校長室から

240409 入学式式辞(校長室から)

2024年4月9日 17時00分

説明がありません

式  辞

 桜花爛漫となった本日、ここに、PTA会長 佐竹 直人 様のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、香川県立坂出高等学校 令和6年度入学式がこのように盛大に挙行できますことを、教職員一同を代表し、心から御礼申し上げます。

 只今、普通科228名、音楽科16名、計244名の入学を許可しました。皆さん、入学おめでとう。心からお祝い申し上げます。

 皆さんが入学した坂出高校は、大正6年、1917年に、香川県立坂出高等女学校として開校しました。その後、幾多の変遷を経て、戦後の昭和24年、高等学校再編成により現在の校名となり、男女共学の学校となりました。また、昭和42年には音楽科が設置され、現在の坂出高校の形になりました。今年度、創立108年目を迎え、国内外の様々な分野で活躍する29,000名を超える卒業生を輩出してきた伝統校です。そのような坂出高校の一員として、本日皆さんを迎えることができ、大変うれしく思います。

 さて、坂高生となった皆さんに、これからの高校生活の指針として、是非とも知っておいてほしい言葉があります。それは、正門を入って右側の石碑に刻まれている言葉で、坂出高校のモットーであり、校歌にも歌われている「高邁自主」という言葉です。
 「高邁」とは、「気高く、高潔なこころざし」という意味で、「自主」とは、「人から言われるのではなく、自分の判断で自ら行動を起こす」という意味です。
 つまり、「高邁自主」とは、「高いこころざしを掲げ、自主・自立の精神をもって、その実現に向け努力する」ということです。坂高生はこの言葉を胸に、学業、部活動、学校行事などに向き合い、成果を挙げてきました。皆さんも先輩に倣い、今日からこの言葉を実践してほしいと思います。

 そして、「高邁自主」を実践するうえで、大切となる心構えが「パティマトス」です。「パティマトス」とは、正門を入って正面にある石組みに刻まれた言葉です。
 今から59年前に、創立50周年を記念して、当時の校長が本校で学ぶ生徒に贈った言葉です。「パティマトス」はギリシア語で、「英知は苦難を通じて来たる」という意味です。つまり、「高いこころざしを実現するためには、苦しい努力が必要である」ということです。

 「高邁自主」と「パティマトス」、これが坂高生の精神、坂高スピリットと言えます。これからの高校生活において、もし道に迷うようなことがあったとしたら、この言葉は、きっと皆さんの道しるべとなり、進むべき道に導いてくれるはずです。

 現在、社会は、グローバル化やAIをはじめとする技術革新が急速に進み、未来を  予測することが非常に困難な時代を迎えています。さらに、世界各地で多発する紛争や内戦の問題のみならず、貧困問題や環境問題など、世の中は混沌とした様相を呈して  います。このような時代において、皆さんが将来をたくましく生き抜いていくためには、様々な課題に対して主体的に関わり、他者と協働して、解決に向けて粘り強く取り組んでいく力が必要となります。
 この力は、「高邁自主」を基盤においた本校の教育活動によって培うことができると確信しています。

 皆さんが、学業、部活動、学校行事や生徒会活動に十分に励み、社会で活躍する人材に成長することを望んでいます。

 保護者の皆様、お子様の入学、誠におめでとうございます。民法の改正により、法律的には、18歳になると成人として扱われ、自分で判断し行動することが求められるようになります。それだけに、高校3年間で、お子様には自主・自立の精神を養い、責任のある態度を身につけることが求められます。ご家庭におかれましても、適度な距離を置きつつも、お子様に対して、時にきびしく、時にあたたかく見守ってください。また、ご家庭と学校が十分に連絡を取り合い、お子様の教育を進めてまいりたいと思いますので、ご理解とご支援を賜りますよう、お願いいたします。

 最後に、新入生の皆さんが今日の感激と感謝を忘れることなく、学業に、また人間形成に大いに励み、充実した素晴らしい高校生活を送ることができるよう期待し、式辞とします。

令和6年4月9日

香川県立坂出高等学校長 渡邉 謙

240408 始業式式辞(校長室から)

2024年4月8日 17時00分

説明がありません

 おはようございます。いよいよ新年度がスタートしました。ついこの間、春休みに入ったばかりのような気がしていましたが、いつのまにか、桜の開花、満開を告げるニュースが聞こえてきて、あっという間に今日は始業式です。

 新3年生の皆さんは、いよいよ最終学年として、高校生活の集大成となる学年です。進路決定の大切な時期であるということは言うまでもありませんが、ただそれだけに終始するのではなく、残された高校生活を仲間たちと十分に楽しみ、たくさんの思い出をつくってください。

 新2年生の皆さんは、坂高生の要として、学校行事に、部活動に、その中心的存在となって活躍してください。明日は新入生が入学してきます。伝統ある坂出高校の先輩として、リーダーシップを発揮してください。

 さて、新年度に当たり、皆さんに、私から2つのことをお願いしたいと思います。
 1つ目は、「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」ということです。
 そのためには、「自分に自信を持つこと」です。でも、自分は何をやってもだめ、がんばっても続かないと、積極的になれないことがあります。どうしたら自分に自信を持つことができるのでしょうか。
 自信を育てるには、自分との約束を守っていくことです。相手との約束を守ると相手との信頼関係が生まれるように、自分との約束を守ると、自分への信頼感が生まれます。
 小さなことでも、少しずつコツコツと成功体験を積み上げていってください。
 例えば、朝、友達や先生方に気持ちの良いあいさつをする。迷惑をかけたときは、素直にあやまる。授業を真面目に受ける。掃除をきちんとする。などなど、まずは日常の、小さな、でも大切なことを一つ一つ実行していってください。そして、そういったことの積み重ねが自信につながり、皆さんをきっと前向きにしてくれると思います。

 2つ目は、「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。
 私たちは、ともすれば、何気ない毎日を当たり前のように受け入れてしまい、ときに、自分の思いとは違う場面に出くわすと、自分の運のなさを嘆いたり、相手を責めたりしてしまいます。でも、そもそも私たちが生まれてきたことが、ここにいるということが、当たり前のように日常を送れているということが、「有り難い」こと、つまり、「ありがとう」といえることではないでしょうか。
 相手や自分を責める前に、日々おだやかに過ごしていることに、こうしてみんなと出会えたことに感謝のこころを持ち、「おかげさま」とことばにしていきましょう。そうして、まいた感謝のタネが、やがて幸せの実を結び、皆さんに返ってくると思います。

 皆さんは、若いです。これからも悩んだり、寂しくなったり、思い通りにいかないこともたくさんあると思います。でも、そんなとき、すぐあきらめたり、投げやりになったりせず、少し立ち止まって、今日お話ししたことを思い出してください。

 幸せは、意外に、私たちのすぐそばにあるのかもしれません。

 それでは、皆さんが充実した学校生活を送ることを強く希望して、話を終わりたいと思います。

校長室から(R04~R05)

240408校長退任式

2024年4月8日 17時00分

※本文は、ホームページ管理者が記載しております。

説明がありません

昨年度をもちまして、真下拓也校長先生がご退職されました。
教諭として教務主任のお仕事をされ、
教頭先生としての責務を果たされ、
再び校長先生として本校を導いてくださった真下校長先生は
まさに教員人生の大半を坂出高校に捧げてくださいました。

坂出高校に対する愛情は計り知れないものがございました。

長年にわたり、本校を支えてくださり、
誠にありがとうございました。

説明がありません

次なる人生でも益々のご発展をお祈りいたします。

240305卒業式式辞(校長室から)

2024年3月5日 16時16分

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式辞

 校庭の木々の蕾もほころび始め、春の息吹が感じられるこの佳き日に、香川県教育委員会教育委員・木下敬三様、香川県議会議員 尾崎道広様を始めとする、ご来賓の方々のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、令和5年度香川県立坂出高等学校卒業証書授与式を挙行できますこと、感謝の念に堪えません。

 只今、卒業証書を授与した 241名 の皆さん、卒業おめでとう。心からお祝い申し上げます。

 皆さんの高校生活を語るときに、新型コロナウイルス感染症を抜きに語ることはできません。皆さんが入学したときには、部活動の公式戦以外では県外の選手との交流ができないなど多くの制約がありました。その後、感染症対策は緩和されてきましたが、今年度5月に、5類感染症の扱いに変わるまで、緊張した生活を送らざるを得ないところがありました。そのような厳しい環境で、皆さんは前向きに学校生活を送り、今日の卒業を迎えました。教職員一同敬意を表します。

 この3年間には、新型コロナウイルス感染症以外にも、多くの人命が失われるつらいできごとがありました。ロシアのウクライナ侵攻、武装組織ハマスとイスラエルとの軍事衝突では、私たちは絶対に戦争をしてはいけないという強い意志を持つことの大切さを感じました。また、能登半島地震では、自然を前にしたときの人間の非力さを感じました。しかし、戦争や自然災害を前にしても、助けあう人間の素晴らしさも感じました。

 さらに、この3年間は、若い人の活躍に励まされることもありました。藤井聡太さんや大谷翔平さんの活躍は言うまでもありませんが、本校卒業生も活躍しています。向畑憲良さんは、生成AIを使い対話で注文できる日本初の買い物支援システムの構築に坂出市で取り組んでいます。本多達也さんは、聴覚障害者だけでなく、多くの人にとって役に立つエキマトペを開発し評価されました。遠山将吾さんは、ビスケットブラザーズを結成し、キングオブコント2022で優勝するなど、多くの人に笑いを届けています。先輩たちも生活と心を豊かにするために、さまざまな分野で活躍しています。卒業する皆さんも、社会の創造者として羽ばたいて欲しいと切に願っています。

 孔子は「知これに及ぶも、仁能くこれを守らざれば、これを得といえども、必ずこれを失う(どんなに多くの知識を得ても、胸に仁愛を宿していなければ、いつかは知の働きもだめになる)」と教えてくれています。AIが人間を超える日も近いのではと言われていますが、AIにはない、優しさ、しなかやさ、共感する力、楽しむ力、勇気を奮う力を発揮してください。皆さんにはこれらの力が備わっています。また、真面目でコツコツ努力することができる人もたくさんいます。ぜひ、その良さを、誰かのために生かしてください。

 そのためにも、学び、行動し続けてください。変化し続ける社会において、新しい情報を学ぶことは大切ですが、すぐに役に立つものばかり学ぶのではありません。先人たちの思考や研究を通して「新しい視点を手に入れる」ことも学びです。それは、自分の判断のよりどころとなります。そして、自分が正しいと思うことを試してください。失敗に終わる可能性もありますが、成功よりも失敗から学ぶことのほうが多いのです。ですから、悲観することなく行動してください。その人が学んできたこと、チェレンジしたこと、失敗したことが、その人のオリジナリティであり他の人にはないもの、自分を支える強いバックグラウンドになっていきます。

 さらに、本校で培った「社会の変化に柔軟に対応し主体的に行動できる力、心豊かでたくましい心」が、これからの人生を力強く生きていく力となると信じています。これからの社会では、助け合って生きていくことが今まで以上に求められます。ぜひ、まわりの人に対する優しさや感謝の気持ちを忘れないでください。今日の卒業を迎えることができたのも、ご家族を始めとする多くの人の支えがあってのものです。

 終わりになりますが、保護者の皆様、お子様が卒業を迎えられましたことに、心からお喜びを申し上げます。また、これまで賜りました、さまざまなご支援に、この場をお借りし、全教職員を代表し、厚く御礼を申し上げます。そしてこれからも、大きく成長するお子様をあたたかく見守りください。

 卒業生の皆さんが、「高邁自主」・「パティマトス」の精神を忘れず、それぞれがめざす理想に向けて、邁進すること、そして、健康で幸多からんことを心から祈って、結びとします。

令和6年3月5日

香川県立坂出高等学校長 真下拓也

241109 3学期始業式 式辞(校長室から)

2024年1月9日 17時00分

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3学期始業式式辞

令和6年、2024年がスタートしました。

年の初めに、能登半島地震や羽田空港での航空機衝突事故という痛ましい出来事がありました。お亡くなりになった人への哀悼の気持ちを持つとともに、天災の恐ろしさ、コンピュータを駆使した安全管理がまだまだ完全ではないことを、改めて思い知らされました。また、能登地方では、厳しい状況下で被災者同士が助け合っています。羽田空港の事故では、客室乗務員の対応と乗客が落ち着いて行動したことで、死者を一人も出さずに避難できました。そこから、人間の強さやしなやかさを実感することにもなりました。私たちも震災で被災した人のためにできることにしていかなければと思いました。

年末年始の新聞には、この1年を総括したり、新年の展望を記したりしたコラムや、専門家の意見が多く掲載されました。その記事を紹介しながら話をします。

まず、令和5年の大きな出来事を「コロナ明け」としたコラムをもとに話をします。新型コロナウイルス感染症対策で人類は、団結の心を学んだはずだ。それまでバラバラであった世界中の人の心が、新型コロナという人類共通の敵に一致団結して立ち向かった。マスクをつける、ソーシャルディスタンスを保つなど、世界が1つの目標に向かって歩みはじめた。コロナをきっかけに、世界は1つの目標、すなわち平和に向かって歩み始めたのかもしれない。そう思い始めた矢先の2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まり、さらに、昨年の10月にはイスラエルとハマスとの軍事衝突も開始され、人類の悪い部分がクローズアップされるようになった年でもあったと、コラムは記していました。(朝日新聞12月13日掲載の東海林さだお氏の寄稿をもとにしました)

年末年始も二つの紛争のことがニュースで取り上げられています。今日は、イスラエルとハマスの軍事衝突を見てみます。ガザ地区を実効支配している、ハマスと呼ばれる軍事組織が、イスラエルに侵攻し人質を取ったことが、直接的な原因です。イスラエル政府は、人質の救出とハマスを壊滅させるために、ハマスの拠点となっているガザ地区を攻撃しています。1月3日時点でのガザ地区での死者数は2万3000人に迫っていて、ガザ地区の人口220万人の1%にあたります。この惨状に対して、イスラエルに住むユダヤ人がどう捉えているかというと、イスラエル民主主義研究所が行った世論調査によると、ガザ地区の人たちの苦しみを考慮する必要がないと回答した人が81%にのぼっていて、人質の解放やハマスの壊滅のために、軍事攻撃は仕方がないと考えているユダヤ人が多くいます。ロシアのウクライナ侵攻以降、軍事行動による問題の解決もやむを得ないという考えが世界に広まることを私は懸念します。

軍事行動を容認する風潮に対して、「答えを急がない力」が大切なのではと指摘する学者の意見がありました。世の中には明確な答えのある問題ばかりではありません。むしろ、〇か×かのように簡単に答えを出すことができない問題のほうがはるかに多くあります。だからこそ、先が見えずどうしようもない不安に耐えながら、考え、問題に挑み続ける力が必要とされます。特に、国際社会では、複雑で入り組んだ問題が多数あります。国の指導者に、「答えを急がない力」が欠如すると、戦争で解決する選択につながるおそれがあります。また、答えが出なくても問題に挑み続ける力は、人に対する寛容さとしても現れると指摘していていました。(朝日新聞1月3日掲載の帚木蓬生氏へのインタビュー記事をもとにしました)

なるほどなと思いながら記事を読みました。坂高生は、「人に優しい」と褒めてもらえることがよくあります。新年早々に坂出警察署から、陸上部の生徒2名が故障して動けなくなったダンプカーを移動させる手伝いをしてくれて助かったと、感謝の電話をもらいました。私もみなさんの様子を見ていて、坂高生は人に優しいと思います。ただ、人は、既知のもの・自分の考えに近いものには寛容になりやすいが、未知のもの・自分の考えと異なるものには不寛容になりやすい傾向があります。自分の仲間内だけの優しさでなく、自分と違う意見や考え方を持つ人に対して、この人は違うと関係を絶つのではなく、否定せずに受け入れたり、一緒に考えたりして、人とのかかわりを今まで以上に大切にしてほしいと思います。みなさん方の良さでもある「優しさ」をさらによいものできれば、明確な答えがない社会において、みなさんの力が遺憾なく発揮されると信じています。

3学期は1年間の総決算の学期です。3年生は、卒業すること、そして自分の進路を決めるという、3年間の総決算です。1・2年生は、1年間の総決算に加えて、新学年に向けての準備期間、新学年のゼロ学期ともなります。2年生であれば、受験生に向けての準備期間、1年生であれば、後輩を迎え、部活動や学校行事などで学校の中心となる2年生への準備期間です。3学期は祝日や高校入試の休業日があり、みなさんに任せる時間も多くなります。3年生は2月から家庭学習となります。それだけに、自分は何のために、何をしなければいけないのか、再確認して、新学期をスタートさせてください。そして、生活の基盤となる「遅刻しない」「あいさつをする」「掃除をする」も心がけてください。

3年生のみなさん、通常の高校生活を送ることができる日はわずかです。1日1日を大切に過ごしてください。

 以上で式辞を終わります。

231222 2学期終業式式辞(校長室から)

2023年12月22日 17時00分

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 おはようございます。ただいま、多くの生徒に表彰状を渡すことができました。運動部では新体制での大会、文化部と音楽科では、総文祭をはじめとしたコンクールに取り組み、成果をあげくれました。先週は音楽科の卒業演奏会、2年普通科の探究学習の発表会があり、素晴らしい演奏、発表を聞くことができました。また、校舎内では、普通科生徒の芸術の授業の成果物、グローバルスタディーズプログラムや人権学習会のレポート、1年2組の教室の窓には、遠足で行った大塚美術館の鑑賞レポートが掲示されています。いろいろな形でみなさんのがんばりを実感することができ、うれしく思います。

 このように、2学期にもうれしかったことがたくさんありました。今日はそこから話をします。1つ目はビーチクリーンアップ活動です。この活動は岡内先生の呼びかけで始まった活動で、自然科学部の活動としてだけでなく、校内の希望者も参加できるボランティア活動です。今年の2月に開始して、すでに11回実施して、のべ443人が参加しています。この活動を自然科学部の生徒がまとめて、神戸市で開催された「瀬戸内海環境保全特別措置法制定50周年記念式典」で発表しました。発表では、活動に参加した生徒へのアンケート調査の結果が紹介されていました。私が注目したのは「この活動に参加して何か変化したことがありますか」という質問に対する回答です。日常の行動が変わった19%、日常の生活で心がけることが変わった60%、変化無し21%で、約80%の人が何らかの変化があったと答えています。たとえば、自販機で飲み物を買うのではなく水筒を持つようになった、プラスチックゴミを減らしたいと思うようになりできるだけ包装の少ないものを買うようになった、買い物をするときにビニール袋をもらわないようになった、ゴミが落ちていたら拾うことが多くなった、ゴミ問題のニュースに関心を持つようになった、プラスチックの削減に関心を持つようになった、などです。ビーチクリーンアップ活動に参加して、ゴミの問題を自分の問題として捉え、行動や心がけが変わった生徒がたくさんいることをうれしく思います。世の中にはさまざまな問題があり、大人たちはその解決に向けて努力していますが、簡単には解決しません。社会にある問題を自分の問題として捉え、行動などが変わる人が増えれば、社会は必ず良い方向に向かいます。ビーチクリーンアップ以外でも、献血、子育て支援施設、社会福祉関係などに120人ほどの生徒がボランティア活動に参加しています。その体験から、何かが変わった人も多いと思います。

