日誌

茂木健一郎氏の話から(part2)

2016年11月8日 23時42分

茂木氏は小・中学校時代、成績が優秀だったが、決してガリ勉タイプではなく、蝶に大変興味があり、暇さえあれば蝶を探したり、図書館で調べたりしていたという。今風に言えば、蝶オタクで蝶に関しては凄まじい集中力を発揮していたようだ。また、幼い頃から自分で目標を立てて学習する習慣が身に付いていたとも語っていた。例えば「この問題だったら5分でしよう」というように自ら課題をかし、ハードルを越えるごとに達成感を味わった。茂木氏はそれを学習マネジメントと呼び、集中力と共に学力を支える大きな要因になったと分析していた。

だが、運動は苦手で、苦手意識のある運動からは、逃げてばかりだったと語っていた。ある時、小学校の担任が「逃げてばかりではダメだ!」と、水泳の苦手な茂木少年を敢えて選手に選んだ。来る日も来る日も練習をさせられたが、嫌とも言えず練習に取り組んでいた。すると、ある瞬間、身体がふと軽く感じられ、前に進む自分を感じたそうだ。

苦手なことに挑戦し、それが達成できた時には脳内にドーパミンが放出される。また、ドーパミンは人から認められた時にも放出されるが、当時の担任は茂木氏の変化を素早くつかみ、大いに褒めてくれた。このドーパミンの相乗効果によって脳が強化され、そのことが自信につながったと話していた。

茂木氏は、苦手なことに挑戦することは、自分を大きく成長させる原動力となり、苦手なことが多い人ほど貴重な資源がいっぱい眠っているとも話していた。また、教師が挑戦を続ける子どもの変化を素早くつかみ取り、タイムリーに褒めることができれば、その効果は何倍にもなると指摘する。茂木氏は“奇跡が起きる”と話していたが、より多くの子どもに奇跡を起こしたいものだ。


茂木健一郎氏の話から(part1)

2016年11月8日 23時41分

先日、名古屋で開催された社会科の全国大会に参加した。名古屋では【振り返り】が重要視され、授業の終末には、必ず振り返りの時間を設けられ、ワークシート1枚に学習内容を中心に文章で記述していた。体育館には6年生の振り返りカードが掲示され、通し番号を見る限り、かなり定着している印象を受けた。

その中で最も気になったのが、教師のコメントである。子どもの労をねぎらおうと、多くのコメントを書く先生もいるが、私が見たその先生は、大事な箇所に赤線を入れ、コメントは一言であった。だが、その一言は的を射ていた。

多かったのが、「いい疑問だ。その疑問に対して○○さんはどう思う?」というコメントであり、問いを持つことを大切にしている印象を受けた。その他、「確かに!目的は同じでもやり方が違うね」、「力で何とかしようとしていたんだね」というように、子どもの反応を明確にしたり、異同を際立てたりしていた。さらに、「これは、今日の資料では分からないね」と根拠がはっきりしない反応に対しては、そのことを的確に指摘していた。

最も感心したのが、「NO28の予想、当ったね」である。継続して子どもの反応を観察していないと、できないコメントである。常日頃から、一人一人の子どもの様子を注意深く観察しているその先生の観察眼の鋭さに感心した。

こうしたコメントは作品だけが対象ではなく、授業中に教師から発せられる言葉も同様ではなかろうか。「いい問いだね」「あなたの考えは?」「その根拠はどこから?」「何からそれが分かったの?」「あなたの意見は○○ということなの?」「どこが同じで、どこが違うの?」「一言で言うならばどんなこと?」「あなたの疑問、解決したね」等になろうか。

教師の言葉は、触媒の働きをしているのではなかろうか。優れた言葉は、子どもの反応に大きな化学変化をもたらす。


名古屋大会に参加して

2016年11月7日 23時43分

先日、名古屋で開催された社会科の全国大会に参加した。名古屋では【振り返り】が重要視され、授業の終末には、必ず振り返りの時間を設けられ、ワークシート1枚に学習内容を中心に文章で記述していた。体育館には6年生の振り返りカードが掲示され、通し番号を見る限り、かなり定着している印象を受けた。

その中で最も気になったのが、教師のコメントである。子どもの労をねぎらおうと、多くのコメントを書く先生もいるが、私が見たその先生は、大事な箇所に赤線を入れ、コメントは一言であった。だが、その一言は的を射ていた。

多かったのが、「いい疑問だ。その疑問に対して○○さんはどう思う?」というコメントであり、問いを持つことを大切にしている印象を受けた。その他、「確かに!目的は同じでもやり方が違うね」、「力で何とかしようとしていたんだね」というように、子どもの反応を明確にしたり、異同を際立てたりしていた。さらに、「これは、今日の資料では分からないね」と根拠がはっきりしない反応に対しては、そのことを的確に指摘していた。

