アルゼンチンだより

このページでは、令和7年2月から1年間アルゼンチンに留学していた本校生による現地での様々な体験等をまとめたレポートを掲載します。

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アルゼンチンだより(ブログ)

第12回 留学体験記

2026年2月17日 10時16分
新年あけましておめでとうございます。現在私はすでに日本に帰国しており、お雑煮もうどんももう楽しんだあとです(笑)。今回が「アルゼンチンだより」最終号ということで、私の留学のまとめをこのレポートを通して皆さんにお伝えできればと思います。
では、まずは1月に起こったことから。
・スカウトの最終キャンプ
1月の2日から5日にかけて私はスカウトの友達たちとメンドーサでのキャンプに行った。このキャンプは私がこの留学生活で最後に参加できる大きなイベントで、4日間必要なものをいつものリュックに詰め込んで、朝7時、友達といっしょにバスに乗り込んだ。前々から何度も書いたように、メンドーサへは荒野に伸びている真っ直ぐな道を進む。右側を見ればはるか彼方に山のシルエットが薄っすらと見えるけれど、左手側には完全な平野が広がっている。バスの車内では朝早かったということも手伝ってみんな少しの間食を取ったあとに寝始めてしまった。私もはじめは音楽でも聞こうかと思っていたのだけれど、お昼からの活動がどんなのかわからなかったのでイヤホンを外して眠った。そして、ふっと目が覚めて気がつけばすでにキャンプ場についていた。1時間半以上寝ていたらしく、驚きつつも自分のリュックと寝袋を担いで降りた。
今回のキャンプ場の名前は"El parque de la Familia"(家族の公園)という場所で遊具はほぼなく、週末に広い芝生の上でサッカーをしたり、アルゼンチンの代表料理のアサードを焼いたりするような場所だった。早速私達はテントを張って荷物をしまい、アクティビティに取り掛かった。公園を歩き回って集合写真を撮ったり、水の入ったコップを60cmほどの板の先において板先を踏み、そのコップをキャッチできたらOKというものをしたり、タイヤのついたロープを三人で引っ張り合って自分の陣地までたどり着けるかなどなど、初日からとってもハードな活動をした。もちろん、水遊びをする際には半ズボンに変えなければならず、上も半袖シャツで過ごしていたので、夜になる頃には両腕が真っ赤になっていて、デジタル時計をつけていたところだけ白いままだった。お昼には調理の手伝いをしたり、夜にはみんなでお喋りしながら夜風に当たっていた。
問題は夜中にあった。季節が夏だったため、森の近くの公園で寝るとなると、テントの隙間から”ヤツ”が入ってきた。そう、蚊だ。彼奴のために私は2日目から足裏や腕に絶望的なかゆみを感じながら過ごさなければならなかったし、羽音のために目を覚まして寝袋に入り込んで来ないか常に警戒していたし、逃げるために寝袋に入ってもその暑さで私の方から出なければならなかった。その上、私を愕然とさせたのは別のところにあった。私が右腕だけで6箇所刺されたのに対し(全身で8箇所)、一緒のテントで寝ていた友達二人はそれぞれ2、3箇所しか刺されていなかったことだった。そのため、彼らに夜中に網戸をきっちり閉めたか聞いても、それほど重要度を感じていないようだった。おのれ蚊め!
