・友達としていられればなぁと思います。
私は、またいつか、オーストラリアのあの家へ戻りたいです。だからそのために、もっと英語を勉強して、今度DADやMOMたちに会ったときは、もっともっといろいろな話がしたいです。

オーストラリアでの貴重な体験

8番 猪 木 原 早 也 香

12月22日、私は観音寺駅から出発した。岡山まで電車に乗っていき、岡山から関空(関西空港)まで新幹線に乗っていった。そして、これから起こることすべてが私には、初めてだった。スーツケースを持って歩いたり、税関を通ったりと、私には新鮮に感じられた。そして、もっと新鮮な感じになれたのは、飛行機に乗ったことである。夜中に飛んだのだが、それでも本当に楽しかった。ワクワクしすぎて眠れなかったほどである。おかげで、オーストラリアに着いてから、シドニーからメルボルン、メルボルンからアデレードまでの飛行機では寝てしまい、機内食を逃してしまった。でも、関空からシドニーまでの飛行機では、夜明けを見ることができた。とても美しかった。あまりにも美しかったので、写真を8枚ぐらい撮った。しかし、うまく撮れてなかったらしく、全部写真屋さんにのけられていた。ショックだった。

アデレードに近づくにつれ、不安と緊張が高まってくる。そして、ホストファミリーのことを考える。「いい人かな。いい人だったらいいのに。」と、そんなことばかり思うようになってくる。どうやら、隣りにいる友達も同じらしい。きっと、クラスのほとんどの人が同じ気持ちだったに違いない。
アデレード空港からスタディセンターへ向かう途中、たくさんの家を見た。日本とは、全然違う。決して大きくなく、小さいのだが造りがかわいらしかった。
スタディーセンターに着いて、コーディネーターさんの話を聞いた後、ホストファミリーが迎えに来るのを待つ。なかなか来てくれない。みんながどんどん去っていく。

不安という気持ちと、早く来て欲しいという気持ちでなんか、複雑だった。そして、最後に私のホストファミリーが来たのである。

車に乗って家に向かう。また不安が大きくなってきた。英語は通じるのか、もし通じなかったらどうしようか、などと思うようになってきた。とうとう、家に着いてしまった。家の中に入っていく。すると、お姉さんと妹とそのボーイフレンドがソファーに座ってテレビを見ていた。お母さんが私に3人を紹介する。が、私にはすぐに3人の名前を覚えることが出来なかった。
その日の夕食はケンタッキーだった。一緒にケンタッキーを買いにいった。私自身ケンタッキーは大好きなのでとってもうれしかった。なのに、車に酔ったのか、疲れと緊張からなのか、気分悪くなってしまいケンタッキーを食べることができなかった。

くやしく思いながら少し横になった。

夜になって、気分がだいぶよくなったので気分がいいうちにお風呂に入っておこうと、お母さんに伝えにキッチンへ行く。すると、“0K!”と答えてくれた。そして、お風呂に入る用意をしようと部屋に行こうとした時、お母さんが「何か飲む?」と私に聞いてきた。せっかくなので私はミルクをもらった。が、また気分悪くなってしまった。ミルクは駄目だったのだろうか、と考えていたら、お姉さんが私に何かプレゼントをくれた。あ、おみやげ!と思い、急いで部屋へ戻り家族みんなに用意したおみやげを持って、またキッチンへ行った。そして、みんなにおみやげを渡した。喜んでくれた。特に、お姉さんにあげた紙で作られた和人形の壁掛けが、翌日には部屋に飾られていた。とてもうれしかった。家族みんなが私にもプレゼントくれた。思いがけないことだったので、とってもうれしかった。
クリスマスの朝、またプレゼントをもらった。いっぱいもらった。1人1個ではなく、1人からたくさんもらえる、という感じで、すごく驚いた。クリスマスプレゼントを用意してなく、カードだけだった私は、申し訳ない、と思いながら家族みんなに

カードを渡した。その日は親戚同志が集まってパーティを開いた。たくさんの料理が並べられていて、とても美味しかった。ケーキも食べた。ケーキは大好きなので、わくわくしながら一口食べてみた。甘い。すっごく甘い。なんじゃこりゃ、とも思った。砂糖そのものを食べているみたいだった。一口食べただけでもう、胸やけをおこしていた。全部は食べられなかった。

