H30~R04の校長室から

令和2年度学期終業式講話~南原繁先生(その2)2.12.24

2022年3月21日 09時26分

 令和2年が終わろうとしている。新型コロナウイルス感染拡大の終息がいまだに見通せない中、本日も終業式とは言いながら、放送による講話となった。放送室から話すというのは、聞いてくれているであろう生徒の皆さんの顔が見えない、また、反応も分からないということから非常に話しづらいものである。そして、坂出高校としての一体感を皆さんに、特に1年生に皆さんに感じてもらうことができないことも残念である。
 今日は2学期の始業式を行った8月19日に、やはり放送を通して皆さんにした話の続きをしようと思う。もう4か月以上も前になるので、私が何の話をしたのか忘れてしまっている人もいると思う。話したのは、現在の東かがわ市引田のご出身で、東京大学の総長を務めた南原繁先生についてであった。ここまで話しても思い出さない人は、本校のホームページを見てほしい。講話したものを掲載してある。なお、東かがわ市というと坂出とは無縁のような感じがしていたが、今月4日の2年生の総合的な探究の時間『坂出学』の発表の中で、坂出の塩田づくりのさきがけとも言える久米通賢という方が東かがわ市引田の出身であるとの発表があった。思いかけないところで坂出と東かがわの縁を感じた次第である。
 さて、今日紹介したいのは、昭和21年9月(戦後一年余)に東京大学の卒業生に向けた言葉である。先生はこのように仰った。
 ・ 諸君は在学中に戦争のため十分に学ぶことができなかったため、学業が不十分なことを自ら自覚し、遺憾としていることだろう。しかし、学問の本格的な研究は大学卒業の後にも始めることができる。なぜなら実社会に出て初めて、真に自らの研究の主題を見出すであろうから。諸君に意志があれば、現在の欠陥はこれを補ってなお余る。従来は卒業と同時に学問を卒業したと考え、研究を放棄する弊風があった。
 ⇒ 大学生時代が、戦争という不幸な出来事と重なってしまった卒業生に対する言葉である。先生は、大学卒業とともに学問を卒業したと考えて、卒業以降は学問に向かおうとしない風潮を戒めておられるわけだが、高校生である皆さんにもそのような考えがありはしまいか。例えば、大学受験を突破したらもう数学の勉強は関係ないとか、古典など見ることもないとか。かく言う私も、恥ずかしながらそのような考えを持っていた。大学合格とともに、理科や数学というのは勉強したことがない。高校時代は文系であったが、数学は得意教科だった。大学に合格したとたんに数学の勉強をしなくなったがために、今では数学Ⅰの内容さえ理解できない。大好きだった徒然草や枕草子も今ではすっかり忘れてしまっている。たいへん惜しいことをしたと思っている。
 令和4年度からは新しい教育課程が始まる。もう1年後に迫っている。高校での学習内容も現在とは随分と変わる。教育課程というのは、皆さんに分かりやすく言えば教科・科目の名称や学習内容のことである。なぜ変わるのか。それは大きく言えば、これからの世の中が予測不可能な時代になりつつあるからである。皆さんも耳にしたことがあると思うが、現在小学校に入ろうとしている子供たちが大学を卒業するころには、およそ60%の人が現在は存在していない職業に就くだろうということ。また、グローバル化がますます進展するので、英語で世界中の人たちと躊躇することなく意見を交わす力を身につける必要があるとか。最も間違いないと予測されているのは、Society5.0高度情報化社会の到来である。国はそのような時代の到来を見据えて、文理融合(文系・理系といった境界をなくすこと)やパソコンのプログラミング教育を学校教育に取り入れることにしている。私は前々から自分が教えていた生徒には言ってきたことだが、「将来どのような職業に就くにしても、高校までの学習内容を理解していないと社会では通用しない」ということである。
 今一度南原先生の教えにかえるが、「卒業と同時に学問を卒業したと考え、研究を放棄する」ようなことがあってはならない。この言葉は、元々は大学を卒業していく学生に向けた言葉だが、高校生にとってはより一層当てはまることである。

   今日は、同じ場面で卒業生に向けた言葉をもう一つだけ紹介しておく。

  ・ さらば卒業生諸君!いつまでも真理に対する感受性を持ち、かつ気高く善良であれ!そして常に明朗にして健康であれ!

  ⇒ ここでは、「気高く、善良で、明朗で、健康で」という言葉に注目したい。人間として大切にしなければならないことを最後の最後に呼びかけている訳である。 先生は、昭和41年5月に母校である三本松高校の新校舎落成講演でも次のように述べられており、この人間の在りように関する考え方にぶれがないことが窺える。

  ・ 諸君のうちから大金持ちになり、その財を投じて社会事業を行う人が出てもよい。しかしそうはいってもだれもが富豪にはなれない。また人それぞれ置かれた境遇や環境もあってそれがその人の将来を左右する。また、すべての人が優れた物理学者や芸術家になれるわけでもない。しかし、ここで申し上げたいのは、だれでもがなろうと思えば、必ずなれるものがあるということ。それは何か。人間として誠実で、勤勉、そしていつでも正義に味方する人になるということ。逆にどれほど立派な学者になってもこれがなければその人の生活は空虚である。いや、空しいばかりでなく、かえって社会に害毒を流すことになる。才能がるだけにそれだけ害毒は大きい。
 まだまだ南原先生が語った言葉を紹介したいが、本日はここまでとする。3学期始業式にも、引き続き南原先生の言葉から講話をしたいと考えている。 充実した冬休みを過ごすとともに、新型コロナウイルスの対策を徹底してほしい。特に共通テストの受験が間近になった3年生。最後まで頑張ってほしい。
 最後に、全校の皆さんにお願いしたい。あと1週間で年が変わる。念頭には是非とも「今年は○○するぞ」という決意をしてほしい。大きな節目に大きな夢を描いてほしい。夢は大きければ大きいほど良いと思う。