18日間のホームステイ

21番 山 川 尚 子

12月22日12時30分に観音寺駅に集合して壮行式をしました。そのときはまだオーストラリアに行くという実感がわかず、ホームステイに行くというよりは観光に行くような気分でした。壮行式の後、特急や新幹線を乗りついで関西国際空港へ着きました。とても大きな空港で、夜なのに次々と飛行機が飛んでいました。空港で出国手続きをとる時も初めての体験ばかりなので本当にとまどいました。そして、私にとって初めての飛行機に乗りました。中は少し狭いけどとてもきれいで、フライトアテンダントの人も親切でした。機内はあまり揺れることもなく、いつのまにか不安な気持ちもなくなりました。機内食を食べたり、寝てる間に、飛行機はブリスベンに着きました。まだ朝早いのにとても明るく、オーストラリアに来たんだなぁと実感しました。ブリスベンは乗り継ぎだけだったので何もせず、また飛行機に乗り、シドニーへ行きました。飛行機の中から見てもビルが見えたりして、とても大きな都市に見えました。それからアデレードに行くため、メルボルン経由の飛行機に乗りました。

アデレードに着き、初めに見たとき、とても緑の多い自然いっぱいの所だなぁ、とびっくりしました。バスに乗りスタディセンターへ行きました。注意を聞いた後、ホストファミリーの人と会い、それぞれ家に帰りました。私の所はお母さん一人だったので話ができるかどうかとても不安でした。でも、車の中でもゆっくりとしゃべってくれたりして、とてもいい第一印象でした
オーストラリアの家はほとんどレンガ造りできれいな庭もありました。私がホームステイをさせてもらった家もたくさんの花や木が植えられていました。家のドアを開けると二匹の犬が迎えてくれました。始めはワンワンとほえられ少しこわかったけど、すぐなついてくれました。私の部屋のドアにはられていた紙に、“WELCOME TO AUSTRALIA NAOKO”と書かれていて、犬の絵や猫の絵なども描いていてくれていてとてもうれしかったです。その絵で不安な気持ちが少し減ったように思えます。オーストラリアの朝は、とても早く日が昇るのに驚きました。
スタディセンターでの勉強一日目の日から事件がおこりました。お母さんが車や家の鍵を閉じこめてしまったのです。どうやっても開かず、時間ばかりが過ぎていきました。最後には隣の家の男の子が窓から入り開けてくれましたが、一時間も遅刻してしまいました。一日目からだったのでとてもつらくて、すごく日本に帰りたくなってしまいました。結局、一時間遅れて着きました。お昼からは動物園に行きました。オーストラリアといえばコアラとカンガルーを連想していたので、コアラを抱いたりカンガルーに触ったときは本当にうれしかったです。夜はお母さんと教会へ行きました。私は聖書を持ち、合唱をするのだと思っていたけど、全然違い、コンサートみたいな感じで、楽しく過ごせました。
25日クリスマスの日には、お母さんのお母さんや子供たちが家に来て、それから中国レストランへ行きました。やっぱりクリスマスだからたくさんの人がいました。オーストラリアのクラッカーは日本とは違い、両手で中の紙を引っ張るとポンッという音が鳴り、中から帽子が出てきました。それをかぶり、食事をして楽しい時を過ごせました。
ニューイヤーズデイはお昼から近くの公園でバーベキューをしました。たくさんの家族がバーベキューを楽しんでいました。大きなソーセージなどを焼いて、お母さんの友達たちと食べました。その後プールに入りました。元旦にプールに入るのは変な気分でした。
1月3日にさよならパーティーをしました。朝から準備して夜7時頃から始めました。たくさんの人と楽しい時間が過ごせて楽しかったです。
私はオーストラリアでホームステイをしたことで、自分自身に変化があったと思います。少し積極的に人に話しかけれる様になったと思います。オーストラリアでしかできない体験ができ、とてもいい勉強になったし、英語の聞き取りも少し上達しました。これからもこの体験を生かせるように頑張りたいです。

異国の地の思い出

22番 塩 田 ゆ き の

私はオーストラリアへ行く前、一つのことを思った。あっと言う間にすぎてしまって、何も学べなかった、ということにならないようにしようと。研修が終わった今、実際にそれが守れたという確信はどこにもない。

