アルゼンチンだより

このページでは、現在アルゼンチンに留学している本校生による現地からのレポートを掲載しますアルゼンチン国旗  

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アルゼンチンだより(ブログ)

第8回 留学体験記

2025年10月10日 10時46分
アルゼンチンに春が来た。
 そのことを実感したのは、街路樹に花がついた時かもしれないし、コートの中着を取り外した時かもしれない。はたまた、もしかすると、学校で春を祝うお祭りが開かれた時かもしれない。まぁいずれにせよ、春が来た。
出発した二月、日本は冬でありアルゼンチンは夏だった。一年ぶりの春を見ることなく、ちょうどのタイミングで出発したのだ。羽田空港で友達に「留学前の意気込みは?」と聞かれて、春遠し~などと五七五を言ってみた記憶がある。思い返すと少し恥ずかしい……。
何はともあれ、今月の私は春の陽気にあてられたのかイベントに参加したり、出かけたりすることが非常に多かった。という訳で、今回もこの一か月の主な行動を時系列順に報告していこうと思う。ちなみに敬体から常体に変わっているのは、そっちのほうが自然に書けるからだ。
九月五日、スカウトチームの旗を作るために、友人の家に行った。まぁ、手伝えたことはあんまりなかったが、普段はゆっくり話せない友達と色々話せてよかった。向かう途中でバスを降りる場所を間違えて三十分くらい迷ったのもいい経験だと思える。
そして次の日、午後四時からのスカウトの活動に行った。スカウトという名前だけれど、主な活動はメンバー同士の親睦を深めたり、これから行うボランティア活動を計画し行うことだ。後述するが、教会でパンを売ったりすることもある。この日のスカウトの活動に行く途中に寝過ごしてしまって、目的の公園から2km離れた場所についてしまった。幸いにも早めに出ていたので、二十分ほど歩くだけで着いた。この日の活動は来週キャンプに行くための準備で、想像していたより疲れた。
九月七日、ビリヤードをするために友達と一緒に中心街へ行った。ここまでの流れでなんとなくわかるだろうと思うが、店は閉まっていた。日曜日はだいたいすべての店が閉まることを感覚として理解していない私は、またもや間違いを犯した。なぜ学ばないんだろうか……
気を取り直して、Un Rincon de Napoli[ナポリの街角]というお店に入って、信じられないくらい美味しいピザとエンパナーダを食べた。一か月近く経っているが、今思い出してもよだれがあふれてくる。程よく溶けたチーズとオレガノの香りが抜群で、生きててよかったと思った。エンパナーダも綺麗に焼かれていて、ハムチーズと肉の具材の両方を交互に楽しんだ。(個人的には、家で食べるエンパナーダのほうがもっと焦げてて好き)
その後はMatiasが手伝っているフェリアのブースに入って、話しながら設営を手伝った。彼はロシア出身で祖父母と暮らしている。彼の家のバクラヴァをはじめとするすべてのお菓子はとんでもなく甘くておいしい。レシピを聞いてみたが、秘密だと言われた。ますます美味しく感じるのは気のせいだろうか。
九月十一日、この日はDía del Maestro で、先生へ感謝を伝える日だった。ホストペアレンツはどちらも小学校の先生なので、ホストシスターを手伝って料理を作った。パンケーキとトマトスパゲッティ。恥ずかしながら私はパスタのゆで方を知らないので、トマトソースとパンケーキを担当した。いくつか焦がしたりしてしまったけど、喜んでもらえたのでよかったかなと思う。
その週末、再びスカウトのキャンプに行った。本来はテントを張る予定だったのだけれど、強風のため体育館で寝た。このキャンプでは次のリーダーやこれから行うボランティア活動の内容を決めたりと大事なもので、ほかの地区からの参加者もたくさんいたので質問攻めにあったり、アニメの話で盛り上がったりした。今回は、前回の様に体調を崩すこともなく参加できたのでとても楽しかった。次のキャンプが楽しみだ。
