H30~R04の校長室から

ご挨拶 ~坂出高校の現況と全国からの生徒募集について~

2022年3月21日 09時24分

黒島校長 

坂出高等学校ホームページへお越しくださいまして、誠にありがとうございます。

 令和2年度は本校にとって創立103年目、音楽科創設53年目に当たります

 今年は年明け早々から新型コロナウィルスという未知の敵の攻撃にさらされ、3月から5月までの間、学校は臨時休業が続き、授業や学校行事、部活動などの教育活動をほとんど行うことができませんでした。このことは、どの学年にも深刻な影響を与えました。1年生にとっては、入学式はできたものの、高校の授業未体験に加え、部活動への入部やクラスの友人との人間関係を築くといったことができないままの休業中は、どれほど不安であったことかと推察します。2年生にとっては学校の中心として活躍するはずだった、体育祭や文化祭そして総体やコンクールなどの出場機会をすべて奪われました。生徒会で活躍を期していた皆さんにもその機会を奪うことになりました。そして3年生。受験が近づく中にあって、受験の出題範囲の授業がまだ終わっていない教科・科目も多く、問題演習等も全く不十分、しかも入試制度自体が大きく変わる令和3年度入試初の受験生となるというプレッシャーは大変なものであったと思います。

 6月から学校は再開したものの、まずは授業の遅れを取り戻すためにほとんどの行事をカットしました。これには新型コロナウィルス感染拡大防止という狙いもあったわけですが、生徒の皆さんにとっては、面白みのない学校生活だと感じたに違いないことでしょう。県総体をはじめ、野球部の夏の大会や音楽(合唱・吹奏楽)関係のコンクールもほぼすべてが中止になりました。運動部についてはほとんどの競技で代替大会が開催されたわけですが、県レベル以上につながる大会もない中で悔しい思いをした人も多かったはずです。そのような中で私は生徒の皆さんに、「前を向いて頑張ろう」という言葉しかかけることができませんでした。非常に残念な気持ちは、今も私の中でくすぶっています。

 さて話題は変わりますが、香川県の人口が95万人ほどに減少しました。20年ほど前には103万ほどであった人口が約8万人減ったということです。さらにはこのままの減少傾向が続けば、20年後には80万人程度になるという推計データもあるようです。このような状況下、香川県教育委員会は、令和3年度高校入試から「全国からの生徒募集」を行うことを決めました。

 私たちの学校でも普通科・音楽科ともに、この募集を行うことになりました。香川県教育委員会は、ホームページで「他県の生徒と本県の生徒が共に学ぶことにより、多くの刺激を受けることで、異なる価値観を受け入れ理解しようとする姿勢や自分の意見を他者に伝えるためのコミュニケーション能力を育成するために、全国からの生徒募集を実施します。」とし、概要と学校紹介も掲載しています。このページからもリンクを張っていますので、県外の中学生の皆さんは是非のぞいてみてください。坂出高校としては、この全国募集をさらなる飛躍のチャンスととらえ、今後ますますの発展の起爆剤としたいと考えています。これまでも音楽科では県外生徒を受け入れてきましたが、次年度入試からは自己推薦選抜での受検も可能になります。また普通科は一般選抜のみとなりますが、特色がある「教育創造コース」(将来教師を目指す)や、「文理コース」(クラス全員で国公立大学を目指す)で学び自分の可能性を広げてみませんか。県内生はもとより、多くの県外の皆さんが受検されることを心待ちにしています。「香川県内生と県外生がともに切磋琢磨して行ける環境が坂出高校にはある。」と自信を持って言えます。坂出高校で夢を叶えましょう。

   令和2年10月6日

                                              学校長 黒 島 俊 哉

令和2年度第2学期始業式辞(8月19日(水))

2022年3月21日 09時23分

 今年の2学期は例外的に早く始まることになった。文化祭も行えないが、3年生にとっては本格的な進路選択に向かって動き始める時期となった。とは言え、国公立大学を志望する皆さんにあっては、来年3月の後期試験まで見据えた根気強い努力が求められるということは忘れずにいてほしい。また、1年生と2年生の皆さんには、坂出高校のモットーである「高邁自主」の精神の下で、学業と部活動や生徒会活動等を両立させるという気持ちを忘れず日々精進していってほしい。
 さて、今回から数回にわたって皆さんに香川県が生んだある偉人の話をしようと思う。その人の生涯は、時代背景とも相俟って実に波乱万丈なものであるとともに、その思想等について大いに学ぶべきところがあると思うからである。
 そのある人というのは、南原繁(なんばら しげる)先生である。坂出という中讃地域にあっては、その名を知る人は少ないと思うし、香川県でもその名を知る人はごく限られていると思う。その理由の一つは、南原先生が現在の東かがわ市(以前の大川郡引田町)相生(あいおい)という香川県の東の端、徳島県との県境のご出身だからである。  私がなぜ南原先生の話をするかというと、先生の出身である三本松高校にかつて勤務した経験があり、坂出高校の校長室に『我が歩みし道 南原繁』という650ページにも及ぶハードカバーの本を発見したからである。なぜその本が坂出高校にあるかはさほど重要でもないので、早速先生の略歴について紹介する。
 南原先生が生まれたのは、明治22年(1889年)なので今から132年前。坂出高校の開校が大正6年(1917年)なので、本校よりも年齢がいった方ということになる。尋常小学校、高等小学校等に学んだ後、12歳で香川県立高松中学校大川分校(2年後に大川中学校として独立)に入学。自宅から片道3里ほど(約10km)を徒歩通学で通う。無欠席だったとのこと。17歳で卒業後、第一高等学校(現在の東京大学教養学部)に入学。20歳で東京帝国大学法科大学政治学科(現在の東京大学法学部)に入学。大正3年に24歳で卒業するわけだが、その年に第一次世界大戦が勃発している。卒業後は文官高等試験(現在の国家公務員試験上級)に合格し内務属(現在の総務省)に入る。27歳で志願して富山県射水郡の郡長(市長と県知事の間のような職)になるも、2年後に内務属に呼び戻され「労働組合法」草案の作成にかかわる。31歳の時、内務属をやめ東京帝国大学法学部助手となる。元々、研究に身を置きたいという希望があったとのことである。2年間ほどの留学期間中の大正12(1923年)に関東大震災が起こっている。その後帰国し、35歳で東京帝国大学教授となる。時代は昭和へと移り、昭和6年(1931年)の満州事変、翌年の五・一五事件、昭和12年(1937年)の盧溝橋事件、そしてついに昭和16年(1939年)の第二次世界大戦、2年後の太平洋戦争へと進む。まさに「戦争の時代」と言われることがある昭和の激動期である。その昭和20年3月、太平洋戦争末期(終戦は8月15日)に法学部長に選出される。さらにその年の12月に東京帝国大学総長となり、62歳まで6年間の任期を全うした。戦後は昭和21年に公布された現在の日本国憲法の下での教育改革にも影響を与えた。亡くなられたのは昭和47年(1974年)、84歳の時であった。
 南原先生の講演や随筆をまとめた『我が歩みし道 南原繁』は先にも言ったように650ページにも及ぶものであるが、私がそれを読み通せたのは先生の言葉や生き方・考え方に共感するところが多々あったがためで、生徒の皆さんや先生方にもぜひ紹介したいと思ったからである。
 先生は、「相生」という地が香川県でも高松以西の地方(「西讃」と呼んでいる)に比べて道路交通網が不便で文化も発達が遅れていたとか、自身の家が没落しており読む本もなかったというふうに何か所にも書かれているのだが、言葉遣いや使っている漢字が非常に難しく、私も解釈に苦労したことがたびたびあった。今日は一つだけ、南原先生が、第二次大戦後の紀元節(現在の建国記念の日)に東京大学の学生に向かって話したことを紹介する。原文ではわかりにくいと思うので、私の解釈を交えて紹介する。
 日本人が今回の戦争で敗北し、自己に対する尊敬や自信を失い、自暴自棄に陥っているようなところはないだろうか。振り返ってみれば、満州事変以降軍部の台頭以来、日本民族の神話や伝統を濫用し、曲解し(曲げて考えること)日本民族の優越性を大げさに叫び、アジアとひいては世界を支配するべき運命を持っているかのように言ってきた。しかし、それは「日本人のみが選ばれた民族である」という誇大妄想以外の何物でもない。このような考えの下で第二次大戦が始まり、現在の国の崩壊に至ったのである。このような事態に至ったのは、軍や一部官僚、政治家の無知と野心からではなく国民自身の内的欠陥にある。そしてその欠陥とは、日本人一人ひとりが一個独立の人間としての人間意識の確立と人間性の発展のなかったことである。元来人間の思想の自由と政治的社会活動の自由は、この人間意識から生まれるものである。しかしながら、日本においては人間個人が固有の国の形の枠にはめられ、個人の良心の権利と自己判断の自由が著しく拘束を受け、人間性の発展はなされなかった。国民は少数派の虚偽に導かれその指導に盲従してきたのだ。この点において、日本は近代西洋諸国が経験したルネッサンスを見ることがなかったと言えるだろう。
 すなわち、日本を戦争へと導いたのは軍部の言論統制や思想の統制によるところが非常に大きく、個々人で自由にものを考えることが許されなかったせいであるということを言っている訳である。
 このような演説を終戦後間もない時期にしたこと自体、南原先生が日本を戦争へと導いた軍部の存在がないかのように堂々と持論を展開した度胸が窺われるとともに、何よりも現在ではごく当たり前に考えられているヒューマニズムの精神を見て取ることができると感じる。少し難しいと感じる人もいるかもしれない。この話は、また本校のホームページに掲載しておくので、興味がある人は読んでもらいたい。
 今日からの学校生活、皆さんの一人ひとりがしっかりと目標をもって最後まであきらめないという気持ちで頑張ってくれることを期待している。

