新緑が目にまぶしい季節が巡ってきた。新しい学年が始まって1か月になる。皆さんも新しい環境にそろそろ慣れたか。急いだり慌てたりする必要はないが、自分を取り巻く環境にうまく順応するというのは大切である。今日は、これに関連して話をしたい。
人間はみんなこうありたいという「自分の理想像」を持っていると思う。これは皆さんもそうだと思うし、先生方も同じだと思う。「自分はこうありたい」という理想があるはずだ。 例えば、「クラスのリーダーとして皆から信頼されたい」、とか、「部活動で輝きたい」とか、「勉強では負けないぞ」、とか、「異性から好かれたい」とか。挙げればきりがないほど「こうありたい自分」があることと思う。 さて、現実はどうか。皆さん、「こうありたい自分」になれているか。1年生の皆さん、あこがれだったはずの坂高で、輝けているか。2、3年生の皆さん、新しいクラスで、また部活動で「理想の自分」になれているか。
もし、皆さん一人一人に尋ねると、きっとそうではない、つまり「理想と考える自分」にはなれていない人の割合が結構高いのではないでしょうか。そんな時に、皆さんはどのようにしてそれを乗り越えていくのでしょう。
私が今日、皆さんにお話ししたいのは、自分が思い描く自分になれなかった時でも、「そこでしっかりがんばってほしい」ということである。「校長は、酷なことを言うなあ」と思うかもしれない。皆さんは渡辺和子という名前を聞いたことがあるか。5年ほど前に亡くなったが、長年、岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務め、晩年には理事長をなさった方である。その大学は、本校からも毎年進学する人が出ている大学なので、渡辺先生の教えを受けた本校卒業生も多いはずだ。 その先生の著書に、『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。本校の図書室にもある。読んだことのある人はいるだろうか。
渡辺和子先生は、1927年(昭和2年)北海道の旭川生まれで、東京育ちという方である。今、もしご存命なら94歳である。父親は、のちに二・二六事件で暗殺される渡辺錠太郎という元陸軍中尉で、事件当時には教育総監(そうかん)という地位にあった方である。先生は、1951年(昭和26年)に東京の聖心女子大学を卒業し、さらに上智大学で学び、その後ノートルダム修道女会に入る。「修道女」というのは、男性ならば「修道士」と呼ばれるが、それは、わかりやすく言えば、修道誓願(しゅうどうせいがん)という誓いを立てて、禁欲的な信仰生活をする人のことだそうだ。渡辺先生の場合にはキリスト教(カトリック)だった。 先生は、上智大学の大学院を修了した後、アメリカに派遣され、再び大学院で学ぶ。そしてやがて帰国するのだが、この修道士・修道女の世界というのは非常に厳しく、上からの命令は絶対の世界だということのようだ。それで、渡辺先生は30歳代半ばでノートルダム清心女子大学に派遣を命じられるのである。岡山という土地は、先生にとっては、まったくもって縁もゆかりもない土地だったそうだ。
そして驚くべきは、その翌年36歳という一般には考えられないような若さで、ノートルダム清心女子大学の学長に任命される。その詳しい経緯は、その著書の中では触れられていないが、学業のみならず人間的にも相当優秀な方だったのだろうと推測される。 しかし、その大学の学長は、渡辺先生の前2代ともアメリカ人の70歳後半の方がお務めだったそうだ。本には書かれていないが、年配の先生方も多い中、大変な若さで学長となった先生のご苦労は、容易に推察できる。学長であるからには、ほかの先生方や職員に指示したり、お願いしたりしなければならないことも多いはずだが、自分よりもずいぶん若い、場合によっては自分の子どもくらいの年齢の者から言われたことを、皆が素直に聞いただろうか。きっと渡辺先生は相当につらい目にあったことと思う。 そのような状況の中で、渡辺先生は「くれない族」になるのだ。「くれない族」とは、「挨拶してくれない」、「こんなに苦労しているのに、わかってくれない」、「ねぎらってくれない」と、人が自分に対して「してくれない」ことを不満に思う気持ちのことであると、渡辺先生は記されている。
そんな渡辺先生に、一人の宣教師が、英語の短い詩を渡してくれたそうだ。それは、先生が、岡山という縁のない土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦しているのをその宣教師が見かねてのことだったのではないか、と先生は思ったそうだ。 その言葉とは、Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)というものだった。 この詩をもらったことで、渡辺先生の心は変わるのだった。著書には、次のように書かれている。
「そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生れたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせてみようと決心することができました。それは、私が変わることによってのみ可能でした。」 さらには、このように続きがあります。「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」
皆さんも、現在置かれた場所が、何となく不本意であると感じている人がいることでしょう。そんな時に、今日私が話したことを思い出してほしいし、また、この本を手に取ってほしいと思う。 人間というのはなかなか面倒な生き物である。特に高校生の時期というのは、時に「生きづらさ」を感じ、「自分のことが嫌いになる」時期である。しかし、人生においては、たいていのことが自分の思い通りにはならないものである。これはみんな同じで、決してあなただけではない。そんな時でも、決して現実から逃げたりせず、一人ひとりが「現在置かれた場所で懸命に生きる~咲くか、根を張る~」、今日はそういうことの大切さに気付いてほしいと思って話をした。
