07年2月全校集会 校長講話

はじめに

2月全校集会

 今日から君たち1・2年生は、まさに本校を動かしていく主役となる。1年生は入学してはや1年になり、2ヶ月もすれば後輩が入ってくる。2年生は大学入試まであと1年、時間を有効に使いながら頑張って欲しい。そこで、そうした意味も込めて、各人が、改めて自覚を持って高校生活を過ごすようお話したい。  自覚には2つある。1つは自分を伸ばそうと言う自覚、もう1つは学校の牽引車としての自覚である。

自分を伸ばす自覚

 まず、自分を伸ばす自覚について、大切なことは自分にどう打ち勝つかと言うこと。「あなたがコントロールすべき人間の中で、最も手ごわい人間はあなただ」と言った人がいる。言うことは簡単だが実行は難しい。しかし、まずは何事にも前向きな姿勢を作ることが第一歩。以前、私は「する」か「やめる」かで、迷ったときは「する」を選べと言った。同様に、前向きな姿勢を作るために、「でも」と言う言葉を取り上げたい。
 「でも」と言う言葉は、例えば、「この点は同感だ。でも、でも他の点はそう思わない」と言ったように反論としての意味でもよく使われるが、特に気をつけたいのは、弁解の意味としての「でも」である。例えば、「勉強しなさい」「わかっています。でも、部活があるので」、「数学の宿題を出しなさい」「わかってます。でも、国語の宿題もあるので」、「これ、身体に良いよ」「わかってます。でも、何となく臭いが嫌いなので」と言ったように、何となく気が進まないときによく使う。また、「確かに悪かった。でも、自分だけではない」と言ったように、自分をかばったり、責任転嫁の目的でも使われる。
 こうした意味での「でも」を今日朝から何回使っただろうか。「でも」は消極的な生き方につながる入り口である。「でも」を使わず「やります」と言い切れば、不思議なもので、何かが吹っ切れて、すべては「やる」方向に回転し始める。そうした習慣が前向きの姿勢を作るのである。
 もちろん、言うのは易しいがするのは難しい。私もできているかどうか自信はない。だから、無条件に「でも」を禁止とまでは言わないが、減らす努力はしてほしい。自分の話す言葉の中で弁解や言い訳の「でも」を使ったら、「あっ『でも』をつかった。よかったのかな?」と問いかけてみて欲しい。こうした日常の意識付けが行動を変えていくのである。

学校の牽引車としての自覚

次に、学校の牽引車としての自覚。本校を君たちの手で一層すばらしいものにしてほしい。そのためには勉強や部活でのがんばりはもちろんだが、その前に、まずは魅力的な高校生になることが大切。魅力的な高校生とは高校生らしい「さわやかさ」と「はつらつさ」を身につけることだと思う。周囲から「最近の高校生は服装や頭髪の乱れもある中、電車の中で見かける坂高生の制服はさわやだ」「校内でよくあいさつをしてくれ、気持ちがよい」と言われることがある。すばらしいことであり、それは「さわやかさ」と「はつらつさ」ゆえのものだ。これが逆に、「身なりが派手になり昔に比べてさわやかさが減った」「無愛想であいさつもろくにしなくなった」と言われるようになればさびしいし、そうならないと信じている。もちろん担任や生徒指導の先生に指導を受ける人もいる。そうした指導に従って本来あるべき坂高生の姿を整えることで、こうした外部からの評価が確固としたものになると思う。
 もちろん、そうした姿勢やイメージは表面をつくろってできるものではない。態度やマナー、言葉遣いなど、日々の心がけにより身につくものである。
 まもなく中学生が本校を受験する。君たちが本校を受験する際、おそらく、「あんな高校生になりたい」「あんな高校に行きたい」とあこがれて、本校を選んだと思う。同様に、そうした希望に燃えて、やがて新しい後輩がやってくる。彼らのためにも、君たち1・2年生が牽引車となって、本校が一層魅力的なすばらしい学校となるようがんばってほしい。

校長 島田政輝
(2007.2.1)

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Last-modified: 2008-12-20 (土) 12:19:20