最も感心したのが、「NO28の予想、当ったね」である。継続して子どもの反応を観察していないと、できないコメントである。常日頃から、一人一人の子どもの様子を注意深く観察しているその先生の観察眼の鋭さに感心した。

こうしたコメントは作品だけが対象ではなく、授業中に教師から発せられる言葉も同様ではなかろうか。「いい問いだね」「あなたの考えは?」「その根拠はどこから?」「何からそれが分かったの?」「あなたの意見は○○ということなの?」「どこが同じで、どこが違うの?」「一言で言うならばどんなこと?」「あなたの疑問、解決したね」等になろうか。

教師の言葉は、触媒の働きをしているのではなかろうか。優れた言葉は、子どもの反応に大きな化学変化をもたらす。


香社研30年史より(part1)

2016年10月31日 20時00分

私がまだ教師駆け出しの頃、香社研30年史が発行された。当時、香社研会長の東原岩男氏は、以下のようなあいさつ文を寄稿されていた。

「社会科は日本社会の一大転換期に生まれた寵児だった。それは、社会を変革する人間作りを目差す教育であった。指導要領にとらわれず、教科書に拘束されず、自分が作ったカリキュラムに基づく、自由あふれる教育であった。教師と子供たちが一緒に調査し、資料を集め、多様な表現方法を通して問題を解決していく体験学習であった。

子供たちは生き生きと活動したが、教師は五里霧中。日本国内に権威ある指導者はいなく、実践に直接役立つ図書もない。現職のお互いが経験を交流し、知恵を出し合うよりほかに、事態解決の道はなかった。こうして生まれた香社研は、当然のことに研究意欲は高く団結力は強かった。

やがて、民間文部省とまでいわれたコア・カリキュラム連盟に加盟。全国の同志と手を結ぶとともに、その中核メンバーとして活躍。全国にその名を知られることになった。

以来30年。社会科の目差す人間像も、教育内容や教育方法も幾変遷を重ねてきた。香社研の研究においても、また、同様であった。しかし、香社研は常に時代を先取り、その研究は全国的な注目を集めるものであった。…」

これを読むと、先輩たちの社会科に対する熱い思いが伝わってくる。香社研は常に時代をリードし、その研究は全国的に注目を集めていた。まさに、2月に開催される全国大会は、新学習指導要領の告示と合間って、これからの10年を見据えた大会となり、全国的にも注目されるそんな全国大会にしたい。

教材研究のスタイル

2016年6月10日 16時48分

教材研究と言えば、指導書をしっかりと読み解き、教科書の内容を吟味するとともに、自作資料の作成やゲストティーチャーの出番等を位置づけて指導過程を組むという印象がある。ただ、こうした教材研究のスタイルは、子どもの実態から遊離し、教師の一方的な教え込みになる場合もある。指導案には子どもの実態を記述しているものの、概要がほとんどであり、具体までには至っていないことが多い。子ども主体の学習を展開しようとすれば、子どもの意識の流れや反応の変化を予想し、それに応じた指導過程を組むことが不可欠である。

そのため、教材研究の在り方も上記の事柄とともに、想定される学習課題に対して子どもの反応を予想し、それを紙に書き出し、思考操作や交流の中でどう変化していくかを見定めることが必要になった。また、一概に子どもと言っても様々であるため、ある程度、個々の反応を類型化し、それに応じた手だてを考えることも大切になった。さらに、様々な学習展開にも対応できるよう模擬授業を行うことも求められるようになった。教師主導から子ども主体の授業への転換は、教材研究のスタイルも大きく変えたのである。

だが、子ども理解が不十分で、子どもの意識の流れや反応の予測が不十分であり、教師の予想とは全く違う展開になることもある。ただ、中には教師が予想するよりも子どもの方が先に進み、教師の予想をはるかに超える場合もある。そんな授業を行いたいし、そうした子どもを育てたいものである。

「もっと考えろ」と言う前に

2016年5月23日 14時49分

授業中、子どもに「もっと考えろ!」という言葉を発することがある。教師に手だてがなく、窮地に追い込まれるほど、その言葉を発し子どもたちが途方にくれるという光景を何度も目にしてきた。

勘のいい一部の子どもは、些細な手がかりを基に考えることもできよう。だが、大多数の子どもたちには、「何について考えるか」「何を手掛かりに考えるのか」を具体的に示さなければ考えようがない。

考えるという行為は、大変抽象的であり、経験や勘に頼るものと思われてきた。また、様々な思いやイメージが行き交うために焦点化が難しく、例えいい考えが思い浮かんでもすぐに消えてします。

