言葉は2つ、心は1つ。

31番 本 澤 由 香 里

帰国して日が経つにつれ、オーストラリアのファミリーが恋しくなってきました。18日間という2週間以上の研修で、うまいこと英語が通じて無事帰ってこれるかな?と不安がっていた出発前の気持ちが信じられません。わたしにとって生まれて初めての外国、オーストラリア!飛行機で飛んで着いた国、そこはまさしく英語ばかりが飛び交っていました。出発前と変わらずの不安とファミリーに早く会いたいと思う2つの気持ちがぶつかっていました。
スタディセンターで引き取られ、初めてファミリーの顔を知ることができました。DAD、MOM、そして3人の子供たち。私のホームステイはぎこちないけど“Nice to

meet you.”という言葉と握手で始まりました。何を言おうか?と考えても、言葉が見つからず黙っている私に、MOMは笑顔でポンポンと頭をなでてくれました。少しずつだったけれど緊張が溶けていきました。家に到着して、私の部屋を教えてくれたのは子供たち。早口で何を言っているのか分からず辞書を出すと、ニッコリして調べてくれます。知っている単語でもこうも違って聞こえるもんなんだと改めて実感しました。

夕食だよと子供が教えてくれ、オーストラリア初めての夕食になりました。家族手をつないで・・・テレビでよく見る光景でした。そして両端の人の手にキスをします。初めてだったので少し照れてしまいましたが、みんなが優しく見守ってくれる中でMOMとBECKYの手にキスをしました。ラーメンの上に肉と野菜いためという感じの料理で、日本にはない味でした。その日は街まで出てクリスマスのキリスト誕生のショーを見ました。そしてライトアップを見たり、ダンスを見たり・・・。DADの買ってくれた甘いホットドーナツと家族の優しさで、とても温かい気持ちになりました。
ホームステイ中、友だちといるより家族といる方が長く、パーティを家で開いたり、招待されたりと、日本ではあまりしないパーティに参加しました。どのパーティでもMOMに紹介されます。これは誰、名前は・・・と言ってくれます。名前と顔も一致せず、笑顔でうなずくしかできなかったけど、パーティで会った人達は親切でとにかく明るく、ウソの笑いでなく、私は心から楽しめました。子供たちとゲームをしたり、話をしたり・・・私は一人っ子なので普段味わえないにぎやかな雰囲気も味わえました。「今日は楽しかった?」と一日の終わりに必ず聞かれます。迷わず“Yes.”と答えられる、そんな毎日でした。ビーチへ行ったり映画を見に行ったり、ピクニックへ行ったり、本当に本当に笑いの絶えない日々でした。
今日でお別れという1月5日。 DADの“Good morning. Did you have a good sleep?”といういつもの質問。そしてMOMに飲んでもらう100%ジュースを作りながら、数日前作ったバナナジュースのことを思いだし、BECKYと2人で笑いました。「あーもうこういう日は返ってこないんだ。」と少し切なくなりました。時間が経つのはとても早く13時になってしまいました。ピクニック仲間のファミリーが来てくれてバーベキューをしました。こっちに来て2度目のバーベキューでしたが、この日のバーベキューで学んだことがありました。楽しむために手で食べるということです。私がうまくフォークを使えないことから親切に言ってくれたのです。おいしく、楽しくした後に電話がかかってきました。MOMの姉からです。さよならという言葉しか言えなかったけれど本当にうれしかったです。「1度しか会っていないのに・・・」そう思うとオーストラリアの人っていい人ばかりだと感動しました。別れの時は涙が止まりませんでした。ファミリー全員に抱きしめられ、またいつの日か戻ってきたいと思いました。MOMの言ってくれたさようならという言葉。私の教えた日本語の1つです。それがホストファミリー最後の言葉でした。
 
オーストラリアに来て通じない英語がたくさんありました。自分の勉強不足が身にしみて分かりました。でも通じない時も辞書とジェスチャーで一生懸命表すと通じます。そんな時は家族中でドッと笑いが起こりました。通じた時の喜びは大きいです。言葉というのはすごく不思議で、何気に毎日日本語を話している時、オーストラリアやアメリカでは英語を話しています。そういうふうに考えれたのも2つの国を見れたからです。この研修で学んだことは、たくさんあります。とくに強く感じたことといえば、言葉は2つあっても心は常に通いあえたということです。“出会い”“心の交流”は私の大切な宝物です。人類みな友達・・・言葉はいくつあっても心は1つです。これからの出会いの中で一期一会という言葉を常に持ち、人と接していきたいと思います。