帰り道のバスの中で、同じ町に住んでいる女の人から話しかけられた。聞くに彼女はアジアの文化に興味があって、日本語、韓国語、中国語、タイ語などを勉強しているのだという。身近にそんな人が住んでいたことに驚きだった。水曜日に家にも来てもらって、いくつか話をした。ホストマザーの前だったせいか、緊張して文法や単語が飛んで行ってしまったけれど、楽しく会話できたと思う。緊張した原因として彼女が三十台であり、普段から話しなれていないほぼ初対面の人であったというのもあるかもしれない。
二十一日には友達とフェリアに行き、カフェでスムージーを飲んだり花を買ったりして楽しんだ。その後、友達のブースに行ってだらだら喋っていた。なんというか表現するのが難しいのだけれど、外国での生活にずっと付きまとっていた小さなストレスが、ぜんぶ吹っ飛んでいくくらい、本当に楽しかった。今までの友達との外出の中で一番かもしれない。なぜかは分からないけれどそう思った。
それからほかの週に、友達の家に行ってレコードを聴いたりAFSのミーティングでギター弾いたり、抹茶パウンドケーキを持って行ったり、またもやバスで迷子になって3km歩いたりしたが、ささいなことだ。
さて、ここからいくつか話は飛ばして、最後にちょっとした事件を紹介しようと思う。留学の楽しい話ではないので、気にならない人は、ここで読むのを止めて構わない。
二十九日、私たちは恐喝に襲われそうになった。学校終わりのシエスタの時間、中心部にあるサンフアン州庁の庭で友達と寝転がっていると同年代に見える(正直言って)ガラの悪い少年5人組がやってきた。彼らのスペイン語の発音はかなり圧縮した発音で、聞き取れない部分も多かった。始めは軽い話だけだったのだが、持っていたクッキーとチョコラターダをみて、(まぁずうずうしくもというか)くれ、と言ってきた。私たちはトラブルを避けたかったし、逃げるにしても2対5、かつリュックがあったのできつかった。
ひとまず問題を回避し、階段を上って一息。このとき友達は先ほどの五人組の相手に疲れていて、スペイン語をしゃべれなくなっていた。(しばらくロシア語を独り言ちていて、あまりのギャップに結構笑ってしまった)
先ほどのことがあったので、周りを警戒していると、黒い服を着た男性(以下、黒)が近づいてきた。彼は階段下に立っており、別の道から来た青い服の男性(以下、青)に手を振っていた。ここでおかしかったのが、黒と青の間は10mほど離れているのにもかかわらず、近づかずにジェスチャーだけで会話をしていたことだった。ふつう10mもあればもっと近づくか、声を出すだろうと思ったし、ジェスチャーも「回り込もう」と言っているようだった。それに、さっきの少年たちとのやり取りを見ていて、楽に襲えると思われたかも、とも思った。
違和感と不安を感じ、その場を離れることにした。内心焦っていて、移動している途中に「くそっ」とか「ああ、めんどくせぇ」だとか何度か言ってしまった。焦ると母国語が出るのはみんな共通なのかもしれない。
実質的に黒と青から逃げ、ある程度離れたところで後ろを振り返ると、青が階段を上がってきていて私たちの進行方向を確認していた。
その後警察を呼んで、先ほどあったことを話して家に帰った。思い返せばアルゼンチンにおいて、シエスタの時間中に少人数でいて、かつ中心部といういろんなタイプの人が集まる場所は危険なのだ。実感が足りなかったように感じる。反省。
今月は色んな予定とイベントがあった。楽しかったり、不安になったりしたけれど(安全圏から)振り返ればどれもいい思い出だ。10月には、フォルクローレの発表やスペイン語の口頭試験がある。主には試験対策をすることになると思うが、いい経験だと思って楽しんでいきたい。残り少ない留学生活を悔いのないように過ごしたいと思う。

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