アルゼンチンだより

このページでは、令和7年2月から1年間アルゼンチンに留学していた本校生による現地での様々な体験等をまとめたレポートを掲載します。

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アルゼンチンだより(ブログ)

第11回 留学体験記

2026年2月4日 09時23分

 12月もあっという間に終わった。冬休みに入ってからは時間がかなり余ってしまい、今までよりも一番暇な月になってしまいそうだった。しかし一か月後には帰国、そのうえ学校の授業も始まるのだ。この月を有効活用しなければあっという間に時間が過ぎ去ってしまう…と考えた私は、いくらかの恐怖に駆られて帰国に向けて準備をし始めた。

まず初めに着手したのは、サンフアンの中で行きたかった場所を回ることだった。歴史博物館やダム湖、友達との交流などの細々としているけれどとても大事なことなど、一個ずつ埋めていった。流石に毎日外に出かけるなんて言うことは難しかったけれど、友達に時間をつくってもらって遊びに行った。また、寿司づくりを行ったりクリスマスツリーの準備を手伝ったり、友達の家のプールに入りに行ったり、18歳の誕生日に髪を剃ったりといくつか刺激的なイベントもたくさんあった。
・友達と。
先ほども書いたように、友達と遊びに行くことが多かった。3日には歴史博物館に行き、サンフアン州の昔の農業の方法や地震の歴史、富裕層の生活から庶民の生活までさまざまな展示があり、とても深い学びになった。スペイン語の単語も知っているものが多く、説明を聞いただけでほとんど理解できるようになっていたので嬉しかった。(今月のレポートの下部にある写真の説明を順に書く)
①豪華な扇子。女性が主に使っていた。右端についている鏡は、後ろにいる人たちの顔を見て好みの人を探すためのもの。
②自動演奏ピアノ。ペダルを踏むと穴の開いた楽譜が回転し、オルゴールの様に曲を奏でた。普通に弾くことも可能であり、私も久しぶりに弾かせてもらった。
③ピアノの中身。個人的にこういう歯車などは大好き。
④昔の路線図。およそ30年ほど前までサンフアンには鉄道が通っており、人やモノの輸送に必要不可欠だった。
⑤大きな牛の皮。写真には写っていないけれど、裏面に牛の白黒の模様がはっきりとついている。この皮の上に道具を置いたりブドウを引っ張って運ぶため、ブドウ畑で使われていた。
その次の日、Ullumという地域にある、Dique piunta negra というダム湖に行った。アルゼンチンに来たばかりの時に一度来たっきりだったのですごく久しぶりで楽しかった。友達とパン、ハム、チーズ、オリーブ、ジュースを持って行き、サンドイッチを作ってオリーブをつまみながら風に当たっていた。バスが2、3時間に一回しか来ないので帰宅は遅めになったけれど、その分その友達とたくさん話せたのでよかった。たまたまその日は曇りだった上に風もあり、前日と比べて寒く感じたのを覚えている。
また別の日にはスカウト活動での友達と中心部に行ってチョコシェイクを飲んだ。八月ごろに友達になってから一度も遊びに行ったことがなかったので、お互いに「いつか遊びに行こうぜ」という感じだった。実は11月は別の用事で忙しく、なかなかスカウトの活動に行けていなかった。なので久しぶりに友達の顔を見ることができてとても嬉しかった。お互いにたくさん話すタイプではなかったのだけれど、共通の話題(例えば、スカウトの活動内容やゲームの話など)になると会話が弾んだ。名前をここに載せることはできないけれど、この場を借りて「ありがとう」と伝えたい。
