NO.5
1996.2.29

心のなかで

野村英夫

 
陽を受けた果実が熟されてゆくやうに
心のなかで人生が熟されてくれるといい。
さうして街かどをゆく人達の
花のやうな姿が
それぞれの屋根の下に折り込まれる
人生のからくりと祝福とが
一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。
さうして今まで微かだつたものの形が
教会の塔のやうに
空を切つてはつきり見えてくれるといい。
さうして淀んでゐた繰り言が
歌のやうに明るく
金のやうに重たくなつてくれるといい。

昨年9月に沖縄で起こった事件が、新聞に取り上げられ、米軍基地、安保条約代理署名、日米地位協定などの言葉とともに、連日のように報道されました。戦後50年という節目を機会に、50年間日本がおこなってきたことを振り返り、現代社会が抱えている問題点を掘り下げてみることは大切です。特に3年生は社会に出ていく時です。みんなが住みよい社会を考えて下さい。今回の暴行行為自体は米兵個人責任ですが、それを生み出している社会の矛盾を考えてみてください。次の記事は社会の中に隠れている差別構造を明らかにしています。読んで、自分なりの考えをまとめてください。

安保条約の差別構造を考える 書き手*伊藤成彦 中央大学教授

 
沖縄駐留米兵の「少女暴行事件」は、「ひとりの少女の人権を守れない安全保障とは、一体誰のため、何のための安全保障か」という疑い、抗議、怒りを呼び起こして、米軍基地の存在、日米地位協定と安保条約そのものの在り方を問うこととなりました。日米両政府は、日米安保条約・地位協定はそのままに、基地のいくらかの配置換えなどによって「沖縄の抗議」をそらそうとしているようですが、それはこの問題の本質を正面から見ようとしない態度で、問題の根本的な解決にはなりません。 なぜなら今度の事件は、米兵3人の計画的犯行というだけでなく、その背後には重層的な差別があり、しかもその差別の構造は日本とアメリカの政治・社会によって作られ支えられてきたものなので、その差別と政治の関わりを明らかにすることなしには、被害者の人権を回復して、このような事件が二度と起こらないようにすることは出来ないと考えられるからです。
その差別の構造とは、先ず第一に、沖縄に対する差別の歴史と現実です。「本土の楯」として多大な犠牲者を出した沖縄戦もその歴史に含まれますが、戦後も講和条約発行後20年間にわたった米軍の占領下に置かれ、1972年
の「本土復帰」にあたっては「核ぬき・本土なみ」が約束されながら、実際は「核つき」の上に、日本全体の僅か0.6%の沖縄に米軍基地の73%が押しつけられ、約3万人の米軍が駐留し続けてきたのです。そのために本土復帰以後も米兵による犯罪率はきわめて高く、今年8月末までに4772件(年平均200件以上)に及んでいます。し
かも不平等な日米地位協定のために、裁判も被害者への保障も公正ではありません。こうした歴史と現実を考えれば、今度の「少女暴行事件」が沖縄の人達の強い憤激を呼んだのは、当然のことと思われます。第二は、少女に対する加害者の米兵3人がいずれも黒人兵であることを日本の報道機関が伝えなかったために、アメリカの新聞「ク
リスチャン・サイエンス・モニター」は「日本のマスコミは自己検閲している」と指摘しました。自己検閲したかどうかは私には判りませんが、アメリカ社会で特に失業率が高い黒人青年が軍隊に入る率の高いことは周知のことで、アメリカ社会の矛盾が沖縄に持ち込まれていることを日本のマスコミが直視しようとしなかったことは事実でしょう。日本政府はこれらの米兵に対して「思いやり予算」と称して、1995年現在で一人あたり1387万円(総額6257億円)を支払っていますが、個々の米兵にそれが渡される訳ではなく、米兵たちは何のために遠い沖縄まで来て軍事訓練を受けなければならないのか理解できないでしょう。したがって私は、これまでに何度も、米兵への最大の「思いやり」は故郷へ帰してあげることだ、と主張してきました。安保条約がなくなり、米軍基地がなくなれば、米兵たちは故郷に帰ることができ、「思いやり予算」は本当に「思いやり」を必要とする人たちのために使うことができる筈だからです。
それにしてもこれほど不平等な安保条約をアメリカと誰が結んだのでしょうか。これまで一般的には、当時の吉田首相だと考えられてきました。しかし最近の研究によれば、このような安保条約をアメリカに提案し、吉田首相にその受諾を命じたのは、実は昭和天皇だった、という説が有力になっています。天皇はすでに、1947年9月に「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる」米軍の沖縄占領をアメリカに申し出ていました。天皇を「象徴」に限定した新憲法が施行されてから半年も経たない時です。その後1949年12月に、ハバロフスクで七三一部隊(細菌部隊)に対する裁判が始まり、翌50年2月にソ連政府は天皇の戦争犯罪の追求を求めてきました。さらに同年6月に朝鮮戦争が始まり、憲法第9条によって「皇軍」を失った天皇は 米軍によって自分を守らせるために、日本全土のの米軍基地の無期限・自由使用、を提案したものと見られます。1947年の「沖縄メッセージ」も安保条約の直接提案も、憲法第1章と天皇をはじめ公務員の憲法順守義務を規定した第99条に違反する行為であることは言うまでもありません。安保条約は実はこのような昭和天皇の憲法違反を基礎にして成り立ったものだと考えられます。「少女暴行事件」の背景には、このような重層的な差別の構造があります。犯罪者の裁判と被害者への補償が公正に行われるべきことは言うまでもありませんが、同時にこのような差別構造を温存してその上に成り立つ安保条約そのものを今こそ無くすべきだ、と私は考えます。

 
−「シリーズ現代の差別を考える」138月刊同和教育1995.12 より−