実感がないまま日本をはなれ、オーストラリアに着き、そしてホストファミリーにひきとられていった。ずっと、オーストラリアにきて、ホームステイをしたかったのに、いざ日本人一人になるとすごく心細くてどうしようもなかった。家では、すごく大きな音で音楽がかかっていた。部屋に案内され、しなければならないことはすごくたくさんあるのに、10分間ぐらい、どうすればよいか分からず、ただぼうぜんとしていた。まず、ここで1回目に、日本へ帰りたいなぁと思った。後々考えれば、日本へ帰りたいって、何回思ったことか。
ホームステイ、2日目。学校があった。とても幸せな時だった。日本語が話せるというだけなのに、こんなに幸せに感じられるのがなんだか不思議だった。日本でいた時は、学校があるなんていやだ、とか、ずっと家にいたいとか思っていたのに、オーストラリアでは、まったく反対になってしまった。
2週間の間にいろいろなところに連れていってもらった。私のホストファミリーの友達で、やはりクラスの子がホームステイしている家族がいた。また、その家族の親せきの2ファミリーともクラスの子がホームステイしている家族だった。だから、友達がいたほうが楽しいだろうということで、いつも、みんなで行動をともにしてくれた。
とても楽しい時は本当に楽しいのだけど、やっぱりつらい時もあった。一人で家の中でいるときだ。一応、落ち着くのだが暇だった。そういう時は、近くにある、友達がホームステイしている家に行かせてもらった。そこのファミリーは、とてもおもしろい人達ばかりだった。すぐにうちとけて、最高に楽しい時間が送れたと思う。そこの家にはプールがあった。子供が泳いでいるのをただ見ていただけなのに、そこの家の子供に服のままプールに落とされ、友達に服を借りて着替えたら、また今度はそこの家のパパにかつがれ、落とされてた。友達も落とされた。こんな経験は日本では考えられないことなので、本当に楽しかった。この前は、服を着たまま、ホースで水のかけあいをして服はびしょびしょになるし、オーストラリアにきてから、ぬれてばかりだった。
別れが近づいた日、公園でバーベキューパーティをしてくれた。それも私達には内緒で、飾り付けをしてくれ、ケーキまで焼いてくれた。とても感動した。みんな、私達のために本当によくしてくれた。
オーストラリアで、いろんな人に、「オーストラリアは好きですか?」とか、「日本へ帰りたい?」とかよく聞かれる。私はきまって、「オーストラリアは本当にいい国だと思う。けどやっぱり日本に帰りたい。」と答えた。オーストラリアでは、言葉が通じるということのうれしさ、日本食のおいしさ、自分の家での生活、いろんな面で日本という国が、かけがえのないものだということを感じた。
しかし、いざ日本へ帰ってみると、「なんなの。このちっぽけな国。」そう思えてしかたがなかった。オーストラリアでよく耳にした音楽を聞きながら、オーストラリアで出会った人達の写真を見ていると、涙さえでてくる。どうしてあの時、ああしなかったのか、あの人ともっと仲良くなれればよかった、とか後悔することもたくさんある。しかし、オーストラリアで学んだことは、これから先、私の人生でかけがえのないものになっていくだろう。ただ海外に旅行するだけではなく、ホームステイという形で人と深くかかわれたことを本当にうれしく思う。英語が上達したとは思わない。けどそれ以上に、すばらしいことが学べたと思う。
もう一度、オーストラリアに行きたい。あの広い大地に足をつき、あの広くて青い空を見上げ、みんなとまた笑い合いたい。私の心の中で深く彼らがいるように、彼らにもまた私のことを忘れないでもらいたい。オーストラリアは果てしなく遠いけれど、生きているかぎり、またあの人達に会える。今度会う時は、冗談なんかもさらっと言えるぐらいになって、彼らに会えるように、私はこれから先、がんばっていこうと思う。

ホームステイが終わって

23番 城 下 理 恵

海外に、一度も行った経験のない私が、なんと初めての海外でホームステイなんて考えられない事でした。出発の何か月前とかは、その事が楽しみでしようがなかったのに、出発が近づくにつれて、だんだん不安になってきました。