学校でいつも話している友達の家にプールがあり、中旬ごろに彼に招待された。私の住んでいたところからバスで一時間半ほど行った場所にあり、中心部に近いVilla Krause という場所にあった。彼の家はBarrioと呼ばれる、大きな門がついた敷地内にありかなり圧倒された。その敷地内にはいくつか土地が分割されて販売されていて、危ない地域(泥棒などが多い地域)で安全に暮らしたい人がお金を追加で払って住むところだった。(私の住んでいたZondaは小さな荒野の町なのでほぼ泥棒はいなかった。)暑い日差しのなか、庭のプール(掘られてあった!)で泳ぎ、お母さんが用意してくれていたお昼ご飯を頂いた。その後友達の部屋に行って彼のレコードを聴いたり、ピアノを弾かせてもらったりした。レコードの音楽に時々ノイズが入ったりすることもあったけど、おおむねCDと同じだった。レコードの溝になにか埃があったりするのかもしれないが、私は素人なので分からない。ただレコードを聴いているという状況だけで満足だった。
帰宅の際にはバスが一時間ほど来なかったり、スマホのバッテリーがなくなったりと大変な目にあったがそれも含めて楽しかった。
・家族、先生と。
10月にスペイン語の試験に挑戦していた話は覚えているだろうかそのときに授業などをしてくれた先生からご家族が所有しているCabañaという宴会用のプール付きの場所に招待してもらえることになった。私が一月の中旬には去ると聞き、アルゼンチンで過去に使われていた硬貨をプレゼントしたいので来てほしいと言われたのだ。(以前に授業をしてもらっていた際に古銭収集の話になって現行の日本円の硬貨をいくつかプレゼントしたことがあり、そのお返しとしてくれることになった。)夕方5時ごろからその場所に行ったので少し肌ざむかったが、お世話になった先生とちゃんとした形でお別れをすることが出来て本当によかった。ちょうどその日の四日前にアルゼンチンでの成人を迎えていたのでそれを伝える場でもあった(披露?というのだろうか?)。
その二日後にはホストファミリーと一緒にまた別のCabañaに行った。プールはこちらのほうが深めで、飛び込み前回転をできるぐらいだった。後ろ回転をしようと思ったが、脚力が足りなかったのと回りきるだけの高さがなくて背中を水にひたすら打ち付けていた。この日に日焼け止めクリームを塗るのを忘れてしまっていて背中と顔がかなり日焼けしてしまった。だいたいの場合、このCabañaにはアサードをするための金網と炭を燃やす窯のようなテーブルが備え付けられており、この日の昼食はアサードだった。わたしが好きなチンチョリーノ(味と感触は明太子みたいな感じの食べ物)という、何かの動物の腸もあって美味しかった。
さて、この日の夕食であった話をしよう。もしかすると読んでいて少しいやな気持になるかもしれないが、それも一種の留学の醍醐味である。かなり長くて説明臭いので興味のない人は飛ばしてもらっても構わない。
その日の夕食でホストブラザーがお姉さんに「英語で『どういたしまして』ってどういうの?」と質問したことから始まった。「You are welcom. だね。」と答え、日本語で「ありがとう」と「どういたしまして」がどういうのかという話になった。「ありがとう」の方はすんなり通ったのだけれど(短いしネット上で聞いたことがあるから)、「どういたしまして」を言った際に「え!?」という反応になった。スペイン語では”De nada" [デ・ナーダ]というのだけけれど、たしかにそれと比べると長すぎる。そんなことをふと思った時、そのブラザーが指で目の端を引っ張って釣り目のポーズをしたのだ。それと同時に「どういたしまして」と言ったので、まぁぼちぼちのショックを受けてしまった。今まで一回もそういうのをブラザーから聞かなかったからというのはあるが(原爆関連のちょっとしたショックはあったけれど)、「え?…」という気持ちだった。その後、もやっとしながら食事を続け、食事終わりに「俺はそれ嫌いだからしないでね」というと「おぅ、マジかよ」という反応だった。そのあと妹さんのほうから「ここではそういうのは冗談なんだよ」と言われ、なかなか複雑な気持ちになった。