さて、運動部の3年生の皆さんにとっては高校生活の集大成となる高校総体まであと1か月を切った。ベストが尽くせるよう万全を尽くすとともに、些細なことでけがをしないよう注意して生活してほしい。 新緑が目にまぶしい季節が巡ってきた。新しい学年が始まって1か月になる。皆さんも新しい環境にそろそろ慣れたか。急いだり慌てたりする必要はないが、自分を取り巻く環境にうまく順応するというのは大切である。今日は、これに関連して話をしたい。
人間はみんなこうありたいという「自分の理想像」を持っていると思う。これは皆さんもそうだと思うし、先生方も同じだと思う。「自分はこうありたい」という理想があるはずだ。 例えば、「クラスのリーダーとして皆から信頼されたい」、とか、「部活動で輝きたい」とか、「勉強では負けないぞ」、とか、「異性から好かれたい」とか。挙げればきりがないほど「こうありたい自分」があることと思う。 さて、現実はどうか。皆さん、「こうありたい自分」になれているか。1年生の皆さん、あこがれだったはずの坂高で、輝けているか。2、3年生の皆さん、新しいクラスで、また部活動で「理想の自分」になれているか。
もし、皆さん一人一人に尋ねると、きっとそうではない、つまり「理想と考える自分」にはなれていない人の割合が結構高いのではないでしょうか。そんな時に、皆さんはどのようにしてそれを乗り越えていくのでしょう。
私が今日、皆さんにお話ししたいのは、自分が思い描く自分になれなかった時でも、「そこでしっかりがんばってほしい」ということである。「校長は、酷なことを言うなあ」と思うかもしれない。皆さんは渡辺和子という名前を聞いたことがあるか。5年ほど前に亡くなったが、長年、岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務め、晩年には理事長をなさった方である。その大学は、本校からも毎年進学する人が出ている大学なので、渡辺先生の教えを受けた本校卒業生も多いはずだ。 その先生の著書に、『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。本校の図書室にもある。読んだことのある人はいるだろうか。
渡辺和子先生は、1927年(昭和2年)北海道の旭川生まれで、東京育ちという方である。今、もしご存命なら94歳である。父親は、のちに二・二六事件で暗殺される渡辺錠太郎という元陸軍中尉で、事件当時には教育総監(そうかん)という地位にあった方である。先生は、1951年(昭和26年)に東京の聖心女子大学を卒業し、さらに上智大学で学び、その後ノートルダム修道女会に入る。「修道女」というのは、男性ならば「修道士」と呼ばれるが、それは、わかりやすく言えば、修道誓願(しゅうどうせいがん)という誓いを立てて、禁欲的な信仰生活をする人のことだそうだ。渡辺先生の場合にはキリスト教(カトリック)だった。 先生は、上智大学の大学院を修了した後、アメリカに派遣され、再び大学院で学ぶ。そしてやがて帰国するのだが、この修道士・修道女の世界というのは非常に厳しく、上からの命令は絶対の世界だということのようだ。それで、渡辺先生は30歳代半ばでノートルダム清心女子大学に派遣を命じられるのである。岡山という土地は、先生にとっては、まったくもって縁もゆかりもない土地だったそうだ。
そして驚くべきは、その翌年36歳という一般には考えられないような若さで、ノートルダム清心女子大学の学長に任命される。その詳しい経緯は、その著書の中では触れられていないが、学業のみならず人間的にも相当優秀な方だったのだろうと推測される。 しかし、その大学の学長は、渡辺先生の前2代ともアメリカ人の70歳後半の方がお務めだったそうだ。本には書かれていないが、年配の先生方も多い中、大変な若さで学長となった先生のご苦労は、容易に推察できる。学長であるからには、ほかの先生方や職員に指示したり、お願いしたりしなければならないことも多いはずだが、自分よりもずいぶん若い、場合によっては自分の子どもくらいの年齢の者から言われたことを、皆が素直に聞いただろうか。きっと渡辺先生は相当につらい目にあったことと思う。 そのような状況の中で、渡辺先生は「くれない族」になるのだ。「くれない族」とは、「挨拶してくれない」、「こんなに苦労しているのに、わかってくれない」、「ねぎらってくれない」と、人が自分に対して「してくれない」ことを不満に思う気持ちのことであると、渡辺先生は記されている。
そんな渡辺先生に、一人の宣教師が、英語の短い詩を渡してくれたそうだ。それは、先生が、岡山という縁のない土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦しているのをその宣教師が見かねてのことだったのではないか、と先生は思ったそうだ。 その言葉とは、Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)というものだった。 この詩をもらったことで、渡辺先生の心は変わるのだった。著書には、次のように書かれている。
「そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生れたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせてみようと決心することができました。それは、私が変わることによってのみ可能でした。」 さらには、このように続きがあります。「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」
皆さんも、現在置かれた場所が、何となく不本意であると感じている人がいることでしょう。そんな時に、今日私が話したことを思い出してほしいし、また、この本を手に取ってほしいと思う。 人間というのはなかなか面倒な生き物である。特に高校生の時期というのは、時に「生きづらさ」を感じ、「自分のことが嫌いになる」時期である。しかし、人生においては、たいていのことが自分の思い通りにはならないものである。これはみんな同じで、決してあなただけではない。そんな時でも、決して現実から逃げたりせず、一人ひとりが「現在置かれた場所で懸命に生きる~咲くか、根を張る~」、今日はそういうことの大切さに気付いてほしいと思って話をした。
さて、運動部の3年生の皆さんにとっては高校生活の集大成となる高校総体まであと1か月を切った。ベストが尽くせるよう万全を尽くすとともに、些細なことでけがをしないよう注意して生活してほしい。