 学校の学びも、受験に役に立つという視点だけでなく、世の中の役に立つという視点も是非持って欲しいところです。総合的な探究の時間では、地域課題を見つけて解決策を考えてもらう学習を行っていますし、教科の学習でも、社会やみなさんの生活に関連付けた学びがあります。その学びから、自分の生活に取り入れるなどのちょっとした変化が生まれることを期待しています。

 うれしかったことをもう一つ話します。それは、全校生で校歌を歌えたことです。感染症対策や熱中症対策で校歌を歌うことが延ばし延ばしになっていました。今いるみなさんの中には、校歌を聴くだけで歌ったことがない人がたくさんいます。どうにかして全校生で歌いたいという気持ちがいっぱいで、2学期中間考査最終日にようやく歌うことができました。3年生は今日を含めて全員で歌うのは、あと数回です。思いっきり歌って欲しいです。12月2日に5年ぶりに坂出高校の同窓会の総会が開催され、160人ほどの本校の卒業生が集まりました。同窓会の最後は校歌斉唱です。高校生活を送った仲間との共通の財産です。みんなうれしそうに元気に歌っていました。10年後、30年後、50年後、みなさんもそうあって欲しいです。

 明日から冬休みです。冬休みは部活動もまとまった休みをつくりますので、みなさんが家族と過ごす時間がたくさんあると思います。大学に進学したり就職したりしたら、家族と過ごす機会が減ってきます。大掃除を手伝うなどして、家族との時間を大切にしてください。

 最後に3年生へ。みなさん方はまだまだ伸びしろがあります。この時期の追い込みでかなり結果が変わります。みなさんの健闘を期待しています。

 以上で式辞を終わります。

230901始業式講話(校長室から)

2023年9月1日 14時00分

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 みなさんおはようございます。

 夏季休業中の約40日間、どのように過ごしましたか。夏季休業中、みなさんが活躍したことを見たり聞いたりすることがたくさんありました。今日はそこから話を始めます。

 インターハイでのカヌー部、弓道部、テニス部の活躍、そして吹奏楽部、合唱部の活躍が新聞にも掲載されました。今日の表彰状の伝達では賞状を渡せませんでしたが、テニス部の堀家さんは、インターハイのシングルスで8位になりました。堀家さんは昨年度の『白壁』に次のようなことを記していました。「今年は、勝たなければいけないプレッシャーの中で思うような成果を出すことができずに悔しい思いをした。来年のインターハイに出場するために、今まで以上に努力する。」そして今年、その成果が出てうれしく思います。

 また、校外でのボランティア活動に参加した人もたくさんいました。これもうれしいことでした。

 そして、校内では希望者を募った活動ですが、「Global Studies Program」 と「海ゴミリーダーに学ぶ! 世の中をほんの少し面白くする方法」が実施されました。「Global Studies Program」では、外国人の大学生と本校生徒が英語を使って、自分自身や社会について考え意見交換を行いました。「海ゴミリーダーに学ぶ! 世の中をほんの少し面白くする方法」では、海ゴミをなくす取り組みをしている大人と本校生徒が、環境問題について考えていることなどについて、コミュニケーションゲームを行いました。2つの活動の主旨には異なる部分がありますが、さまざまな人と話をすることで、自分を受け入れてもらえた喜びが高まること、視野が広がること、他者への理解が深まるなど、コミュニケーション活動の大切さを学ぶという点は共通していました。 

 また、8月4日には一日体験入学が実施されました。前日の準備でトイレ掃除をしてくれた部活動(野球部、陸上競技部)、案内や学校紹介で活躍してくれたみなさん、吹奏楽部をはじめ暑い中、部活動を行ってくれたみなさん、ありがとう。630人の中学3年生が来校しました。坂高生の姿が、坂出高校の評判や評価をつくっています。それだけに、坂出高校に関心を持っている中学生がたくさんいることをうれしく思いました。

 まだまだ暑いですが、2学期がスタートしました。2学期は、4か月の長丁場です。そして、1年生は文系・理系のコース選択の時期、2年生は進路を具体的に絞り込む時期、3年生は進路を決める時期にもなり、決断が求められる時期です。高校生にとって、進路に関わることは大きな問題です。自分はどのような目的を持って、何を目標とするのか。そして、目標を実現するためには何をしなければならないのか、できていないことは何か。こういったことが突きつけられます。非常にしんどいことですが、向き合ってください。

 進路や学習に関することは個人の問題になりがちですが、集団としても考えてください。「受験勉強は団体戦」という言葉を聞いたことがあると思います。3年生だけでなく、1年生からすべての坂高生が、自己実現のために努力しています。高邁自主とパティマトスという坂高スピリットを持つ仲間を支援する集団であって欲しいと思います。そのためには、まわりの人に関心を持ってください。これから坂高祭の準備も活発になります。その中で、あまり関わりのなかった同級生の良さを知ることもあると思います。関心を持つことができれば、人に優しく、自分がどうすべきか考えることができるようになります。また、話ができる人を増やしてください。自分一人で考えることはしんどいことです。自分の価値観なり世界観だけで考えていると行き詰まり、しんどくなります。しんどいと思うことがあれば、大人でも友人でもいいです。その気持ちを言葉にしてください。

 最後に、私の夏休みの話をします。8月24日~25日にPTAの全国大会で仙台市に行きました。8月24日は、夏の高校野球で準優勝した仙台育英高校が仙台市に帰ってきた日でした。そして、福島第一原子力発電所での処理水を海洋へ放出し始めた日でもありました。これから原子炉の廃炉に向けて対処すべき問題はまだまだ出てきますし、廃炉まで30年以上かかると言われています。福島第一原子力発電所の問題は、東北だけの問題ではなく、日本全体で考えなければいけない大きな問題です。PTAの全国大会の2日目、25日は、仙台育英高校の須江航(すえ・わたる)監督の講演会でした。参考になる話をたくさん聞けましたので、そこからいくつか紹介します。

●長所と短所の関係について

人生の多くの場面において短所が長所を消してしまう。だからこそ苦手なものに丁寧に向き合える人間であって欲しい。

●失敗との向き合い方について 

失敗した後に、1度変える取り組みをしてみてください。ここで言う1度とは、「one time」ではなく、「degree」角度の1度です。大きく変えるのではなく、ほんの少し変えることだけで、それが続けば、長い時間が経つと大きな変化になっています。

●「時を守り」「場を清め」「礼を正す」

時間を守ること、生活の場を整えること、挨拶はもちろんお世話になっている人への感謝の気持ちを伝えること。これができない人は、まわりからの信用を得られない。どこかで痛い目に遭う。これは常々私もみなさんにお願いしていることです。

 それでは、みなさんが充実した学校生活を送ることができるよう、先生方も全力で支援します。がんばっていきましょう。

230720終業式式辞(校長室から)

2023年7月20日 18時00分

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1学期終業式式辞

 みなさん、おはようございます。

 1学期が終わりました。ここで自分の立てた目標に対する中間評価をしてください。何ができて、何ができなかったのか、できていないことがあれば、何が原因でできなかったのか、できるようにするためには、どうしたらいいのかしっかりと振り返りをしてください。

 明日から夏休みです。ゼミや部活動があるとはいえ、多くの時間の過ごし方を皆さんに任せます。そこで、みなさんの過ごし方の参考となる話をします。

 まず、ニュース映像を流します。ここで紹介される「エキマトペ※注)を開発したのは、坂出高校を2009年に卒業した本多達也さんです。

 では、映像を見てください。

(映像が流れる)

 本来であれば、昨年の向畑さんのように学校にお招きして講演をしてもらいたいのですが、現在、本多さんはデンマークにいるため、それができません。「エキマトペ」を開発するに至った経緯などを、本多さんがまとめた本「SDGs時代のソーシャル・イントラプレナーという働き方(日経BP)」※注)が出版されましたので、その内容から話をします。

 大学に進学したものの、将来何をするか決めてない状況下で一つの出会いがありました。1年の大学祭で道に迷った2人のろう者(耳の聞こえない人)を見かけ、身振りや携帯電話を使い説明しました。その方が、函館ろうあ協会会長で、兼平さんという方でした。二人は週1回ほど、一緒に温泉などに行く友人となります。一緒にいるなかで、自分は犬が吠えてもびっくりするけど、兼平さんはびっくりしない。音楽番組を見ているときに自分は音楽を鑑賞しているけど、兼平さんは歌詞をじっと見ているなど、音に対するギャップを感じるようになりました。

 そこから、ろう者と一緒に音を楽しむことができないか、在学中に研究を始めました。研究を進めるために、経済産業省が行っている、若手IT人材育成プログラムに応募し、予算と指導者を得ます。音を振動に変えて身体に伝える技術を開発し、ヘアピンのようなものを頭につけて音を感じる機械の原型をつくり、「オンテナ※注)と名付けました。残念ながら、在学中には商品化には至りませんでした。

 そこで、入社した富士通で商品化をめざします。社内には「できないことがあたりまえ」と思い込んでいる社員(優秀ではあるが、指示待ちになっている人)が多かったようです。商品化は本多さん一人ではできません。さまざまな分野(テクノロジー、デザイン、広告など)の人たちの協力が必要です。そこで、本多さんは、「ろう者と音を楽しむ」という明確なビジョンとその実現に向けた思いを素直に伝え、協力者を増やし、会社にも開発を認めてもらい、試作品をつくります。使った人からは、「サッカー観戦で、会場の盛り上がりを感じられただけでなく、PKの時の静かさや緊張感を感じることができた」とか、「映画鑑賞で雨の音の違いを感じられた」などの感想を得ます。そこから、ろう者だけの商品ではなく、多くの人と楽しめる商品にできるのではないかと、考え方を広げることにしました。そうすることで、商品単価を下げ、ろう者が購入しやすくなりますし、ろう者への理解も広がります。こうして、「オンテナ」の商品化に成功します。

 次に本多さんは、「エキマトペ」の開発に乗り出します。ろう者から、「どのようなものがあれば便利か」考えてもらった時に出てきた「電車通学の不便さ」をもとに、ろう者に便利なだけではなく、多くの人が見ているだけで楽しめるものをつくろうという考えで生まれたのが、「エキマトペ」です。

 本多さんの活動から見えてくるのは、「ろう者と音を楽しみたい」という、強い気持ちです。その気持ちが本多さん自身を動かす大きな力になりました。自分の将来を考えたときに、理屈で自分を納得させたものであれば、困難に直面すると諦めてしまうかもしれません。やはり、人間を強く動かすのは、心からわいてくる気持ちです。

 みなさんは、社会をよくするために、人を幸せにするために、人に喜んでもらうために、環境のために、このようなことをしたいという強い気持ちはありますか。もし、そのような気持ちを持っているのであれば、大切にして欲しいです。まだ、このようなことをしたいというものがないのであれば、経験(部活動、生徒会活動、ボランティア活動、海や山に行くなど)をたくさん積んで欲しいです。実体験から得た感情は強いです。総合的な探究の時間で立てた問いに関して、実社会で調査することも考えてください。また、自分で経験できることは限られているので、それを補うものとして読書を勧めます。本を読むことで社会や人間の考え方を知るよい経験となります。

 しかしながら、高校時代に自分の将来の仕事につながる強い動機付けを持つことができるとは限りません。本多さんのように大学に入ってからかもしれません。自分の感性(引っかかり)を高くするものとして、基本的な教養(現在みなさんが取り組んでいる学習)があります。高校での学びはさまざまな学問の基盤となります。受験のために勉強する以前に、高校生として学ぶべき教養なのですから、学校での学びを大切にして欲しいです。1学期に学習面で足りていない部分があれば、夏休み中に補ってください。

 3年生については、教養としての勉強にプラスして受験勉強がスタートしています。この夏休みは勉強一色になって欲しいところです。人生のなかで、このような経験をすることも意味があります。勉強の成果はすぐには現れませんが、秋には成果が現れてきます。それを信じて、この夏はとことん勉強してください。また、部活動を続けている3年生のみなさん、まさに文武両道を実現して欲しいところです。

 最後に、9月初めには坂高祭があります。久しぶりに一般公開での坂高祭です。多くの人が坂高生のレベルの高い展示・発表を期待して来校してくださります。みなさんの力の見せ所です。どれだけできるか期待しています。

 それでは、9月にみなさんにお会いできることを楽しみにしています。

※注)本校卒業生の功績として、本校のホームページ管理者が関連サイトにリンクいたしました。

230407 入学式式辞(校長室から)

2023年4月7日 13時00分

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式  辞

 爛漫の花に彩られ、新しい季節がめぐってまいりました。本日、PTA会長 柴田孝一郎 様のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、香川県立坂出高等学校 令和5年度入学式がこのように盛大に挙行できますことを、教職員一同を代表し、心から御礼申し上げます。

 只今、普通科228名、音楽科23名、計251名の入学を許可しました。皆さん、入学おめでとう。心からお祝い申し上げます。

 皆さんが入学した坂出高校は、大正6年、1917年に、香川県立坂出高等女学校として開校しました。戦後の昭和24年、高等学校再編成により現在の校名となり、男女共学の学校となりました。また、昭和42年には音楽科が設置され、現在の学校の形になりました。今年度、創立107年目を迎え、国内外の様々な分野で活躍する29,000人を超える卒業生を輩出してきた伝統校です。そのような坂出高校の一員として、本日皆さんを迎えることができ、大変うれしく思います。

 さて、坂高生となった皆さんが、高校生活の指針として欲しい言葉があります。それは、坂出高校のモットーであり、校歌にも歌われている「高邁自主」という言葉です。「高邁」とは、「高潔なこころざし」という意味ですから、「高邁自主」とは、「高いこころざしを掲げ、自らの判断で自ら行動を起こす」姿を現します。坂高生はこの言葉を胸に、学業、部活動、学校行事などに向き合い、成果をあげてきました。「高邁自主」が坂高生の精神、坂高スピリットと言えます。「高邁自主」を実践するうえで、大切となる心構えが「パティマトス」です。「パティマトス」とは、正門に入って正面にある石組みに刻まれた言葉です。今から58年前に、創立50周年を記念して、当時の校長が本校で学ぶ生徒に贈った言葉です。「パティマトス」はギリシア語で、「英知は苦難を通じて来たる」という意味です。つまり、楽しいことばかりではなく、つらいことやしんどいことに向き合って、高い志は実現できるのです。

 現代社会では、情報通信技術の進歩により、社会変化のスピードが急激に早まりました。さらに、ロシアのウクライナ侵攻のように、予想もしなかった事が起きるなど、私たちは、不確実な社会を生きています。このような社会では、新たに生じた問題に対する解決策を考え、実行する力が求められます。具体的には、自分の事として、社会の問題に向き合い、解決に向けて他者と協力して粘り強く取り組んでいく力です。この力は、「高邁自主」を基盤においた本校の教育活動によって培うことができると確信しています。「遅刻をしない」「あいさつをする」「掃除をきちんとする」といった生活習慣の基本ができたうえで、学業、部活動、学校行事や生徒会活動に十分に励み、社会で活躍する人材に成長することを望んでいます。

 保護者の皆様、お子様の入学、おめでとうございます。民法の改正により、18歳になると、法律的には、成人、大人として扱われ、自分で判断し行動することが求められるようになります。それだけに、高校3年間でお子様に自立する力をつけることが求められます。ご家庭におかれましても、ほどよい距離をおきながら、お子様に対して、時にきびしく、時にあたたかく見守ってください。また、ご家庭と学校が十分に連絡を取り合い、お子様の教育を進めてまいりたいと思いますので、ご理解とご支援を賜りますよう、お願いいたします。

  最後に、新入生の皆さんが今日の感激と感謝を忘れることなく、学業に、また人間形成に大いに励み、充実した素晴らしい学校生活を送ることができるよう期待し、式辞とします。

  令和5年4月7日

 

香川県立坂出高等学校長 真下拓也

230317 終業式式辞(校長室から)

2023年3月17日 18時00分

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3学期終業式式辞

 昨日のWBC準々決勝戦観ました。大谷選手すごいですね。一球一球、声を上げながらの全力投球、セーフティバントなど、勝とうという気迫が感じられました。その姿に選手も引っ張られるし、応援している私たちも引き込まれました。やはり、何かに一生懸命に取り組んでいる姿に人は魅了されます。本校でも、多くの生徒が部活動に全力に取り組み、その姿に元気づけられている家族や友だちがいるのだと思います。

 この1年、ことあるたびにみなさんに語りかけてきたこと、わかりますか。「掃除をする」「あいさつをする」「遅刻をしない」といったあたりまえのことができるようになることです。坂出高校は、あたりまえのことができたうえで、学習、部活動、学校行事などで、さらに成長しようと切磋琢磨している学校です。4月から新入生が入学します。坂高生のあるべき姿を、みなさんが示し、新入生にも受け継いで欲しいと考えています。学校の姿とは、先輩から後輩に受け継がれて、つくられるもので、先生方がつくるものではありません。ですから、あたりまえのことをあたりまえにできる坂高生であって欲しいと強く望んでいます。卒業した3年生は皆勤賞(無遅刻、無欠席、無欠課)受賞者が59名いました。コロナ禍で大変ななか、立派なことで、その姿を見てきた皆さんもそうあって欲しいです。

 皆さんは、坂出市にイスラーム教の礼拝所(モスク)があることを知っていますか。ちょっとローカルな話になりますが、坂出市のマルナカ、ボーリング場、坂出警察署、かまど本店のある道を東に進んだところにあります。私もよく通る道路沿いにあるので気になっていましたが、昨年の秋には外から見てもモスクとわかるようになりました。設立の中心となったのは、インドネシア人のイスラーム教徒のフィカルさんです。設立に向けて奔走する様子を取材した本が出版されましたので読んでみました。

 フィカルさんは技能実習生として来日し、日本人女性と結婚、現在は溶接工として坂出市で暮らしています。フィカルさんは、日本人と話をしたいと思っても、関わって欲しくないという雰囲気を強く感じましたし、怖がられたり、テロリスト呼ばわりされたりすることもありました。そこで、フィカルさんは、モスクを設立することを決意します。香川県で生活するイスラーム教徒が集う場とすることは当然として、日本人にイスラーム教のことを知ってもらい、日本人との交流の場にしたいと考え、モスク設立に向けて活動を始めました。まず、モスクに使うことを前提として、建物を売ってくれる人を探すのに苦労しました。それ以上に苦労したのが、建物を買う資金集めでした。購入資金を集めるために、まず、県内のインドネシア人に呼びかけて、資金集めを開始しました。県内には900人ほどインドネシア人がいますが、それだけでまかなうことはできませんでした。そこで、SNSを駆使して、全国のインドネシア人にも呼びかけ資金を集め、今から2年ほど前の2021年2月23日建物を取得しました。そして、内装や外観を整え、今では外から見てもモスクとわかるようになりました。

 この本を読んでみると、私とは異なる世界観を持った人が、自分たちの宗教を大切にしつつも、地域社会に溶け込もうとする様子が伝わってきましたし、多様性を受け入れる姿勢を学びました。これからの社会では、多様性を受け入れる姿勢はますます大切になっていきます。そのためにはどうあったらいいのか、フィカルさんの活動から話をします。まずは、人への優しさです。フィカルさんは、坂出市に一人で暮らしているお年寄りがすごく多いことに心を痛め、力になりたいと考えます。やはり優しい気持ちが他者を受け入れる大前提となります。そしてもう一つが、自分の考えを相手に伝えようとすることです。フィカルさんはイスラーム教のことを日本人にわかって欲しいと強く思っています。私たちの多くは、自分の意見をはっきりと示すことが苦手なのかもしれません。多様な価値観や考え方が存在する中では、自分の意見や考え方をしっかりと伝えることも必要となってきます。

