校長室から

250319 終業式式辞(校長室から)

2025年3月19日 17時00分

3学期終業式 式辞

07.03.19

 おはようございます。

 今日で3学期も終わりますが、令和6年度は皆さんにとってどんな年だったでしょうか。

 1年生の皆さんは、中学校から高校に入学して、はや1年が経ちました。

 入学当初は、いろいろと戸惑ったこともあったのではないでしょうか。でも、日が経つにつれ、いつの間にか、その戸惑いや緊張感も薄れ、どこかで要領を覚え、手抜きをしている自分はいないでしょうか。もちろん入学当初の緊張感を持続する必要はないと思いますが、人間というのは弱いもので、易きに流れるのが人の常です。気をつけているようでも、無意識のうちに楽な方、楽な方へと舵を切ってしまいます。もし、心当たりがある人は、今なら十分間に合います。この春休みにもう一度、自分自身を見つめ、自分の弱点や苦手とする教科の復習をして、新しい学年を新たな気持ちで迎えてほしいと思います。

 2年生の皆さんは、勉強に、部活動に、学校行事にと、学校の中心的存在として活躍してくれたことと思います。そして、来年度はいよいよ3年生、最上級生です。この間、卒業していった3年生たちに負けないように、高い目標を持って邁進してください。まさに「高邁自主」の精神です。むやみに焦る必要はありませんが、計画的に着実に歩んでいってほしいと思います。

 私は1学期の始業式で、皆さんに2つのことをお願いしました。

 1つ目は、「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」、そのためには「自分に自信を持つこと」だと言いました。そして、自分に自信を持つには、自分との約束を守っていくことだと言いました。小さなことでも、少しずつコツコツと成功体験を積み上げていくことが自信につながり、前向きにしてくれるはずだと。誰も最初から完璧な人はいません。ぜひ、何事にもチャレンジ精神で、前向きに取り組んでいってほしいと思います。

 2つ目は、「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。何気ない毎日の中で、私たちは気づかないうちに、多くの人に支えられて生きています。当たり前のように日常を送れているということに、感謝の気持ちを持ち、そして、ささやかな場面においても、素直に「ありがとう」という言葉を口にしてください。「ありがとう」という言葉は、不思議なもので、自然と私たちを笑顔にしてくれます。笑顔は笑顔を生み、そうして笑顔の輪が広がれば、坂出高校はもっともっとすばらしい学校になると思います。

 さて、高校生活において、3月といえば、やはり受験や卒業といったものが頭に浮かびますが、私もこの2つにまつわる、思い出に残る生徒がいます。今日は、その生徒たちについて、少しお話をしようと思います。

 1人目の生徒は、私が若いころに勤めていた学校にいた生徒で、当時その学校の応援部で部員がいなくなり、なかば強制的に集められたのですが、みんなやめていき、1人の男子生徒だけが残りました。普段、その生徒はどちらかというと大人しい感じの生徒で、みんなの前で声をあげるどころか、クラスでもあまり目立たない存在の生徒でした。ところが、毎日毎日、運動場の片隅や、雨の日には体育館の軒下で大きな声で練習に励んでいました。最初は声が裏返ったり、文句を間違えたりして、その様子を見ている生徒たちからは少し笑われていました。でも、その生徒は本当に一生懸命、たった1人の応援部員と  して、日が暮れるまで来る日も来る日も練習に励んでいました。そうすると、しだいにその生徒の姿を見て笑っていた者がいなくなり、むしろ彼の声が校庭に響いているのが日常になり、彼の存在が他の部活動の部員たちを鼓舞する ようになりました。そして、その年の卒業式の日、すべての式次第が終わったあと、生徒、先生方、保護者全員が体育館に残り、みんなが見守る中で、その生徒がステージに上がり、頭にはちまきを巻いて、白い手袋をして、大きな声で、応援エールを披露しました。その声はもう裏返ったりすることもなく、体育館中に響き渡る、とてもすばらしく、たくましいものでした。私はあの時の彼の姿が、今も忘れることができません。

 思い出に残る、もう1人の生徒は、大学受験をめざし、私のところに毎日のように添削指導に来ている女子生徒でした。最初のころは、その大学のレベルにはほど遠く、志望校を代えてもいいぐらいでしたが、彼女は決してあきらめず、過去問や問題集を一生懸命解いて、私のところに持ってきました。そのうち、力もみるみる着いてきて、うまくいけば合格できるかも、というレベルにまでなりました。そして、受験をし、結果がどうだったのか、私も彼女の報告が気が気ではありませんでした。すると、しばらくして彼女が報告に来ました。その顔は笑顔だったので、私は良かった、合格したんだ、と思いました。ところが、彼女の口から出た言葉は不合格だったとのことでした。そして、一生懸命に指導していただいたのに、自分の力不足で申し訳ありませんでした、本当にありがとうございましたと、しっかりした口調でお礼を言ってくれました。私の方こそ自分の指導力不足を侘びましたが、普通、合格してお礼を言いに来る生徒はいても、不合格だったという報告を、しかも笑顔でお礼を言いに来る生徒はなかなかいないように思います。その生徒は笑顔のまま、頭を下げて帰って行きましたが、よく見ると目は少し腫れぼったく、赤みがかっていたのを、私は今も忘れることができません。

 3月の、受験シーズン、卒業シーズンになると思い出される2人の生徒であり、私は教師ではありますが、この生徒たちからとても大切なことを学ばされたような気がします。この話を聞いて、皆さんの心にも何か残るものがあればうれしく思います。

 それでは、また4月に、新しい学年となり、ひとまわり成長し、たくましくなった皆さんと、元気な姿でお会いできることを楽しみにして、私の話を終わりたいと思います。

250307卒業式式辞(校長室から)

