明日から夏休みを迎えるにあたり、今一度、1学期の生活を振り返ってみてほしい。
1年生には、入学式で、「『高邁自主』の精神に則り、目標を高く掲げ、その実現に向け全力を尽くしてほしい。人間の収める成果の大小は、物事への取組の姿勢の違いによるところが極めて大である」と言ったが、どうであったか?また、2,3年生にも始業式で、目標を立てることの大切さと、易きに流れることとの怖さを話したが、どうであったか?
こうした中、自分のペースでことを進めることができる夏休みは自分を高め、成長させる絶好の機会である一方、自分の甘さから怠惰の世界に転落していく危険性もあり、いわば自分が試されるときでもある。自分に厳しくなれる人が成果を得ることができる。健闘を祈る。
さて、今日は、この1学期の間に聞いたニュースをまず紹介してみたい。この2、3ヶ月、耳を疑うようなニュースがいくつかあった。例えば、
あきれるばかりの事件であるが、その背景には、最近、人々の善悪に関する感覚が、非常に鈍化しているという事実があると思う。
例えば、日常、車を運転していると、(1)急な割り込み (2)信号無視 (3)ウインカーを出さない急な右左折 (4)メールを打ちながらの運転… といったマナーの著しい乱れを感じる。車の運転だけではない。最近、図書館では本が切り抜かれたり、マーカーで塗られたり、ページごと破り取られたりすることが多発していると聞く。
我々が安心して社会生活を営むことができるのは二つの約束があるためである。一つは法律であり、それを守らなければ人々に危害が加わるので、懲罰で国家が規制している。もう一つは法律ではないが、すべての人間が守らなければならないものでマナーや規律、エチケットといった、いわゆる社会規範と呼ばれるものであり、これは、人々の「他人に不愉快な思いや迷惑をかけてはならない」という理性によって守られている。
昨今、先ほど説明したような事件が起こるのは、社会規範が非常に低下しているためだと思われる。諸君の言動はどうか?今一度考えてみて欲しい。例えば、
確かに価値観は多様化しており、個人や個性は尊重されるべきものである。しかし、それはあくまで社会の中で認知されての話であり、決して自分の価値観が他に優先されるというものではない。
そもそも日本人には、知り合いには親切だが、見知らぬ人には無関心で冷淡という傾向があると言われている。そして、匿名性が確保された場合、とんでもない行為に発展するとも言われている。これが、「ばれなければいい」といった振る舞いである。また、「少しくらいなら」と言った甘えもある。更に「みんながしているのだから」と言った責任転嫁もある。そして、その結果、無意識のうちに、周囲にたくさんの不愉快と迷惑を撒き散らすことになる。これは諸君にも無縁ではない。例えば、電車の中での大声での会話、座席の占有、信号無視、自転車の併進、無灯火、それだけでない。周りが眉をひそめるような言葉、振る舞い、服装・・・。
これまで、機会あるごとに「人にされて嫌なことは人にすべきでない」と言っているが、それは1対1の場合だけでなく、1対集団の場合でも同じである。人間誰しも不愉快な目にはあいたくない。自分の行動が周囲に不快感を与えていないかどうか、今一度、頭に浮かべて欲しい。これからの夏休み、自分で自分を律する場面が多くなると思うが、一人一人がルールやマナーの守れる、善悪の判断の正しくできる人間としての行動をとって欲しい。こうしたことも含め、坂高生人一人が、勉強、部活、そして生活全般に充実した実りある夏休みを過ごし、それぞれ元気に2学期の始業式を迎えられることを願っている。