アルゼンチンだより

このページでは、現在アルゼンチンに留学している本校生による現地からのレポートを掲載しますアルゼンチン国旗  

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アルゼンチンだより(ブログ)

第10回 留学体験記

2025年12月10日 18時30分
帰国まで残すところ40日弱。早送りみたいに過ぎていく日々に唖然としながら、それでも取り零さないようになんとか過ごしている。今月(十一月)の終わりには、学校での授業がすべて終了し、夏休みに突入。友達のおかげで、辛うじて追試を受けることなく落ち着いて過ごせている。週末には家族や友達といろんな場所に行き、いくつかの体験をした。今回はそれらのことをメインに書いていこうと思う。
・スカウト活動
スカウト活動は毎週土曜日の夕方四時から行われる。これは普通の活動で、次のボランティアで何をするか、とか次のキャンプのための道具の点検などを行うためのものだ。大きくまとめれば、チームメイトやほかの年代との話し合いや遊びを通じて親交を深める、というものだ。私のグループの宗派はカトリックなので『信仰を深める』ともいえるかもしれない……失礼しました
今月初めのボランティアでは、ビンゴ大会のお手伝いがあった。このビンゴ大会での私の仕事は、一つのテーブルに張り付いてお水やジュースの補充をしたり、番号がl聞こえなかった場合に再び言ってあげるというものだった。正直、こういった仕事はかなり好みである。テーブル同士の感覚が狭く、行動できる場所が少ない中で、いかに早く飲み物を持って行ったり、欲しそうなものを尋ねたりして補充したりするのはゲームみたいで好きなのだ。なのでそこまで苦に思うこともなく、楽しく活動できた。敬語の使い分けが難しかったが、何度か失敗した後で対処できるようになった。
ちなみにこのビンゴ、かなり難しくて私が担当したテーブルでは、ついぞ景品を獲得できた人が出なかったほどだ。全部のマスが埋まらなければならない上に、同じタイミングでビンゴした他の人とくじを引いて、より大きい数が出た場合景品を獲得できるという、はたから見てもかなりの難易度だった。
中盤には、教会のミサにも参加した。スカウトの代表メンバーとして、キリスト像の神輿のようなものも担がせてもらったし、貴重な体験だった。また、なにより驚いたのは、教会の中に『懺悔室』と呼ばれる、タンス大ほどの大きさのボックスがあったことだ。漫画『岸部露伴は動かない』で知ってはいたのだが、生で見たのは初めてだった。入る時間はなかったが、今後機会があれば入ってみたい。
また、二十一日には次の日のキャンプへの準備があり、ロープの素早い結び方や火の起こし方などを学んだ。火おこしの方法はご想像の通り、木を摩擦で熱しそこに綿毛などの燃えやすいものを置いて火をつけるというものだった。実際にやってみるとかなり難しく、煙を出すのがやっとだった。
・ロデオへの旅行
私が現在滞在しているサンフアン州はかなり大きい。香川県の四十七倍なのだから当たり前だ。家の周りの散歩にしてもかなり歩かなければならないし、中心街に行こうと思ったらバスにⅠ時間は乗らなければならない。それほど大きいのだ。
今回、週末にRodeoという場所に行った。観光地ではないけれど大きくて綺麗な湖と古い茅葺の教会があった。車で三、四時間移動したところにあり、チリにも結構近い場所だ。往路で山道を通るのだが、この山道も日本のものとはかなり違う。まず、森がなく山肌がしっかり見えている。地層の重なりがはっきりと見て取れてこのあたり一帯は隆起したんだなとか、かなり分かりやすかった。そして傾斜が大きいのもあって、右に左にぐーんぐーんと何度も揺れた。金曜の夜に出発したので、ライトのない夜空には星々が輝き、流れ星も二回見た。
Rodeoでは、ホストファミリーとその親戚で一つのゲストハウスを借りて、アサードを焼いたり、野菜と鶏肉のスープを作ったりした。赤いスープは Pollo al disco という料理で、濃い味噌煮込みの西洋風の味がした。下に写真があるのでぜひ見てほしい。とっても美味しかった。
湖では魚釣りをした。魚を釣るために魚を細かく切ったものを使ったのだが、今までゴカイとちっちゃいエビくらいしか使ったことがなかったので結構驚いた。ここの家族は「カニバリズムだね~」と言っていた(笑)。結局魚は一匹しかつれなかったが、ゆったりしながら楽しめたのでよかった。私はどうしても本能に逆らえず、石を組んで湖に幾らか進出した足場を組んでいた。
また、ちょうど前日に日本からの荷物を受け取っていて、そのなかにじゃがりこがあったので持って行った。私も久しぶりに食べて「小さくなってるなぁ」と思った。材料費とかの高騰で小さくなるのは仕方がないが、どうせなら量をそのままに価格のほうを上げてほしい。なんてね。
・友人の誕生日会