2025年3月7日 17時00分

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式辞

 厳しい寒さもしだいに和らぎ、芽ぐみはじめた校庭の木々の梢に、確かな春の息吹が感じられる、この佳き日に、香川県教育委員会事務局人権・同和教育課長平尾浩一郎様、香川県議会議員尾崎道広様を始め、ご来賓の方々のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、令和6年度香川県立坂出高等学校卒業証書授与式を挙行できますことを、教職員一同を代表し、心からお礼申し上げます。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました241名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 今、皆さんの脳裏には、この坂出高校で過ごした3年間の、数えきれないほどの思いが去来していることでしょう。振り返ってみますと、皆さんは、まだ何かと制約があったコロナ禍の、厳しい環境のなかで入学し、一昨年の5月に、5類感染症の扱いになってからは、しだいに平常の学校生活を送ることができるようになりました。そのような3年間において、皆さんは常に前向きに高校生活を送り、さまざまなことを学んできたことと思います。

 日々の学業や部活動はもちろんのこと、多くの学校行事や生徒会活動に勤しむなかで、継続することの大切さや、困難に立ち向かい挑戦する勇気、そして仲間たちと喜びや悲しみを分かち合いながら、ともに支え合い、最後まであきらめずに、やり遂げようとする強靱な精神力など、本当にたくさんのことを経験し、身につけてきました。

 こうして今、皆さんの、頼もしく、凜とした姿を眺めていると、皆さんの成長を感じずにはいられません。皆さんは、私たちの自慢の生徒であり、坂出高校の誇りです。

 さて、現在、社会はグローバル化やAIをはじめとする技術革新が急速に進み、未来を予測するのが非常に困難な時代を迎えています。さらに、世界各地で多発する紛争や内戦では多くの尊い命が奪われ、いまだに終わりが見えません。また、国内においても、昨年の能登半島地震のような未曾有の自然災害に見舞われたり、目を疑うような事件・事故が毎日のように報道されたりと、世の中は混沌とした様相を呈しています。皆さんがこれから飛び込もうとしている世界は、必ずしも明るいものとは言えないかもしれません。

 しかし、一方で若い人たちの活躍に励まされる場面もありました。メジャーリーガーの大谷翔平選手や、将棋の藤井聡太さんの活躍は言うまでもありませんが、パリオリンピックでの日本選手の、特に若手選手の躍進は記憶に新しいところです。

 以前、東京大学の入学式で名誉教授の上野千鶴子さんが、現代社会を「正解のない問いに満ちた世界」だと言われました。確かに、皆さんは、これまでの学校生活では、テストに象徴されるように、「正解のある知」を求めてきました。しかし、人生を渡っていくうえでは、むしろ正解があることの方がまれです。特に、多様化・複雑化する価値観が交錯する現代社会においては、その傾向はより顕著になっていると言えるでしょう。知識だけではなくそれを活用する知恵を、インプットするだけではなくアウトプットする術を養わなければなりません。

 そのためには、何事も失敗を恐れず「挑戦する力」を、まわりの人と協働し助け合う「人間力」を、そして何より、いかなるときも学び行動し、探究し続ける「情熱」をもつことが大切だと思います。これらの力を身につけることは、坂出高校が教育目標として掲げる「社会の変化に柔軟に対応し主体的に行動できる、心豊かでたくましい人間の育成」につながるものと確信しています。

 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様が卒業を迎えられましたことに、心からお喜びを申し上げます。また、これまで賜りましたご支援・ご協力に、この場をお借りして、全教職員を代表し、厚く御礼を申し上げます。少し寂しくはなりますが、これからは手を離して、目を離して、しかし、心は離すことなく、新しい世界へと羽ばたいていくお子様をあたたかく見守り、応援してあげてください。

 卒業生の皆さん、皆さんはいろいろな人たちのおかげで、今日の日を迎えることができました。ご家族の方はもちろんのこと、地域の方々や多くの先生方、そして友だちや先輩、後輩など、陰になり日向になり、皆さんを励まし、支えてくれたすべての方々に、感謝の気持ちを忘れないでください。

 そして坂出高校で培った「高邁自主」・「パティマトス」の精神を、これからも強く持ち続け、高い志を掲げて、それに向かって邁進してください。意志あるところに道は開けます。

 惜別の情は尽きませんが、卒業生の皆さんの洋々たる前途を祝福し、式辞といたします。

令和7年3月5日

香川県立坂出高等学校長  渡邉 謙

250108 3学期始業式式辞(校長室から)

2025年1月8日 17時00分

式辞

皆さん、おはようございます。そして、新年、明けましておめでとうございます。

令和7年、2025年がスタートしました。この冬休み、皆さんはどのように過ごされたでしょうか。

ご家族と旅行に出かけたという人もいるでしょう。あるいは、遠く離れた親戚の方と久しぶりに会って楽しく過ごしたという人もいるかもしれません。3年生の皆さんの中には、受験勉強をしながら年を越したという人もいると思います。今、皆さんと、こうして元気に新しい年を迎えることができて、本当にうれしく思います。

ただ、社会に目を転じると、昨年は新年早々、能登半島地震や航空機の衝突事故という痛ましい出来事がありました。あれから1年が経ちました。年明けの新聞にも、能登半島地震を取り上げた記事が多く見られました。お正月、ふるさとで、また家族団らんで過ごしていた楽しいひとときが、一瞬で悲劇に変わりました。時や場所を 選ばない自然の脅威、天災の恐ろしさを痛感した出来事だったと思います。そして、地震の爪あとは1年たった今もなお至る所で残っており、一日も早い復興を祈るばかりですが、被災された方々の心に負った傷はなかなか癒えるものではないでしょう。