出発の日、期待と不安で胸がいっぱいでした。私は、飛行機が初めてだったので、とても酔いそうでした。
オーストラリアに着いて、スタディセンターに行くまでのバスの中では、私はあまりしゃべりませんでした。しゃべる余裕がないくらい緊張していました。スタディセンターに着いて、私たちを待っているホストファミリーの人たちを見たら、一気に緊張してしまいました。
私は、コーディネーターのアリソンにホストファミリーの家まで乗せていってもらいました。その時の私は、もう緊張というより、すごくすごく家に帰りたくて仕方ありませんでした。アリソンに、「さあ、着いたよ」と言われた時は、車から降りたくなかったです。
ホストファミリーに会って、あいさつを交わした時、案外いい人そうだったので、すごく心が軽くなりました。お母さんが、家の中を案内してくれました。私の部屋は、6歳の女の子と3歳の女の子との合部屋でした。これからの生活が、不安でもあったけど期待も大きくなっていたつもりだったんだけど、その日の夕食の後、お父さんが私に「日本に電話しなさい」といったので、電話をして、家族の声を聞くと、いっぺんに不安が大きくなって、家に帰りたくなってしまいました。こんな気持ちではダメだと思い、これからがんばっていこうと思いました。
最初の日は、少しめそめそしていたけど、日にちがたつにつれて、家族にも慣れて、もうあんまりホームシックにかかることは、なくなっていました。お母さんもお父さんも、子供たちもすごく親切な人たちでした。子供たちは、最初からいろいろ話しかけてくれて、とてもうれしかったです。休みの日は、朝から晩まで一日中、2人と遊んでいました。でも、オーストラリアに行って、本当に心から思ったことは私に英語力が全然ないことです。遊んでいる時もそうでした。2人は、本当によく話しかけてくれたんだけどそのほとんどが理解できずに、ただ笑っているだけでした。お父さんやお母さんと話すときにも絶対に辞書が必要で、とても苦労しました。日本に帰ったら、もっと単語を覚えようと思いました。
クリスマスと大みそかは、ホームパーティーをしました。本当にいっぱい食べたことを覚えています。みんなすごくいい人で、どんどん私のお皿についでくれました。大みそかは、0時まで起きていて、みんなで新年を祝いました。
私が、ホストファミリーと話していた中で、特に印象が強かったのが、家族の誰もが雪を見たことがないことでした。6歳の子に、「雪はきれいか?」と聞かれて、「YES」と答えました。「いつかみんなが雪を見られるといいのに。」と思いました。
日本に帰るまで、あっという間の14日間でした。別れるときに、「また帰ってきてね」とお母さんに言われた時、ちょっと泣いてしまいました。最初は、やっていけるのかと思っていたのに、別れるときはすごくつらかったです。
私はまだ16歳だけど、すごく心に残る体験をしました。きっと一生忘れることはないと思います。もっと大きくなって、もう一回、ホストファミリーの家を訪ねたいです。もっと英語を勉強して、もっといっぱい話したいと思います。本当にいい想い出がたくさんできました。

ホームステイの想い出

24番 高 橋 史 恵

私は、12月22日〜1月8日の約三週間オーストラリアへ研修に行った。私にとっては初めての海外だった。不安と緊張を胸に抱き、私はオーストラリアへと向かった。オーストラリアまでは、約11時間かかり、アデレード空港でコーディネーターの人に出会った。そして、ホストファミリーの待つスタディセンターへ。実を言うと私は、この時ほど家に帰りたいと思ったことはなかった。スタディセンターへ向かっているバスの中は、全員不安でいっぱいだったと思う。ARDYSさんが、「もう少しで、皆さんのホストファミリーの待っているスタディセンターに着きますよ。」と言われた時は、胸中は、「私のホストファミリーは、どんな人達だろうか?初めの一言は何を言ったらいいのだろうか?英語がちゃんと伝わるだろうか?」など、不安がいろいろと頭の中に浮かんできた。いざ、スタディセンターに着いてみると、そこはやはりオーストラリア。あまり見慣れない外国人のファミリーがたくさん、私達の事を首を長くして待っていた。私の迎えにはDADとAARONとMATTHEWが来てくれた。私のホームステイ先の家はスタディセンターからそんなに離れたところではなく、約3分もあれば十分着く距離。夕方頃、MOMが仕事から帰ってきて、DADが作った夕食を食べた。今までオーストラリアの料理を食べた事がないので思いきって“What is this?”と言ったら、DADは、真剣に私の質問に答えてくれた。夕食後は、AARONとMATTHEWと3人でゲームやマカレナを歌いながら、踊ってくれて、“Fumie, try.”と言われて、私も一生懸命踊った。一日目から、ホストファミリーに打ち解けられてうれしかったし、安心した。バスの中とは全然違っていた。でも、やはり、英語を聞き取れるようになるまで約2〜3日かかった。2日目からは、少しずつだけど、オーストラリアと日本の違いに気づき始めた。一番私が驚いてしまったのは、車を乗るときシートベルトを必ず着用すること、それをしないと罰金を払わなければならないからとMOMが私に教えてくれた。実際、本当にオーストラリアに住んでいると、良く分かった。着用率はほぼ100%に近い事を・・・・。