だが、考えるパターンは、事象と事象の比較であったり、事象を因果関係という視点で整理することであったり、多くの事象を端的な言葉でまとめたりする等、それほど多くはない。そのため、思考のパターンを類型化し、授業のねらいに応じて活用することで、経験や勘に頼っていた思考を一変させることができた。また、カード操作と絡めることで、脳の中で秘密裏に行われていた行為が、手を使いながら目で追いながら行えるようにもなった。

香社研の思考操作の研究は、思考を勘のいい一部の子どもから、より多くの子どもへと広げることができた。授業の主体が子どもであるならば、子どもがアイテムを持つ必要がある。

あなたの授業は10点

2016年5月16日 14時48分

今から30年以上前になるが、亀阜小学校で社会科の全国大会が秋に開催されることになった。お手並み拝見ではないが、年度当初、当時の校長先生が一人一人の授業力を確かめることになった。

私はちょうど4年目で、4年生を担任していたので、ごみ単元の導入部を見てもらうことにした。社会科担当という自負もあり、具体物を基にしながらごみの分別収集をテーマに授業を行った。実際のごみを目にすることで、子どもたちの意欲は高まり、普段に比べてスムーズに授業が流れた。そのため、授業後の検討会では、当然、褒められるのではと期待していた。

だが、校長先生からは、開口一番「授業になっていない」であった。点数をつけるなら、まあいいところ10点という厳しい評価で、プライドはズタズタに切り裂かれた。

その時、教えられたことは、【授業の主体は子どもであること】であり、授業の流れが子どもの意識の流れに合っているかどうかであった。発問によって強引に進めたり、アッと驚く資料を提示したりして授業の流れを生み出そうとするのはもってのほかというものであった。この時、初めて子どもの意識の流れということを意識した。

香社研の思い出から

2016年5月9日 14時47分

私が香社研の一員になったのは、もう30年以上前のことです。当時は土曜日の午後、郡市持ち回りで研究授業が行われ、授業を基にしながら議論を闘わせていました。また、夏の研究会は泊りがけで、一緒に寝泊まりし酒を酌み交わせながら、郡市を越えて社会科について熱く語り合っていました。

ただ、私にとっては、話の内容が難しく社会科に対する熱意も不十分でしたし、先輩に行けと言われるままに参加していましたので、香社研での活動は窮屈であり、また、参加すること自体、大変億劫に感じていました。

そんな時、たまたまつけたラジオ番組(NHKの教育放送の『教師の時間』)で、香社研の先輩が社会科創設期の苦労話や教材研究の面白さを熱く語っていました。また、聞き手も香社研の先進性を大いに評価し、その取組を称えていました。ちょうど、父の偉大さを知らない放蕩息子が、父の偉大さを他人から聞くことで、初めて父に対する正当な評価ができたような、そんな不思議な感覚を持ちました。その後も他県に行く度に、年配の方から香社研の素晴らしさをよく聞かされました。

昨今、政治や経済をはじめ、文化や生活スタイルまでもが、東京が中心となり、それに地方が従うという傾向があります。しかしながら、戦後の一時期、社会科については、香社研が一つの核となり全国へと発信していました。地方創生のためにも、この香川の地から社会科の在り方、教育の在り方を発信していこうではありませんか。

お知らせ

この度、前任の柴田会長様から香社研の会長を引継ぐことになりました
高松市立亀阜小学校の森 正彦です。どうぞ、よろしくお願いします。

前柴田会長様におかれましては、新たな研究テーマの設定をはじめ、研究組織の充実や実行委員会の立ち上げ等、全国大会に向けて各郡市を一つにまとめ、真摯にご準備をしていただきました。その意を受け、大会を成功へと導くために、誠心誠意取り組んでいきます。

2月に開催される全国大会は新しい学習指導要領の告示と合間って、全国的にも大変注目される大会になると思います。全国から集まった同志に香社研の取組を問うとともに、これから始まる新時代の社会科の在り方を形作っていく絶好の機会となります。

ただ、私たちにとって全国大会は大きな目標ですが、決して目的ではありません。私たちが目指すものは、社会科好きな子どもを育てることであり、子どもたちが将来、社会の一員としてよりよい社会を築いていくために必要な資質・能力を育成することです。全国大会はその大きな通過点となりますが、与えていただいた舞台を最大限に生かし、社会科について大いに語り合うことで、今後の社会科の方向性をしっかりと見定めていきませんか。

大きな大会となりますので、香社研の皆さまには無理なお願いやご迷惑をかけることもありますが、社会科を通して共に高まっていきましょう。ご協力のほど、どうぞよろしくお願いします。