南海地震もいつ起こるか分かりません。「備えあれば憂いなし」という言葉もあるように、私たちも日ごろから災害に備えておきましょう。

また、世界各地で戦火は絶えず、世界で6人に1人以上の子どもが紛争下で生きているといった数字もあります。たまたま違う場所に生まれたというだけで紛争に巻き込まれ、多くの尊い命が今日も失われています。そう考えると、私たちにとっても、決してひとごとではないと思います。とはいえ、私たちは無力です。今すぐ何かできるというわけではないかもしれませんが、そういう人たちのことに思いをはせ、自分は何ができるのだろうかと考える。あるいは平和について考え、日々無事に過ごせていることに感謝する、それだけでも、まずは大切な一歩ではないかと思います。

さて、ここで少し、私自身の冬休みのことについて、お話をしたいと思います。私の年末年始の過ごし方ですが、前々から、いろいろなところから頼まれていながら、ついつい後まわしになっていたあいさつ原稿などの執筆に追われ、大掃除もろくにしないまま、年を越してしまいました。それでも、いつもの年とは少し違った新年を迎えようと、昔、私が小学生のころ、今はもう亡くなった父といっしょに初日の出を見に行っていたことを思い出し、息子をさそって初日の出を見に行きました。元来、私は出不精で、だいたい元旦は寝正月というのが例年のパターンなのですが、今年は息子も私のさそいにのって初日の出を見たいと言ったので、眠い目をこすりながら、久しぶりに見に行きました。

思ったより多くの人出に驚きながら、寒さの中、しばらく息子といっしょに東の空を眺めていました。途中雲が出たりして、少し危ぶまれた場面もありましたが、何とか初日の出を拝むことができました。とはいうものの、私は初日の出の由来や意味については、あまり知りませんし、拝み方も自己流です。調べてみるといろいろと説明がありましたが、それはそれとして、遠くに見える暗い山の稜線が次第に明るんで、一条の光が射し込んで来たときは、やはり何とも言えない緊張感に包まれ、来たる新しい年の幸せを願わずにはいられないような、新鮮で清々しい気持ちになりました。

考えてみると、太陽は、生きとし生けるもの、すべての生命(いのち)の源(みなもと)であり、「日はまた昇る」「明けない夜はない」などといった言葉もあるように、希望の象徴でもあります。そういえば、合唱部がよく歌っている「瑠璃色の地球」の歌詞の中にも似たようなフレーズがあったように思います。もし、今、皆さんの中に、何かに苦しんでいたり、悩んでいたりする人がいたとしても、いつまでも暗い夜は続きません。いや、むしろ、あの「パティマトス」にも示されているように、つらく苦しい時にこそあきらめずに努力を続けることが皆さんの進むべき道の指針となり、豊かな人生に導いてくれると言えるでしょう。以前読んだ本の中に、花が咲くためには朝の暖かさはもちろんだが、夜の冷たさや暗さが必要だという文句がありました。ぜひ、皆さんも花を咲かせるために、苦しさから逃げることなく努力を続け、豊かな人生を送ってください。

最後になりますが、3学期は1年間の総決算の学期です。3年生は、3月の卒業を控え、2月からは家庭学習に入り、いよいよ進路を決定するという、3年間の集大成の時期です。1・2年生は、1年間の総決算に加えて、新学年に向けての準備期間、いわゆる新学年のゼロ学期とも言えます。2年生であれば、受験生になるための準備期間。1年生であれば、後輩を迎え、学校行事や部活動などで中心となる2年生への準備期間です。もちろん、日々の学校生活の基盤である、あいさつや掃除なども大切にしてください。

最後の最後に、3年生の皆さん、高校生活も残りわずかです。目前に迫った入試への焦りや不安でいっぱいになっている人もいるかもしれません。でも、今までやってきたことに自信をもって、平常心で臨んでください。そして同時に、かけがえのない友だちや先生方と過ごす、高校生としての一日一日を大切にしてほしいと思います。

皆さんにとって、今年がすばらしい年になることを心から願って、3学期の始業式式辞とします。

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241224 2学期終業式式辞(校長室から)

2024年12月24日 13時00分

第2学期終業式 式辞

皆さん、おはようございます。

 さきほど、多くの皆さんに表彰状を渡すことができました。皆さんが日ごろから頑張ってきた成果の表れだと思います。また、惜しくも今回は表彰まで至らなかった皆さんも、悔しさをバネに努力を続けてください。きっとすばらしい結果が待っていると思います。これからも皆さんの活躍に期待しています。

 さて、いよいよ2学期も今日で終わりです。そして、明日から冬休みです。2024年も残すところ、あと1週間となりました。皆さんにとって、2学期は、そして、この1年はどのようなものでしたか。満足のいくものだったでしょうか。それとも悔いの残るものだったでしょうか。思いはそれぞれだと思います。

 1年生の皆さんは、中学生から高校生という、さまざまな面で変化のあった、節目の年だったと思います。日頃の授業や部活動、先生や友だちとの関係など、期待とともに不安や戸惑いもたくさんあったことと思います。入学当初の気持ちは持続できているでしょうか。2学期も終わり、少し疲れたところが出てきたという人は、心機一転、新たな気持ちで来年を迎えてください。2年生の皆さんは、坂高生の中心的存在として、勉強に部活動に活躍し、先輩を助け、後輩の良き模範となり、昨年より一段と成長したことと思います。そして、以前話したように、勉強でも部活動でもこれだけは誰にも負けないという武器をつくってください。きっとそれが皆さんを上昇させる自信に繋がっていきます。3年生の皆さんは、年が明けると、いよいよ受験本番です。でも、まだ勝負はついていません。最後の最後まで、絶対にあきらめないでください。限界は、自分で決めるものです。自分の可能性を最後まで信じて頑張ってください。

