H30~R04の校長室から

220406校長退任式(H30~R03校長室)

2022年4月10日 09時13分

退任に当たって

4.3.31

S__99074095 S__99074101

 厳しい冬が過ぎ、一年のうちでも最も素敵な季節が来た。例年であれば、新学年に向けて「さあやるぞ」という気持であった。しかし、今年は少し違っている。一言でいえば、非常に寂しい。

教職を離れなければならない時が来ることは分かっていた。しかし、いざ自分の番になると、その時が来なければ分からないことがあると実感している。それは、昭和59年4月に新採教員として善通寺第一高等学校に赴任した日から38年という時間のカウントダウンが始まっていたということである。38年というと長いようだが、日数を計算して愕然とした。わずか13,870日である。自らを振り返り、勤務する学校ごとに日々一所懸命に努めてきたかと考えるとき、今という時間はかけがえのないものであり、一期一会であるということを痛切に感じている。本当に自らを恥じ入るが、皆さんも1日1日を、そして出会う人たちを大切にして生きていってほしいと願う。今回の自らの退職を機に、人間は年を取らなければ、その時を迎えなければ分からないこと(気持ち)があるということを痛切に感じた。

生徒の皆さんにもう一つ伝えたいことがある。それは、今までにも繰り返し話してきたつもりだが、皆さんは何にでもなれるということ。裁判官だって、宇宙飛行士だって、大学教授だって。例えば大学教授。「そんな職に就くには、東大に行って大学院に行って、さらには海外留学の経験も必要で当然英語はできて」、という風に考え、「そもそも自分はそんなに頭もよくないし、英語は苦手だし留学するほど裕福でもないし」、と自分から自分に見切りをつけるような考え方をしていることが多い。坂高生を5年間見てきて、つくづくそう思う。私のかつての同僚のお子さんの話をしたい。その子は坂高生もよく行く香川大学、その経済学部に進学した。大学卒業後は神戸大学経済学部の大学院に進み、現在は東京のとある私立大学の先生をしている。皆さんの先輩が多数進学する香川大学から、大学の先生になっている。大学教授という道は、決して特別な人だけしか就けない職ではない。とにかく皆さんは、自分で自分の限界を決めすぎる。とにかく大きな夢を持ってほしい。

さて、いよいよお別れの時だ。まずは健康に留意し、精進してほしい。一人ひとりの精進の結果が、坂出高校の発展につながる。さようなら。


~坂出高等学校ホームページをご覧いただいている皆様へ~

平成29年4月に教頭として赴任した年が坂出高等学校百周年・音楽科創設五十周年の年でした。翌年度から4年間、校長を務めさせていただきました。ちょうど県教育委員会から「全国からの生徒募集」の話が出始めたころで、全国からどのような学校か知っていただくにはホームページの充実が欠かせないということで、先生方にお願いして部活動のページには最新の活動状況を掲載したり、ホームページ自体を刷新したりするようにお願いしてきたところです。校長としては、始業式や終業式に加え、坂出高校の特色の一つでもある毎月の全校集会での講話を掲載してきました。内容的には非常に拙い話ばかりで、本心では掲載したくない時もありました。しかし、自分が何もせずにほかの先生方に依頼するのは何か違うと考えてやってきました。

今回の離任に当たっては、先生方にお別れの言葉を話したのが3月31日。生徒の皆さんに別れを告げたのは4月6日。「もうこの話はホームページには掲載することはないな」と思っていたところ、今回のホームページ刷新の中心人物であるM先生から思いもかけずお電話をいただきました。もう掲載はないと考えていたので、生徒向けに作成していた原稿も破棄していました。退職した者が何かを要求することではないというのが私の考えでした。本当にM先生には感謝しています。今後は坂出高等学校の発展を、陰ながら応援させていただきます。在任中はお世話になり、ありがとうございました。引き続き坂出高等学校をご支援くださいますようお願い申し上げます。

前校長(第32代) 黒 島 俊 哉

令和3年度3学期終業式講話(3月18日(金))

2022年3月21日 09時38分

 最初に紹介しておく。皆さんの先輩である本校卒業生同窓会「松濤会」の支部、「関東松濤会」から10万円相当の図書が寄贈された。皆さんの憩いの場でもある2階の松の間に置くので有効に活用してほしい。関東松濤会の総会50回記念だとのことである。  さらにあと一つ。1年2組の矢野さんが全国高校生読書体験記コンクールで、一ツ橋文芸教育振興会賞を受賞したことで、本校に集英社文庫100冊が贈られた。2階の廊下「松の間」に置かれているので、時間があるときにぜひ一冊手に取ってほしい。

 学年が終わった。年度当初に立てた目標はどのくらい達成できたか。キャリアパスポートへの記入は終わっていると思うが、この休み中は令和3年度を総括し、令和4年度に向けての準備を怠りなく行ってほしい。大人の世界では、「PDCAサイクル」ということが言われ始めて久しい。20年は経っていないと思うが、それ近くになろうとしている。Pとはplan計画を立てるということ、Dとはdoやってみること、Cとはcheck検証すること、Aというのはaction更新・検証した結果をもとに次の一手に出ることである。皆さんも就職したら必ずこれを聞かされると思う。そういう意味でも、今からこういう考えのもとに一年間を振り返り、次年度に向けての目標を明確にしなければならない時期である。

 さて、皆さんにこのような講話を行うのも今回で最後になった。最後に話すのにふさわしい講話として何を話すかは数か月前から決めていた。それは、人間として大切なことである。  私の大学の大先輩で、本香川県で高等学校の教員をした大先輩の言葉を紹介したい。その先生はすでに数年前にお亡くなりになったが、高松北高等学校の初代校長を務めた畠山武史先生という方である。高松北高等学校は、昭和58年に当時の木田郡牟礼町、現在の高松市牟礼町に開校した新設校であった。その学校の創設時から関わられ、初代校長として勤務された畠山先生は、高松北高校を日本一の学校にすると公言してはばからない方であったと聞く。学校の電話番号は2155(日本一の高校)である。その先生が、北高生に常々仰っていたのが、人間として大切なことは、健康・人柄・実力の三つであるということ。

 まずは健康。私はかねてより畠山先生のこの話をいつかはしたいと考えていたが、「健康が大事」と声高に言うことが、病気を抱えている人に対して何か排除するような感じを与えるのはよくないと考えて、公言するのをためらってきた。しかし、何かを為すに際して、やはり必要なものであるというのは事実である。しかし、それでも念のために断っておくが、フルマラソンを走りきるほどの健康を言っているのではなく、日常の生活を送れる、毎日登校できるというくらいの健康で十分である。

 次に人柄。これについて、皆さんはどうだろうか。自分で自分を人柄がよいと思えるか。あるいは、友達や先生方から「君は人柄がいいね」と言われたことはあるか。ほとんどの人がそういう経験はないと思う。そもそも「人柄がよい」というのは漠然としており、何が根拠なのかわかりづらいのは確かである。私が考えるに、「人柄がよい人」というのは、他人の立場に立って物事を考えることができる人とか、陰ひなたなく地味な仕事にも黙々と取り組むことができる人のことを指すのではないかと思う。それに加えて、いつも笑顔とかコミュニケーション能力の高さも加われば、最強の「人柄のいい人」ということになると考える。いずれにせよ「人柄がよい人」というのは、多くの周囲の人から好感を持たれるような人物であるということになるのではないかと考える。  ここでハタと考えるに、「人柄がいい人=勉強ができる人」ではないことが分かる。坂出高校のような進学校に来ると、えてして勉強ができる(と言っても、実際にはペーパーテストで点が取れることを指す場合が多いと思うし、音楽科の皆さんであれば専門が得意なこと)を良しとし、それだけできれば自分がすべてにおいて優れているような錯覚に陥っている人はいないか。また逆に、テストで点が取れないことや専門分野で行き詰っていることで、自分を過小評価して委縮している人はいないか。両方ともばかげたことであると言いたい。そもそも世の中に出てしまえば、皆さんが振り回されている「偏差値」などというものは存在しない。音楽の世界でも、専門性が高いだけでは生き残れないだろう。いかに周囲の人たちと良好な人間関係を築いてやっていくことができるか、そのことは皆さんが思っているよりも相当に大きな意味を持つものである。私自身は坂高では学級担任をする機会はなかったが、廊下ですれ違う時に挨拶をしてくれる人、校長室に掃除に来て丁寧に掃除をしてくれる人、授業中に見て回ったときの皆さんの真剣に授業に臨む姿、ペアワークをしている姿、これらを見ていて、坂高生には人柄がよい人が多いという印象を持っている。皆さんの立ち居振る舞いに、それはよく表れていると思う。「テストが、偏差値が、、、。」ということで人間の価値が決まるものではない。このことをしっかりと胸に刻んでおいてほしい。  そして、最後に実力。これはその名のとおり、自分が選んだ道でどこまでの力を身につけられるかである。高校時代のテストの得点を挙げることとは全く違う。高校時代の勉強は、進学する人にとってはまず大学に行くために必要な知識であり、就職する人にとっては将来の学びの基礎である。決して誤解してはいけない。私が今言っている実力というのは、皆さんが社会に出てからの職業人としての実力であり、ペーパーテストで点が取れることを言っているわけではない。私も英語教師として30年間教壇に立ったが、恥ずかしながら「英語のことは黒島先生に質問しろ」と言われた時期は極めて限定的であったと思う。教員としての後半は、管理職になる道を選んだ。その結果、坂出高校という素晴らしい学校に勤務することができたので、それに後悔はない。ただ、校長や教頭というのは、実力があるかどうかが客観的には分からないので、自分がやってきたことが、勤務した学校にどの程度貢献したのかを知る術がない。つまり実力を知る術がないということだ。たまに、管理職にはならずに、専門の英語を極める生き方もあったのではないかと考えるときもある。

 もう一度繰り返す。健康、人柄、実力。この3つが備われば、人間として最強になれると考える。皆さんの中にはこの3つが全然ないという人はいないと思う。1つの人は2つに、2つの人は最終的にすべてを果たすことができるように、今後とも精進を重ねてほしい。勉強だけでは不十分だ。と言って、勉強ができることを否定しているのではない。また、勉強ができる出来ないといったことだけで自己評価をしてはいけない。はっきり言ってしまえば、そんなのだけではくだらない。すべての皆さんがさらなる高みを目指してくれることを期待している。