 年度替わりは、新しい出会いがあります。新しい出会いから、皆さんの世界が広がるチャンスとなります。私もそうですが、4月の新しい出会いを楽しみに迎えたいです。

230303 卒業式 校長式辞(校長室から)

2023年3月3日 16時00分

式 辞

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 校庭の梅の花が満開となり、春の訪れを感じられるこの佳き日に、香川県教育委員会・西部教育事務所長 十河聖司様、香川県議会議長代理・香川県議会議員 植條敬介様を始めとする、ご来賓の方々のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、令和4年度香川県立坂出高等学校卒業証書授与式を挙行できますこと、感謝の念に堪えません。

 只今、卒業証書を授与した 244名 の皆さん、卒業おめでとう。心からお祝い申し上げます。

 皆さんの高校生活を語るときに、新型コロナウイルス感染症を抜きに語ることはできません。入学後、わずか3日間の学校生活で臨時休業。臨時休業は2度、延長され、5月31日まで続きました。6月から学校は再開しましたが、体育祭、坂高祭が中止となり、少し寂しい学校生活となりました。2年次から、日常に戻りつつありましたが、感染対策を徹底し、緊張した生活が続いたことに変わりはありませんでした。しかし、皆さんはこの困難な状況を乗り切り、今日の卒業を迎えました。教職員一同敬意を表します。

 皆さんが、坂出高校で学んだ3年の間に、世界は劇的に変化しました。国内では、感染症対策の陣頭指揮を執った安倍総理が令和2年9月に辞任し、その後、総理大臣は菅総理、岸田総理と交代しました。そして、令和4年7月には、安倍元総理が蛮行により暗殺されました。国際社会では、トランプ・アメリカ大統領からバイデン大統領への政権交代時の令和3年1月に、政権交代に反対するトランプ支持派が連邦議会議事堂に乱入する事件が起きるとともに、主張の異なる勢力の対立が激しくなり、民主政治を危ぶむ声が高まりました。さらに、昨年2月からのロシアのウクライナ侵攻により、世界の対立は激化し、話し合いによる解決が難しくなっています。

 現在、ウクライナの問題以外にも、環境問題、貧困の問題など数多くの問題への対応により、民主政治が試されています。民主政治では、ただ多数決で物事を決めるのではなく、多様な立場や考え方の異なる人たちの意見をもとに、議論し納得解を見いだすことが必要です。ただ、解決すべき課題があまり多く、それぞれが難しい課題であるため、諦め、思考停止になる人もいるのかもしれません。しかし、皆さんは、本校の学びの中、総合的な探究の時間、ホームルーム活動、部活動、そして感染症対策をとりながらどのような生活を送るべきかなど、身の回の問題に取り組み、解決策を見いだしてきました。それは、自分事として問題に向き合ってきたからできたことです。最近では、フェアトレードのカカオ豆を使ったチョコレートが、バレンタインの売れ筋商品になっていることが紹介されていました。フェアトレードは貧困をなくすというSDGsがめざす取り組みにつながります。大きなことはできなくても、各自が世の中のことに関心を持ち、自分事として社会に参画することはできます。民主政治は、そのような個々人によりつくりだされるのであり、皆さんにはそうあって欲しいのです。

 これからも社会は劇的に変化し続けることが予想されます。皆さんは、刻一刻と変化する社会の中で、自己と社会の結びつきから進路を考え、自分がめざす道を見いだしたと思います。そして、それがこれからの長い人生の指針となることを望んでいます。指針がゆらいできたときには、立ち止まり、「なぜ、自分はそうありたいのか」見つめ直してください。また、理想に向かい邁進する中で、うまくいかないことや失敗することもあろうかと思います。しかし、皆さんが学び続けることをやめなければ、やり直すことは可能です。

 日本の近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一は次のように語っています。
「卒業後に真の勉強が始まる。学校を出た後でも研究を怠らない者は、思いどおりにならないことがあっても、そのうち必ずうまくいくようになる。世の中に出てから、絶えず情熱と勉強の心がけを失わないようにする。こういう人は向上心をなくした秀才なんかとは、全く比べものにならない。学校で学ぶことは、社会に出てから現実に対応していくための準備に過ぎないのである。」

 本校で培った「社会の変化に柔軟に対応し主体的に行動できる力、そして、心豊かでたくましい心」が、これからの人生を力強く生きていく力となると信じています。また、これからの社会では、助け合って生きていくことが今まで以上に求められます。ぜひ、まわりの人に対する優しさや感謝の気持ちを忘れないでください。今日の卒業を迎えることができたのも、ご家族を始めとする多くの人の支えがあってのものです。

 終わりになりましたが、保護者の皆様、お子様が卒業を迎えられましたことに、心からお喜びを申し上げます。また、これまで賜りました、さまざまなご支援に、この場をお借りし、また全教職員を代表し、厚く御礼を申し上げます。そしてこれからも、大きく成長するお子様をあたたかく見守りください。

 卒業生の皆さん、皆さんが、「高邁自主」・「パティマトス」の精神を忘れず、それぞれがめざす理想に向けて、邁進すること。そして、健康で幸多からんことを心から祈って、結びとします。

令和5年3月3日
香川県立坂出高等学校長 真下拓也

230110 3学期始業式(校長室から)

2023年1月10日 10時00分

3学期始業式式辞   

 令和5年、2023年がスタートしました。

日本漢字能力検定協会が発表した2022年の「今年の漢字」は「戦」でした。ロシアのウクライナ侵攻という本当の戦争、そして、新型コロナウイルス感染症や物価高との戦いなど、暗い空気が世の中を覆っていました。その空気を吹き飛ばしたのが、北京冬季オリンピック、サッカーワールドカップでの日本の活躍など、スポーツでの戦いでした。今年の見通しもそう明るくありませんが、坂高生が生き生きと学校生活を送ることで、活気ある学校になればと期待しています。

さて、「一年の計は元旦にあり」とことわざがあります。その年にすべきことは、元旦に計画を立てるべきである、という意味から、何事もはじめに計画を立てるのが肝要であるという意味で使われたりします。皆さんも、新しい年を迎えて、自分が何をめざしているのか、そのために何をしなければいけないのか確認するよいタイミングです。

3年生の多くは、4日後に迫った共通テストのことで頭がいっぱいで、それどころではないと思っているかもしれません。共通テスト後には、予備校などが発表するデータを参考にしながら、出願先を考え直すこともあろうかと思います。その時に、自分のやりたいこと、なりたい自分を見失うことなく、これから自分の進むべき道を考えてください。

1・2年生の皆さんにとっても、3学期は重要な時期となります。短期的な視点で見たら、1年間の総決算の時期です。この1年でやっておくべきことはしっかりとできているのか、キャリアパスポートなどに記した自分の目標を達成することはできたでしょうか。中期的な視点で見たら、新年度に向けての準備期間、新学年のゼロ学期となります。2年生であれば、受験に向けての準備期間、1年生であれば、後輩を迎え、学校行事などで学校の中心となる2年生への準備期間です。先を見据えて、自分は何をめざしているのか、そのために自分がすべきことは何なのか、再確認してください。

そのヒントとして、アップル社を創業し、後にiphoneなどを世に送り出したスティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説の一部を紹介します。

まずは、自分が創業したアップル社から解雇を宣告され、呆然としていた時にたどり着いた境地として、次のように語っています。

「アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私には、そういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。」

 そして、がんを宣告されて「死」を意識したジョブズ氏は次のように語ります。

「あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。」

そして、演説の最後に「ハングリーであれ。愚か者であれ。」と結んでいます。

 皆さんには、自分のやりたいことを探し続けることを諦めて欲しくないですし、まわりの人の言葉に従うのではなく、自分の心に従い、やりたいことに突き進む勇気を持って欲しいのです。

冒頭に話をしましたが、日本の見通しが明るくないのも事実です。それもあって、「私なんかが社会を変えることはできない」とか、「これからの社会はよくならない」と感じている人もいるかもしれません。しかし、自分が前向きに行動することで、何かは確実によい方向に向かいます。その積み重ねで社会を変えていくことができると信じて、社会に出ていく準備を進めて欲しいですし、今できることがあれば、やってみてください。

 大切な時期となる3学期、皆さんが充実した生活を送ることができるよう、先生方も全力でサポートします。皆さんも前向きに学校生活を送ってください。その基盤となることとして、「遅刻しない」「あいさつをする」「掃除をする」を意識してください。そして、3年生の皆さん、通常の高校生活を送ることができる日はわずかです。1日1日を大切に過ごしてください。

 最後に、感染症対策についての確認です。感染者が増えています。学校での学びを止めないためにも、マスク着用、換気、黙食、手指消毒への協力をお願いします。

 以上で式辞を終わります。

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221223 2学期終業式(校長室から)

2022年12月23日 16時30分

2学期終業式式辞

坂高祭・音楽科研修旅行、修学旅行という大きな行事が、始まりと終わりにあった2学期ですが、9月中旬から12月にかけて、運動部では、新体制での大会、文化部と音楽科では、総文祭をはじめとしたコンクールに取り組み、成果をあげました。学習面ではどうでしたか?

 私は2学期にもうれしかったことがたくさんありました。今日はその1つである先輩講演会から話をします。

 坂出商工会議所の人から、坂高の卒業生にすごい人がいると教えてもらったのが、向畑憲良(むかいはたけ かずよし)さんです。向畑さんは、早くにネットショッピングがこれから発展する産業と見抜き、ネットショッピングのシステムを構築し、そのシステムを会社に使ってもらう事業を立ち上げました。そして現在では、向畑さんの会社のシステムを使ったネットショッピングの売上額が、10年連続国内第1位を維持するまでになりました。是非、この人の話を生徒に聞かせたいと思ったし、こんなすごい先輩がいることをみんなに知って欲しいと思いました。そこで、かわいい後輩のために話をして欲しいと、ダメ元で会社にメールを送りました。すると、広報担当者が丁寧に対応してくださり、講演が実現しました。
316101225_457723869828875_8755070057472004040_n 3年生は参加できませんでしたので、講演で私が聞き取って解釈したことを話します。向畑さんの主旨をきっちりと伝えられないところがあるのは許してください。

●求められる人材(どのような人と仕事をしたいか)について、向畑さんは5つ挙げました。

 ・1つ目は「誠実」であること。誠実な人とでないとビジネスはできません。
  人としても一番重要です。

 ・2つ目は「主体的」であること。
  何か問題があった時に自分ごととして取り組む人がいるほどチームはうまくいきます。

 ・3つ目は「積極的」な人。
  前向きな気持ちが大事です。消極的な人よりも、積極的な人と仕事をしたいです。

 ・4つ目は「他人を尊重」すること。
  仕事と割り切って接するよりも、相手を尊重することで、より大きな成果につながります。

 ・最後が「人間性と知性のバランス」。
  人柄だけ、もしくは知性だけでは不十分です。授業や部活動、コミュニケーションなど、
  学生生活でしっかり学んでください。

●高校時代にすべきこととして、次のようなことを挙げました。

 ・世界に関心を持ってください。
  いつもの集団での関わりだけでなく、他の集団と関わってください。
  少しずつでいいから自分の世界を広げることに挑戦してください。

 ・勉強すること。
  基礎知識は、ものごとを解決するために役に立ちます。
  知識がないと判断が難しい局面が、社会では必ず出てきます。

●自分が変わることを信じて欲しいと、次のようなメッセージをくれました。

 ・昨日よりも今の自分、そして10年後の自分。
  現在よりもどれだけ変化するか、その変化量を自分軸で意識して欲しい。
  自分軸とは自分の信念や価値観と言い換えることができます。

 ・いきなり10年後の自分軸を見つけることは難しいので、
  今は、勉強や部活動に一生懸命に取り組むべきです。
  そうすることで自分軸が少しずつ変わっていき、10年先の自分軸を見つけることができます。

●そして、向畑さんの自分軸として、起業した思いを次のように語ってくれました。

 ・世界に目を向けて世界の状況を知れば、自分さえよければという狭い視野ではいられない。
  だから、「社会をよくしたい」という思いで起業した。
  まだまだ満足していない。社会をよくするための努力はこれからも続けていく。

と話して講演を終えました。関心のある人は「向畑憲良 ブログ」で検索してください。
講演の内容が挙げられています。(https://note.com/muka_ms2004/n/n6e4ea5cafc79

 向畑さんの話にあった、高校で学ぶことについて、私もそう思いました。経験から学ぶことは大切です。しかし経験から学ぶことができるのは、狭く限定的なものです。身近な問題に対応するだけであれば、自分の経験だけで大丈夫かもしれません。しかし、新しい世界に飛び込んだ時や、全く新しい問題に対応する場合には、自分の経験だけでは対応できません。やはり、学校での学びは必要となります。授業などから学ぶ内容は、すぐには役に立たないことが多いのかもしれませんが、学んでいる内容は、先人たちの思考や研究を通して得られたものであり、それを学ぶことによって、皆さん方は「新しい視点を手に入れる」ことになります。その視点をもって、新しい世界で活躍できるのです。

 明日から冬休みです、3年生は間近に迫った共通テスト、その後の私立大学の試験や、国公立大学の個別試験に向けて、待ったなしです。そして、現在行っている演習は学んだことの再確認です。高校での学びの総決算として、しっかりと取り組んでください。

 1年生は、学習支援アプリを使って、学習時間の確認をすると聞きました。2年生は、各自に任されていると思いますが、自分の行動を振り返り、記録することは重要です。なんとなく1日を過ごすのではなく、振り返りをしながら、今日できたこと、できなかったことは何か、明日は何をすべきなのか、見通しを持った生活を送ってください。

 最後にプライベートなことから話します。私は一旦、地元宮崎県で就職しましたが、香川県に来ることになり、家族と会うことは少なくなりました。30歳を過ぎた頃から、家族との時間をもっと大切にすればよかったなどと思ったりします。皆さん方の中にも、ゆくゆくは県外で就職する人も多いのではないかと思います。県外で働くようになると、今、皆さんと一緒に暮らしている人、親、祖父母など、あなたたちの生活を支えている人と、ゆっくりと過ごす時間は、ほとんどなくなってしまいます。この冬休み、大掃除を手伝うなどして、家族との時間を大切に過ごしてください。3年生も、気分転換を兼ねて少しでもいいですから、家の手伝いをしてください。

 それでは、いい冬休みにしてください。以上で式辞を終えます。

2201003 10月全校集会(校長室から)

2022年10月3日 17時26分

10月全校集会講話

 ちょうど1年の折り返し点となりました。ここまでを振り返って、後半の過ごし方を考えて欲しいところです。今日はそのヒントとなることを話します。

 この半年間、皆さん方には具体の場面がわかるような話、皆さん方の生活に結びつくような話を主にしてきました。今回は、抽象的な話をします。頑張ってわかりやすく話をしますから、しっかりと聴いてください。

 皆さんは生きていくなかで、さまざまな場面で決断や判断が必要となります。生きることは、判断の積み重ねで、その結果が今の人生となっています。そして、これからどのような判断をしていくかで、今後の人生を決めていくことになります。

 そこでちょっと考えてみてください。さまざまな場面で判断するときに、何をもとに判断していますか。効率(こっちの方が楽だとか、有利だから)、まわりの多くの人がそうしているから、親が言うからなどで、判断をしている人もいるのではないでしょうか。そのような判断では、一貫性がなく、いきあたりばったりの判断になってしまい、後で後悔することもあるかもしれません。そこで、自分なりの判断基準を持てば、迷ったときにはそこに立ち返り判断することができます。

 今日は、稲盛和夫氏の考え方を紹介します。稲盛氏は、半導体や太陽電池などの製造で有名な京セラという企業を創業し、後に通信事業にも乗り出し、auをブランドとするKDDIも創業し、50年以上、経済界に大きな影響を与えた人物です。また、稲盛氏はしっかりとしたものの考え方を持ち、会社経営にあたったので、その考え方に惹かれ、若手経営者が教えを請いに集うようになり、多くの経営者にも影響を与えました。稲盛氏は8月末にお亡くなりになりました。ご逝去のニュースで、稲盛氏の考え方が再注目され、2004年の初版ながら稲盛氏の著書『生き方』は宮脇書店の週間ランキング(9月15日~21日)で4位にランクインしていました。

 稲盛氏の考え方を端的に表しているのは、人生や仕事の結果は、考え方×熱意×能力 によって得られる。というところです。仕事などの結果は、考え方、熱意、能力の3つの要素のかけ算によって表すことができるというのです。足し算ではなくかけ算です。能力が高くても熱意がなければよい結果は得られません。逆に能力が高くなくても熱意が高ければ、能力が高い人よりもよい結果が得られることもあります。そして、3つの要素の中で最も重要なのが「考え方」です。考え方とは、理念とか哲学という言葉で表すことができる、心のあり方をさします。数値化した場合、能力と熱意は、0~100で表すことができます。一方、考え方は、マイナス100~プラス100で表します。つまり、能力と熱意にあふれていても、考え方が間違っていると、結果はマイナスになってしまうのです。では、プラスとなる考え方にはどのようものがあるのかというと、思いやり、優しい気持ち、努力を惜しまないこと、みんなと一緒にやっていこうとすること、利己的でないことなどをあげています。これらはあたりまえの道徳です。ただ、それを頭で理解するだけでなく、常に実践し、体にしみこませることで、考え方となっていくと説いています。わかっているだけで実行できないことは、その人の考え方とは言えないのです。

 この公式を持つに至った経緯には、稲盛氏の挫折の多い人生経験があります。中学受験に失敗、その直後に結核にかかります。大学受験にも失敗、就職活動もうまくいかず、自分の不幸を呪い、ヤクザになろうと思ったこともあるようです。ようやく、小さな碍子製造メーカーに就職します。いつつぶれてもおかしくない会社で、同期入社の仲間は次々と辞めて、稲盛氏のみが残されてしまいます。そこで吹っ切れて、自分の運命を呪うことをやめて、前向きにやってみようと研究開発をはじめた。するとよい結果が出て、さらに前向きになって、ますます仕事に熱中し、さらによい結果が生まれる好循環が生まれてきた。考え方を変えることで、悪い循環をたって、よい循環が生まれだした。この経験によって、稲盛氏は、人生は自分の考え方で良くも悪くもできるという境地に至ります。

 稲盛氏はこうも言っています。原理原則に基づいた考え方に従って生きることは、物事を成功に導き、人生に大きな実りをもたらすが、それは楽な道とは限らない。己を律することで苦しみを伴うこともあるからです。しかし、長い目で見れば確固たる考え方に基づいて起こした行動は、決して損にはならない。一時的には損に見えても、やがて必ず利になって返ってくるし、大きく道を誤ることもありません。その場限りで見れば損をしているが、それでも守るべき考え方、苦を承知で引き受けられる覚悟、それが自分の中にあるかどうかが、成功できるかどうかの分かれ道となっていると語っています。

 「苦を承知で引き受けられる覚悟」、これを皆さん方の身近な言葉に言い換えると「パティマトス 英知は苦難を通じてきたる」です。坂高生の大半は、道徳心がある程度、身についているように思われます。ただ、その場限りで見れば損をしているが、それでも実行しようとする覚悟「パティマトス」は、まだまだ備わっていないようです。ここにたどり着くには、まだ時間がかかるのかもしれません。稲盛氏にしても、2学期の始業式で紹介したファミリーマート元社長の澤田貴司氏も、高校生のころには、うまくいかず、苦しい思いをしていました。