他にも、もっともっと楽しいことがたくさんあった。でも全部書いていたら、キリがなく、すっごく長くなるので、ここまででやめておこうと思う。それにしても、この報告書を書いていると、またオーストラリアに行きたくなってきた。お金を貯めて、もう一度オーストラリアへ行ってみようと思う。それが、実現できるのかどうかわからないが・・・・・
このホームスティに参加して本当によかったと思う。このクラスにがんばって入ったかいがあったと思う。校長先生をはじめその他の先生方、そしてISAやAIIUの皆さん、そしてお父さんとお母さんに心から感謝したい。そして最後に、私をホームスティさせてくれた、ホームスティ先の皆さんにも心から感謝したい。よい体験ができたことを私はうれしく思う。

オーストラリアだ!!イェーイ!!

9番 岩 倉 田 香 子

オーストラリアに着いたのは、12月23日だった。オーストラリアに着くまでに、空港とかでたくさんの外国の人達にあった。その外国人達は、みんな足もとを見ていた。私は、そんなにルーズソックスが珍しいのかなあと思った。日本では、とてもはやっているのに。だけど、オーストラリアでは、暑かった。制服も、ルーズソックスもなにもかもが・・・。
やっとのことでアデレードの空港に着いた。ちょっとだけ雨が降っていた。むし暑かった。だけど、早くホストファミリーに会いたくて、会いたくて、しょーがなかった。バスに乗って、ホストファミリーの待つスタディセンターへ行った。1時間以上かかったと思う。だけど、元気だったのは初めだけ。窓の外を見ながら、「あの家ちょーかわいい。」「ここもー。」とか。本当に建物がかわいかった。そのあとは、疲れて寝てしまった。
スタディセンターに到着。
先生たちの話のあと、ホストファミリーが迎えにきてくれた。みんな順番に行ってしまう。私のホストファミリーも来てくれた。ホストファミリーからは、手紙がきていたから顔は分かっていた。それに、ホストファーザーのWYONEは、とてもかっこよかったから(写真で見たときに)早く会いたかった。
私のホストファミリーは、かっこいいホストファーザーのWYONEと、やさしそうなホストマザーのKIMと、とても目が大きくてかわいいホストファミリーのドーターのBRITTANYの3人家族だった。車に乗って家に行った。ちょっと遠かった。
家についてからは、すごくやさしかった。みーんながゆっくり英語で聞いてくれるし、辞書でいろんなのを調べてくれるし。だけど、発音が違っていたから、慣れるまではむつかしかった。
ホームステイに何も不安がなかった私には毎日が楽しかった。たった18日間が本当に短く思えた。暇な時がないぐらい楽しかった。
その18日間で一番楽しかったのは、クリスマスパーティー。会話ができないから1人ぼっちになるかなあーと思っていたけど、全然ならなかった。14才のKATEと友達になった。他にも、ダニエルとかマスコーとか同じくらいの年の子がいっぱいいたからだ。学校にも連れて行ってくれた。やっぱり日本よりもずっときれいだった。おじさんがスケボーをしていたが、日本では考えられことだ。

親せきの人たちもたくさん来ていた。兄弟や姉妹や親子の仲がよかった。とってもいいことだ。多くの人にキスされたが、あいさつも日本とは全然違うと思った。

他にもいろいろ楽しいことはあった。たとえば、動物園に行ったとか(学校休んで)海に行って泳いだり、プールに行ったり、バーベキューをしたり。楽しすぎるほど楽しかった。
ホストファミリーと過ごす14日間は、あっという間に終わってしまった。そして、最後のお別れの日もあっという間にきてしまった。
スタディセンターに行きたくなかった。できればこのままオーストラリアにいたいと思った。
しかしついにスタディセンターに到着。もう別れのつらさが限界に達していた。車の中で泣きそうになった。別れには弱いからだ。もらい泣きもすごい。ほんとうに日本に帰るのがいやだった。帰りたいと思ったことは、オーストラリアにいる間一度もなかった。涙が止まらなかった。また来ることを約束した。これでホームステイは、全部終わってしまった。
ホームステイは、本当によかった。オーストラリアがとても好きになった。だから、また絶対に行くことにした。

