校長室から

250408 令和7年度 入学式式辞(校長室から)

2025年4月8日 17時00分

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式 辞

 うららかな春の陽ざしにつつまれ、桜花爛漫となった今日の佳き日、PTA会長鎌田万里様のご臨席と保護者の皆様のご列席を賜り、香川県立坂出高等学校令和七年度入学式をこのように盛大に挙行できますことを、教職員一同を代表し、心からお礼申し上げます。

 ただいま、入学を許可いたしました普通科二二八名、音楽科二五名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんは今、これから始まる坂高生としての学校生活を想い、期待に胸をふくらませていることと思います。

 皆さんが入学した坂出高校は、大正六年、一九一七年に、香川県立坂出高等女学校として開校しました。その後、幾多の変遷を経て、戦後の昭和二四年、高等学校再編成により現在の校名となり、男女共学の学校となりました。また、昭和四二年には音楽科が設置され、現在の坂出高校の形になりました。今年、創立一〇八周年を迎え、国内外の様々な分野で活躍する、約三万名の卒業生を輩出してきた伝統のある学校です。  

 そして、坂出高校のシンボルともいえる堂々たる白壁と松の緑に囲まれた、落ち着いた環境の中、生徒と教師が一丸となって、日々、活気あふれる教育活動を繰り広げています。そのような坂出高校の一員として、本日皆さんを迎えることができ、大変うれしく思います。

 さて、坂高生となった皆さんに、これからの高校生活の指針として、ぜひとも覚えておいてほしい言葉があります。それは、正門を入って右側の石碑に刻まれている言葉で、坂出高校のモットーであり、校歌にも歌われている「高邁自主」という言葉です。少し難しい言葉ですが、「高邁」とは、「気高く、高潔なこころざし」という意味で、「自主」とは、「人から言われるのではなく、自分の判断で自ら行動を起こす」という意味です。

 つまり、「高邁自主」とは、「高いこころざしを掲げ、自主・自立の精神をもって、その実現に向け、邁進する」ということです。坂高生はこの言葉を胸に、学業や部活動、学校行事などに向き合い、成果を挙げてきました。皆さんも、先輩に負けることなく、高い目標を掲げ、今日からこの言葉を実践してほしいと思います。

 そして、「高邁自主」を実践するうえで、大切となる心構えが「パティマトス」です。「パティマトス」とは、正門を入って正面にある石組みに刻まれた言葉です。これは創立五〇周年を記念して、当時の校長が本校で学ぶ生徒に贈った言葉です。「パティマトス」とはギリシア語で、「英知は苦難を通じて来たる」という意味です。つまり、「高いこころざしを実現するためには、苦しい努力が必要である」ということです。

 「高邁自主」と「パティマトス」、これが坂高生の精神、坂高スピリットと言えます。これからの高校生活において、もし道に迷うようなことがあったとしたら、この言葉は、きっと皆さんの道しるべとなり、進むべき道に導いてくれるはずです。

 現在、社会は、グローバル化やAIをはじめとする技術革新が急速に進み、未来を予測することが非常に困難な時代を迎えています。さらに、貧困問題や環境問題など、課題は山積しており、世界各地で多発する紛争や内戦では、多くの尊い命が奪われ、いまだその終息は見えません。また、国の内外を問わず、未曾有の自然災害に見舞われるなど、世の中は混沌とした様相を呈しています。

 このような時代において、皆さんが将来をたくましく生き抜いていくためには、さまざまな課題に対して主体的に関わり、他者と協働して解決に向けて粘り強く取り組んでいく力が必要となります。そして、この力は、「高邁自主」を基盤においた本校の教育活動によって培うことができると確信しています。皆さんが、学業、部活動、学校行事や生徒会活動に十分に励み、社会で活躍する人材に成長することを望んでいます。

 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様が本校に入学されましたこと、心よりお祝い申し上げます。法律的には、一八歳になると成人として扱われ、自分で判断し、行動することが求められるようになります。それだけに、高校三年間で、お子様には自主・自立の精神を養い、責任のある態度を身につけることが求められます。

 私たち教職員一同、お子様が充実した学校生活を送れるよう、全力で支援・指導にあたる決意です。あわせて、ご家庭におかれましても、お子様に対して適度な距離を置きつつも、時にきびしく、時にあたたかく見守ってください。ご家庭と学校が、車の両輪のように、十分に連絡を取り合い、協力しつつ、お子様の教育を進めてまいりたいと思いますので、ご理解とご支援を賜りますよう、お願いいたします。

 入学式にあたり、新入生の皆さんが、今日の感激と感謝を忘れることなく、坂高生として、学業に、また人間形成に大いに励み、素晴らしい高校生活を送ることができるよう期待し、式辞といたします。

令和七年四月八日
香川県立坂出高等学校長 渡邉 謙

250407 令和7年度始業式式辞(校長室から)

2025年4月7日 17時00分

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令和7年度 第1学期始業式 式辞

 おはようございます。いよいよ新年度がスタートしました。4月に入っても、まだ肌寒い日が続いていましたが、ここに来てようやく暖かくなってきました。

 皆さん、春休みはどうでしたか。新学年に向けて有意義に過ごせたでしょうか。

 新3年生の皆さんは、いよいよ最終学年として高校生活の集大成となる学年です。進路決定の大切な時期であるということは言うまでもありませんが、それだけに終始するのではなく、残された高校生活をクラスや部活動の仲間たちと十分に楽しみ、たくさんの思い出をつくってください。

新2年生の皆さんは、学校行事に、部活動に、その中心的存在となって活躍してください。そして、漫然と高校生活を送るのではなく、自分自身が誇れるもの、これだけは絶対に負けないというものをつくってください。坂高生の要(かなめ)として、坂高を引っ張っていってください。

 また、春は「出会い」と「別れ」の季節だとよく言われます。

 「別れ」ということでは、3月に卒業していった先輩たち、そして、先ほど離任のご挨拶をいただいた、お世話になった先生方との「別れ」があります。それぞれ勤務年数の長短こそありますが、先生方お一人お一人の言葉からは、坂出高校を愛する気持ち、皆さんのことを大切に思う気持ちが感じられ、そのお気持ちは違うことなく同じものだと思います。ぜひ、皆さんも先生方の思いを忘れることなく、これからも頑張ってほしいと思います。それが、お別れする先生方への恩返しになると思います。

「出会い」ということでは、明日は入学式です。新しい制服に身を包んだ新入生が入ってきます。皆さんは坂高の先輩として、新入生たちの模範となるよう、リーダーシップを十分に発揮してください。また、今日から新しいクラスとなって、新しい先生方や友だちとの出会いが待っていると思います。

 私は「すべての出会いには意味がある」と思います。そのときの「出会い」が、その後の人生を大きく変えてしまうこともあります。私自身、これまで多くの人との「出会い」や「別れ」を経験してきましたが、そのすべてが今の私を形づくっていると思います。今、こうして目の前にいる皆さんとの「出会い」、先生方との「出会い」も、私にとってはかけがえのない「ご縁」であり、その「ご縁」を大切にしていきたいと思います。皆さんも「袖すり合うも他生の縁」「一期一会」の気持ちを持って、これからもすべての「出会い」を大切にしてほしいと思います。

 さて、新年度の始業式にあたり、私から皆さんにもう一つお願いをしたいと思います。

 先日、かつて私が勤めていた学校の卒業アルバムを何気なく見ていると、授業風景と題したページに、たくさんの写真が掲載されていて、その中の一枚に、私が担任をしていたクラスの黒板のすみに、当時、私がよく書いていた言葉が写されていて、少し懐かしくなりました。その言葉は「勇気・やる気・根気」という言葉です。ある意味、言い古された、よく見かける言葉であり、あまり新鮮味のない言葉ですが、妙にその言葉に惹かれました。

 私自身、これまでの教員生活を振り返ったとき、やはり担任をしているときが一番楽しく、いろいろと苦しい場面もありましたが、一教師として充実していたように思います。それで、そのとき受け持っていた生徒たちによく言っていたのですが、誰しも多くの弱点や悩みを抱えて生きている。だからこそ、そういった自分の弱さに 目をつぶらず、夢や希望を膨らませ、一歩踏み出す、挑戦する「勇気」が必要だと。

そして、何事も「できない」のではなく、自分を甘やかしたり、周りのせいにしたりして「やらない」だけなのだと。ときどき、年配の方が「昔の子はいろいろできたが、今の子はできない」と言っているのを、耳にすることがありますが、私は「昔の子にできて、今の子にできないことはない。ただ、やらない、やらせないだけだ」と思います。まさに、「為せば成る」だと思います。

 もちろん、自分の弱さに負けず、夢や希望に向かって挑戦する「勇気」を持ち、「やる気」を奮い立たせて努力をしても、実現できないこともあります。いや、むしろ、現実にはそちらの方が多いかもしれません。それでも自分を見限ったり、あきらめたりせず、「根気」強く、辛抱強く、頑張ることが大切だと思います。ある意味、人生とは常に挫折感を持ちながら、挫折とともに歩んでいくものかも   しれません。

 ただ、そうした辛い思いや苦い経験を積み重ねながら「根気」強く生きることで、人は鍛えられ成長するのだと信じています。そして、ひいてはその人の人間としての幅や強さ、人生の豊かさにつながるのだと思います。そのときは、辛く、無駄なことのように感じたことも、あとで経験知として返ってくることがあります。私も「あのときの経験がこんなふうに生きてくるのか。あの経験をしていてよかった」と思うときが何度もありました。

 ぜひ、皆さんもどんな状況になっても、たとえ逆境が続いたとしても、その経験は絶対に無駄になりません。いや、そもそも人生に無駄なんてありません。根気強く、粘り強く、自らの人生を切り拓いていってください。

 少し長くなりましたが、新しい年度の始まりにあたり、皆さんに、すべての「出会い」を大切にすること、そして「勇気・やる気・根気」という三つの「気」を大切にしてほしいという言葉を贈り、始業式の式辞といたします。

250319 終業式式辞(校長室から)

2025年3月19日 17時00分

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3学期終業式 式辞

07.03.19

 おはようございます。

 今日で3学期も終わりますが、令和6年度は皆さんにとってどんな年だったでしょうか。

 1年生の皆さんは、中学校から高校に入学して、はや1年が経ちました。

 入学当初は、いろいろと戸惑ったこともあったのではないでしょうか。でも、日が経つにつれ、いつの間にか、その戸惑いや緊張感も薄れ、どこかで要領を覚え、手抜きをしている自分はいないでしょうか。もちろん入学当初の緊張感を持続する必要はないと思いますが、人間というのは弱いもので、易きに流れるのが人の常です。気をつけているようでも、無意識のうちに楽な方、楽な方へと舵を切ってしまいます。もし、心当たりがある人は、今なら十分間に合います。この春休みにもう一度、自分自身を見つめ、自分の弱点や苦手とする教科の復習をして、新しい学年を新たな気持ちで迎えてほしいと思います。