 まずは一つ一つの行動から変えていきませんか。その時に、目の前の損得勘定ではなく、正しいと思ったこと実行することを心がけてみましょう。そうした判断の積み重ねによる行動が増えてくれば、よりよい「考え方」は、皆さん方の中にしっかりと定着し、人生がより良いものになると信じています。

 稲盛氏の著書「一日一言(いちげん)」を図書室で購入してもらいました。私が話したこと以外、たくさん稲盛氏の考えが記されています。関心を持った人は是非読んでください。

220901 2学期始業式(校長室から)

2022年9月1日 12時47分

令和4年度二学期始業式講話(放送による)

                         R04.09.01

 みなさんおはようございます。

 夏季休業中の約40日間、どのように過ごしましたか。私は学校以外で仕事をする機会がありました。その中で特に印象に残っていることから皆さんに話をします。1つ目は香川県も会場となったインターハイ、2つ目は東京で開催された全国高等学校総合文化祭、そして3つ目が石川県の金沢市で開催されたPTA活動の全国大会です。

1つ目のインターハイについては、出場した生徒の活躍もうれしかったのですが、競技を支える裏方として多くの生徒、先生方が、バスケットボール、バレーボール、カヌー、登山、新体操の大会を支えてくれました。私が参加したカヌー競技では、出場選手、応援の家族がとても満足した様子でした。全国のカヌー競技の会長さんも、こんなに運営がスムーズな大会は珍しいと、運営にあたった方々をねぎらっていました。カヌー競技では、高校生と教員の競技役員に加えて、香川県カヌー協会の皆さんが大会運営にあたっていました。カヌー協会の皆さんは大人でご自身の仕事もありますが、インターハイを成功させるため、6日間も自分の仕事を休んで大会運営にあたってくれました。しかもカヌー協会のメンバーの大半はカヌーの経験がなく、子どもがカヌー部に入部したことがきっかけでカヌー協会のメンバーとなり、子どもが卒業した後も、今回のインターハイだけでなく、県総体や県新人大会、国体予選など、カヌー部が出場するすべての大会を支えてくれています。それぞれの部活動でも、部活動の顧問の先生以外に、大会運営を支えている人たちがいると思います。このようにボランティアとして動いてくれる人がいて、社会活動はうまくいっていることを再確認しました。皆さん方高校生も社会を支える人材として期待されています。学校へは、さぬき子どもの国や県立ミュージアム、坂出市社会福祉協議会、そして子育て支援施設などでのボランティア活動募集の案内が来ます。この夏は感染症罹患者が増えたため、子育て支援施設でのボランティア活動が中止したことは残念に思います。しかし、これからも社会の出来事に関心を持って、ちょっと気になることがあれば、自分にできることはないかという意識を持ち、可能であれば行動してみてください。

2つ目は全国高等学校総合文化祭についてです。今回は総合開会式、パレードなどを見てきました。それは令和7年度に、香川県で全国高等学校総合文化祭が開催されるから、その準備のためです。令和7年度ですから、次に入学した1年生が3年生になる時に開催される大会で、皆さん方に直接の関係はありません。ただ、もう準備が始まっています。1学期にはスローガンの募集がありました。本校生徒の作品ではありませんが、スローガンは「讃岐に咲は才の花たち」に決定しましたし、大会ポスターの募集が始まっています。そして、東京大会などを参考に香川大会をどのような大会にするのか検討も始まっています。このように、先人の取り組みを参考にし、積み重ねていくことから伝統は築かれます。学校も皆さん方の生活の積み重ねが、坂出高校の伝統となっていきます。後輩は先輩がやってきたことを参考としながら高校生活を送っています。2学期であれば次のようなことがあります。3年生がクラスの仲間たちと切磋琢磨しながら受験勉強に取り組む姿、2年生がクラスで団結して文化祭に取り組んでいる姿や文武両道を実現させようと努力する姿は、下級生に大きな影響を与えます。今までの先輩方も実現してきた坂高生としてのあるべき姿、今年も積み重ねてください。

3つ目は、PTA活動の全国大会についてです。大会で、ファミリーマート元社長の澤田貴司氏の講演を聞きました。澤田氏はユニクロに入社しフリースの開発にも関わり、その後ファミリーマートの社長に就任、サークルKサンクスとの統合を実現させ、ファミリーマートを業界第2位のコンビニに育て上げた方です。澤田氏は、「自分がやりたいことをやる」という信念を持つに至り、ファミリーマートの社長時代には、「客のためそして加盟店のためになっているか」という視点から正しいことは何なのか判断し、「自分がやる」と決断します。そして、自分がやりたいことをやるためには、周囲の理解と協力が必要ですから、自分の考えを周囲に伝えることにも力を入れたそうです。高校では部活動を途中でやめ、なにをするでもない中途半端な生活を送ったのですが、浪人生活を経て、大学でアメリカンフットボール部のキャプテンを務めたこと、最初に入社した総合商社、そしてユニクロでの経験などから「やりたいことをやる」という信念を持つに至ったように、話を聞いて感じました。高校生の皆さんに急にそんなことを要求しても難しいかもしれませんが、「まわりのせい、人のせい」ではなく、「自分なりの明確な考えを持ち、失敗しても成功しても自分のせい、だから自分のやりたいことをやる」という覚悟が持てるようになって欲しいです。特に3年生は実際の進路、1年生は文系と理系の選択について決めていく必要があります。その時に「親が言うから」ではなく、「自分はこうしたい」と言えるようになって欲しいのです。

最後に、学業に全力を注ぐことは当然として、「あいさつ」「遅刻をしない」「掃除をする」といった社会の一員として必要なマナーの徹底、そして、学校生活の中で何かに主体的に取り組むこと、これを意識して今学期も学校生活を送ってください。私たち教職員も全力で応援します。まずは、坂高祭を自分たちの力で成功させてください。

あいさつについては、学校周辺の人から、坂高生がよくあいさつをしてくれてうれしいとのお褒めの言葉をいただきます。坂出高校を応援してくれる人が増えることは、うれしいことです。

以上で、式辞を終わります。

2207201学期終業式(校長室から)

2022年7月20日 14時47分
1学期終業式式辞(校内放送による)

みなさん、おはようございます。

学校生活に全力を注ぎながらも、新型コロナウイルス感染症対策にくわえて、梅雨が早く明けたことにより、渇水対策、熱中症対策と、多くのことに気遣いしながらの1学期だったのではないでしょうか。

さて、終業式を迎えるにあたり、自分自身が頑張ったこと、出来ていなかったことなど、各自でしっかりと振り返りをしてください。始業式で、皆さん方に求めることとして、社会の一員として生活するために当然必要とされるマナーである「あいさつ」「遅刻しない」「掃除をする」こと、そして、学校生活の中で、何かに主体的に取り組むことにつて、しっかりとやって欲しいと話をしました。現時点でどうでしょうか。振り返りをすることは大切です。その節目として終業式があります。

私も、1学期の振り返りをします。うれしかったことが多かったので、そのいくつかを紹介します。

●地域の人から感謝されたこと(ソフトテニス女子の部員が自転車で転倒して出血しているお年寄りを助けてくれました。また7月にも音楽科3年生がお年寄りを助けてくれました)学校にお礼の連絡があったもの以外にも、きっと他にも、このようなことをしてくれているのだと思います。

●ボランティア活動や国際交流の校外での活動を呼びかけたら、多くの生徒が手を上げたこと。

●インターハイの運営のためにも多くの生徒が協力してくれること。高校運動部の最高の舞台を支えてくれて、ありがとうございます。

●あいさつをしてくれる生徒が増えたこと。みんなと元気にあいさつを交わすことで、私はさらに元気になれます。

●部活動では、結果だけでなく、みんなの頑張っている姿をみることができたこと。

●負けてはしまいましたが、野球応援で多くの生徒が一緒に喜びを分かち合うことが出来たこと。感染症対策で一堂に会して活動する機会が減っています。それだけにみんなとメガホンをたたいて応援できて、私はうれしかったです。

明日から夏休みです。現在はエアコンが整備され、夏休みを短くすることは可能なのかもしれません。しかし、夏休みを40日間とる学校がほとんどです。それはなぜか。皆さん方の自主性を育てたいからです。ゼミや部活動があるとはいえ、かなりの時間の過ごし方を皆さん方に任せます。

3年生はやるべきことは当然わかっていることと思います。6月のマーク模試の結果を見ましたが、自分の志望校に手が届かない人もいました。しかし、それは、県総体が終わった直後の模試での判断です。この夏休みで、どれだけやったかで大きく変わります。学習の成果はすぐには現れませんが、秋には成果が現れてきます。それを信じて、この夏はとことん勉強してください。また、部活動を続けている皆さん、まさに文武両道を実現して欲しいところです。

1年生と2年生ですが、学校が出す課題をすることは当然として、残りの時間をどう使うのかが重要です。1学期の学習で不十分であったところをやり直すことや、さらに力を付けるための学習に加えて、部活動、文化祭の準備と、やることはたくさんあります。自分は何をすべきなのか、しっかりと考えておいてください。そして、1~2年生には、もう一つやって欲しいことがあります。総合的な探究の時間で取り組んでいる内容(2年生なら自分たちが調べて気になったこと、1年生なら職業について)、とことん調べてみてください。必要であれば、実際の会社などに出向いて調べてください。学校での学習、友達同士から入ってくる情報以外の、実際の社会の情報にふれて欲しいのです。

 先日、学校評議員会が開かれました。これは坂出高校を支援してくれる外部の有識者(坂出市役所の職員、保育士、香川大学の先生、坂出商工会議所の役員)から構成され、本校の活動について報告し、助言をもらうための会議です。評議員さんから、生徒が実社会で学ぶことは大切で、高校で学ぶ意欲が高まることや、大学進学などでのミスマッチを防ぐことにもつながる大変意義があることだと、助言をいただきました。また、坂出高校の活動であれば、是非協力したいとおっしゃっていただけました。これは、本校の卒業生と皆さん方が築いてきた信頼のおかげです。

最後に、7月8日、参議院選挙の応援演説中に安倍元総理大臣が射殺されました。そのことについて話をします。容疑者の意図は言論を封じることではなかったようですが、選挙運動中に起きた蛮行で、民主主義の根幹を揺るがす出来事です。民主主義を十分に機能させるための重要な要素の一つが、言論の自由です。制限されることなく自分の考えを自由に発することができることです。言論の自由によって、多様な意見が発せられ、その多様な意見をもとに話し合い、答えを出していくことが、民主主義での、ものごとの決め方です。自分と異なる考えを暴力で封じたり、全く受け入れることがなかったりする状況は、健全な民主主義とは言えません。時間はかかりますが、多様な意見をもとに話し合い、答えを導き出すことが、社会の発展、住みやすい社会の形成に必要不可欠なことです。それが出来ることが、現代社会を生きる私たちに求められている力です。

皆さん方の日常生活、たとえば、部活動、文化祭の準備など、自分たちで考えて行動する機会がたくさんあります。そのような場面で、意見を言うことが尊重され、そこから納得する答えを導き出すことができる集団であって欲しいと思います。

それでは、9月に充実した表情の皆さん方に会えることを楽しみにしています。

220407入学式(校長室から)

2022年4月7日 12時00分
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式  辞

桜花爛漫となった本日、ここに、PTA会長 大林朋美 様のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、香川県立坂出高等学校 令和4年度入学式がこのように盛大に挙行できますことを、教職員一同を代表し心から御礼申し上げます。

只今、普通科230名、音楽科19名、合計249名の入学を許可しました。皆さん、入学おめでとう。心からお祝い申し上げます。

皆さんが入学した坂出高校は、大正6年、1917年に、香川県立坂出高等女学校として開校しました。戦後の昭和24年、高等学校再編成により現在の校名となり、男女共学の学校となりました。また、昭和42年には音楽科が設置され、現在の学校の形になりました。今年度、創立106年目を迎え、国内外の様々な分野で活躍する29000名を超える卒業生を輩出してきた伝統校です。そのような坂出高校の一員として、本日皆さんを迎えることができ、大変うれしく思っています。

さて、坂高生となった皆さんが、高校生活の指針として欲しい言葉があります。それは、坂出高校のモットーであり、校歌にも歌われている「高邁自主」という言葉です。「高邁」とは、「気高く高潔な、こころざし」という意味ですから、「高邁自主」とは、「高いこころざしを掲げ、自らの判断で自ら行動を起こす」姿を現します。坂高生はこの言葉を胸に、学業、部活動、学校行事などに向き合い、成果を挙げてきました。「高邁自主」が坂高生の精神、坂高スピリットと言えます。

 「高邁自主」を実践するうえで、大切となる心構えが「パティマトス」です。

「パティマトス」とは、正門に入って正面にある石組みに刻まれた言葉です。今から57年前に、創立50周年を記念して、当時の校長が本校で学ぶ生徒に贈った言葉です。「パティマトス」はギリシア語で、「英知は苦難を通じて来たる」という意味です。つまり、楽しいことばかりではなく、つらいことやしんどいことに向き合って、高い志は実現できるのです。「高邁自主」だけでなく、「パティマトス」も心にとどめ、高校生活を送ってください。

現代社会は、情報通信技術の発展により、社会変化のスピードが急激に早まりました。さらに、新型コロナウイルス感染症の拡大やロシアのウクライナ侵攻など、私たちが予想しなかったことが起き、その対応に苦慮しています。新たな生じた問題に対して解決策を考え、実行する力が求められる時代となっています。

具体的には、自らの問題として、社会の様々な問題に向き合い、解決に向けて他者と協力して粘り強く取り組んでいく力です。この力は、「高邁自主」を基盤においた本校の教育活動によって培うことができると確信しています。皆さんが、学業、部活動、学校行事や生徒会活動に十分に励み、社会で活躍できる人材に成長することを望んでいます。

保護者の皆様、お子様の入学、おめでとうございます。民法の改正により、18歳になると、法律的には、成人、大人として扱われ、自分で判断し行動することが求められるようになります。それだけに、高校3年間でお子様に自立する力をつけさせることが求められます。ご家庭においては、べったりや突き放しではなく、少しの距離を置くことで、お子様の様子を、時にあたたかく、時に毅然と見守ってください。また、家庭と学校が十分に連絡を取り合い、お子様の教育を進めてまいりたいと思いますので、ご理解とご支援を賜りますよう、お願いいたします。

最後に、新入生の皆さんが今日の感激と感謝を忘れることなく、学業に、また人間形成に大いに励み、充実した素晴らしい学校生活を送ることができるよう期待し、式辞とします。

令和4年4月7日

香川県立坂出高等学校長 真下拓也

校長室から(H30~R03)

220406校長退任式(H30~R03校長室)

2022年4月10日 09時13分

退任に当たって

4.3.31

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 厳しい冬が過ぎ、一年のうちでも最も素敵な季節が来た。例年であれば、新学年に向けて「さあやるぞ」という気持であった。しかし、今年は少し違っている。一言でいえば、非常に寂しい。

教職を離れなければならない時が来ることは分かっていた。しかし、いざ自分の番になると、その時が来なければ分からないことがあると実感している。それは、昭和59年4月に新採教員として善通寺第一高等学校に赴任した日から38年という時間のカウントダウンが始まっていたということである。38年というと長いようだが、日数を計算して愕然とした。わずか13,870日である。自らを振り返り、勤務する学校ごとに日々一所懸命に努めてきたかと考えるとき、今という時間はかけがえのないものであり、一期一会であるということを痛切に感じている。本当に自らを恥じ入るが、皆さんも1日1日を、そして出会う人たちを大切にして生きていってほしいと願う。今回の自らの退職を機に、人間は年を取らなければ、その時を迎えなければ分からないこと(気持ち)があるということを痛切に感じた。

生徒の皆さんにもう一つ伝えたいことがある。それは、今までにも繰り返し話してきたつもりだが、皆さんは何にでもなれるということ。裁判官だって、宇宙飛行士だって、大学教授だって。例えば大学教授。「そんな職に就くには、東大に行って大学院に行って、さらには海外留学の経験も必要で当然英語はできて」、という風に考え、「そもそも自分はそんなに頭もよくないし、英語は苦手だし留学するほど裕福でもないし」、と自分から自分に見切りをつけるような考え方をしていることが多い。坂高生を5年間見てきて、つくづくそう思う。私のかつての同僚のお子さんの話をしたい。その子は坂高生もよく行く香川大学、その経済学部に進学した。大学卒業後は神戸大学経済学部の大学院に進み、現在は東京のとある私立大学の先生をしている。皆さんの先輩が多数進学する香川大学から、大学の先生になっている。大学教授という道は、決して特別な人だけしか就けない職ではない。とにかく皆さんは、自分で自分の限界を決めすぎる。とにかく大きな夢を持ってほしい。

さて、いよいよお別れの時だ。まずは健康に留意し、精進してほしい。一人ひとりの精進の結果が、坂出高校の発展につながる。さようなら。


~坂出高等学校ホームページをご覧いただいている皆様へ~

平成29年4月に教頭として赴任した年が坂出高等学校百周年・音楽科創設五十周年の年でした。翌年度から4年間、校長を務めさせていただきました。ちょうど県教育委員会から「全国からの生徒募集」の話が出始めたころで、全国からどのような学校か知っていただくにはホームページの充実が欠かせないということで、先生方にお願いして部活動のページには最新の活動状況を掲載したり、ホームページ自体を刷新したりするようにお願いしてきたところです。校長としては、始業式や終業式に加え、坂出高校の特色の一つでもある毎月の全校集会での講話を掲載してきました。内容的には非常に拙い話ばかりで、本心では掲載したくない時もありました。しかし、自分が何もせずにほかの先生方に依頼するのは何か違うと考えてやってきました。

今回の離任に当たっては、先生方にお別れの言葉を話したのが3月31日。生徒の皆さんに別れを告げたのは4月6日。「もうこの話はホームページには掲載することはないな」と思っていたところ、今回のホームページ刷新の中心人物であるM先生から思いもかけずお電話をいただきました。もう掲載はないと考えていたので、生徒向けに作成していた原稿も破棄していました。退職した者が何かを要求することではないというのが私の考えでした。本当にM先生には感謝しています。今後は坂出高等学校の発展を、陰ながら応援させていただきます。在任中はお世話になり、ありがとうございました。引き続き坂出高等学校をご支援くださいますようお願い申し上げます。

前校長(第32代) 黒 島 俊 哉

令和3年度3学期終業式講話(3月18日(金))

2022年3月21日 09時38分

 最初に紹介しておく。皆さんの先輩である本校卒業生同窓会「松濤会」の支部、「関東松濤会」から10万円相当の図書が寄贈された。皆さんの憩いの場でもある2階の松の間に置くので有効に活用してほしい。関東松濤会の総会50回記念だとのことである。  さらにあと一つ。1年2組の矢野さんが全国高校生読書体験記コンクールで、一ツ橋文芸教育振興会賞を受賞したことで、本校に集英社文庫100冊が贈られた。2階の廊下「松の間」に置かれているので、時間があるときにぜひ一冊手に取ってほしい。

