校長室より

創立130周年記念式典より

2023年10月31日 16時22分

式辞

 秋の穏やかな日差しの中、本校創立130周年の記念式典が挙行できますことを、校長として嬉しくまた誇らしく思います。最近は、周年行事を簡素化する傾向があるところですが、私は現在の本校で学ぶ生徒の皆さんや教鞭を取られる先生方には、これまで連綿と受け継がれてきた伝統やそれをつないで来られた先輩諸氏、その学校生活を見守り続けた校舎施設、などに思いを寄せることで、受け継いできた輝かしいバトンをさらに磨きをかけて次の世代に引き継いでほしいと願っており、その契機になれば、という思いで今回の式典を挙行することとしました。 

思い返せば、私が高校3年生だった昭和58年に、本校創立90周年の記念式典が、現在の高松ミライエの場所にあった高松市民文化センターで行われました。当時の私は気づきませんでしたが、この周年行事の主催者は、同窓会である玉翠会が主体であった実行委員会でした。平成5年の創立100周年の時には、高松市総合体育館において盛大な式典が行われ、その前日に香川県民ホールにおいて行われた音楽会と合わせて大きな記念行事を開催しました。また、この年は第九演奏会も8月に県民ホールで行い、演奏、聴衆両方に大勢の方が集まって壮大な演奏会となりましたが、これらもすべて玉翠会が主体でした。110周年の年には、現在も朝夕ごとにプラザに響いている『独立自主の鐘』と、校長室前にある旧校舎の模型4種類のうちの2棟を玉翠会よりご寄贈いただきましたし、120周年の年にも、校舎模型のうち教室内部を再現した1棟をご寄贈いただきました。今回の130周年においても、玉翠会のご協力で記念誌を発刊することにしていますが、これまでのような冊子ではなく、Web上で公開する新しい形式にしています。生徒の皆さんにも後日パスワードを配布しますので、ぜひ玉翠会のサイトをのぞいてみてください。

 さて、本校の130年の歴史は、昭和24年の統合を境に前56年間と後74年間に分けることができます。

統合前に男子校であった旧高松高等学校は、明治26年、政府が教育制度の近代化、西洋化を目指すなかで、帝国大学への学生輩出を目途とするいわゆる第一中学校として設立されました。当時の名称は『香川県尋常中学校』といい、場所は現在の高松工芸高校が建っている場所、土地の大部分は旧藩主の松平家から寄付されたものでした。校章は二本のペンとそれを貫くホコ、現在は三本のペンとホコで三角形になっていますが、その原型となったひし形のものでした。その後、法令改正に伴って『香川県立高松尋常中学校』、『香川県立高松中学校』と名称を変え通称『高中』と呼ばれるようになります。ちなみに、これは以前にも紹介しましたが、高中の校歌の歌詞は、別のメロディを付けて応援歌『朝日輝く』として残しています。 

一方、統合前に女子校であった高松高等女学校は、私立の『進徳女学校』として明治24年、高中より早く設立されます。場所は天神前にあったお寺の書院を借り、教育内容は和漢と家事、つまり今でいう国語と家庭科でした。その2年後、高中の創立と同じ明治26年に『香川県高等女学校』と改称し、場所も現在本校が建つこの場所に移転したことから、この年を本校の創立年とし、ここから数えて今年が131年目となるのです。明治34年には、当時の美術教師が卒業生のための寄せ書きに描いた図案をもとに「雪持笹」が校章として制定され、現在までほぼそのままに122年の間受け継がれています。明治35年に県立に移管したことから学校名が『香川県立高松高等女学校』となり『県女』の呼称が定着します。

第二次世界大戦の終戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指揮のもとで日本が急速に民主化されるなか、日本国憲法や教育基本法なども次々と制定されて学校制度は現在の形に整理されます。それに従って昭和23年、高中は『香川県立高松高等学校』に、県女は『香川県立高松女子高等学校』にそれぞれ改称され、高中側に通信制課程が、県女側に定時制課程が設置されます。そして翌年の昭和24年に両校が統合されて男女共学の『香川県立高松高等学校』が再編成され、定時制、通信制の両課程もそれぞれ共学となります。校舎は県女側の鉄筋3階建ての校舎が戦禍を免れていたのでこの場所を本館、戦争で被災した高中側の校舎を西館として、しばらくは両方を行き来しながらの学校生活でした。やがて鉄筋校舎の増築が進んで全ての授業をこちらでできるようになった後に、西館はグラウンドの半分と合わせて高松工芸高校に譲渡されました。また、同窓会も統合され、高中の同窓会『玉藻会』と県女の同窓会『晩翠会』から一文字ずつ取って『玉翠会』が発足します。一方、統合されなかったものもあって、例えば校章は2種類が並存する全国でも珍しい学校となっています。当時、校章を統一する考えもあったようですが、生徒のアンケートでは半数強が統一に反対で、賛成は26%にとどまったようです。恐らく、両校の伝統や特色を残したという思いが強かったのではないかと想像します。実際、統合前には統合そのものへの反対もあったようで、高中の2割ほどの生徒、県女にいたっては大部分の生徒が反対だったそうです。しかし、統合後の学校生活は予想以上に順調だったようで、統合から100日がたって行われた生徒と先生方による座談会では、心配されていた両校の学力差が感じられないことや、今でいう校友会活動が共学になって大いに盛り上がったことなどが語られています。また、統合後初代の自治会長は男子生徒が就任しましたが、二代目の自治会長は女子生徒が選出され、この男女共学における女性会長は全国でも初めてのことだったそうです。以降、昭和25年度に女子の制服が戦前のセーラー服から現在のブレザー型に改められたり、昭和26年度に現在の校歌が卒業生の河西新太郎氏作詞、芥川也寸志氏作曲で作られたり、昭和27年度に現在の学年章のバッジが制定されたりして、現在の本校の原型はこの頃にできあがります。 