 2年生の皆さんは、勉強に、部活動に、学校行事にと、学校の中心的存在として活躍してくれたことと思います。そして、来年度はいよいよ3年生、最上級生です。この間、卒業していった3年生たちに負けないように、高い目標を持って邁進してください。まさに「高邁自主」の精神です。むやみに焦る必要はありませんが、計画的に着実に歩んでいってほしいと思います。

 私は1学期の始業式で、皆さんに2つのことをお願いしました。

 1つ目は、「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」、そのためには「自分に自信を持つこと」だと言いました。そして、自分に自信を持つには、自分との約束を守っていくことだと言いました。小さなことでも、少しずつコツコツと成功体験を積み上げていくことが自信につながり、前向きにしてくれるはずだと。誰も最初から完璧な人はいません。ぜひ、何事にもチャレンジ精神で、前向きに取り組んでいってほしいと思います。

 2つ目は、「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。何気ない毎日の中で、私たちは気づかないうちに、多くの人に支えられて生きています。当たり前のように日常を送れているということに、感謝の気持ちを持ち、そして、ささやかな場面においても、素直に「ありがとう」という言葉を口にしてください。「ありがとう」という言葉は、不思議なもので、自然と私たちを笑顔にしてくれます。笑顔は笑顔を生み、そうして笑顔の輪が広がれば、坂出高校はもっともっとすばらしい学校になると思います。

 さて、高校生活において、3月といえば、やはり受験や卒業といったものが頭に浮かびますが、私もこの2つにまつわる、思い出に残る生徒がいます。今日は、その生徒たちについて、少しお話をしようと思います。

 1人目の生徒は、私が若いころに勤めていた学校にいた生徒で、当時その学校の応援部で部員がいなくなり、なかば強制的に集められたのですが、みんなやめていき、1人の男子生徒だけが残りました。普段、その生徒はどちらかというと大人しい感じの生徒で、みんなの前で声をあげるどころか、クラスでもあまり目立たない存在の生徒でした。ところが、毎日毎日、運動場の片隅や、雨の日には体育館の軒下で大きな声で練習に励んでいました。最初は声が裏返ったり、文句を間違えたりして、その様子を見ている生徒たちからは少し笑われていました。でも、その生徒は本当に一生懸命、たった1人の応援部員と  して、日が暮れるまで来る日も来る日も練習に励んでいました。そうすると、しだいにその生徒の姿を見て笑っていた者がいなくなり、むしろ彼の声が校庭に響いているのが日常になり、彼の存在が他の部活動の部員たちを鼓舞する ようになりました。そして、その年の卒業式の日、すべての式次第が終わったあと、生徒、先生方、保護者全員が体育館に残り、みんなが見守る中で、その生徒がステージに上がり、頭にはちまきを巻いて、白い手袋をして、大きな声で、応援エールを披露しました。その声はもう裏返ったりすることもなく、体育館中に響き渡る、とてもすばらしく、たくましいものでした。私はあの時の彼の姿が、今も忘れることができません。

 思い出に残る、もう1人の生徒は、大学受験をめざし、私のところに毎日のように添削指導に来ている女子生徒でした。最初のころは、その大学のレベルにはほど遠く、志望校を代えてもいいぐらいでしたが、彼女は決してあきらめず、過去問や問題集を一生懸命解いて、私のところに持ってきました。そのうち、力もみるみる着いてきて、うまくいけば合格できるかも、というレベルにまでなりました。そして、受験をし、結果がどうだったのか、私も彼女の報告が気が気ではありませんでした。すると、しばらくして彼女が報告に来ました。その顔は笑顔だったので、私は良かった、合格したんだ、と思いました。ところが、彼女の口から出た言葉は不合格だったとのことでした。そして、一生懸命に指導していただいたのに、自分の力不足で申し訳ありませんでした、本当にありがとうございましたと、しっかりした口調でお礼を言ってくれました。私の方こそ自分の指導力不足を侘びましたが、普通、合格してお礼を言いに来る生徒はいても、不合格だったという報告を、しかも笑顔でお礼を言いに来る生徒はなかなかいないように思います。その生徒は笑顔のまま、頭を下げて帰って行きましたが、よく見ると目は少し腫れぼったく、赤みがかっていたのを、私は今も忘れることができません。

 3月の、受験シーズン、卒業シーズンになると思い出される2人の生徒であり、私は教師ではありますが、この生徒たちからとても大切なことを学ばされたような気がします。この話を聞いて、皆さんの心にも何か残るものがあればうれしく思います。

 それでは、また4月に、新しい学年となり、ひとまわり成長し、たくましくなった皆さんと、元気な姿でお会いできることを楽しみにして、私の話を終わりたいと思います。

250307卒業式式辞(校長室から)

2025年3月7日 17時00分

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式辞

 厳しい寒さもしだいに和らぎ、芽ぐみはじめた校庭の木々の梢に、確かな春の息吹が感じられる、この佳き日に、香川県教育委員会事務局人権・同和教育課長平尾浩一郎様、香川県議会議員尾崎道広様を始め、ご来賓の方々のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、令和6年度香川県立坂出高等学校卒業証書授与式を挙行できますことを、教職員一同を代表し、心からお礼申し上げます。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました241名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 今、皆さんの脳裏には、この坂出高校で過ごした3年間の、数えきれないほどの思いが去来していることでしょう。振り返ってみますと、皆さんは、まだ何かと制約があったコロナ禍の、厳しい環境のなかで入学し、一昨年の5月に、5類感染症の扱いになってからは、しだいに平常の学校生活を送ることができるようになりました。そのような3年間において、皆さんは常に前向きに高校生活を送り、さまざまなことを学んできたことと思います。

 日々の学業や部活動はもちろんのこと、多くの学校行事や生徒会活動に勤しむなかで、継続することの大切さや、困難に立ち向かい挑戦する勇気、そして仲間たちと喜びや悲しみを分かち合いながら、ともに支え合い、最後まであきらめずに、やり遂げようとする強靱な精神力など、本当にたくさんのことを経験し、身につけてきました。

 こうして今、皆さんの、頼もしく、凜とした姿を眺めていると、皆さんの成長を感じずにはいられません。皆さんは、私たちの自慢の生徒であり、坂出高校の誇りです。

 さて、現在、社会はグローバル化やAIをはじめとする技術革新が急速に進み、未来を予測するのが非常に困難な時代を迎えています。さらに、世界各地で多発する紛争や内戦では多くの尊い命が奪われ、いまだに終わりが見えません。また、国内においても、昨年の能登半島地震のような未曾有の自然災害に見舞われたり、目を疑うような事件・事故が毎日のように報道されたりと、世の中は混沌とした様相を呈しています。皆さんがこれから飛び込もうとしている世界は、必ずしも明るいものとは言えないかもしれません。

 しかし、一方で若い人たちの活躍に励まされる場面もありました。メジャーリーガーの大谷翔平選手や、将棋の藤井聡太さんの活躍は言うまでもありませんが、パリオリンピックでの日本選手の、特に若手選手の躍進は記憶に新しいところです。

 以前、東京大学の入学式で名誉教授の上野千鶴子さんが、現代社会を「正解のない問いに満ちた世界」だと言われました。確かに、皆さんは、これまでの学校生活では、テストに象徴されるように、「正解のある知」を求めてきました。しかし、人生を渡っていくうえでは、むしろ正解があることの方がまれです。特に、多様化・複雑化する価値観が交錯する現代社会においては、その傾向はより顕著になっていると言えるでしょう。知識だけではなくそれを活用する知恵を、インプットするだけではなくアウトプットする術を養わなければなりません。

 そのためには、何事も失敗を恐れず「挑戦する力」を、まわりの人と協働し助け合う「人間力」を、そして何より、いかなるときも学び行動し、探究し続ける「情熱」をもつことが大切だと思います。これらの力を身につけることは、坂出高校が教育目標として掲げる「社会の変化に柔軟に対応し主体的に行動できる、心豊かでたくましい人間の育成」につながるものと確信しています。

 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様が卒業を迎えられましたことに、心からお喜びを申し上げます。また、これまで賜りましたご支援・ご協力に、この場をお借りして、全教職員を代表し、厚く御礼を申し上げます。少し寂しくはなりますが、これからは手を離して、目を離して、しかし、心は離すことなく、新しい世界へと羽ばたいていくお子様をあたたかく見守り、応援してあげてください。

 卒業生の皆さん、皆さんはいろいろな人たちのおかげで、今日の日を迎えることができました。ご家族の方はもちろんのこと、地域の方々や多くの先生方、そして友だちや先輩、後輩など、陰になり日向になり、皆さんを励まし、支えてくれたすべての方々に、感謝の気持ちを忘れないでください。

 そして坂出高校で培った「高邁自主」・「パティマトス」の精神を、これからも強く持ち続け、高い志を掲げて、それに向かって邁進してください。意志あるところに道は開けます。

 惜別の情は尽きませんが、卒業生の皆さんの洋々たる前途を祝福し、式辞といたします。

令和7年3月5日

香川県立坂出高等学校長  渡邉 謙

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2025年1月8日 17時00分

式辞

皆さん、おはようございます。そして、新年、明けましておめでとうございます。

令和7年、2025年がスタートしました。この冬休み、皆さんはどのように過ごされたでしょうか。

ご家族と旅行に出かけたという人もいるでしょう。あるいは、遠く離れた親戚の方と久しぶりに会って楽しく過ごしたという人もいるかもしれません。3年生の皆さんの中には、受験勉強をしながら年を越したという人もいると思います。今、皆さんと、こうして元気に新しい年を迎えることができて、本当にうれしく思います。

ただ、社会に目を転じると、昨年は新年早々、能登半島地震や航空機の衝突事故という痛ましい出来事がありました。あれから1年が経ちました。年明けの新聞にも、能登半島地震を取り上げた記事が多く見られました。お正月、ふるさとで、また家族団らんで過ごしていた楽しいひとときが、一瞬で悲劇に変わりました。時や場所を 選ばない自然の脅威、天災の恐ろしさを痛感した出来事だったと思います。そして、地震の爪あとは1年たった今もなお至る所で残っており、一日も早い復興を祈るばかりですが、被災された方々の心に負った傷はなかなか癒えるものではないでしょう。