 振り返ると、今年はオリンピックが開催されたり、ドジャースの大谷選手がメジャーリーグの新記録を樹立したりと、例年になく、スポーツ界がにぎわいました。先日、その大谷選手をよく知る方の講演を聞く機会がありました。その方は白井一幸さんという方で、本県出身で、かつて日本ハムファイターズで活躍され、最近では2023WBC侍ジャパンのヘッドコーチをされました。その方が言っていたのですが、大谷選手の夢はWBCで世界一になったり、メジャーリーガーとして活躍したりすることではなく、それはあくまでも結果論であって、彼の夢は「たくさんの人に夢や感動を与えられる野球選手」になることだそうです。

 その話を聞いて、これは私たちにも通じることのように感じました。難関大学に合格する、一流企業に入る、地位や名誉を手に入れる、それも大切なことかもしれません。しかし、私は、そういうことだけに終始するのではなく、皆さんには「人に夢や感動を与えられるような人」になってほしいと思います。では、どうすれば「人に夢や感動を与えられるような人」になれるのでしょうか。それは「何事も全力で取り組む人」になるということではないでしょうか。

 例えば、先ほど言及したオリンピックや、高校野球を考えてみてください。リレーなどの競技で優勝すること、甲子園に出て試合に勝つこと、それは  確かにすばらしいことですが、そういうことが必ずしも感動を生むとは限りません。たとえ優勝できなくても、たとえ試合に負けたとしても、全力で取り組む姿、泥だらけになって全力でプレーする姿に、私たちは感動し、熱い涙を流すのではないでしょうか。

 先ほどお話しした2023WBCの中国戦のとき、日本には少し力を抜いたような雰囲気があったそうです。ところが試合が始まると、雲行きが怪しくなってきた。そんなとき、ファーストゴロでも一塁に向かって全力疾走した選手が、その流れを変えたそうです。その選手こそ、ヌートバー選手。彼は相手を見て試合をしない。常に全力を出す選手だそうです。その後、彼が人気者になったのも頷けるエピソードです。

 この話に関連するものとして、ある童話を思い出してみてください。それは「ウサギとカメ」の話です。あの話はウサギとカメが競走し、ゴール手前で断然有利だったウサギが眠ってしまい、その間に後からやってきたカメに負けてしまうという話です。この話から私たちは何を学ぶのでしょうか。ウサギのように慢心してはいけない、最後まで油断してはいけない、カメのようにコツコツ努力することが大切だ、とういうことを教えられますが、私はもう一つ違った見方もできるような気がします。

 それは、ウサギとカメは、それぞれ見ているものが違うということです。カメは相手がウサギであれ、ライオンであれ、関係ない。ただゴールだけをひたすら見ていたのだと思います。それに比べて、ウサギはゴールではなく、カメを見ていた、つまり勝負の相手を見ていた。ウサギも、相手がヒョウやチーターなら油断しなかったでしょう。つまり、ウサギとカメの勝敗を決したのは、ウサギのように相手を見て勝負をしたか、カメのようにひたすら自分の目ざすゴールだけを見て勝負に挑んだかの違いだったように思います。つまり、カメにとってのライバルはウサギではなく、自分自身だったということです。

 これから皆さんが、高校生活や大学生活を送っていく中で、そして社会に出て人生を歩んでいく中で、本気で何かをやりたいと思ったとき、それを実現できるかどうかは、そう決意した自分との約束を守れるかどうかということです。もし、守れなかったとしたら、その程度の約束でしかなかったということです。どんなに周りに遅れをとったとしても、どんなに周りから嘲笑されたとしても、自分の夢に向かって、愚直なまでに、まっすぐ、ただひたむきに、全力で取り組んでほしいと思います。皆さんが、何事にも全力で取り組み、「人に夢や感動を与えられる人」になれることを願って、今年最後の終業式の式辞とします。

 皆さん、良いお年をお迎えください。そして、来年の1月8日、また笑顔で会えることを楽しみにしています。

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240902 2学期始業式式辞(校長室から)

2024年9月2日 13時00分

みなさん、おはようございます。

 約40日間の大変暑い夏休みでしたが、どのように過ごされましたか。

勉強や部活動に明け暮れたみなさん、遠くの親戚の方々と久しぶりに会って楽しく過ごされたみなさん、ご家族で旅行などに出かけられたみなさん、過ごし方はいろいろだったと思いますが、いずれも貴重な思い出になったのでは ないでしょうか。

また、この夏はオリンピックが開催され、様々なドラマが生まれましたが、県内出身の選手も活躍され、毎日、寝不足気味だったという人もいたのではないでしょうか。

私も、みなさんに負けないくらい忙しい夏休みでしたが、その話は後回しにして、まずは、みなさんが活躍されたことを見たり聞いたりすることがありましたので、そこからお話をしたいと思います。

 まず、インターハイにおいて、カヌー競技や水泳競技、少林寺拳法に出場されたみなさん、また、放送部や競技かるたで全国大会に出場されたみなさん、お疲れさまでした。思うように結果が出ず、悔しい思いをしたこともあったかもしれませんが、その体験は、決して無駄にはなっていないと思います。   努力は決して裏切りません。そして、吹奏楽部や合唱部のみなさん、コンクールでの活躍は、新聞などにも大きく掲載されましたが、次は全国大会です。しっかり、がんばってきてください。応援しています。この他にも、先ほど表彰されたみなさん、おめでとうございます。

 また、校内では、中学生を対象に、7月30日には音楽科の体験レッスン、31日には一日体験入学が実施されました。準備や案内、学校紹介などで活躍してくれた生徒のみなさん、並びに先生方、暑い中、本当にありがとうございました。500人を超える、たくさんの中学生が来校してくれました。大変ありがたいことですが、このことは、それぐらい、坂出高校は、中学生やその保護者に注目されているということの裏返しになります。つまり、ここにいるみなさんの態度や行動が、また私たち教師の姿が、外部の人たちの、坂出高校に対する評判や評価をつくっているということになります。これは、うれしいことであると同時に、身を引き締めていかなければならないと強く感じました。