アルゼンチンでは(仲がいい場合に限るが)黒人や肌が暗い色の人のことを”黒”と呼んだり、太っている人に対して「太っちょさん」と呼びかけるのが一般的で、アジア人はだいたいひとくくりで「中国人」と呼ばれる。話を聞いていなかった人に対しては「お前聴覚障害者かよ」と言ったりもする。そういう文化だとわかってはいたけれど、突然アッパーを打たれたように驚いてしまった。
こういう事例を考えるにあたって、私たちが普段してしまっている「そういう冗談」を思い返してみると、「中国人」と聞くだけで嫌なイメージをもって冷たく接したり、障害を持つ人を見た時に「なにか負の感情を持ちそうな自分に罪悪感を感じて」その人から目をそらしたりしていることがあげられる。また、最近読んだ本に書いてあった事例では、アメリカの生徒は「原爆のきのこ雲のマークをネタとして扱うが、9.11の話をネタにされると真面目に怒る」というものがあった。もちろんこの話や私があげた事例は全員に当てはまるわけでは決してない。ただ、当事者や関係者でない大多数側にそういった意識が根付いていることはあり得るだろう。上記の「釣り目」の話を読んで私のホストブラザーにイラっときた人もいるかもしれない。ただ、たいていの場合私たちは、別の側面でイラっとされる側であることは否定できない。
ここに私の心情を付け加えれるなら、「『自分を含む全体をバカにされた』と感じて憤りを感じるが、かといって異なる文化圏で普通とされていることに対して苦情を言うのはおかしなことだろう」というものだ。(今回の場合かなり悩んだのだけれど、『家族同然の相手にこの思いを抱えたまま過ごしたくない』という私個人の考えから彼に伝えた。その後少しぎくしゃくしたけれど、今では普通に過ごしている。)
この体験に結論をつけるなら、「違う文化圏での異文化体験におけるすり合わせというものは、相手の文化を尊重するか自分の文化の規範を妥協するか、どちらかでしか解決できない」というものになるだろうか。私はアルゼンチンの文化に生活させてもらった側なのでアルゼンチン内ではその文化を否定することはできないししたくなかった。しかし逆に、いつか日本に、異なる文化圏から留学生が日本の文化に入ってきたときには、その人に日本の文化を強要しきることもできないと思う。なぜならその人は留学生という「異なる文化で生活している人間が異なる文化を学ぶことを求める立場」にいるからだ。異文化理解というものは、なにか別の文化があることによってはじめて存在する。他者を知って初めて自分が確立されるように。…これが留学生という立場の難しいところだ。
・誕生日。
さて、上の長ったらしい文章に辟易してしまったなら申し訳ない。そして私事で勝手だが、十二月の終わりごろに私の誕生日があった。ついに十八歳になり、アルゼンチンの法律では車も銀行口座も酒もたばこも使える成人になった(アルゼンチンでは十六歳から車を運転できるが)。私が滞在していたサンフアン州には、男子は成人を迎えたら髪を剃るという慣習があり、せっかくなので私も友達に剃ってもらった。午後四時に中心部の公園に来てもらい、ケーキやサンドイッチ、炭酸ジュースを飲みながら楽しく会話した後ついにバリカンが登場した。木の根元に寝っ転がって、頭の下にビニール袋を置いて始まった。まずはおでこの真上から真ん中のラインを剃り、そのあとはふざけて縦横無尽に剃っていた。(この時の動画をあとから見返すとかなり笑える。)
家に帰ってケーキを食べ、プレゼントにアルゼンチンのサッカーユニフォームをもらった。2026年にはサッカーワールドカップがある。日本かアルゼンチンかどちらを応援すればいいのかかなり迷うところだけれど、とりあえずアルゼンチンのユニフォーム着て日本を応援しておこうかと思う笑。
さて、十二月もかなり忙しかった。しかしこの忙しさは最後の月である一月とは比べ物にならなかった……。次回、アルゼンチンだより最終回!
では、また。

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