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敦史

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「中学校まで野球を続けていたけど、高校では野球はやらない」と言っていたようですが、周囲の進言もあり、野球部に入部してくれました。

高校で野球部に入って本格的にピッチャーを始めました。


最初、ブルペンに入った時、30球投げることなく足がけいれんし、降板しました。変化球は何1つ投げることができませんでした。1からというよりは0からのスタートでした。

身長は高いものの、とにかく身体が細く、筋力が圧倒的に足りませんでした。

体力トレーニングをすれば必ずみんなから遅れる。メニューがすべて消化できない。ストレッチをすればとにかく硬い。追い込まれて過呼吸を起こしたこともありました。


でも、どんなに苦しいときでも最後まであきらめずにトレーニングに励みました。メニューがすべてできなくても、できるところまでは常に全力で取り組む選手でした。


そんな強い意志とともに大きな武器となったのが「探究心」です。


興味を持ったことに関してはとことん突き詰める。

スライダーの握りを教えてもらって投げた初球、見事な曲線を描き、捕手のミットに収まりました。カーブも同じく、教えたその日から投げられるようになりました。指先の感覚は天才的でした。


しかし、本人はそれ以上に、「もっと鋭い変化球を投げたい!ではどのようにしたら投げられるのか?」という視点を持ってその後の練習に励んでいました。本を読んで勉強することはもちろん、練習試合で相手投手が武器となるような変化球を持っていたら、試合後相手ベンチに行って熱心に質問していました。それは1年生の頃から引退するまでずっと続きました。


少しずつ体力がつき、身体も柔らかくなるにつれ、練習試合でも登板する回数が増えていきました。


いつしか「高校で投手がしたい」という目標から「背番号1をつけてマウンドに上がりたい」という目標に変わりました。


2年生の春の大会、背番号1をつけました。

試合前、あまりの緊張感に胃液が逆流してきて吐きそうになっていました。なんとかその緊張感を乗り越え、新チーム初勝利を手繰り寄せました。

2年生の夏の大会、3回戦は延長戦。延長10回からの3イニングを任されました。ムービングファストボールを武器に再三訪れるピンチをしのぎ、チームをベスト8に導きました。試合後、緊張感から解放され、グッタリとへたり込んでいました。


新チームになり、少しずつ野球に取り組む姿勢に変化が現れました。

ただピッチャーがしたいという想いだけでなんとか高校野球を続けてきた選手が、大会で少しずつ活躍するにつれ、チームの勝利を最優先に考える選手になりました。

チームのために、それまであまり取り組んでこなかった野手の練習にも力を入れるようになりました。もちろん、投手の練習と両立させて。


3年生となり迎えた春の大会。厳しい戦いとなった3回戦。決勝タイムリーとなるライトオーバーの2塁打を放ちチームをベスト8に導きました。そして決勝戦。同点の9回表0死1塁からマウンドへ。このピンチを強気の投球で抑えきり、チームはサヨナラ勝ち。見事、小豆島高校野球部の県大会初優勝の立役者になりました。

最後の夏の大会、そこには緊張感で押しつぶされそうになるのではなく、緊張感を楽しんでいる背番号3がいました。その姿は頼もしく、また羨ましくもありました。


プレー以外のところでは、新人監督として1年生の指導にあたってくれました。礼儀に始まり、日誌の書き方、小豆島高校野球部員としての取るべき行動などを一生懸命指導してくれました。

指導された1年生は成長し、1年生大会ではベスト4まで進出しました。決して力があるわけではないけれど、必死にガムシャラにやるところ、創意工夫するところ、何より緊張感を楽しめる雰囲気を持っているところは新人監督から受け継いだものかもしれません。

3年間お疲れさん。

最後までよく野球を続けたな。


夏の大会のダイビングキャッチは格好よかったぞ!

野球というスポーツが楽しいということに気づいてくれたと思います。この楽しさを多くの人に伝えてあげてください。

〝Enjoy Baseball〟

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