 さて、まだまだ厳しい暑さが続いていますが、今日から2学期がスタートしました。まずは坂高祭が目前にせまっています。準備はどうでしょうか。計画通りに進んでいるでしょうか。今週末の本番に向けて、みなさんの頑張りには期待していますが、熱中症やけがには十分気をつけてください。

また、2学期は、部活動では新人大会や総文祭、12月には修学旅行など、大きな行事も控えていますが、同時に、1年生は文系・理系のコース選択の時期、2年生は進路を具体的に絞り込んで行く時期、3年生はいよいよ進路を決定する時期となります。

言うまでもなく、高校生にとって、進路に関わることは非常に大きな問題です。みなさん一人ひとりが、自分の目標に向けて、何をしなければならないのか。自分の強みは何で、弱みは何か。時には、非常に苦しい場面に直面することもあるかもしれませんが、困難から逃げずに、立ち向かって行ってください。まさに、「高邁自主」と「パティマトス」の精神で、乗り越えて行ってください。みなさんならできると信じています。

 最後に、私の夏休みの話をしようと思います。

先ほど言いましたように、この夏休みは大変忙しく、県内外の出張に追われる毎日でした。ただ、一方で、日ごろは経験できないような体験もさせてもらいました。

その中でも特に印象に残っているものを挙げると、8月4日から6日にかけて、岐阜県で開催された全国総文祭に参加させてもらったことです。来年、全国総文祭が香川県で開催されるということで、私は合唱部門の担当として、その下見として参加したのですが、全国から集まってきた生徒たちの合唱にかける思い、また、迎えてくれた岐阜県の高校生の熱意に触れるとともに、県を越えて楽しく笑顔で交流する姿に感動した2日間となりました。

また、8月22日、23日と、PTAの全国大会が茨城県で開催され、参加させていただきました。いろいろと実りの多い大会でしたが、中でも、大会2日目に開催された記念講演で、参考になる話をたくさん聞けましたので、そこからいくつか紹介したいと思います。講師は、もと、第72代横綱の稀勢の里という人です。知っているという人もいるのではないでしょうか。今は引退されて、二所ノ関部屋をかまえ、親方として、弟子の育成に尽力されています。お話の中で、印象に残っているものをあげると、四股やすり足などの基礎運動の大切さ、栄養と休息のバランス、受身ではなく自分の頭で考える、迷ったら茨の道を行くなど、ご自身の経験を踏まえながら、人材育成という観点からのお話でしたが、これらは相撲の世界に限ったことではなく、学校生活においても、あるいは社会に出て生きていく上においても通じるものであると思います。勉強でも運動でも基礎を大切にすること、休息をしっかり取ること、何事も主体的に取り組むこと、そして困難から逃げずに立ち向かうこと。みなさんにとっても参考になるのではないでしょうか。

 それでは、みなさんにとって楽しく充実した2学期になることを期待して、始業式の式辞といたします。がんばってください。

240719 1学期終業式式辞(校長室から)

2024年7月19日 17時00分

1学期終業式式辞

みなさん、おはようございます。今日で1学期も終わりです。

私は始業式で、2つのことをみなさんにお伝えしました。

1つ目は「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」ということ、

2つ目は「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。ささやかなことでも続けることの大切さ、それが自信となり、チャレンジ精神につながるとお話ししました。

 また、当たり前のように、日々穏やかに過ごせていることに感謝の心を持つ、思い通りにならず、相手や自分を責める前に「おかげさま」と感謝の心を持ち、ことばにする。それがいずれ幸せとなって自分に帰ってくるとお話ししました。

 あまりできなかったという人は、これを機にもう一度取り組んでみてください。

さて、1学期も終わり、明日から夏休みです。といっても課外があるので、完全に休みというわけにはいきませんが…、それでも日頃よりは自由な時間がとれると思います。自由な時間とは、縛られることなく自主的に使える時間とも言えます。何をするか、どう過ごすかを自分で考えられる時間です。

規則正しい生活をする、目標を立てけじめをつけて勉強に取り組むなど、生活面や学習面の具体的な取り組み方については、このあと生徒指導部や進路指導部の先生方からお話があると思うので、私からは、1年生、2年生、3年生の各学年の皆さんに向けて、私なりに思うことをお話ししたいと思います。

 まず、1年生の皆さん。入学してからこれまでを振り返ってどうでしょうか。合格発表のときのあの感激を忘れず、入学したときのモチベーションで日々取り組めているでしょうか。4月当初のノートやワークを見返してください。予習や復習で、びっしりと埋まっていたページに、すき間が増えていないでしょうか。

入学しておよそ3ヶ月半です。こんなはずじゃなかった、思っていた高校生活と違うと、気がつけば言い訳が多くなっていませんか。でも、不平や不満からは何も生まれません。周りのせいにする前に、自分にベクトルを向けてください。今、自分にできることは何か、何をしなければいけないのか、と自分に意識を集中させてください。

勉強が楽しくない、テストは嫌だと文句を言って高校生活を送ることもできますが、楽しくするにはどうすればいいのか、得意になるには何をすればいいのかと、ネガティブな思考からポジティブな思考へと変換してみてください。

 次に2年生の皆さん。あっという間に上級生となり、気がつけば学校の中心的存在です。そんな皆さんには、勉強だけでなく、いろいろなことを体験してほしいと思います。部活動、文化祭、ボランティア活動など、学校の中核となって、みんなを引っ張っていってください。そして、高校時代、自分はこれを頑張った、これだけは誰にも負けないと、誇れるものをつくってください。

