集会などで訓辞された内容を中心にお知らせします。

令和3年2月 全校集会講話(2月1日(月))

 今日からは3年生が家庭学習に入った。これは、3年生の多数が大学受験に出かけるために、学校が授業をしても多くの者が出られないということから始まったものであろうと思うが、歴史は古く、私が高校生の時には既にあった制度である。今日からは完全に2年生は3年生の役割を、1年生は2年生としての役割を自覚して生活してほしい。よく「2年生の0学期」「3年生の0学期」というように言われる。その自覚を持って臨むと、大学にも現役で合格できるとか、ワンランク上の大学を狙えるということである。皆さんにも是非とも実践しもらいたい。

 さて、今日は女子の割合が多い坂出高校ということで、今からの話をしたいと思う。皆さんはあまり意識したことがない人が多いと思うが、全校生約800人のうち、男子が300人、女子が500人というのが坂出高校の大雑把な男女比である。

 およそ2年前のことだが、朝日新聞が数回にわたって「サヨナラしたい8つの呪縛Dear Girls」という特集記事を掲載した。 この特集は、私たちの身の回りにあるジェンダー(社会的な性)をめぐる固定的な考えがあふれ、一人ひとりが進みたい道を選べなかったり、生きづらさを感じたりしていることを、もう終わりにしようという趣旨で始まったもののようだ。したがって、女子だけでなく男子にもしっかりと聞き、考えてほしいと思う。また、この2年足らずの間に、状況に変化がないように私が感じていることも、今日皆さんにこの話をするきっかけになった。

  〔連載1回目〕「声あげる女性 黙れの空気」  SNS等で自分の意見を発信した女性に対する「バッシング」。例えば、会社員時代に先輩社員からセクハラやパワハラを受けていたことを告白したある作家の告白に対して、「なぜ今頃言うんだ」、「売名行為だ」とかのバッシング。タレントのローラさんが、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事中止を求めるネット署名への参加をSNSで呼び掛けたところ、「タレントのくせに政治に口を出すな」、「芸能界から干されるぞ」とのバッシング。ある女子大学生が女性蔑視的な特集を載せた男性週刊誌に、記事取り下げと謝罪を求めるネット署名を開始し、編集長らと対談すると、「自分だって男性蔑視的な発言をしていたくせに」、「この子就職できないね」とバッシング。 このような事態に対して、地方議員や弁護士など7名が東京都内で記者会見を開いた。  「声をあげる人、とりわけ女性に対して『黙らせてやろう』という圧力を感じる。でも、私たちは絶対に黙らない、という姿を見せたい。」とそのうちの1名が力強く語った。







3年生最終登校日講話 〜教師冥利に尽きる〜 1月29日(金)

 つい先日、私が最初に勤務した学校の生徒から電話がかかって来た。その生徒は、担任をした生徒ではなく、部活動で関わった生徒である。

 その部活動というのは、野球部。教員になってからは卓球部の顧問をしていたが、教員生活4年目に、野球部の顧問をしていた先生が異動され、野球部は指導者が足りなくなった。そこで、経験など考慮せず、「若い」ということと、当時の野球部の監督と同い年の同期採用という理由からであったと思われるが、野球部の副部長を引き受けてくれないかとの話が、年度末に突然舞い込んだ。プロ野球観戦は好きではあったが、野球に関してはまったくの素人、しかも副部長というのは単にお飾りではなく、実質的にはノッカー。野球部以外の人にはわかりづらいと思うので説明を加えるが、守備練習のために野球のボールを転がしたりフライを打ち上げたりすることを「ノック」と言う。ノッカーというのはそれをする人ということである。

