NO.3
1995.10.30

われわれの幸せに生きる権利(=人権)を踏みにじるものとして、戦争、環境破壊(公害など)、差別(いじめなども含めて)があります。今年は戦後50年ということで、記念すべき年です。時間の経過を記念するだけでなく、あの戦争とはどういうものだったのか真実をたずねるよい機会です。このことは平和を守る上で、次の世代へ伝えていく上でも重要です。

さる、9月30日と10月1日に中央祭が開催されました。この中で2つのクラスが、戦争の悲惨さと命の尊さを訴える原爆展を実施しました。そこで2年4組と1年3組の担任から実施した感想等を寄せていただきましたので、もう一度あの原爆展を振り返ってみて下さい。


原爆壁画と展示
2年4組 担任 白井厚男

戦後50年ということで中央祭のクラス展示のテーマが「原子爆弾と戦争」になりました。平山郁夫氏の「広島生変図」をもとにした壁画作成と、教室では被爆の実相をみるための写真展と展示、ビデオ上映、折鶴作成そして中央生300人程度に対して実施した戦争に関するアンケートなど盛りだくさんの内容だったと思います。アンケート結果からは、太平洋戦争に関する知識が随分欠けていると思いました。しかし、同時に、教科書で日本の戦争責任や戦争の事実について詳しく記述されていないため当然の結果ともいえます。展示することをきっかけに、戦争に関する本などを何人かが読んでくれればよいと思ったのですがどうだったでしょう。戦争は最大の人権侵害です。戦争は簡単には起こせません。長い準備が必要です。そして一旦戦争となると、ごく普通の人が残虐な行為をします。南京大虐殺、七三一部隊の生体実験・生体解剖、従軍慰安婦、強制連行、アジアでの米の収奪による飢死など。戦争とはいえ、随分ひどいことをしたものです。戦争に加担しないために、私たちに何ができるでしょう。思いつくこととして、知識をたくさん持つことはもちろん大切ですが、まわりの考えに簡単に同化するのではなく、一つ一つのことを批判的に自分で考えていくことがあげられます。社会は戦争を準備していないでしょうか。アジアの人は、日本を友人とみているでしょうか。

 

***** 生ましめんかな *****


こわれたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生まぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は、自分の痛みを忘れて気づかった。
と 「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

1946 広島の詩人・栗原貞子さんの詩

 

ノーモア・ヒロシマ
---人権尊重の観点から---
1年3組 担任 西宇徳義

これはヒロシマの爆心地から3キロのところで被爆し、ついには絶命した峠三吉の「原爆詩集」(Hiroshima Poems)の序文である。被爆して、尊い人命を奪われた人たちの悲痛な叫びである。今では全人類に原水爆の全面禁広島、長崎に原爆が投下されてから50年になる。原子爆弾は一瞬にして何十万人もの尊い人命を奪ったが、単なる巨大爆弾ではな
かった。爆風は半径 500メートル以内で瞬間風速360メートルにもなり、鉄骨ビルもぐしゃぐしゃにした。目も眩むような閃光熱線は瞬間的に5,000度にも達し、爆心地近く戸外にいた人は瞬時に蒸発したといわれる。数キロはなれた地点にいた人も、露出した皮膚部分は無論のこと、色の黒い衣服の下の皮膚にも重い火傷を負った。このため九死に一生を得た人たちにも生涯消えることのないケロイドが残った。また、大量に放出された放射能は、戦争終結後も人々を殺し続けた。何の外傷もなく救助に走り回っていた人たちが、ある日突然に鼻血、血便、全身の倦怠等を訴え、あっけなく死んでいった。原爆は、「戦争の悲劇」と一口では済まされない惨状を生み出した。直接戦争に加わらない無数の老人、女性、子どもまで惨たらしい死に追いやった。この点で、原爆には他の通常兵器にない非人道性、残虐性がある。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

止を呼びかける先駆的な書となっている。
第二次大戦後は、核兵器の拡散、拡張の歴史だった。米ソの超大国による冷戦も終わり、軍縮や戦略核兵器の削減も進みつつあるが、今なお4万発の核兵器が残っている。もし今核戦争が起これば、「勝者」も「敗者」もない。人類、地球の滅亡だけである。ヒロシマ、ナガサキの惨劇は二度と繰り返してはいけない。慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」 は、日本人共通の願いだろう。
去る9月21日、「世界遺産一覧表」への登録候補に『原爆ドーム』を推薦することが正式に決まった。誠に喜ばしい限りである。文化庁によると、推薦理由は「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝え、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける平和記念碑のため」である。
8月6日広島に、8月9日長崎投下され原爆による死亡者数は、広島で14万±1万人、長崎で7万±1万人にものぼる。しかも、被爆者や被爆二世の原爆病に死亡は現在も続いている。被爆者手帳の交付を受けている人が37万人。朝鮮の被爆者7万、死者4万人への責任のとり方が課題となっている。なお峠三吉氏は1953年3月9日亡くなっている。ま
た、「原爆の図」を描いた丸木位里氏が今年10月19日亡くなった。


「ヒューマン・ライツ・ノート」も3号目となりました。読んでみてどのような感想を持ちまし
たか。ぜひ、感想や意見をお寄せください。職員室 石川までお願いします。
また、同和教育のLHRを次のように予定しています。
  • 11月10日(金)1年生「さまざまな差別」
  • 17日(金)2年生「部落の歴史」
  • 3年生「差別の解消をめざして」