中には、部活動や学校行事に一生懸命になると、勉強がおろそかになる、みんなに遅れをとると、不安になる人もいるかもしれません。でも、同じ目標に向かって頑張るというエネルギーは勉強にも通じます。一番いけないのが、部活動や文化祭の準備があるから勉強ができなかった、成績が落ちたと自分を正当化することです。忙しいときにどれぐらい頑張るかで、その人の値打ちが決まるような気がします。

最後に3年生の皆さん。受験に向けて、テストや課題、塾などに追われる日々。気持ちばかりが前に行って、思うようにはかどらず、自信をなくしてしまうこともあるのではないでしょうか。

「夏休みは受験の天王山」、よくそんな言葉を耳にします。それは事実だと思います。夏休みの過ごし方いかんで、今後の進路が決まると言っても間違いではないでしょう。でも、大事なのは、模試の判定などに左右され、不必要に焦るのではなく、自分の可能性を信じることです。

私は、これまで、いろいろな学校で、先輩講演会や記念講演会などで、多くの人たちの話を聴くことがありました。その講演された方々が、そろって口にする言葉があります。それは「失敗を恐れず挑戦すること」「自分の可能性を自分で決めない、努力と可能性は無限だ」ということです。

どうか、自分の可能性を信じて、一歩一歩、目標に向かって頑張ってください。

最後に、この夏はオリンピックが開催されます。さまざまなドラマが生まれることと思いますが、本県出身のバスケットボール代表選手である渡邊雄太選手の言葉を少し紹介したいと思います。

「高いところを目指しているからこそ、壁にあたるんだ」

「不安になったからといって状況がよくなることはありえないんで、とにかくできることを集中してやるしかない。」

 9月に頼もしくなった皆さんにお会いできることを楽しみにして、式辞を終わります。

240409 入学式式辞(校長室から)

2024年4月9日 17時00分

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式  辞

 桜花爛漫となった本日、ここに、PTA会長 佐竹 直人 様のご臨席と、保護者の皆様のご列席を賜り、香川県立坂出高等学校 令和6年度入学式がこのように盛大に挙行できますことを、教職員一同を代表し、心から御礼申し上げます。

 只今、普通科228名、音楽科16名、計244名の入学を許可しました。皆さん、入学おめでとう。心からお祝い申し上げます。

 皆さんが入学した坂出高校は、大正6年、1917年に、香川県立坂出高等女学校として開校しました。その後、幾多の変遷を経て、戦後の昭和24年、高等学校再編成により現在の校名となり、男女共学の学校となりました。また、昭和42年には音楽科が設置され、現在の坂出高校の形になりました。今年度、創立108年目を迎え、国内外の様々な分野で活躍する29,000名を超える卒業生を輩出してきた伝統校です。そのような坂出高校の一員として、本日皆さんを迎えることができ、大変うれしく思います。

 さて、坂高生となった皆さんに、これからの高校生活の指針として、是非とも知っておいてほしい言葉があります。それは、正門を入って右側の石碑に刻まれている言葉で、坂出高校のモットーであり、校歌にも歌われている「高邁自主」という言葉です。
 「高邁」とは、「気高く、高潔なこころざし」という意味で、「自主」とは、「人から言われるのではなく、自分の判断で自ら行動を起こす」という意味です。
 つまり、「高邁自主」とは、「高いこころざしを掲げ、自主・自立の精神をもって、その実現に向け努力する」ということです。坂高生はこの言葉を胸に、学業、部活動、学校行事などに向き合い、成果を挙げてきました。皆さんも先輩に倣い、今日からこの言葉を実践してほしいと思います。

 そして、「高邁自主」を実践するうえで、大切となる心構えが「パティマトス」です。「パティマトス」とは、正門を入って正面にある石組みに刻まれた言葉です。
 今から59年前に、創立50周年を記念して、当時の校長が本校で学ぶ生徒に贈った言葉です。「パティマトス」はギリシア語で、「英知は苦難を通じて来たる」という意味です。つまり、「高いこころざしを実現するためには、苦しい努力が必要である」ということです。

 「高邁自主」と「パティマトス」、これが坂高生の精神、坂高スピリットと言えます。これからの高校生活において、もし道に迷うようなことがあったとしたら、この言葉は、きっと皆さんの道しるべとなり、進むべき道に導いてくれるはずです。

 現在、社会は、グローバル化やAIをはじめとする技術革新が急速に進み、未来を  予測することが非常に困難な時代を迎えています。さらに、世界各地で多発する紛争や内戦の問題のみならず、貧困問題や環境問題など、世の中は混沌とした様相を呈して  います。このような時代において、皆さんが将来をたくましく生き抜いていくためには、様々な課題に対して主体的に関わり、他者と協働して、解決に向けて粘り強く取り組んでいく力が必要となります。
 この力は、「高邁自主」を基盤においた本校の教育活動によって培うことができると確信しています。

 皆さんが、学業、部活動、学校行事や生徒会活動に十分に励み、社会で活躍する人材に成長することを望んでいます。

 保護者の皆様、お子様の入学、誠におめでとうございます。民法の改正により、法律的には、18歳になると成人として扱われ、自分で判断し行動することが求められるようになります。それだけに、高校3年間で、お子様には自主・自立の精神を養い、責任のある態度を身につけることが求められます。ご家庭におかれましても、適度な距離を置きつつも、お子様に対して、時にきびしく、時にあたたかく見守ってください。また、ご家庭と学校が十分に連絡を取り合い、お子様の教育を進めてまいりたいと思いますので、ご理解とご支援を賜りますよう、お願いいたします。

 最後に、新入生の皆さんが今日の感激と感謝を忘れることなく、学業に、また人間形成に大いに励み、充実した素晴らしい高校生活を送ることができるよう期待し、式辞とします。