統合後の74年間の歴史の中で最大の出来事は、やはり校舎の大改築でしょう。旧校舎は昭和13年に県女の校舎として建てられたもので、当時としては近代的で立派な建物であったものの、50年を超えて老朽化が進んでいたことに加え、増築を繰り返した不具合、新しい教育方法への対応不足などが目立ち始めたことから、本県の基幹校としてふさわしい校舎機能に刷新するべく、昭和61年、体育館の建築工事を皮切りに改築が始まりました。昭和63年に体育館が落成、平成3年に現在の新校舎が落成、平成5年にグラウンドが竣工、平成8年にアルカディアや部室棟が竣工と、実に足掛け10年の大工事によって建造物のほとんどが生まれ変わりました。残っているのは、旧正門が北東の角に、旧校舎の中庭にあった大楠など何本かの樹木がグラウンド東面のメモリアルゾーンに、旧校舎内の木造階段や円柱などが図書館前の階段横に、などいくらかだけです。旧校舎で学んだ卒業生にとっては一抹の寂しさもあったものの、新築なった現校舎は、やはり立派で壮麗なものでした。建築当時、校舎の5階建ては県下にまだなかったのですが、玉翠会の所有であった玉翠会館を上に載せるという理由で建築許可がおり、またそこへ出入りされる同窓生の利便性を考えて、これまた県内でまだなかった一般校舎でのエレベーター設置が実現しました。新校舎の特色としては、第一に「教える学校から学ぶ学校へ」ということがあげられ、各フロアに各教科のメディアセンターやゼミ室といった「学びの場」とコモンスペースの「談話の場」を設置したことで、生徒が自主的かつ主体的に学びを深める仕掛けを用意しました。第二に「快適な生活空間の形成」があり、コモンスペースや校舎中央に設けたプラザを利用して、生徒が交流や団欒を深める場としています。建築当時としては斬新で重厚なつくりのこの校舎も、今年で33年目を迎えるに至って、少し傷みが見られる場所や、ノンバリアフリーなどの設計の古さが見られる点も出てきていますが、校舎建築に込められた本校への思いや理念は、確実に伝承されているものと考えます。

理念と言えば、本校には校訓と呼ばれるものがなく、校歌に歌われる『独立自主』の精神が受け継がれていることは周知のことでしょう。この『独立自主』は単なる個人的な自由や気ままといったことではなく、社会や人類全体を俯瞰したうえでの高邁な理想や崇高な精神を胸に、自らの使命を自らの才覚と努力の積算によって実現させていく高高生の姿を表現した言葉だと思います。校歌に歌われたから高高生の本懐となったのではなく、当時の高高生に備わっていた気風を歌詞の中に落とし込んだものだと考えます。例えば、戦争中の高中時代には軍事教練という軍隊用の訓練が教育活動に組み込まれましたが、実は「高中の軍事教練は県下最低」と評されていたそうですし、そのことを当時の校長先生は怒らなかったそうです。また、進学先も軍関係の学校がことさら増えることはありませんでした。世間にまん延する軍国主義に踊らされることなく、「至誠一貫」「文武両道」を合言葉にあくまでも上級学校への進学と運動競技での全国優勝を目標に高中生は燃えていたのです。一方の県女においても、高松空襲によって県庁の庁舎が焼失したため、県女の校舎は一時期県庁の庁舎として使用されることになったのですが、このとき、それまで女子生徒が雑巾で磨き上げてきた木製の廊下を、県庁の職員が土足で歩くことに我慢ができなかった生徒の代表が、県知事のところへ直訴に行ったという逸話が残っています。どちらの事例も、自らの存在に使命感や誇りを持ち、それに照らして理不尽なことには合理的に反駁する、そんな『独立自主』の姿を見ることができます。 

このような本校からの薫陶を受けて巣立たれた卒業生は、全て合わせて55,657名に上ります。そのなかには、明治の文豪、菊池寛氏のように後世に大きな足跡を残された方もおられますし、政治家の玉木雄一郎氏や女優の高畑淳子氏のように、今現在テレビで拝見する方もおられます。各界において活躍する卒業生たちの存在は、まさに綺羅星の如しと言えるでしょう。しかし、いわゆる有名人ではなくとも、本校の卒業生はそれぞれの地域や家庭を支える人材であり、各自の個性と能力を発揮することで社会に貢献する粒よりのスターであることもまた確かです。 

昨年からのウクライナ侵攻や最近の中東情勢など、世界には戦争や紛争が絶えません。また、気候変動や環境破壊など地球規模で深慮すべき課題も山積しています。現役生徒の皆さんがこれから巣立ちゆく社会は、諸問題が複雑に絡み合い正解のない状態に見えるかもしれません。しかし、だからこそ皆さんには、『独立自主』の精神のもと、本校で身に付ける豊富で高度な見識と豊かでたおやかな人間性を生かして、与えられた状況のなかで最適解を見つけるために、自らの頭で考え、自らの腕で切り開いた道を、自らの足で歩いていく人間であって欲しいと思います。そしてそのために、本校が「教わるのではなく学ぶ」ための場であるという真の意味を理解し、その姿勢を体得して欲しいと願っています。その積み重ねこそが、本校が10年後も20年後も本県の基幹校として輝き続ける唯一最大の方法であると考えます。現役の生徒諸君と先生方に、改めてその願いをお伝えし、130周年記念の式辞といたします。

令和51031

     香川県立高松高等学校長 中筋功雄