令和3年度2学期終業式講話(12月24日(金))


 今日は私が長年、正確にはちょうど30年間教員として教えてきた「英語」について話をしたい。自分が英語教員という道を選んだことについても、話せばゆうに与えられた時間を埋めるくらいにはなるが、今日はそちらではなく、純粋に言語としての英語について皆さんと一緒に考えたい。皆さんのほとんどの人は、中学校で本格的に英語の学習を始めたはずなので、まだ学び始めて4年目から6年目のはず。私も始めたのは中学だが、年齢がいっているので、通算で言えば48年目ということになる。自分で言いながら正直、初めてその年月に驚いている。

 私が英語について思うこと。要約すれば、この一言。「なんだかんだ言っても、やはり世界共通語は英語である。」ということに尽きる。英語では、When all is said and done, the tool for international communication is English.ということになろうか。最初はこの文の主語と補語を入れ替えて、「英語は世界共通語」とし、English is the tool for international communication.としていたが、逆の方が実態に合っていると考えて、「世界共通語は英語である」としてみた。主語=補語であり、ともに名詞なので同じと言ってしまえばそれまでかもしれないが。今のご時世では、英語は道具であるという考え方の下で、こういった語法研究などを行っている英語の先生は激減している。もしかすると本県では数人かもしれない。私が教員になったころには、辞書を読み比べている先生がいた。それも数人が。それほど語法研究に熱心であった。本校正門の前にある竹内公平先生も、大変勉強熱心な方で大英和辞典の執筆者の一人である。丸亀高等学校の校長を最後に引退された。毎日のように皆さんの様子をうかがってくださっている。

 さて、再び私が教員になったころの話に戻るが、同じ学校に数学を教えているが、語学にも興味のある先生がいた。その先生が当時興味を持っていたのは、エスペラント語という言語である。皆さんは聞いたことがあるか。私はその時初めて聞いた。何でも、英語を世界共通言語というのか公用語というのか、ともかくコミュニケーションの手段として使用するというのは、英語が母国語である人々には有利に働くが、英語を母語としない人たちにとっては大変不利である。したがって、皆が同じく苦労しなければ修得できない人工言語を世界共通語にしようとするものである、と当時その数学の先生からは聞いたと記憶している。

 今ではいろいろなことをインターネットで調べることができるので、先日その言語について調べてみた。Wikipediaには次のような説明がある。(原文を一部変えている。)

創案者のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができ、世界中ですでに使われている母語に成り代わるというよりは、むしろすべての人の第2言語としての国際補助語を目指してこの言語を作った。ザメンホフは、帝政ロシア領(当時)ポーランドのビアウィストク出身のユダヤ人眼科医で、19世紀末頃に自著でこの言語を発表した。 現在でも彼の理想を追求している使用者が多くいる一方、理想よりも実用的に他国の人と会話したり、他の国や異文化を学んだりするためのものと割り切って使っている人もかなりいる。今日では異なる言語間でのコミュニケーションのためのほか、旅行、文通、国際交流、ラジオ、インターネットテレビなど、さまざまな分野で使われている。英語を国際共通語として当然視してしまう姿勢への対抗的姿勢が、とって代わるべき国際補助語としてこのエスペラントを持ち出すこともあった。 エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている。

 「現在でも約100万人」ということをどのようにとらえるかは人によると思うが、私は世界の人口が79億人に迫ろうとしている中にあっては、かなり少数言語(minority language)の部類に入ると言ってもいいのではないかと考える。それは、日本語について考えても、母国語話者は約1億3000万人。現在世界一の人口である中国には14億人、インドが14億人に極めて近い13億人台である。言語として有名なフランス語やドイツ語について見ても、フランス本国の人口は約6,500万人、ドイツの場合は約8,300万人である。

 それに対して、基本的に英語を事実的に公用語としている国々を見てみたい。もちろん、そこに住むすべての人が英語を話すことができるわけではないということを斟酌しても、アメリカ合衆国は人口規模では3億3,000万人。イギリス6,700万人、オーストラリア2,500万人である。それらを合計すると、約4億2,500万人である。 もし、人口規模だけで「世界の共通語」が決まると仮定すると、現在は14億人を超える人口を抱える中国で使われている中国語、あるいは、中国よりも少し少ないが、やはり14億人に迫ろうとしているインドで、約4憶人が話すとされているヒンディー語などが採用されていても不思議ではない。しかし、世界に約6,000あるとされている言語について語るのは非常に難しく、その「6,000語」にしても確固たる証拠があるわけでもなく、また、学者によっては少数部族が話す少数言語を含めれば、1日に1言語が消えているという文書も見たことがあり、とにかく定かでない。 少し話が広がったが、元に戻したい。結局、現在では実質的に英語が世界の共通言語であるということに関しては、ほぼだれも異論を唱えようのない状況であると思う。皆さんは、これからますますグローバル化する社会の中で、この現実にどのように向き合おうとしているか。もはや、受験英語の好き嫌いとかですまされる問題ではない。以前にも話したことがあると思うが、勉強というのはいったんやめてしまうと、それは一気に衰退の道をたどる。先ほども言ったように、長年英語を教えてくる中で、本当によく言われたことは、「英語の先生ですか。英語ができていいですね。」これは、生徒や保護者から言われることよりも、同僚から言われることが多かった。私は英語の教員になるべく、先ほども言ったように50年近くずっと英語から離れなかったので、たとえ文法や語法の間違いはするにしても、また、英単語は頻繁に忘れていたりするものの、英文を読んだり書いたり、英語を介してコミュニケーションを図ることはできる。これをほかの教科の先生方の多くは大学以来していないので、「私が古典の能力がほぼ0」になっているのと同じく、「英語の能力がほぼ0」になっているということであろう。これは本当に残念な話である。 国としては、中高の6年間英語の学習をしても、日本人の英語でのコミュニケーション能力が向上しないということについて、かねてより非常に大きな危機感を持っている。これは、英語の先生だけに指導力向上研修等の研修が課される場合がとても多いということにも表れている。他の教科の先生にはわからないと思うが。来年度入学生から高等学校で学ぶ教科・科目がかなり大きく変わる。英語だけについて言うと、現在の「コミュニケーション英語」という科目は「英語コミュニケーション」へ、「英語表現」は「論理・表現」へと変わる。これは単なる名称変更ではなく、ともかく英語を実際に使える生徒の育成を目指すということである。趣旨には賛同できるが、早くも英語科の先生方に研修が計画されているようなのが気の毒である。 また、皆さんに英語の勉強の仕方についても話をしたかったが、次回以降に譲ることにする。
 

 最後になったが、1つ紹介しておく。先日、皆さんの先輩である「市役所坂高会」(本校同窓会の坂出市役所支部)から20万円の寄付を頂戴した。昨年度も10万円いただいている。コロナの感染防止対策や、皆さんの教育活動に広く役立ててほしいということである。今回は特に、進学面と部活動の面での活躍を期待している旨のお話をいただいた。本校の卒業生の皆さんは、いつも陰ながら本校そして皆さんのことを気にかけてくださっている。本当にありがたい話である。先生方とも話し合いながら有効に使わせていただきたい。




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Last-modified: 2021-12-25 (土) 11:43:08