令和6年4月9日

香川県立坂出高等学校長 渡邉 謙

240408 始業式式辞(校長室から)

2024年4月8日 17時00分

説明がありません

 おはようございます。いよいよ新年度がスタートしました。ついこの間、春休みに入ったばかりのような気がしていましたが、いつのまにか、桜の開花、満開を告げるニュースが聞こえてきて、あっという間に今日は始業式です。

 新3年生の皆さんは、いよいよ最終学年として、高校生活の集大成となる学年です。進路決定の大切な時期であるということは言うまでもありませんが、ただそれだけに終始するのではなく、残された高校生活を仲間たちと十分に楽しみ、たくさんの思い出をつくってください。

 新2年生の皆さんは、坂高生の要として、学校行事に、部活動に、その中心的存在となって活躍してください。明日は新入生が入学してきます。伝統ある坂出高校の先輩として、リーダーシップを発揮してください。

 さて、新年度に当たり、皆さんに、私から2つのことをお願いしたいと思います。
 1つ目は、「何事にもチャレンジ精神で前向きに取り組んでほしい」ということです。
 そのためには、「自分に自信を持つこと」です。でも、自分は何をやってもだめ、がんばっても続かないと、積極的になれないことがあります。どうしたら自分に自信を持つことができるのでしょうか。
 自信を育てるには、自分との約束を守っていくことです。相手との約束を守ると相手との信頼関係が生まれるように、自分との約束を守ると、自分への信頼感が生まれます。
 小さなことでも、少しずつコツコツと成功体験を積み上げていってください。
 例えば、朝、友達や先生方に気持ちの良いあいさつをする。迷惑をかけたときは、素直にあやまる。授業を真面目に受ける。掃除をきちんとする。などなど、まずは日常の、小さな、でも大切なことを一つ一つ実行していってください。そして、そういったことの積み重ねが自信につながり、皆さんをきっと前向きにしてくれると思います。

 2つ目は、「感謝のこころを持つ、そして、ことばにする」ということです。
 私たちは、ともすれば、何気ない毎日を当たり前のように受け入れてしまい、ときに、自分の思いとは違う場面に出くわすと、自分の運のなさを嘆いたり、相手を責めたりしてしまいます。でも、そもそも私たちが生まれてきたことが、ここにいるということが、当たり前のように日常を送れているということが、「有り難い」こと、つまり、「ありがとう」といえることではないでしょうか。
 相手や自分を責める前に、日々おだやかに過ごしていることに、こうしてみんなと出会えたことに感謝のこころを持ち、「おかげさま」とことばにしていきましょう。そうして、まいた感謝のタネが、やがて幸せの実を結び、皆さんに返ってくると思います。

 皆さんは、若いです。これからも悩んだり、寂しくなったり、思い通りにいかないこともたくさんあると思います。でも、そんなとき、すぐあきらめたり、投げやりになったりせず、少し立ち止まって、今日お話ししたことを思い出してください。

 幸せは、意外に、私たちのすぐそばにあるのかもしれません。

 それでは、皆さんが充実した学校生活を送ることを強く希望して、話を終わりたいと思います。

校長室から(R04~R05)

220406令和4年度 第1学期始業式(校長室から)

2022年4月7日 00時31分
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令和4年度 第1学期始業式                       4.4.6

 この3月は感染症対策のため、卒業した先輩方との別れが十分にできなかったり、部活動が制限されたりと窮屈な生活だったのではないでしょうか。本日から部活動で他校との交流が可能となりますが、引き続き、マスク着用、黙食などの感染症対策は続けていきます。協力よろしくお願いします。

 さて、4月1日に民法が改正されて、成年年齢が18歳に引き下げられました。この中にも、成年になった人がいるのかもしれません。成年年齢の引下げによって、18歳になると、保護者の同意を得ずに様々な契約をすることが可能となりました。具体的には、携帯電話の購入やクレジットカードの作成などです。

 成年年齢引き下げの意図は、これまでも投票権はありましたが、さらに若い人の自己決定権を尊重し、積極的に社会活動に参加してもらうことです。

 現在の社会を見てみると、新型コロナウイルス感染症の拡大やロシアのウクライナ侵攻など、予測できなかったことが起き、さまざまな問題が生じています。このような新しい問題を解決するために、若い人たちの力が求められています。皆さん方が高校を卒業した時には、自己決定権を持ち、社会生活を営んでいかなければいけません。高校生活が社会に出る助走期間としても意味合いがますます強くなっています。

 そこで、坂高生として特に意識して生活して欲しいことを話します。

 まずは、学習面です。学業に全力を注ぐことは、高校生活の大前提です。学ぶことは大学受験のためだけではありません。現代社会では、新たな技術、新たな問題が次々に生まれます、私たちは学び続けるが必要となります。

 そして、「あいさつ」「遅刻しない」「掃除をする」ことです。これらは社会の一員として生活するために当然必要とされるマナーです。

 このような当たり前にできることにプラスして、部活動、学校行事、生徒会活動など、学校生活の中で、何かに主体的に取り組んでみてください。そのなかで、自分の意見を伝えること、他人の意見を尊重すること、そして違う意見の人と折り合いをつけ、多くの人と協力して一つのことを成し遂げる楽しさを味わって欲しいと考えています。

 最後に、伝統を引き継ぐことについてです。2年前、3年生の皆さんが1年生の時、臨時休業、部活動の諸大会の中止、そして、体育祭と坂高祭が中止になりました。それによって、今まで受け継がれてきた伝統を先輩から十分に受け継ぐことができず、2年生になって、手探りの状態で坂高祭をつくり上げていったのではないでしょうか。2年生の皆さんはそのような3年生の姿をから、多くのことを学び取ったと思います。ここにいる皆さんで、一度途切れた坂出高校の伝統を再度紡いで、明日入学する新入生につないでいってください。

