2月全校集会講話(2月3日(月))

 今日からは3年生が家庭学習に入った。これは、3年生の多数が大勢大学等の受験に出かけるために学校で授業することができないということから始まったものであろうと思うが、歴史は古く、私が高校生の時には既にあった制度である。今日からは完全に2年生は3年生の役割を、1年生は2年生としての役割を自覚して生活してほしい。

 さて、私は年齢を重ねるにつれて、感動することが少なくなってきたと感じる。悲しいことである。その私が、最近大変感動したことがある。それは大相撲初場所での徳勝龍関の幕内優勝である。今年の初場所は、横綱の白鵬と鶴竜がともに序盤で途中休場して不在であったが、徳勝龍関は初場所の幕内力士42名中、西の前頭17枚目といういわゆる「幕尻」という最も地位が低いところにいた。私も詳しくは知らないが、大相撲で最も地位が高いのは東の横綱ということで、初場所では白鵬がその位置にいたわけである。

 徳勝龍関は、14日目に優勝争いをしていた前頭4枚目の正代関に勝利して、翌日の千秋楽での正代関と自身の勝ち負けいかんでは優勝の可能性が出ていた時にも、報道陣に向かって「全く意識していない」と言っていた。

 しかし、千秋楽で優勝が決まった直後には土俵上で号泣し、インタビューでは「数日前からものすごく優勝を意識していたし、緊張していた。」と明かした。これには報道陣も一杯喰わされたという格好になったわけであるが、皆さんもよく考えほしいのだが、大相撲の幕内優勝できるかどうかという瀬戸際で緊張せずにいられる人が果たしているのだろうか。大相撲の歴史に名を残し、国技館にも大きな絵が掲げられるという大変な名誉を手にする前にだ。

 千秋楽は大関の貴景勝関との相撲だったが、解説者とNHKのアナウンサーが取組前に、「変化する−真正面から当たるのを避けて、素早く横にそれる−こともありうるか」と言っていた言葉を覆し、真正面から当たっていき、最後には堂々の寄り切りで勝利したその勝ち方も非の打ちどころがなかった。正々堂々と大関を破ったわけである。

 徳勝龍関は、近畿大学相撲部出身の力士だそうで、初場所中に大学時代の恩師が亡くなり精神的につらかったということで、監督が土俵で一緒に戦ってくれたと語っていた。貴景勝に勝った直後に土俵の上で号泣したのは、その恩師への想いもあったのだということである。また、インタビューで「もう33歳ではなく、まだ33歳だ。」と語ったことも私には印象深かった。

 その一方で、徳勝龍関と同じ33歳の大関、豪栄道関がカド番であった初場所での負け越しを理由に引退を表明した。初場所が終わってすぐのことである。また、同い年には、昨年引退した元横綱の稀勢の里関もいる。人生は本当にさまざまだなと思う。

 私が今日この話をした理由を皆さんはもう分かっていると思うが、  前例がない(ほとんどない、少ない)ことでも起こりえる。前例がないからといって、何かをやる前に諦めるべきではない。いかなる可能性も否定できない。つまり「幕尻の力士の優勝はないだろう」とか、「33歳の力士の初優勝はないだろう」というような思い込み(決め込み)である。確かに、徳勝龍関が初優勝を決めるまでは、それはほぼなかった。ただし、幕尻での優勝は過去に一度だけ例があった。

 ただ、こういった少ない例や前例がないというのを覆すところには、必ず存在するものがある。それは何だと思うか。それは、私は「信念」と「努力」ではないかと思う。

 以前にも話したことがあると思うが、自分の成長を阻害しているのは自分である。勉強でも部活動でも、「自分はここまで。」と決め込んでしまう。一旦そう決め込むと、それ以上の進歩は絶対にない。

 だから、みなさんもやるべきこと1つ1つに対して、人からどういわれようが思われようが、自分の限界を決めずに、とことん自分を信じて一生懸命に取り組んでほしい。もしかするとその努力が報われないということがあるかもしれない。しかし、努力することなくして成功や成長はありえない。

 繰り返すが、これは勉強の面でもそうだし、部活動の面でもそうである。本校で弓道部の顧問をしていただいている英語科の泉田先生は明確に仰る。「てっぺん(日本一)をとるつもりで弓道を指導しているに決まっている。」また、野球部の監督をお願いしている数学科の上原先生も「甲子園出場が目標である。」と明確に仰っている。皆さんもそういった気概をもってほしい。そうすれば自ずと道は開ける。

 こういう考え方は、英語圏にもあるようである。それは、このことわざに見て取れる。 Where there is a will, there is a way. 日本語では「精神一到何事か成らざらん。」というように訳されることが多いが、直訳すれば、will(意志)があるところに道ができる(拓ける)という意味である。逆を言えば、意志がなければ道など拓けないということだ。

 坂高生である皆さんの生活ぶりに大きな注文があるわけではないのだが、敢えて言うならばこういった点である。夢を持ち、それをつかもうと自ら努力する姿勢である。「高邁自主」。忘れてはいまいか。次の学年への切り替えの時期、今一度確認してほしい。




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Last-modified: 2020-02-03 (月) 16:33:47