2日目の朝食としてジャムのついたパンを3切れ食べ、またアクティビティに乗り出した。今日は水風船を投げられ、服が昨日よりびっしょびしょになった。飛んでくる水風船に当たりながらチームで水くみレースをしたり、問題を間違えたら水風船を頭の上で割られたりと、とにかく水風船に溢れた日だった。また、私も自分で考えたアクティビティを行わせてもらった。森や公園のなかにあるものを探してきてもらう、宝探しのゲームだった。11人を2つのグループに分けて、先に見つけてきたほうが勝ち、というゲームにした。探してもらったのは、瓶の栓、ハートの形をした石、小鳥の写真、小枝でできた猫などだった。20分くらいかかるんじゃないかと思っていたのだけれど、みんなには簡単だったようで、15分足らずでみんな見つけ出してしまった。予想より早く終わってしまい、少しのショックと不安を受けたけれどメンバーがみんな楽しそうだったので、自分もクリアとした。
3日目のアクティビティでは少し衝撃を受けた。スカウト活動はカトリックのグループなので、自分のトラウマなどを告白する時間がある。その日のメインアクティビティはそれで、一番好きな曲と共にそれが好きなエピソードを紹介するというものだった。私はアルゼンチンに来てから一番初めに覚えた曲を紹介し、「友達に初めて教えてもらった曲だから」と紹介したのだけれど、メンバーの友達たちは曲と共におじいさんが亡くなったことや、お父さんが事故で亡くなった話などとともに、涙を流しながら告げていた。私には衝撃的なことだった。ここで何という言葉を用いれば上手く伝えられるのかはいまだ分からないけれど、一種のカルチャーショック、リリジョンショックを受けた。親しい家族が亡くなった経験がない私には、それらをどう受け止めればいいのかわからず、聞きに徹したけれど、この話を聞いているなかで、なぜ彼らがスカウトで活動していて、イエスやその神を信じているのかの理由を垣間見た気がした。
その後はみんな少しすっきりとした表情で活動をし、午後にはプールに行った。プールの水の色があまりにも緑色だったので何というか、午前の時間の衝撃が上書きされた感じがあったけれど、今こうやって思い返してみると、友達の何人かは以前に行ったキャンプでも同じような告白の時間で泣いていることがあった。そのたびにそばの友達が声をかけたり、背中をさすってあげったりして落ち着かせていたなぁ、と思う。辛い出来事(特に誰か親しい人の死)はどれだけ時間が経っても感情が薄れにくいものなのかもな、と思った。
その晩にキャンプファイヤーがあった。スカウトのメンバー全員でドラム缶の炎を囲み、掛け声をお互いに掛け合って楽しんだり、それぞれのグループメンバーで劇を作って発表したりした。私も劇に参加し「日本人の医者役」をやった。飛行機内でパイロットが倒れ、それの診察をするという役割だった。初めてのことだったけれど、楽しんで参加できたと思う。ああ、そういえばその夜はついにテント内の友達を説得することに成功し、テント内の蚊を倒し終わってから隙間を埋めて寝た。素晴らしい眠りだった。久方の。
4日目。最終日だ。この日は全体でのアクティビティがあり、小学生のグループから私の所属する高校生のグループまでが泥まみれになりながら水遊びをした。ちょっときつかったのが、ロープの下を早く潜り抜けて脱出するというものだったのだけれど地面が芝生であるということと体全体が濡れているということを失念していてかなり早く通り抜けた結果、草葉が目に刺さったり顔中泥まみれになってしまった。思い出すだけでも痛いけれど、なんとか支障なくそのアクティビティを終えることが出来た。それが終わるとお昼ご飯を食べつつゆったりとした振り返りの時間になり、今回のキャンプでの反省をする時間になった。思えばあっという間のキャンプだった。出かけるときに「長めのキャンプだな~」と考えていたのだけれどね。
帰宅時にはバスの中でお菓子を食べたり、映画を見たり、友達と話したりして過ごした。
・知り合った人たちとのお別れ会
キャンプから帰ってくると帰国まで1週間を切っていた。もう少しゆっくりお別れをしたかったけれどそうもいかない。6日から11日まではお別れ会ラッシュとなり、中心街(だいたいの待ち合わせ場所だった)に行く途中になぜこんなに時間が早く過ぎるのだろうと何度も考えた。6日には、サンフアン市内に住んでいる日本語の先生と会うことになった。この人のクラスには一回だけゲストとして参加したことがあり、久しぶりに日本語を話して会話できたので嬉しかった記憶がある。この先生はアルゼンチン人の旦那さんと結婚してから20年近くサンフアンに住んでおり、スペイン語も日本語もペラペラな娘さんと息子さんがいる。私たちはその日、ピザとエンパナーダが美味しいレストラン"El rincon de Napoli"(以前紹介済み)でJumboという料理を食べた。カツレツのようなお肉とフライドポテト、その上に目玉焼きという料理で、お昼の一食にするにはかなり重たい料理だった。2時間程食事と会話を楽しみ、その後別れた。いつかまた会えたらいいな、と思う。
