令和3年10月全校集会(10月4日(1月))


 ここにきてコロナの感染状況が改善されてきた。しかし、これから冬を迎えるにあたって、まだまだ油断は禁物であろう。あまり神経質になるのもよくないとは思うが、今しばらくはマスクを外していいということにはならないだろう。皆さんも十分に知っていることだが、何せ数としては少ないものの「重症化したり、亡くなったりする感染症」である。
 さて、10月を迎えた。学年のちょうど半分が終わったということになる。年度当初に皆さんの「キャリアパスポート」に書いてもらったが、坂出高校が育てたい生徒像として掲げている9項目について、半期を振り返ってどうだったか。学校の方も、3年生が坂高祭に参加できないとか、全校が一斉に集まった集会等ができないなどの事態はあったが、昨年度に比べると総体や音楽のコンクールなども実施される等、かなり平年並みの行事ができるようになってきた。本校が生徒を育成すると掲げる9項目、
   (1)確かな基礎学力とそれを活用する力、
   (2)他者の意見を聴き、自分の意見を論理的に伝えるコミュニケーション能力、
   (3)柔軟な思考力と判断力、
   (4)知的好奇心をもって、積極的に物事に挑戦する力、
   (5)リーダーの自覚をもって他者を先導する力、
   (6)基本的生活習慣と自らを律する力、    (7)礼儀・マナーを守り、他者を思いやることのできる力、
   (8)困難に立ち向かい粘り強く取り組む力、
   (9)他者と協働して物事を成し遂げる力。
 大人の世界(学校の先生方、一般企業も似ているのではないかと思う)では、自らが立てた目標を中間評価する時期である。皆さんもぜひ自己評価を行い、今年度の残り半分で、年度当初に立てた目標をクリアできるよう、不断の努力をしてもらいたい。
 私は皆さんの一人一人が立てた目標については知らないが、立てた目標を実現する手立てとして「授業」を抜きに考えることはできないものと考えている。また、皆さんが目標を立てるに際して、学校にいる時間の大半を占める授業を抜きで考えることは適切でなはいと思う。いまさら、年度当初に立てた目標を変えよとは言わないが、修正してもかまわないと思う。そのように考えるのは、やはり坂出高校の先生方の授業が非常に優れていると考えるからである。
 先月21日から24日までの3日間(1日休日をはさんだ)は、「公開授業週間」であった。先生方同士で授業見学を行い、意見を交換することが主たる目的なわけだが、ほかにも、クラス担任の先生が自分の授業以外での生徒の様子を知ったりすることにも有効である。私は毎年この期間に、先生方の授業を見て回ることにしており、今年度もそうした。その時に感じたことは、大きく4つ。1つには先ほども触れたが、坂出高校の先生方は授業にとても熱心で、かつ分かりやすい授業をしているということ。2つ目は、その授業を受けることのできる高校生=皆さんは、とても幸せだということ。3点目は、高等学校の学習内容は、やはりやや高度だが社会生活に欠かすことのできない内容だなということ。最後4つ目は、皆さんの授業態度の良さ。大多数の皆さんが授業に真剣に向き合っている。これには感心し、坂出高校の生徒諸君を改めて誇らしく感じた。
 皆さんにとって、授業というのは「ごく当たり前」のものだろう。しかし、現在受けているような授業を受けることができるのは高等学校まで。多くの人が進学する本校にあっても、高校よりも上の教育機関(少なくとも私の知っている「大学」)では、今皆さんが受けているような丁寧な授業というのはない。私が大学での教育を受けたのは、すでに40年ほども前のことなので、現在では多少は変わっているかもしれないし、また、変わっていてほしいと思うのだが、大学の授業というのは、先生が授業開始時刻よりも相当遅れて来て、自分の専門領域のことを一方的に話し、人によっては授業用テキストと称した自らの著作本を学生に売りつけ、授業終了前にさっさと引き上げてしまうというおよそ「教育」とは呼べないようなものがまあまあの数あった。特に1回生から2回生にかけての教養科目には、そういう先生たちが相当数いたように記憶している。ただし、例外は語学。私の場合、英語とドイツ語。これは非常に厳しかった。ちなみに1コマの授業時間は100分であった。昨今は、いろいろなことに法令遵守(コンプライアンス)や説明責任(アカウンタビリティ)などが求められていること、また、大学でも授業評価が行われているらしいことを聞くにつけ、教養課程でもそういったいい加減な「教授」も減っているのかなとは思う。また、大学では自分の専門領域の勉強はするが、それ以外のことはほとんど学習する機会がない。教育学部の英語教育学専修だった私の場合、大学の4年間は国語、数学、歴史、保健、家庭、芸術の授業は皆無で、理科もほぼなし。ただ、高校ではなかった教育学とか心理学、哲学、憲法の授業はあった。体育は2回生の時まで週に1コマだけあった。今思えば、当時の共通一次テスト(現在の大学入学共通テスト)で、5教科7科目まで受験させておいて、入学したらもう勉強の面倒は見ませんよというような制度は果たしてどうなのかという疑問が残ったままである。勉強というのは、一度やめてしまうとそこで成長は終わる。自分の経験からこれは確実に言える。高校当時好きだった、古典や数学の勉強を継続させるべきであった、と悔やんでも悔やみきれない気持である。
 皆さんは、国語(現代文、古文、漢文)、数学、理科、地歴、公民、保健体育、芸術、英語、情報、家庭といった大変幅の広い学習をしている。そして、坂出高校の先生方は微に入り細に入り、大変わかりやすい教え方をしてくださっている。これを当たり前とは考えないでほしい。当たり前ではなく、幸せなことである。先生方の授業には、本当に頭が下がる。1時間の授業のために、そして、生徒のために、ここまで準備してくださっている。4年前まで先生方と同じく授業をしていた者=私が見ると、その授業の背景にある準備の様子が窺える。毎年本当に感動さえする。生徒の皆さんには、人生一度きりの最高の瞬間が1コマ1コマの授業に凝縮されていると心得てほしい。大学受験も大事である。しかし、本校の先生方は大学受験のその先、皆さんが社会に出て、生きていくために必要な素養を教えてくださっている。現代の社会は、高等学校で学ぶ程度の知識がないと生きていくのが非常に困難なものである。今このように話しても、ピンとこない人が多いだろう。しかし、諺にもあるように「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」である。茄子は花をつければ必ず実をつけるそうである。耳が痛い親の話も、後で考えると自分のことを思って言ってくれたのだと思える。学校という場では、先生は皆さんの親である。どうかこのことを肝に銘じ、1時間1時間の授業に精一杯取り組んでほしい。
 最後に。秋は部活動にとって、新人大会や選抜大会の時期である。精一杯の頑張りを期待する。3年生には、粘り腰で落ち着いた学習を期待している。自分を安売りしないように。大学は選べる時代である。大学に選ばれなくてもよい。このことは1年生、2年生にも知っておいてほしい。私がなぜこのように言うのか。根拠がある。各自で考えてほしい。




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Last-modified: 2021-10-04 (月) 13:07:02