私のオーストラリアでのホームステイ生活は、本当に短かったけどたくさんの事を学んだり、たくさんの人達に出会える事もできたし、たくさんの自然や動物に触れる事もできた。私のホストファミリーは、一人一人が尊敬し合って、とても明るくユーモアたっぷりの家族でした。だから、私も1日目から、溶け込んでいけたんだと思うし、ホストファミリーに出会う前の不安や緊張もすぐに取れたし、いち早く、この家庭の一員になれたと思う。
私がこの研修で一番幸せだった事は、私のホストファミリーに出会えて、私を家族の一員として扱ってくれた事。一番悲しかった事は、親愛のホストファミリーとのお別れ。別れの日は、朝から山へ野生のカンガルーやダチョウを見に行き、パンくずをやったりした。昼から夕方まで、VIDEOを家族で見て過ごした。私は、実はこの時から、すでに泣きそうだった。夕方7時、ついに別れの時が・・・・。車が、スタディセンターに着くと、DADが私の方を見た。私は本当に別れの時が来たんだなぁとしみじみ思ってしまい、とても悲しくなって泣いてしまった。もう、家族といられる時間も少ないのに、泣きっぱなしで、自分は本当に良い家族に恵まれた、と思った。写真を撮ったり、話をしたら、MOMが、「休みの時は、ぜひこっちに帰って来なさい。あなたの家なんだから。」と言ってくれてとてもうれしかった。バスに乗っても、ホストファミリー、いや私の家族は、私のすぐそこまで来てくれた。私は一生このオーストラリアでの生活や経験した事を忘れないだろう。そしてまた、一日でも早く家族に会いに行きたい。
Thank you and I love my hostfamily.

夏と私とオーストラリア

25番 津 島 由 美

私は、はっきり言ってこのオーストラリア研修に何も期待していなかった。なぜなら、一昨年の夏、私はアメリカでホームステイをしてあまりうまくいかず、つらい思いをしたからだ。だから出発前は、あまり気が進まなかった。
12月22日。とうとう出発の日だ。少しの期待と大きな不安を胸に観音寺を出発した。翌日、無事オーストラリアに着いた。オーストラリアに来た実感はまったくなく、ただ胸の中の大きな不安が最高潮に達していた。ホストファミリーとの対面は、本当にドキドキした。初めて対面したとき、「いい感じの家族みたい。これなら、うまくやっていけそう。」と感じた私は心の中で「よーし、がんばるぞ!この18日間。絶対有意義なホームステイをする!」と決心した。
私のホストファミリーは、お父さん・お母さん・子供一人の三人の小さな家族だ。初めのうち、子供が恥ずかしがって全然なじんでくれなかったけど、だんだん心を開いてくれて、一緒にままごとや折り紙などをして遊んだ。とってもとっても楽しかった。お父さんは、とってもやさしくて感じのいい人だった。

お母さんは、妊娠中だったのに私の世話をいろいろしてくれた。料理も上手でおいしかった。

オーストラリアについて、だいぶなじめたころ、クリスマスとニューイヤーズイブパーティがあった。クリスマスには、いっぱいプレゼントをもらい、とってもうれしかった。ニューイヤーズイブは、カウントダウンをした。少し眠かったけど、初めてしたのでとてもうれしかった。クリスマスもニューイヤーズイブもパーティーというパーティーはせず、ホストファミリーの友だちとご飯を食べただけだった。
ホストファミリーの人たちは、私をいろいろなところへつれていってくれた。ボーリングやプールやショッピングなどいろいろと・・・。とても楽しかった。そのお礼として私は、ホストファミリーに日本料理をつくってあげた。私は、全然料理ができないので、うまく作れるかどうかとても心配だったが、一生懸命“お好み焼き”をつくった。思ったよりうまくできたけど、見た目はいまいちだった。味は、そんなにおいしくなかったと思うけど、ファミリーの人たちは“Very good!!”と言ってくれて、とってもうれしかった。でも子供の舌にはあわなかったみたいで、全然食べてくれなかった。すこしつらかった。お好み焼きを食べるとき、私が日本から持ってきた“おはし”を使ってみんな食べてくれた。ホストファミリーの人たちは、初めて使ったらしく少し苦戦していたけど、最後までおはしを使って食べてくれて、とってもうれしかった。
ホームステイにもだいぶん慣れてきたと思ったら、あっという間に18日間が過ぎて、とうとうホームステイ最後の日になった。別れの時は、最初は全然悲しくなかったけど、友達が泣いているのを見ているうちに、「もう二度と会えない」と思うと急に悲しくなり、泣いてしまった。バスが出発した瞬間、今まで楽しく過ごしてきた日々が頭の中に出てきて、また大泣きしてしまった。本当にホストファミリーと別れるのがつらかった。
私は、オーストラリアに行って良かったと思う。忘れがたい思い出もたくさんできたし、いろいろなことも学んだ。ホームステイも楽しかったし、オーストラリアは、本当にいい所だ。もし、今度オーストラリアに行く機会があれば、英語がしゃべれるようになって行きたい。なぜなら、今回ホームステイで一番困ったことが、英語が通じなかったことだから。英語がしゃべれるようになってオーストラリアに行き、ホストファミリーといろいろ会話がしてみたい。また、オーストラリアに行って、ホストファミリーと会いたい。たぶん、今回のオーストラリア研修は、私の心の中でかけがえのないものになった。この十六歳の夏を私は一生忘れないと思う。