オーストラリア

32番 南 愛

よかった、とにかくよかった。日本に帰って最初に親に言った言葉がこれだった。

私はいろんな不安と緊張感をもちながら日本を出発した。初めての飛行機は、ぐらぐら揺れていて翼が私の真横にあって、もしかしたら折れるかもしれないとびくびくしていた。飛行機を降りた後もまだ体が揺れているようで地面に立っているという感じがしなかった。飛行機の旅も終わって、いよいよ私を約2週間ホームステイさせてくれるホストファミリーに会う時がきた。

私はBグループで、Ardys Kraemer 先生がホストファミリーが迎えにきてくれた順に1人ずつ呼んでいるのを聞いて、心の中でドキドキしていた。 Ai と呼ばれて、私が Ardys Kraemer 先生の方へ行くと、送ってきてくれた写真そっくりの優しそうな人がいた。その人が私のホストマザーの Cheryl だった。それから車に乗って3分くらいでホストファミリーの家に着いた。その間に Cheryl と話した会話は緊張していたせいか今でも思い出すことができない。家に着いてから、次男の Luck がトランクを私の部屋まで運んでくれた。部屋はとてもきれいで、大きいベットがドンと置いてあった。トランクの中を整理していたらネコが入ってきた。「家族の一員の Radar よ。」とホストマザーが言っていた。黒のような灰色のような色で、キロリとした黄色の目がかわいかった。そして30分くらいして、ホストファザーの Trevor と Nadia がドライブから帰ってきた。“How do you do?”と言っていたので私もそう言い返した。みんな第一印象からすごく印象がよかった。
そして、次の日12月24日はクリスマス・イブで午前中は学校で、午後6時から教会に行った。とても大きくて、音楽はロックのようで驚くことがたくさんあった。クリスマスは長男の Martton の家で、一日を過ごした。 Holly という赤ちゃんがとてもかわいくて、いっしょにおもちゃを使ったり本を読んだりして、遊んだ。 それから、一日一日がいつの間にか過ぎていて、12月31日になった。その日は私にとって一番思い出に残る日になった。日本の大晦日とは違って、近所の人達とダンスしたり、ゲームしたり、大勢の人達と語り合ってまじわり、人と人との暖かみを強く感じた。しかし、なんと言っても12月31日である。クリスマスとは違った感動だった。まさか15歳にしてオーストラリアでカウントダウンなんて3年前では考えられないことだ。“3,2,1,Happy New Year!”いつも寝ている時間の午前0時には眠るのが惜しいくらいの時で、ホストファミリーと抱き合って5人ぐらいにキスされた。ちょっと抵抗があったけどなんのその。もうなんでもありだった。言葉では表せないほどの興奮だった。
年が明け、新年を迎えた。日本ではおせちを食べてるころ、私はターキーというお肉をがっつがっつ。普通なら温かいはずなのに冷えていて私は「えっ。」と思った。お腹いっぱいで、次はビーチに行った。もちろんめいっぱい泳いで、ホストマザーもびっくりしていた。とてもきれいで広く、日本ではきっと見られない景色が次々と出てくるので、感動がいっぱいだった。日本ならお正月なんて、家でテレビを見て、こたつでみかんを食べ、のんびりと過ごしているのに、オーストラリアでは泳いでいた。同じ地球にいても少し離れて違う大陸に来ただけで、こんなに過ごし方まで変わるなんて・・・なぜか楽しくなってきた。
私はこのホームステイでいろいろな事を知り、自分で考え、文化の違いを肌で体験できた。日本だけの文化を知っているより、それが私に合っているかどうかは分からないけど、日本とは全く別の国の違った文化も体験して、いろいろな物の考え方を知って、これからの私の生き方にプラスになるようにしていくことができればどんなにいいか、と思った。オーストラリアにまた行く機会があったとしても、初めて行ったこのホームステイにかなうものはないと思う。これからもこの研修で学んだことを忘れないように、またホストファミリーやいろいろな人達のこともずっと忘れないでいたい。そしてこれからも、ホストファミリーとの手紙のやり取りを続けたいと思う。

ステキなクリスマスPresent

33番 宮 口 愛 子

家族の見送りの中で、私達はオーストラリアに向けて出発した。私の飼い犬も連れてきていたので、すごくうれしかった。電車の中ではまだ少ししか実感がわかなかった。関西国際空港に着いて家に電話したとき、いよいよオーストラリアに行くんだと実感がわいてきた。初めての飛行機だったので、離陸するときは、ものすごくこわかった。乗り換えなどもあって何回も飛行機に乗れてうれしかった気もする。