南海地震もいつ起こるか分かりません。「備えあれば憂いなし」という言葉もあるように、私たちも日ごろから災害に備えておきましょう。

また、世界各地で戦火は絶えず、世界で6人に1人以上の子どもが紛争下で生きているといった数字もあります。たまたま違う場所に生まれたというだけで紛争に巻き込まれ、多くの尊い命が今日も失われています。そう考えると、私たちにとっても、決してひとごとではないと思います。とはいえ、私たちは無力です。今すぐ何かできるというわけではないかもしれませんが、そういう人たちのことに思いをはせ、自分は何ができるのだろうかと考える。あるいは平和について考え、日々無事に過ごせていることに感謝する、それだけでも、まずは大切な一歩ではないかと思います。

さて、ここで少し、私自身の冬休みのことについて、お話をしたいと思います。私の年末年始の過ごし方ですが、前々から、いろいろなところから頼まれていながら、ついつい後まわしになっていたあいさつ原稿などの執筆に追われ、大掃除もろくにしないまま、年を越してしまいました。それでも、いつもの年とは少し違った新年を迎えようと、昔、私が小学生のころ、今はもう亡くなった父といっしょに初日の出を見に行っていたことを思い出し、息子をさそって初日の出を見に行きました。元来、私は出不精で、だいたい元旦は寝正月というのが例年のパターンなのですが、今年は息子も私のさそいにのって初日の出を見たいと言ったので、眠い目をこすりながら、久しぶりに見に行きました。

思ったより多くの人出に驚きながら、寒さの中、しばらく息子といっしょに東の空を眺めていました。途中雲が出たりして、少し危ぶまれた場面もありましたが、何とか初日の出を拝むことができました。とはいうものの、私は初日の出の由来や意味については、あまり知りませんし、拝み方も自己流です。調べてみるといろいろと説明がありましたが、それはそれとして、遠くに見える暗い山の稜線が次第に明るんで、一条の光が射し込んで来たときは、やはり何とも言えない緊張感に包まれ、来たる新しい年の幸せを願わずにはいられないような、新鮮で清々しい気持ちになりました。

考えてみると、太陽は、生きとし生けるもの、すべての生命(いのち)の源(みなもと)であり、「日はまた昇る」「明けない夜はない」などといった言葉もあるように、希望の象徴でもあります。そういえば、合唱部がよく歌っている「瑠璃色の地球」の歌詞の中にも似たようなフレーズがあったように思います。もし、今、皆さんの中に、何かに苦しんでいたり、悩んでいたりする人がいたとしても、いつまでも暗い夜は続きません。いや、むしろ、あの「パティマトス」にも示されているように、つらく苦しい時にこそあきらめずに努力を続けることが皆さんの進むべき道の指針となり、豊かな人生に導いてくれると言えるでしょう。以前読んだ本の中に、花が咲くためには朝の暖かさはもちろんだが、夜の冷たさや暗さが必要だという文句がありました。ぜひ、皆さんも花を咲かせるために、苦しさから逃げることなく努力を続け、豊かな人生を送ってください。

最後になりますが、3学期は1年間の総決算の学期です。3年生は、3月の卒業を控え、2月からは家庭学習に入り、いよいよ進路を決定するという、3年間の集大成の時期です。1・2年生は、1年間の総決算に加えて、新学年に向けての準備期間、いわゆる新学年のゼロ学期とも言えます。2年生であれば、受験生になるための準備期間。1年生であれば、後輩を迎え、学校行事や部活動などで中心となる2年生への準備期間です。もちろん、日々の学校生活の基盤である、あいさつや掃除なども大切にしてください。

最後の最後に、3年生の皆さん、高校生活も残りわずかです。目前に迫った入試への焦りや不安でいっぱいになっている人もいるかもしれません。でも、今までやってきたことに自信をもって、平常心で臨んでください。そして同時に、かけがえのない友だちや先生方と過ごす、高校生としての一日一日を大切にしてほしいと思います。

皆さんにとって、今年がすばらしい年になることを心から願って、3学期の始業式式辞とします。

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2024年12月24日 13時00分

第2学期終業式 式辞

皆さん、おはようございます。

 さきほど、多くの皆さんに表彰状を渡すことができました。皆さんが日ごろから頑張ってきた成果の表れだと思います。また、惜しくも今回は表彰まで至らなかった皆さんも、悔しさをバネに努力を続けてください。きっとすばらしい結果が待っていると思います。これからも皆さんの活躍に期待しています。

 さて、いよいよ2学期も今日で終わりです。そして、明日から冬休みです。2024年も残すところ、あと1週間となりました。皆さんにとって、2学期は、そして、この1年はどのようなものでしたか。満足のいくものだったでしょうか。それとも悔いの残るものだったでしょうか。思いはそれぞれだと思います。

 1年生の皆さんは、中学生から高校生という、さまざまな面で変化のあった、節目の年だったと思います。日頃の授業や部活動、先生や友だちとの関係など、期待とともに不安や戸惑いもたくさんあったことと思います。入学当初の気持ちは持続できているでしょうか。2学期も終わり、少し疲れたところが出てきたという人は、心機一転、新たな気持ちで来年を迎えてください。2年生の皆さんは、坂高生の中心的存在として、勉強に部活動に活躍し、先輩を助け、後輩の良き模範となり、昨年より一段と成長したことと思います。そして、以前話したように、勉強でも部活動でもこれだけは誰にも負けないという武器をつくってください。きっとそれが皆さんを上昇させる自信に繋がっていきます。3年生の皆さんは、年が明けると、いよいよ受験本番です。でも、まだ勝負はついていません。最後の最後まで、絶対にあきらめないでください。限界は、自分で決めるものです。自分の可能性を最後まで信じて頑張ってください。

 振り返ると、今年はオリンピックが開催されたり、ドジャースの大谷選手がメジャーリーグの新記録を樹立したりと、例年になく、スポーツ界がにぎわいました。先日、その大谷選手をよく知る方の講演を聞く機会がありました。その方は白井一幸さんという方で、本県出身で、かつて日本ハムファイターズで活躍され、最近では2023WBC侍ジャパンのヘッドコーチをされました。その方が言っていたのですが、大谷選手の夢はWBCで世界一になったり、メジャーリーガーとして活躍したりすることではなく、それはあくまでも結果論であって、彼の夢は「たくさんの人に夢や感動を与えられる野球選手」になることだそうです。

 その話を聞いて、これは私たちにも通じることのように感じました。難関大学に合格する、一流企業に入る、地位や名誉を手に入れる、それも大切なことかもしれません。しかし、私は、そういうことだけに終始するのではなく、皆さんには「人に夢や感動を与えられるような人」になってほしいと思います。では、どうすれば「人に夢や感動を与えられるような人」になれるのでしょうか。それは「何事も全力で取り組む人」になるということではないでしょうか。

 例えば、先ほど言及したオリンピックや、高校野球を考えてみてください。リレーなどの競技で優勝すること、甲子園に出て試合に勝つこと、それは  確かにすばらしいことですが、そういうことが必ずしも感動を生むとは限りません。たとえ優勝できなくても、たとえ試合に負けたとしても、全力で取り組む姿、泥だらけになって全力でプレーする姿に、私たちは感動し、熱い涙を流すのではないでしょうか。

 先ほどお話しした2023WBCの中国戦のとき、日本には少し力を抜いたような雰囲気があったそうです。ところが試合が始まると、雲行きが怪しくなってきた。そんなとき、ファーストゴロでも一塁に向かって全力疾走した選手が、その流れを変えたそうです。その選手こそ、ヌートバー選手。彼は相手を見て試合をしない。常に全力を出す選手だそうです。その後、彼が人気者になったのも頷けるエピソードです。

 この話に関連するものとして、ある童話を思い出してみてください。それは「ウサギとカメ」の話です。あの話はウサギとカメが競走し、ゴール手前で断然有利だったウサギが眠ってしまい、その間に後からやってきたカメに負けてしまうという話です。この話から私たちは何を学ぶのでしょうか。ウサギのように慢心してはいけない、最後まで油断してはいけない、カメのようにコツコツ努力することが大切だ、とういうことを教えられますが、私はもう一つ違った見方もできるような気がします。

 それは、ウサギとカメは、それぞれ見ているものが違うということです。カメは相手がウサギであれ、ライオンであれ、関係ない。ただゴールだけをひたすら見ていたのだと思います。それに比べて、ウサギはゴールではなく、カメを見ていた、つまり勝負の相手を見ていた。ウサギも、相手がヒョウやチーターなら油断しなかったでしょう。つまり、ウサギとカメの勝敗を決したのは、ウサギのように相手を見て勝負をしたか、カメのようにひたすら自分の目ざすゴールだけを見て勝負に挑んだかの違いだったように思います。つまり、カメにとってのライバルはウサギではなく、自分自身だったということです。

 これから皆さんが、高校生活や大学生活を送っていく中で、そして社会に出て人生を歩んでいく中で、本気で何かをやりたいと思ったとき、それを実現できるかどうかは、そう決意した自分との約束を守れるかどうかということです。もし、守れなかったとしたら、その程度の約束でしかなかったということです。どんなに周りに遅れをとったとしても、どんなに周りから嘲笑されたとしても、自分の夢に向かって、愚直なまでに、まっすぐ、ただひたむきに、全力で取り組んでほしいと思います。皆さんが、何事にも全力で取り組み、「人に夢や感動を与えられる人」になれることを願って、今年最後の終業式の式辞とします。

 皆さん、良いお年をお迎えください。そして、来年の1月8日、また笑顔で会えることを楽しみにしています。

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240902 2学期始業式式辞(校長室から)

2024年9月2日 13時00分

みなさん、おはようございます。

 約40日間の大変暑い夏休みでしたが、どのように過ごされましたか。

勉強や部活動に明け暮れたみなさん、遠くの親戚の方々と久しぶりに会って楽しく過ごされたみなさん、ご家族で旅行などに出かけられたみなさん、過ごし方はいろいろだったと思いますが、いずれも貴重な思い出になったのでは ないでしょうか。

また、この夏はオリンピックが開催され、様々なドラマが生まれましたが、県内出身の選手も活躍され、毎日、寝不足気味だったという人もいたのではないでしょうか。

私も、みなさんに負けないくらい忙しい夏休みでしたが、その話は後回しにして、まずは、みなさんが活躍されたことを見たり聞いたりすることがありましたので、そこからお話をしたいと思います。

 まず、インターハイにおいて、カヌー競技や水泳競技、少林寺拳法に出場されたみなさん、また、放送部や競技かるたで全国大会に出場されたみなさん、お疲れさまでした。思うように結果が出ず、悔しい思いをしたこともあったかもしれませんが、その体験は、決して無駄にはなっていないと思います。   努力は決して裏切りません。そして、吹奏楽部や合唱部のみなさん、コンクールでの活躍は、新聞などにも大きく掲載されましたが、次は全国大会です。しっかり、がんばってきてください。応援しています。この他にも、先ほど表彰されたみなさん、おめでとうございます。

