NO.8
1996.11. 1

今年の病原性大腸菌O-157による集団食中毒事件は、岡山に始まり大阪など各地で発生し、最近では盛岡でも発生しました。毎日のように新聞に患者の数が公表され、原因追求の記事が載りました。しかし、原因がはっきりせず、2次感染の広がりもあり、人々の不安をいっそうつのらせました。患者の多くが幼い小学生であり、命を奪われたり、長い入院を強いれられたりしました。その上に追い打ちをかけるようなことが起こっていることに私たちは憤りを感ぜずにはいられません。次の新聞記事(朝日新聞8/3付)を読んで、みなさんはどう考えますか。

政府が「伝染病指定」をしたことから、感染の子どもらに対する「いじめ」問題が深刻になっています。新聞には、「O-157」とあだ名され、仲間外れにされたり、感染している子どもの家に遊びに行くなと親に言われたり、『菌』が移るからといろいろといじめられた事例が載っています。動揺による過剰な大人の反応が、こういう事態をおこしたようです。ここには、人の無知からくる偏見があります。伝染病といってもどのような経路で伝染するのか知らず、『菌』が移るからという理由による必要以上の排除が生まれ、それがいじめや差別につながっているように考えられます。また、感染の保母は出勤をしないよう厚生省が通知したり、ひどいときには従業員を解雇した企業もあります。本来伝染病予防法では、「食品に直接手を触れる仕事に限定して適用される」としているのです。人の不安に乗じたいきすぎた行為だと思います。

同じようなことに「エイズ感染者」に対する差別があります。正しい知識がないため、闇雲に排除してしまうおそろしさ。その対象となるのは、弱い立場の人々です。病気に対する不安と一緒に排除の危険にさらされるという二重の負担を背負わせている社会とは、いったい何でしょうか。

ほんとうに、なぜこのような「いじめ」が起きるのでしょうか。いじめられている人々のこと=人権を考えることと同時に、まず正しい認識をする必要があります。ここでは感染の原因をはっきりつかむこと。また、感染しないための予防方法や衛生上の配慮を知識として持っておくこと。そこから適切な行動がとれ、公正な態度や言葉が生まれます。そして、人の立場に立って物事が考えられ、お互い支えあう心が芽生えてくるはずです。

最近テレビで観たことですが、我々日本の社会は「排除」の社会ではという考えがありました。人と違っていれば、劣っていれば、弱ければ、のけ者にしてしまう心理があるようです。ここからいろいろな差別が生まれているようです。在日外国人に対する差別や、女性に対する差別、「障害」者に対する差別などがそうです。裏を返して言えば、同じことをしていれば安心できるという社会なのかもしれません。国際社会の中で、もっともっと人を受け入れる感覚を身につける必要があります。広い心で人と接し、ほんとうに仲間を作るとはどういうことなのか、人の生きる権利を大事にする社会ではなければなりません。みなさんと一緒に考えたいと思います。ぜひ、今回の「ヒューマンライツ・ノート」について、ご意見ご感想を同和教育部石川まで寄せてください。