令和2年度1学期終業式講話(放送による)(7月31日(金))

2022年3月21日 09時22分

 今年度は開始早々からコロナに悩まされた。まずは勉強の遅れをずいぶん心配していたが、文化祭を始めとして行事の精選を図ることや夏休みの短縮等で、ある程度挽回できる目途が立ってきた。しかし、取り返しがつかない状態になってしまったのは部活動、とりわけ県総体から始まるインターハイ、全国高等学校野球大会、合唱コンクール、吹奏楽コンクール等である。中には代替大会が開催されたところもあったが、所詮は「代替」であり、本大会ではなかった。悔やんでも悔やみきれない人がいることだろう。

 しかし、皆さんの頃には「人生100年」。歳を重ねた時に、「ああいうこともあったな。」と、「災難にあった若い人を勇気づけられる経験になった」くらいに考えてほしいものである。学校再開前日の5月31日に皆さんに一斉メール配信したとおり、前を向いて頑張っていただきたいと願っている。

 さて、今年度の大学入試においては、坂出高校からは117名の国公立大学合格者を出した。昨年の124名には少し及ばなかったが、大まかな話をすればここ3か年は、3年生のうち40%を超える生徒が国公立大学合格を果たしたことになる。先輩がなしえたことは皆さんもなしえる。学校の伝統というのはそういうものである。

今日は進路指導部の先生方が編集してくださった「進路資料」の中の合格体験記に目を通して、印象に残ったところを話したいと思う。もう読んだ人もいると思うが、私が特に印象に残った箇所を挙げたい。

【坂高の環境(授業・友人・先生方)】
・ 学校の教室に残って勉強することを奨めます。先生方の添削指導が丁寧です。教室でおしゃべりすることで、ストレス発散や試験に対する不安を紛らわせることができる。(複数名)
・ 授業にしっかり真面目に取り組み、定期テストを大切にすること。受験では教科書の範囲から問題が作られる。(複数名)
・ 私が勉強しているときに使っていた教材は、ほとんど学校で買ったものや教科書ばかりです。プリントやワーク類も有効に活用しました。(複数名)
・ 受験勉強も二次対策も、学校を中心にしてきました。
   ⇒ 坂出高校中心の生活を真面目に送ること、本校の先生方の指導を信じてやり抜くことで、受験を突破する力が付くということがわかる。

【塾との関係】
・ 1年生の時、途中でやめた。理由は10時に塾が終わって翌朝7時に起きるまで、自分が使える時間は睡眠時間も含めても最大9時間しかありません。
・ なぜ合格できたのか、一番の理由はやっぱり普段の勉強にあったと思います。私は塾に通っていなかったので、授業をしっかり聞いたこと、定期テストは理解できていない箇所がないように勉強していた。
   ⇒ 「大学合格=塾通い」という図式は成立しないと言える。

【部活動との関係】
・ 私は吹奏楽部に所属しており、10月末までフルに部活動に取り組んできました。時間はとにかくなかったですが、部活が忙しいことを言い訳にはしたくなかった。部活をやり切ったということが合格に導いてくれた理由の一つだと思う。
・ 部活動をやらない方が成績は上がると考えている人もいますが、自分には当てはまらないと思います。「小人閑居して不善をなす」という言葉があるように、時間ができたらダラダラしてしまい、勉強もはかどりません。私にはハードスケジュールの方が勉強に身が入ると思いました。(複数名)
   ⇒ 文武両道は実践できることが証明されている。

【受験全般】
・ 受験は本当につらく厳しいもので、何度も投げ出したくなります。でも受験は自分を人間的に成長させてくれるものだし、この苦しい一年を乗り切ったということは人生における自信につながります。苦しいこともたくさんあると思いますが、大学生になった自分の姿を思い描きながら、希望する自分の進路に向かって精いっぱい頑張ってください。
・ 模擬試験での判定が悪くても(DでもEでも)、最後まで後悔しない選択を。=第一志望貫徹という気持ちで。
・ 合格までの道のりを逆算して、すぐに行動に移すべきです。
・ 最後まであきらめずに頑張ってほしい。受験は長く、とてもしんどいです。でも諦めずにコツコツ勉強すれば絶対に力らはつきます。
   ⇒ 私も3年生の担任をしていた時に感じた。「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」とも言われる。受験は人間力を高める機会でもある。

【推薦入試関係】
・ 公募制推薦で受験する人は、まず自分のやりたいことを明確にしておくこと。面接で自分の言葉で伝える必要がある。
・ 総合的な学習の時間では、自分の学んでみたい分野である地域活性化に関する本を読んでレポートにまとめたり、瀬戸内国際芸術祭に足を運んでスタッフや観光客の方に取材をしたり、地域の現状について坂出商工会議所の方からお話を聞いたりしました。
   ⇒ 今後はますます、ペーパーテストで少々点が取れるだけでなく、何に興味をもって、総合的な探究の時間などで、どういう活動をしてきたかが大学入試において求められる。総合探究にしっかりと取り組んでほしい。

 今年は大変短い夏休みとなる。しかしその間に、1学期の自らの生活を振り返り、至らなかった点があればそれを反省して今後改善してほしい。もちろんうまく1学期が過ごせた人は、そのペースを崩さないように生活してほしい。

 皆さんが、「短かったけれどいい休みだった」と言えることを期待して話を終える。

令和2年度5月31日 学校再開にあたって ~生徒の皆さんへ、全校集会に代えて~

2022年3月21日 09時21分

 このたびの新型コロナウイルスの感染拡大は、世界中に大きな影響を与えました。まず、世界で558万人を超える感染者と35万人を上回る死者を出したこと。(アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学の5月27日の集計による。)そして、経済への計り知れないダメージを与えたということです。

 私たち坂出高校の日常も、ほぼすべてがストップしました。4月6日に始業式を、7日に入学式を行い、その後2日間授業をしただけで臨時休業の措置となったからです。通常であれば年度初めに行われる様々な団体や組織の「総会」というのも、ほぼすべてがなくなり、書面による議決が多く行われました。本校のPTA総会の中止もそのうちの一つです。

 人間は一人では生きていけないものですが、お互いが物理的に過度に寄り添うこともできなくなってきたと感じます。それは、今回国の専門家会議から「新しい生活様式」というものが提言されたからです。まず、基本的感染対策として、「人との間隔はできるだけ2m(最低1m)空ける」。食事については、「大皿は避けて料理は個々に」「対面ではなく横並びで座ろう」「おしゃべりは控えめに」。冠婚葬祭の場面でも、「大人数での会食は避けて」。働き方の新しいスタイルとして、「テレワークやローテーション勤務」、「会議はオンライン」、「名刺交換はオンライン」。そして、「対面での打ち合わせは換気とマスク」。

 このウイルスに打ち勝つまでの期間限定だとは思いますが、少し前に見たテレビで、ある感染症の専門家が、「3年から4年くらいはこのような生活をする必要があるのではないか。」と言っているのを聞き、愕然としました。治療薬やワクチンができていない現状では、私たちには「生活様式を変える」しか手はないということです。