 この1年間が充実した時間となるよう全力を尽くしてください。先生方もしっかりとサポートします。

校長室から(H30~R03)

令和2年度 3年生最終登校日講話 ~教師冥利に尽きる~ 1月29日(金)

2022年3月21日 09時28分

 つい先日、私が最初に勤務した学校の生徒から電話がかかって来た。その生徒は、担任をした生徒ではなく、部活動で関わった生徒である。

 その部活動というのは、野球部。教員になってからは卓球部の顧問をしていたが、教員生活4年目に、野球部の顧問をしていた先生が異動され、野球部は指導者が足りなくなった。そこで、経験など考慮せず、「若い」ということと、当時の野球部の監督と同い年の同期採用という理由からであったと思われるが、野球部の副部長を引き受けてくれないかとの話が、年度末に突然舞い込んだ。プロ野球観戦は好きではあったが、野球に関してはまったくの素人、しかも副部長というのは単にお飾りではなく、実質的にはノッカー。野球部以外の人にはわかりづらいと思うので説明を加えるが、守備練習のために野球のボールを転がしたりフライを打ち上げたりすることを「ノック」と言う。ノッカーというのはそれをする人ということである。

 硬式野球のボールがどんなものかというのは、野球部以外の人はほとんど知らないことと思う。どれほどの大きさで、どれほどの重さなのか。だいたい、男子のこぶしを球形にしたほどの大きさで、とにかく硬くて重たい。ほとんど「石」と表現してもよいほどの代物である。そのボールをバットでノックするというのは、自分の想像以上に身体に相当な負担がかかるものであった。特に負担がかかったのは、手。クローブを着けてはいても、手にマメができる。マメがつぶれると痛いので、テープを巻く。それでも手の指の皮が剥がれる。車のハンドルを握るのもつらいほどであった。それでも監督一人にノックまで任せると監督一人にすべての負担がかかるので、素人の自分にでもできるノックを毎日行った。また、監督にしかできない戦術にからむ練習をしているときには、グランドの草抜きをしていた。グランドに草が生えていると、ボールがイレギュラーを起こすことがあり、けがの原因にもなるのだ。ある程度覚悟して引き受けたものの、肉体的に本当に厳しい毎日であった。平日は家(当時は一人でアパート暮らし)に帰るのは21時~22時頃、土日にも必ずどこかの学校に引率しての練習試合。しかも当時は、生徒を自分の車に乗せることが普通に行われていた。夏の大会の前に行なった合宿の時には疲労がピークに達し、授業をしながら教卓に肘をつけば即眠りに落ちるであろうというほどの疲労困憊な状態だった。実際に眠りに落ちはしなかったが。

 部員たちは、素人の私のノックも一生懸命に受けてくれた。電話をくれた教え子によれば、「黒島先生のような素人が、手をマメだらけにして、一生懸命自分たちのためにノックをしてくれている。たとえそのノックが下手でも、一生懸命にしないわけにはいかんやろ。一生懸命練習しない奴はダメだ」と陰で言ってくれていたそうである。私としては、同期の先生が監督を行っており、それを助けてやりたいという気持ちから最終的に引き受けたということも話したが、その元生徒はそれも知っていた。「先生のそういうところが素晴らしいと思った。つまり、素人なのに、一人で困っている監督を助けようと副部長を引き受けたこと」という言葉ももらった。「〇〇冥利に尽きる」という言葉があるが、この言葉を聞いて私は本当に「教師冥利に尽きる」と感動した。同時に、「やはり高校生ともなると生徒も見ているものだなあ」と、感心した。また、本当にきつい1年間だったけれど、副部長を引き受けてよかったなぁと、心からそう思った。しかし、年度末の人事異動でほかの学校に転勤となり、それ以来野球部とは関わっていない。 振り返ってみると、これまで37年近く学校で勤めてきたが、そこまで一生懸命に日々を過ごしたことはなかったように思う。もちろん、さまざまな面で慕ってくれたり感謝してくれたりした生徒たちもいたが、これほどまでに自分の行為に感謝し、覚えていてくれる、しかも自分と同じ教員の道を選んでいるということはなかった。本当にこの電話は思いもよらぬ「贈り物」であった。もっと早くに生徒たちがこういうふうに思ってくれていたということを知っていれば、自分の教師生活も何か違ったものになっていたのではないかとさえ思う。それほどにうれしい電話だった。仕事というのは、これほどに他人から感謝され、やりがいを感じるというのは本当にほとんど「ない」ことであると思う。

 さて、皆さんはこれから大学進学を目指す人が大半であるが、数年後には何らかの職に就くことになる。どの職にせよ、自分が就いた職で一生懸命にがんばって、私のように定年間近になってもいいから「この職でよかった」と思えるようになってほしい。誰かがこのように行ったと記憶している。「だれも見ていないんだから。」という他人からの言葉に対して、「バカ言っちゃいけないよ。お天道様が見ているじゃないか。」という言葉。素晴らしいと思いませんか。誰に見られているからとか、人からどう評価されるかというようなこと抜きに、自分がどう生きるか。結局、他人はそこを見ているということです。皆さんにもそういう人になってもらったらいいなという思いで、こういう話をした。

 さて、受験。最後の最後まで頑張りぬいてほしい。3学期の始業式で言ったと思うが、皆さんの先輩もそうやって第一志望校合格を勝ち取って来た。そして、不思議なことだが先輩ができたことは皆さんもできる。それが「伝統」というものの強みである。

 最後に、3月5日の卒業式。全校そろってはできない可能性が高い。今後の学校からの連絡を待ってほしい。