ここの親友の一人が十八歳の誕生日を迎えた。アルゼンチンでは、男性は十八歳になると大きくお祝され、髪をすべて剃る習慣があり、それをすることで大人の仲間入り、となるのだ(女性の場合は十五歳に大きな誕生日会を行う)。私も彼の誕生日会に呼ばれ、彼の髪を切らせてもらった。今年初のプールにも入り、お昼ご飯はエンパナーダ(オリーブが入っているバージョンで私の好きなやつ)で、私も誕生日会を楽しんだ。(写真は全員上裸なのでアップロードしないでおく)
もう一度一応書いておこう。誕生日おめでとう!
・La Fiesta Del Sol
さて、今月一番のイベントを紹介しよう。もしかすると、私の留学生活において一二を争うイベントかもしれない。
このお祭りは「太陽のフィエスタ」という名前で、大量の出店と、三日間に及ぶさま座なアーティストたちのコンサートが目玉だ。今回のフィエスタには"Ciro y nos Persas", "Estelares" といったアルゼンチンでもトップの人気を誇るバンドが来ていた(ここには来ていなかったが、私は”Fito Paez"という歌手が一番好き)。
屋台をいくつか物色し、Lomoを夜ご飯にとった後、コンサート会場に向かった。前座として出ていた"Los Mentidores"を聴いた後、"Estelares"の曲を聞いた。どちらも事前には知らなかったが、リズムと落ち着きつつも熱のある雰囲気にはまった。そして、この会場に来た全員が待ち望んでいた"Ciro y los Persas" の演奏が始まると同時に、周りの観客が水をぶちまけたり、跳ね回り始めた。こんなに激しいコンサートになるとはあんまり思っていなかった(つまり、知っていたが理解はしていなかった)ので、もみくちゃにされながらここの家族の手をつかんでなんとか耐えていた。始めは恥ずかしかったが、せっかくだしと思い飛び始めてみると前より曲が聞こえやすくなった。なんとなくコンサートでたくさんの人が飛び跳ねる理由が分かった気がした。
楽しかったコンサートは四曲のアンコールによって熱を保ったまま幕を閉じ、とっても楽しかった。本当に来てよかったし、初めにいろんな人にぶつかりだした人にも幾らか好感を持てるようにさえなっていた。不思議だけれど。(ただし、持ってたビールを飛ぶと同時にあたりに振りかけやがった人は許さねえ)
家に帰ったのは朝四時。あたりがだんだんと明るくなりだした頃だった。ほんとうはこの日にスカウトの日帰りキャンプがあったのだけれど、体力が残っていなかったので行かなかった。
ぜひ聞いてみてほしい曲として、Ciroの"Caminando" と、"El Farorito" 、Los Mentidores の "Tengo Todo" をお勧めする。
・ホストマザーの誕生日
タイトル通りだ。なにかプレゼントできるものはあるかな、と考えた末、胡桃とアーモンド、Dulce de leche を使ったパウンドケーキを作ることにした。以前に抹茶のパウンドケーキを作っていたので、そのレシピを流用して作った。実際に作って発生した問題として、生地を混ぜすぎて焼き上がりが硬くなってしまったことと、焼いている途中でdulce de leche が生地の株に沈んで行ってしまったのだ。レシピでも懸念されていたので、やっちまったなぁと思った。ただ、考えていた通りのものが出来たし、味もおいしかった。何よりホストマザーが喜んでくれたので、本当によかった。帰国したら日本の母にケーキでも作ろうかしらん。
・エンパナーダ作り
アルゼンチンの料理と聞いて何を思い浮かべるだろうか?おそらく大部分の人は出発前の私と同じように、アンデス山脈の伝統服を着ている人たちが、じゃがいもとトウモロコシなどの入った野菜スープ鍋を囲んでいる姿を想像するかもしれない。あるいは、詳しい人ならアサードやエンパナーダを想像するかもしれない。そんな人には拍手をおくろう。パチパチ。
今月末にはエンパナーダを作る機会がAFSのミーティングと同時にあり、ほかの留学生たちとともに初めてのエンパナーダ作りに挑戦することになった。エンパナーダというのは餃子を大きくしたような料理で、アルゼンチンでとっても親しまれている料理だ。まぁ、検索したらばすぐに分かるのだが、まんま餃子のパイ生地版だ。フライパンで焼くかオーブンで焼くか、という違いこそあれどほぼ同じだ。それこそ隣で一緒に作業していたイタリアからの生徒が「これ餃子に似てるよね?」と聞いてくるくらいに(彼は地元で餃子を作ったことがあるらしい)。
かねてよりエンパナーダのつくり方を知りたいと思っていたのだが、家のほうではなかなか予定が合わず出来ていなかった。なので今回で作り方が分かってよかった。まずはピザ窯を作らなければならないが(笑)。
今月はこんな感じだった。留学生活も残すところ一か月。時間は足りないが、それでも楽しく日々を過ごしていきたい。
では。
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第9回 留学体験記