 さて、5月25日に全国の緊急事態宣言が解除され、私たちの坂出高校でも明日6月1日(月)から「学校再開」ということになりました。生徒の皆さんにあっては、木曜日、または金曜日にHRで配布された『感染症予防を意識した学校での過ごし方』をよく読んで、感染防止のための基本的な習慣(手洗いの励行やマスクの着用、そして咳エチケットを守ること、ソーシャルディスタンスを確保すること等)を、できる限り意識して行い、「自らが感染者にならない、あるいは、すでに感染しているが症状が出ていないだけかもしれない、そして周囲にいる大切な人を感染させない」ということを常に念頭に置いた生活を送ってください。そして、体調不良の時には、ためらわずに学校を休んでください。  しかし一方では、社会的距離をとりつつも、級友らとの親交を深め、生涯にわたって付き合っていけるような友だちを見つけてほしいと願っています。高校時代の友人は、一生ものです。特に1年生の皆さんは、可能な限り部活動に入部し、「高邁自主」や「パティマトス」の精神の下、自己鍛錬にも励んでいただきたいと思います。

 そして、これが私からの一番のお願いです。万が一、皆さんのだれか、先生方のだれかがこのウイルスに感染するようなことがあっても、決してその人を責めないでください。だれもこの病気にかかりたいわけではありません。決して、二次被害を出してはならないのです。

 文化祭、体育祭もなく勉強中心の生活となります。インターハイも県総体も、合唱や吹奏楽のコンクールも、いろいろなイベントや大会がなくなり、それを楽しみに、また励みにしていた皆さんの心中を察すると、本当に胸が張り裂けそうな思いです。特に3年生。「総体等で区切りをつけて受験勉強に切り替える」というのがこれまでの典型的なパターンだったわけですが、今回はそれがかなわない可能性があります。競技ごとに、県総体の代替の大会開催を模索中のようではありますが。

 本当に厳しい状況ですが、ひとまずは学校再開です。これは喜ばしいことです。生徒の皆さん一人ひとりが、しっかりと前を向いて頑張ってくれることを期待しています。私たちも、皆さんを懸命にバックアップしていく覚悟です。

                                     令和2年5月31日 坂出高等学校長 黒島俊哉

令和2年度1学期始業式辞(4月6日(月))

2022年3月21日 09時20分

 まずは、今日、皆さんと再会できたことを、大変嬉しく思っている。新型コロナウィルスの感染拡大を防止するという観点から、3月2日以降ずっと皆さんには自宅待機をお願いし、春休みに入ってからさえも、部活動も禁止が継続された中にあって、ずいぶんと心細い日々を送ってきた人が多いのではないかと心配していた。

 皆さんが実際にどのような生活を送って来たかは分からないが、旧1年団と旧2年団から3月25日の教科書販売の前に、それぞれの学年主任の先生が送信したメールには、いいことが書かれてあったと思う。

 皆さんの携帯電話に直接送られたわけではないので、もしかすると家族の方から聞いていない人もいるかもしれない。こういう内容が書かれてあった。

お子さまに対して
 「今回の休業は、誰も過去に経験がなく、学習活動、部活動禁止、各種大会中止など多くの混乱も招いています。しかし、こんな時こそ、今、何ができるのかを考える機会ではないでしょうか。(入学してからの1年間を振り返る)、学習内容を復習する、苦手科目を集中的に復習する、進路について考える・調べる、読書するなど、できることをやり、自分を成長させる機会にしてはどうでしょうか。ぜひ、お子さまに伝えていただきたいと考えています。」

 今回のような非常事態は、だれも経験したことがないというのは事実である。私も、これまで経験したことはない。世の中の多くの人も同じだと思う。こういう事態が起こった時、すなわちピンチに陥った時、それをチャンスに変えることができるかどうかということが、人間の成長にとっては非常に大きな、まさに自分が試される時ではないかと思う。そういったことが、先に紹介したメールには書かれてあった。

 さて、この新型ウィルスの感染拡大が完全に終息するのがいつになるのか。今のところでは誰にもわからない。オリンピック・パラリンピックも1年程度の延期ということではあるが、果たしてそれで本当に1年後に開催できるかというと、実際にはどこにもその保証はない。何となく、「そこまでには何とかなっているのではないか。」という漠然とした呑気さからこのような決定がなされたように私には感じられる。

 学校行事についても、まさかこのような事態になると想定することなく、昨年末あたりから年間計画を策定してきた。事態の急変に伴い、予定変更がたくさん起こるかもしれない。感染拡大が絶対に起こることがないようにするという観点から、皆さん一人ひとり、そして周囲の人たちの健康を守るという観点からそれは仕方がない、いやむしろ当然のこのことと理解してほしい。

 今決定している行事予定の変更を伝えておく。先生方や保護者の方とも協議しての結果である。まず、①4月15日から予定していた音楽科新2・3年生の海外交流演奏旅行は、事態終息が見えるまでの間、無期限の延期とした。②4月下旬に予定していた遠足は、当面の間延期とした。これら2件はいずれもキャンセル料がかかってくることもあっての判断であった。さらには、体育祭や文化祭など、皆さんが楽しみにしている行事についても、見直す必要が生じることが考えられる。

 県総体、それに続く四国選手権については、今のところ特段の連絡はない。繰り返しになるが、今回の事態はおそらく歴史上に名を残すことになるだろう。皆さんが残念に思う気持ちは察して余りがあるが、「みんなが元気で、かつ感染を広げない」ということを至上命題にした対応が求められているということを十分に理解してほしい。

 いずれにしても、今日皆さんの元気な顔を見られたことは、私だけでなくすべての先生方にとって大変うれしいことなのだが、同時に、このあとで保健主事の橋本先生がお話しされることを徹底して守ってほしい。一人でも感染者が出たら、即、再び臨時休業となることは確実である

 新年度初めから大変緊張を強いる話をしたが、時節柄ご容赦願いたい。

 さて、令和2年度が始まる。明日の入学式では251名の新入生を迎え、坂出高校は生徒768名、補習科生4名、教職員68名、時間講師・SC等30名の総勢870人でスタートを切る。勉強の面でも部活動の面でも、皆さんのそれぞれの場所で、一生懸命に頑張ってほしい。先生方には皆さんをバックアップするようにお願いしている。

 特に皆さんには、「志望を高く掲げて努力する」ことを求めたい。健闘を期待している。   

令和元年度2月全校集会講話(2月3日(月))

2022年3月21日 09時19分

 今日からは3年生が家庭学習に入った。これは、3年生の多数が大勢大学等の受験に出かけるために学校で授業することができないということから始まったものであろうと思うが、歴史は古く、私が高校生の時には既にあった制度である。今日からは完全に2年生は3年生の役割を、1年生は2年生としての役割を自覚して生活してほしい。

 さて、私は年齢を重ねるにつれて、感動することが少なくなってきたと感じる。悲しいことである。その私が、最近大変感動したことがある。それは大相撲初場所での徳勝龍関の幕内優勝である。今年の初場所は、横綱の白鵬と鶴竜がともに序盤で途中休場して不在であったが、徳勝龍関は初場所の幕内力士42名中、西の前頭17枚目といういわゆる「幕尻」という最も地位が低いところにいた。私も詳しくは知らないが、大相撲で最も地位が高いのは東の横綱ということで、初場所では白鵬がその位置にいたわけである。

 徳勝龍関は、14日目に優勝争いをしていた前頭4枚目の正代関に勝利して、翌日の千秋楽での正代関と自身の勝ち負けいかんでは優勝の可能性が出ていた時にも、報道陣に向かって「全く意識していない」と言っていた。

 しかし、千秋楽で優勝が決まった直後には土俵上で号泣し、インタビューでは「数日前からものすごく優勝を意識していたし、緊張していた。」と明かした。これには報道陣も一杯喰わされたという格好になったわけであるが、皆さんもよく考えほしいのだが、大相撲の幕内優勝できるかどうかという瀬戸際で緊張せずにいられる人が果たしているのだろうか。大相撲の歴史に名を残し、国技館にも大きな絵が掲げられるという大変な名誉を手にする前にだ。

 千秋楽は大関の貴景勝関との相撲だったが、解説者とNHKのアナウンサーが取組前に、「変化する-真正面から当たるのを避けて、素早く横にそれる-こともありうるか」と言っていた言葉を覆し、真正面から当たっていき、最後には堂々の寄り切りで勝利したその勝ち方も非の打ちどころがなかった。正々堂々と大関を破ったわけである。

 徳勝龍関は、近畿大学相撲部出身の力士だそうで、初場所中に大学時代の恩師が亡くなり精神的につらかったということで、監督が土俵で一緒に戦ってくれたと語っていた。貴景勝に勝った直後に土俵の上で号泣したのは、その恩師への想いもあったのだということである。また、インタビューで「もう33歳ではなく、まだ33歳だ。」と語ったことも私には印象深かった。

 その一方で、徳勝龍関と同じ33歳の大関、豪栄道関がカド番であった初場所での負け越しを理由に引退を表明した。初場所が終わってすぐのことである。また、同い年には、昨年引退した元横綱の稀勢の里関もいる。人生は本当にさまざまだなと思う。