 最後に。20日ほどの休みである。この時期をいかに過ごすか。これが皆さんの将来にかなり大きく影響する。「高邁自主」の精神のもと、充実した日々を送ってほしい。

令和3年度3学期始業式講話(1月11日(火))

2022年3月21日 09時37分

 本来は最初に違う話をしようと思っていた。齋藤教頭先生が1月7日に亡くなられた。坂出高等学校として哀悼の意を表したい。黙とうをささげたい。

   さて、皆さんは新年になって本当におめでたいと思っているか。私はかなり長い間、今でははっきりと覚えていないが教員となってからも、新年とか自分の誕生日とかを、本当にめでたいと思わなかった。新年や誕生日は、「来て当たり前」のものだと考えていたのである。しかし、教員となって年を重ねるにつれ、思わぬ病気や事故が原因で、新年や誕生日を無事に迎えることができない人が結構な数いることということが分かるようになってきた。残念ながら、齋藤教頭先生がまさにその典型例になってしまった。そういう中で、無事に新しい年を迎えることができたという意味で「おめでとう」という言葉を自然に言えるように、そして自然に受け入れられるようになってきた。今考えると、長い反抗期だったのかもしれない。一般的には、青年期後期は大学卒業頃に終わるはずなのだが。少なくとも、私は大学でそう習ったと記憶している。

 今年度も残り3か月。昔から言われているように、「一月は居ぬ、二月は逃げる、三月は去る」で、3学期は本当にあっという間に終わってしまう。これまでも繰り返してきたつもりだが、1日1日を大切に、そして有意義に過ごしてほしい。

 3年生の皆さんには、いよいよ共通テストまで残りわずかとなった。私は君たち、坂高生を全般に非常に優秀な生徒であると思っているが、数点気がかりなことがある。その大きな一点目が欠席。皆さんのほとんどが大学へと進学していくが、大多数の大学は生活指導、具体的は欠席や遅刻、早退などについての注意喚起をしてくれない。私は、生活についていろいろ助言するのは高校までであると思っているので、敢えて言っている。社会人になって、普通の勤務日に急に休むということは常識的には考えにくい。もちろん、人間なので風邪をひいたり発熱したりして、どうしても仕事に行けない日はあるだろう。しかし、それが許容されるのは年に一度くらいではないか。甘めに言ってもせいぜい2回、通算では年間3日くらいではないか。それ以上の日を体調不良で休むということは、少なくとも私の考える常識では通用しない。体調管理というのは、社会人に課せられた大きな義務である。少し話題が逸れるかもしれないが、皆さんは日本国憲法で定められた国民の三大義務というのを覚えているか。中学校でも、また、高校1年生の現代社会でも習ったのではないかと思う。その義務とは、「教育の義務」、「勤労の義務」、「納税の義務」である。すでに習った内容だと思うので詳しくは言わないし、「欠席が多い=将来会社を休む」という単純な図式にはならないと考えるが、それでも若干の不安を感じてしまう。勤労と納税の義務はきちんと果たしてくれるのか。特に今の時期の3年生。今日、この話を聞いている人は出席しているわけだから、欠席している人に対して言うべきことである。始業式の日から共通テストまでの間、非常に欠席が多い。実に嘆かわしいことであると言いたい。しかし、今朝欠席連絡は全学年で10名ほどであった。少ないとは言えないと考えるが、ともかく休むことなく学校に来なさい。大体において、受験でうまくいく人というのは、学校を最後まで信頼して生活を送ってきた人である。今日きちんと出席している3年生の皆さんが、受験で成功することを切に願っている。本当に今日この日、即ち共通テストを4日後に控えた日であっても、いつも通り学校に来る。私はこれが当たり前だと考えている。1年生と2年生の皆さんも、去年6月に進路指導部から配られた「進路資料」の中にある合格体験記をぜひともいま一度読み返してほしい。坂高を、そして坂高の先生方の言われることを最後まできちんと実践してほしい。そうすることで、夢は必ずかなえられる。そうでない人は、必ずと言っていいほど苦労する。
 そういう体験記は書いてもらえないのが残念だが。

 さて、COVID-19と名付けられたコロナも、昨年11月下旬頃になって新たな変異株オミクロンが発見され、最近では日本でも急激な感染拡大のために、いろいろな規制がされ始めてしまった。この2年近くにわたるコロナ蔓延の影響で、生活スタイルが変わってしまった点もある。アメリカ合衆国では、誕生日にケーキの周りで happy birthdayを歌い、ろうそくを消したり、握手したり、ハグ(抱きしめる)したり、頬にキスしたりといったいわば‘伝統’までもが消えかかっていると聞く。皆さんのような若者の間ではどのような変化が起こったのだろうか。学校の臨時休業や夏休みの延長などによって、自宅にいる時間が長くなったせいで、ゲームやSNSへの依存度が高まってはいないだろうか。コンピュータ自体を否定するものではないが、それが‘依存’になってはいまいか。また、友達と対面で交流する機会が減ってしまったために、言葉によるコミュニケーション能力が落ちたのではないだろうか。悩み事を一人で抱え込んでしまい、精神面で不安な人が増えたのではないだろうか。いろいろなことを考えてしまう。もし、そういう人がいたら、遠慮なく担任の先生や教育相談部の先生に話をしてほしい。私たちは、皆さんの話を聞くことしかできないかもしれないけれど、逆に聞くことは得意である。学校は決して勉強と部活だけのための場所ではない。知性と豊富な経験を備えた立派な先生方がいる場所である。この意味でも、学校は皆さんが来る値打ちのある場所であると自負している。

 話は変わるが、今年2022年は冬季オリンピックが中国の北京で開催される。もう開幕間近である。このスポーツの祭典をめぐって昨年末あたりから、アメリカ合衆国と中国でかなり火花が散っているようである。学校では政治教育と宗教教育はしてはいけないことになっているので深入りはしないが、個人的にはスポーツと政治というのは結び付けて考えない方がいいのではないかと思う。オリンピックは、アスリートが純粋に競技に打ち込める場であるべきだと私は考える。皆さんはどう考えるか。何事につけても、自分の意見を持っておくことが大切である。 令和4年度はいよいよ「18歳成人」が本格的に始まる。2年生は4月の新年度から18歳になった時点で、3年生も18歳になった時点で、かなりたくさんのことを自分の判断だけで行えるようになる。成人なので、保護者の許可は不要である。最も注意を要するのが「契約」である。例えば、ローンを組んで自動車を購入することが自分の判断でできるようになる。これは一つの例えだが、そこにはローンの仕組みについての知識が必要になる。現在おもに家庭科で習っているはずである。いよいよ自分で判断を下す立場になる。1年生の人は一年後である。そこで、例えば現在借り入れをした場合の利率や、逆に預金をした時の利率を知っているか。「共通テストを前にして何を?」と思っている3年生も多いのではないかと思うが、実はこのような知識は社会に出てから大変重要なものである。それがゆえに、来年度入学生から新しい科目「公共」というのを学ぶようになる。

 もう高校生にもなっているのだから、いろいろなことを他人任せにするのではなく、自ら考え行動できる人間を目指してほしい。3学期は、1つ上の学年になったつもりで、学業に部活動に励んでほしい。特に学業においては、それが夢をかなえる近道である。

令和3年度2学期終業式講話(12月24日(金))

2022年3月21日 09時37分

 今日は私が長年、正確にはちょうど30年間教員として教えてきた「英語」について話をしたい。自分が英語教員という道を選んだことについても、話せばゆうに与えられた時間を埋めるくらいにはなるが、今日はそちらではなく、純粋に言語としての英語について皆さんと一緒に考えたい。皆さんのほとんどの人は、中学校で本格的に英語の学習を始めたはずなので、まだ学び始めて4年目から6年目のはず。私も始めたのは中学だが、年齢がいっているので、通算で言えば48年目ということになる。自分で言いながら正直、初めてその年月に驚いている。

 私が英語について思うこと。要約すれば、この一言。「なんだかんだ言っても、やはり世界共通語は英語である。」ということに尽きる。英語では、When all is said and done, the tool for international communication is English.ということになろうか。最初はこの文の主語と補語を入れ替えて、「英語は世界共通語」とし、English is the tool for international communication.としていたが、逆の方が実態に合っていると考えて、「世界共通語は英語である」としてみた。主語=補語であり、ともに名詞なので同じと言ってしまえばそれまでかもしれないが。今のご時世では、英語は道具であるという考え方の下で、こういった語法研究などを行っている英語の先生は激減している。もしかすると本県では数人かもしれない。私が教員になったころには、辞書を読み比べている先生がいた。それも数人が。それほど語法研究に熱心であった。本校正門の前にある竹内公平先生も、大変勉強熱心な方で大英和辞典の執筆者の一人である。丸亀高等学校の校長を最後に引退された。毎日のように皆さんの様子をうかがってくださっている。

 さて、再び私が教員になったころの話に戻るが、同じ学校に数学を教えているが、語学にも興味のある先生がいた。その先生が当時興味を持っていたのは、エスペラント語という言語である。皆さんは聞いたことがあるか。私はその時初めて聞いた。何でも、英語を世界共通言語というのか公用語というのか、ともかくコミュニケーションの手段として使用するというのは、英語が母国語である人々には有利に働くが、英語を母語としない人たちにとっては大変不利である。したがって、皆が同じく苦労しなければ修得できない人工言語を世界共通語にしようとするものである、と当時その数学の先生からは聞いたと記憶している。

 今ではいろいろなことをインターネットで調べることができるので、先日その言語について調べてみた。Wikipediaには次のような説明がある。(原文を一部変えている。)

創案者のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができ、世界中ですでに使われている母語に成り代わるというよりは、むしろすべての人の第2言語としての国際補助語を目指してこの言語を作った。ザメンホフは、帝政ロシア領(当時)ポーランドのビアウィストク出身のユダヤ人眼科医で、19世紀末頃に自著でこの言語を発表した。 現在でも彼の理想を追求している使用者が多くいる一方、理想よりも実用的に他国の人と会話したり、他の国や異文化を学んだりするためのものと割り切って使っている人もかなりいる。今日では異なる言語間でのコミュニケーションのためのほか、旅行、文通、国際交流、ラジオ、インターネットテレビなど、さまざまな分野で使われている。英語を国際共通語として当然視してしまう姿勢への対抗的姿勢が、とって代わるべき国際補助語としてこのエスペラントを持ち出すこともあった。 エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている。