思い出のオーストラリア

26番 徳 重 喜 美 子

私たちにとってこの研修が忘れがたいものになったことは確かだ。十二月二十二日の昼、私たちは観音寺を立った。オーストラリアへ行くとき、楽しみもあったけれど、不安でもあった。なぜならなにもかもすべてが私にとって初めての体験だったからだ。飛行機に乗ることも、海外(オーストラリア)へ行くこと、ホームステイすることも。 オーストラリアに着いた時、着いたという実感はあまりしなかった。暑いということも。ホストファミリーと対面する時は本当にドキドキした。どのような感じの人なのかもわからなかったからだ。ホストファミリーに会った時、初めて思った。私は本当にオーストラリアに来たんだなと。わかってはいたが、相手が話すのは英語。それにはやっぱり焦った。突然英語で話されてもほとんどわからなかったし、しゃべれなかった。この時は二週間も一緒に暮らせるかどうか不安だった。

ホストファミリーは全員で7人という大家族だった。私から見て、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹2人、弟2人。子供がとてもたくさんいるけれど、お父さんとお母さんは若い!それに子供たちはかわいかった。それに大人っぽいので、とても年下とは思えなかった。
行ってすぐクリスマスだった。パーティーがあり、どのように過ごしたらいいのか、どこでいたらいいのかわからなかったが、お父さんがわかりやすく教えてくれて少しうれしかった。クリスマスということで私にもプレゼントをたくさんくれた。初めのうちは不安などでぎこちなかったホストファミリーとの交流もしだいに慣れていった。一緒にゲームを長い間したり、折り紙をしたり、プールで泳いだり、散歩をしたり・・・などなどいろいろなことをした。
だいぶ慣れたときに New Year's Party があった。食事をして、家族全員と親戚の人たちと一緒にゲームをした。少し迫力のあるゲームだった。その後は暗くなりみんなで散歩。何分歩いたか分からなかったが、たくさん歩いた。途中では近くの友達の所へ行き、マカリナダンスを踊った。それから家へ戻りカウントダウンが始まった。“5.4.3.2.1.A Happy New Year!”クラッカーを鳴らし、みんなで曲に合わせて踊った。特にお母さんはのりのりで踊っていてかわいかった。この日はクリスマスよりもなによりも一番楽しかった。
次の日は、私とかおりちゃんとで、お好み焼きとお餅を作った。私は、ひさしぶりの日本食でうれしかったのだが、子供たちはソースのにおいや鰹節のにおいが苦手らしく、鼻をつまんで首を横に振っていた。私にとって味はまあまあのできだったけれど、みんなには合わなかったらしい。でも食べてくれた。何かうれしかった。
さよならパーティーの時は、恥ずかしかった。私が踊っている目の前に子供たちに座られてしまった。クイズをする時もたくさんの人々の前だったので緊張した。その後は食べたりしながら楽しく過ごした。
ホストファミリーと別れる日、朝はいつもと同じようなことをした。午後からは荷物の整理。時間なので学校へ行った。みんな来ていた。ホストファミリーと一緒にいるときは、余り悲しくはなかった。別れを済ました後、バスに乗り込んだ。そしてバスが出る時に突然すごくつらくなった。涙があとからあとから流れてきた。このホストファミリーと過ごした日々は長かったようで短かった。今思えば、何もかもがいいことばかりだった。ホームステイができてよかったと思う。絶対にいつかまたオーストラリアへ行ってホストファミリーに会いたいと思う。

See You Again !