 私が今日この話をした理由を皆さんはもう分かっていると思うが、  前例がない(ほとんどない、少ない)ことでも起こりえる。前例がないからといって、何かをやる前に諦めるべきではない。いかなる可能性も否定できない。つまり「幕尻の力士の優勝はないだろう」とか、「33歳の力士の初優勝はないだろう」というような思い込み(決め込み)である。確かに、徳勝龍関が初優勝を決めるまでは、それはほぼなかった。ただし、幕尻での優勝は過去に一度だけ例があった。

 ただ、こういった少ない例や前例がないというのを覆すところには、必ず存在するものがある。それは何だと思うか。それは、私は「信念」と「努力」ではないかと思う。

 以前にも話したことがあると思うが、自分の成長を阻害しているのは自分である。勉強でも部活動でも、「自分はここまで。」と決め込んでしまう。一旦そう決め込むと、それ以上の進歩は絶対にない。

 だから、みなさんもやるべきこと1つ1つに対して、人からどういわれようが思われようが、自分の限界を決めずに、とことん自分を信じて一生懸命に取り組んでほしい。もしかするとその努力が報われないということがあるかもしれない。しかし、努力することなくして成功や成長はありえない。

 繰り返すが、これは勉強の面でもそうだし、部活動の面でもそうである。本校で弓道部の顧問をしていただいている英語科の泉田先生は明確に仰る。「てっぺん(日本一)をとるつもりで弓道を指導しているに決まっている。」また、野球部の監督をお願いしている数学科の上原先生も「甲子園出場が目標である。」と明確に仰っている。皆さんもそういった気概をもってほしい。そうすれば自ずと道は開ける。

 こういう考え方は、英語圏にもあるようである。それは、このことわざに見て取れる。 Where there is a will, there is a way. 日本語では「精神一到何事か成らざらん。」というように訳されることが多いが、直訳すれば、will(意志)があるところに道ができる(拓ける)という意味である。逆を言えば、意志がなければ道など拓けないということだ。

 坂高生である皆さんの生活ぶりに大きな注文があるわけではないのだが、敢えて言うならばこういった点である。夢を持ち、それをつかもうと自ら努力する姿勢である。「高邁自主」。忘れてはいまいか。次の学年への切り替えの時期、今一度確認してほしい。

令和元年度3学期終業式講話(1月8日(水))

2022年3月21日 09時18分

 令和2年、2020年が幕を開けた。今年は全国的に見れば、オリンピック(7/24~8/9)とパラリンピック(8/25~9/6)が昭和39年(1964年)以来56ぶりに日本で開かれる年であり、それが最大のビッグイベントということになるだろう。

 一方で高校生に目を転じれば、そのオリンピック東京開催のために、高校総体(インターハイ)が全国に分散させて開催されることになる。本来は北関東地区が担当して行うはずだったものが、オリンピックの開催時期に日程が近く、会場や選手の宿泊等に支障があるというのがその理由のようである。

 そのうち坂出市では府中湖がカヌーのインターハイ会場になる。本校と坂出工業高校にはカヌー部があるが、カヌー部のない坂出商業高校と坂出第一高校にも応援を要請して、「高校生活動」と称した、式典運営や放送、記録係や案内係、美化係や弁当係といった活動をお願いすることになる。3学期中にはどの学校でどの係を担当するかを話し合うので、特に現在の1年生(新2年生)と今年入学してくる新入生にはお手伝いをお願いしなければならないことを予告しておく。期日は8/10~8/15の6日間で、1日当たり20名程度となる見込みである。

 さて、今年はねずみ年であるが、干支というのは皆さんも古典の授業で習ったと思うが、「十干十二支」の十干の「干」と十二支の「支」をとったものである。今年の十干は「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」のうちの7番目の「庚」である。したがって今年の干支は『庚子(かのえ・ね)』というのが正確である。この干支については、インターネットで調べただけでもかなり深い意味があるようだ。いくつかのサイトから総じて言えることは、この「庚子(かのえ・ね)」が表す意味は、新たな芽吹きと繁栄の始まりである。つまりは、新しいことを始めると上手くいく、大吉であると指し示しているとのことである。

 3年生にとっては大学入試センター試験本番まで残り10日となった。風邪などひかないように体調を整えておいてほしいが、個別試験まで見据えて粘り強い受験をすることを期待する。前期試験は2月25日、後期試験は3月12日と、卒業式を超えても試験があるが、そこまで見据えて、自分を安売りすることのないように、また自分で勝手に合格や不合格を決めないように、「あと3か月」という気持ちで精進してもらいたい。

 受験というのは本当に苦しいものだが、そこを乗り越えた先にはきっと楽しいことが待っている。人生が苦しいことの連続であるわけがない。そう信じてほしい。 1年生や2年生にとっても、今日から始まる3学期は学年の総決算であるとともに、次の年へ向けての準備の時である。この3学期というのは次の学年の0学期というふうに言われることもある。つまり、学年が一つ上がったつもりで勉強に励む、特に2年生はすでに受験生であるという意識のもとで学業に取り組むことによって現役合格が果たせる、またはワンランク上の大学に合格できるということだ。

 2年生にとっては、大学共通テストが導入される。大人の都合で、英語の民間試験や国語と数学で導入予定であった記述式問題について大幅な軌道修正があった。教育についてさまざまな改革が進んでいるところではあるが、確実に言えるのは実力があれば制度変更は恐れるに足りないということである。やればできる坂高生であるから、大人の事情に振り回されることなくしっかりと実力をつけてほしい。

 1年生にとっては、2年生になり学校の中心として活動する年になる。部活動でも2年生の先輩は間もなくいなくなり、皆さんが引っ張っていかなくてはならない。付いて行くのは簡単だが、引っ張っていくというのは難しい。実力をつけて、後輩を引っ張っていけるようになってもらいたい。

 最後に、3学期というのはあっという間に終わる。1日1日を大切に過ごしてもらいたい。

令和元年度2学期終業式講話(12月24日(火))

2022年3月21日 09時17分

 2日前は冬至だった。1年で最も寒さが厳しい折だが、体調は良いか。風邪やインフルエンザには気を付けてもらいたい。

 さて、令和元年の終わりに当たり、今年度初め(4月8日の始業式と翌日の入学式)に皆さんに話したことを振り返りたい。これは先生方にも4月の年度初めにお願いしてきたことでもあった。つまりは、「今年度の坂出高校をこのような学校にしますよ。」という私のマニフェスト(選挙公約)のようなものである。 最近では大人の世界(学校も例外ではない)では、「PDCAサイクル」という言葉が大変よく使われる。PはPlan、要するに「計画」、DはDo「実行」、CはCheck「点検」、AはAction「不十分だったところの改善」そしてまたPDCAというのを続けていくという訳である。年末はCheckというのをすべき時期である。 4月に皆さんに話したのは、大きく3点である。

 1つ目。「坂高での学業に軸足を置いた生活を送ること。」それがひいては皆さんの希望進路実現につながる。この3月の卒業生は、ここ20年ほどでは最高の進学実績(国公立大学合格者 現役103、浪人を含めて124。一橋1、東北1、阪大2などは特に顕著)を出した。「第一志望を貫く」という強い意志を持っての日々の精進、そして本校の先生方の指導力の賜物である。これに続いてほしい。

 皆さんのこれまでの生活はどうであったか。坂高での学業に軸足を置いた生活をしてきたか?学業をさぼっては来なかったか?あるいは本校での勉強よりも、塾頼りになっていなかったか?一人ひとりが自分のことだからよくわかるはず。大事なことだからもう一度繰り返す。「坂高での学業に軸足を置いた生活を送ること。」

 2つ目。「最後まで部活動を頑張ること。」「高邁自主」や「パティマトス」の精神を受け継いだ皆さんである。学業との両立をしながら、部活動での結果にもこだわってほしい。

 いくつかの運動部では、インターハイ出場を果たした。卓球部、弓道部、テニス部、ソフトテニス部(いずれも個人。)文化部でも合唱部、吹奏楽部、写真部が全国大会に出場した。これらの部は非常に顕著な成果を挙げたが、必ずしも成績には表れなくてもよい。最後まで頑張れたか?部活動で頑張ることにより心身が鍛錬される。特に大学受験というのはかなり精神的にきつい。そこを鍛えてくれるのが部活動である。1、2年生は今後とも継続を。

 最後3つ目。「生活態度の維持を。」皆さんの生活態度はおおむね良好であると思っている。しかし、一部の人に遅刻や携帯電話の使用ルール違反も見られた。また、校外に出たら一番見えるのがこの部分。本校のバッジをつけるにふさわしい言動をし、坂高の品位を汚さないこと。