2025年11月14日 18時57分

十月に入ってから、否が応でも帰国を意識せざるを得なくなってきた。今までは余裕をもって学習を進めていたり、友達と遊びに行ったりしていたのだが、どうにも落ち着かなくなっている。これを一過性のものだと受け流すためには時間が足りず、精神的なものだととらえるには人生経験が足りていない。焦ってもしょうがないのだけれど、留学という貴重な機会をなんだか無駄にしているような気にもなってしまい、悶々とした日を過ごしていた。

今月はいろいろ書きたいことがあるので、見出しごとにまとめてみようと思う。気になったものだけ読んでもらえれば幸いだ。

・スペイン語の試験について。

一応、先月にも書いたようにスペイン語の試験(CELU)を受けることにし、かなりの時間集中していたことによって落ち込む回数は減っていた。試験内容としては、初めに口頭試験があり、それに合格すれば筆記試験を受けれるというもので、スペイン語の先生と二か月近く練習をしたことによって、ある程度の自信を持てるようになった。

ただ、口頭試験においては事前知識の関係で何を言っているのかさっぱりなことも多々あった。進行は英検と似ており、データや広告が載った一枚の紙について紹介し、そこに自身の意見を付け加えていくという形式であり、足切りとして「口頭試験で中級に達していないと判断された受験者は筆記試験に臨めない」というシステムもあり、どの程度の語彙やどこまでの具体性で話せれば『中級』なのかということに悩んでいた。

そして私の試験は10月27日に行われ、テーマは各国の旅行者数のランキングだった。内容は理解しやすく、自身の立場もあってある程度話せたと思った。簡単な文章ばかり話してしまったのが唯一の心配だったけれど、結果が分かるまで数日必要だったこともあって、あまり考えないようにしていた。