アデレードに着いてスタディセンターに向かう時、私はホストファミリーがどんな人なんだろうとワクワクしていた。それと同時に英語が通じるんだろうかという不安もあった。名前が呼ばれホストファミリーのところにいった時、なんだか感じのいい人だなと思った。でもすごく緊張していたので、家に向かう車の中は1度も話しかけることができなかった。家に着くとホストファミリーが飼っている犬が飛びついてきてくれた。私の犬は他人にはすごく吠えて近づこうとしないのに、人なっこい犬だなぁと思った。猫も2匹いたんだけど、あまり寄ってきてくれなかった。犬と遊ぼうということになったので、遊んでいたけれど、何か話さなければと思って話した言葉が、“Boy or girl?”だった。それから夕食の時間になって、いろいろ日本から持ってきたパンフレットを見せてあげた。瀬戸大橋が大きい橋ということでビックリしたみたいだった。
それから動物園やプールなどに連れていってくれたのだが、英語が全然分からなくてすごく困ってしまった。もっとたくさんの単語を覚えておけば良かったと思った。誰か友達に会うかなと思っていたら、動物園で会えて少しホッとした。ずっと日本人1人でいたから、少しだるかったのだ。友達の家族に一緒に海へ連れていってもらったこともあった。オーストラリアの海はすっごく広くて水平線がとてもきれいで、日本の海とは比べものにならないほどだった。海だけでなく、道路沿いの道もある程度行かなくては家がなく、道沿いに馬などの動物もいた。すごく景色がよくて感動した。 テレビを見ていたら、日本と同じものをしていてビックリした。一つだけ私の気に入った番組があった。英語は少ししか分からなかったのだけど、テレビだから音なしでも分かった。ドラマとかも見ていたけれど、それはとても早口だったので全然分からなかった。
ホストファミリーはとても親切で、私が「手伝いましょうか。」と言うと、いつも「かまいません。娘たちがするから。」と言って断られた。でも洗濯物を干すのを手伝ったことがあった。すごく暑いし、夜の9時頃まで外が明るいので、夕方から洗濯物を干してもよかった。速く乾くので楽だと思った。
海外研修を終えて思うことは、私の英語はまだまだだということである。知っている単語を並べて話しているのだが、普通の日常で使う会話の英語をもっと知っていれば、もっと楽しかったんだろう。辞書も何回か使ったし、ジェスチャーも使わないと通じない時もあった。いろいろ文法も習ったが、オーストラリアではほとんど使えなかった。もし、またオーストラリアに行ける機会があったら、その時はもっと英語が話せるようになれていたらいいと思う。それと、今度は日本語を習っている外国人が私の家に来てくれたらいいと思う。すごく親切だったホストファミリーのようにしてあげたい。長いようで短かったホームステイはこれからずーっと思い出に残っていくのだろう。また、私の16回目の誕生日はソウルで迎えたのだが、それもずーっと心に残りそうだ。
この海外研修は私にとって、素敵な Christmas & Birthday Present だった。オーストラリアのいろいろな体験の中で、私が一番良かったと思うことは、やっぱりコアラを抱けたことだ。また、オーストラリアに行けたらコアラを抱きたいと思う。本当にいい体験ができて、うれしかった。
ありがとうございました。