 これについては概ねできていたのかなと感じる。しかし、欠席者数の多さ、いまだに携帯電話で指導を受ける人の数を見ると暗い気持ちになる。

 最初に言ったPlan「計画」とDo「実行」の部分は終わっている。2学期末でしっかり自分の行動の検証、すなわちCheckを行い、不十分なところを改善(Action)してほしい。明日から始まる冬休みの前半部分で、こういう作業を行ってもらいたい。そして、次のPlanを策定し、Doにつなげてほしい。

 令和元年の最後1週間。私が今言ったことを十分に考え、新たな決意を持った令和2年を迎えてほしい。

令和元年度11月全校集会講話(11月1日(金))

2022年3月21日 09時16分

 旧体育館の取り壊し期間を含めて、約1年6か月かかってこの体育館が完成した。今日は現在の2年生の入学式を行って以降初めてこの場所に全校生が集まった。まだ暗幕類などが整備されていないが、この真新しい体育館、大切に使ってほしい。名称は第一体育館とし、これまで新体と呼んでいた体育館を第二体育館と呼ぶことにする。まだ北校舎からの通路部分と第二体育館への通路、食堂回り、南校舎南側が完全には整備されていないが、今月末頃には整備完了の予定である。私も楽しみにしている。

 その一方で、間もなく音楽ホールの改修工事が始まる。工期は約1年。来年の今頃まではかかるだろうとのことで、音楽科の皆さんだけでなく自転車で通学している人たちにもさらなる迷惑をかけるが、吊り天井改修というのは国からの指示なので了解してほしい。    さて、今日は10月上旬に報道された事件について、自分なりの考察を加えながら話をする。「いじめ」という報道もあったが、これは明らかに「事件」であるという認識が必要であると思う。その事件とは、神戸市の小学校で起こった教員間の暴行のことである。

 昨年度から今年度の7月頃にかけて、4名の小学校の教員が、複数の同僚(年下)の教員に対して、「侮蔑的なあだ名で呼ぶ」「ロール紙の芯で尻をたたく」「背中やわき腹を小突く」「被害教員の車の上に乗ったり車内でわざと飲み物をこぼしたりする」「抵抗する被害教員を羽交い絞めにして激辛カレーを食べさせ、その様子を動画で撮影する」等といった行為を行っていたことが新聞等で報じられた。さらには、これらのことを訴え出た先生に対して「そんなことはないよな。」と前校長が言っていたことも明るみに出た。

 加害教員たちは「そこまで嫌がっているとは思わなかった。悪ふざけが過ぎた。」と説明したらしい。被害教員の一人が9月から学校を休み、家族からの相談で今回の事件が明らかになったようである。    私だけではないと思うが、こういった低レベルの教員がいる、しかも結構なベテランの域に入っている教員が、これらの行為を「悪ふざけ」程度としてしか認識していないということを深く憂慮する。しかも、当該小学校やその学校を指導する立場にある市教委育委員会もその兆候を知りながら対応が遅れていた~結果的には放置していた~ようであり、つくづく呆れかえる話である。同じ仕事をしている者として、本当に腹立たしくあまりにひどい「事件」である。

 10月10日付けの朝日新聞には次のような記載があった。「教育現場にとどまらず、働く人が職場で嫌がらせやいじめを受けたという相談は、ここ10年で倍増している。2009年に35,759件だったのが、2018年度には82,797件になった。約2.3倍である。厚生労働省の雇用環境・均等局の担当者は「労働者が自分の受けている行為を、職場環境の問題としてとらえる意識が広がったことも大きい。」と分析している。」

 私は、この分析は少し違うように思う。労働者が、「自分が受けている行為を職場環境の問題として考える」結果として、いじめや嫌がらせを受けたと相談する人が増えたのだろうか?教育評論家の尾木直樹さん(尾木ママ)が指摘しているが、「近年は成果主義が持ち込まれ「タテ社会」の論理が強まっている。ともに助け合う意識が損なわれ、未熟なものを見下すような風潮があるのではないかと危惧する。」私はこの指摘こそが的確だと思う。特に、学校という成果主義を持ち込むべき場所でないところにそういう考え方を持ち込み、ベテラン教員が未熟な教員を見下しいじめるという、本当に情けない事態であると思う。

 さて、翻って皆さんはそういった行為に及んでいないだろうか。クラスで、部活動で。自分あるいは自分たちが優勢に立っていることを根拠に、他人あるいは他のグループに嫌がらせをしているということはないだろうか。また、兄弟間ではどうだろうか。

 人間は集団でないと生活できない。だからさまざまな集団(生活単位)~家族、クラス、部活、大人になれば同僚~がある。その中ではいつも自分の立場をわきまえて、少なくとも他のメンバーを見下すようなことがないようにしないと、どの集団でもうまく機能しなくなる。その集団の中で辛い思いをしている人がいないような社会を作ることは私たちの責務である。  先月も話したが、友だち同士でまたこの問題について話してほしい。

令和元年度10月全校集会講話(10月1日(火))

2022年3月21日 09時16分

 今日は大きく2つのことを話す。 1つ目。9月の始業式で持ち越した話。8/22・23と京都市で行われた全国高等学校PTA連合会京都大会に出席した時のことである。9月では非常識な参加者の話をしたが、今日は講演の中身について紹介する。紹介すると言うか、皆さんに話を投げかけるので、もし時間があったらあとで友達やクラスの人などとネタにしてほしい。つまり、「なあなあ、今日校長先生が言いよった話やけどな。どう思う?」という具合に。

 最初に、高校生の人間関係について、初日に参加した分科会で大学の先生が講演で話されたこと。それは、高校生は「同じ価値観を持つ者としか交流しない」、「友だちというのは必ずしも同じクラスや部活の人ではなく、LINEに登録している人」皆さんにとっても、この話は本当か?本当に同じ価値観を持ち、しかもLINEに登録している人しか友だちでないのか?私も学級担任という立場を離れているのでよくわからない。ただ、もしそれが事実であるとすれば、「何か変だ。何か間違っている。」と思う。私が言わんとする「変で間違っている何か」というのが何なのかを、是非あとでネタにして話してほしい。もし、「何も間違ってはいない。」と考える人がいればその理由を聞かせてほしい。 それと同じ先生が言ったこととして、「高校生にもなると、親を『ありがたい存在』として認識している」ということ。もし、本当に親をありがたい存在と思っているのならば、朝の挨拶をしたり、お弁当を作ってくれることなどに対してきちんと「ありがとう」という言葉を言ってほしい。

 次に、これは大会2日目の講演会で聞いたことである。日本電産というモーターの会社を知っているか?ジャイアンツの打者のヘルメットにも広告が出ている。その会社の取締役会長(CEO)の永守さんという方のお話。一代にして会社を興し、今や世界43か国に従業員14万人を抱える大企業のトップである。さらに、自らの信念を実践すべく75歳にして新たに大学経営にまで乗り出した方である。その方の話は、皆さんよりも先生方や保護者の皆さんにする方が適切な部分が多いと思うので、皆さんに話しておいたらいいと思うことのみを話す。皆さんの多くは大学進学するわけだが、英語・専門・人間としての礼儀作法ができていない者は、どんなに偏差値の高い大学に行っても使い物にならないという話である。いわゆる大学のブランド主義というのを痛烈に批判された。私もこれには共感した。大学に行ってしっかり英語が話せるように訓練をし、自ら選択した専門にしっかりと磨きをかけ、同時に人としての礼儀作法を身につける。皆さんの胸にしっかりと刻んでほしいことである。

 2つ目。9月の最終週は授業参観週間だった。先生同士で授業を見せ合い、感想を伝えるというのがおもな狙いである。坂出高校では以前から行事として残っているらしいが、先生方は多忙なことに加えやはりお互いに遠慮があるのか、あまり多くの先生方が相互参観はしていないようだとかねてから思っていた。私は、授業はいつ見に行ってもいい(自分が教えていた時にも、いつ見に来られてもいい)と思っていたので、朝の打ち合わせ時にいきなり予告して、その日のうちに1年から3年までほぼすべてのクラスの授業を見せてもらった。その感想としては、「自分ももう一度高校生に戻って学んでみたい。特に坂高の先生方の授業を受けてみたいなあ。」というものだった。皆さんは、学校で勉強するのは当たり前で、そんなことの何が羨ましいのかわかる人はおそらくいないと思う。むしろ、「勉強しなくていい大人になりたいわ。」と思っているかもしれない。まず断わっておくが、勉強しなくていい大人というのは存在しない。今日はこの話は置いておくとして、なぜ私がそのように思ったか。それは、社会で-大人としてと言ってもいいかもしれないが-生きていくには基礎的な知識として高校時代に学ぶ程度のことは知っておかなければならないからだ。見て回った授業のうち、特に印象に残ったのがまず古典の源氏物語の一節。国語総合の「崖」という詩。倫理の仏教の宗派の話。数学の問題演習。私が学校の先生という道を選んだのは、まさに高校の授業が楽しかったから。先生方の大変熱心な話を聞いているうちに、自分が高校生に戻ったような大変楽しい気持ちになった。私が高校時代に受けたのと多分同じレベルの授業が展開されていた。ただ、私が高校生の頃には、家庭科の授業は女子に対してしかなかった(男子は体育をしていた)。男女共修になったのは、確か平成6年度からのはず。だから、2年4組で長尾先生がじゃがいもの芽の毒についてお話しされているのを聞き、生活していくのに必要な知識はまさにそれだと思った。今こうして話しても、まだ皆さんはぴんとは来ないはずだ。それは、自分が高校生という学びの渦中にいるからだ。歳を重ねれば必ずわかる。大学受験は抜きにしても、高校時代はどの教科・科目もしっかりと学ぶこと。それが将来の皆さんの土台となる。