思い出の地オーストラリア

27番 友 澤 孝 納

私がホームステイした家は、お父さん、お母さん、二人のお兄さん、一つ年下の妹が一人の五人家族でした。お父さんよりもお母さんの方が年上だったせいか、お母さんの方がしっかりしており、お父さんは優しい人でした。子供といっても、もう大きな人達でしたが、みんな楽しい人でした。
初日、私は飛行機の中で調子が悪くなってしまい、ホストファミリーと初めて会ったときには、何も話すことが出来ませんでした。調子が悪いことをホストファミリーに言えないまま、初日が始まりました。ホストファミリーは、私にクリスマスのイルミネーションがたくさん有るところにドライブで連れて行ってくれました。丘をこえていくため、くねくねとした道をたくさん通って行きました。家に帰ってすぐ、もともと気分が良くなかった上に長時間のドライブで吐いてしまった私に、お母さんは、私の母が昔私にしてくれたような事をしてくれました。おかげで、オーストラリアに行く前に感じていた不安がなくなりました。
始めのうちは日本の友達がいる学校が楽しみでした。家でいると、英語もほとんど話せないので何を話したらよいのか分からないし、部屋にいて良いのか他の所に行くべきなのかと、とまどう事が多かったです。しかし、しばらくホストファミリーと一緒に過ごしていると、他のお母さんが言っている事はほとんど分からないけれど、自分のお母さんの言ってる事は、なんとなく分かるようになりました。これは、他の子も同じ事を言っていました。
ホストファミリーと過ごした14日間、私は、たくさんの場所へ連れて行ってもらいました。その中で一番私が楽しいと思った所はホースレースでした。ほとんどルールも分からなくて、ただ見ているだけでしたが、ホストファミリーやその友達と一緒にいられた事がとても楽しかったです。この時は、帰る二日前だったので、だいぶファミリーと仲良くなれていました。
次に楽しかった事は、ニューイヤーズパーティです。家族の人達は、退屈だとか行っていましたが、庭で大きな音で音楽をかけてダンスを踊ったり、歌を歌ったりしているのを見ているだけで、日本のお正月との違いをみることが出来て楽しかったです。また、このパーティのときは、小さな女の子が私の所に来てくれて、縄跳びをしてくれたり、お菓子を持って来てくれたりしました。女の子の名前は難しく、最後まで名前で呼んであげる事は出来ませんでした。とてもかわいい女の子でした。
私は、良いホストファミリーに出会うことができました。ほとんどの会話に必要な英語の単語も分からないでいた私に、ホストファミリーの人達は、辞書をひいてくれたり簡単な単語にかえてくれたりしました。私のホームステイが無事に終わったのはホストファミリーの人達のおかげだと私は思います。
ただ、一つだけ後悔していることは、なぜもっと早くに自分から打ち解けようとしなかったのかという事です。初日から、みんないろいろと私に話しかけてくれたのに、私はなかなか入っていけなくて無駄な時間にしてしまったと思います。帰る間際になってそのことをとても悔やみました。
バスに乗る直前に私はホストファミリーと最後のお別れをしました。家族のみんなに暖かい抱擁をしてもらった後、お母さんに私はこんな言葉をもらいました。「もう一度ここに戻って来きなさい。」うれしかったのと別れの悲しさとが混ざって涙が出てきました。こんなに泣いたのは久しぶりでした。
私は、この学校を卒業したら、今度は自分の力で、ホストファミリーに会いに行きたいと思っています。
次にオーストラリアに行くときには、今よりはずっと英語が話せるようになって家族や周りの人とのコミュニケーションがとれるようにして行きたいと思います。

私のオ−ストラリア

28番 豊 田 賀 世

楽しいこともあったし、逆に辛いこともたくさんあったオ−ストラリア。今となっては全てが、まるで宝物のような思い出になった。オ−ストラリアから帰ってきて私が一番強く思っていることは、「行けてよかった」ということだ。

