11月全校集会講話(11月1日(金))

 旧体育館の取り壊し期間を含めて、約1年6か月かかってこの体育館が完成した。今日は現在の2年生の入学式を行って以降初めてこの場所に全校生が集まった。まだ暗幕類などが整備されていないが、この真新しい体育館、大切に使ってほしい。名称は第一体育館とし、これまで新体と呼んでいた体育館を第二体育館と呼ぶことにする。まだ北校舎からの通路部分と第二体育館への通路、食堂回り、南校舎南側が完全には整備されていないが、今月末頃には整備完了の予定である。私も楽しみにしている。

 その一方で、間もなく音楽ホールの改修工事が始まる。工期は約1年。来年の今頃まではかかるだろうとのことで、音楽科の皆さんだけでなく自転車で通学している人たちにもさらなる迷惑をかけるが、吊り天井改修というのは国からの指示なので了解してほしい。    さて、今日は10月上旬に報道された事件について、自分なりの考察を加えながら話をする。「いじめ」という報道もあったが、これは明らかに「事件」であるという認識が必要であると思う。その事件とは、神戸市の小学校で起こった教員間の暴行のことである。

 昨年度から今年度の7月頃にかけて、4名の小学校の教員が、複数の同僚(年下)の教員に対して、「侮蔑的なあだ名で呼ぶ」「ロール紙の芯で尻をたたく」「背中やわき腹を小突く」「被害教員の車の上に乗ったり車内でわざと飲み物をこぼしたりする」「抵抗する被害教員を羽交い絞めにして激辛カレーを食べさせ、その様子を動画で撮影する」等といった行為を行っていたことが新聞等で報じられた。さらには、これらのことを訴え出た先生に対して「そんなことはないよな。」と前校長が言っていたことも明るみに出た。

 加害教員たちは「そこまで嫌がっているとは思わなかった。悪ふざけが過ぎた。」と説明したらしい。被害教員の一人が9月から学校を休み、家族からの相談で今回の事件が明らかになったようである。    私だけではないと思うが、こういった低レベルの教員がいる、しかも結構なベテランの域に入っている教員が、これらの行為を「悪ふざけ」程度としてしか認識していないということを深く憂慮する。しかも、当該小学校やその学校を指導する立場にある市教委育委員会もその兆候を知りながら対応が遅れていた〜結果的には放置していた〜ようであり、つくづく呆れかえる話である。同じ仕事をしている者として、本当に腹立たしくあまりにひどい「事件」である。

 10月10日付けの朝日新聞には次のような記載があった。「教育現場にとどまらず、働く人が職場で嫌がらせやいじめを受けたという相談は、ここ10年で倍増している。2009年に35,759件だったのが、2018年度には82,797件になった。約2.3倍である。厚生労働省の雇用環境・均等局の担当者は「労働者が自分の受けている行為を、職場環境の問題としてとらえる意識が広がったことも大きい。」と分析している。」

 私は、この分析は少し違うように思う。労働者が、「自分が受けている行為を職場環境の問題として考える」結果として、いじめや嫌がらせを受けたと相談する人が増えたのだろうか?教育評論家の尾木直樹さん(尾木ママ)が指摘しているが、「近年は成果主義が持ち込まれ「タテ社会」の論理が強まっている。ともに助け合う意識が損なわれ、未熟なものを見下すような風潮があるのではないかと危惧する。」私はこの指摘こそが的確だと思う。特に、学校という成果主義を持ち込むべき場所でないところにそういう考え方を持ち込み、ベテラン教員が未熟な教員を見下しいじめるという、本当に情けない事態であると思う。

 さて、翻って皆さんはそういった行為に及んでいないだろうか。クラスで、部活動で。自分あるいは自分たちが優勢に立っていることを根拠に、他人あるいは他のグループに嫌がらせをしているということはないだろうか。また、兄弟間ではどうだろうか。

 人間は集団でないと生活できない。だからさまざまな集団(生活単位)〜家族、クラス、部活、大人になれば同僚〜がある。その中ではいつも自分の立場をわきまえて、少なくとも他のメンバーを見下すようなことがないようにしないと、どの集団でもうまく機能しなくなる。その集団の中で辛い思いをしている人がいないような社会を作ることは私たちの責務である。  先月も話したが、友だち同士でまたこの問題について話してほしい。




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Last-modified: 2019-11-03 (日) 07:30:33