18日間のホームステイ

34番 宮 崎 三 和 子

ホストファミリーに会うまで、私は不安でいっぱいでした。ですが、スタディセンターで、私を迎えてくれたホストファミリーの笑顔は、そんな不安を和らげてくれました。

次の日、初めてスタディセンターで、授業を受けました。それは私が思っていたのとは大分違う内容でした。私は日本での授業の様に、英語の単語や教科書を勉強すると思っていましたが、実際は英単語を使った伝言ゲームなどの遊びのようなもので、楽しく受けられました。
クリスマスの日、ホストファミリーは私にたくさんの可愛いプレゼントをくれました。プレゼントはクリスマスの日まで、きれい飾られたクリスマスツリーの下に置いてあって、クリスマスカードは、玄関の壁に飾ってありました。日本では、プレゼントだけ渡すけれど、皆、カードとプレゼントをくれました。オーストラリアの人達は人から貰ったカードを家の壁に飾っていて、相手の気持ちを大切にしているなと思いました。午後から行ったクリスマスパーティーには、ホストファミリーの友達がたくさん集まっていて、大人も子供も一緒に楽しめて、日本のクリスマスもこうだといいのに、と思いました。それにオーストラリアでは、マクドナルドなどの店員さんがサンタの帽子をかぶっていたり、道ですれ違う時に“Merry Christmas!”と声をかけ合ったりして、街全体が優しくて明るい感じでした。
アデレード市の動物園にホストファミリーが連れて行ってくれた時、キリンなどの動物が檻の無い所でいるのに驚きました。ライオンなどは檻に入っていましたが、とても自由な感じでした。それに動物も日本とは違って、蛇や亀、ハイエナまでいました。動物園といっても広くてきれいな花や木がたくさんあって、まるで公園のような所でした。帰りに連れて行ってくれた海岸はとてもきれいでした。砂は真っ白でゴミも落ちていなくて、オーストラリアの人の自然を大切にする気持ちが伝わってきました。
大晦日の12月31日は、夕食の後ボーリングに連れて行ってくれました。ボーリング場では従業員が踊ってくれたり、食べ物がでたり、途中で賞品が出るゲームがあったりして楽しかったです。また、皆が気軽に声をかけ合っていました。新年が来る前に、ボーリング場の皆にクラッカーが配られて、午前0時の10秒前からカウントを始めて、午前0時が来るのと同時に、クラッカーを鳴らして“Happy New Year!”と言ったとき、日本とは違うけれどこんな新年の迎え方も素敵だな、と思いました。
1月2日はスタディセンターから皆でアデレード市に買い物に行きました。市内にはたくさんのお店があって、店員さんは気軽に話しかけてきてくれました。後で一度寄った店の前を通った時、店の中から手を振ってくれて嬉しかったです。スタディセンターから帰ると、ホストファミリーがバーベキューパーティーに連れて行ってくれました。バーベキューパーティーは友達のホストファミリーと一緒でした。私はバーベキューを、串に肉や野菜を刺して焼くものだと思っていましたが、オーストラリアのは、あらかじめ調理されたサラダや肉などを、テーブルに並べて食べました。その時、私と友達が作ったお好み焼きを、皆、気に入って食べてくれて嬉しかったです。皆でテーブルを囲んで、食べたり話したりして楽しかったです。
1月4日はホストファミリーがアデレードにある日本庭園(姫路庭園)に連れて行ってくれました。姫路庭園には、日本の植物と一緒にオーストラリアの草花があって、日本とオーストラリアの国際交流を表しているみたいだったし、とてもきれいでした。帰りにホストファミリーが、プロ野球の試合に連れて行ってくれました。実際に、目の前で試合を見るのは初めてで、観客の人の声援や拍手はすごいなぁと思いました。
次の日、スタディセンターでホストファミリーと別れる時、すごく寂しかったです。オーストラリアにもっといたい、ホストファミリーとずっと一緒に過ごしたい、と思いました。18日間の海外研修で、ホストファミリーと過ごした時間が一番楽しかったです。私がこんなにホームステイを楽しめてオーストラリアを好きになれたのは、ホストファミリーのおかげだったと思います。また、オーストラリアの自然や人々の優しさに触れられて、よかったと思います。今回の研修で、相手を思いやる気持ちと、自分から積極的に行動することが大切だと思いました。 私はまたいつか、このオーストラリアに行きたいです。そしてその時は、もう一度ホストファミリーに会いたいです。

オーストラリアでの経験

35番 森 川 由 紀

オーストラリアの人々は、本当に優しくて、あたたかい人ばかりでした。私のお世話になったホストファミリーの人も、そんな人達とまったく同じでした。

最初はものすごく緊張して、なかなか打ち解けられませんでした。だからホストファミリーの子供が早口でしゃべってきたときは、ものすごく混乱してしまって、何回も先に言った事を聞き直したり、紙に単語を書いてもらったときもありました。とにかく多くの不安が頭の中をよぎった時期だったと思います。途中からは、少し生活に慣れてきて、来た時以上に話をすすめることができるようになりました。しかし、まだ少しだけ不安が残っていたのか、自分の家に戻りたいなぁと、思った時もありました。そんな時、ホストファミリーの人は私を一生懸命に励ましてくれました。本当にうれしかったです。
オーストラリアでいる間は、ホームステイだけではありませんでした。クラスの人達といっしょに、郵便局に行ったり、マレー河を船で遊覧したり、いろいろな経験をしました。どれもみんな楽しい思い出です。
気候は、日本と違ってからっとしていて、ものすごく暑かったです。あと、水を大事にしている所も違っていました。車のスピードも、日本に比べて圧倒的に速いです。日本なら普通50キロぐらいですが、オーストラリアでは、100キロもスピードを出してもいい所が、びっくりしました。
サヨナラパーティで賞状をもらったとき、やっと終わった、というあさはかな考えが浮かんでしまいました。最後まで私の自分の家へ早く帰りたい、という思いは消えませんでした。サヨナラパーティの後、ホストファミリーの家に着いた時、自分の考えていた事について考えているうちに、ホストファミリーと別れてしまうんだ、という実感がしたのか、泣いてしまいました。
お別れの日、ホストマザーは私に「日本への帰り、気をつけてね。」と言ってくれました。ホストファミリーの子供は、わざと自分の顔をくしゃくしゃにして、私を笑わせようとしてくれました。
別れてホテルで寝ていた日、ホストファミリーの事を思い出して、一人で泣いていました。やはり、ホストファミリーも、大切だったんだなぁ、と思いました。
家に帰ってからも考えていました。部屋にとじこもっていた日とかは、心配して、いろいろな話をして、私を少しでも打ち解けさせようとしてくれたし、私が悪戯をした時は、本当の子供のように叱ってくれました。ホストファミリーの人は、私にたくさんの事を教えてくれたし、一緒にがんばってくれました。しかし私は、彼らに何もできなかったし、日本の事も、あまり教えられませんでした。
オーストラリアでの生活は、私にとってとてもためになる経験ばかりでした。今後も、この経験を生かして、学校生活に役立てていきたいと思います。本当に楽しかったです。また、行く機会があったら、ぜひ、行きたいと思います。