 また、校内では、中学生を対象に、7月30日には音楽科の体験レッスン、31日には一日体験入学が実施されました。準備や案内、学校紹介などで活躍してくれた生徒のみなさん、並びに先生方、暑い中、本当にありがとうございました。500人を超える、たくさんの中学生が来校してくれました。大変ありがたいことですが、このことは、それぐらい、坂出高校は、中学生やその保護者に注目されているということの裏返しになります。つまり、ここにいるみなさんの態度や行動が、また私たち教師の姿が、外部の人たちの、坂出高校に対する評判や評価をつくっているということになります。これは、うれしいことであると同時に、身を引き締めていかなければならないと強く感じました。

 さて、まだまだ厳しい暑さが続いていますが、今日から2学期がスタートしました。まずは坂高祭が目前にせまっています。準備はどうでしょうか。計画通りに進んでいるでしょうか。今週末の本番に向けて、みなさんの頑張りには期待していますが、熱中症やけがには十分気をつけてください。

また、2学期は、部活動では新人大会や総文祭、12月には修学旅行など、大きな行事も控えていますが、同時に、1年生は文系・理系のコース選択の時期、2年生は進路を具体的に絞り込んで行く時期、3年生はいよいよ進路を決定する時期となります。

言うまでもなく、高校生にとって、進路に関わることは非常に大きな問題です。みなさん一人ひとりが、自分の目標に向けて、何をしなければならないのか。自分の強みは何で、弱みは何か。時には、非常に苦しい場面に直面することもあるかもしれませんが、困難から逃げずに、立ち向かって行ってください。まさに、「高邁自主」と「パティマトス」の精神で、乗り越えて行ってください。みなさんならできると信じています。

 最後に、私の夏休みの話をしようと思います。

先ほど言いましたように、この夏休みは大変忙しく、県内外の出張に追われる毎日でした。ただ、一方で、日ごろは経験できないような体験もさせてもらいました。

その中でも特に印象に残っているものを挙げると、8月4日から6日にかけて、岐阜県で開催された全国総文祭に参加させてもらったことです。来年、全国総文祭が香川県で開催されるということで、私は合唱部門の担当として、その下見として参加したのですが、全国から集まってきた生徒たちの合唱にかける思い、また、迎えてくれた岐阜県の高校生の熱意に触れるとともに、県を越えて楽しく笑顔で交流する姿に感動した2日間となりました。

また、8月22日、23日と、PTAの全国大会が茨城県で開催され、参加させていただきました。いろいろと実りの多い大会でしたが、中でも、大会2日目に開催された記念講演で、参考になる話をたくさん聞けましたので、そこからいくつか紹介したいと思います。講師は、もと、第72代横綱の稀勢の里という人です。知っているという人もいるのではないでしょうか。今は引退されて、二所ノ関部屋をかまえ、親方として、弟子の育成に尽力されています。お話の中で、印象に残っているものをあげると、四股やすり足などの基礎運動の大切さ、栄養と休息のバランス、受身ではなく自分の頭で考える、迷ったら茨の道を行くなど、ご自身の経験を踏まえながら、人材育成という観点からのお話でしたが、これらは相撲の世界に限ったことではなく、学校生活においても、あるいは社会に出て生きていく上においても通じるものであると思います。勉強でも運動でも基礎を大切にすること、休息をしっかり取ること、何事も主体的に取り組むこと、そして困難から逃げずに立ち向かうこと。みなさんにとっても参考になるのではないでしょうか。

 それでは、みなさんにとって楽しく充実した2学期になることを期待して、始業式の式辞といたします。がんばってください。

240719 1学期終業式式辞(校長室から)

2024年7月19日 17時00分

1学期終業式式辞

みなさん、おはようございます。今日で1学期も終わりです。

私は始業式で、2つのことをみなさんにお伝えしました。

1つ目は「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」ということ、

2つ目は「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。ささやかなことでも続けることの大切さ、それが自信となり、チャレンジ精神につながるとお話ししました。

 また、当たり前のように、日々穏やかに過ごせていることに感謝の心を持つ、思い通りにならず、相手や自分を責める前に「おかげさま」と感謝の心を持ち、ことばにする。それがいずれ幸せとなって自分に帰ってくるとお話ししました。

 あまりできなかったという人は、これを機にもう一度取り組んでみてください。

さて、1学期も終わり、明日から夏休みです。といっても課外があるので、完全に休みというわけにはいきませんが…、それでも日頃よりは自由な時間がとれると思います。自由な時間とは、縛られることなく自主的に使える時間とも言えます。何をするか、どう過ごすかを自分で考えられる時間です。

規則正しい生活をする、目標を立てけじめをつけて勉強に取り組むなど、生活面や学習面の具体的な取り組み方については、このあと生徒指導部や進路指導部の先生方からお話があると思うので、私からは、1年生、2年生、3年生の各学年の皆さんに向けて、私なりに思うことをお話ししたいと思います。

 まず、1年生の皆さん。入学してからこれまでを振り返ってどうでしょうか。合格発表のときのあの感激を忘れず、入学したときのモチベーションで日々取り組めているでしょうか。4月当初のノートやワークを見返してください。予習や復習で、びっしりと埋まっていたページに、すき間が増えていないでしょうか。

入学しておよそ3ヶ月半です。こんなはずじゃなかった、思っていた高校生活と違うと、気がつけば言い訳が多くなっていませんか。でも、不平や不満からは何も生まれません。周りのせいにする前に、自分にベクトルを向けてください。今、自分にできることは何か、何をしなければいけないのか、と自分に意識を集中させてください。

勉強が楽しくない、テストは嫌だと文句を言って高校生活を送ることもできますが、楽しくするにはどうすればいいのか、得意になるには何をすればいいのかと、ネガティブな思考からポジティブな思考へと変換してみてください。

 次に2年生の皆さん。あっという間に上級生となり、気がつけば学校の中心的存在です。そんな皆さんには、勉強だけでなく、いろいろなことを体験してほしいと思います。部活動、文化祭、ボランティア活動など、学校の中核となって、みんなを引っ張っていってください。そして、高校時代、自分はこれを頑張った、これだけは誰にも負けないと、誇れるものをつくってください。

中には、部活動や学校行事に一生懸命になると、勉強がおろそかになる、みんなに遅れをとると、不安になる人もいるかもしれません。でも、同じ目標に向かって頑張るというエネルギーは勉強にも通じます。一番いけないのが、部活動や文化祭の準備があるから勉強ができなかった、成績が落ちたと自分を正当化することです。忙しいときにどれぐらい頑張るかで、その人の値打ちが決まるような気がします。

最後に3年生の皆さん。受験に向けて、テストや課題、塾などに追われる日々。気持ちばかりが前に行って、思うようにはかどらず、自信をなくしてしまうこともあるのではないでしょうか。

「夏休みは受験の天王山」、よくそんな言葉を耳にします。それは事実だと思います。夏休みの過ごし方いかんで、今後の進路が決まると言っても間違いではないでしょう。でも、大事なのは、模試の判定などに左右され、不必要に焦るのではなく、自分の可能性を信じることです。

私は、これまで、いろいろな学校で、先輩講演会や記念講演会などで、多くの人たちの話を聴くことがありました。その講演された方々が、そろって口にする言葉があります。それは「失敗を恐れず挑戦すること」「自分の可能性を自分で決めない、努力と可能性は無限だ」ということです。

どうか、自分の可能性を信じて、一歩一歩、目標に向かって頑張ってください。

最後に、この夏はオリンピックが開催されます。さまざまなドラマが生まれることと思いますが、本県出身のバスケットボール代表選手である渡邊雄太選手の言葉を少し紹介したいと思います。

「高いところを目指しているからこそ、壁にあたるんだ」

「不安になったからといって状況がよくなることはありえないんで、とにかくできることを集中してやるしかない。」

 9月に頼もしくなった皆さんにお会いできることを楽しみにして、式辞を終わります。

240409 入学式式辞(校長室から)

2024年4月9日 17時00分

説明がありません

式  辞

 桜花爛漫となった本日、ここに、PTA会長 佐竹 直人 様のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、香川県立坂出高等学校 令和6年度入学式がこのように盛大に挙行できますことを、教職員一同を代表し、心から御礼申し上げます。

 只今、普通科228名、音楽科16名、計244名の入学を許可しました。皆さん、入学おめでとう。心からお祝い申し上げます。

 皆さんが入学した坂出高校は、大正6年、1917年に、香川県立坂出高等女学校として開校しました。その後、幾多の変遷を経て、戦後の昭和24年、高等学校再編成により現在の校名となり、男女共学の学校となりました。また、昭和42年には音楽科が設置され、現在の坂出高校の形になりました。今年度、創立108年目を迎え、国内外の様々な分野で活躍する29,000名を超える卒業生を輩出してきた伝統校です。そのような坂出高校の一員として、本日皆さんを迎えることができ、大変うれしく思います。

 さて、坂高生となった皆さんに、これからの高校生活の指針として、是非とも知っておいてほしい言葉があります。それは、正門を入って右側の石碑に刻まれている言葉で、坂出高校のモットーであり、校歌にも歌われている「高邁自主」という言葉です。
 「高邁」とは、「気高く、高潔なこころざし」という意味で、「自主」とは、「人から言われるのではなく、自分の判断で自ら行動を起こす」という意味です。
 つまり、「高邁自主」とは、「高いこころざしを掲げ、自主・自立の精神をもって、その実現に向け努力する」ということです。坂高生はこの言葉を胸に、学業、部活動、学校行事などに向き合い、成果を挙げてきました。皆さんも先輩に倣い、今日からこの言葉を実践してほしいと思います。

 そして、「高邁自主」を実践するうえで、大切となる心構えが「パティマトス」です。「パティマトス」とは、正門を入って正面にある石組みに刻まれた言葉です。
 今から59年前に、創立50周年を記念して、当時の校長が本校で学ぶ生徒に贈った言葉です。「パティマトス」はギリシア語で、「英知は苦難を通じて来たる」という意味です。つまり、「高いこころざしを実現するためには、苦しい努力が必要である」ということです。

 「高邁自主」と「パティマトス」、これが坂高生の精神、坂高スピリットと言えます。これからの高校生活において、もし道に迷うようなことがあったとしたら、この言葉は、きっと皆さんの道しるべとなり、進むべき道に導いてくれるはずです。

 現在、社会は、グローバル化やAIをはじめとする技術革新が急速に進み、未来を  予測することが非常に困難な時代を迎えています。さらに、世界各地で多発する紛争や内戦の問題のみならず、貧困問題や環境問題など、世の中は混沌とした様相を呈して  います。このような時代において、皆さんが将来をたくましく生き抜いていくためには、様々な課題に対して主体的に関わり、他者と協働して、解決に向けて粘り強く取り組んでいく力が必要となります。
 この力は、「高邁自主」を基盤においた本校の教育活動によって培うことができると確信しています。