関西国際空港からシドニ−行きの飛行機が飛び立つ瞬間のドキドキした気持ちは本当に忘れられない。これから始まるオ−ストラリアでのホ−ムステイや学校、クリスマスや新年のことを考えると、飛行機の中でなかなか寝ることができなかった。
シドニ−の空港で降りた時、本当にオ−ストラリアに着いたという実感がわかなかった。しかし、バスから見た町の風景は日本とは全然違うもので、「あ−本当にオ−ストラリアに来たんだ。」とだんだん実感がわいてきた。
私たち6人は他の人たちよりも先にアデレ−ドに着いたので、少しの間、アデレ−ドの市内をバスで見て回った。たくさんの建物やお店があった。いろんなお店や建物、町の風景や道、そこにある物全てが日本とは違っていた。なにもかもが日本とは違う動きをしていて、車や人の歩く速さもなんとなくゆっくりした感じに見えた。そういうオ−ストラリアの雰囲気にしばらくの間、ずっと感動していた。日本とはすごく離れた場所に自分がいることが、すごく信じられないような気持ちだった。
みんなと合流してからスタディセンタ−に向かった。バスに乗っている間、これからのファミリ−との生活のことをずっと想像していた。スタディセンタ−でファミリ−に初めて会った時、嬉しさと不安がどっとおしよせてきた。これからこの言葉も通じない、生活もまったく違う、自分の全然知らない場所で暮らすことが、うれしくもあり、なんとなく恐くもあった。
私のファミリ−は、50才のMOTHERと70才のFATHERの老夫婦だった。MOTHERの名前はライレ−ン、FATHERはケン、2人とも優しそうな人だったので安心した。最初のうちは凄くドキドキしたけど、だんだん慣れてきた。相手が話していることもだんだん日が経つうちに、少しずつ理解できるようになっていったような気がする。クリスマスには親戚の家に行った。たくさんの人がいた。私と同じくらいの年の女の子や男の子もいたし、小さい子もたくさんいた。みんな私にわかりやすい英語でオ−ストラリアのことをたくさん教えてくれた。そして私も日本のことをたくさん教えてあげたら、すごく喜んで聞いてくれた。初めて会う人達ばかりなのにみんなすごく仲良くしてくれてとてもうれしかった。New Year's Eveには、隣のファミリ−と一緒にボ−リングに行って、そのまま新年を迎えた。カウントダウンが始まって、新年になった瞬間、すごく盛り上がって、すごくたのしかった。日本で新年を迎えるのもすごくいいけど、オーストラリアではまた少し違った感動がどっとおしよせてきて、とてもよかった。
ファミリ−と別れるときは、今までの思い出が全てよみがえってきて、とてもつらかった。ファミリ−と別れるのもつらかったが、ここで知り合った人達みんなにもう会えなくなるんだと思ったら、泣きそうになってしまった。
最後の3日間はホテルで泊まった。シドニーでの観光はとてもよかった。すごく景色がきれいで、見る物全てに感動していた。
このオーストラリアの研修を通して、自分の中の何かが少し変わったような気がする。英語の練習はもちろんだけど、それよりも異文化の中でたくさんの人達とコミニュケーションをたくさんとれたことが、すごくよかったと思う。
このオーストラリアで出会ったたくさんの人達のことを私は一生忘れない。そしてもう一度オーストラリアに帰りたい。

ホームステイを終えて

29番 西 浦 宏 美

12月23日、約10時間かけてついにあこがれの地、オーストラリアへ足を踏み入れました。これから約2週間、アデレードの郊外、“エリザベス”という市でホームステイが始まります。私はアデレードに着くまでに、飛行機の中でいろんなことを考えました。自分は英語がうまく話せないのに、相手に英語が通じるのか、いきなり初めて会った人達と約2週間余りうまく生活していくことができるか、ホストファミリーはどんな人達だろうか、オーストラリアはどんな国だろう、など不安や期待で頭がいっぱいでした。そうするうちに、飛行機がアデレード空港に到着しました。そしてそこには、コーディネーターの人達が私達を迎えに来てくれていました。私たちはバスに乗り、そこからスタディセンターへと向かいました。バスに乗ってスタディセンターに行く途中でたくさんの家を見ました。オーストラリアの家は日本と比べるとぜんぜん違うなあ、これが文化の違いというものか、と思いました。それにオーストラリアはクリスマスなので家のドアなどにいろんなものを飾ったりしていました。そしてだんだんと緊張が高まる中、スタディセンターに到着しました。そこには、もう私達を迎えてくれるいくつかのホストファミリーがいました。それから先生たちからの話を聞き、ホストファミリーが来ました。そしてホームステイが始まりました。