オ−ストラリアと私

10番 大 久 保 亜也加

私は今回初めて海外に行きました。行く前は「ちゃんと会話できるかなあ。」と不安でした。その不安に加えて、いろいろなことに期待する気持ちもありました。

行きは、関西国際空港からブリスベン経由でシドニ−空港まで行き、そこからメルボルン、さらにアデレードへと、3回も飛行機を乗り継いだのでたいへんでした。メルボルンからアデレードに行くときはみんな、

「もー疲れたわー。まだ乗るん!?」
と、すごくイヤそうでした。私もみんなと同じ気持ちでした。関空からシドニーへ行く時、飛行機の中で初めて機内食を食べました。「機内食はまずい。」と聞いていたけれど、本当にまずかったです。9時間も飛行機の中でいるのはしんどいと思っていたけれど、私はほとんどテープを聞いていたので、暇で困るということはありませんでした。

アデレードについて、それからスタディセンターまでが長かったです。シドニー空港では、たくさん日本人を見かけたけど、アデレードまでくるとやっぱり外国人ばかりで、「オーストラリアに来たなあ。」という気持ちになりました。空港からバスでスタディセンターへ行く途中、バスの外に見えた家々を見て感動しました。映画で見るようなとてもかわいい家ばっかりだったからです。「私のホームステイする家もこんなのかなあ。」と、ワクワクしました。
スタディセンターでホストファミリーと会い、ちょっと初対面なのでドキドキしました。でも、家の人がいろいろ話しかけて来てくれたので、すぐになじめました。家についてすぐ、お土産の観音寺まんじゅうと、ホストマザーには手ぬぐい、ホストファーザーには、箸、ホストシスターには折り紙、ホストブラザーには去年日本でとてもはやったテトリスを渡しました。そして、日本のことや私の住んでいる所の話をして、その日は疲れていたので早めに寝ました。
クリスマスには、親戚の家に連れていってもらい、とても楽しかったです。そこでいろんな人と会いました。なかにはイギリスから来ている人もいて、びっくりしました。2日目のクリスマスは、また違う親戚の家に行き、その家にあるプールで遊びました。小さい子もいてとても楽しかったです。その子がゲームボーイを持っていたので、嬉しくなってやりました。ディナーの時はみんなで外に出て食べました。外で食べるのには、びっくりしました。ちょっと寒かったです。

「大晦日」のことを向こうの人たちは、「ニューイヤーズイヴ」と呼んでいました。その日の夜は、ホストシスターのアマンダ(15歳)と2人でアマンダの友達のカーラという子の家に泊まりに行きました。カーラは、15歳なのにとても大人っぽく、蛍光色の黄色のマニキュアがとても似合っていてうらやましかったです。彼氏が25歳だと聞いてびっくりしました。私は夜の9時頃から、カーラの家の近くの競馬場のような所でのイベントに行きました。そこで、また一人アマンダとカーラの友達と会いました。その子の名前は長くてちょっと変わっていたので覚えられませんでしたが、とてもいい子でした。深夜カントリーミュージックの演奏に合わせてみんなで踊っていると、横山さんのホストファミリーと、大西君に会いました。そしてカウントダウンをしました。この日の行事が私がオーストラリアで一番楽しかった事です。次の日は、また別のアマンダたちの友達のミシェルが、カーラの家に遊びに来ました。そして、4人でいろいろなCDを聞きながら、また踊りまくりました。本当に楽しかったです。

最後の日の前日は、みんなでUNOとトランプとボードゲームの人生ゲームをしました。トランプは、オーストラリアのゲームも教えてもらったし、日本のゲームも教えました。私はスピードというゲームを教えて、みんなで白熱しました。

オーストラリアにも人生ゲームがあってとても感動しました。でも、やっぱり英語で書かれていたのですべて家の人に読んでもらっていました。

いよいよ最終日で、その日のランチは、バイキングに行きました。夕食には、アマンダがパンケーキを焼いてくれました。本当においしかったです。お別れの時は、本当に悲しかったです。本当に一生の思い出に残る休日が過ごせました。これからもホストファミリーと文通を続けて、できればまたあの人たちに会いたいです。