もう1つの故郷 オーストラリア

36番 森 野 真 規 子

12月22日、日本を旅立つ時がきた。私には、少しも不安というものがなかった。なぜかというと、送られてきた手紙がとても安心する内容だったからだ。12月23日、ドキドキしながら、ホストファミリーとの対面を待っていた。初め、会ったホストファミリーは、少しこわそうに見え、少し不安になったが、一緒に暮らしていくうちにそんな思いは、まったくなくなった。
私の、ホストファミリーは3人家族だった。DadとMomそしてBrotherの Matthew だった。弟のマスユーは8歳だったが、幼いころモデルをやっていただけにとてもかわいかった。お父さんもふだんは無口だが、とても私に気をつかってくれやさしかった。お母さんは、いつも陽気で一緒にダンスをしたり、料理を作ったりして、とてもおもしろくやさしかった。オーストラリアでの毎日は、とても楽しく、とても新鮮だった。毎日、いろいろなことが発見でき、ただ外を眺めるだけでも楽しかった。オーストラリアは、とにかくすべてが大きかった。空も海も途中では切れてなく、ずっと続いているのだ。日本では、考えられないほどすべてが大きく美しかった。オーストラリアの人々は、とても陽気で誰にでもあいさつをする。日本では、家族にもあいさつをしない人がいるのに、オーストラリアは道端で会った人にでも一言必ずあいさつをする。ここに日本とオーストラリアの違いを感じた。私は、日本も好きだが、はっきり言って、オーストラリアの方が好きになった。なぜかというと、みんな一人一人が独立しようとしているし、みんな自分の意志や個性などを持っていて、周りを気にせず生きているからだ。オーストラリアの私と同じ年ぐらいの人は、私にないものをたくさん持っていた。私は今、親に世話をすべてしてもらっていて、またいろいろな面で迷惑をかけている。だが、オーストラリアの私と同じ年ぐらいの人は、自分のことは自分でしている。たとえば、おこずかいは、自分でアルバイトをしているし、自分でごはんやお弁当を作ったりしている。だからかどうかは分からないが、みんな独立しようとしていたし、実際に独立していた。私も、見習いたいと思った。
オーストラリアでの毎日はすごく楽しかった。朝は英会話などあり、めんどくさいと思ったこともあったが、行ってみると楽しかった。私の家にはプールがあったため、毎日入っていた。夜の11時ごろまで入ったこともあった。私はプールに入っていて感動したことがあった。それは、夜11時ごろプールに入っていてプカーッと浮いていた時のことだ。空を見ると、すごくたくさんの星が見え、ちょうど私の真上にオリオン座があった。目を閉じると今でもはっきり思い出せるほど私の心に残っている。でも、一番強く心に残っていることといえば・・・分からない。毎日が楽しすぎたから。すべてが強く心に残っているから。オーストラリアのクリスマスと正月、日本のクリスマスと正月は反対だということが分かった。日本では、クリスマスは彼氏や彼女、正月は家族と過ごすことが多いが、オーストラリアは、クリスマスは家族、正月は彼氏や彼女と過ごすというふうに、まったく反対だということが分かった。すごく不思議な感じがした。
私は、とにかくオーストラリアが大好きだ。楽しすぎるくらい毎日が楽しかった。早くオーストラリアをもう1度訪れたい。訪れるだけでなく永住したい気もする。そのためには、英語が必要なので、一生懸命、勉強して英語を1日でもはやく身につけたい。そして、辞書を使わずに、またホストファミリーと日本のことや家族、夢などを話したいと思う。今回の研修で、前より英語が好きになれた。たぶん、それは、ホストファミリーとの毎日のおかげだと思う。あと今回の研修で感謝することを覚えた。ホストファミリーはもちろん矢部さん、先生、そしてもちろん親にも。今後、この研修を生かし、自分の進みたい道に進もうと思う。

