茂木健一郎氏の話から(part1)
2016年11月8日 23時41分先日、名古屋で開催された社会科の全国大会に参加した。名古屋では【振り返り】が重要視され、授業の終末には、必ず振り返りの時間を設けられ、ワークシート1枚に学習内容を中心に文章で記述していた。体育館には6年生の振り返りカードが掲示され、通し番号を見る限り、かなり定着している印象を受けた。
その中で最も気になったのが、教師のコメントである。子どもの労をねぎらおうと、多くのコメントを書く先生もいるが、私が見たその先生は、大事な箇所に赤線を入れ、コメントは一言であった。だが、その一言は的を射ていた。
多かったのが、「いい疑問だ。その疑問に対して○○さんはどう思う?」というコメントであり、問いを持つことを大切にしている印象を受けた。その他、「確かに!目的は同じでもやり方が違うね」、「力で何とかしようとしていたんだね」というように、子どもの反応を明確にしたり、異同を際立てたりしていた。さらに、「これは、今日の資料では分からないね」と根拠がはっきりしない反応に対しては、そのことを的確に指摘していた。
最も感心したのが、「NO28の予想、当ったね」である。継続して子どもの反応を観察していないと、できないコメントである。常日頃から、一人一人の子どもの様子を注意深く観察しているその先生の観察眼の鋭さに感心した。
こうしたコメントは作品だけが対象ではなく、授業中に教師から発せられる言葉も同様ではなかろうか。「いい問いだね」「あなたの考えは?」「その根拠はどこから?」「何からそれが分かったの?」「あなたの意見は○○ということなの?」「どこが同じで、どこが違うの?」「一言で言うならばどんなこと?」「あなたの疑問、解決したね」等になろうか。
教師の言葉は、触媒の働きをしているのではなかろうか。優れた言葉は、子どもの反応に大きな化学変化をもたらす。