 今日は以上大きく2つの話で終える。これから3年生は受験に向けて、1・2年生は部活動の新人大会等に向けて努力を重ねてほしい。また、合唱部と吹奏楽部にあっては、3年生も含めて全国大会での健闘を祈念する。

令和元年度2学期始業式講話(9月2日(月))

2022年3月21日 09時15分

 2学期の始まりに当たり、まず8/22・23と京都市(みやこメッセ・ロームシアター)で行われた全国高等学校PTA連合会大会に出席した時のことを話そうと思う。校長という立場上、結構出張が多いが、その中でも印象に残ることがいくつかあったからだ。

 1つ目。初日の昼頃JR京都駅に着いて、会場近くまで移動して昼食を食べようとした時のこと。全国から10,000人もの人が集まる大会であることに加えて、会場付近には食事をする店がほとんどなかった。私はある店に行って、順番待ちのために名前と人数を書いて待っていた。するとそこへ、私の前に名前を書いていた5人のグループと知りあいらしき2人がやって来た。何をしたと思うか。何と「5」と書いていた数字をさっと消して「7」と書いた。私は余りのことに唖然とした。この大会は、高校のPTAの全国大会なので、全国からP(親・保護者:主には会長・副会長)とT(先生方:主には管理職)が参加する大会である。ちなみに、その人たちの言葉遣いからして関西の方ではないように感じた。また、先生方ではない雰囲気であった。「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、まさにそれを目の当たりにした訳である。

 2つ目。今話したような嫌な思いをした後に、自分が参加を希望した分科会の会場(約2,000名の出席)で席に座り、「高校生の人間関係について考える~高校生の本音を聞いてみませんか?~」という講演を聞き始めた時。その講演はある大学の先生なのだが、話術が巧みで内容も興味深かったので、「さてどんな話が聞けるかな、楽しみだな」と感じ始めた時。私のすぐ後ろに座っていた2~3人の女性がおしゃべりに夢中で、講演には一切関心がない様子。自分の後ろの席なので見えないが。余りにも話がやまず、私も楽しみにしている話に集中できないので、振り返り「すみませんが、お静かに願えませんか。」と一言。さすがにそれ以降おしゃべりはなかったが。

 今話した2つの件についてもう少し深く考えてみた。それは、「人は一人でいるときにはしない、あるいはできないこと」が、「集団でいるときには何となくしてしまう、あるいはできてしまう」ということである。これは皆さんにも当てはまるのではないか。私も同じ時があると思うが。坂高生の皆さんは、一般的には、常識的な振る舞いをすべきことやその振る舞い方を知っている訳だが、集団になると知らないうちに周囲に無頓着になるというのか、自分たちの輪だけしか見えなくなって、電車の中で大きな声で話しているというような場合である。本の時折だが学校に苦情の電話が寄せられるのは皆さんが集団でいるときであろうと思う。今週末には文化祭で校外からもたくさんの方がいらっしゃる。今話したことを念頭に置いた行動をお願いしたい。今日は本来ならば、全国高等学校PTA連合会大会内容についてもみなさんに紹介したい話があったのだが、話が長くなるので、来月の全校集会に回そうと思う。

 さて、2学期はどの学年にとっても大事な学期である。まず1年生。今月27日にコース選択説明会があり保護者の方にも来ていただく。「なぜ保護者まで?」と思う人があるかもしれない。学校としては保護者の方に来ていただくというのは、それだけ大切な用件があるからだ。「文系・理系の選択」というのは、おそらく高校の3年間で最も重要な選択である。最終決定まではいましばらく時間があるので、よくよく考えた選択をしてほしい。一度決めたら変更は認められないので。1年生の担任の先生とっては、これは最も重要な指導事項である。

 2年生。皆さんから大学入学共通テストが実施されることと併せて、英語の4技能の検定試験を受ける必要がある。その試験を受験するための「共通ID」の取得が今月から始まる。手違いで受験できないということがないように、先生方も随分と気を遣ってくれているが、最終的には「自分のこと」。高校受検と違い大学受験は、先生が何かをしてくれるのではなく、自分からすべてを手配するのが大原則。きちんと心に留めて間違いのないように。これは1年生と3年生にも言っておく。

 3年生は言わずもがな。最終的な進路決定に向かって実際に動く時期となった。センター試験受験の1月まではまだ時間的にも余裕があるが、まずはセンター試験の出願を確実に行わなければならない。また、AOや推薦入試も行われる。最後までぶれることなく自ら選んだ道を進んでほしい。皆さんの先輩がそうだったように、強い気持ちをもって最後まであきらめずに初志貫徹してほしい。そして、余計なプレッシャーを与えるつもりはないが、「見ている人は見ている」。何をか?進学実績を。私は、8月23日に行われた市役所坂高会という、本校の卒業生で坂出市役所に勤めていらっしゃる方たちの親睦会の年に一度の総会に招待され、学校の現況報告の中で今春卒業生の進路実績を披露した。「昨年度の実績は素晴らしい。今後も頑張らせてください。」という励ましの言葉を何名かのOBからいただいた。

 最後に、文化祭が近づいている。どのクラスも最後の頑張りどころだと思う。事故がないように気を付けるのはもちろんだが、完成度の高いものを制作してほしい。今言った進路実績の話と同じだが、「見ている人は見ている」もの。坂出高校の知的・創造力のレベルや生徒の皆さんの一致団結力の程度が見られている。クラスや文化部での結束を期待して、始業式での講話とする。

令和元年度1学期終業式講話(7月19日(金))

2022年3月21日 09時14分

 先日の高校野球県大会。2-1という結果で本校野球部が久々に勝利し、レクザムスタジアムで校歌を歌えた。相手の方が上ではないかという下馬評を覆しての勝利だった。しかし、私は「高校生がやることなのだから結果など予想できない」と考えていた。また、その試合で私の知る限り初めて背番号1を背負った細川君。これまでの下積みが認められた格好で、最後の夏に初めてのスタメン。それに投打で応えたわけだが、入学からこれまでの約800日に渡る努力と悔しさを思うと、私自身も感無量であった。努力は報われるもの。また、「自分の上限はここまで」と決めつけない気持ちがその試合での活躍につながったのではないか。次の試合は高松商業。自分たちが勝手に勝敗をつけないように最後まで平常心を貫いてほしい。  また、インターハイに出る人、写真部、合唱部、吹奏楽部の皆さんも同じである。先の壮行会でも話した通り、最後まで堂々と平常心で臨んでいただきたい。そして、「勝つ」自分をイメージしてほしい。

 さて、年度で言えば3分の1、1年でいえば半分以上が過ぎた。皆さんの時間の使い方はうまくいっているか。いつものように話すことだが、Time and tide wait for no man.(歳月人を待たず)である。1日1日を大切に過ごしてほしい。特に明日からの夏季休業中は、ある意味で「自分との闘い」である。坂高生として、充実した日々を過ごしてほしい。  このように言うと、皆さんの中には「3年生に言っているのだろう。大学受験が近づいているから。」と思った人はいないだろうか。  6月に進路指導部の先生方が中心になって作ってくれた「進路資料」(1年生が緑色、2年生が黄色、3年生が青色)を読んだか?先生方は非常に手間暇をかけて作成してくれたもので、学年によって記載されている内容が異なる。共通しているのは、合格体験記である。  私が読んでみて印象に残った部分を抜粋する。 ・ 私は古典と数学がまったくできませんでした。理由は1年や2年の頃に授業を真剣に受けていなかったからです。3年になってやろうとしても、基礎学力が不安定なので努力に比例して成績の伸びは緩やかでした。思い立った日から、毎日15分でも机に向かうように心がけると、見える世界が変わってくると思います。(浪:一橋大:法)