改めて知った日本の良さ

37番 矢 野 麻 衣

12月22日、日曜日、観音寺を出発した。不安よりも、期待や喜びの方が強かった。初めての海外、しかもホームステイ。「オーストラリアでは、こんなことをしよう。子供には、こんな遊びを教えてあげよう。」と、電車の中での会話もはずんでいた。いよいよ関西国際空港からオーストラリアへ出発。機内食はシーフードを頼んで、夜10時30分だというのに、全部食べてしまった。しかも、夜中の2時頃また食事が出て、それも食べてしまった。いよいよ乗りかえ。初めてオーストラリアの地を踏んだ。当たり前だけど、みんな外国人。耳に聞こえてくるのはすべて英語。何回か乗りかえてやっとアデレード。身体は疲れているはずなのに、なぜか元気。見る物見る物が全然日本とは違ってて、外をずっと見ていても見飽きなかった。びっくりしたのがガソリンスタンド。日本の場合、すぐに店の人が出てきて入れてくれるけど、オーストラリアのガソリンスタンドには店の人がいない!しかも、自分で入れていたのでびっくりした。

学校へ着いて、いよいよホストファミリーとご対面。なかなかこなくて、ドキドキしてたら、家族全員できてくれた。一つ思ったのは、オーストラリアの車は日本で言うと、中古の中古。しかも、前の席の人も後ろの席の人も絶対シートベルトを着用する。そのかわりスピードがすごい。制限速度も120Kmとか日本とは桁も違う。
その日の晩御飯は、白身魚のフライとフライドポテト。全然量が違う。多すぎる。しかもその後、どんぶり一杯位のアイスクリームを食べていた。私は、ほんの少しで良いと言ったのに、ドバッとつがれた。バニラのアイスクリームの上に、みんな、チョコレートやミロをかけまくって食べていたので、つくづくこっちの人は、甘い物が好きなんだなあと思った。夜9時頃から、トランポリンをした。こっちは、夜9時でも、まだ日本の夕方みたいに明るい。久しぶりのトランポリンだったので少し酔った。 次の日からは学校も始まった。学校まではコーディネーターが乗せていってくれた。教室は、じゅうたんが敷いてあって冷房もついている。授業も、勉強と言うよりゲームだった。午後からは、スーパーへ行ったり、郵便局へ行ったり、船に乗ったり、いろいろなことをさせてもらった。買い物も、始めは、お金を出す時とかとまどっていたけど、帰る頃には、もうすぐに出せるようになった。オーストラリアの人はみんなやさしい。ちょっとぶつかっただけでも“Excuse me.”と、笑顔で言ってくれる。こういうことは日本ではあまり見かけないので少し感動した。
ホストファミリーには少し苦労した。私の家の人はみんながバラバラ。集まるのは食事の時だけ。ホストマザーとは日本について少し話をした。子供は、見た目はおとなしそうな子だったけど、実際はわんぱく。途中、ちょっと手が付けられなくなり、日本にいる自分の妹がどれだけ賢いか分かった。食事もこっちの人は、賞味期限なんて気にしない。朝、昼、晩の三食のごはんより、スナック菓子や甘い物をたくさん食べるので少しつらかった。
今回のオーストラリアの研修は、つらいことが多かった。その代わり、今まで自分がどれだけ甘えていたかが分かった。家族についても、やっぱり、本当の家族にかなうものはないと思った。家へ帰って、家族との会話が増えた。これは、とても大きな財産になったと思う。今、思えば、つらいことよりも、オーストラリアで得てきたものの方が何倍も大きいような気がしてきた。

オーストラリアの夏休み

38番 山 路 久 実 子

私がホームステイした家族は、おじいちゃん、おばあちゃんの2人暮らしでした。はじめて家に行った時は、すぐに「こんなん生活できん。帰りたい。」と思いました。当り前のことだけど周りは全部英語で、1人でいることがとても心細く感じました。でもすぐに、おじいちゃん、おばあちゃんの孫たちと仲良くなれました。私が、紙ふうせん、扇子、日本のおもちゃなどをあげると、すごく喜んでくれたのでうれしかったです。

