平成30年度3学期始業式講話(1月8日(火))

   皆さん、あけましておめでとう。今年も皆さんが、まずは事故なく健康で、様々な分野で活躍してくれることを期待する。  さて、2学期の終業式で話したこと。「変わる」ということ。どのくらいの人「変わる」ために冬休みを利用できただろうか。急には変革できなかった人の方が多いとは思うが、「変わる」ということは大切なこと。今後とも心に留めておいてほしい。

 今日は3学期始業式にあたり、プロ野球の北海道日本ハムファイターズの監督である栗山英樹さんの著書『栗山魂』から話をする。私としては、栗山さんは同学年で、昭和36年生まれの57歳。しかも、私の中学時代の同じクラスの友だちと東京学芸大学の同級生であるということから、かねてから興味を持っていた方。2017年に出版された『栗山魂』(本校図書室にあり)を読み、彼の生き方、あるいは彼の考え方・言葉が皆さんの参考になると思い、年頭の講話に当たりこの話をすることにした。

 まずは栗山英樹さんという人について。

 小学校時代は自分のお父さんが監督を務める少年野球チームで活躍。エースで4番という絵に描いたようなエリート野球少年。中学に入っても野球を続けるつもりだった。しかし、進学した中学校の野球部は素人の監督率いるレクリエーションのような部。そこで、その学校で強く、当時人気もあったバレーボール部に入部。ところが、途中でけがのためバレーボールを断念。今度は、学校外の硬式野球のチームに入って活躍。 甲子園に出場したいと思っていたので、高校は昨年巨人の監督になった原 辰徳 氏が活躍した名門、東海大相模高校に進学しようと考えた。しかし、上背もない栗山さんが野球人としてのみ生きることを両親に反対され、創価高校へ入学。その学校は東大にも合格者がいる進学校だったようである。また、ちょうど野球にも力を入れ始めていた。 高校ではまずまずの成績を残せた。そこで役立ったのはバレーボール部での経験。跳躍や屈伸の動き、また、身体を投げ出してのダイビングキャッチなどが生かされた。しかし結局、甲子園には出場できず。 ならば、大学は「東京6大学」の1つである明治大学進学を心に決める。しかし、東京学芸大学にも合格し、「生涯野球に携われる指導者=部活動顧問」になるよう両親に説得され、兄も通っていた東京学芸大学に進学。身長も160cm足らず。そこでいったんは教師を目指して頑張ろうという気になったものの、プロへの未練が完全には捨てきれず、教員採用試験を受験せず。  たまたま大学の練習を見に来ていた野球解説者(佐々木進氏=「プロ野球ニュース」のキャスター)の口添えで、西武ライオンズとヤクルトスワローズの入団試験を受けるところまでこぎつけた。そして最終的には、ヤクルトが「面倒を見よう。」と言ってくれた。 「いきなり1軍では無理でも、2軍でならなんとかやれるだろう。」と思っていた考えはあっさり打ち砕かれる。それほど「プロ」の世界は人材が豊富であるということ。そんなことで、栗山さんは、「イップス」という、精神的なものが原因でスポーツの動作に支障をきたす運動障害に陥った。それでも当時の2軍監督が猛特訓してくれたおかげもあり何とか蘇り、ついに1軍に上がった。そこでさらに、若松勉さんという当時の名バッターからスイッチヒッターへの転向をすすめられ、それにも挑戦して成し遂げた。 ところが今度は、難病である「メニエール病」にかかってしまう。この病気は、原因不明のめまいに襲われるそうで、ひどい時には3日に1度、2時間以上も続いたそうである。それでもあきらめることなく練習に励み、入団3年目に1軍に定着した。 そして29歳、プロ野球選手としての実働はわずか9年で現役を引退し、その後は野球解説者に転身した。引退してからはコーチも務めていない、そんな栗山さんが、50歳の時に現在のチームの監督に就いた。プロ野球選手をやめてから21年後のことであった。 監督就任5年目の2016年には途中までの11.5ゲームという大差を大逆転して、パリーグ制覇、そして日本シリーズ制覇を成し遂げた。日本ハムファイターズには、皆さんも知ってのとおり、大谷翔平がいた。高校卒業と同時にメジャーリーグ入りを表明していた大谷選手をドラフト会議で1位指名し、投打の「二刀流」で育成する方針を打ち出して、見事成功に導き、メジャーリーグへと送り出したのも栗山監督である。

 栗山氏は著書の中で、たくさん素晴らしいこと述べているが、その中から2つだけ紹介したい。

 1 「なりたい」と「なる」は、似ているけれども違うものです。「なりたい」という気持ちには、うまくいかないと弱い気持ちが入り込んできます。「ああ、やっぱり僕には無理かなあ」というものです。でも、「なる」という気持ちは、簡単にはぐらつきません。失敗したらもっと頑張らなきゃいけないと自分自身を奮い立たせるし、別の考え方を考えるはずです。両親や先生、監督や友だちといった周りの人たちにアドバイスを求めたりもするでしょう。それが大事なのです。大きな志を抱いていれば、周りの人たちは必ず助けてくれます。夢を一緒に追いかけてくれます。それがまた、「なる」という気持ちをたくましくしていく。夢に向かって突破口が開けてくる。あきらめなければどこかに道があるのです。

 2 中学時代の僕は、プロ野球選手に「なりたい」と思っていました。でも大阪桐蔭高校からドラフト1位でファイターズに入団した中田翔に話を聞くと、「中学時代から俺はプロ野球の選手になると信じていました」と言うんです。大谷翔平は高校生で「プロ野球選手」はもちろんのこと、「世界一の選手になる」と思っていたと。だから彼は、高校卒業と同時にメジャーリーグへ行こうと真剣に考えた。「なりたい」と「なる」には、似ているけれど決して交わらない違いがあるのです。

 もっと詳しく知りたい皆さんは、図書室で本を借りて読んでみてほしい。 年頭に当たり、皆さんの志をさらに高めてもらうきっかけになればと思い、今日はこの話をした。




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Last-modified: 2019-01-08 (火) 12:36:26