・ 僕の合格は1、2年生の頃の積み重ねです。先生方が言っていた通りに、3年生になってから始めるのでは、時間が命の受験勉強では本当に命取りになります。受験勉強は大変なものでありますが、文字のとおり『大きく変わる』時でもあります。(阪大:外)

・ 塾に入った理由は8割友だちを作るため、2割基礎を固めるためでした。本格的に受験を意識し始めた頃に、塾に行く時間さえもったいなくなり、塾をやめました。あと、絶対に先生に質問した方がいい。私たち学生より確実に賢くて、教えるプロです。(阪大:経)

・ 最後までやり切った身として言えるのは、部活を最後までやりきるべきだということです。今苦しいけれど、その中でどうすれば両立できるのか、勉強していくのかを自分なりに考えやり通すことで、それが自信となって受験時に必ず役に立ちます。実際、僕は大学に落ちるとは全く思いませんでした。成功のイメージを忘れないことが一番大切です。自分の思う成功を常にイメージすることでモチベーションが上がり、取り組む姿勢が変わり、結果が変わります。僕の思い描いていたイメージは、大阪市立大学に合格し合格体験記を書くことでした。(大阪市大:経)

・ 部活は最後まで続けるべきです。部活をしていない人との差がつくと焦るかもしれませんが、勉強への切り替えがしっかりできるので、その後の受験勉強にとても集中して取り組めます。(大教大:教)

・ 「センターC判定からの逆転、やっぱ二次は学校の先生」 現役は最後まで伸び続けます。(東北大:工)

・ 「『当たり前』で合格へ」私が現役曲線を感じたのは、センター本番でした。センター前最後の模試でも目標点に届いていなかった私が、本番では過去最高得点をとることができたのです。塾にも行っていません。注意されたくないという理由だけでまじめに受けていた授業。通学の間、暇だから読んでいた単語帳。周囲に便乗した休み時間の勉強。どれもみんなが実践している当たり前のことです。受験をするということは苦しいことがたくさんあります。しかし、この期間ほど成長できるときはないと思います。(岡山大:法)

   こういったことは、私たち学校の教員が皆さんにアドバイスをする、あるいは親御さんから話をされると思わず耳をふさぐ人も多いと思う。それは、高校生という発達段階にある若者として至極自然なことである。

 しかし、今紹介した話はすべて皆さんの直接の先輩からのメッセージである。素直に耳を貸すべきであろうと思う。

 次に、皆さんの善行について紹介しておく。

① 6月上旬、丸亀市内のある小学校の校長先生より電話があった。内容は、丸亀の塩屋駅の近くで徒歩で登校していた小学1年生の子どもが座り込んで駄々をこねていた。そこを通りかかった本校の女子生徒が、その子の話を聞いて学校まで送ってくれたというもの。

② 6月中旬、綾川町内のある会社員の方から電話があった。内容は、朝の通勤時の車で混雑する道路上に「ネコ」がおり、渋滞に拍車がかかっていた。そこを通りかかった本校の女子生徒が押しボタン信号を押して車を止め、その隙にネコを救助した。心温まる行為だったとのこと。

 これら2つとも該当生徒は分かっているが、本人の了解をとっていないので名前は伏せることにする。最近よく言われる「不寛容な時代」にあっても見ている人はちゃんといる。

 最後に工事の関係について。現在白壁の工事中。すべての完成は10月中旬の予定。夏休み開始とともに、松濤会館から南校舎・体育館までの舗装工事が行われる。また、8月中旬頃から9月末にかけて、建設中の体育館周辺の通路の整備が行われる。通路が封鎖されたりして迷惑をかけるが、工事関係の指示に従って安全にお願いしたい。 

令和元年度5月全校集会講話(5月7日(火))

2022年3月21日 09時13分

 10連休の間に元号が変わった。  「平成」は、日本が戦争をしなかった時代であったことは大変良かったが、大きな自然災害が多かった時代であったとの評価もある。  平成生まれの皆さんにとっては、2つ目の元号を生きることになるわけだが、昭和生まれの私にとっては3つ目の元号を生きることになる。  平成という時代は、私にとっては教員として活躍した、まさに脂の乗り切った時代であったと同時に、結婚し子どもに恵まれ、家を建て、また父が他界するという人生における大きな転機があった時代である。平成の終わりということを考えるとき、大変感慨深く、本当に「一つの時代=自らの全盛期が終わったな」という感想を持つ。

 さて、今月からは「令和」という時代になる。この令和の意味については、4月1日の発表の際にテレビや新聞で大きく報道されたが、この時代の始まりに当たり、この元号が持つ意味やその背景について話しておきたい。  まずは、今回の元号「令和」は、 1 これまでの元号(248番目)の中で、初めて国書である万葉集が典拠であること。 2 歌人である大伴旅人が大宰府長官時代(紀元730年 奈良時代)に、公邸で九州一円の医師らを招いた宴を開いた時につくった。その宴は、庭に咲く梅を詠み比べる宴だった。 3 旅人が詠んだ開園の辞、「初春の令月にして、気よく風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」の箇所の「令月」の「令」と「和らぎ」の「和」である。 その意味は、「時あたかも新春の佳き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」というもの。 安倍総理大臣は、記者会見で、「厳しい寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした願いを込めた。」と述べた。 「令」には、「上から下に指図する」という意味のほかに、令嬢とか令夫人と使われるように、「姿かたちが良い・美しいという」意味がある。「和」は、「穏やかとか、和やか」という意味である。

 現在15歳~18歳の皆さんにとっては、この令和の時代は、人生で最も輝き活躍する時代になることだろう。 この令和の時代に実施されることが決まっている事柄について、いくつか紹介する。

1 2019年(令和元年)7月 参議院議員選挙 ・・・ 18歳を迎える人はぜひ投票を。前回の統一地方選挙では、18歳と19歳の投票率が非常に低かったとのこと。私たちは、投票ということでしか国の政治の動向を左右できない。小さな一票だが、まとまることによって大きな流れを作るもの。選挙権があるという自覚を持って行動を。 2 2020年(令和2年)7月~9月 東京オリンピック・パラリンピックの開催

3 2021年(令和3年)1月 大学入学共通テストの実施 ・・・ 現在の2年生が受験する。これまでの大学入試センター試験は廃止。2020年(令和2年)4月から、英語の外部検定試験を2回受検。

4 2022年(令和4年)4月 18歳成人 ・・・ すでに18歳選挙権は始まっているが、その他の事柄についても飲酒や喫煙を除き、「大人」として扱われる。現在の1年生は、19歳になったら成人と見なされる。国が心配しているのは、消費者としての行動。自分の判断で「契約」を結べるようになる。「成人」になる前に家庭科で消費者保護について学ぶことが求められている。

5 2022年(令和4年)4月 新学習指導要領による新課程での授業開始 ・・・ 地歴では、日本史Bとか世界史Aがなくなり、「歴史総合」「日本史探究」というような科目が登場する。教科「情報」が大学入学共通テストに入るかも?

 もう少し大きな視点から話すと、現在国は、「高等学校普通科の見直し」とか「文理分断からの脱却」ということを言っている。さらにAIの時代はもうすぐそこまで来ている。一方で、本校では今秋ごろにはやっと校内にwi-fi環境と、タブレット端末が数台導入されることになっている。学校は時代についていきかねている状況である。 しかし、皆さんが活躍する「令和」の時代には、これまでとは全く違った価値観や技術が登場してくる。まさに不確かで、見通しがきかない現状にあるという気がする。ただ、間違いないのは、語学力をはじめとする高等学校で学ぶ基本的な知識がないと、令和の時代は非常に苦労するであろうということである。大学受験は大事なのだが、「大学に合格する」ことを一歩超えた「生涯学び続ける」という意識をもって行動することが求められる時代になると思う。

 最後にいい話を一つ紹介しておく。4月17日(水)の朝の登校時。附属小学校の女子児童が登校時に道路で転んで足をすりむいていたところに、本校生5名が手当てをしてくれたとお礼の電話があった。5名は、音楽科の2年生2名と3年生3名だった。大変善い行いをしてくれた。ありがとう。 こういった行為が坂出高校の名をあげてくれる。「困った人がいたら手を差し伸べる。」当たり前だと思われることだが、今後も続けてほしい。

平成31年度1学期始業式辞(4月8日(月))

2022年3月21日 09時11分

 私たち学校の教員が1年のうちでも慌ただしい日々を過ごすのが、春休みの期間。前年度のことをすべて片付け、新年度の準備をしてきた。平年であれば、忙しさのために本格的な春の到来にも気づかず、「気がつけば春真っ盛り。」というのが学校に勤める私たちの常である。しかし、今年の春は、異動発表が早かったことに加え、昨日一昨日が土日だったこともあって、桜の花が少しずつ咲いていくのを間近に見ることができた。

