う〜ん、むずかしいなぁ〜。
宣言したこととはいえ、なかなかまとまらない。。。
冬休みもあと少し、とりあえず、思いつくまま書いていくとするか。^^
そういえば、FUJIフィルムのCMだったと思うけど「Photo is ・・・」ってのがあったっけ。『うまいこと言うよなぁ』って感心した記憶があるんだけど、あれ何て言ってたんだろう?
人間の記憶なんてのはずいぶん曖昧なものです。*1
眼から入ってくる情報は、脳に入りそれが何であるのか認識するのでしょうが、それがどんなに感動的な情景であろうが、どんなに大切なものであろうが、忘れてしまうものです。ときおり記憶が10分もたない病気や痴呆症の番組を見かけますが、誰しもが忘れることへの恐れや戸惑いがあるのだろうと思ったりします。
永遠の美と生を希求したクレオパトラのように、人類は永遠の記憶を追い求め、絵画に没頭し、文章を書き、音楽を奏でてきました。そして今日、フィルムであれ、CCDであれ、機械によって記録された画像は、永遠にその姿をとどめることに成功したようです。単なる記録であった写真は、人の記憶の中にあって初めてその輝きを保ち続けることができるものなのでしょう。そして思い出の中に刷り込まれていく。そんなものなのかもしれません。
最近、カメラを肌身離さず持っていて、気になった風景を撮っています。本当に何気なくシャッターを押しただけなのに、いままで流れていた風景がぴたりとそこにとどまって、自分の記憶にある。これはとても不思議な感覚です。”プリクラ”が流行った頃、自分専用のプリクラアルバムをしょっちゅう見ていた女子高生も、カメラ付携帯で撮りあう若者も、ずっと昔から知っていたことなのでしょうね。
* * *
と、ここまでは記録が個人的な記憶につながっていく、という話。そして、やがていろいろな人々の記憶がぶつかり合い、溶け合って「共感」や「反発」などをうむことによって、写真は社会の中で広がりをみせていく。
12月にデジタル写真講習会がありました。講習内容にこのようなものがありました。人間の眼は同じ色を見つづけていると、色情報を捨ててしまう。例えば、手術室のお医者さんは「緑」の術着を着て血の色である「赤」に鈍感になるのを防いでいるという。これは眼や脳が疲れないようにするために備わっている能力で、誰もがそうなっている・・・といったもの。
考えてみれば、「なんでもない日常にいちいち敏感に反応して記録する」ということは実はとても疲れる大変なことです。色と同じように見るもの聞くもの、五感によって得られるすべての情報を記憶することは不可能です。情報を捨てつづけることによって毎日が成り立っているとも考えられます。だからこそ「忘れたくない」と思うのかもしれませんね。
写真は「記憶」
流れていく時間を写し止め、記憶につなぎとどめるもの。
Photo is Memory.