オーストラリアでは、休日以外はスタディセンターへ行きました。日本で学校と聞くと「めんどくさい。」と思う時もあるけど、スタディセンターへ行くのは、いつも前の日から、待ち遠しかったです。昼食もいつも外で食べていました。外で友達と食べる昼食は特別おいしく感じられました。
いろんな所へ出かけたりすることもたくさんありました。動物園のような所で、コアラを抱いたり、市内へショッピングへ行ったりと、毎日がとても忙しかったです。その移動中に驚いた事がありました。バスの中から見る景色が、ものすごくきれいだったことです。草原が切れることなくずっと続いていたり、街の様子が全部見えたりと、今でもはっきり覚えています。「本当にきれいな国だなあ。」と思いました。
休日はいつも、ホストファミリーと過ごしました。一番楽しかったのは、やっぱりクリスマスパーティーです。広い庭にテントをはって、その中で、家族全員そろってご飯を食べました。ケーキは4つくらいあって、全部手作りです。日本のより甘かったけど、すごくおいしかったのでたくさん食べました。
その後、子供たちにプレゼントを渡す時間です。ファミリーや、他の家族の人が私にもプレゼントをくれました。コアラのぬいぐるみや、3種類のジャムなど、たくさんくれたのでびっくりしました。子供たちのプレゼントを見て、オーストラリアなどの国のクリスマスの大切さがよくわかりました。その日はずっと外でいたので、次の日、日焼けでとても痛かったです。
他にもいろんな所へ連れていってもらいました。私のホストファミリーと、友達のファミリーが親子だったのでほとんど行動は一緒でした。友達のホストファミリーが海へ連れて行ってくれました。日本のせまい海とは違い、とても広くて、水平線がとてもきれいでした。砂もすごくサラサラしていて日本のとは違っていました。また、買い物にも連れて行ってくれました。日本の物より安い物がたくさんあって、とてもびっくりしました。でも、フィルムなど日本の倍以上の金額の物もあって、どうして物によってこんなに差があるのかな?と思いました。市内での買い物はとても勉強になったと思います。
そして、さよならパーティーの日がきました。一人でゆかたを着るのは難しかったのですが、ホストファミリーの人がゆかたをほめてくれたのでうれしかったです。私達の班は「浦島太郎」の劇をしました。見に来てくれた人がとてもノッてくれたので安心しました。パーティーの日はとても楽しかったです。
いよいよお別れの日です。家族みんな見送りに来てくれました。日本に帰れるうれしい気持ちと別れたくない悲しい気持ちがごっちゃごっちゃになって、最後は泣くことしかできませんでした。私に優しくしてくれたホストファミリーに今、感謝しています。このホームステイに参加してよかったと思います。

オーストラリアでの思い出

39番 山 下 由 希 子

12月22日、私はオーストラリアへ出発しました。出発する直前になって、ホストファミリーが変更になり、少し不安もあったけど、どんな人達なのか、とても楽しみでした。

オーストラリアに着くまで、自分の英語が通じるかどうか、相手が話していることが聞き取れるか、そんなことばかり気にしながら飛行機に乗っていました。
関西国際空港からブリズベン、シドニー、メルボルン、アデレードという順番で空港に着き、そのたびに飛行機の乗り換えをしながらアデレードへと向かったけど、着いたときは飛行機で酔っていたので、少しふらふらしていました。
アデレードの空港に着いたときには、ホストマザーの KRIS が、グループコーディネーターの ALISON さんたちと一緒に来ていました。空港に着いたときにホストマザーに会えたのにはびっくりしたけど、私が聞き取れるように話してくれると言ってくれたことがうれしかったです。
空港からスタディセンターへと移動して、スタディセンターから KRIS の家に着いたとき、犬にいきなり飛びかかられて、びっくりしました。家に着いたときはホストブラザーの SHANE とその友達と、KRIS の姉妹がいました。みんなとても親切で、家を案内してくれたり、ペットを紹介してくれたりと、日本では余りしないようなことをしてくれたことが違うことでした。
ホームステイ中に行ったところで印象に残ったところは、クリスマスにいった

KRIS の姉妹の家と、娘の SHANNON の家です。最初に行った家では、たくさん人が来ていてびっくりしました。小さい子供がたくさんいて、とってもにぎやかでした。次に行った SHANNON の家は、海のそばで、夜景がきれいでした。最後に行った家では、私がクリスマスプレゼントでもらった物と同じ物がたくさんあって、とてもきれいでした。その日は、KRIS が私のもって行っていたMDに気がついたので、訪問した先々に持っていって、見せました。見せたときには値段や使い方を何回か繰り返し聞かれました。それと、たまに KRIS が「出かけるよ。」と言ったときに、KRIS のお気に入りの木のある公園とか、植物園とかに連れていってくれたことも印象に残っています。

ホームステイ中にあった行事で1番印象に残った行事は、大晦日の日のカウント・ダウンです。カウント・ダウンを見る前は、ロックコンサートに連れていってくれました。でも、何と歌っているのか分からない上に、音が大きくて、耳の鼓膜が破れるかと思いました。コンサートが終わった後、もうすぐ新年へのカウント・ダウンがあるということで、カウント・ダウンが催される場所の近くまで行って、遅い夕食を食べました。その夕食で食べたホットケーキが結構甘くて、全部食べられませんでした。でも、ホットチョコはそんなに甘くなくて、飲みやすかったです。夕食後、カウント・ダウンを見に行くと、たくさん人が来ていました。10秒前からカウントをとりはじめて、新年になったとたんに花火があがって、人々がキスしたり、“Happy New Year!”と叫んだりしていました。カウント・ダウンを見終わった後、夕食をとった場所に戻って、KRIS の姉妹の家族と新年のあいさつを交わして帰りました。
変わる前のホストファミリーと会ったり、いろいろしているうちにアデレードを出発する日になりました。別れ際も全然泣かなかったけど、とてもいい思い出をくれたKRIS たちのところへ、もう1度行きたいと思います。