 硬式野球のボールがどんなものかというのは、野球部以外の人はほとんど知らないことと思う。どれほどの大きさで、どれほどの重さなのか。だいたい、男子のこぶしを球形にしたほどの大きさで、とにかく硬くて重たい。ほとんど「石」と表現してもよいほどの代物である。そのボールをバットでノックするというのは、自分の想像以上に身体に相当な負担がかかるものであった。特に負担がかかったのは、手。クローブを着けてはいても、手にマメができる。マメがつぶれると痛いので、テープを巻く。それでも手の指の皮が剥がれる。車のハンドルを握るのもつらいほどであった。それでも監督一人にノックまで任せると監督一人にすべての負担がかかるので、素人の自分にでもできるノックを毎日行った。また、監督にしかできない戦術にからむ練習をしているときには、グランドの草抜きをしていた。グランドに草が生えていると、ボールがイレギュラーを起こすことがあり、けがの原因にもなるのだ。ある程度覚悟して引き受けたものの、肉体的に本当に厳しい毎日であった。平日は家(当時は一人でアパート暮らし)に帰るのは21時〜22時頃、土日にも必ずどこかの学校に引率しての練習試合。しかも当時は、生徒を自分の車に乗せることが普通に行われていた。夏の大会の前に行なった合宿の時には疲労がピークに達し、授業をしながら教卓に肘をつけば即眠りに落ちるであろうというほどの疲労困憊な状態だった。実際に眠りに落ちはしなかったが。

 部員たちは、素人の私のノックも一生懸命に受けてくれた。電話をくれた教え子によれば、「黒島先生のような素人が、手をマメだらけにして、一生懸命自分たちのためにノックをしてくれている。たとえそのノックが下手でも、一生懸命にしないわけにはいかんやろ。一生懸命練習しない奴はダメだ」と陰で言ってくれていたそうである。私としては、同期の先生が監督を行っており、それを助けてやりたいという気持ちから最終的に引き受けたということも話したが、その元生徒はそれも知っていた。「先生のそういうところが素晴らしいと思った。つまり、素人なのに、一人で困っている監督を助けようと副部長を引き受けたこと」という言葉ももらった。「〇〇冥利に尽きる」という言葉があるが、この言葉を聞いて私は本当に「教師冥利に尽きる」と感動した。同時に、「やはり高校生ともなると生徒も見ているものだなあ」と、感心した。また、本当にきつい1年間だったけれど、副部長を引き受けてよかったなぁと、心からそう思った。しかし、年度末の人事異動でほかの学校に転勤となり、それ以来野球部とは関わっていない。 振り返ってみると、これまで37年近く学校で勤めてきたが、そこまで一生懸命に日々を過ごしたことはなかったように思う。もちろん、さまざまな面で慕ってくれたり感謝してくれたりした生徒たちもいたが、これほどまでに自分の行為に感謝し、覚えていてくれる、しかも自分と同じ教員の道を選んでいるということはなかった。本当にこの電話は思いもよらぬ「贈り物」であった。もっと早くに生徒たちがこういうふうに思ってくれていたということを知っていれば、自分の教師生活も何か違ったものになっていたのではないかとさえ思う。それほどにうれしい電話だった。仕事というのは、これほどに他人から感謝され、やりがいを感じるというのは本当にほとんど「ない」ことであると思う。

 さて、皆さんはこれから大学進学を目指す人が大半であるが、数年後には何らかの職に就くことになる。どの職にせよ、自分が就いた職で一生懸命にがんばって、私のように定年間近になってもいいから「この職でよかった」と思えるようになってほしい。誰かがこのように行ったと記憶している。「だれも見ていないんだから。」という他人からの言葉に対して、「バカ言っちゃいけないよ。お天道様が見ているじゃないか。」という言葉。素晴らしいと思いませんか。誰に見られているからとか、人からどう評価されるかというようなこと抜きに、自分がどう生きるか。結局、他人はそこを見ているということです。皆さんにもそういう人になってもらったらいいなという思いで、こういう話をした。

 さて、受験。最後の最後まで頑張りぬいてほしい。3学期の始業式で言ったと思うが、皆さんの先輩もそうやって第一志望校合格を勝ち取って来た。そして、不思議なことだが先輩ができたことは皆さんもできる。それが「伝統」というものの強みである。

 最後に、3月5日の卒業式。全校そろってはできない可能性が高い。今後の学校からの連絡を待ってほしい。


 

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