結果が分かったのは31日、ハロウィンの準備を友達としていた時にリンクが届き、ドキッとしながら番号を探した。結果として、自分の番号の隣には"No aprobó" (不合格)と書かれていた。机に突っ伏してため息を吐いてから色々考えだした。「だめだったのか」、「もっと語彙を使えていれば」、「八か月も経って自分は中級にすら達していないのか」、「ここの家族に申し訳ない」。特に最後の考えが大きかった。私のスペイン語のレベルが低いことを、ここの家族が責めたことは一度もないのだけれど、八か月もここで暮らさせてもらっているのに、お返しがあまりできていないように感じていたのがここにきて露呈したのだと思う。友達はそんな様子を見て励ましてくれたが、やっぱり突き付けられた事実のほうが強かった。ズーンと心にのしかかる、そんな気持ちのまま、友達と彼の姉と一緒に被り物を作った。少しでも挽回しようと、できるだけ自分から話を振るように意識していたように思う。

それから一週間ほど経って、先生とも話していると、自分のこの二か月は無駄ではなかったのかもしれないと思い出した。もちろん、結果がついてくることが素晴らしくて目標に合致したものだとは思うけれど、かといって成果ゼロということでもない。すこし前の自分(今もかもしれない)だったら、目標を達成できずに過程から成果を見つけようとする行為を「逃げているだけだ」と思っていただろう。ここまでの文章が言い訳にも見えている。だけれど、そういう風に揶揄してくる自分はいつも、なにか達成できなかったときの自分なのだ。結果だけを求めていると、その過程になにか価値のあるものを忘れてしまうのかもしれないと、そう思ってあげることも必要だろうか?

まぁこの考えも、目標を達成できなかった私が思っただけなので説得力はないし、前述のとおり人生経験のない若造が言っているだけなのだが笑。

帰国後はまず、DELEのB1に挑戦してみようかと思う。先生からB2の証明書は頂いたが、まだまだ実力不足だ。これをスタートにするのもいいかなと思う。

・ピザ作りと勘違い

スカウトに所属していることは以前から書いているので説明は省かせてもらう。今月の主な活動は、ピザにトマトソースを塗っただけの"Prepizza" というものを作って教会の前などで売るというものだった。(この"Prepizza" は音としては、プレピッサになるが好みじゃないのでこっちで書かせてもらう。)

"Prepizza" の利点として、家庭ごとに好きなようにアレンジできるというものがある。チーズやサラミ、追加のトマトなどをのせてオーブンで焼けばいいだけなのだ。私の好みはじゃがいも、ベーコン、チーズが乗ったアレ。名前は憶えていない。

さて、当日はピザ作りのために朝8時から集まる予定だったが、バスが遠かったことと身支度のために30分ほど遅れて着いた。Googleマップの示す場所に着き、ほかのメンバーの声が聞こえてくる場所を見つけた。しかし入口が分からない。朝に住宅街で叫ぶわけにもいかない上、メッセージを送ってもピザ作りに集中していて返信は来なかった。そのため、とりあえず可能性の高かった、開いていた門からお邪魔したのだ。

門を通って裏庭らしき場所に入り、塀越しにみんなの姿が見えた。声をかけたが聞こえていないようだった。何度かジャンプしたり名前を呼んだりしていると、うち一人の友達が気づいてくれた。以下はその時の会話。

私「おはよう。どこから入れば良い?」

友達「え?ああ、おはよう。どこから入ったの?」

私「そこの開いている扉から……。ここのドアってそこと繋がっているんじゃないの?」(左の、壁に沿うように設置されてある扉を指さす)

友達「え、そこは……」

家の持ち主「(そのドアを開けて)どちら様?」

私「え、ここってそこの家の入口じゃないの?」

友達「うーん、違うね」

その後、他のメンバーに爆笑された。持ち主には友達から説明をしてもらい、そのまま塀を乗り越えさせてもらった。ピザ作りは順調に進み、計7枚ほど広げたと思う。

丸生地のピザを広げるのは初めてだった気がする。先に来ていたメンバーが材料をすでに混ぜ合わせていたので、生地を広げるだけだったのだが、時間が経つごとにだんだんと硬くなり難易度が増していった。もちろんピザはピザ窯で。