私と辞書

40番 横 山 亜 生 子

私のリュックの中には、いつも英和・和英の辞書があった。少しおおげさかもしれないが、私にとってそれはパスポートの次に大切なものだったのかもしれない。どうして私にとって一冊の辞書がそれほどにも大切だったかというと、私はオーストラリアへ来て大きなミスを作っていたからである。ホストファミリーに会ったら、自分の家族のこと、友達のこと、学校のこと、香川県のこと・・・などなど、たくさんのことを話そうと思っていたのである。スタディセンターに着いた私はひどい飛行機酔いとバス酔いで気分が悪かった。ホストファミリーと会ってホストファミリー宅へ着いた私は口数が少なかった。何時間後には、大分酔いもおさまり、ホストファミリーのいる部屋へ行った。すると、ホストマザーに、“Are you thirsty?”と言われた。「“thirsty”って何?」これが私の大きなミスなのだ。私は、自分の言いたいことを英語でどう言うか、だけしか考えてなくて、ホストファミリーがどんな言葉を言ってくるのか考えもしなかった。つまり、行く前に充分な英語の勉強をしていなかったのだ。そして私は、辞書を引くことと、“Pardon?”と言うことを何度も繰り返さなければいけなかったのだ。

ということで、私のホームステイは、慌ただしく始まった。そんな私を一番に驚かせたことは、“空”であった。8:00PM、私はホストシスターに大きな庭へ案内された。まだ明るい。日本でいう夏の6時だ。このことで、はっきりと私はオーストラリアにいる、ということを実感させられた。10:00PM、私は外へ出て暗くなった空を見た。満天の星空だ。オリオン座と同じぐらいくっきりとたくさんの星も輝いていた。
“How do you say ×× in Japanese?”12月24日の私の難問はこれだった。クリスマス・イヴにあるバーベキューパーティに招待された。そこは、たくさんの人で賑わっていた。だから、たくさんの人から日本のことについてたくさん聞かれた。ある女の子が私に“How do you say schoolin Japanese?”と聞いてきた。何度も繰り返し言ってもらったが、私には理解できず、ここで辞書を引いてもらった。オーストラリア人の発音は、‘エイ’を‘アイ’と発音することを忘れてしまっていたのだ。そして、それを理解することができた私は後日、スムーズにたくさんの人にたくさんの日本語を教えることができたのだ。
naughty:腕白な。今思えば、この言葉を毎日のように聞いた気がする。私は、たくさんの‘naughty girl’‘naughty boy’と呼ばれる子供に会った。その子供たちはこけたり、体の一部をどこかにぶつけてしまったりもした。そんな時、私は「大丈夫」の一言を言いたかった。しかし言い方を知らなかった。また辞書で調べて、何度か言うことができた。
horizon:水平線。12月26日。その日の私は水平線を見た。海を見に行った。海が空の青を映しているぐらい透き通るような青だった。空も日本で見るような色と比べものにならないくらい新鮮に見えた。
clogs:げた。1月3日、さよならパーティの日。その時は日本人らしい浴衣で過ごした。その日はとても乾燥していて30℃は余裕で超えていた。その暑さの中で、さよならパーティの準備をした。その日の私はまだ、ホストファミリーとの別れが刻々と近づいていることを実感していなかった。さよならパーティーはホストファミリーに楽しんでもらえた。
1月5日。ホストファミリーとの別れの日だったが、私はもう一度オーストラリアへ来たい。その日の私は、そういう気持ちでいっぱいだった。
ホストファミリーと過ごした14日間。初日の私には、早く帰りたいという印象しか与えなかったエリザベスの街もたくさんの会話、出会い、場所、文化を見せてくれた、なつかしい街になっていた。コアラを抱いた、海を見た、それも私にとっていい経験になったが、何よりもオーストラリアの文化に少しでもふれることができた、ということが私は、うれしい。やさしく、親切に接してくれたエリザベスの人達に感謝したい。私は辞書にも感謝したい。そして、一番に感謝したいのは私のホストファミリーである。
もう一度、私のホストファミリーに会えたら、辞書はリュックの奥へしまい込んだままで会話できるように、英会話を上達させたい。