さて、次の日。午後にまた中心街に行って友達とコーヒーを飲んだ。お互いにプレゼントの交換をしたり、この留学での思い出を語ったり、ブエノスアイレスの有名な観光地を聞いたりした。そして次の日も中心部に行って留学生仲間たちとのお別れ会をした私を含めた4人はこの1月で帰国し残りの6人ほどは次の6月くらいに帰ることになっている。これで彼らと会えるのも最後かもしれないな、と思いつつ美味しくピザを食べたり、記念にみんなの手形を押した旗を作ったりした。さらに次の日の夜はスカウトのメンバーたちと最後のお別れ会があって、ゆっくり時間を過ごした。そして一日飛ばして11日には中心部にお土産を買い出しに行き、お昼には友達の家に行って遊んだり、ピザを食べたりし、午後にはその友達とフェリアに行ってずっと探していたCDを偶然にも格安で手に入れ、さらにそのあとはささっとバスに乗り込み、バッテリーのつきかけているスマホ(残り3%だった)で地図を見て、学校の先生の家までたどり着いた。ここまでたどり着くのにかなり神経をすり減らしており、何をどうやって無事に家まで帰ったのかよく覚えていないのだけれど、家の玄関までたどり着いた時のあの荷物の重さと、振ったらカラカラと音を立てそうなスマホの心もとなさだけは手と記憶にしっかり染み付いている。知らない土地だと余計かもしれないが、なかなか大変な一日だった。ほんとに。
・最後のイベント
はてさて、帰国の直前になるとスーツケースの中身がいっぱいになりすぎて、空港でひっかかってしまうんじゃないかという心配が頭の中に渦巻きだした。そんな中、12日には親戚のいとこの誕生日会があり、そこに私も呼んでもらった。そこで最後のエンパナーダを食い納め、"Pollo al disco"という料理も食べた。ああ、思い返すだけでよだれが出てくる。どちらも日本ではなかなか売ってない料理だし、作るのにもそれなりの労力を必要とする。今度エンパナーダを作る予定だけれど、うまくいくか心配だ。
そして、これで最後だ。さきほど書くのを飛ばした10日には、私のためにホストファミリーが"Qincho"と呼ばれる場所を借りてお別れ会を開いてくれた。私も友達を二人呼んで、チョリパンとジュースを飲みながら、くだらない話をたくさんした。これで最後か、と思うと時間が経つのがすごく惜しくて、ずっと休まずに話していた。この日に日焼け止めを塗るのを忘れて、ほぼ全身日焼けした。背中がかなり痛かったけれどそれはご愛嬌。
・帰国の日
日本に帰る際には、ブエノスアイレスからドイツのフランクフルトに飛んで、その後東京に着かなければいけなかった。そのため私たちはバスでブエノスアイレスまで12時間ほどかけて行き、合計33時間ほどの飛行機に乗ることになった。バスステーションでは今までお世話になった人たち、友達やほかのホストファミリーの家族からも声をかけてもらい、何枚も写真をとったあと、ホストファミリーとハグをして別れた。「一年間、本当にありがとう!」
ブエノスアイレスへ向かうバスの中で、この一年間のこと、友達や家族との会話、一年間でスペイン語が上達したことを実感、そしてこの留学でのイベントを思い返していると、ふと泣きたくなった。この高ぶった感情を涙で一気に流したかった。でも涙は出なかった。地球の裏側だからだろうか?
何にせよ、また必ず訪れたいと思っている。友達とも家族ともそう約束したし。
日本に着くと品川方面に行く電車が止まっていた。迎えに来た家族はというと、品川駅のそばのホテルにとどまっているらしく、一年ぶりの再会は駅でだった。一瞬グッと来たけれど、一種の感情(思春期特有のアレ)により、顔には出さなかった。その後はホテルに荷物を置かせてもらい、一年ぶりの牛丼を食べに行った後に東京散策に乗り出した。周りは日本人だらけ。外国からの人たちも東京だから多かったけれど、一気に多数側になった不安を感じた。町を歩いていて聞こえてくる日本語……そのすべてが理解でき、たった2日前まで聞いていた言葉はほとんど全く聞こえなかった。(一度だけゲーム店の通路でスペイン語圏の人たちがいたので"Permiso"(すみません)と言ってそばを通った。後ろから「あの子今スペイン語喋ったよ!」と言っているのを聞いて、思わず頬を緩めたのは内緒だ。)
まぁ、兎にも角にも、こうして私はアルゼンチンでの留学を終えた。ここまで書いていて真逆の気候や家族を懐かしく思ったり、今もメッセージをやり取りしている友人たちの顔と声を思い出してすごくノスタルジックな気持ちに包まれる。この一年間で、もはやアルゼンチンのサンフアン州はわたしの第二の故郷となったのかもしれない。
よし。いつか再びその地面を踏めることを願って、ひとまずここで筆をおくことにしよう。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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令和8年2月17日