 「現在でも約100万人」ということをどのようにとらえるかは人によると思うが、私は世界の人口が79億人に迫ろうとしている中にあっては、かなり少数言語(minority language)の部類に入ると言ってもいいのではないかと考える。それは、日本語について考えても、母国語話者は約1億3000万人。現在世界一の人口である中国には14億人、インドが14億人に極めて近い13億人台である。言語として有名なフランス語やドイツ語について見ても、フランス本国の人口は約6,500万人、ドイツの場合は約8,300万人である。

 それに対して、基本的に英語を事実的に公用語としている国々を見てみたい。もちろん、そこに住むすべての人が英語を話すことができるわけではないということを斟酌しても、アメリカ合衆国は人口規模では3億3,000万人。イギリス6,700万人、オーストラリア2,500万人である。それらを合計すると、約4億2,500万人である。 もし、人口規模だけで「世界の共通語」が決まると仮定すると、現在は14億人を超える人口を抱える中国で使われている中国語、あるいは、中国よりも少し少ないが、やはり14億人に迫ろうとしているインドで、約4憶人が話すとされているヒンディー語などが採用されていても不思議ではない。しかし、世界に約6,000あるとされている言語について語るのは非常に難しく、その「6,000語」にしても確固たる証拠があるわけでもなく、また、学者によっては少数部族が話す少数言語を含めれば、1日に1言語が消えているという文書も見たことがあり、とにかく定かでない。 少し話が広がったが、元に戻したい。結局、現在では実質的に英語が世界の共通言語であるということに関しては、ほぼだれも異論を唱えようのない状況であると思う。皆さんは、これからますますグローバル化する社会の中で、この現実にどのように向き合おうとしているか。もはや、受験英語の好き嫌いとかですまされる問題ではない。以前にも話したことがあると思うが、勉強というのはいったんやめてしまうと、それは一気に衰退の道をたどる。先ほども言ったように、長年英語を教えてくる中で、本当によく言われたことは、「英語の先生ですか。英語ができていいですね。」これは、生徒や保護者から言われることよりも、同僚から言われることが多かった。私は英語の教員になるべく、先ほども言ったように50年近くずっと英語から離れなかったので、たとえ文法や語法の間違いはするにしても、また、英単語は頻繁に忘れていたりするものの、英文を読んだり書いたり、英語を介してコミュニケーションを図ることはできる。これをほかの教科の先生方の多くは大学以来していないので、「私が古典の能力がほぼ0」になっているのと同じく、「英語の能力がほぼ0」になっているということであろう。これは本当に残念な話である。 国としては、中高の6年間英語の学習をしても、日本人の英語でのコミュニケーション能力が向上しないということについて、かねてより非常に大きな危機感を持っている。これは、英語の先生だけに指導力向上研修等の研修が課される場合がとても多いということにも表れている。他の教科の先生にはわからないと思うが。来年度入学生から高等学校で学ぶ教科・科目がかなり大きく変わる。英語だけについて言うと、現在の「コミュニケーション英語」という科目は「英語コミュニケーション」へ、「英語表現」は「論理・表現」へと変わる。これは単なる名称変更ではなく、ともかく英語を実際に使える生徒の育成を目指すということである。趣旨には賛同できるが、早くも英語科の先生方に研修が計画されているようなのが気の毒である。 また、皆さんに英語の勉強の仕方についても話をしたかったが、次回以降に譲ることにする。
 

 最後になったが、1つ紹介しておく。先日、皆さんの先輩である「市役所坂高会」(本校同窓会の坂出市役所支部)から20万円の寄付を頂戴した。昨年度も10万円いただいている。コロナの感染防止対策や、皆さんの教育活動に広く役立ててほしいということである。今回は特に、進学面と部活動の面での活躍を期待している旨のお話をいただいた。本校の卒業生の皆さんは、いつも陰ながら本校そして皆さんのことを気にかけてくださっている。本当にありがたい話である。先生方とも話し合いながら有効に使わせていただきたい。

令和3年度10月全校集会(10月4日)

2022年3月21日 09時35分

 ここにきてコロナの感染状況が改善されてきた。しかし、これから冬を迎えるにあたって、まだまだ油断は禁物であろう。あまり神経質になるのもよくないとは思うが、今しばらくはマスクを外していいということにはならないだろう。皆さんも十分に知っていることだが、何せ数としては少ないものの「重症化したり、亡くなったりする感染症」である。
 さて、10月を迎えた。学年のちょうど半分が終わったということになる。年度当初に皆さんの「キャリアパスポート」に書いてもらったが、坂出高校が育てたい生徒像として掲げている9項目について、半期を振り返ってどうだったか。学校の方も、3年生が坂高祭に参加できないとか、全校が一斉に集まった集会等ができないなどの事態はあったが、昨年度に比べると総体や音楽のコンクールなども実施される等、かなり平年並みの行事ができるようになってきた。本校が生徒を育成すると掲げる9項目、
   (1)確かな基礎学力とそれを活用する力、
   (2)他者の意見を聴き、自分の意見を論理的に伝えるコミュニケーション能力、
   (3)柔軟な思考力と判断力、
   (4)知的好奇心をもって、積極的に物事に挑戦する力、
   (5)リーダーの自覚をもって他者を先導する力、
   (6)基本的生活習慣と自らを律する力、    (7)礼儀・マナーを守り、他者を思いやることのできる力、
   (8)困難に立ち向かい粘り強く取り組む力、
   (9)他者と協働して物事を成し遂げる力。
 大人の世界(学校の先生方、一般企業も似ているのではないかと思う)では、自らが立てた目標を中間評価する時期である。皆さんもぜひ自己評価を行い、今年度の残り半分で、年度当初に立てた目標をクリアできるよう、不断の努力をしてもらいたい。
 私は皆さんの一人一人が立てた目標については知らないが、立てた目標を実現する手立てとして「授業」を抜きに考えることはできないものと考えている。また、皆さんが目標を立てるに際して、学校にいる時間の大半を占める授業を抜きで考えることは適切でなはいと思う。いまさら、年度当初に立てた目標を変えよとは言わないが、修正してもかまわないと思う。そのように考えるのは、やはり坂出高校の先生方の授業が非常に優れていると考えるからである。
 先月21日から24日までの3日間(1日休日をはさんだ)は、「公開授業週間」であった。先生方同士で授業見学を行い、意見を交換することが主たる目的なわけだが、ほかにも、クラス担任の先生が自分の授業以外での生徒の様子を知ったりすることにも有効である。私は毎年この期間に、先生方の授業を見て回ることにしており、今年度もそうした。その時に感じたことは、大きく4つ。1つには先ほども触れたが、坂出高校の先生方は授業にとても熱心で、かつ分かりやすい授業をしているということ。2つ目は、その授業を受けることのできる高校生=皆さんは、とても幸せだということ。3点目は、高等学校の学習内容は、やはりやや高度だが社会生活に欠かすことのできない内容だなということ。最後4つ目は、皆さんの授業態度の良さ。大多数の皆さんが授業に真剣に向き合っている。これには感心し、坂出高校の生徒諸君を改めて誇らしく感じた。
 皆さんにとって、授業というのは「ごく当たり前」のものだろう。しかし、現在受けているような授業を受けることができるのは高等学校まで。多くの人が進学する本校にあっても、高校よりも上の教育機関(少なくとも私の知っている「大学」)では、今皆さんが受けているような丁寧な授業というのはない。私が大学での教育を受けたのは、すでに40年ほども前のことなので、現在では多少は変わっているかもしれないし、また、変わっていてほしいと思うのだが、大学の授業というのは、先生が授業開始時刻よりも相当遅れて来て、自分の専門領域のことを一方的に話し、人によっては授業用テキストと称した自らの著作本を学生に売りつけ、授業終了前にさっさと引き上げてしまうというおよそ「教育」とは呼べないようなものがまあまあの数あった。特に1回生から2回生にかけての教養科目には、そういう先生たちが相当数いたように記憶している。ただし、例外は語学。私の場合、英語とドイツ語。これは非常に厳しかった。ちなみに1コマの授業時間は100分であった。昨今は、いろいろなことに法令遵守(コンプライアンス)や説明責任(アカウンタビリティ)などが求められていること、また、大学でも授業評価が行われているらしいことを聞くにつけ、教養課程でもそういったいい加減な「教授」も減っているのかなとは思う。また、大学では自分の専門領域の勉強はするが、それ以外のことはほとんど学習する機会がない。教育学部の英語教育学専修だった私の場合、大学の4年間は国語、数学、歴史、保健、家庭、芸術の授業は皆無で、理科もほぼなし。ただ、高校ではなかった教育学とか心理学、哲学、憲法の授業はあった。体育は2回生の時まで週に1コマだけあった。今思えば、当時の共通一次テスト(現在の大学入学共通テスト)で、5教科7科目まで受験させておいて、入学したらもう勉強の面倒は見ませんよというような制度は果たしてどうなのかという疑問が残ったままである。勉強というのは、一度やめてしまうとそこで成長は終わる。自分の経験からこれは確実に言える。高校当時好きだった、古典や数学の勉強を継続させるべきであった、と悔やんでも悔やみきれない気持である。
 皆さんは、国語(現代文、古文、漢文)、数学、理科、地歴、公民、保健体育、芸術、英語、情報、家庭といった大変幅の広い学習をしている。そして、坂出高校の先生方は微に入り細に入り、大変わかりやすい教え方をしてくださっている。これを当たり前とは考えないでほしい。当たり前ではなく、幸せなことである。先生方の授業には、本当に頭が下がる。1時間の授業のために、そして、生徒のために、ここまで準備してくださっている。4年前まで先生方と同じく授業をしていた者=私が見ると、その授業の背景にある準備の様子が窺える。毎年本当に感動さえする。生徒の皆さんには、人生一度きりの最高の瞬間が1コマ1コマの授業に凝縮されていると心得てほしい。大学受験も大事である。しかし、本校の先生方は大学受験のその先、皆さんが社会に出て、生きていくために必要な素養を教えてくださっている。現代の社会は、高等学校で学ぶ程度の知識がないと生きていくのが非常に困難なものである。今このように話しても、ピンとこない人が多いだろう。しかし、諺にもあるように「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」である。茄子は花をつければ必ず実をつけるそうである。耳が痛い親の話も、後で考えると自分のことを思って言ってくれたのだと思える。学校という場では、先生は皆さんの親である。どうかこのことを肝に銘じ、1時間1時間の授業に精一杯取り組んでほしい。
 最後に。秋は部活動にとって、新人大会や選抜大会の時期である。精一杯の頑張りを期待する。3年生には、粘り腰で落ち着いた学習を期待している。自分を安売りしないように。大学は選べる時代である。大学に選ばれなくてもよい。このことは1年生、2年生にも知っておいてほしい。私がなぜこのように言うのか。根拠がある。各自で考えてほしい。