昼食にはそのピザとパスタを少し食べ、その日は夕方から別の用事があったので、一人早めに帰った。

・チェス大会

十月の半ばにはチェスの大会があった。中高生が100人ほど集まってそれぞれ五試合行った。初めに述べておくと私の戦績としては、一勝三敗一引き分けという、なかなかなボロ試合だった。ただ、初めての大会参加として一回でも勝てたのは良かったかなと思う。もともとチェスの遊び方は知らなかったがここに来てから、家族や友人とのコミュニケーション手段として始めた。オープニングを崩されたときや、取った駒を再利用できない仕組みには歯がゆい思いをするが、チェッキングやクイーンのあまりの強さには驚かされたし、歩兵でも陣を組むことでかなり役立つのは非常に面白いゲームだと思う。将棋のルールに似ていたのですぐに覚えられたことも幸いだった。

今回の大会において悔しかったのは最後の一戦で、盤面上ではかなり押せていたのだが、時間切れになって負けてしまった。ボタンを押すことに慣れていなくて、相手のターンになってから押してしまったり、もともと時計が壊れていたこともあり、かなりロスしたのかもしれないと思う。ああ、惜しかった……。

十一月にも校内で大会があるため、次こそは、と練習を重ねている。

・留学生同士の交流会

メンドーサ州への旅行から帰ってきた日の夜、サンフアンに来ている留学生で集まって夕食を食べることになった。八月に新しく夏組の留学生が来たので、一度全員で集まって連絡先を交換したり親睦を深めようというものだった。

さてここでまた一つ問題があった。私が場所を見間違えたことで気づけばWi-Fiの安定しない6kmほど離れた場所に来てしまっていた。原因としては同じ名前の地区が二つあり、バスアプリでは全く違う場所が示されてしまっていたことだった。着いた後であまりに違う場所であることに気づき、電話をかけた後近くにいた人と雑談しながら待つことにした。十分後に友達のホストファミリーの方が車で迎えに来てくださり、無事に(問題はあったが)着くことが出来た。その後は布団を取りに行くのを手伝ったり、チョリパンを美味しくいただいたり、ビンゴをしたりした。

実は、冬組として現在残っているのは私だけで、ほかのみんなより一番長くここに滞在している。しかし、やはりというべきか、私よりスペイン語が上手な人のほうが多い。ポルトガル圏の留学生はほぼ普通に話せるし、イタリアからの留学生もかなり速いスピードで習得している。それに驚くとともに嫉妬した。

まあ、何はともあれその夕食会はとても楽しかった。帰るバスがなかったのでそのままそこに泊めさせてもらい(こうなるだろうと思って寝袋を持っていた)、次の日の朝に送ってもらった。そのホストファミリーの人とも連絡先を交換し、今度一緒に寿司を作ることになった。

・今月のまとめ

主に試験に向けて物事を進めていて、時間が経つのがあっという間だったように感じる。スカウトの活動もいくつか本格的に始まり、面白くなってきたところだ(メッセージを確認するのがかなり大変だけれど)。

残りの期間をどう過ごすのかはもう決めてある。今の友達とゆったり、だけれども大事に過ごして、家族にも料理やなんらかのイベントを通じて感謝を伝えれたらな、と思っている。(例えば、この間鉱物の皿うどんを作りここの兄妹と一緒に食べた。兄のほうはかなり気に入ってくれた。)

誕生日を迎えたら、ワインセラーを見に行きたいと思っている。サンフアン州やメンドーサ州はワインの質が高いことで有名であり、ブドウ畑もよく見かけられる。近年はその規模は減少気味だというが、それでも広いことには変わらないので、そこから作られているワインはどんな香りがするのかが興味はある。