 学年が終わった。年度当初に立てた目標はどのくらい達成できたか。キャリアパスポートへの記入は終わっていると思うが、この休み中は令和3年度を総括し、令和4年度に向けての準備を怠りなく行ってほしい。大人の世界では、「PDCAサイクル」ということが言われ始めて久しい。20年は経っていないと思うが、それ近くになろうとしている。Pとはplan計画を立てるということ、Dとはdoやってみること、Cとはcheck検証すること、Aというのはaction更新・検証した結果をもとに次の一手に出ることである。皆さんも就職したら必ずこれを聞かされると思う。そういう意味でも、今からこういう考えのもとに一年間を振り返り、次年度に向けての目標を明確にしなければならない時期である。

 さて、皆さんにこのような講話を行うのも今回で最後になった。最後に話すのにふさわしい講話として何を話すかは数か月前から決めていた。それは、人間として大切なことである。  私の大学の大先輩で、本香川県で高等学校の教員をした大先輩の言葉を紹介したい。その先生はすでに数年前にお亡くなりになったが、高松北高等学校の初代校長を務めた畠山武史先生という方である。高松北高等学校は、昭和58年に当時の木田郡牟礼町、現在の高松市牟礼町に開校した新設校であった。その学校の創設時から関わられ、初代校長として勤務された畠山先生は、高松北高校を日本一の学校にすると公言してはばからない方であったと聞く。学校の電話番号は2155(日本一の高校)である。その先生が、北高生に常々仰っていたのが、人間として大切なことは、健康・人柄・実力の三つであるということ。

 まずは健康。私はかねてより畠山先生のこの話をいつかはしたいと考えていたが、「健康が大事」と声高に言うことが、病気を抱えている人に対して何か排除するような感じを与えるのはよくないと考えて、公言するのをためらってきた。しかし、何かを為すに際して、やはり必要なものであるというのは事実である。しかし、それでも念のために断っておくが、フルマラソンを走りきるほどの健康を言っているのではなく、日常の生活を送れる、毎日登校できるというくらいの健康で十分である。

 次に人柄。これについて、皆さんはどうだろうか。自分で自分を人柄がよいと思えるか。あるいは、友達や先生方から「君は人柄がいいね」と言われたことはあるか。ほとんどの人がそういう経験はないと思う。そもそも「人柄がよい」というのは漠然としており、何が根拠なのかわかりづらいのは確かである。私が考えるに、「人柄がよい人」というのは、他人の立場に立って物事を考えることができる人とか、陰ひなたなく地味な仕事にも黙々と取り組むことができる人のことを指すのではないかと思う。それに加えて、いつも笑顔とかコミュニケーション能力の高さも加われば、最強の「人柄のいい人」ということになると考える。いずれにせよ「人柄がよい人」というのは、多くの周囲の人から好感を持たれるような人物であるということになるのではないかと考える。  ここでハタと考えるに、「人柄がいい人=勉強ができる人」ではないことが分かる。坂出高校のような進学校に来ると、えてして勉強ができる(と言っても、実際にはペーパーテストで点が取れることを指す場合が多いと思うし、音楽科の皆さんであれば専門が得意なこと)を良しとし、それだけできれば自分がすべてにおいて優れているような錯覚に陥っている人はいないか。また逆に、テストで点が取れないことや専門分野で行き詰っていることで、自分を過小評価して委縮している人はいないか。両方ともばかげたことであると言いたい。そもそも世の中に出てしまえば、皆さんが振り回されている「偏差値」などというものは存在しない。音楽の世界でも、専門性が高いだけでは生き残れないだろう。いかに周囲の人たちと良好な人間関係を築いてやっていくことができるか、そのことは皆さんが思っているよりも相当に大きな意味を持つものである。私自身は坂高では学級担任をする機会はなかったが、廊下ですれ違う時に挨拶をしてくれる人、校長室に掃除に来て丁寧に掃除をしてくれる人、授業中に見て回ったときの皆さんの真剣に授業に臨む姿、ペアワークをしている姿、これらを見ていて、坂高生には人柄がよい人が多いという印象を持っている。皆さんの立ち居振る舞いに、それはよく表れていると思う。「テストが、偏差値が、、、。」ということで人間の価値が決まるものではない。このことをしっかりと胸に刻んでおいてほしい。  そして、最後に実力。これはその名のとおり、自分が選んだ道でどこまでの力を身につけられるかである。高校時代のテストの得点を挙げることとは全く違う。高校時代の勉強は、進学する人にとってはまず大学に行くために必要な知識であり、就職する人にとっては将来の学びの基礎である。決して誤解してはいけない。私が今言っている実力というのは、皆さんが社会に出てからの職業人としての実力であり、ペーパーテストで点が取れることを言っているわけではない。私も英語教師として30年間教壇に立ったが、恥ずかしながら「英語のことは黒島先生に質問しろ」と言われた時期は極めて限定的であったと思う。教員としての後半は、管理職になる道を選んだ。その結果、坂出高校という素晴らしい学校に勤務することができたので、それに後悔はない。ただ、校長や教頭というのは、実力があるかどうかが客観的には分からないので、自分がやってきたことが、勤務した学校にどの程度貢献したのかを知る術がない。つまり実力を知る術がないということだ。たまに、管理職にはならずに、専門の英語を極める生き方もあったのではないかと考えるときもある。

 もう一度繰り返す。健康、人柄、実力。この3つが備われば、人間として最強になれると考える。皆さんの中にはこの3つが全然ないという人はいないと思う。1つの人は2つに、2つの人は最終的にすべてを果たすことができるように、今後とも精進を重ねてほしい。勉強だけでは不十分だ。と言って、勉強ができることを否定しているのではない。また、勉強ができる出来ないといったことだけで自己評価をしてはいけない。はっきり言ってしまえば、そんなのだけではくだらない。すべての皆さんがさらなる高みを目指してくれることを期待している。

 最後に。20日ほどの休みである。この時期をいかに過ごすか。これが皆さんの将来にかなり大きく影響する。「高邁自主」の精神のもと、充実した日々を送ってほしい。

令和3年度3学期始業式講話(1月11日(火))

2022年3月21日 09時37分

 本来は最初に違う話をしようと思っていた。齋藤教頭先生が1月7日に亡くなられた。坂出高等学校として哀悼の意を表したい。黙とうをささげたい。

   さて、皆さんは新年になって本当におめでたいと思っているか。私はかなり長い間、今でははっきりと覚えていないが教員となってからも、新年とか自分の誕生日とかを、本当にめでたいと思わなかった。新年や誕生日は、「来て当たり前」のものだと考えていたのである。しかし、教員となって年を重ねるにつれ、思わぬ病気や事故が原因で、新年や誕生日を無事に迎えることができない人が結構な数いることということが分かるようになってきた。残念ながら、齋藤教頭先生がまさにその典型例になってしまった。そういう中で、無事に新しい年を迎えることができたという意味で「おめでとう」という言葉を自然に言えるように、そして自然に受け入れられるようになってきた。今考えると、長い反抗期だったのかもしれない。一般的には、青年期後期は大学卒業頃に終わるはずなのだが。少なくとも、私は大学でそう習ったと記憶している。

 今年度も残り3か月。昔から言われているように、「一月は居ぬ、二月は逃げる、三月は去る」で、3学期は本当にあっという間に終わってしまう。これまでも繰り返してきたつもりだが、1日1日を大切に、そして有意義に過ごしてほしい。

 3年生の皆さんには、いよいよ共通テストまで残りわずかとなった。私は君たち、坂高生を全般に非常に優秀な生徒であると思っているが、数点気がかりなことがある。その大きな一点目が欠席。皆さんのほとんどが大学へと進学していくが、大多数の大学は生活指導、具体的は欠席や遅刻、早退などについての注意喚起をしてくれない。私は、生活についていろいろ助言するのは高校までであると思っているので、敢えて言っている。社会人になって、普通の勤務日に急に休むということは常識的には考えにくい。もちろん、人間なので風邪をひいたり発熱したりして、どうしても仕事に行けない日はあるだろう。しかし、それが許容されるのは年に一度くらいではないか。甘めに言ってもせいぜい2回、通算では年間3日くらいではないか。それ以上の日を体調不良で休むということは、少なくとも私の考える常識では通用しない。体調管理というのは、社会人に課せられた大きな義務である。少し話題が逸れるかもしれないが、皆さんは日本国憲法で定められた国民の三大義務というのを覚えているか。中学校でも、また、高校1年生の現代社会でも習ったのではないかと思う。その義務とは、「教育の義務」、「勤労の義務」、「納税の義務」である。すでに習った内容だと思うので詳しくは言わないし、「欠席が多い=将来会社を休む」という単純な図式にはならないと考えるが、それでも若干の不安を感じてしまう。勤労と納税の義務はきちんと果たしてくれるのか。特に今の時期の3年生。今日、この話を聞いている人は出席しているわけだから、欠席している人に対して言うべきことである。始業式の日から共通テストまでの間、非常に欠席が多い。実に嘆かわしいことであると言いたい。しかし、今朝欠席連絡は全学年で10名ほどであった。少ないとは言えないと考えるが、ともかく休むことなく学校に来なさい。大体において、受験でうまくいく人というのは、学校を最後まで信頼して生活を送ってきた人である。今日きちんと出席している3年生の皆さんが、受験で成功することを切に願っている。本当に今日この日、即ち共通テストを4日後に控えた日であっても、いつも通り学校に来る。私はこれが当たり前だと考えている。1年生と2年生の皆さんも、去年6月に進路指導部から配られた「進路資料」の中にある合格体験記をぜひともいま一度読み返してほしい。坂高を、そして坂高の先生方の言われることを最後まできちんと実践してほしい。そうすることで、夢は必ずかなえられる。そうでない人は、必ずと言っていいほど苦労する。
 そういう体験記は書いてもらえないのが残念だが。

 さて、COVID-19と名付けられたコロナも、昨年11月下旬頃になって新たな変異株オミクロンが発見され、最近では日本でも急激な感染拡大のために、いろいろな規制がされ始めてしまった。この2年近くにわたるコロナ蔓延の影響で、生活スタイルが変わってしまった点もある。アメリカ合衆国では、誕生日にケーキの周りで happy birthdayを歌い、ろうそくを消したり、握手したり、ハグ(抱きしめる)したり、頬にキスしたりといったいわば‘伝統’までもが消えかかっていると聞く。皆さんのような若者の間ではどのような変化が起こったのだろうか。学校の臨時休業や夏休みの延長などによって、自宅にいる時間が長くなったせいで、ゲームやSNSへの依存度が高まってはいないだろうか。コンピュータ自体を否定するものではないが、それが‘依存’になってはいまいか。また、友達と対面で交流する機会が減ってしまったために、言葉によるコミュニケーション能力が落ちたのではないだろうか。悩み事を一人で抱え込んでしまい、精神面で不安な人が増えたのではないだろうか。いろいろなことを考えてしまう。もし、そういう人がいたら、遠慮なく担任の先生や教育相談部の先生に話をしてほしい。私たちは、皆さんの話を聞くことしかできないかもしれないけれど、逆に聞くことは得意である。学校は決して勉強と部活だけのための場所ではない。知性と豊富な経験を備えた立派な先生方がいる場所である。この意味でも、学校は皆さんが来る値打ちのある場所であると自負している。

 話は変わるが、今年2022年は冬季オリンピックが中国の北京で開催される。もう開幕間近である。このスポーツの祭典をめぐって昨年末あたりから、アメリカ合衆国と中国でかなり火花が散っているようである。学校では政治教育と宗教教育はしてはいけないことになっているので深入りはしないが、個人的にはスポーツと政治というのは結び付けて考えない方がいいのではないかと思う。オリンピックは、アスリートが純粋に競技に打ち込める場であるべきだと私は考える。皆さんはどう考えるか。何事につけても、自分の意見を持っておくことが大切である。 令和4年度はいよいよ「18歳成人」が本格的に始まる。2年生は4月の新年度から18歳になった時点で、3年生も18歳になった時点で、かなりたくさんのことを自分の判断だけで行えるようになる。成人なので、保護者の許可は不要である。最も注意を要するのが「契約」である。例えば、ローンを組んで自動車を購入することが自分の判断でできるようになる。これは一つの例えだが、そこにはローンの仕組みについての知識が必要になる。現在おもに家庭科で習っているはずである。いよいよ自分で判断を下す立場になる。1年生の人は一年後である。そこで、例えば現在借り入れをした場合の利率や、逆に預金をした時の利率を知っているか。「共通テストを前にして何を?」と思っている3年生も多いのではないかと思うが、実はこのような知識は社会に出てから大変重要なものである。それがゆえに、来年度入学生から新しい科目「公共」というのを学ぶようになる。

 もう高校生にもなっているのだから、いろいろなことを他人任せにするのではなく、自ら考え行動できる人間を目指してほしい。3学期は、1つ上の学年になったつもりで、学業に部活動に励んでほしい。特に学業においては、それが夢をかなえる近道である。

令和3年度2学期終業式講話(12月24日(金))

2022年3月21日 09時37分

 今日は私が長年、正確にはちょうど30年間教員として教えてきた「英語」について話をしたい。自分が英語教員という道を選んだことについても、話せばゆうに与えられた時間を埋めるくらいにはなるが、今日はそちらではなく、純粋に言語としての英語について皆さんと一緒に考えたい。皆さんのほとんどの人は、中学校で本格的に英語の学習を始めたはずなので、まだ学び始めて4年目から6年目のはず。私も始めたのは中学だが、年齢がいっているので、通算で言えば48年目ということになる。自分で言いながら正直、初めてその年月に驚いている。

 私が英語について思うこと。要約すれば、この一言。「なんだかんだ言っても、やはり世界共通語は英語である。」ということに尽きる。英語では、When all is said and done, the tool for international communication is English.ということになろうか。最初はこの文の主語と補語を入れ替えて、「英語は世界共通語」とし、English is the tool for international communication.としていたが、逆の方が実態に合っていると考えて、「世界共通語は英語である」としてみた。主語=補語であり、ともに名詞なので同じと言ってしまえばそれまでかもしれないが。今のご時世では、英語は道具であるという考え方の下で、こういった語法研究などを行っている英語の先生は激減している。もしかすると本県では数人かもしれない。私が教員になったころには、辞書を読み比べている先生がいた。それも数人が。それほど語法研究に熱心であった。本校正門の前にある竹内公平先生も、大変勉強熱心な方で大英和辞典の執筆者の一人である。丸亀高等学校の校長を最後に引退された。毎日のように皆さんの様子をうかがってくださっている。

 さて、再び私が教員になったころの話に戻るが、同じ学校に数学を教えているが、語学にも興味のある先生がいた。その先生が当時興味を持っていたのは、エスペラント語という言語である。皆さんは聞いたことがあるか。私はその時初めて聞いた。何でも、英語を世界共通言語というのか公用語というのか、ともかくコミュニケーションの手段として使用するというのは、英語が母国語である人々には有利に働くが、英語を母語としない人たちにとっては大変不利である。したがって、皆が同じく苦労しなければ修得できない人工言語を世界共通語にしようとするものである、と当時その数学の先生からは聞いたと記憶している。

 今ではいろいろなことをインターネットで調べることができるので、先日その言語について調べてみた。Wikipediaには次のような説明がある。(原文を一部変えている。)

創案者のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができ、世界中ですでに使われている母語に成り代わるというよりは、むしろすべての人の第2言語としての国際補助語を目指してこの言語を作った。ザメンホフは、帝政ロシア領(当時)ポーランドのビアウィストク出身のユダヤ人眼科医で、19世紀末頃に自著でこの言語を発表した。 現在でも彼の理想を追求している使用者が多くいる一方、理想よりも実用的に他国の人と会話したり、他の国や異文化を学んだりするためのものと割り切って使っている人もかなりいる。今日では異なる言語間でのコミュニケーションのためのほか、旅行、文通、国際交流、ラジオ、インターネットテレビなど、さまざまな分野で使われている。英語を国際共通語として当然視してしまう姿勢への対抗的姿勢が、とって代わるべき国際補助語としてこのエスペラントを持ち出すこともあった。 エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている。

 「現在でも約100万人」ということをどのようにとらえるかは人によると思うが、私は世界の人口が79億人に迫ろうとしている中にあっては、かなり少数言語(minority language)の部類に入ると言ってもいいのではないかと考える。それは、日本語について考えても、母国語話者は約1億3000万人。現在世界一の人口である中国には14億人、インドが14億人に極めて近い13億人台である。言語として有名なフランス語やドイツ語について見ても、フランス本国の人口は約6,500万人、ドイツの場合は約8,300万人である。

 それに対して、基本的に英語を事実的に公用語としている国々を見てみたい。もちろん、そこに住むすべての人が英語を話すことができるわけではないということを斟酌しても、アメリカ合衆国は人口規模では3億3,000万人。イギリス6,700万人、オーストラリア2,500万人である。それらを合計すると、約4億2,500万人である。 もし、人口規模だけで「世界の共通語」が決まると仮定すると、現在は14億人を超える人口を抱える中国で使われている中国語、あるいは、中国よりも少し少ないが、やはり14億人に迫ろうとしているインドで、約4憶人が話すとされているヒンディー語などが採用されていても不思議ではない。しかし、世界に約6,000あるとされている言語について語るのは非常に難しく、その「6,000語」にしても確固たる証拠があるわけでもなく、また、学者によっては少数部族が話す少数言語を含めれば、1日に1言語が消えているという文書も見たことがあり、とにかく定かでない。 少し話が広がったが、元に戻したい。結局、現在では実質的に英語が世界の共通言語であるということに関しては、ほぼだれも異論を唱えようのない状況であると思う。皆さんは、これからますますグローバル化する社会の中で、この現実にどのように向き合おうとしているか。もはや、受験英語の好き嫌いとかですまされる問題ではない。以前にも話したことがあると思うが、勉強というのはいったんやめてしまうと、それは一気に衰退の道をたどる。先ほども言ったように、長年英語を教えてくる中で、本当によく言われたことは、「英語の先生ですか。英語ができていいですね。」これは、生徒や保護者から言われることよりも、同僚から言われることが多かった。私は英語の教員になるべく、先ほども言ったように50年近くずっと英語から離れなかったので、たとえ文法や語法の間違いはするにしても、また、英単語は頻繁に忘れていたりするものの、英文を読んだり書いたり、英語を介してコミュニケーションを図ることはできる。これをほかの教科の先生方の多くは大学以来していないので、「私が古典の能力がほぼ0」になっているのと同じく、「英語の能力がほぼ0」になっているということであろう。これは本当に残念な話である。 国としては、中高の6年間英語の学習をしても、日本人の英語でのコミュニケーション能力が向上しないということについて、かねてより非常に大きな危機感を持っている。これは、英語の先生だけに指導力向上研修等の研修が課される場合がとても多いということにも表れている。他の教科の先生にはわからないと思うが。来年度入学生から高等学校で学ぶ教科・科目がかなり大きく変わる。英語だけについて言うと、現在の「コミュニケーション英語」という科目は「英語コミュニケーション」へ、「英語表現」は「論理・表現」へと変わる。これは単なる名称変更ではなく、ともかく英語を実際に使える生徒の育成を目指すということである。趣旨には賛同できるが、早くも英語科の先生方に研修が計画されているようなのが気の毒である。 また、皆さんに英語の勉強の仕方についても話をしたかったが、次回以降に譲ることにする。
 