令和3年度2学期始業式講話(9月13日(月))

2022年3月21日 09時35分

 延長されて50日も続いた夏休みが「やっと」終わり、本日の学校再開がかなった。始業式ということで、皆さんに話をする機会をいただいた。最初は、この夏休み中にあった東京オリンピックやパラリンピックのこと中心に話をしようと考えていた。しかし、その考えが変わった。今日は、現在の香川県のみならず、日本全体に目を向けた話をすることにした。 そのきっかけは、二つある。一つ目には、いつまでたっても終息しないコロナ感染症。今一つは、内閣総理大臣の突然の辞任予告。この二つのことが、相互に関連していることは皆さんにも分かっていることと思う。現在の内閣総理大臣は、昨年秋の就任以来ずっと、本当にほぼ休みもなしで、コロナ対応に当たってきた。これは新聞でも報道されていたが、この1年間はほぼ休暇を取っていないと言っても過言ではないようだ。緊急事態宣言やまん延等防止措置、また、飲食店への時間短縮営業や酒類の提供停止など、様々な具体的な対応も行ってきた。しかし、そのような努力にもかかわらず、コロナ感染の勢いは止まっていない。9月末で自由民主党総裁としての任期を迎え、10月には衆議院議員の任期が満了になるという政治日程の中で、コロナ対応との両立は難しく、「コロナ対応に専心する」と総理大臣は言った。私はこの言い分には大いに賛同はできるが、前政権を引き継いで、わずか1年で総理大臣が変わるというのは、国際的には一定の不信を買うことにもつながるのではないかと思う。皆さんは現在のこの事態をどのように見ているのか。つまり、自由民主党という党の総裁選挙、そして、衆議院議員選挙を控えながら、どのようにコロナ感染対策を行っていくべきか。皆さんになぜこのよう話をしようと思ったか。それは、来年度から始まる「18歳成人」を前に、現在でもすでに18歳で投票権を持つ皆さんが、選挙(投票)を通して、だれならばこの難局を打開できるかを真剣に考えなければならないと思うからである。投票率というのは大変低い傾向にある。しかし、投票に行かないということは、すべてを他人に一任するということであり、ある意味では非常に危険な行為である。
  私が学校に勤め始めて、今年で38年目である。私は、現在の日本は今までに経験したことがない難局に直面していると感じている。私たち一人一人が、当事者意識を持って行動しなければ、太刀打ちできそうにない局面である。しっかりと考え、行動することを期待している。

 最後に、各学年の皆さんへのメッセージを述べる。3年生にとっては進路に向けて勝負の学期である。この3月に卒業した3年生の多くがそうであったように、来年3月の後期日程までを見据えてしっかりと第一志望校を貫いてほしい。また、学校推薦型選抜や総合型選抜での受験を考えている人もいると思うが、自分が真にその要件を満たしているか、自分としっかりと向き合ってほしい。前にも話したことがあるが、大学受験というのは自分を成長させる大きなチャンスである。決して逃げてはならない。 1年生にとっては文系と理系のコース選択の時期である。将来就きたい仕事から、どのコースどの科目を選択するのがベストなのかを考えてもらいたい。これをバックワードデザインという言い方をする。しっかり自分と向き合うとともに、先生方にアドバイスを求めてほしい。2年生の皆さんには、学習面での実力アップを特に期待する。 この2学期。遠足や2年生の修学旅行が無事に実施できることを願っている。皆さんもそれらが滞りなく行えるように、マスクの着用や手洗い、そして特に昼食のとり方に注意してもらいたい。

令和3年度1学期終業式式辞(7月20日(月))

2022年3月21日 09時34分

 早くも1学期が終わろうとしている。この間を、「長い」と感じた人はどれくらいいるだろうか。多くの人が、「あっという間だった」と思っているのではないか。「少年老い易く学成り難し」と先人が言ったように、一日一日を一生懸命に生きていかないと、本当に何も身につけずに生涯を終えることになりそうである。自戒の意味を込めてである。これからの夏休み、どう過ごせばいいか、各自が一番わかっているはず。二度とない時間を、計画的に使ってほしいものである。 さて、今日はまず、今シーズン大リーグで驚異の活躍をしている大谷翔平選手について話したい。先日のアメリカ大リーグのオールスターゲームに投打の二刀流として、さらには前日のホームラン競争にも出場した大谷選手。ファン投票で、圧倒的な票数で指名打者としての出場が決まっていたが、先発投手としての出場は選手間投票で決まったものであると聞く。さらに、ホームラン競争は大リーグ機構からの依頼ということである。つまり、ファンのみならず、プロの選手と大リーグの運営団体からも支持されての出場ということである。プロの野球人として、これほどの名誉なことがあるだろうか。

 そして、皆さんもニュースですでに知っているとは思うが、その結果について。ホームラン競争では、惜しくも一回戦で敗れたものの、いわゆる延長戦にまでもつれ込んだ。また、オールスターゲームでは「1番指名打者」かつ「先発投手」として出場し、ヒットこそ出なかったものの、投手としては「勝ち投手」となった。このような出場形態が許されたのは、大谷選手のためのルール変更だとのこと。アメリカのメディアもこぞってこの話題を取り上げたようで、大谷選手の人気は、大リーグで活躍した多くの日本人選手の中でも過去に例がないほどである。この人気沸騰の一つの理由が、彼の野球人としての活躍に加えて、球場(グランド)にゴミが落ちていたらさりげなく拾ってユニホームのポケットに入れたり、自分が打ち取ったバッターの折れたバットを拾って渡してあげたりするところにもあるようである。まさに、人間というのはトータルで判断されるものであることを如実に示していると言えよう。 しかし、私は5年前に、「大谷選手が大リーグに挑戦」という話を聞いたとき、少々ショックだった。それは、大谷選手が当時所属していた北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督が「二刀流」を認め、その起用法に大変苦心しながらも、大谷選手の意向に沿い、成長を見守るという姿勢であったことがとても印象に残っており、果たして大リーグにそのような理解のある監督がいるのだろうかと思ったことが主な理由であった。しかし、実際には私の心配は杞憂に終わった。大リーグエンゼルスの監督も、大谷選手を投打の二刀流として育てるように配慮してくれたからである。ここで翻って考えると、スカウトされてプロ野球の道に進むような人というのは、少年野球から始めている人が多いと思うが、そもそも「エースで4番」という人が非常に多いはずである。それがどこかの時点で、投手を選ぶのか打者を選ぶのかという選択を迫られて、どちらかを選択したという人がほとんどではないか。それは、投手か打者のどちらかだけでも、十分に食べていけると言うか「高給」が取れるのだから、当たり前の選択だろう。選手としての寿命も延びることだろうし。しかし、投打の二刀流を現在でも貫き、結果を残すことによって周囲を納得させている大谷選手は本当にすごい人だと思う。

 私が彼を「すごい」と思うのは、その実績はもとより彼の人柄や考え方である。人柄については、先ほど言ったゴミ拾いやバット拾いにもよく表れている。大谷選手の言葉から、私が感心し、自分では到底まねできないのは、大谷選手の切り替えの良さである。言葉を換えれば、一喜一憂しないところである。例を挙げると、今年の6月30日。ヤンキースタジアムで投手として先発した試合でのこと。早々に打ち込まれ、いきなりの7失点。当然のごとく敗れた試合後のインタビューで、このように語った。「いい投球ができればよかったが、長いシーズンの中でこういう難しいゲームは必ず来る。そこで一つ切り替えられるかも大事」。皆さんはこういうものの考え方ができるだろうか。恥ずかしながら、私にはできない。私なら自分の投手としての未熟さを反省するとともに、「チームが負けたのは自分のせい」というふうに考えて、落ち込んでしまうところである。自分の性格なら、間違いなくそうなると思う。これは、完全にマイナス思考である。大谷選手は、「長いシーズンの中では、うまくいかないことある。いつもいい時ばかりではない」と言っているわけである。まだ27歳の大谷選手が、そんなものの考え方ができるのはなぜだろう、と不思議であるが、こういった考え方、プラス思考で生きることができるということが、彼の活躍の一因であることは間違いないと思う。今後とも、彼の活躍と言動に注目していきたいと思う。皆さんにも注目してほしい選手である。

 今日はもう一点、野球とは全く話が違うが、夏休み前ということで話をしておく。特に3年生の皆さんに。私がこれまで勤務した、ある学校の終業式の校長講話の中で、頭から離れない講話がある。それは、「3年生の皆さんは、この休み中には1日に15時間は勉強しなさい」という言葉である。私自身も高校時代には勉強に時間を割き、休みの日は12時間勉強を継続していた。「どこまでならできるんだろう」という好奇心もあり、徹底的に自分を追い込んで最高に勉強したのは1日に13時間半だった。さすがに翌日はしんどかったが、それでも12時間の勉強時間は欠かさなかった。それで、今言った「ある学校」というのは高松高校のこと。私は高松高校には通算で12年間勤務したが、学級担任をしていて思ったのは、高松高校の生徒は、決して「自分は勉強している」とは言わないが、実はものすごく勉強しているということである。「いやいや、あの学校に合格する子はみんな元から頭がいいんだろう」と考えるのは大間違い。12間勤務した中で、いわゆる「天才」と呼んでいい生徒には1人しか会ったことがない。その生徒は、まさに授業で勝負しているような生徒で、「一度聞いたことは忘れない」と話していた。現役で東大の理科Ⅱ類に合格した。東大や医学部に合格していった生徒は数えきれないくらいにいるが、共通しているのは、非常に真摯に勉強に取り組んでいたことと、最後まで諦めずに粘ったことである。高松高校の話を出したのは、皆さんにもそうあってほしい部分があるから。即ち、最大限の努力をすることと、最後まであきらめないこと。初めに「特に3年生」と言ったが、大学受験の準備はいくら早く始めても早すぎるということはない。1年生、2年生の皆さんにも頑張ってもらいたい。先月放送が終わってしまったが、日曜日の夜に放送されていた「ドラゴン桜」。あの番組は、見ていて共感できる部分があった。簡単に言えば、「大学受験を通して人間は成長する」ということ。これは、私がこれまで教えてきた学校のほとんどの生徒に共通して見られることである。受験はただの競争ではない。自分と向き合う絶好のチャンスであり、成長の機会である。逃げることなく立ち向かってほしい。