 皆さんの春休みの過ごし方はどうだったか。充実していたか。昨年度の終業式からは20日足らずだが、今日から新学年の始まりである。新年度というのは、生徒の皆さんにとってはクラス替えもあり、落ち着かない人もいるだろう。それは、先生方も同じ。新しクラスを担任し、授業を担当し、校内での仕事や部活動も変わった先生がいる。だから、先生方にも話したが、昨年度5月の全校集会で私が話したとおり、「置かれた場所で咲く」という気持ちで(-置かれた場所というのは、新しいクラスや担任の先生や教科の先生のこと。そこで咲くというのは、それが自分の定めと覚悟を決めて一生懸命頑張るということ-)やってほしい。新しいクラスで、新しい友だちを見つけ、今まで自分にはなかった人たちと交流する中で、何かを吸収し、成長してほしい。坂高には個性的で、才能を持った友がたくさんいる。

 さて、新年度の始まりに当たり、私から先生方にお願いしたことを皆さんにも話しておこうと思う。それは坂出高校を、そして君たち坂高生を、こういう学校・生徒にしてほしいというお願いである。18歳で選挙権を持ち、3年後(2022年4月)からは「18歳成人」が間近に迫る中、皆さんを「限りなく大人に近い存在」と考えているので、あえて話しておく。

 1つ目。「坂高での学業に軸足を置いた生活を送ること。」それがひいては皆さんの希望進路実現につながる。この3月の卒業生は、ここ20年ほどでは最高の進学実績(国公立大学合格者 現役104、浪人を含めて124。一橋1、東北1、阪大2などは特に顕著)を出した。「第一志望を貫く」という強い意志を持っての日々の精進、そして本校の先生方の指導力の賜物である。これに続いてほしい。  2つ目。「最後まで部活動を頑張ること。」「高邁自主」や「パティマトス」の精神を受け継いだ皆さんである。学業との両立をしながら、部活動での結果にもこだわってほしい。  最後3つ目。「生活態度の維持を。」皆さんの生活態度はおおむね良好であると思っている。しかし、一部の人に遅刻や携帯電話の使用ルール違反も見られた。また、校外に出たら一番見えるのがこの部分。本校のバッジをつけるにふさわしい言動をし、坂高の品位を汚さないこと。

 実はこの3つというのは、先生方には昨年度からお願いしてきたことである。生徒の皆さんに言うと、少し言葉遣いは異なるが、私が考えている坂出高校の進む道である。皆さんへの期待が大きいと感じる人もいるかもしれないが、私から見れば大きな無理を言っているつもりはない。しっかりとがんばってほしい。

 さあ、新3年生にとっては、いよいよ勝負の年。高校卒業後の進路決定路いうのは、将来を大きく左右する。部活動に入っている人は、特に早くからの受験準備をしてほしい。 この3月の卒業生で、県立保健医療大に進学した皆さんの先輩が、ある時に「面接の練習をしてください。」と校長室に来た。ありきたりだが必ず聞かれる、志望の動機を聞き、その次にこのような質問をしてみた。「あなたの学校の部活動(吹奏楽部)は全国大会にまで出場したと聞きますが、勉強との両立はどのようにしていましたか。」するとその生徒はこのように答えた。「その部に入った時点で、全国大会に行くことは織り込み済みだったので、早くから受験勉強を始めました。」この受け答えには感動した。まさに高校生の本来あるべき姿である。先輩ができたことは、皆さんもできるはず。それが伝統の力というもの。新3年生には、その生徒に続いてほしい。

新2年生にとっては、はじめて「先輩」と呼ばれるようになる。皆さんがどのように行動するかを新入生はお手本にする。それをしっかりと意識した言動をとることを望む。それは、部活動や生徒会活動ももちろんだが、勉強の方もそうである。昨年度の終業式でも話したように、高校生には勉強する義務がある。きちんと後輩を導いてほしい

いずれにしても、「一年の計は元旦にあり」と言う。学校にあっては、元旦は今日のことであると思う。しっかりと目標を持ち、私が皆さんに期待しているような皆さんの活躍を願っている。  

平成30年度3学期終業式式辞(3月19日(火))

2022年3月21日 09時10分

 1年が過ぎた。あと2週間ほどで1つ上の学年に上がる。  この1年間を振り返って「長かった」という人はどれくらいいるだろうか。大部分の人は「早かった、短かった」と思っているに違いない。「100年」などと言われる人生というのも、このように過ぎていくものであると、心しておくべきであろう。人生は長いようで短く、本当に「あっ」と言う間に過ぎてしまうものなのだろう。私自身57歳という年齢になってつくづくそう思う。皆さんには信じられない話だろうが、「高校を卒業したのもまだ10年かそこら」という気持ちがどこかにある。実際には40年近くたとうとしているのに。

 「少年老い易く、学成り難し」ということわざもある。その意味は、若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない、という意味のことわざである。

 さて、31.2.24(日)の朝日新聞に「日曜に思う」というコラムが掲載されていた。引用する。

 「人手不足」。だから入管法を改正して外国人をもっと受け入れる必要があるとされた。でもこの言い方にはちょっとごまかしがあると思う。問題の本当の名前は「国民不足」ではないのか。  いたるところで働き手が足りない。工場でもスーパーでもレストランでも農地でも介護や医療の現場でも。人手不足が深刻なのは間違いない。 けれども人が不足し始めているのは経済活動の現場だけではない。 市町村議会では議員のなり手不足があちこちで問題になっている。警察にとっても自衛隊にとっても採用対象の若年層は小さくなる一方だ。どれも国民にしか担えない役割だ。働き手だけではない。消費者も納税者も減っている。(以下略。)

 私はこれを読んで「はっ」とした。確かに不足しているのは「人手」ではなく「国民」である。皆さんも知ってのとおり、日本の人口は減少期に入っている。総務省統計局のデータによると、平成31年2月1日現在の我が国の人口は1億2,633万人で、前年同月に比べ27万人減少しているそうだ。日本の人口が最も多かったのは今からおよそ15年前-皆さんが生まれたころ-の平成16年12月で、その時には1億2,784万人だった。現在のところでは、そう大きな減少にはなっていないものの、出生率の低下とともに、高齢化率が上がっている状況にある。ちなみに、日本の人口は今から約30年後には9,500万人程度に減少することが見込まれているようだ。その一方で、国連の推計によると、現在の世界の人口約73億人は、約30年後には97億人にまで増加するという予測である。人口の増加はアジア、アフリカが中心となりそうであるとのことである。

 このような人口の変動は、私たちにどういった影響があるのか。まずは「日本の人口の減少」。日本人の寿命が長くなっていくのは、喜ばしい話である。その一方で、年金や医療費といった社会保障費については、おもに現役世代が負担することになる。現役世代が多い時には、例えば4人で1人の高齢者を支えればよかったものが、やがては現役2人で高齢者1人を支えなければならないような計算になる。こんなことが果たして可能か。

 また、世界規模での人口増加も、それに対応できる食料の供給が可能かという問題がある。

 今挙げたのは、SDGsの課題例である。SDGsというのは国連がいう「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)という意味で、2030年までの達成を目指すものである。「貧困をなくそう」「働きがいも経済成長も」「住み続けられる街づくりを」「ジェンダー平等を実現しよう」「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」など全部で17の目標が掲げられており、今言った日本における人口減少や世界規模での人口増加にどのように対処し、日本をそして世界を持続させていくかということはSDGsの一つと言ってよいと思う。ちなみに、香川県もSDGs日本モデル宣言の賛同自治体である。

 今日このような話をするのは、4月に入学してくる1年生から、皆さんがやっている「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」に変わり、SDGsなどについて探究活動をしていくことになるから。

 大学入試が大きく変わるのは現1年生からだということは認識にあると思うが、平成34年4月の入学生から高校での学習内容が変更になる。各教科・科目の実施に先行して「総合的な探究の時間」に変更になる。

 「なんだ。自分たちには関係ない。」と思う人も多いと思う。しかし、こういった学習内容の変更を受けた後輩と、もしかしたら同じ年に受験することになるかもしれないし、皆さんが就職した際には確実に皆さんとは異なった教育を受けた世代とともに仕事をするという状況になることは確実である。    卒業式の式辞でも触れたが、皆さんは、世の中がものすごい勢いで変化する中を生きることになるのは確実である。その中でもしっかりと生き抜ける力をつけるよう、学業に励むのはもちろんのこと、社会の変化に柔軟に対応できる人間でなければならない。それを肝に銘じておいてほしい。

 新学年、次年度は暦の関係で4月8日(月)。元気に再会できることを期待している。