 最後になったが、1つ紹介しておく。先日、皆さんの先輩である「市役所坂高会」(本校同窓会の坂出市役所支部)から20万円の寄付を頂戴した。昨年度も10万円いただいている。コロナの感染防止対策や、皆さんの教育活動に広く役立ててほしいということである。今回は特に、進学面と部活動の面での活躍を期待している旨のお話をいただいた。本校の卒業生の皆さんは、いつも陰ながら本校そして皆さんのことを気にかけてくださっている。本当にありがたい話である。先生方とも話し合いながら有効に使わせていただきたい。

令和3年度10月全校集会(10月4日)

2022年3月21日 09時35分

 ここにきてコロナの感染状況が改善されてきた。しかし、これから冬を迎えるにあたって、まだまだ油断は禁物であろう。あまり神経質になるのもよくないとは思うが、今しばらくはマスクを外していいということにはならないだろう。皆さんも十分に知っていることだが、何せ数としては少ないものの「重症化したり、亡くなったりする感染症」である。
 さて、10月を迎えた。学年のちょうど半分が終わったということになる。年度当初に皆さんの「キャリアパスポート」に書いてもらったが、坂出高校が育てたい生徒像として掲げている9項目について、半期を振り返ってどうだったか。学校の方も、3年生が坂高祭に参加できないとか、全校が一斉に集まった集会等ができないなどの事態はあったが、昨年度に比べると総体や音楽のコンクールなども実施される等、かなり平年並みの行事ができるようになってきた。本校が生徒を育成すると掲げる9項目、
   (1)確かな基礎学力とそれを活用する力、
   (2)他者の意見を聴き、自分の意見を論理的に伝えるコミュニケーション能力、
   (3)柔軟な思考力と判断力、
   (4)知的好奇心をもって、積極的に物事に挑戦する力、
   (5)リーダーの自覚をもって他者を先導する力、
   (6)基本的生活習慣と自らを律する力、    (7)礼儀・マナーを守り、他者を思いやることのできる力、
   (8)困難に立ち向かい粘り強く取り組む力、
   (9)他者と協働して物事を成し遂げる力。
 大人の世界(学校の先生方、一般企業も似ているのではないかと思う)では、自らが立てた目標を中間評価する時期である。皆さんもぜひ自己評価を行い、今年度の残り半分で、年度当初に立てた目標をクリアできるよう、不断の努力をしてもらいたい。
 私は皆さんの一人一人が立てた目標については知らないが、立てた目標を実現する手立てとして「授業」を抜きに考えることはできないものと考えている。また、皆さんが目標を立てるに際して、学校にいる時間の大半を占める授業を抜きで考えることは適切でなはいと思う。いまさら、年度当初に立てた目標を変えよとは言わないが、修正してもかまわないと思う。そのように考えるのは、やはり坂出高校の先生方の授業が非常に優れていると考えるからである。
 先月21日から24日までの3日間(1日休日をはさんだ)は、「公開授業週間」であった。先生方同士で授業見学を行い、意見を交換することが主たる目的なわけだが、ほかにも、クラス担任の先生が自分の授業以外での生徒の様子を知ったりすることにも有効である。私は毎年この期間に、先生方の授業を見て回ることにしており、今年度もそうした。その時に感じたことは、大きく4つ。1つには先ほども触れたが、坂出高校の先生方は授業にとても熱心で、かつ分かりやすい授業をしているということ。2つ目は、その授業を受けることのできる高校生=皆さんは、とても幸せだということ。3点目は、高等学校の学習内容は、やはりやや高度だが社会生活に欠かすことのできない内容だなということ。最後4つ目は、皆さんの授業態度の良さ。大多数の皆さんが授業に真剣に向き合っている。これには感心し、坂出高校の生徒諸君を改めて誇らしく感じた。
 皆さんにとって、授業というのは「ごく当たり前」のものだろう。しかし、現在受けているような授業を受けることができるのは高等学校まで。多くの人が進学する本校にあっても、高校よりも上の教育機関(少なくとも私の知っている「大学」)では、今皆さんが受けているような丁寧な授業というのはない。私が大学での教育を受けたのは、すでに40年ほども前のことなので、現在では多少は変わっているかもしれないし、また、変わっていてほしいと思うのだが、大学の授業というのは、先生が授業開始時刻よりも相当遅れて来て、自分の専門領域のことを一方的に話し、人によっては授業用テキストと称した自らの著作本を学生に売りつけ、授業終了前にさっさと引き上げてしまうというおよそ「教育」とは呼べないようなものがまあまあの数あった。特に1回生から2回生にかけての教養科目には、そういう先生たちが相当数いたように記憶している。ただし、例外は語学。私の場合、英語とドイツ語。これは非常に厳しかった。ちなみに1コマの授業時間は100分であった。昨今は、いろいろなことに法令遵守(コンプライアンス)や説明責任(アカウンタビリティ)などが求められていること、また、大学でも授業評価が行われているらしいことを聞くにつけ、教養課程でもそういったいい加減な「教授」も減っているのかなとは思う。また、大学では自分の専門領域の勉強はするが、それ以外のことはほとんど学習する機会がない。教育学部の英語教育学専修だった私の場合、大学の4年間は国語、数学、歴史、保健、家庭、芸術の授業は皆無で、理科もほぼなし。ただ、高校ではなかった教育学とか心理学、哲学、憲法の授業はあった。体育は2回生の時まで週に1コマだけあった。今思えば、当時の共通一次テスト(現在の大学入学共通テスト)で、5教科7科目まで受験させておいて、入学したらもう勉強の面倒は見ませんよというような制度は果たしてどうなのかという疑問が残ったままである。勉強というのは、一度やめてしまうとそこで成長は終わる。自分の経験からこれは確実に言える。高校当時好きだった、古典や数学の勉強を継続させるべきであった、と悔やんでも悔やみきれない気持である。
 皆さんは、国語(現代文、古文、漢文)、数学、理科、地歴、公民、保健体育、芸術、英語、情報、家庭といった大変幅の広い学習をしている。そして、坂出高校の先生方は微に入り細に入り、大変わかりやすい教え方をしてくださっている。これを当たり前とは考えないでほしい。当たり前ではなく、幸せなことである。先生方の授業には、本当に頭が下がる。1時間の授業のために、そして、生徒のために、ここまで準備してくださっている。4年前まで先生方と同じく授業をしていた者=私が見ると、その授業の背景にある準備の様子が窺える。毎年本当に感動さえする。生徒の皆さんには、人生一度きりの最高の瞬間が1コマ1コマの授業に凝縮されていると心得てほしい。大学受験も大事である。しかし、本校の先生方は大学受験のその先、皆さんが社会に出て、生きていくために必要な素養を教えてくださっている。現代の社会は、高等学校で学ぶ程度の知識がないと生きていくのが非常に困難なものである。今このように話しても、ピンとこない人が多いだろう。しかし、諺にもあるように「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」である。茄子は花をつければ必ず実をつけるそうである。耳が痛い親の話も、後で考えると自分のことを思って言ってくれたのだと思える。学校という場では、先生は皆さんの親である。どうかこのことを肝に銘じ、1時間1時間の授業に精一杯取り組んでほしい。
 最後に。秋は部活動にとって、新人大会や選抜大会の時期である。精一杯の頑張りを期待する。3年生には、粘り腰で落ち着いた学習を期待している。自分を安売りしないように。大学は選べる時代である。大学に選ばれなくてもよい。このことは1年生、2年生にも知っておいてほしい。私がなぜこのように言うのか。根拠がある。各自で考えてほしい。

令和3年度2学期始業式講話(9月13日(月))

2022年3月21日 09時35分

 延長されて50日も続いた夏休みが「やっと」終わり、本日の学校再開がかなった。始業式ということで、皆さんに話をする機会をいただいた。最初は、この夏休み中にあった東京オリンピックやパラリンピックのこと中心に話をしようと考えていた。しかし、その考えが変わった。今日は、現在の香川県のみならず、日本全体に目を向けた話をすることにした。 そのきっかけは、二つある。一つ目には、いつまでたっても終息しないコロナ感染症。今一つは、内閣総理大臣の突然の辞任予告。この二つのことが、相互に関連していることは皆さんにも分かっていることと思う。現在の内閣総理大臣は、昨年秋の就任以来ずっと、本当にほぼ休みもなしで、コロナ対応に当たってきた。これは新聞でも報道されていたが、この1年間はほぼ休暇を取っていないと言っても過言ではないようだ。緊急事態宣言やまん延等防止措置、また、飲食店への時間短縮営業や酒類の提供停止など、様々な具体的な対応も行ってきた。しかし、そのような努力にもかかわらず、コロナ感染の勢いは止まっていない。9月末で自由民主党総裁としての任期を迎え、10月には衆議院議員の任期が満了になるという政治日程の中で、コロナ対応との両立は難しく、「コロナ対応に専心する」と総理大臣は言った。私はこの言い分には大いに賛同はできるが、前政権を引き継いで、わずか1年で総理大臣が変わるというのは、国際的には一定の不信を買うことにもつながるのではないかと思う。皆さんは現在のこの事態をどのように見ているのか。つまり、自由民主党という党の総裁選挙、そして、衆議院議員選挙を控えながら、どのようにコロナ感染対策を行っていくべきか。皆さんになぜこのよう話をしようと思ったか。それは、来年度から始まる「18歳成人」を前に、現在でもすでに18歳で投票権を持つ皆さんが、選挙(投票)を通して、だれならばこの難局を打開できるかを真剣に考えなければならないと思うからである。投票率というのは大変低い傾向にある。しかし、投票に行かないということは、すべてを他人に一任するということであり、ある意味では非常に危険な行為である。
  私が学校に勤め始めて、今年で38年目である。私は、現在の日本は今までに経験したことがない難局に直面していると感じている。私たち一人一人が、当事者意識を持って行動しなければ、太刀打ちできそうにない局面である。しっかりと考え、行動することを期待している。

 最後に、各学年の皆さんへのメッセージを述べる。3年生にとっては進路に向けて勝負の学期である。この3月に卒業した3年生の多くがそうであったように、来年3月の後期日程までを見据えてしっかりと第一志望校を貫いてほしい。また、学校推薦型選抜や総合型選抜での受験を考えている人もいると思うが、自分が真にその要件を満たしているか、自分としっかりと向き合ってほしい。前にも話したことがあるが、大学受験というのは自分を成長させる大きなチャンスである。決して逃げてはならない。 1年生にとっては文系と理系のコース選択の時期である。将来就きたい仕事から、どのコースどの科目を選択するのがベストなのかを考えてもらいたい。これをバックワードデザインという言い方をする。しっかり自分と向き合うとともに、先生方にアドバイスを求めてほしい。2年生の皆さんには、学習面での実力アップを特に期待する。 この2学期。遠足や2年生の修学旅行が無事に実施できることを願っている。皆さんもそれらが滞りなく行えるように、マスクの着用や手洗い、そして特に昼食のとり方に注意してもらいたい。

令和3年度1学期終業式式辞(7月20日(月))

2022年3月21日 09時34分

 早くも1学期が終わろうとしている。この間を、「長い」と感じた人はどれくらいいるだろうか。多くの人が、「あっという間だった」と思っているのではないか。「少年老い易く学成り難し」と先人が言ったように、一日一日を一生懸命に生きていかないと、本当に何も身につけずに生涯を終えることになりそうである。自戒の意味を込めてである。これからの夏休み、どう過ごせばいいか、各自が一番わかっているはず。二度とない時間を、計画的に使ってほしいものである。 さて、今日はまず、今シーズン大リーグで驚異の活躍をしている大谷翔平選手について話したい。先日のアメリカ大リーグのオールスターゲームに投打の二刀流として、さらには前日のホームラン競争にも出場した大谷選手。ファン投票で、圧倒的な票数で指名打者としての出場が決まっていたが、先発投手としての出場は選手間投票で決まったものであると聞く。さらに、ホームラン競争は大リーグ機構からの依頼ということである。つまり、ファンのみならず、プロの選手と大リーグの運営団体からも支持されての出場ということである。プロの野球人として、これほどの名誉なことがあるだろうか。

 そして、皆さんもニュースですでに知っているとは思うが、その結果について。ホームラン競争では、惜しくも一回戦で敗れたものの、いわゆる延長戦にまでもつれ込んだ。また、オールスターゲームでは「1番指名打者」かつ「先発投手」として出場し、ヒットこそ出なかったものの、投手としては「勝ち投手」となった。このような出場形態が許されたのは、大谷選手のためのルール変更だとのこと。アメリカのメディアもこぞってこの話題を取り上げたようで、大谷選手の人気は、大リーグで活躍した多くの日本人選手の中でも過去に例がないほどである。この人気沸騰の一つの理由が、彼の野球人としての活躍に加えて、球場(グランド)にゴミが落ちていたらさりげなく拾ってユニホームのポケットに入れたり、自分が打ち取ったバッターの折れたバットを拾って渡してあげたりするところにもあるようである。まさに、人間というのはトータルで判断されるものであることを如実に示していると言えよう。 しかし、私は5年前に、「大谷選手が大リーグに挑戦」という話を聞いたとき、少々ショックだった。それは、大谷選手が当時所属していた北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督が「二刀流」を認め、その起用法に大変苦心しながらも、大谷選手の意向に沿い、成長を見守るという姿勢であったことがとても印象に残っており、果たして大リーグにそのような理解のある監督がいるのだろうかと思ったことが主な理由であった。しかし、実際には私の心配は杞憂に終わった。大リーグエンゼルスの監督も、大谷選手を投打の二刀流として育てるように配慮してくれたからである。ここで翻って考えると、スカウトされてプロ野球の道に進むような人というのは、少年野球から始めている人が多いと思うが、そもそも「エースで4番」という人が非常に多いはずである。それがどこかの時点で、投手を選ぶのか打者を選ぶのかという選択を迫られて、どちらかを選択したという人がほとんどではないか。それは、投手か打者のどちらかだけでも、十分に食べていけると言うか「高給」が取れるのだから、当たり前の選択だろう。選手としての寿命も延びることだろうし。しかし、投打の二刀流を現在でも貫き、結果を残すことによって周囲を納得させている大谷選手は本当にすごい人だと思う。

 私が彼を「すごい」と思うのは、その実績はもとより彼の人柄や考え方である。人柄については、先ほど言ったゴミ拾いやバット拾いにもよく表れている。大谷選手の言葉から、私が感心し、自分では到底まねできないのは、大谷選手の切り替えの良さである。言葉を換えれば、一喜一憂しないところである。例を挙げると、今年の6月30日。ヤンキースタジアムで投手として先発した試合でのこと。早々に打ち込まれ、いきなりの7失点。当然のごとく敗れた試合後のインタビューで、このように語った。「いい投球ができればよかったが、長いシーズンの中でこういう難しいゲームは必ず来る。そこで一つ切り替えられるかも大事」。皆さんはこういうものの考え方ができるだろうか。恥ずかしながら、私にはできない。私なら自分の投手としての未熟さを反省するとともに、「チームが負けたのは自分のせい」というふうに考えて、落ち込んでしまうところである。自分の性格なら、間違いなくそうなると思う。これは、完全にマイナス思考である。大谷選手は、「長いシーズンの中では、うまくいかないことある。いつもいい時ばかりではない」と言っているわけである。まだ27歳の大谷選手が、そんなものの考え方ができるのはなぜだろう、と不思議であるが、こういった考え方、プラス思考で生きることができるということが、彼の活躍の一因であることは間違いないと思う。今後とも、彼の活躍と言動に注目していきたいと思う。皆さんにも注目してほしい選手である。

 今日はもう一点、野球とは全く話が違うが、夏休み前ということで話をしておく。特に3年生の皆さんに。私がこれまで勤務した、ある学校の終業式の校長講話の中で、頭から離れない講話がある。それは、「3年生の皆さんは、この休み中には1日に15時間は勉強しなさい」という言葉である。私自身も高校時代には勉強に時間を割き、休みの日は12時間勉強を継続していた。「どこまでならできるんだろう」という好奇心もあり、徹底的に自分を追い込んで最高に勉強したのは1日に13時間半だった。さすがに翌日はしんどかったが、それでも12時間の勉強時間は欠かさなかった。それで、今言った「ある学校」というのは高松高校のこと。私は高松高校には通算で12年間勤務したが、学級担任をしていて思ったのは、高松高校の生徒は、決して「自分は勉強している」とは言わないが、実はものすごく勉強しているということである。「いやいや、あの学校に合格する子はみんな元から頭がいいんだろう」と考えるのは大間違い。12間勤務した中で、いわゆる「天才」と呼んでいい生徒には1人しか会ったことがない。その生徒は、まさに授業で勝負しているような生徒で、「一度聞いたことは忘れない」と話していた。現役で東大の理科Ⅱ類に合格した。東大や医学部に合格していった生徒は数えきれないくらいにいるが、共通しているのは、非常に真摯に勉強に取り組んでいたことと、最後まで諦めずに粘ったことである。高松高校の話を出したのは、皆さんにもそうあってほしい部分があるから。即ち、最大限の努力をすることと、最後まであきらめないこと。初めに「特に3年生」と言ったが、大学受験の準備はいくら早く始めても早すぎるということはない。1年生、2年生の皆さんにも頑張ってもらいたい。先月放送が終わってしまったが、日曜日の夜に放送されていた「ドラゴン桜」。あの番組は、見ていて共感できる部分があった。簡単に言えば、「大学受験を通して人間は成長する」ということ。これは、私がこれまで教えてきた学校のほとんどの生徒に共通して見られることである。受験はただの競争ではない。自分と向き合う絶好のチャンスであり、成長の機会である。逃げることなく立ち向かってほしい。

 以上、大きく2つの話をした。いまだにコロナの終息が見えない中での「オリンピック開催」、本校にとっては2年ぶりの「坂高祭」となる。感染対策を行いながらも、質の高いクラス展示ができるように、計画的な準備に期待している。

令和3年5月全校集会(5月6日(木))

2022年3月21日 09時32分

 新緑が目にまぶしい季節が巡ってきた。新しい学年が始まって1か月になる。皆さんも新しい環境にそろそろ慣れたか。急いだり慌てたりする必要はないが、自分を取り巻く環境にうまく順応するというのは大切である。今日は、これに関連して話をしたい。

 人間はみんなこうありたいという「自分の理想像」を持っていると思う。これは皆さんもそうだと思うし、先生方も同じだと思う。「自分はこうありたい」という理想があるはずだ。 例えば、「クラスのリーダーとして皆から信頼されたい」、とか、「部活動で輝きたい」とか、「勉強では負けないぞ」、とか、「異性から好かれたい」とか。挙げればきりがないほど「こうありたい自分」があることと思う。 さて、現実はどうか。皆さん、「こうありたい自分」になれているか。1年生の皆さん、あこがれだったはずの坂高で、輝けているか。2、3年生の皆さん、新しいクラスで、また部活動で「理想の自分」になれているか。

 もし、皆さん一人一人に尋ねると、きっとそうではない、つまり「理想と考える自分」にはなれていない人の割合が結構高いのではないでしょうか。そんな時に、皆さんはどのようにしてそれを乗り越えていくのでしょう。

 私が今日、皆さんにお話ししたいのは、自分が思い描く自分になれなかった時でも、「そこでしっかりがんばってほしい」ということである。「校長は、酷なことを言うなあ」と思うかもしれない。皆さんは渡辺和子という名前を聞いたことがあるか。5年ほど前に亡くなったが、長年、岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務め、晩年には理事長をなさった方である。その大学は、本校からも毎年進学する人が出ている大学なので、渡辺先生の教えを受けた本校卒業生も多いはずだ。 その先生の著書に、『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。本校の図書室にもある。読んだことのある人はいるだろうか。