 以上、大きく2つの話をした。いまだにコロナの終息が見えない中での「オリンピック開催」、本校にとっては2年ぶりの「坂高祭」となる。感染対策を行いながらも、質の高いクラス展示ができるように、計画的な準備に期待している。

令和3年5月全校集会(5月6日(木))

2022年3月21日 09時32分

 新緑が目にまぶしい季節が巡ってきた。新しい学年が始まって1か月になる。皆さんも新しい環境にそろそろ慣れたか。急いだり慌てたりする必要はないが、自分を取り巻く環境にうまく順応するというのは大切である。今日は、これに関連して話をしたい。

 人間はみんなこうありたいという「自分の理想像」を持っていると思う。これは皆さんもそうだと思うし、先生方も同じだと思う。「自分はこうありたい」という理想があるはずだ。 例えば、「クラスのリーダーとして皆から信頼されたい」、とか、「部活動で輝きたい」とか、「勉強では負けないぞ」、とか、「異性から好かれたい」とか。挙げればきりがないほど「こうありたい自分」があることと思う。 さて、現実はどうか。皆さん、「こうありたい自分」になれているか。1年生の皆さん、あこがれだったはずの坂高で、輝けているか。2、3年生の皆さん、新しいクラスで、また部活動で「理想の自分」になれているか。

 もし、皆さん一人一人に尋ねると、きっとそうではない、つまり「理想と考える自分」にはなれていない人の割合が結構高いのではないでしょうか。そんな時に、皆さんはどのようにしてそれを乗り越えていくのでしょう。

 私が今日、皆さんにお話ししたいのは、自分が思い描く自分になれなかった時でも、「そこでしっかりがんばってほしい」ということである。「校長は、酷なことを言うなあ」と思うかもしれない。皆さんは渡辺和子という名前を聞いたことがあるか。5年ほど前に亡くなったが、長年、岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務め、晩年には理事長をなさった方である。その大学は、本校からも毎年進学する人が出ている大学なので、渡辺先生の教えを受けた本校卒業生も多いはずだ。 その先生の著書に、『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。本校の図書室にもある。読んだことのある人はいるだろうか。

 渡辺和子先生は、1927年(昭和2年)北海道の旭川生まれで、東京育ちという方である。今、もしご存命なら94歳である。父親は、のちに二・二六事件で暗殺される渡辺錠太郎という元陸軍中尉で、事件当時には教育総監(そうかん)という地位にあった方である。先生は、1951年(昭和26年)に東京の聖心女子大学を卒業し、さらに上智大学で学び、その後ノートルダム修道女会に入る。「修道女」というのは、男性ならば「修道士」と呼ばれるが、それは、わかりやすく言えば、修道誓願(しゅうどうせいがん)という誓いを立てて、禁欲的な信仰生活をする人のことだそうだ。渡辺先生の場合にはキリスト教(カトリック)だった。 先生は、上智大学の大学院を修了した後、アメリカに派遣され、再び大学院で学ぶ。そしてやがて帰国するのだが、この修道士・修道女の世界というのは非常に厳しく、上からの命令は絶対の世界だということのようだ。それで、渡辺先生は30歳代半ばでノートルダム清心女子大学に派遣を命じられるのである。岡山という土地は、先生にとっては、まったくもって縁もゆかりもない土地だったそうだ。

 そして驚くべきは、その翌年36歳という一般には考えられないような若さで、ノートルダム清心女子大学の学長に任命される。その詳しい経緯は、その著書の中では触れられていないが、学業のみならず人間的にも相当優秀な方だったのだろうと推測される。 しかし、その大学の学長は、渡辺先生の前2代ともアメリカ人の70歳後半の方がお務めだったそうだ。本には書かれていないが、年配の先生方も多い中、大変な若さで学長となった先生のご苦労は、容易に推察できる。学長であるからには、ほかの先生方や職員に指示したり、お願いしたりしなければならないことも多いはずだが、自分よりもずいぶん若い、場合によっては自分の子どもくらいの年齢の者から言われたことを、皆が素直に聞いただろうか。きっと渡辺先生は相当につらい目にあったことと思う。 そのような状況の中で、渡辺先生は「くれない族」になるのだ。「くれない族」とは、「挨拶してくれない」、「こんなに苦労しているのに、わかってくれない」、「ねぎらってくれない」と、人が自分に対して「してくれない」ことを不満に思う気持ちのことであると、渡辺先生は記されている。

 そんな渡辺先生に、一人の宣教師が、英語の短い詩を渡してくれたそうだ。それは、先生が、岡山という縁のない土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦しているのをその宣教師が見かねてのことだったのではないか、と先生は思ったそうだ。 その言葉とは、Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)というものだった。 この詩をもらったことで、渡辺先生の心は変わるのだった。著書には、次のように書かれている。

 「そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生れたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせてみようと決心することができました。それは、私が変わることによってのみ可能でした。」 さらには、このように続きがあります。「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

 皆さんも、現在置かれた場所が、何となく不本意であると感じている人がいることでしょう。そんな時に、今日私が話したことを思い出してほしいし、また、この本を手に取ってほしいと思う。 人間というのはなかなか面倒な生き物である。特に高校生の時期というのは、時に「生きづらさ」を感じ、「自分のことが嫌いになる」時期である。しかし、人生においては、たいていのことが自分の思い通りにはならないものである。これはみんな同じで、決してあなただけではない。そんな時でも、決して現実から逃げたりせず、一人ひとりが「現在置かれた場所で懸命に生きる~咲くか、根を張る~」、今日はそういうことの大切さに気付いてほしいと思って話をした。

 さて、運動部の3年生の皆さんにとっては高校生活の集大成となる高校総体まであと1か月を切った。ベストが尽くせるよう万全を尽くすとともに、些細なことでけがをしないよう注意して生活してほしい。 新緑が目にまぶしい季節が巡ってきた。新しい学年が始まって1か月になる。皆さんも新しい環境にそろそろ慣れたか。急いだり慌てたりする必要はないが、自分を取り巻く環境にうまく順応するというのは大切である。今日は、これに関連して話をしたい。

 人間はみんなこうありたいという「自分の理想像」を持っていると思う。これは皆さんもそうだと思うし、先生方も同じだと思う。「自分はこうありたい」という理想があるはずだ。 例えば、「クラスのリーダーとして皆から信頼されたい」、とか、「部活動で輝きたい」とか、「勉強では負けないぞ」、とか、「異性から好かれたい」とか。挙げればきりがないほど「こうありたい自分」があることと思う。 さて、現実はどうか。皆さん、「こうありたい自分」になれているか。1年生の皆さん、あこがれだったはずの坂高で、輝けているか。2、3年生の皆さん、新しいクラスで、また部活動で「理想の自分」になれているか。

 もし、皆さん一人一人に尋ねると、きっとそうではない、つまり「理想と考える自分」にはなれていない人の割合が結構高いのではないでしょうか。そんな時に、皆さんはどのようにしてそれを乗り越えていくのでしょう。

 私が今日、皆さんにお話ししたいのは、自分が思い描く自分になれなかった時でも、「そこでしっかりがんばってほしい」ということである。「校長は、酷なことを言うなあ」と思うかもしれない。皆さんは渡辺和子という名前を聞いたことがあるか。5年ほど前に亡くなったが、長年、岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務め、晩年には理事長をなさった方である。その大学は、本校からも毎年進学する人が出ている大学なので、渡辺先生の教えを受けた本校卒業生も多いはずだ。 その先生の著書に、『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。本校の図書室にもある。読んだことのある人はいるだろうか。

 渡辺和子先生は、1927年(昭和2年)北海道の旭川生まれで、東京育ちという方である。今、もしご存命なら94歳である。父親は、のちに二・二六事件で暗殺される渡辺錠太郎という元陸軍中尉で、事件当時には教育総監(そうかん)という地位にあった方である。先生は、1951年(昭和26年)に東京の聖心女子大学を卒業し、さらに上智大学で学び、その後ノートルダム修道女会に入る。「修道女」というのは、男性ならば「修道士」と呼ばれるが、それは、わかりやすく言えば、修道誓願(しゅうどうせいがん)という誓いを立てて、禁欲的な信仰生活をする人のことだそうだ。渡辺先生の場合にはキリスト教(カトリック)だった。 先生は、上智大学の大学院を修了した後、アメリカに派遣され、再び大学院で学ぶ。そしてやがて帰国するのだが、この修道士・修道女の世界というのは非常に厳しく、上からの命令は絶対の世界だということのようだ。それで、渡辺先生は30歳代半ばでノートルダム清心女子大学に派遣を命じられるのである。岡山という土地は、先生にとっては、まったくもって縁もゆかりもない土地だったそうだ。

 そして驚くべきは、その翌年36歳という一般には考えられないような若さで、ノートルダム清心女子大学の学長に任命される。その詳しい経緯は、その著書の中では触れられていないが、学業のみならず人間的にも相当優秀な方だったのだろうと推測される。 しかし、その大学の学長は、渡辺先生の前2代ともアメリカ人の70歳後半の方がお務めだったそうだ。本には書かれていないが、年配の先生方も多い中、大変な若さで学長となった先生のご苦労は、容易に推察できる。学長であるからには、ほかの先生方や職員に指示したり、お願いしたりしなければならないことも多いはずだが、自分よりもずいぶん若い、場合によっては自分の子どもくらいの年齢の者から言われたことを、皆が素直に聞いただろうか。きっと渡辺先生は相当につらい目にあったことと思う。 そのような状況の中で、渡辺先生は「くれない族」になるのだ。「くれない族」とは、「挨拶してくれない」、「こんなに苦労しているのに、わかってくれない」、「ねぎらってくれない」と、人が自分に対して「してくれない」ことを不満に思う気持ちのことであると、渡辺先生は記されている。

 そんな渡辺先生に、一人の宣教師が、英語の短い詩を渡してくれたそうだ。それは、先生が、岡山という縁のない土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦しているのをその宣教師が見かねてのことだったのではないか、と先生は思ったそうだ。 その言葉とは、Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)というものだった。 この詩をもらったことで、渡辺先生の心は変わるのだった。著書には、次のように書かれている。

