251224 2学期終業式(校長室から)
2025年12月26日 10時46分第2学期終業式式辞
皆さん、おはようございます。さきほど、多くの皆さんに表彰状を渡しました。皆さんが日ごろから頑張ってきた成果の表れだと思います。また、惜しくも今回は表彰まで届かなかったという皆さんも、悔しさをバネに、これからも努力を続けてください。きっとすばらしい結果が待っていると思います。
さて、いよいよ2学期も今日で終わりです。明日から冬休みです。そして、2025年も残すところ、あと1週間となりました。皆さんにとって、この1年はどのようなものでしたか。満足のいくものだったでしょうか。それとも悔いの残るものだったでしょうか。思いはさまざまだと思います。
1年生の皆さんは、中学生から高校生という、環境に大きな変化のあった年だったと思います。思えば、約9か月前の3月21日、掲示板に自分の受検番号を見つけたときの感激や、入学式で高校生として決意も新たにした、あのときの気持ちはまだ続いているでしょうか。いつのまにか要領を覚えて楽な道を選んでいないでしょうか。もう一度、初心にかえり、心機一転、この冬休みに自分の課題と向き合い、新たなスタートを切ってください。
2年生の皆さんは、勉強に部活動に、まさに坂高生の中心的存在として活躍したことと思います。来年は最上級生、そして受験生になります。年が明けたら、3年生0学期という意識をもって取り組んでください。
3年生の皆さんは、いよいよ受験本番です。共通テストまで、ひと月を切りました。でも、まだ勝負はついていません。やみくもに焦ることなく、自分の可能性を信じて、最後まで絶対にあきらめないでください。心から応援しています。
さて、この1年を振り返ると、国内では大阪・関西万博が開幕し、相次ぐクマの被害やコメの価格高騰、また女性初の首相の誕生やノーベル賞の受賞など、本当にいろいろなことがありました。県内では皆さんに関係しているところでは、やはり34年ぶりの全国高校総文祭でしょうか。皆さんにとって今年印象に残った出来事は何だったでしょうか。
ところで、私は最近テレビや新聞などでさまざまなニュースを目にするたびに思うことがあるのですが、あまりにも自分勝手な、短絡的な事件や事故が多いような気がします。感情をコントロールできず、思い通りにならないので、世の中が面白くないのでと、不満やストレスのはけ口を人に向ける。自分の欲望のおもむくままに暴言をはいたり、勝手気ままに行動したりする。
確かに、私たちはだれしも自分が大事で、自分の気持ちに正直に生きたいと願います。もちろん、それ自体は決して悪いことではないと思います。日本の若者は自己肯定感や自尊感情が低いとも言われますから、自分を大切に思うこと自体は全く悪いことではなく、自分を大切に思うことが相手を大切に思うことにつながるというのも事実です。
でも、それが単なる自分本位の身勝手なもので、相手の思いを無視して相手の心や身体を傷つけてでも自分の意思を通すというのは、私は決して許されるものではないと思うのです。これから皆さんが歩んでいくこの不透明な時代において、知識や技能、主体性や自立心、困難に立ち向かうチャレンジ精神など、どれもとても大切な力だと思います。でも、私は一番大切なものは、やはり「思いやり」ではないかと思うのです。
「思いやり」とは、もともと「思い」を相手に「遣る」「遣わす」ことです。つまり、「自分の心の中を相手に向ける、行かせる」という意味です。言い換えれば、相手の立場になってものごとを考えるということです。
例えば、もし皆さんが朝あいさつをしても返事が返ってこない、話しかけても素っ気ない態度で対応される、一人で困っていても見て見ぬ振りをされるとしたら、皆さんはどんな気持ちになるでしょうか。嫌な気分になったり、不安になったりと負の感情が起こり、その人との関係性に溝ができるかもしれません。ごく平凡な日常の場面でも、ほんの少し「思い」を相手に「遣る」だけで、私たちの関係はもっとあたたかいものになると思うのです。
もちろん言うまでもなく、私たちは一個の人間としてそれぞれ独立しているわけですから、自分の「思い」が相手の「思い」と全く同じになるということはないでしょうし、相手の「痛み」と同じ「痛み」を感じることは所詮無理なことかもしれません。戦争を体験したことがない私に、戦争の残酷さや悲劇は頭では分かっているつもりでも、本当の意味で完全に理解することはできないと思います。
人はその立場になって初めて見える景色というのがあると思います。裏を返せば、その立場にならないとその景色は見えないということです。でも、だからこそ、私たちは相手の心や相手の置かれている立場、状況を「想像する力」が必要なのだと思います。「忙しいので返事をする余裕がない」「人の話にいちいち構っていられない」「この仕事はしたくないので他のだれかがすればいい」などと、自分のベクトルだけでものごとを捉えるのではなく、少し立ち止まって相手の気持ちや立場を自分事として想像する、その力が「思いやり」というものにつながるのではないかと思うのです。
そして、自分さえよければそれでよいという、自分の「思い」が自分の中だけで完結する「利己的な心」をふくらますのではなく、自分の「思い」を相手に「遣り」、自分のことより相手のことを第一に考える「利他的な心」を育ててほしいと思います。その心の連鎖がどんどん広がれば、身勝手極まりない事件や事故、あるいは世界各地で多発する紛争や内戦などもなくなり、平和な社会、民主的な世の中につながっていくのではないかと思います。小さな一歩かもしれませんが、要は一人一人の心の持ち方一つではないでしょうか。
今日は、2学期の終業式式辞として私の思うところを述べさせてもらいましたが、年が終わり、また新たな年を迎えるにあたり、皆さんも自分の心と向き合い、じっくり考えてほしいと思います。
それでは、皆さん、良いお年をお迎えください。そして、来年の1月8日、皆さんの「思いやり」に満ちた、優しい笑顔に会えることを楽しみにしています。