 渡辺和子先生は、1927年(昭和2年)北海道の旭川生まれで、東京育ちという方である。今、もしご存命なら94歳である。父親は、のちに二・二六事件で暗殺される渡辺錠太郎という元陸軍中尉で、事件当時には教育総監(そうかん)という地位にあった方である。先生は、1951年(昭和26年)に東京の聖心女子大学を卒業し、さらに上智大学で学び、その後ノートルダム修道女会に入る。「修道女」というのは、男性ならば「修道士」と呼ばれるが、それは、わかりやすく言えば、修道誓願(しゅうどうせいがん)という誓いを立てて、禁欲的な信仰生活をする人のことだそうだ。渡辺先生の場合にはキリスト教(カトリック)だった。 先生は、上智大学の大学院を修了した後、アメリカに派遣され、再び大学院で学ぶ。そしてやがて帰国するのだが、この修道士・修道女の世界というのは非常に厳しく、上からの命令は絶対の世界だということのようだ。それで、渡辺先生は30歳代半ばでノートルダム清心女子大学に派遣を命じられるのである。岡山という土地は、先生にとっては、まったくもって縁もゆかりもない土地だったそうだ。

 そして驚くべきは、その翌年36歳という一般には考えられないような若さで、ノートルダム清心女子大学の学長に任命される。その詳しい経緯は、その著書の中では触れられていないが、学業のみならず人間的にも相当優秀な方だったのだろうと推測される。 しかし、その大学の学長は、渡辺先生の前2代ともアメリカ人の70歳後半の方がお務めだったそうだ。本には書かれていないが、年配の先生方も多い中、大変な若さで学長となった先生のご苦労は、容易に推察できる。学長であるからには、ほかの先生方や職員に指示したり、お願いしたりしなければならないことも多いはずだが、自分よりもずいぶん若い、場合によっては自分の子どもくらいの年齢の者から言われたことを、皆が素直に聞いただろうか。きっと渡辺先生は相当につらい目にあったことと思う。 そのような状況の中で、渡辺先生は「くれない族」になるのだ。「くれない族」とは、「挨拶してくれない」、「こんなに苦労しているのに、わかってくれない」、「ねぎらってくれない」と、人が自分に対して「してくれない」ことを不満に思う気持ちのことであると、渡辺先生は記されている。

 そんな渡辺先生に、一人の宣教師が、英語の短い詩を渡してくれたそうだ。それは、先生が、岡山という縁のない土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦しているのをその宣教師が見かねてのことだったのではないか、と先生は思ったそうだ。 その言葉とは、Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)というものだった。 この詩をもらったことで、渡辺先生の心は変わるのだった。著書には、次のように書かれている。

 「そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生れたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせてみようと決心することができました。それは、私が変わることによってのみ可能でした。」 さらには、このように続きがあります。「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

 皆さんも、現在置かれた場所が、何となく不本意であると感じている人がいることでしょう。そんな時に、今日私が話したことを思い出してほしいし、また、この本を手に取ってほしいと思う。 人間というのはなかなか面倒な生き物である。特に高校生の時期というのは、時に「生きづらさ」を感じ、「自分のことが嫌いになる」時期である。しかし、人生においては、たいていのことが自分の思い通りにはならないものである。これはみんな同じで、決してあなただけではない。そんな時でも、決して現実から逃げたりせず、一人ひとりが「現在置かれた場所で懸命に生きる~咲くか、根を張る~」、今日はそういうことの大切さに気付いてほしいと思って話をした。

 さて、運動部の3年生の皆さんにとっては高校生活の集大成となる高校総体まであと1か月を切った。ベストが尽くせるよう万全を尽くすとともに、些細なことでけがをしないよう注意して生活してほしい。 新緑が目にまぶしい季節が巡ってきた。新しい学年が始まって1か月になる。皆さんも新しい環境にそろそろ慣れたか。急いだり慌てたりする必要はないが、自分を取り巻く環境にうまく順応するというのは大切である。今日は、これに関連して話をしたい。

 人間はみんなこうありたいという「自分の理想像」を持っていると思う。これは皆さんもそうだと思うし、先生方も同じだと思う。「自分はこうありたい」という理想があるはずだ。 例えば、「クラスのリーダーとして皆から信頼されたい」、とか、「部活動で輝きたい」とか、「勉強では負けないぞ」、とか、「異性から好かれたい」とか。挙げればきりがないほど「こうありたい自分」があることと思う。 さて、現実はどうか。皆さん、「こうありたい自分」になれているか。1年生の皆さん、あこがれだったはずの坂高で、輝けているか。2、3年生の皆さん、新しいクラスで、また部活動で「理想の自分」になれているか。

 もし、皆さん一人一人に尋ねると、きっとそうではない、つまり「理想と考える自分」にはなれていない人の割合が結構高いのではないでしょうか。そんな時に、皆さんはどのようにしてそれを乗り越えていくのでしょう。

 私が今日、皆さんにお話ししたいのは、自分が思い描く自分になれなかった時でも、「そこでしっかりがんばってほしい」ということである。「校長は、酷なことを言うなあ」と思うかもしれない。皆さんは渡辺和子という名前を聞いたことがあるか。5年ほど前に亡くなったが、長年、岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務め、晩年には理事長をなさった方である。その大学は、本校からも毎年進学する人が出ている大学なので、渡辺先生の教えを受けた本校卒業生も多いはずだ。 その先生の著書に、『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。本校の図書室にもある。読んだことのある人はいるだろうか。

 渡辺和子先生は、1927年(昭和2年)北海道の旭川生まれで、東京育ちという方である。今、もしご存命なら94歳である。父親は、のちに二・二六事件で暗殺される渡辺錠太郎という元陸軍中尉で、事件当時には教育総監(そうかん)という地位にあった方である。先生は、1951年(昭和26年)に東京の聖心女子大学を卒業し、さらに上智大学で学び、その後ノートルダム修道女会に入る。「修道女」というのは、男性ならば「修道士」と呼ばれるが、それは、わかりやすく言えば、修道誓願(しゅうどうせいがん)という誓いを立てて、禁欲的な信仰生活をする人のことだそうだ。渡辺先生の場合にはキリスト教(カトリック)だった。 先生は、上智大学の大学院を修了した後、アメリカに派遣され、再び大学院で学ぶ。そしてやがて帰国するのだが、この修道士・修道女の世界というのは非常に厳しく、上からの命令は絶対の世界だということのようだ。それで、渡辺先生は30歳代半ばでノートルダム清心女子大学に派遣を命じられるのである。岡山という土地は、先生にとっては、まったくもって縁もゆかりもない土地だったそうだ。

 そして驚くべきは、その翌年36歳という一般には考えられないような若さで、ノートルダム清心女子大学の学長に任命される。その詳しい経緯は、その著書の中では触れられていないが、学業のみならず人間的にも相当優秀な方だったのだろうと推測される。 しかし、その大学の学長は、渡辺先生の前2代ともアメリカ人の70歳後半の方がお務めだったそうだ。本には書かれていないが、年配の先生方も多い中、大変な若さで学長となった先生のご苦労は、容易に推察できる。学長であるからには、ほかの先生方や職員に指示したり、お願いしたりしなければならないことも多いはずだが、自分よりもずいぶん若い、場合によっては自分の子どもくらいの年齢の者から言われたことを、皆が素直に聞いただろうか。きっと渡辺先生は相当につらい目にあったことと思う。 そのような状況の中で、渡辺先生は「くれない族」になるのだ。「くれない族」とは、「挨拶してくれない」、「こんなに苦労しているのに、わかってくれない」、「ねぎらってくれない」と、人が自分に対して「してくれない」ことを不満に思う気持ちのことであると、渡辺先生は記されている。

 そんな渡辺先生に、一人の宣教師が、英語の短い詩を渡してくれたそうだ。それは、先生が、岡山という縁のない土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦しているのをその宣教師が見かねてのことだったのではないか、と先生は思ったそうだ。 その言葉とは、Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)というものだった。 この詩をもらったことで、渡辺先生の心は変わるのだった。著書には、次のように書かれている。

 「そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生れたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせてみようと決心することができました。それは、私が変わることによってのみ可能でした。」 さらには、このように続きがあります。「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

 皆さんも、現在置かれた場所が、何となく不本意であると感じている人がいることでしょう。そんな時に、今日私が話したことを思い出してほしいし、また、この本を手に取ってほしいと思う。 人間というのはなかなか面倒な生き物である。特に高校生の時期というのは、時に「生きづらさ」を感じ、「自分のことが嫌いになる」時期である。しかし、人生においては、たいていのことが自分の思い通りにはならないものである。これはみんな同じで、決してあなただけではない。そんな時でも、決して現実から逃げたりせず、一人ひとりが「現在置かれた場所で懸命に生きる~咲くか、根を張る~」、今日はそういうことの大切さに気付いてほしいと思って話をした。

 さて、運動部の3年生の皆さんにとっては高校生活の集大成となる高校総体まであと1か月を切った。ベストが尽くせるよう万全を尽くすとともに、些細なことでけがをしないよう注意して生活してほしい。 

令和3年度 第1学期始業式講話 (4月6日(火))

2022年3月21日 09時32分

 春休みに入った頃には、まだ桜も早いものが咲き初めといった頃だった。それから20日足らずだが、私たち学校の教員が1年で最も慌ただしい日々を過ごしている中、いつの間にか本格的な春になっていた。本当に、「気がつけば春真っ盛り。」というのが学校に勤める私たちの常である。この素晴らしい季節の到来を、しみじみと味わうこともできないというのは非常に残念なことだと、毎年ゴールデンウィーク頃になって思う。

 皆さんの春休みはどうだったか。学業に、部活動に、充実していたか。昨年度最後の講話で話した通りの生活が実践できたか。大きな事故の報告を受けていないのは幸いだが、何か変わったことがあった人は、この後のホームルームで担任の先生に伝えてほしい。

 今日はまず、皆さんにまず知らせておきたいことが2つある。1つは大学入試について、2つ目は部活動での活躍についてである。私は今年度で坂出高校の校長として4年目を迎えるが、先生方には大きく3つのことをお願いしている。そのうちの二つが、進学に関することと、部活動に関することである。

 まず大学入試に関して。先月卒業した先輩方だが、現在判明している分で、国公立大学に120名が合格した。過年度生10名を含むが、卒業した生徒数263名から単純に国公立大学に合格した人の割合で言うと、45.6%である。この40%超えというのは4年連続である。中でもこの45.6%というのは、過去21年間の中でも一昨年の47.1%に次いで2番目に高い数値である。 この学年の特徴は、第一志望を貫いた人が多く、最後の最後まで粘った者が多かったということ。ただ1年次から学習時間が少なく、そこが心配な学年であった。みなさんも第一志望を貫徹してほしい。私は皆さんによく言っているつもりだが、「先輩ができることは、皆さんにもできる」ということ。それが伝統というものの持つ力である。

 もう一つは、部活動での活躍である。ちょうど春休みが始まった3月20日、宮崎県で行われた全日本アンサンブルコンテストで、本校の打楽器五重奏が全出場校(全国の各ブロック予選を勝ち抜いた22校)のうち、7校にしか与えられない金賞を獲得した。金賞のうち、打楽器は本校のチームだけだったということで、打楽器の日本一と言ってもよい。コロナの影響で、練習にも制約が設けられる中での快挙である。全校をあげて喜びたいと思う。

 ここからは、真に新年度の初めにふさわしいことを話す。これは、「高邁自主」に並ぶ坂出高校の伝統の一つである「パティマトスの石組み」についてである。「この石組みは、本校創立50周年記念事業として、建て替えで使われなくなった木造校舎の礎石などを転用して作られたもの。制作は空充秋(そら みつあき)氏、ギリシャ語の碑文は校長の高塚寛氏による。(「創立百周年記念誌」より。)」私は5年前に本校に赴任したが、それ以前から、この石組みに大変興味を持っていた。その理由は2つある。

 一つには、ギリシャ語である「パティマトス」の意味、「英知は苦難を通して来たる」という言葉に感銘を受けていたこと。何事も、楽をして好ましい結果が得られるということはなく、素晴らしい結果を生むにはそれ相当の努力や苦労が必要であるということだ。 そして今一つには、この碑文を選定した当時の高塚寛校長先生のことを、自分が教員になりたての頃に頻繁にうかがっていたから。私が新任教員として勤務していた学校(善通寺第一高校)には、坂出高校で勤務した経験がある先生方がたくさんいた。高塚先生は、本校の第14代目の校長で、昭和37年度から昭和46年度まで、実に10年間にわたって本校の校長を務めた方である。たいへん博学な先生だったと伺っており、古代ギリシャの三大悲劇詩人と言われるアイスキュロスの言葉を刻んだ。先生の専門が何であったかは知らないが、社会科、特に哲学の方面の専門でもない限り、普通は余り知らないような言葉だと思う。デザインも大変洗練された石組みで、このような高潔な言葉を刻んだことが、その当時の職員に大変な感銘を与えるとともに、坂出高校が知的レベルの高い学校として県下に名をとどろかせたというふうに聞いている。皆さんもどうか、パティマトスという言葉の意味をしっかりと認識し、知的レベルを高めてほしいと思う。私たち教職員も、この気高い言葉を大切にしていきたいと思う。

 最後に。明日には新入生251名が入学してくる。新入生がどのように育つかは、先輩である皆さんがどのようなものであるか、すなわち学業や部活動・生徒会活動への取り組み方、行動の仕方にかかっている。良い先輩・良いお手本となれるよう自覚ある行動を望む。 

令和3年度 年度当初ごあいさつ

2022年3月21日 09時31分

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 令和3年度が始まりました。昨年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のために出ばなをくじかれたので、「今年度こそは!」という思いで新たな学年に臨みました。しかし、ウイルスとの戦いは苦戦を強いられており、今後どのような状況になるのか予断を許さないというのが本日現在の現実です。

 このような状況ですが、坂出高校においては、授業はもとよりさまざまな行事を、「感染対策を行いながらやっていく」ことを、つい先日の職員会議でも確認したところです。 今年度、坂出高校は『全国からの生徒募集』で、普通科・音楽科ともに10名の生徒を募集していました。結果的には、音楽科で6名の県外からの新入生を迎えることができましたが、残念ながら普通科には志願者がいませんでした。PRするための十分な時間がなかったこと、また、コロナのために県外への移動も制限されていた時期もあったことが悔やまれます。

 さて、坂出高校ではこれまでは、『高邁自主』と『パティマトス』(英知は苦難を通して来たる。)の2つをスクールモットーとしてきたところです。昨年度からは、これらに込められた精神をより具体的にして教育活動を行ってきました。昨年度は校内で試験的に行っていたために公表はしていなかったのですが、今年度は公表します。その重点目標とは次のようなものです。

1 社会の変化に柔軟に対応できる人間を育成する
  (1) 確かな基礎学力とそれを活用する力
  (2) 他者の意見を聴き、自己の意見を論理的に伝えるコミュニケーション能力
  (3) 柔軟な思考力と判断力

2 主体的に行動できる人間を育成する
  (1) 知的好奇心をもって、積極的に物事に挑戦する力
  (2) リーダーの自覚を持って他者を先導する力
  (3) 基本的な生活習慣と自らを律する力

3 心豊かでたくましい人間を育成する
  (1) 礼儀・マナーを守り、他者を思いやることのできる力
  (2) 困難に立ち向かい粘り強く取り組む力
  (3) 他者と協働して物事を成し遂げる力

 これらの力が学校生活のどのような場面でつくのか、生徒の皆さんには具体的に示していくこととしています。 来年度から始まる新しい学習指導要領のもとで、PDCAサイクル(計画し、やってみて、点検し、改善する)をしっかりと学校に根付かせ、来たるべき高度情報化社会の中でしっかりと生きていける生徒を育成したいと考えています。

                                                 令和3年4月12日
                                                 校長 黒 島 俊 哉

令和2年度第3学期終業式講話 (3月19日(金))

2022年3月21日 09時29分

 今年度はとうとう全校そろっての集会が全くできなかった。新型コロナウイルスの感染拡大によって「新しい生活様式」というものが提唱されたが、これから先も私たちの生活は、以前のものとは変わらざるを得ないのだろう。私が学校生活で最も残念に思っていること。それは、1年生の皆さんが坂出高校の校歌を歌う機会が一度もなかったことである。

  【次に、本校の校歌についての話をしましたが、著作権法に触れる可能性があるかもしれないので、割愛します。】

 さて、学年の終わりに当たってもう一点話をしたい。私が講話で話すことは、自分の中では一貫性がある。皆さんは気付いていないだろうが、それは「坂高生よ、もっと頑張りなさい」ということと、「人間というのは最終的にはその中身が大切である」ということ。私の話はこの二つの点に集約されていると言ってもよい。今日言いたいのは「坂高生よ、もっと頑張りなさい」の方である。 本校では、年に2回学習時間調査が行われている。2月の職員会議で今年度第2回目の結果報告があった。皆さんの学習時間の少なさと、スマホ・パソコンの使用時間の多さに驚いたと言うか、正直なところ呆れた。時間というものがいかに早く過ぎ去るかは、これまでの生活の中で分かっているはずである。高校時代というのは、自分の将来に直結する非常に重要な時期である。普通科高校に進学しておきながら、その時間を勉強せずに過ごすことの愚かさが分からないのか。坂高生ほどの皆さんが、それを理解しないでどうするのか。

 現在の世の中はさまざまな面で「二極化」が進んでいると言われる。勉強で言えば「すごく勉強するグループ」と「全く勉強しないグループ」である。なぜ、私から見れば「学業を放棄している」としか見えない諸君がこれほどまでに多いのか。一言で言えば「怠慢」であると思う。

 私は、人間というのはそれぞれに果たすべき役割があると思う。世の中の人の一人ひとりがその役割を果たすことによって、世の中が成り立っていると思う。では、坂高生に期待されている世の中での役割とは何か。私は、坂高生の皆さんの多くは、将来、看護師とか学校の先生、また県庁や市役所、もちろん一般企業でも構わないが「人の世話をする」というのが役割ではないかと考えている。皆さんの進路もそういった方面を考えている人が多いはずである。そこまで考えが及んでいない人もいると思うが、例えば学校の先生。これは児童や生徒の「世話をする」のがその役割である。少なくとも高校入試の面接では、将来は「公務員・看護師・教員になりたい」という答えの人が多かった。今はどう考えているのか。「日々漫然とスマホをいじりながら宿題をやりかねている」という程度の日常生活を送っている者が、将来人の世話をするような立場になれるのか。このことについては、一人ひとりがこの1年間の自らの生活を真っ直ぐに見つめなおし、春休みから生活の見直しを行ってほしい。進路指導主事の多田先生の決め台詞だが「明日からやろうは、馬鹿野郎」である。

 最後に、皆さんの先輩の進路状況について話しておく。国公立大学の前期日程の合格発表が終わった段階で、合格が判明しているのは現役・浪人合わせて93名である。まだ中期・後期の発表がなされていないが、昨年並みにはなるのではないかと期待している。国公立大学合格40%台。こういう学校を維持していかなくてはならない。それが坂高の役割の一つであると考えている。 明日から2週間以上もの春休み(学年末・学年始休業)に入る。この間は、先生方は皆さんに関係する帳簿を整理したり、異動があったり、新学年の準備をしたりと大変忙しい。学校を休業とするのはそのためであり、皆さんを休ませるためではない。自覚ある行動を望む。