 「そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生れたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせてみようと決心することができました。それは、私が変わることによってのみ可能でした。」 さらには、このように続きがあります。「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

 皆さんも、現在置かれた場所が、何となく不本意であると感じている人がいることでしょう。そんな時に、今日私が話したことを思い出してほしいし、また、この本を手に取ってほしいと思う。 人間というのはなかなか面倒な生き物である。特に高校生の時期というのは、時に「生きづらさ」を感じ、「自分のことが嫌いになる」時期である。しかし、人生においては、たいていのことが自分の思い通りにはならないものである。これはみんな同じで、決してあなただけではない。そんな時でも、決して現実から逃げたりせず、一人ひとりが「現在置かれた場所で懸命に生きる~咲くか、根を張る~」、今日はそういうことの大切さに気付いてほしいと思って話をした。

 さて、運動部の3年生の皆さんにとっては高校生活の集大成となる高校総体まであと1か月を切った。ベストが尽くせるよう万全を尽くすとともに、些細なことでけがをしないよう注意して生活してほしい。 

令和3年度 第1学期始業式講話 (4月6日(火))

2022年3月21日 09時32分

 春休みに入った頃には、まだ桜も早いものが咲き初めといった頃だった。それから20日足らずだが、私たち学校の教員が1年で最も慌ただしい日々を過ごしている中、いつの間にか本格的な春になっていた。本当に、「気がつけば春真っ盛り。」というのが学校に勤める私たちの常である。この素晴らしい季節の到来を、しみじみと味わうこともできないというのは非常に残念なことだと、毎年ゴールデンウィーク頃になって思う。

 皆さんの春休みはどうだったか。学業に、部活動に、充実していたか。昨年度最後の講話で話した通りの生活が実践できたか。大きな事故の報告を受けていないのは幸いだが、何か変わったことがあった人は、この後のホームルームで担任の先生に伝えてほしい。

 今日はまず、皆さんにまず知らせておきたいことが2つある。1つは大学入試について、2つ目は部活動での活躍についてである。私は今年度で坂出高校の校長として4年目を迎えるが、先生方には大きく3つのことをお願いしている。そのうちの二つが、進学に関することと、部活動に関することである。

 まず大学入試に関して。先月卒業した先輩方だが、現在判明している分で、国公立大学に120名が合格した。過年度生10名を含むが、卒業した生徒数263名から単純に国公立大学に合格した人の割合で言うと、45.6%である。この40%超えというのは4年連続である。中でもこの45.6%というのは、過去21年間の中でも一昨年の47.1%に次いで2番目に高い数値である。 この学年の特徴は、第一志望を貫いた人が多く、最後の最後まで粘った者が多かったということ。ただ1年次から学習時間が少なく、そこが心配な学年であった。みなさんも第一志望を貫徹してほしい。私は皆さんによく言っているつもりだが、「先輩ができることは、皆さんにもできる」ということ。それが伝統というものの持つ力である。

 もう一つは、部活動での活躍である。ちょうど春休みが始まった3月20日、宮崎県で行われた全日本アンサンブルコンテストで、本校の打楽器五重奏が全出場校(全国の各ブロック予選を勝ち抜いた22校)のうち、7校にしか与えられない金賞を獲得した。金賞のうち、打楽器は本校のチームだけだったということで、打楽器の日本一と言ってもよい。コロナの影響で、練習にも制約が設けられる中での快挙である。全校をあげて喜びたいと思う。

 ここからは、真に新年度の初めにふさわしいことを話す。これは、「高邁自主」に並ぶ坂出高校の伝統の一つである「パティマトスの石組み」についてである。「この石組みは、本校創立50周年記念事業として、建て替えで使われなくなった木造校舎の礎石などを転用して作られたもの。制作は空充秋(そら みつあき)氏、ギリシャ語の碑文は校長の高塚寛氏による。(「創立百周年記念誌」より。)」私は5年前に本校に赴任したが、それ以前から、この石組みに大変興味を持っていた。その理由は2つある。

 一つには、ギリシャ語である「パティマトス」の意味、「英知は苦難を通して来たる」という言葉に感銘を受けていたこと。何事も、楽をして好ましい結果が得られるということはなく、素晴らしい結果を生むにはそれ相当の努力や苦労が必要であるということだ。 そして今一つには、この碑文を選定した当時の高塚寛校長先生のことを、自分が教員になりたての頃に頻繁にうかがっていたから。私が新任教員として勤務していた学校(善通寺第一高校)には、坂出高校で勤務した経験がある先生方がたくさんいた。高塚先生は、本校の第14代目の校長で、昭和37年度から昭和46年度まで、実に10年間にわたって本校の校長を務めた方である。たいへん博学な先生だったと伺っており、古代ギリシャの三大悲劇詩人と言われるアイスキュロスの言葉を刻んだ。先生の専門が何であったかは知らないが、社会科、特に哲学の方面の専門でもない限り、普通は余り知らないような言葉だと思う。デザインも大変洗練された石組みで、このような高潔な言葉を刻んだことが、その当時の職員に大変な感銘を与えるとともに、坂出高校が知的レベルの高い学校として県下に名をとどろかせたというふうに聞いている。皆さんもどうか、パティマトスという言葉の意味をしっかりと認識し、知的レベルを高めてほしいと思う。私たち教職員も、この気高い言葉を大切にしていきたいと思う。

 最後に。明日には新入生251名が入学してくる。新入生がどのように育つかは、先輩である皆さんがどのようなものであるか、すなわち学業や部活動・生徒会活動への取り組み方、行動の仕方にかかっている。良い先輩・良いお手本となれるよう自覚ある行動を望む。 

令和3年度 年度当初ごあいさつ

2022年3月21日 09時31分

leftt

 令和3年度が始まりました。昨年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のために出ばなをくじかれたので、「今年度こそは!」という思いで新たな学年に臨みました。しかし、ウイルスとの戦いは苦戦を強いられており、今後どのような状況になるのか予断を許さないというのが本日現在の現実です。

 このような状況ですが、坂出高校においては、授業はもとよりさまざまな行事を、「感染対策を行いながらやっていく」ことを、つい先日の職員会議でも確認したところです。 今年度、坂出高校は『全国からの生徒募集』で、普通科・音楽科ともに10名の生徒を募集していました。結果的には、音楽科で6名の県外からの新入生を迎えることができましたが、残念ながら普通科には志願者がいませんでした。PRするための十分な時間がなかったこと、また、コロナのために県外への移動も制限されていた時期もあったことが悔やまれます。

 さて、坂出高校ではこれまでは、『高邁自主』と『パティマトス』(英知は苦難を通して来たる。)の2つをスクールモットーとしてきたところです。昨年度からは、これらに込められた精神をより具体的にして教育活動を行ってきました。昨年度は校内で試験的に行っていたために公表はしていなかったのですが、今年度は公表します。その重点目標とは次のようなものです。

1 社会の変化に柔軟に対応できる人間を育成する
  (1) 確かな基礎学力とそれを活用する力
  (2) 他者の意見を聴き、自己の意見を論理的に伝えるコミュニケーション能力
  (3) 柔軟な思考力と判断力

2 主体的に行動できる人間を育成する
  (1) 知的好奇心をもって、積極的に物事に挑戦する力
  (2) リーダーの自覚を持って他者を先導する力
  (3) 基本的な生活習慣と自らを律する力

3 心豊かでたくましい人間を育成する
  (1) 礼儀・マナーを守り、他者を思いやることのできる力
  (2) 困難に立ち向かい粘り強く取り組む力
  (3) 他者と協働して物事を成し遂げる力

 これらの力が学校生活のどのような場面でつくのか、生徒の皆さんには具体的に示していくこととしています。 来年度から始まる新しい学習指導要領のもとで、PDCAサイクル(計画し、やってみて、点検し、改善する)をしっかりと学校に根付かせ、来たるべき高度情報化社会の中でしっかりと生きていける生徒を育成したいと考えています。

                                                 令和3年4月12日
                                                 校長 黒 島 俊 哉

令和2年度第3学期終業式講話 (3月19日(金))

2022年3月21日 09時29分

 今年度はとうとう全校そろっての集会が全くできなかった。新型コロナウイルスの感染拡大によって「新しい生活様式」というものが提唱されたが、これから先も私たちの生活は、以前のものとは変わらざるを得ないのだろう。私が学校生活で最も残念に思っていること。それは、1年生の皆さんが坂出高校の校歌を歌う機会が一度もなかったことである。

  【次に、本校の校歌についての話をしましたが、著作権法に触れる可能性があるかもしれないので、割愛します。】

 さて、学年の終わりに当たってもう一点話をしたい。私が講話で話すことは、自分の中では一貫性がある。皆さんは気付いていないだろうが、それは「坂高生よ、もっと頑張りなさい」ということと、「人間というのは最終的にはその中身が大切である」ということ。私の話はこの二つの点に集約されていると言ってもよい。今日言いたいのは「坂高生よ、もっと頑張りなさい」の方である。 本校では、年に2回学習時間調査が行われている。2月の職員会議で今年度第2回目の結果報告があった。皆さんの学習時間の少なさと、スマホ・パソコンの使用時間の多さに驚いたと言うか、正直なところ呆れた。時間というものがいかに早く過ぎ去るかは、これまでの生活の中で分かっているはずである。高校時代というのは、自分の将来に直結する非常に重要な時期である。普通科高校に進学しておきながら、その時間を勉強せずに過ごすことの愚かさが分からないのか。坂高生ほどの皆さんが、それを理解しないでどうするのか。

 現在の世の中はさまざまな面で「二極化」が進んでいると言われる。勉強で言えば「すごく勉強するグループ」と「全く勉強しないグループ」である。なぜ、私から見れば「学業を放棄している」としか見えない諸君がこれほどまでに多いのか。一言で言えば「怠慢」であると思う。

