令和2年度第3学期始業式講話 〜南原繁先生(その3)〜         3.1.8

 令和3年が始まった。年頭に当たり、今年はこういう年にしたいと願った人も多いと思う。年の変わりという大きな節目に、是非とも大きな目標を掲げてほしい。目標が多き分、頑張れると思うから。

 3年生にとっては史上初となる「大学入学共通テスト」が間近になった。私も担任をした経験から、ここまで来て浮き足立ってはダメということ。具体的には授業中に内職したり、欠席したりということ。最後まで平常心をもって臨む。「言うは易し、行うは難し」だが、今まで自分がやって来たこと、そして坂高の先生が指導してくれたことを信じ切ってほしい。まだまだ大学受験は今からがスタートである。3月の後期試験、そして3月末の追加合格まで、ともかく粘るという姿勢を見せてほしい。先輩方もそうやって第一志望校合格をつかんできた。先輩ができたことは、皆さんにもできる。不思議なことだが、それが「伝統」というものの持つ力である。
 さて、今日も南原繁先生の言葉を引いて話したい。今日は、まず、東京大学の総長を務めていた昭和25年11月(終戦から5年後)に、高松における帰省講演で次のように話された。
  ・ さて、戦後、国民の間に教えられ強調されたのは「自由」と「権利」であった。曰く、思想・信仰の自由・言論・集会・結社の自由、所有と生存の権利、幸福追求の権利、等々。しかし、一人の権利と自由が他人のそれと衝突した場合、何によって解決しようとするのであるか。あらゆる権利を超えたもの、すべての自由の根底にあるものによらないでは、これを解決することができるものではない。ここに、我々は、いまや「自由」と同時に、あるいはその前に「責任」を、また「権利」の前に人間の「義務」をこそ高唱しなければならない。
 ⇒ この頃はコロナの陰にすっかり隠れてしまっているが、近々始まる「18歳成人」とも相まって、皆さんにもぜひよく理解しておいてもらいたいことである。「自由」の前に「責任」、「権利」の前に「義務」。これ以上付け足すことはない。
 次に、同じ月に母校である三本松高校での講演を挙げる。
 ・ 戦後アメリカから来た教育使節団と日本側の委員会で6・3・3・4制をつくるのに加わった。これは日本側が提案し、向うが取り入れた。決してアメリカから押し付けられた制度ではない。
 ・ なぜこの制度を作ったか。これまで(戦前)の日本には、全国で5〜6校の帝国大学と70校ほどの高等学校しかなかった。それを、全国に規模を拡大して高等学校の数を増やし、各県に国立大学を置くことにより、教育の機会均等をはかった。
 ⇒ 先生は、戦後の教育改革の先頭に立った一人である。私もそうであったが、今日このように高等学校での教育を受けることができるその一端には、南原先生の教育に対する思いがあったと言っても過言ではない。

 ・ 東大の卒業式にいつも言っていること。「中央に残って官僚になるとか、あるいはまた大きな会社の重役になろうなどというケチな考えはやめなさい。それよりも自分の地方に帰って農漁村の中に溶け込んで、あらゆる方面に地方から始めよ。」と。今までの日本の教育には非常な欠陥があったと思う。その一番は立身出世主義だった。すなわち人は自分の名誉を博そう、自分の富をつくり幸福を得よう、そういう一つの幸福主義、こういう一つの生き方であります。これが反省すべき根本の問題であると私は思います。我々人間は、自分と同時に他人と同胞のことをまず考える。これが大事であります。そうして少しでも自分の周りを明るくすること、良き社会をつくるということ、そのことが結局自分の幸福になるのであります。自分の幸福というようなことは、結果としてついてくるのであります。それ自体が決して目的ではないのであります。
 ・ 高校生の義務は勉強することだけではない。家庭、地域で皆さんの手助けを必要としている場合がある。青年は青年なりに、子どもは子どもなりに、それぞれ他人に対して、親に対して、町に対してなすべきそれぞれ小さな義務と責任がある。そういうふうにしてみんなが挙って村のために町のために、その県のために、より良き郷土をつくるということである。よき自治体をつくるということである。それが本当の自由と民主主義の根底である。
 ⇒ 自らは故郷引田を離れて東京に行き、官僚となりさらに東京大学総長となった身でありながら、自らが生まれ育った地方や家族を大切にすること、貢献することの重要さを説いている。自分が富を得ることと同様に、自分の周囲の人たちのために尽くさなければならないと言っているわけである。実は、この言葉には私自身にも考えさせられるところがある。18歳まで小豆島で生まれ育ったが、大学進学以来、香川県には帰ったが、小豆島で勤務したことがない。異動の辞令が出なかったと言えばそれまでだが、定年間近の今になって思えば、母校に務める機会があってもよかったかなと思う時がある。母校である小豆島高校も統合でなくなってしまい、非常に寂しい思いである。
 坂高生の皆さんは、坂出とは言わないまでも香川に戻って公務員になりたいという志望の人が多いが、それは大変いいことであると思う。むろん、東京などの都会に出て、何で成功をおさめようという志がある人が出ないのも困るのだが。

 さて、ここまで3回、2学期始業式と終業式、そして今回と南原先生の話から引用して私なりの解釈を皆さんに話してきた。まだたくさん学ぶべきことはあるが、ここで先生の話からの引用はいったん終える。

 私が南原先生の思想にふれたき
っかけは以前にも話した通り、偶然校長室に先生の話されたことをまとめた『わが歩みし道 南原繁』という本がたまたまあったこと、そして、私が先生の母校である三本松高校に勤務した経験があったことである。私はこの偶然に心から感謝したい。この本を通して本当にたくさんのことを教わった。皆さんにもぜひ、そういう本との出会いがあることを期待している。

 最後に。3学期は本当にあっという間に終わる。1日1日を大切にしてほしい。また、3月5日には全校生が揃って卒業式ができることを祈っている。




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Last-modified: 2021-01-08 (金) 16:32:34