 皆さんが、学業、部活動、学校行事や生徒会活動に十分に励み、社会で活躍する人材に成長することを望んでいます。

 保護者の皆様、お子様の入学、誠におめでとうございます。民法の改正により、法律的には、18歳になると成人として扱われ、自分で判断し行動することが求められるようになります。それだけに、高校3年間で、お子様には自主・自立の精神を養い、責任のある態度を身につけることが求められます。ご家庭におかれましても、適度な距離を置きつつも、お子様に対して、時にきびしく、時にあたたかく見守ってください。また、ご家庭と学校が十分に連絡を取り合い、お子様の教育を進めてまいりたいと思いますので、ご理解とご支援を賜りますよう、お願いいたします。

 最後に、新入生の皆さんが今日の感激と感謝を忘れることなく、学業に、また人間形成に大いに励み、充実した素晴らしい高校生活を送ることができるよう期待し、式辞とします。

令和6年4月9日

香川県立坂出高等学校長 渡邉 謙

240408 始業式式辞(校長室から)

2024年4月8日 17時00分

説明がありません

 おはようございます。いよいよ新年度がスタートしました。ついこの間、春休みに入ったばかりのような気がしていましたが、いつのまにか、桜の開花、満開を告げるニュースが聞こえてきて、あっという間に今日は始業式です。

 新3年生の皆さんは、いよいよ最終学年として、高校生活の集大成となる学年です。進路決定の大切な時期であるということは言うまでもありませんが、ただそれだけに終始するのではなく、残された高校生活を仲間たちと十分に楽しみ、たくさんの思い出をつくってください。

 新2年生の皆さんは、坂高生の要として、学校行事に、部活動に、その中心的存在となって活躍してください。明日は新入生が入学してきます。伝統ある坂出高校の先輩として、リーダーシップを発揮してください。

 さて、新年度に当たり、皆さんに、私から2つのことをお願いしたいと思います。
 1つ目は、「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」ということです。
 そのためには、「自分に自信を持つこと」です。でも、自分は何をやってもだめ、がんばっても続かないと、積極的になれないことがあります。どうしたら自分に自信を持つことができるのでしょうか。
 自信を育てるには、自分との約束を守っていくことです。相手との約束を守ると相手との信頼関係が生まれるように、自分との約束を守ると、自分への信頼感が生まれます。
 小さなことでも、少しずつコツコツと成功体験を積み上げていってください。
 例えば、朝、友達や先生方に気持ちの良いあいさつをする。迷惑をかけたときは、素直にあやまる。授業を真面目に受ける。掃除をきちんとする。などなど、まずは日常の、小さな、でも大切なことを一つ一つ実行していってください。そして、そういったことの積み重ねが自信につながり、皆さんをきっと前向きにしてくれると思います。

 2つ目は、「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。
 私たちは、ともすれば、何気ない毎日を当たり前のように受け入れてしまい、ときに、自分の思いとは違う場面に出くわすと、自分の運のなさを嘆いたり、相手を責めたりしてしまいます。でも、そもそも私たちが生まれてきたことが、ここにいるということが、当たり前のように日常を送れているということが、「有り難い」こと、つまり、「ありがとう」といえることではないでしょうか。
 相手や自分を責める前に、日々おだやかに過ごしていることに、こうしてみんなと出会えたことに感謝のこころを持ち、「おかげさま」とことばにしていきましょう。そうして、まいた感謝のタネが、やがて幸せの実を結び、皆さんに返ってくると思います。

 皆さんは、若いです。これからも悩んだり、寂しくなったり、思い通りにいかないこともたくさんあると思います。でも、そんなとき、すぐあきらめたり、投げやりになったりせず、少し立ち止まって、今日お話ししたことを思い出してください。

 幸せは、意外に、私たちのすぐそばにあるのかもしれません。

 それでは、皆さんが充実した学校生活を送ることを強く希望して、話を終わりたいと思います。

校長室から(R04~R05)

221223 2学期終業式(校長室から)

2022年12月23日 16時30分

2学期終業式式辞

坂高祭・音楽科研修旅行、修学旅行という大きな行事が、始まりと終わりにあった2学期ですが、9月中旬から12月にかけて、運動部では、新体制での大会、文化部と音楽科では、総文祭をはじめとしたコンクールに取り組み、成果をあげました。学習面ではどうでしたか?

 私は2学期にもうれしかったことがたくさんありました。今日はその1つである先輩講演会から話をします。

 坂出商工会議所の人から、坂高の卒業生にすごい人がいると教えてもらったのが、向畑憲良(むかいはたけ かずよし)さんです。向畑さんは、早くにネットショッピングがこれから発展する産業と見抜き、ネットショッピングのシステムを構築し、そのシステムを会社に使ってもらう事業を立ち上げました。そして現在では、向畑さんの会社のシステムを使ったネットショッピングの売上額が、10年連続国内第1位を維持するまでになりました。是非、この人の話を生徒に聞かせたいと思ったし、こんなすごい先輩がいることをみんなに知って欲しいと思いました。そこで、かわいい後輩のために話をして欲しいと、ダメ元で会社にメールを送りました。すると、広報担当者が丁寧に対応してくださり、講演が実現しました。
316101225_457723869828875_8755070057472004040_n 3年生は参加できませんでしたので、講演で私が聞き取って解釈したことを話します。向畑さんの主旨をきっちりと伝えられないところがあるのは許してください。

●求められる人材(どのような人と仕事をしたいか)について、向畑さんは5つ挙げました。

 ・1つ目は「誠実」であること。誠実な人とでないとビジネスはできません。
  人としても一番重要です。

 ・2つ目は「主体的」であること。
  何か問題があった時に自分ごととして取り組む人がいるほどチームはうまくいきます。

 ・3つ目は「積極的」な人。
  前向きな気持ちが大事です。消極的な人よりも、積極的な人と仕事をしたいです。

 ・4つ目は「他人を尊重」すること。
  仕事と割り切って接するよりも、相手を尊重することで、より大きな成果につながります。

 ・最後が「人間性と知性のバランス」。
  人柄だけ、もしくは知性だけでは不十分です。授業や部活動、コミュニケーションなど、
  学生生活でしっかり学んでください。

●高校時代にすべきこととして、次のようなことを挙げました。

 ・世界に関心を持ってください。
  いつもの集団での関わりだけでなく、他の集団と関わってください。
  少しずつでいいから自分の世界を広げることに挑戦してください。

 ・勉強すること。
  基礎知識は、ものごとを解決するために役に立ちます。
  知識がないと判断が難しい局面が、社会では必ず出てきます。

●自分が変わることを信じて欲しいと、次のようなメッセージをくれました。

 ・昨日よりも今の自分、そして10年後の自分。
  現在よりもどれだけ変化するか、その変化量を自分軸で意識して欲しい。
  自分軸とは自分の信念や価値観と言い換えることができます。

 ・いきなり10年後の自分軸を見つけることは難しいので、
  今は、勉強や部活動に一生懸命に取り組むべきです。
  そうすることで自分軸が少しずつ変わっていき、10年先の自分軸を見つけることができます。

●そして、向畑さんの自分軸として、起業した思いを次のように語ってくれました。

 ・世界に目を向けて世界の状況を知れば、自分さえよければという狭い視野ではいられない。
  だから、「社会をよくしたい」という思いで起業した。
  まだまだ満足していない。社会をよくするための努力はこれからも続けていく。

と話して講演を終えました。関心のある人は「向畑憲良 ブログ」で検索してください。
講演の内容が挙げられています。(https://note.com/muka_ms2004/n/n6e4ea5cafc79

 向畑さんの話にあった、高校で学ぶことについて、私もそう思いました。経験から学ぶことは大切です。しかし経験から学ぶことができるのは、狭く限定的なものです。身近な問題に対応するだけであれば、自分の経験だけで大丈夫かもしれません。しかし、新しい世界に飛び込んだ時や、全く新しい問題に対応する場合には、自分の経験だけでは対応できません。やはり、学校での学びは必要となります。授業などから学ぶ内容は、すぐには役に立たないことが多いのかもしれませんが、学んでいる内容は、先人たちの思考や研究を通して得られたものであり、それを学ぶことによって、皆さん方は「新しい視点を手に入れる」ことになります。その視点をもって、新しい世界で活躍できるのです。

 明日から冬休みです、3年生は間近に迫った共通テスト、その後の私立大学の試験や、国公立大学の個別試験に向けて、待ったなしです。そして、現在行っている演習は学んだことの再確認です。高校での学びの総決算として、しっかりと取り組んでください。

 1年生は、学習支援アプリを使って、学習時間の確認をすると聞きました。2年生は、各自に任されていると思いますが、自分の行動を振り返り、記録することは重要です。なんとなく1日を過ごすのではなく、振り返りをしながら、今日できたこと、できなかったことは何か、明日は何をすべきなのか、見通しを持った生活を送ってください。

 最後にプライベートなことから話します。私は一旦、地元宮崎県で就職しましたが、香川県に来ることになり、家族と会うことは少なくなりました。30歳を過ぎた頃から、家族との時間をもっと大切にすればよかったなどと思ったりします。皆さん方の中にも、ゆくゆくは県外で就職する人も多いのではないかと思います。県外で働くようになると、今、皆さんと一緒に暮らしている人、親、祖父母など、あなたたちの生活を支えている人と、ゆっくりと過ごす時間は、ほとんどなくなってしまいます。この冬休み、大掃除を手伝うなどして、家族との時間を大切に過ごしてください。3年生も、気分転換を兼ねて少しでもいいですから、家の手伝いをしてください。

 それでは、いい冬休みにしてください。以上で式辞を終えます。

校長室から(H30~R03)

平成30年度2月全校集会講話(2月1日(金))

2022年3月21日 09時09分

 普通、カレンダーでは1年は12の月に分けられているが、1年を24等分する24節季という季節の表し方がある。そのうち、多くの皆さんになじみがあるのは、「夏至」「冬至」「春分」「秋分」の「二至二分」というものと、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の「四立」(しりゅう)ではないかと思う。 そのほかにも、「冬ごもり中の虫が目を覚まし姿を現す」日とされる「啓蟄」(3月上旬)や、「穀物を育てる雨が降り、芽を出させる」日とされる「穀雨」(4月下旬)、「寒さが最も厳しい」とされる「大寒」(1月下旬)などは耳にしたことがあるのではないかと思う。

 今日(2月1日)、最も近いのはそのうちの「立春」である。今年のカレンダーでは、2月4日が立春に当たる。「立春」の意味というのは、読んで字のごとく「春の始まりであり、春の気始めて立つ」ということである。「この真冬に」と思う人が多いであろうが、この日から、いや今日から春が始まったという気持ちを持ってもらいたい。