 私は、人間というのはそれぞれに果たすべき役割があると思う。世の中の人の一人ひとりがその役割を果たすことによって、世の中が成り立っていると思う。では、坂高生に期待されている世の中での役割とは何か。私は、坂高生の皆さんの多くは、将来、看護師とか学校の先生、また県庁や市役所、もちろん一般企業でも構わないが「人の世話をする」というのが役割ではないかと考えている。皆さんの進路もそういった方面を考えている人が多いはずである。そこまで考えが及んでいない人もいると思うが、例えば学校の先生。これは児童や生徒の「世話をする」のがその役割である。少なくとも高校入試の面接では、将来は「公務員・看護師・教員になりたい」という答えの人が多かった。今はどう考えているのか。「日々漫然とスマホをいじりながら宿題をやりかねている」という程度の日常生活を送っている者が、将来人の世話をするような立場になれるのか。このことについては、一人ひとりがこの1年間の自らの生活を真っ直ぐに見つめなおし、春休みから生活の見直しを行ってほしい。進路指導主事の多田先生の決め台詞だが「明日からやろうは、馬鹿野郎」である。

 最後に、皆さんの先輩の進路状況について話しておく。国公立大学の前期日程の合格発表が終わった段階で、合格が判明しているのは現役・浪人合わせて93名である。まだ中期・後期の発表がなされていないが、昨年並みにはなるのではないかと期待している。国公立大学合格40%台。こういう学校を維持していかなくてはならない。それが坂高の役割の一つであると考えている。 明日から2週間以上もの春休み(学年末・学年始休業)に入る。この間は、先生方は皆さんに関係する帳簿を整理したり、異動があったり、新学年の準備をしたりと大変忙しい。学校を休業とするのはそのためであり、皆さんを休ませるためではない。自覚ある行動を望む。

令和3年2月 全校集会講話(2月1日(月))

2022年3月21日 09時29分

 今日からは3年生が家庭学習に入った。これは、3年生の多数が大学受験に出かけるために、学校が授業をしても多くの者が出られないということから始まったものであろうと思うが、歴史は古く、私が高校生の時には既にあった制度である。今日からは完全に2年生は3年生の役割を、1年生は2年生としての役割を自覚して生活してほしい。よく「2年生の0学期」「3年生の0学期」というように言われる。その自覚を持って臨むと、大学にも現役で合格できるとか、ワンランク上の大学を狙えるということである。皆さんにも是非とも実践しもらいたい。

 さて、今日は女子の割合が多い坂出高校ということで、今からの話をしたいと思う。皆さんはあまり意識したことがない人が多いと思うが、全校生約800人のうち、男子が300人、女子が500人というのが坂出高校の大雑把な男女比である。

 およそ2年前のことだが、朝日新聞が数回にわたって「サヨナラしたい8つの呪縛Dear Girls」という特集記事を掲載した。 この特集は、私たちの身の回りにあるジェンダー(社会的な性)をめぐる固定的な考えがあふれ、一人ひとりが進みたい道を選べなかったり、生きづらさを感じたりしていることを、もう終わりにしようという趣旨で始まったもののようだ。したがって、女子だけでなく男子にもしっかりと聞き、考えてほしいと思う。また、この2年足らずの間に、状況に変化がないように私が感じていることも、今日皆さんにこの話をするきっかけになった。

  〔連載1回目〕「声あげる女性 黙れの空気」  SNS等で自分の意見を発信した女性に対する「バッシング」。例えば、会社員時代に先輩社員からセクハラやパワハラを受けていたことを告白したある作家の告白に対して、「なぜ今頃言うんだ」、「売名行為だ」とかのバッシング。タレントのローラさんが、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事中止を求めるネット署名への参加をSNSで呼び掛けたところ、「タレントのくせに政治に口を出すな」、「芸能界から干されるぞ」とのバッシング。ある女子大学生が女性蔑視的な特集を載せた男性週刊誌に、記事取り下げと謝罪を求めるネット署名を開始し、編集長らと対談すると、「自分だって男性蔑視的な発言をしていたくせに」、「この子就職できないね」とバッシング。 このような事態に対して、地方議員や弁護士など7名が東京都内で記者会見を開いた。  「声をあげる人、とりわけ女性に対して『黙らせてやろう』という圧力を感じる。でも、私たちは絶対に黙らない、という姿を見せたい。」とそのうちの1名が力強く語った。

令和2年度 3年生最終登校日講話 ~教師冥利に尽きる~ 1月29日(金)

2022年3月21日 09時28分

 つい先日、私が最初に勤務した学校の生徒から電話がかかって来た。その生徒は、担任をした生徒ではなく、部活動で関わった生徒である。

 その部活動というのは、野球部。教員になってからは卓球部の顧問をしていたが、教員生活4年目に、野球部の顧問をしていた先生が異動され、野球部は指導者が足りなくなった。そこで、経験など考慮せず、「若い」ということと、当時の野球部の監督と同い年の同期採用という理由からであったと思われるが、野球部の副部長を引き受けてくれないかとの話が、年度末に突然舞い込んだ。プロ野球観戦は好きではあったが、野球に関してはまったくの素人、しかも副部長というのは単にお飾りではなく、実質的にはノッカー。野球部以外の人にはわかりづらいと思うので説明を加えるが、守備練習のために野球のボールを転がしたりフライを打ち上げたりすることを「ノック」と言う。ノッカーというのはそれをする人ということである。

 硬式野球のボールがどんなものかというのは、野球部以外の人はほとんど知らないことと思う。どれほどの大きさで、どれほどの重さなのか。だいたい、男子のこぶしを球形にしたほどの大きさで、とにかく硬くて重たい。ほとんど「石」と表現してもよいほどの代物である。そのボールをバットでノックするというのは、自分の想像以上に身体に相当な負担がかかるものであった。特に負担がかかったのは、手。クローブを着けてはいても、手にマメができる。マメがつぶれると痛いので、テープを巻く。それでも手の指の皮が剥がれる。車のハンドルを握るのもつらいほどであった。それでも監督一人にノックまで任せると監督一人にすべての負担がかかるので、素人の自分にでもできるノックを毎日行った。また、監督にしかできない戦術にからむ練習をしているときには、グランドの草抜きをしていた。グランドに草が生えていると、ボールがイレギュラーを起こすことがあり、けがの原因にもなるのだ。ある程度覚悟して引き受けたものの、肉体的に本当に厳しい毎日であった。平日は家(当時は一人でアパート暮らし)に帰るのは21時~22時頃、土日にも必ずどこかの学校に引率しての練習試合。しかも当時は、生徒を自分の車に乗せることが普通に行われていた。夏の大会の前に行なった合宿の時には疲労がピークに達し、授業をしながら教卓に肘をつけば即眠りに落ちるであろうというほどの疲労困憊な状態だった。実際に眠りに落ちはしなかったが。

 部員たちは、素人の私のノックも一生懸命に受けてくれた。電話をくれた教え子によれば、「黒島先生のような素人が、手をマメだらけにして、一生懸命自分たちのためにノックをしてくれている。たとえそのノックが下手でも、一生懸命にしないわけにはいかんやろ。一生懸命練習しない奴はダメだ」と陰で言ってくれていたそうである。私としては、同期の先生が監督を行っており、それを助けてやりたいという気持ちから最終的に引き受けたということも話したが、その元生徒はそれも知っていた。「先生のそういうところが素晴らしいと思った。つまり、素人なのに、一人で困っている監督を助けようと副部長を引き受けたこと」という言葉ももらった。「〇〇冥利に尽きる」という言葉があるが、この言葉を聞いて私は本当に「教師冥利に尽きる」と感動した。同時に、「やはり高校生ともなると生徒も見ているものだなあ」と、感心した。また、本当にきつい1年間だったけれど、副部長を引き受けてよかったなぁと、心からそう思った。しかし、年度末の人事異動でほかの学校に転勤となり、それ以来野球部とは関わっていない。 振り返ってみると、これまで37年近く学校で勤めてきたが、そこまで一生懸命に日々を過ごしたことはなかったように思う。もちろん、さまざまな面で慕ってくれたり感謝してくれたりした生徒たちもいたが、これほどまでに自分の行為に感謝し、覚えていてくれる、しかも自分と同じ教員の道を選んでいるということはなかった。本当にこの電話は思いもよらぬ「贈り物」であった。もっと早くに生徒たちがこういうふうに思ってくれていたということを知っていれば、自分の教師生活も何か違ったものになっていたのではないかとさえ思う。それほどにうれしい電話だった。仕事というのは、これほどに他人から感謝され、やりがいを感じるというのは本当にほとんど「ない」ことであると思う。

 さて、皆さんはこれから大学進学を目指す人が大半であるが、数年後には何らかの職に就くことになる。どの職にせよ、自分が就いた職で一生懸命にがんばって、私のように定年間近になってもいいから「この職でよかった」と思えるようになってほしい。誰かがこのように行ったと記憶している。「だれも見ていないんだから。」という他人からの言葉に対して、「バカ言っちゃいけないよ。お天道様が見ているじゃないか。」という言葉。素晴らしいと思いませんか。誰に見られているからとか、人からどう評価されるかというようなこと抜きに、自分がどう生きるか。結局、他人はそこを見ているということです。皆さんにもそういう人になってもらったらいいなという思いで、こういう話をした。

 さて、受験。最後の最後まで頑張りぬいてほしい。3学期の始業式で言ったと思うが、皆さんの先輩もそうやって第一志望校合格を勝ち取って来た。そして、不思議なことだが先輩ができたことは皆さんもできる。それが「伝統」というものの強みである。

 最後に、3月5日の卒業式。全校そろってはできない可能性が高い。今後の学校からの連絡を待ってほしい。

令和2年度第3学期始業式講話 ~南原繁先生(その3)~3.1.8

2022年3月21日 09時27分

 令和3年が始まった。年頭に当たり、今年はこういう年にしたいと願った人も多いと思う。年の変わりという大きな節目に、是非とも大きな目標を掲げてほしい。目標が多き分、頑張れると思うから。

