平成21年度 第1学期 始業式 校長講話

新しい学年のスタートに

 これから新しい学年がスタートする。どのような友だちがいるか、先生になるか、どんな雰囲気のクラスか… 一年で最も関心の高い一日だと思う。それぞれに、この一年に大きな期待と決意を持って、新学期に臨もうとしていると思う。この気持ちを、いつまでも大切にして欲しい。この一年は3年生にとっては最後の高校生活、自分の将来を決める大切な1年になる。2年生にとっては高校生活で、最も実力を伸ばし発揮できる年にならなくてはならない。この一年が君達にとって悔いのない意義ある1年となるよう願っている。

坂高の精神「高邁自主」「パティマトス」

さて、明日は入学式。新入生が入ってくる。今一度、君たちも初心に帰り、入学当時の少しの不安と大きな希望に満ちた新鮮な気持ちを思い出して欲しい。私も入学式を迎えると、毎年様々に坂高の素晴らしさを再確認し、新鮮な気持ちになる。目に見えるすばらしさ、シンボルとしては、松の緑と白壁、正門正面の石畳。これだけの落ち着きと風格のある恵まれたキャンパスは県下にもあまりない。どうか、本校への愛着と誇りをもちつつ、君たちの手で、この品格ある美しいキャンパスを守っていって欲しい。

 一方、言葉のシンボルとしては、まず、校歌にも歌われており、正門入って右側の石碑に刻まれている、校訓とも言うべき「高邁自主」という言葉。高い理想をしっかり掲げ、自主・自立の精神をもって、その実現に向け努力するということ。もう一つは、校庭の正門奥の石碑に刻まれている、ギリシャのアイスキュロス(bc525−456)という詩人の作った、ギリシャ語で「パティマトス」、「英知は苦難を通じて来たる」と言う意味の言葉。つまり、知識や成果を挙げるためには苦しい努力が必要と言うこと。この事実は昔も今も変わらない。  こうした諸君全員に共有して欲しい坂高の精神や財産を今一度、確認し、長い歴史と伝統、優れた実績を誇る名門坂高の生徒であることを自覚しながら、各自の目標の実現に向け新学年のスタートを切って欲しい。

1年の目標をしっかり立てて、努力してほしい

 スタートにあたり2つほどお願いする。
 1つ目は、この1年の目標をしっかり立てて、努力してほしいと言うこと。人間は習慣の動物なので物事にすぐ慣れる。ところが慣れには2種類あり、一つは「苦しみになれる」「難しい仕事に慣れる」と言ったいい意味での慣れであり、これは人間の進歩につながる。しかし、「手を抜く」「横着をする」「油断をする」といった有害な慣れも一方にはある。最初は抵抗や罪悪感があるだろうが、残根ながらそれにも慣れる。君たちがどちらの慣れを手に入れるかが分かれ目。全員、今年こそはと意気込んでいると思う。何とか状況をよくしたい、向上させたいと思っているはず。でも、終業式でも言ったように、自分が変わらなければ状況は変わらない。その時、自分を変える参考として、補習科の受験生の言葉を言ったが、再度、繰り返す。

 卒業生が悔しさと無念さの中で吐き出すように言ったこれらの言葉を再度参考にして欲しい。そして、君たちのもっている素晴らしい素質と能力のすべてを立派に開花させて欲しい。

新入生のよき手本になってほしい

 2つ目は新入生のよき手本になってほしいと言うこと。坂高生の外からの評価は間違いなく高い。「あいさつができ、服装も清潔感があり、誠実でさわやかで元気」といった坂高生の雰囲気は間違いなく学校生活で作られるものであり、これまでの多くの先輩が作ってくれた伝統でもある。明日入学する新入生は、上級生を見本とし、目標として行動する。新入生が立派に育つかどうかは上級生の姿勢や生活態度に大きく左右される。新入生は、入学後の緊張感の中で、上級生の威厳や少し大人びた雰囲気、図書室や特別教室での真剣な勉強風景、そして部活での到底叶わないと思わしめる技量と権威から、高校生活とはこういうものかということを肌で感じ取りながら、高校生活をスタートする。そして、立派な坂高生として育っていく。こうした繰り返しの中で、世間から高い評価を得ている坂高生が育ってきた。どうか彼らの立派な手本となって欲しい。

 以上2点君たちにお願いし、式辞とする。

校長 島田政輝
(2009.04.07)

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Last-modified: 2009-04-06 (月) 16:00:02