 今日から3年生が「家庭学習」の期間に入った。よく3学期というのは「1つ上の学年の0学期」というようなことが言われるが、それはそういう気構えを持って学校生活を送りなさいという意味である。

 2年生の皆さんにあっては、ちょうど今日から1年後には3年生と同じく「家庭学習」が始まる。ということは、高校生活は実質的に残り1年という意味である。1年生の皆さんは2年生になるということで、後輩ができる。勉強にも部活動にも、また文化祭のような学校行事にも中心となって頑張る高校生活の中核となる学年を迎える。そういうこときちんと意識した生活を送ることを希望する。

 さて、半年近く前の話になるが、校長協会の方からちょっとしたアンケートを依頼され、あるクラスに回答をお願いした。そのアンケート自体は、本校にとって大きな意味を持つものではなかったのだが、パソコンを使って回答の集計処理をして驚いた。それは2つの事柄について。1つは、「あなたの集会での態度はどうですか。」という問に対して、「よく話を聞いている」という答えが4割、後の6割は「静かにしているが、あまりよく聞いていない」というものであった。これには正直、がっかりした。しかし、そのことを言ったある先生から、「じゃあ、先生は高校生の時、校長先生が何を言うかなと、期待していましたか?」と言われた。絶句であった。しかし、この問いは校長の講話だけについて尋ねているものではなく、生徒指導や進路指導の先生方の話、ひいては授業中の先生方の話にも通じているものと考えて「ぞっ」とした。皆さんはそれほどまでに、「人の話を聞いていない」ということか。

 もう一つは、「公共の場(バス・電車等の車内・路上等)での飲食についてどう思いますか。」という問に対して、4割の人が「迷惑な行為だと思うのですべきではない」と答えたのに対して、6割の人が「後片付けをきちんとすればしてもよい」と回答した。断言しておくが、これはしてはいけないことである。私は、若者の文化、若者特有の行動パターンや言葉遣い等をすべて否定するつもりはないが、この行為は明らかに「迷惑行為」である。このアンケートをお願いしたクラスでは、「あなたがルールを守る要因は何ですか」との問に、75%の人が「法律や校則で決まっているから」と回答したが、この行為は、6割の人が回答した「守ることが当然」の行為だからなのである。

 皆さんは、「高校には「道徳」の時間がないから、高校では道徳は教えないんでしょ。」と、思っている人がいるかもしれない。しかし、それは大きな間違いである。高校では、道徳の時間はないけれども、「教育活動全般の中で教える」と規定されている。私は、高校というのは、人生で最後の「教育機関」であると考えている。大学等ではなかなかそこまで面倒を見てくれない。行動の仕方まで注意してくれない。このアンケート結果を参考に、先生方とともに皆さんの今後の指導の在り方を考えていかなくてはならないと考えている。非常に残念な結果であったと認識している。

 皆さんの人生の先輩である先生方(先生というのは本来、先に生まれた人という意味だそうである。)、そして言うまでもないが保護者の言うことをよく聴いて「2年生0学期」「3年生0学期」のスタートとしていただきたい。

平成30年度3学期始業式講話(1月8日(火))

2022年3月21日 09時08分

   皆さん、あけましておめでとう。今年も皆さんが、まずは事故なく健康で、様々な分野で活躍してくれることを期待する。  さて、2学期の終業式で話したこと。「変わる」ということ。どのくらいの人「変わる」ために冬休みを利用できただろうか。急には変革できなかった人の方が多いとは思うが、「変わる」ということは大切なこと。今後とも心に留めておいてほしい。

 今日は3学期始業式にあたり、プロ野球の北海道日本ハムファイターズの監督である栗山英樹さんの著書『栗山魂』から話をする。私としては、栗山さんは同学年で、昭和36年生まれの57歳。しかも、私の中学時代の同じクラスの友だちと東京学芸大学の同級生であるということから、かねてから興味を持っていた方。2017年に出版された『栗山魂』(本校図書室にあり)を読み、彼の生き方、あるいは彼の考え方・言葉が皆さんの参考になると思い、年頭の講話に当たりこの話をすることにした。

 まずは栗山英樹さんという人について。

 小学校時代は自分のお父さんが監督を務める少年野球チームで活躍。エースで4番という絵に描いたようなエリート野球少年。中学に入っても野球を続けるつもりだった。しかし、進学した中学校の野球部は素人の監督率いるレクリエーションのような部。そこで、その学校で強く、当時人気もあったバレーボール部に入部。ところが、途中でけがのためバレーボールを断念。今度は、学校外の硬式野球のチームに入って活躍。 甲子園に出場したいと思っていたので、高校は昨年巨人の監督になった原 辰徳 氏が活躍した名門、東海大相模高校に進学しようと考えた。しかし、上背もない栗山さんが野球人としてのみ生きることを両親に反対され、創価高校へ入学。その学校は東大にも合格者がいる進学校だったようである。また、ちょうど野球にも力を入れ始めていた。 高校ではまずまずの成績を残せた。そこで役立ったのはバレーボール部での経験。跳躍や屈伸の動き、また、身体を投げ出してのダイビングキャッチなどが生かされた。しかし結局、甲子園には出場できず。 ならば、大学は「東京6大学」の1つである明治大学進学を心に決める。しかし、東京学芸大学にも合格し、「生涯野球に携われる指導者=部活動顧問」になるよう両親に説得され、兄も通っていた東京学芸大学に進学。身長も160cm足らず。そこでいったんは教師を目指して頑張ろうという気になったものの、プロへの未練が完全には捨てきれず、教員採用試験を受験せず。  たまたま大学の練習を見に来ていた野球解説者(佐々木進氏=「プロ野球ニュース」のキャスター)の口添えで、西武ライオンズとヤクルトスワローズの入団試験を受けるところまでこぎつけた。そして最終的には、ヤクルトが「面倒を見よう。」と言ってくれた。 「いきなり1軍では無理でも、2軍でならなんとかやれるだろう。」と思っていた考えはあっさり打ち砕かれる。それほど「プロ」の世界は人材が豊富であるということ。そんなことで、栗山さんは、「イップス」という、精神的なものが原因でスポーツの動作に支障をきたす運動障害に陥った。それでも当時の2軍監督が猛特訓してくれたおかげもあり何とか蘇り、ついに1軍に上がった。そこでさらに、若松勉さんという当時の名バッターからスイッチヒッターへの転向をすすめられ、それにも挑戦して成し遂げた。 ところが今度は、難病である「メニエール病」にかかってしまう。この病気は、原因不明のめまいに襲われるそうで、ひどい時には3日に1度、2時間以上も続いたそうである。それでもあきらめることなく練習に励み、入団3年目に1軍に定着した。 そして29歳、プロ野球選手としての実働はわずか9年で現役を引退し、その後は野球解説者に転身した。引退してからはコーチも務めていない、そんな栗山さんが、50歳の時に現在のチームの監督に就いた。プロ野球選手をやめてから21年後のことであった。 監督就任5年目の2016年には途中までの11.5ゲームという大差を大逆転して、パリーグ制覇、そして日本シリーズ制覇を成し遂げた。日本ハムファイターズには、皆さんも知ってのとおり、大谷翔平がいた。高校卒業と同時にメジャーリーグ入りを表明していた大谷選手をドラフト会議で1位指名し、投打の「二刀流」で育成する方針を打ち出して、見事成功に導き、メジャーリーグへと送り出したのも栗山監督である。

 栗山氏は著書の中で、たくさん素晴らしいこと述べているが、その中から2つだけ紹介したい。

 1 「なりたい」と「なる」は、似ているけれども違うものです。「なりたい」という気持ちには、うまくいかないと弱い気持ちが入り込んできます。「ああ、やっぱり僕には無理かなあ」というものです。でも、「なる」という気持ちは、簡単にはぐらつきません。失敗したらもっと頑張らなきゃいけないと自分自身を奮い立たせるし、別の考え方を考えるはずです。両親や先生、監督や友だちといった周りの人たちにアドバイスを求めたりもするでしょう。それが大事なのです。大きな志を抱いていれば、周りの人たちは必ず助けてくれます。夢を一緒に追いかけてくれます。それがまた、「なる」という気持ちをたくましくしていく。夢に向かって突破口が開けてくる。あきらめなければどこかに道があるのです。

 2 中学時代の僕は、プロ野球選手に「なりたい」と思っていました。でも大阪桐蔭高校からドラフト1位でファイターズに入団した中田翔に話を聞くと、「中学時代から俺はプロ野球の選手になると信じていました」と言うんです。大谷翔平は高校生で「プロ野球選手」はもちろんのこと、「世界一の選手になる」と思っていたと。だから彼は、高校卒業と同時にメジャーリーグへ行こうと真剣に考えた。「なりたい」と「なる」には、似ているけれど決して交わらない違いがあるのです。

 もっと詳しく知りたい皆さんは、図書室で本を借りて読んでみてほしい。 年頭に当たり、皆さんの志をさらに高めてもらうきっかけになればと思い、今日はこの話をした。

平成30年度2学期終業式講話(12月21日(金))

2022年3月21日 09時07分

 平成最後の年末が近づいている。平成という時代は、私にとっては教員生活の中核をなす時代だったわけで、この元号があと数か月で終わるということには万感の思いがある。 さて、「歳月人を待たず」の格言どおり、私たちがどのように日々を過ごそうが、月日は無慈悲に過ぎていくもので、過去を振り返った時に「あの時のこうしておけばよかった。」とはだれもが思うことである。私もそれは例外ではない。 しかし、今から話す二つの点だけはこれまで生きてきた中で後悔がないことである。

 一つ目は高校時代の過ごし方。小学生のころから、地元に帰って仕事をしたいと考えていた私は、小学校時代の担任の先生にあこがれて、「小学校の先生になりたい。」と思っていた。しかし、中学校時代の終わり頃までは、勉強にも部活動にも一生懸命になることもなく、日々漫然と過ごしていた。中学3年生になって、いよいよ高校受検が近づいてきたとき、次のように考え始めた。

 「やはり将来は教員になりたい。そのためには、教員免許状を取得しなければならないので、大学に行く必要がある。うちの家庭状況からいって、私立大学はありえないから、国立大学に行かなくてはならない。そのためには小豆島高校のトップクラス(選抜クラス)に入らなければならない。」と。つまり、将来の鳴りたい自分を描いて、そこからが逆算して「今」何をなすべきか、というように考えたわけである。

それが中学3年のいつの時期だったかははっきりとは覚えていないが、夏休みにはまだ火がついていなかった。おそらくは秋ごろだったのではないかと思う。はっきり言って、高校受検は3~4か月一生懸命勉強すれば、かなり結果は変わって来る。私の場合も、平日3~4時間程度の家庭学習を習慣化してから、面白いように成績が伸び、小豆島高校のトップクラスに入ることができた。