 3年生にとっては史上初となる「大学入学共通テスト」が間近になった。私も担任をした経験から、ここまで来て浮き足立ってはダメということ。具体的には授業中に内職したり、欠席したりということ。最後まで平常心をもって臨む。「言うは易し、行うは難し」だが、今まで自分がやって来たこと、そして坂高の先生が指導してくれたことを信じ切ってほしい。まだまだ大学受験は今からがスタートである。3月の後期試験、そして3月末の追加合格まで、ともかく粘るという姿勢を見せてほしい。先輩方もそうやって第一志望校合格をつかんできた。先輩ができたことは、皆さんにもできる。不思議なことだが、それが「伝統」というものの持つ力である。
 さて、今日も南原繁先生の言葉を引いて話したい。今日は、まず、東京大学の総長を務めていた昭和25年11月(終戦から5年後)に、高松における帰省講演で次のように話された。
  ・ さて、戦後、国民の間に教えられ強調されたのは「自由」と「権利」であった。曰く、思想・信仰の自由・言論・集会・結社の自由、所有と生存の権利、幸福追求の権利、等々。しかし、一人の権利と自由が他人のそれと衝突した場合、何によって解決しようとするのであるか。あらゆる権利を超えたもの、すべての自由の根底にあるものによらないでは、これを解決することができるものではない。ここに、我々は、いまや「自由」と同時に、あるいはその前に「責任」を、また「権利」の前に人間の「義務」をこそ高唱しなければならない。
 ⇒ この頃はコロナの陰にすっかり隠れてしまっているが、近々始まる「18歳成人」とも相まって、皆さんにもぜひよく理解しておいてもらいたいことである。「自由」の前に「責任」、「権利」の前に「義務」。これ以上付け足すことはない。
 次に、同じ月に母校である三本松高校での講演を挙げる。
 ・ 戦後アメリカから来た教育使節団と日本側の委員会で6・3・3・4制をつくるのに加わった。これは日本側が提案し、向うが取り入れた。決してアメリカから押し付けられた制度ではない。
 ・ なぜこの制度を作ったか。これまで(戦前)の日本には、全国で5~6校の帝国大学と70校ほどの高等学校しかなかった。それを、全国に規模を拡大して高等学校の数を増やし、各県に国立大学を置くことにより、教育の機会均等をはかった。
 ⇒ 先生は、戦後の教育改革の先頭に立った一人である。私もそうであったが、今日このように高等学校での教育を受けることができるその一端には、南原先生の教育に対する思いがあったと言っても過言ではない。

 ・ 東大の卒業式にいつも言っていること。「中央に残って官僚になるとか、あるいはまた大きな会社の重役になろうなどというケチな考えはやめなさい。それよりも自分の地方に帰って農漁村の中に溶け込んで、あらゆる方面に地方から始めよ。」と。今までの日本の教育には非常な欠陥があったと思う。その一番は立身出世主義だった。すなわち人は自分の名誉を博そう、自分の富をつくり幸福を得よう、そういう一つの幸福主義、こういう一つの生き方であります。これが反省すべき根本の問題であると私は思います。我々人間は、自分と同時に他人と同胞のことをまず考える。これが大事であります。そうして少しでも自分の周りを明るくすること、良き社会をつくるということ、そのことが結局自分の幸福になるのであります。自分の幸福というようなことは、結果としてついてくるのであります。それ自体が決して目的ではないのであります。
 ・ 高校生の義務は勉強することだけではない。家庭、地域で皆さんの手助けを必要としている場合がある。青年は青年なりに、子どもは子どもなりに、それぞれ他人に対して、親に対して、町に対してなすべきそれぞれ小さな義務と責任がある。そういうふうにしてみんなが挙って村のために町のために、その県のために、より良き郷土をつくるということである。よき自治体をつくるということである。それが本当の自由と民主主義の根底である。
 ⇒ 自らは故郷引田を離れて東京に行き、官僚となりさらに東京大学総長となった身でありながら、自らが生まれ育った地方や家族を大切にすること、貢献することの重要さを説いている。自分が富を得ることと同様に、自分の周囲の人たちのために尽くさなければならないと言っているわけである。実は、この言葉には私自身にも考えさせられるところがある。18歳まで小豆島で生まれ育ったが、大学進学以来、香川県には帰ったが、小豆島で勤務したことがない。異動の辞令が出なかったと言えばそれまでだが、定年間近の今になって思えば、母校に務める機会があってもよかったかなと思う時がある。母校である小豆島高校も統合でなくなってしまい、非常に寂しい思いである。
 坂高生の皆さんは、坂出とは言わないまでも香川に戻って公務員になりたいという志望の人が多いが、それは大変いいことであると思う。むろん、東京などの都会に出て、何で成功をおさめようという志がある人が出ないのも困るのだが。

 さて、ここまで3回、2学期始業式と終業式、そして今回と南原先生の話から引用して私なりの解釈を皆さんに話してきた。まだたくさん学ぶべきことはあるが、ここで先生の話からの引用はいったん終える。

 私が南原先生の思想にふれたき
っかけは以前にも話した通り、偶然校長室に先生の話されたことをまとめた『わが歩みし道 南原繁』という本がたまたまあったこと、そして、私が先生の母校である三本松高校に勤務した経験があったことである。私はこの偶然に心から感謝したい。この本を通して本当にたくさんのことを教わった。皆さんにもぜひ、そういう本との出会いがあることを期待している。

 最後に。3学期は本当にあっという間に終わる。1日1日を大切にしてほしい。また、3月5日には全校生が揃って卒業式ができることを祈っている。

令和2年度学期終業式講話~南原繁先生(その2)2.12.24

2022年3月21日 09時26分

 令和2年が終わろうとしている。新型コロナウイルス感染拡大の終息がいまだに見通せない中、本日も終業式とは言いながら、放送による講話となった。放送室から話すというのは、聞いてくれているであろう生徒の皆さんの顔が見えない、また、反応も分からないということから非常に話しづらいものである。そして、坂出高校としての一体感を皆さんに、特に1年生に皆さんに感じてもらうことができないことも残念である。
 今日は2学期の始業式を行った8月19日に、やはり放送を通して皆さんにした話の続きをしようと思う。もう4か月以上も前になるので、私が何の話をしたのか忘れてしまっている人もいると思う。話したのは、現在の東かがわ市引田のご出身で、東京大学の総長を務めた南原繁先生についてであった。ここまで話しても思い出さない人は、本校のホームページを見てほしい。講話したものを掲載してある。なお、東かがわ市というと坂出とは無縁のような感じがしていたが、今月4日の2年生の総合的な探究の時間『坂出学』の発表の中で、坂出の塩田づくりのさきがけとも言える久米通賢という方が東かがわ市引田の出身であるとの発表があった。思いかけないところで坂出と東かがわの縁を感じた次第である。
 さて、今日紹介したいのは、昭和21年9月(戦後一年余)に東京大学の卒業生に向けた言葉である。先生はこのように仰った。
 ・ 諸君は在学中に戦争のため十分に学ぶことができなかったため、学業が不十分なことを自ら自覚し、遺憾としていることだろう。しかし、学問の本格的な研究は大学卒業の後にも始めることができる。なぜなら実社会に出て初めて、真に自らの研究の主題を見出すであろうから。諸君に意志があれば、現在の欠陥はこれを補ってなお余る。従来は卒業と同時に学問を卒業したと考え、研究を放棄する弊風があった。
 ⇒ 大学生時代が、戦争という不幸な出来事と重なってしまった卒業生に対する言葉である。先生は、大学卒業とともに学問を卒業したと考えて、卒業以降は学問に向かおうとしない風潮を戒めておられるわけだが、高校生である皆さんにもそのような考えがありはしまいか。例えば、大学受験を突破したらもう数学の勉強は関係ないとか、古典など見ることもないとか。かく言う私も、恥ずかしながらそのような考えを持っていた。大学合格とともに、理科や数学というのは勉強したことがない。高校時代は文系であったが、数学は得意教科だった。大学に合格したとたんに数学の勉強をしなくなったがために、今では数学Ⅰの内容さえ理解できない。大好きだった徒然草や枕草子も今ではすっかり忘れてしまっている。たいへん惜しいことをしたと思っている。
 令和4年度からは新しい教育課程が始まる。もう1年後に迫っている。高校での学習内容も現在とは随分と変わる。教育課程というのは、皆さんに分かりやすく言えば教科・科目の名称や学習内容のことである。なぜ変わるのか。それは大きく言えば、これからの世の中が予測不可能な時代になりつつあるからである。皆さんも耳にしたことがあると思うが、現在小学校に入ろうとしている子供たちが大学を卒業するころには、およそ60%の人が現在は存在していない職業に就くだろうということ。また、グローバル化がますます進展するので、英語で世界中の人たちと躊躇することなく意見を交わす力を身につける必要があるとか。最も間違いないと予測されているのは、Society5.0高度情報化社会の到来である。国はそのような時代の到来を見据えて、文理融合(文系・理系といった境界をなくすこと)やパソコンのプログラミング教育を学校教育に取り入れることにしている。私は前々から自分が教えていた生徒には言ってきたことだが、「将来どのような職業に就くにしても、高校までの学習内容を理解していないと社会では通用しない」ということである。
 今一度南原先生の教えにかえるが、「卒業と同時に学問を卒業したと考え、研究を放棄する」ようなことがあってはならない。この言葉は、元々は大学を卒業していく学生に向けた言葉だが、高校生にとってはより一層当てはまることである。

   今日は、同じ場面で卒業生に向けた言葉をもう一つだけ紹介しておく。

  ・ さらば卒業生諸君!いつまでも真理に対する感受性を持ち、かつ気高く善良であれ!そして常に明朗にして健康であれ!

  ⇒ ここでは、「気高く、善良で、明朗で、健康で」という言葉に注目したい。人間として大切にしなければならないことを最後の最後に呼びかけている訳である。 先生は、昭和41年5月に母校である三本松高校の新校舎落成講演でも次のように述べられており、この人間の在りように関する考え方にぶれがないことが窺える。

  ・ 諸君のうちから大金持ちになり、その財を投じて社会事業を行う人が出てもよい。しかしそうはいってもだれもが富豪にはなれない。また人それぞれ置かれた境遇や環境もあってそれがその人の将来を左右する。また、すべての人が優れた物理学者や芸術家になれるわけでもない。しかし、ここで申し上げたいのは、だれでもがなろうと思えば、必ずなれるものがあるということ。それは何か。人間として誠実で、勤勉、そしていつでも正義に味方する人になるということ。逆にどれほど立派な学者になってもこれがなければその人の生活は空虚である。いや、空しいばかりでなく、かえって社会に害毒を流すことになる。才能がるだけにそれだけ害毒は大きい。
 まだまだ南原先生が語った言葉を紹介したいが、本日はここまでとする。3学期始業式にも、引き続き南原先生の言葉から講話をしたいと考えている。 充実した冬休みを過ごすとともに、新型コロナウイルスの対策を徹底してほしい。特に共通テストの受験が間近になった3年生。最後まで頑張ってほしい。
 最後に、全校の皆さんにお願いしたい。あと1週間で年が変わる。念頭には是非とも「今年は○○するぞ」という決意をしてほしい。大きな節目に大きな夢を描いてほしい。夢は大きければ大きいほど良いと思う。