令和3年2月 全校集会講話(2月1日(月))

2022年3月21日 09時29分

 今日からは3年生が家庭学習に入った。これは、3年生の多数が大学受験に出かけるために、学校が授業をしても多くの者が出られないということから始まったものであろうと思うが、歴史は古く、私が高校生の時には既にあった制度である。今日からは完全に2年生は3年生の役割を、1年生は2年生としての役割を自覚して生活してほしい。よく「2年生の0学期」「3年生の0学期」というように言われる。その自覚を持って臨むと、大学にも現役で合格できるとか、ワンランク上の大学を狙えるということである。皆さんにも是非とも実践しもらいたい。

 さて、今日は女子の割合が多い坂出高校ということで、今からの話をしたいと思う。皆さんはあまり意識したことがない人が多いと思うが、全校生約800人のうち、男子が300人、女子が500人というのが坂出高校の大雑把な男女比である。

 およそ2年前のことだが、朝日新聞が数回にわたって「サヨナラしたい8つの呪縛Dear Girls」という特集記事を掲載した。 この特集は、私たちの身の回りにあるジェンダー(社会的な性)をめぐる固定的な考えがあふれ、一人ひとりが進みたい道を選べなかったり、生きづらさを感じたりしていることを、もう終わりにしようという趣旨で始まったもののようだ。したがって、女子だけでなく男子にもしっかりと聞き、考えてほしいと思う。また、この2年足らずの間に、状況に変化がないように私が感じていることも、今日皆さんにこの話をするきっかけになった。

  〔連載1回目〕「声あげる女性 黙れの空気」  SNS等で自分の意見を発信した女性に対する「バッシング」。例えば、会社員時代に先輩社員からセクハラやパワハラを受けていたことを告白したある作家の告白に対して、「なぜ今頃言うんだ」、「売名行為だ」とかのバッシング。タレントのローラさんが、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事中止を求めるネット署名への参加をSNSで呼び掛けたところ、「タレントのくせに政治に口を出すな」、「芸能界から干されるぞ」とのバッシング。ある女子大学生が女性蔑視的な特集を載せた男性週刊誌に、記事取り下げと謝罪を求めるネット署名を開始し、編集長らと対談すると、「自分だって男性蔑視的な発言をしていたくせに」、「この子就職できないね」とバッシング。 このような事態に対して、地方議員や弁護士など7名が東京都内で記者会見を開いた。  「声をあげる人、とりわけ女性に対して『黙らせてやろう』という圧力を感じる。でも、私たちは絶対に黙らない、という姿を見せたい。」とそのうちの1名が力強く語った。

令和2年度 3年生最終登校日講話 ~教師冥利に尽きる~ 1月29日(金)

2022年3月21日 09時28分

 つい先日、私が最初に勤務した学校の生徒から電話がかかって来た。その生徒は、担任をした生徒ではなく、部活動で関わった生徒である。

 その部活動というのは、野球部。教員になってからは卓球部の顧問をしていたが、教員生活4年目に、野球部の顧問をしていた先生が異動され、野球部は指導者が足りなくなった。そこで、経験など考慮せず、「若い」ということと、当時の野球部の監督と同い年の同期採用という理由からであったと思われるが、野球部の副部長を引き受けてくれないかとの話が、年度末に突然舞い込んだ。プロ野球観戦は好きではあったが、野球に関してはまったくの素人、しかも副部長というのは単にお飾りではなく、実質的にはノッカー。野球部以外の人にはわかりづらいと思うので説明を加えるが、守備練習のために野球のボールを転がしたりフライを打ち上げたりすることを「ノック」と言う。ノッカーというのはそれをする人ということである。

 硬式野球のボールがどんなものかというのは、野球部以外の人はほとんど知らないことと思う。どれほどの大きさで、どれほどの重さなのか。だいたい、男子のこぶしを球形にしたほどの大きさで、とにかく硬くて重たい。ほとんど「石」と表現してもよいほどの代物である。そのボールをバットでノックするというのは、自分の想像以上に身体に相当な負担がかかるものであった。特に負担がかかったのは、手。クローブを着けてはいても、手にマメができる。マメがつぶれると痛いので、テープを巻く。それでも手の指の皮が剥がれる。車のハンドルを握るのもつらいほどであった。それでも監督一人にノックまで任せると監督一人にすべての負担がかかるので、素人の自分にでもできるノックを毎日行った。また、監督にしかできない戦術にからむ練習をしているときには、グランドの草抜きをしていた。グランドに草が生えていると、ボールがイレギュラーを起こすことがあり、けがの原因にもなるのだ。ある程度覚悟して引き受けたものの、肉体的に本当に厳しい毎日であった。平日は家(当時は一人でアパート暮らし)に帰るのは21時~22時頃、土日にも必ずどこかの学校に引率しての練習試合。しかも当時は、生徒を自分の車に乗せることが普通に行われていた。夏の大会の前に行なった合宿の時には疲労がピークに達し、授業をしながら教卓に肘をつけば即眠りに落ちるであろうというほどの疲労困憊な状態だった。実際に眠りに落ちはしなかったが。

 部員たちは、素人の私のノックも一生懸命に受けてくれた。電話をくれた教え子によれば、「黒島先生のような素人が、手をマメだらけにして、一生懸命自分たちのためにノックをしてくれている。たとえそのノックが下手でも、一生懸命にしないわけにはいかんやろ。一生懸命練習しない奴はダメだ」と陰で言ってくれていたそうである。私としては、同期の先生が監督を行っており、それを助けてやりたいという気持ちから最終的に引き受けたということも話したが、その元生徒はそれも知っていた。「先生のそういうところが素晴らしいと思った。つまり、素人なのに、一人で困っている監督を助けようと副部長を引き受けたこと」という言葉ももらった。「〇〇冥利に尽きる」という言葉があるが、この言葉を聞いて私は本当に「教師冥利に尽きる」と感動した。同時に、「やはり高校生ともなると生徒も見ているものだなあ」と、感心した。また、本当にきつい1年間だったけれど、副部長を引き受けてよかったなぁと、心からそう思った。しかし、年度末の人事異動でほかの学校に転勤となり、それ以来野球部とは関わっていない。 振り返ってみると、これまで37年近く学校で勤めてきたが、そこまで一生懸命に日々を過ごしたことはなかったように思う。もちろん、さまざまな面で慕ってくれたり感謝してくれたりした生徒たちもいたが、これほどまでに自分の行為に感謝し、覚えていてくれる、しかも自分と同じ教員の道を選んでいるということはなかった。本当にこの電話は思いもよらぬ「贈り物」であった。もっと早くに生徒たちがこういうふうに思ってくれていたということを知っていれば、自分の教師生活も何か違ったものになっていたのではないかとさえ思う。それほどにうれしい電話だった。仕事というのは、これほどに他人から感謝され、やりがいを感じるというのは本当にほとんど「ない」ことであると思う。

 さて、皆さんはこれから大学進学を目指す人が大半であるが、数年後には何らかの職に就くことになる。どの職にせよ、自分が就いた職で一生懸命にがんばって、私のように定年間近になってもいいから「この職でよかった」と思えるようになってほしい。誰かがこのように行ったと記憶している。「だれも見ていないんだから。」という他人からの言葉に対して、「バカ言っちゃいけないよ。お天道様が見ているじゃないか。」という言葉。素晴らしいと思いませんか。誰に見られているからとか、人からどう評価されるかというようなこと抜きに、自分がどう生きるか。結局、他人はそこを見ているということです。皆さんにもそういう人になってもらったらいいなという思いで、こういう話をした。

 さて、受験。最後の最後まで頑張りぬいてほしい。3学期の始業式で言ったと思うが、皆さんの先輩もそうやって第一志望校合格を勝ち取って来た。そして、不思議なことだが先輩ができたことは皆さんもできる。それが「伝統」というものの強みである。

 最後に、3月5日の卒業式。全校そろってはできない可能性が高い。今後の学校からの連絡を待ってほしい。

令和2年度第3学期始業式講話 ~南原繁先生(その3)~3.1.8

2022年3月21日 09時27分

 令和3年が始まった。年頭に当たり、今年はこういう年にしたいと願った人も多いと思う。年の変わりという大きな節目に、是非とも大きな目標を掲げてほしい。目標が多き分、頑張れると思うから。

 3年生にとっては史上初となる「大学入学共通テスト」が間近になった。私も担任をした経験から、ここまで来て浮き足立ってはダメということ。具体的には授業中に内職したり、欠席したりということ。最後まで平常心をもって臨む。「言うは易し、行うは難し」だが、今まで自分がやって来たこと、そして坂高の先生が指導してくれたことを信じ切ってほしい。まだまだ大学受験は今からがスタートである。3月の後期試験、そして3月末の追加合格まで、ともかく粘るという姿勢を見せてほしい。先輩方もそうやって第一志望校合格をつかんできた。先輩ができたことは、皆さんにもできる。不思議なことだが、それが「伝統」というものの持つ力である。
 さて、今日も南原繁先生の言葉を引いて話したい。今日は、まず、東京大学の総長を務めていた昭和25年11月(終戦から5年後)に、高松における帰省講演で次のように話された。
  ・ さて、戦後、国民の間に教えられ強調されたのは「自由」と「権利」であった。曰く、思想・信仰の自由・言論・集会・結社の自由、所有と生存の権利、幸福追求の権利、等々。しかし、一人の権利と自由が他人のそれと衝突した場合、何によって解決しようとするのであるか。あらゆる権利を超えたもの、すべての自由の根底にあるものによらないでは、これを解決することができるものではない。ここに、我々は、いまや「自由」と同時に、あるいはその前に「責任」を、また「権利」の前に人間の「義務」をこそ高唱しなければならない。
 ⇒ この頃はコロナの陰にすっかり隠れてしまっているが、近々始まる「18歳成人」とも相まって、皆さんにもぜひよく理解しておいてもらいたいことである。「自由」の前に「責任」、「権利」の前に「義務」。これ以上付け足すことはない。
 次に、同じ月に母校である三本松高校での講演を挙げる。
 ・ 戦後アメリカから来た教育使節団と日本側の委員会で6・3・3・4制をつくるのに加わった。これは日本側が提案し、向うが取り入れた。決してアメリカから押し付けられた制度ではない。
 ・ なぜこの制度を作ったか。これまで(戦前)の日本には、全国で5~6校の帝国大学と70校ほどの高等学校しかなかった。それを、全国に規模を拡大して高等学校の数を増やし、各県に国立大学を置くことにより、教育の機会均等をはかった。
 ⇒ 先生は、戦後の教育改革の先頭に立った一人である。私もそうであったが、今日このように高等学校での教育を受けることができるその一端には、南原先生の教育に対する思いがあったと言っても過言ではない。

 ・ 東大の卒業式にいつも言っていること。「中央に残って官僚になるとか、あるいはまた大きな会社の重役になろうなどというケチな考えはやめなさい。それよりも自分の地方に帰って農漁村の中に溶け込んで、あらゆる方面に地方から始めよ。」と。今までの日本の教育には非常な欠陥があったと思う。その一番は立身出世主義だった。すなわち人は自分の名誉を博そう、自分の富をつくり幸福を得よう、そういう一つの幸福主義、こういう一つの生き方であります。これが反省すべき根本の問題であると私は思います。我々人間は、自分と同時に他人と同胞のことをまず考える。これが大事であります。そうして少しでも自分の周りを明るくすること、良き社会をつくるということ、そのことが結局自分の幸福になるのであります。自分の幸福というようなことは、結果としてついてくるのであります。それ自体が決して目的ではないのであります。
 ・ 高校生の義務は勉強することだけではない。家庭、地域で皆さんの手助けを必要としている場合がある。青年は青年なりに、子どもは子どもなりに、それぞれ他人に対して、親に対して、町に対してなすべきそれぞれ小さな義務と責任がある。そういうふうにしてみんなが挙って村のために町のために、その県のために、より良き郷土をつくるということである。よき自治体をつくるということである。それが本当の自由と民主主義の根底である。
 ⇒ 自らは故郷引田を離れて東京に行き、官僚となりさらに東京大学総長となった身でありながら、自らが生まれ育った地方や家族を大切にすること、貢献することの重要さを説いている。自分が富を得ることと同様に、自分の周囲の人たちのために尽くさなければならないと言っているわけである。実は、この言葉には私自身にも考えさせられるところがある。18歳まで小豆島で生まれ育ったが、大学進学以来、香川県には帰ったが、小豆島で勤務したことがない。異動の辞令が出なかったと言えばそれまでだが、定年間近の今になって思えば、母校に務める機会があってもよかったかなと思う時がある。母校である小豆島高校も統合でなくなってしまい、非常に寂しい思いである。
 坂高生の皆さんは、坂出とは言わないまでも香川に戻って公務員になりたいという志望の人が多いが、それは大変いいことであると思う。むろん、東京などの都会に出て、何で成功をおさめようという志がある人が出ないのも困るのだが。

 さて、ここまで3回、2学期始業式と終業式、そして今回と南原先生の話から引用して私なりの解釈を皆さんに話してきた。まだたくさん学ぶべきことはあるが、ここで先生の話からの引用はいったん終える。

 私が南原先生の思想にふれたき
っかけは以前にも話した通り、偶然校長室に先生の話されたことをまとめた『わが歩みし道 南原繁』という本がたまたまあったこと、そして、私が先生の母校である三本松高校に勤務した経験があったことである。私はこの偶然に心から感謝したい。この本を通して本当にたくさんのことを教わった。皆さんにもぜひ、そういう本との出会いがあることを期待している。

 最後に。3学期は本当にあっという間に終わる。1日1日を大切にしてほしい。また、3月5日には全校生が揃って卒業式ができることを祈っている。

令和2年度学期終業式講話~南原繁先生(その2)2.12.24

2022年3月21日 09時26分

 令和2年が終わろうとしている。新型コロナウイルス感染拡大の終息がいまだに見通せない中、本日も終業式とは言いながら、放送による講話となった。放送室から話すというのは、聞いてくれているであろう生徒の皆さんの顔が見えない、また、反応も分からないということから非常に話しづらいものである。そして、坂出高校としての一体感を皆さんに、特に1年生に皆さんに感じてもらうことができないことも残念である。
 今日は2学期の始業式を行った8月19日に、やはり放送を通して皆さんにした話の続きをしようと思う。もう4か月以上も前になるので、私が何の話をしたのか忘れてしまっている人もいると思う。話したのは、現在の東かがわ市引田のご出身で、東京大学の総長を務めた南原繁先生についてであった。ここまで話しても思い出さない人は、本校のホームページを見てほしい。講話したものを掲載してある。なお、東かがわ市というと坂出とは無縁のような感じがしていたが、今月4日の2年生の総合的な探究の時間『坂出学』の発表の中で、坂出の塩田づくりのさきがけとも言える久米通賢という方が東かがわ市引田の出身であるとの発表があった。思いかけないところで坂出と東かがわの縁を感じた次第である。
 さて、今日紹介したいのは、昭和21年9月(戦後一年余)に東京大学の卒業生に向けた言葉である。先生はこのように仰った。
 ・ 諸君は在学中に戦争のため十分に学ぶことができなかったため、学業が不十分なことを自ら自覚し、遺憾としていることだろう。しかし、学問の本格的な研究は大学卒業の後にも始めることができる。なぜなら実社会に出て初めて、真に自らの研究の主題を見出すであろうから。諸君に意志があれば、現在の欠陥はこれを補ってなお余る。従来は卒業と同時に学問を卒業したと考え、研究を放棄する弊風があった。
 ⇒ 大学生時代が、戦争という不幸な出来事と重なってしまった卒業生に対する言葉である。先生は、大学卒業とともに学問を卒業したと考えて、卒業以降は学問に向かおうとしない風潮を戒めておられるわけだが、高校生である皆さんにもそのような考えがありはしまいか。例えば、大学受験を突破したらもう数学の勉強は関係ないとか、古典など見ることもないとか。かく言う私も、恥ずかしながらそのような考えを持っていた。大学合格とともに、理科や数学というのは勉強したことがない。高校時代は文系であったが、数学は得意教科だった。大学に合格したとたんに数学の勉強をしなくなったがために、今では数学Ⅰの内容さえ理解できない。大好きだった徒然草や枕草子も今ではすっかり忘れてしまっている。たいへん惜しいことをしたと思っている。
 令和4年度からは新しい教育課程が始まる。もう1年後に迫っている。高校での学習内容も現在とは随分と変わる。教育課程というのは、皆さんに分かりやすく言えば教科・科目の名称や学習内容のことである。なぜ変わるのか。それは大きく言えば、これからの世の中が予測不可能な時代になりつつあるからである。皆さんも耳にしたことがあると思うが、現在小学校に入ろうとしている子供たちが大学を卒業するころには、およそ60%の人が現在は存在していない職業に就くだろうということ。また、グローバル化がますます進展するので、英語で世界中の人たちと躊躇することなく意見を交わす力を身につける必要があるとか。最も間違いないと予測されているのは、Society5.0高度情報化社会の到来である。国はそのような時代の到来を見据えて、文理融合(文系・理系といった境界をなくすこと)やパソコンのプログラミング教育を学校教育に取り入れることにしている。私は前々から自分が教えていた生徒には言ってきたことだが、「将来どのような職業に就くにしても、高校までの学習内容を理解していないと社会では通用しない」ということである。
 今一度南原先生の教えにかえるが、「卒業と同時に学問を卒業したと考え、研究を放棄する」ようなことがあってはならない。この言葉は、元々は大学を卒業していく学生に向けた言葉だが、高校生にとってはより一層当てはまることである。

   今日は、同じ場面で卒業生に向けた言葉をもう一つだけ紹介しておく。

  ・ さらば卒業生諸君!いつまでも真理に対する感受性を持ち、かつ気高く善良であれ!そして常に明朗にして健康であれ!

  ⇒ ここでは、「気高く、善良で、明朗で、健康で」という言葉に注目したい。人間として大切にしなければならないことを最後の最後に呼びかけている訳である。 先生は、昭和41年5月に母校である三本松高校の新校舎落成講演でも次のように述べられており、この人間の在りように関する考え方にぶれがないことが窺える。

  ・ 諸君のうちから大金持ちになり、その財を投じて社会事業を行う人が出てもよい。しかしそうはいってもだれもが富豪にはなれない。また人それぞれ置かれた境遇や環境もあってそれがその人の将来を左右する。また、すべての人が優れた物理学者や芸術家になれるわけでもない。しかし、ここで申し上げたいのは、だれでもがなろうと思えば、必ずなれるものがあるということ。それは何か。人間として誠実で、勤勉、そしていつでも正義に味方する人になるということ。逆にどれほど立派な学者になってもこれがなければその人の生活は空虚である。いや、空しいばかりでなく、かえって社会に害毒を流すことになる。才能がるだけにそれだけ害毒は大きい。
 まだまだ南原先生が語った言葉を紹介したいが、本日はここまでとする。3学期始業式にも、引き続き南原先生の言葉から講話をしたいと考えている。 充実した冬休みを過ごすとともに、新型コロナウイルスの対策を徹底してほしい。特に共通テストの受験が間近になった3年生。最後まで頑張ってほしい。
 最後に、全校の皆さんにお願いしたい。あと1週間で年が変わる。念頭には是非とも「今年は○○するぞ」という決意をしてほしい。大きな節目に大きな夢を描いてほしい。夢は大きければ大きいほど良いと思う。