 いざ入ってみると、当時小豆島島内3つの中学校から秀才がたくさん集まっており、気後れした。当時は、小豆島から高松高校に出るのは、土庄中学校の上位5名程度だったはずである。したがって、当時の小豆島高校には非常に優秀な生徒がおり、私の2学年上では、現役で京都大学薬学部、大阪大学工学部・基礎工学部(双子での合格で新聞に載った)、1学年上では岡山大学医学部医学科に合格者が出ていたた。神戸や広島、岡山といったところではあまり記憶がないほどである。

 中学後半から火が付いた私の学習への取り組みは、高校入学後も変わることなく、多くの秀才と肩を並べてやっていけるように頑張った。具体的には7月の坂高新聞にも書いたとおりである。その甲斐あって、第1志望校に合格した。現在私がこの場にいて皆さんに話をしているのは、高校時代の頑張りのおかげであると思っている。「江戸時代のように、身分が固定化されていた時代ではない。勉強で人生は変わる。」というのが私の信念の一つである。特に普通科の皆さん、皆さんは基本的には勉強のほかに身を立てる術はないのである。本校普通科に来たというのはそういう意味であることを、改めて確認しておきたい。

 二つ目。これは勉強とは全然違う話である。私は、かつてはヘビースモーカーだった。1日最低でも1箱、多ければ1箱半(30本)くらいタバコを吸っていた。平成15年4月2日、この日付まではっきりと覚えているが、この日突然タバコをやめた。

 特に病気をしたわけではない。きっかけは、当時勤務していた学校でも「分煙化」がなされており、タバコを吸うためには別の小部屋に移動する時間が必要だった。勤務時間中に「15本吸う」場合、移動時間も含めれば1日40分から45分程度の時間を、タバコを吸うために充てていたことになる。今考えると、これは地方公務員法の「職務に専念する義務」違反ではないかと思う。実際にこれが話題になっている自治体もあるようである。

 とにかく、今は「タバコをやめて本当に良かった。」と思っている。それはお金だけの問題でなく、家族を含め他人への迷惑をかけることがなくなったからというのが一番の理由である。また、現在では喫煙は非常に制限された場所でしか認められなくなってきていることも、そう思う理由である。ただ、タバコをやめることは本当に苦しかった。タバコに含まれている成分であるニコチンの含まれたガムというのがあるのだが、それを何箱も噛んだ。当時の額で2万円ほども費やしたと記憶している。

 今話した「勉強」と「タバコ」。私の場合にはそれまでの生活態度や習慣を「大きく変えた」わけだが、それでも「今日までしてきたことを明日から急に」というのは現実としては難しく、普通は「助走期間」というのか「準備期間」が必要なものだろうと思う。

 私の場合にも、勉強を必死で始める前にも、タバコをやめる前にも、やはり「自分は本当にこれでよいのか?」という疑問を相当の期間、持ち続けていた。11月の全校集会の折に「三省」ということについて話した。やはり我が身を振り返るというのは非常に大切なことである。皆さんにはこの冬休みに、ぜひこれまでの自分の「在りよう」について今一度振り返り、変えなければならないことを変えるための準備期間としてほしい。そして3学期から何かしらの自己変革が生じたというようにしていただきたい。余り学校に来ないからこそできることではないかと思う。

 そして、「変わる」ことこそが生き抜くこと。『進化論』で有名なチャールズ・ダーウィンの言葉。「生き残るものは、強いものではない。変化に柔軟に対応できるものである。」生き残る、すなわちこれからの社会で活躍する、もっと普通の表現を使えばこれからの社会で普通に生活していくためには、皆さんも変化し続けなければならない。

 さて、最後になったが、3年生の皆さん。大部分の人が「大学入学センター試験」を控えてラストスパートの時期である。担任の先生方から聞いているとは思うが、いわゆる「現役曲線」。最終の全国模擬試験が終わった11月からまだまだ学力が伸びるのが現役生の強み。それをはかる模擬試験がないだけのこと。「現在も伸びている。そして、これからもまだまだ伸びる」ことを信じて、最後まであきらめることなく、自分で限界を決めることなく、体調に気を付けて頑張ってほしい。

 3学期始業式で、皆さんの元気な姿を見られることを期待している。

平成30年度11月全校集会講話(11月1日(木))

2022年3月21日 09時05分

 平成30年も残すところあと2か月となった。歳月は人がどのように過ごそうが、いつも「あっ」という間に過ぎてしまうもの。かねてから話しているが、この全校集会を一つの区切りとして、これまでの1か月を「反省」し、これからの生活、少し大げさかもしれないが、自分の在りように結び付けてほしい。 今「反省」という言葉を使ったが、「反省」というと、えてして「自分の過去について考察し、批判的な評価を加えること」という意味でよく使われるが、その前に「自分の行いをかえりみること」という意味がある。(「広辞苑」による。)私がいま皆さんに話しているのは、おもに後者の意味である。 皆さんは「三省」という言葉を知っているか。「三省」というのは、論語の第1章「学而第一」の中にある言葉である。それはこのようなものである。 「曾子曰く、吾れ日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習はざるを伝へしか」と。 いくつか解釈があるようだが、これを現代語訳すると、おおよそ次のようなものになる。「曾子(孔子の弟子)は言った。私は毎日何回も自分の行いについて反省している。人の相談相手になって、真心を尽くしていたか。友だちと付き合って、うそをついてないか。自分が十分に理解できていないことを、人に伝えたり教えたりしていないか。」出版社の三省堂という会社は、この言葉を社名にしたと聞く。我が身を振り返るというのは大切なこと。皆さんにも習慣化してもらいたい。  今日は、最初に2つの事柄について、皆さんをほめたい。  10月23日夕刻、一人のおばあさんが来校された。先日坂出駅付近で転倒したところを、本校3年生の女子生徒に助けてもらい、無事に列車に乗れたとのことでお礼に来られた。  もう一つも似たようなこと。先月の24日の朝、学校に電話があった。土曜日(おそらく10月20日)の夕方、犬を連れて散歩中に、本校の通用門付近で転倒。本校生と思われる高校生に助けてもらったのでお礼を言いたいとのこと。  昨年度も、このような電話があった。「坂出駅で自分の子どもが泣いて困っていたら、本校生が上手にあやしてくれて、助かった。」と。  皆さんのこのような行いは、先ほど述べた「三省」の、「人に真心を尽くしていたか」に相当する部分であり、今話した3件については、まさにこれを実践できたということであり、大変立派なことである。今後とも、自然とこのような行動ができる人であってもらいたいと願っている。  さて、今日皆さんに一緒に考えてもらいたいと思っていたのはここから。 このところ、テレビや新聞などで「カタカナ言葉(英語)」を見聞きすることが多くなったと実感している。特に、官僚や閣僚の答弁、ニュースの解説者などが多用しているように感じる。長年英語を教えてきた私が常々疑問に思うのは、「このような表現が、テレビの視聴者や新聞の読者に正しく伝わっているのだろうか」ということだ。  枚挙にいとまがないが、今から20の例を挙げるので、いくつ日本語に直せるか数えてほしい。

  1 アセスメント(査定・評価)
  2 インバウンド(訪日外国人旅行者)
  3 コンセンサス(合意)
  4 コンプライアンス(法令順守)
  5 ダイバーシティ(多様性)
  6 スペック(仕様)
  7 パブリックコメント(意見公募)
  8 ワーキンググループ(作業部会)
  9 アーカイブ(古文書)
  10 インセンティブ(動機づけ)
  11 エコノミスト(経済学者)
  12 ガバナンス(統治・管理)
  13 エビデンス(証拠)
  14 アカウンタビリティー(説明責任)
  15 アジェンダ(議題)
  16 コミット(約束)
  17 リスク(危険、危機)
  18 コラボ(協働)
  19 ペンディング(保留)
  20 サステナビリティ(持続可能性)

 さらには、「サブスクリプションモデル」(一定期間、継続的に受け取る商品やサービスに対して対価を払うことを意味する。「定額制」の料金形態がこのモデルである。例:月額3,000円払えばコーヒー店で一日一杯のコーヒーが飲める。)とか、「シェアリングエコノミー」(共有型経済:個人間の中古品売買)という表現も新聞等で見かける。 また、アルファベットの頭文字をとった、CEO(最高経営責任者)、IoT(物のインターネット)、iDeCo(個人型確定拠出年金)、NISA(小額投資非課税投資)などという表現も普通に使われるようになったという印象を持つ。 特定の分野の専門家同士でのやり取りにおいて、このようなカタカナ言葉が使われるのは構わない(世間に害はない)と思うが、テレビや新聞という「人に情報を伝える手段(これをメディアというのだが)」において、これらのカタカナ言葉を使うことはいかがなものか。 先月の全校集会でも話をしたが、コミュニケーションというのは意思疎通である。相手にきちんと伝わらないような言葉を使うことは、あってはならない、というか、それはコミュニケーションとはいえない。  皆さんには、しっかりとコミュニケーションができる人になってもらいたい、つまり、皆さんがコミュニケーションの発信者側に立った時には、できるだけこのような分かりにくいカタカナ言葉は使わないようにしてほしいものである。 しかし、とは言え、これらのわかりにくいカタカナ言葉が使われている現状は、今後もある程度は続くものと考えられる。それらのほとんどは、英語に由来している。英語できちんと意味が通じるものとそうでないものに分かれるのだが、コミュニケーションにおいて「受信者側」になるときには、英語を知っていることは、カタカナ言葉(英語)を理解するときには必須である。そういった意味でも、英語の勉強は不可欠である。大学入試は抜きにしても、である。 いつも英語の話になるが、現在は国(文部科学省)の方でも、今後到来が見込まれる「高度情報化社会(Society 5.0)」において、「文理融合」ということを1つのキーワードとして、これからの教育施策が考えられつつある。 英語だけでなく、高校で学ぶどの教科・科目もしっかり学び、「学びが浅かった・十分でなかった」がために、皆さんがこれから生きていかなければならない「高度情報化社会」の中で、取り残されることのないように、「学び」に対して高い意識を持っておいてほしい。  冒頭でも述べたが、平成30年の残り2か月。一日一日を大切に過ごしてもらいたい。

平成30年度10月全校集会講話(10月1日(月))