私のホストファミリーは、お父さん、お母さん、ステーシー、クロイーの4人家族でした。私のホストファミリーは日本にすごく興味をもっていたので、日本についてよく質問されました。それに子供たちは学校で日本語を学んでいるので、ときどき日本語で私に話しかけてくれました。そして、英語がうまく話せない私に、家族みんな笑顔でやさしく接してくれたのですごくうれしかったです。
私がこの研修で1番心に残ったのはクリスマスです。クリスマスは日本のクリスマスと違い、すごく大きな行事です。だからクリスマスの日の朝から、隣の家や親戚の家に行ってパーティーをしたり、自分の家にみんなを呼んでパーティーをしたりして、すごく楽しい時を過ごすことができました。みんなすごく楽しそうでした。私もこんなに楽しいクリスマスがおくれたのは初めてだと思います。
オーストラリアと日本とは文化や習慣の違いがありました。例えば、オーストラリアのガソリンスタンドは、日本のガソリンスタンドのように店員がいなくて自分で入れるのです。そのように文化や習慣など、たくさんのことを学びました。
人との出会いがあれば、別れもあります。1月5日、とうとうホストファミリーとの別れがやってきました。夕方、スタディセンターに着くと泣いている人がたくさんいました。私もホストファミリーとの別れがつらくなって泣いてしまいました。ほんとうに楽しい時が過ごせたと思います。
最後に、私はオーストラリアでホームステイができてほんとうによかったと思います。私をステイさせて下さったホストファミリーにすごく感謝しています。私は、ここで学んだことをこれからの人生で生かしていきたいと思います。そしてホストファミリーとの思い出は一生忘れません。私はいつか必ずまたオーストラリアに行けることを望んでいます。

私のホームステイ

30番 野 口 晶 代

出発の前の日が来ても、オーストラリアにホームステイに行くという実感があまりありませんでした。でも、飛行機に乗ったりしてホストファミリーに会う時がだんだん近づいてくると、少しずつ緊張してきました。あいさつをしたあとは何を言えばいいのかとか、車の中で何を話せばいいのかとか考えていると、どんどん不安になってきました。私は、英語を話せなくても何とかなるだろうと思っていたけど全然何とかならなくて、いつも辞書を手離せませんでした。

私は、クリスマスはホストファミリーの親戚の家に行きました。すごくたくさんいとこがいて、顔も覚えられないくらいでした。その日は、家の外でお昼ごはんを食べました。クリスマスだけあって豪華な昼食でした。全部手作りで、すごくおいしかったです。最後に食べたクリスマスプディングには少しびっくりしました。プディングの中にオーストラリアの古いコインを入れて作っているのです。自分の中にコインが入っていたらうれしいらしいです。コインはなんとなく汚いイメージがあるから、私の中に入っていなかった時は、ホッとしたけどちょっと残念でした。その日の夜、みんなでクリスマスライトを見に行きました。どこの家も、すごく気合いを入れて飾っていて、とてもきれいでした。屋根の上の煙突からサンタクロースが中に入ろうとしているのとか、小人が庭で遊んでいるのとかすごくかわいかったです。日本でもクリスマスライトが見れたらいいなぁと思いました。その日はその親戚の家に泊まりました。ベッドの数が足りないから、家の中だけどキャンプみたいに、寝袋で寝ました。ホストファミリーと別れる前の日、ビーチに連れて行ってくれました。きっと、砂浜からあふれるくらいたくさんの人がいるんだろうと思っていたけど、行ってみるとそんなにたくさんの人はいませんでした。すごくきれいなビーチで、ゴミもほとんど落ちてなくて、さらさらのホワイトサンドが気持ちよかったです。みんなでビーチに寝転がってのんびり過ごしました。砂浜でいると、太陽ががんがん照っていてすごく暑いけど、水の中に足だけでもつけると涼しくなりました。それから、みんなで貝を拾いました。日本の海にあるハマグリみたいな形でなくて、すごくかわいい形をしていました。たくさん拾った貝は、自分が一番気に入ったのだけを持って帰って、残りは海に投げて返すと言っていました。どれも色がピンクとか薄むらさきとかできれいだから迷いました。その時は、水着を持っていってなくて泳げなかったけど、とてもきれいな海だったので今度行ったときは絶対に泳ぎたいです。
オーストラリアの人達は、ひとつひとつの行事を大切にしていて、またそれを精一杯楽しんでいるように思えました。私は、始めの頃緊張と不安であまり話をしていなかったけど、ホストファミリーがあきれずに話しかけてくれたおかげでたくさんの話ができたし、たったの2週間だったけど私もホストファミリーと一緒にいろいろな行事を楽しむことができてよかったと思います。