お知らせ/校長室から

令和4年度 校長退任式(4月6日(水))


退任に当たって
4.3.31
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 厳しい冬が過ぎ、一年のうちでも最も素敵な季節が来た。例年であれば、新学年に向けて「さあやるぞ」という気持であった。しかし、今年は少し違っている。一言でいえば、非常に寂しい。

教職を離れなければならない時が来ることは分かっていた。しかし、いざ自分の番になると、その時が来なければ分からないことがあると実感している。それは、昭和59年4月に新採教員として善通寺第一高等学校に赴任した日から38年という時間のカウントダウンが始まっていたということである。38年というと長いようだが、日数を計算して愕然とした。わずか13,870日である。自らを振り返り、勤務する学校ごとに日々一所懸命に努めてきたかと考えるとき、今という時間はかけがえのないものであり、一期一会であるということを痛切に感じている。本当に自らを恥じ入るが、皆さんも1日1日を、そして出会う人たちを大切にして生きていってほしいと願う。今回の自らの退職を機に、人間は年を取らなければ、その時を迎えなければ分からないこと(気持ち)があるということを痛切に感じた。

生徒の皆さんにもう一つ伝えたいことがある。それは、今までにも繰り返し話してきたつもりだが、皆さんは何にでもなれるということ。裁判官だって、宇宙飛行士だって、大学教授だって。例えば大学教授。「そんな職に就くには、東大に行って大学院に行って、さらには海外留学の経験も必要で当然英語はできて」、という風に考え、「そもそも自分はそんなに頭もよくないし、英語は苦手だし留学するほど裕福でもないし」、と自分から自分に見切りをつけるような考え方をしていることが多い。坂高生を5年間見てきて、つくづくそう思う。私のかつての同僚のお子さんの話をしたい。その子は坂高生もよく行く香川大学、その経済学部に進学した。大学卒業後は神戸大学経済学部の大学院に進み、現在は東京のとある私立大学の先生をしている。皆さんの先輩が多数進学する香川大学から、大学の先生になっている。大学教授という道は、決して特別な人だけしか就けない職ではない。とにかく皆さんは、自分で自分の限界を決めすぎる。とにかく大きな夢を持ってほしい。

さて、いよいよお別れの時だ。まずは健康に留意し、精進してほしい。一人ひとりの精進の結果が、坂出高校の発展につながる。さようなら。

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〜坂出高等学校ホームページをご覧いただいている皆様へ〜

平成29年4月に教頭として赴任した年が坂出高等学校百周年・音楽科創設五十周年の年でした。翌年度から4年間、校長を務めさせていただきました。ちょうど県教育委員会から「全国からの生徒募集」の話が出始めたころで、全国からどのような学校か知っていただくにはホームページの充実が欠かせないということで、先生方にお願いして部活動のページには最新の活動状況を掲載したり、ホームページ自体を刷新したりするようにお願いしてきたところです。校長としては、始業式や終業式に加え、坂出高校の特色の一つでもある毎月の全校集会での講話を掲載してきました。内容的には非常に拙い話ばかりで、本心では掲載したくない時もありました。しかし、自分が何もせずにほかの先生方に依頼するのは何か違うと考えてやってきました。

今回の離任に当たっては、先生方にお別れの言葉を話したのが3月31日。生徒の皆さんに別れを告げたのは4月6日。「もうこの話はホームページには掲載することはないな」と思っていたところ、今回のホームページ刷新の中心人物であるM先生から思いもかけずお電話をいただきました。もう掲載はないと考えていたので、生徒向けに作成していた原稿も破棄していました。退職した者が何かを要求することではないというのが私の考えでした。本当にM先生には感謝しています。今後は坂出高等学校の発展を、陰ながら応援させていただきます。在任中はお世話になり、ありがとうございました。引き続き坂出高等学校をご支援くださいますようお願い申し上げます。

前校長(第32代) 黒 島 俊 哉

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Last-modified: 2022-04-10 (日) 09:57:05