2022年3月21日 09時04分

 近頃、どうも「漢字が思い出せなくなった、書けなくなった。」ということを強く実感するようになった。その原因を考えるに、パソコンの普及というものを抜きにすることはできないと思う。  学校に始めてパソコンが入ったのは、(少なくとも自分自身の経験からでは)昭和59年12月であったと記憶している。(今年は「昭和」で言うと、昭和93年だから、34年も昔になってしまった。)当時、デスクトップ型のパソコンが仰々しく学校に入ってきた様子が今でも思い出される。ちなみに、ワードプロセッサー、今で言うワープロはパソコンではなく、ワープロ専用機で、当時70万円ほどするというのを聞いたことがある。何人かの先輩は持っていた。  それで、パソコンの話だが、その年の4月に教員になった頃には、どういう仕組みかいまだにわからないが、テープレコーダーのテープに記憶されたプログラムを、コンピュータらしきものに覚えこませ、それからデータの入力を行うという、現在から考えると想像もつかないような方法で成績処理を行っていた。  しかも、その入力したデータは保存できなかったらしく、私が一度、校内実力テストの成績入力の当番になった時、同僚の一人がコンピュータからコンセントにつながったケーブルを足でひっかけて抜いてしまい、200人ほどの3教科(国数英)の成績を一から打ち直したことを覚えている。

 近頃では、スマートフォンの登場(平成23年初期型?)によりさらにコンピュータが身近なものとなり、日常生活の中で「少しでも時間があればスマホをいじる」人が中高生をはじめとする若い世代だけでなく、大人世代にも及んでいるという記事を新聞で読んだ。  本校では、進路指導部を中心に「隙間時間を利用した学習」を呼び掛け、実際にその成果が卒業生の進路状況にも表れているところである。坂出高校では、携帯電話・スマートフォンは、電源を切ったうえで校内に持ち込みを認める、「許可制」をとっていることから、校内では「隙間時間を使ったスマホいじり」は決してないと考えているが、電車で登下校する皆さん。隙間時間をスマホに奪われてはいないだろうか。

 先に話した新聞記事の中では、60分以上の隙間時間・待ち時間があれば、「本を手に取る」という回答の方が多く、自分としては少し安堵した。

 現在、コンピュータは実に様々なところで-素人には想像さえつかないようなところで-使用されていると考えられるので、「コンピュータの使用をやめる」などという話はあまりにも非現実的なものであろう。したがって、私たちが心しておかなければならないのは、その利用の仕方であろう。高校である皆さんには、「コンピュータ(電子機器)を使わないでいい時には、それを使わない」ということを徹底して行ってほしいと願う。例えば、「電子辞書でなくて紙の辞書を使う」こと。これは私が英語を教えてきた経験から言うことであるが、国語の場合にも同様ではないかと考える。紙の辞書を引くことによって、その周辺にある単語が見える。調べた語の派生語がその周辺に掲載されている、というようなことがよくある。これは、電子辞書では得ることのできない「恩恵」である。  また、「Lineではなく、対面して話す」ことも重要である。コミュニケーションというのは、実は言葉によるものは非常に小さく、表情であったり、口調であったり、話す人の醸し出す雰囲気であったりと、言葉以外の要素が言葉以上の役割を果たすものである。Lineによる言葉は、何の感情もこもらない「ただの言葉(文字?)の羅列」に過ぎない。その言葉に真の意味を与えるためには、対面による話以外にはない。Lineによる言葉のやり取りを真のコミュニケーションと考えている人は多いと思う。私ははっきり、「それはコミュニケーションとは言えない。」と断言したい。繰り返しになるが、コミュニケーションというのは、「自分がどう思っているかということを相手に分かってもらうこと」が目的である。例えば、友達と前から約束していたことについて、「明日は、どこそこで、何時ね。」という確認程度ならLineでやり取りしても構わないと考える。自分の気持ちをLineという道具で文字にして送って、相手に理解してもらう、ということはあり得ない。また、皆さんが社会人になった時、上司に「今日は熱があるので休みます。」とLineで(電子メールも同様だが)送るなどということはあり得ない。私は今話していることがどの程度皆さんの共感を得ているかについて、大変不安である。「校長は何を言よるんや?」と思っている人がいてもらっては困る。すべての人の共感を得なければならない。なぜなら、「Lineによる言葉のやり取りがコミュニケーションである」と考える人が日本人の多数派になってしまうとき、「日本という国は崩壊するのではないか」という危機感さえ覚えるからである。

 これは私も皆さんにそんなに偉そうに言えないけれど、「手書きで済ませられるときには手書きする」ことをすすめたい。最初に言った「漢字が出てこない」というのは、まさにこれに尽きる。漢字は中国伝来ではあるが、日本人が大切にして後世に伝えなくてはならない最も貴重な文化の一つである。しかし、私も年賀状は手書きの一言を添えるだけである。それが自分自身の考え-本来年賀状は全て手書きすべきである-に対するささやかな言い訳である。なぜなら、ワープロ打ちしただけの年賀状は本気で見ることはないからである。また、近頃では「絵文字」というのが日常的に使われているようであるが、ともかく、自分で漢字を書くということが非常に重要な意味合いを持つものであると考える。

 私は、高校というのは皆さんが社会に出るにあたって、きちんとした教育を施す最後の砦であると自負して教育に当たってきた。この姿勢は最後まで貫くつもりである。大学は「教育機関」であるとともに「研究機関」であるため、皆さんの教育にどれほど力を入れているかどうかは大学によりまちまちだからである。皆さんのほぼ全員が進学する坂出高校であるから、本日はあえてこういう話をした。

平成30年度2学期始業式講話(9月3日(月))

2022年3月21日 09時02分

 暑さも少々和らいできたので、少し話をさせてもらう。 1学期終業式、異常な暑さのため、講話では一言「勉強しなさい。」と言った。実践できただろうか。3年生だけでなく、1年生2年生も同じ。夏休みは終わったが、今後とも学校生活の軸足は、常に学業に置くこと。

 夏休み中に目についた新聞記事を2件紹介する。

1 早稲田大学の入試改革

  30.8.1の朝日新聞朝刊に早稲田大学の2020年度入試における改革の記事が掲載されていた。  2020年度入試というのは、現在の1年生が受験することになる平成33年の入学試験を指すものである。その年から、現在行われている「大学入試センター試験」に代わって「大学入学共通テスト」が始まる。 特に英語では、共通テストを受験することに加えて、「英語検定」や「GTEC」などの民間の検定試験を受験することも義務化され、「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能が、実際にどの程度身についているかということも大学入試の合否判定に加わるなど、大変大きな「変革」の年になる。  また、詳細は発表されていない部分も多く、現時点で断定的な言い方をすることは1年生の皆さんの不安を煽ることにもなりかねないが、大学への出願時に、「自分が学校や地域等でどのような活動を行ってきたのか」を申告するというようなことも、一般的になっていくことが予想されているようだ。  さて、話は早稲田大学。私立大学の雄として、その名前は日本のみならず世界にも知れ渡っており、香川県にも卒業生が多く活躍している。大変影響力のある大学である。  その早稲田大学が、2020年度の入試から、次のようなことを行うと発表した。 (1)政治経済学部は数学必須 (2)3つの学部(政治経済、国際教養、スポーツ科学)で「大学入学共通テスト」を課す (3)独自試験(いわゆる個別試験)では、日英の長文読解問題を出題  (1)について  ⇒ 数学の基礎がないと、大学の授業にはついていけない。経済だけでなく政治分野でも「統計」を使う授業が増えている。数学必須化で受験生は減るかもしれないが、必要な人材をとりたい。  (2)について  ⇒ 基礎学力を問い、その上で思考力や判断力を見たい。センターテストは良問が出ている。(それを引き継ぐ共通テストでもそうだろう。)  (3)について  ⇒ 英語力を重視する。(特に政治経済学部。)生きた英語学ぶ科目を必修化した。(教員1人に学生4人の授業。)  今日このような話をした理由。 ① 大学入試改革は急速に進んでいる。今の1年生からは大きく変わることが決定している。その移行措置で、現2年生への影響も考えられる。また、現2年生は1年間浪人した場合、もろに新しいシステムの下での入試にさらされることになる。入試に関する情報に敏感になること。特に、「大学入学共通テスト」(現、大学入試センターテスト)を受けるという意識は全員が持っておくこと。 ② 早稲田の政治経済学部が公表したように、「文系だから数学はいらない」というような短絡的な発想はもはや通用しない。高校で学ぶ教科・科目は社会人として必要とされる基礎力である。こういう意識をもって、日々の学習や自己の学力向上に努めてほしい。特に、2年生3年生。「いらない教科・科目」などという呼び方は言語道断であると認識すること。

2 東京医科大学の不正入試

 30.8.3の四国新聞朝刊の第1面(トップ記事)に目を疑うような見出しがあった。それは、「女子受験者を一律減点」~東京医大、入試で不正操作~というものだった。 記事はこう続いていた。東京医科大学が医学部医学科の一般入試で、年度ごとに決められた係数を掛け、女子受験者の得点を一律減点していたとみられる。女性は結婚や出産を機に職場を離れるケースが多いため、女子合格者を全体の3割前後に抑え、系列病院などの医師不足を回避する目的があったという。得点操作は2010年前後に始まっていたとみられ、2011年度入学者の試験以降、女子の合格率が男子の合格率を上回ることはなかった。 その数日後の新聞記事に、ある男性医師の話があった。「世間全体に、『男は仕事、女は家庭』という考え方が根強く、男はいつまで職場にいても責められないが、女性は仕事をしながら家事・育児をやるのが当たり前だというような風潮がある。そういった考え自体をただす必要がある。」私は、この男性医師の考え方が極めてまっとうな考え方であると考える。

 一方で、8月下旬のテレビニュースで、驚くべき内容が放送された。それは、このような男性医師中心の医学界全体を「仕方がない」と容認している女性医師が65%ほどもいることである。取材を受けた女性医師は、妊娠を機に、上司から職場のチームリーダーの職を、後輩の男性医師に譲るように言われたとのことであった。「大変悔しい」と言っていたその女性医師の涙が目に焼き付いている。

 それに関連して、私は以前から大変違和感を覚えている呼び方がある。それは、夫婦のお互いを指す呼び方。正しいとされているのは、「夫」と「妻」。ただし、「ツマ」というのは本来「添え物」という意味。「刺身のつま」というものがあり、刺身に添えられた大根を細く切ったものやシソの葉、わさびを指す。あくまで「添え物」という意味がいまだに女性に対して使われている。  憲法14条で「すべて国民は、法の下に平等であって、・・・性別によって差別されない」と規定され、さらには、男女共同参画社会基本法というのが、男女平等を推し進めるべく、1999年(平成11年)に施行された日本の法律。男女が互いに人権を尊重しつつ、能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現のために作られた。 このような法整備も進められてきた中での、この不正入試事件。特に坂出高校は、女子が圧倒的に多い学校。皆さんが進学し、就職し、結婚さらには出産して子育てを行うのもそう遠い先の話ではない。こういった出来事に憤慨し、自分の意見や生き方をしっかりと持ってほしい。

 まだ、残暑が残る中だが、まずは、文化祭準備をしっかりやり遂げ、地域の方々に101年目の坂出高校の姿を披露してほしい。