NO.2
1995.7.19

***** いとしき者よ *****

いとしき者よ

泣いちゃいけない人の壁 貧しき私の贈り物

誰かが勝手に作ったの 素直に聞いてほしいのよ

自然も神も等しくあるの 泥の中にも咲く花あるよ

信じて強く生きてよね 信じて清く生きてよね

いとしき者よ

なげちゃいけない人の壁 壁はどんなに高くても

越えゆるは高く辛いけど 壁はどんなに厚くても

苦しみありて喜びを知る 卑屈にならずまっすぐに

悟って強く生きてよね 人間らしく生きてよね

西門民江詩集「ひとつのいのち」より

 

西門民江さんは、60年間差別に負けないで一生懸命生きてきた体験から「若い人たちが差別についての真実を学び、社会の矛盾とたたかうことのできる、ほんとうの解放の道を究めてくれることができたら・・・」と訴えています。この言葉は、私たちが差別を見抜き、社会の矛盾とたたかうことができるようになることこそ真の解放の道であると言っているように思います。

 

 

天声人語

南アフリカ共和国のみごとな国内融和ぶりには驚かされる。長年、少数白人が人種隔離政策によって支配を続けてきた国である。黒人主体の政府がやっと昨年春にできたが、その後、報復による内乱が起きたなどという話を聞かない。▼アフリカでも欧州でも、人種や宗教などの違いが火種となって人々が反目し合い、血なまぐさい内戦が続いている。それを思えば、この融和は貴重なものだ。最近、最も印象的だったのは、ラグビーのワールドカップでの優勝である。▼黒人は相手のニュージーランド勢を応援するだろうと予想した人もいたそうだ。南アのチームには非白人が一人しかいない。あとは白人である。だが、マンデラ大統領はチームを訪れ「みんな南アの息子たちだ。国をあげて応援している。」と激励した。▼彼は黒人たちにも応援するようにと訴えた。チームの方も、黒人たちが国歌としている「コシシケレリアフリカ」(アフリカに祝福あれ)の歌詞を覚え、大統領や人々への謝意を何度も表した。そして、決勝戦では国中がわき立った。▼長く獄中にあったマンデラ氏の寛容の精神、信望、指導力が、人々を鼓舞するだろう。いま熱気の中で新憲法づくりの論議が進み、各地で公聴会が開かれている。昨年以来、社会の空気は一変し、様々な分野で人種を問わぬ能力主義の気風が出てきそうだ。▼努力さえすれば報われる、という明るさが感じられるようになった。南アの国内総生産、千百億ドルは、サハラ以南の他のアフリカ四十七カ国の総計よりも多く、いわばアフリカ諸国の手本である。経済の順調な発展こそが社会安定の支えだ。▼いま台湾からの資本進出が 雇用創出の助けになっているという。もっと外部からの資本投下がほしいところだろう。きょう、様々な期待を胸に、マンデラ氏は元首として初めて日本にやってくる

1995.7.1 朝日新聞 より

 

6月16日に、全学年一斉に同和教育LHRが、それぞれのテーマで実施されましたので、その内容をお知らせします。

☆ 1年生LHRより−『人権』ついて考える

先日のLHRで、私たち1年生はマザー・テレサの活動を通して「人権」について学習を始めました。私たちは皆、日本国憲法により「基本的人権」を保障されていますが、その内容をじっくり読んだ事があった人は以外と少なかったのではないでしょうか?
また、マザー・テレサの活動をビデオで視聴しました。彼女の活動は祖国ユーゴスラビアを離れ、生涯をインドの貧しい人・病気の人に捧げるという大変厳しいものでした。「あなたもこの世に望まれて生まれてきた大切な一人なのですよ」という言葉があったように、マザーは貧しい人も病気の人も同じ人間として受けとめているのです。
「すごいなあ」と感心した人、「自分にはできない」と感じた人、たくさんいると思います。大切なのは「それでは、自分に何ができるだろうか」と考えることです。
「人権」の侵害はひょっととすると身近なところで起こっているかもしれません。落書きや悪口で誰かを傷つけたりしていませんか?何気ない言葉や行動が「いじめ」につながる危険性があります。また、そういったことを見かけても見て見ぬふりをしていませんか?見て見ぬふりも「人権」の侵害を黙認していることになりませんか?
自分の「人権」は自分の周りにいる人々によって支えられています。そして自分自身も周りの人々の「人権」を支える人の一人なのです。相手を思いやれない人が、相手から思いやりを受け取ることができるでしょうか?自分の「人権」が、かけがえのないものであるのと同様に、相手の「人権」もかけがえのないものです。

☆ 2年生LHRより−「同和問題」について考える

「結婚差別」というビデオの視聴を通して、「同和問題」について考えました。誰もが当事者の立場で真剣に考えることができたと思います。「同和問題」は、私たちの最も身近に存在しながら、その実態はほとんど閉ざされたままのきわめて深刻な問題です。人間性の存在に関わるゆゆしき問題であるにも関わらず、あのビデオの主人公のように差別を受けている人たちが実際にいるのです。
このような差別を現実社会からなくしていくには、今、地球上から偏見や悪い慣習を払拭し、一人一人が物事を科学的に、客観的に判断する心と他人への思いやりの気持ちを積極的に育むことが何よりも大切なのです。
民主主義のもとで、人権を完全に保障された現代社会に生きる私たちは、この手でいかなる差別もなくしていかなければなりません。私たちの次の世代にまで、このような差別実態を継承させるわけにはいかないのです。

☆ 3年生LHRより−部落解放への歩み

「部落解放への歩み(2)」と題して、戦後の解放運動とその結果出された様々な法律について学習し、差別解消への展望について考えました。
今回の学習では就職差別や結婚差別にもふれたため生徒の皆さんも関心が強かったと思います。中でも、身元を暴き出す目的でつくられた本やパソコン通信の存在に対して憤りを感じた人も多かったようです。これらを利用して入社試験の選考をする会社や、結婚相手の身元調査をするような風習をなくしていかなければ、差別のない社会に近づくことはできません。皆さんに書いてもらった感想文にも、「差別をなくするためには正しい知識を身につけなければならない」「問題を誰かのせいにするのではなく、自分たちの手で解決しようとする姿勢が大切なのではないか」「いじめなどをなくすことも、私たちが今できることの一つだ」「正しいことを正しいと言い、行動できる勇気を持ちたい」・・・など、積極的な意見が多く見られ、頼もしく感じられました。しかし、なかには「私は差別なんかしないので関係ない」と思っている人もいないわけではありません。
今年は戦後50年にあたりますが、かつて日本が行った侵略戦争の責任問題に対して、ある人がこう言ったそうです。「私は戦後生まれなので、戦争に対する責任があるとは思いません。しかし、私のおじいさんも日本軍として中国や朝鮮半島で残虐な行為をやったことを知ったからには、彼にまつわる人間として、また日本人として何らかの形で責任をとらねばならないと考えています」。部落差別に関しても同じことが言えるのではないかと思いますが、あなたはどう考えますか?