では、また来月に。

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第8回 留学体験記

2025年10月10日 10時46分
アルゼンチンに春が来た。
 そのことを実感したのは、街路樹に花がついた時かもしれないし、コートの中着を取り外した時かもしれない。はたまた、もしかすると、学校で春を祝うお祭りが開かれた時かもしれない。まぁいずれにせよ、春が来た。
出発した二月、日本は冬でありアルゼンチンは夏だった。一年ぶりの春を見ることなく、ちょうどのタイミングで出発したのだ。羽田空港で友達に「留学前の意気込みは?」と聞かれて、春遠し~などと五七五を言ってみた記憶がある。思い返すと少し恥ずかしい……。
何はともあれ、今月の私は春の陽気にあてられたのかイベントに参加したり、出かけたりすることが非常に多かった。という訳で、今回もこの一か月の主な行動を時系列順に報告していこうと思う。ちなみに敬体から常体に変わっているのは、そっちのほうが自然に書けるからだ。
九月五日、スカウトチームの旗を作るために、友人の家に行った。まぁ、手伝えたことはあんまりなかったが、普段はゆっくり話せない友達と色々話せてよかった。向かう途中でバスを降りる場所を間違えて三十分くらい迷ったのもいい経験だと思える。
そして次の日、午後四時からのスカウトの活動に行った。スカウトという名前だけれど、主な活動はメンバー同士の親睦を深めたり、これから行うボランティア活動を計画し行うことだ。後述するが、教会でパンを売ったりすることもある。この日のスカウトの活動に行く途中に寝過ごしてしまって、目的の公園から2km離れた場所についてしまった。幸いにも早めに出ていたので、二十分ほど歩くだけで着いた。この日の活動は来週キャンプに行くための準備で、想像していたより疲れた。
九月七日、ビリヤードをするために友達と一緒に中心街へ行った。ここまでの流れでなんとなくわかるだろうと思うが、店は閉まっていた。日曜日はだいたいすべての店が閉まることを感覚として理解していない私は、またもや間違いを犯した。なぜ学ばないんだろうか……
気を取り直して、Un Rincon de Napoli[ナポリの街角]というお店に入って、信じられないくらい美味しいピザとエンパナーダを食べた。一か月近く経っているが、今思い出してもよだれがあふれてくる。程よく溶けたチーズとオレガノの香りが抜群で、生きててよかったと思った。エンパナーダも綺麗に焼かれていて、ハムチーズと肉の具材の両方を交互に楽しんだ。(個人的には、家で食べるエンパナーダのほうがもっと焦げてて好き)
その後はMatiasが手伝っているフェリアのブースに入って、話しながら設営を手伝った。彼はロシア出身で祖父母と暮らしている。彼の家のバクラヴァをはじめとするすべてのお菓子はとんでもなく甘くておいしい。レシピを聞いてみたが、秘密だと言われた。ますます美味しく感じるのは気のせいだろうか。
九月十一日、この日はDía del Maestro で、先生へ感謝を伝える日だった。ホストペアレンツはどちらも小学校の先生なので、ホストシスターを手伝って料理を作った。パンケーキとトマトスパゲッティ。恥ずかしながら私はパスタのゆで方を知らないので、トマトソースとパンケーキを担当した。いくつか焦がしたりしてしまったけど、喜んでもらえたのでよかったかなと思う。
その週末、再びスカウトのキャンプに行った。本来はテントを張る予定だったのだけれど、強風のため体育館で寝た。このキャンプでは次のリーダーやこれから行うボランティア活動の内容を決めたりと大事なもので、ほかの地区からの参加者もたくさんいたので質問攻めにあったり、アニメの話で盛り上がったりした。今回は、前回の様に体調を崩すこともなく参加できたのでとても楽しかった。次のキャンプが楽しみだ。
帰り道のバスの中で、同じ町に住んでいる女の人から話しかけられた。聞くに彼女はアジアの文化に興味があって、日本語、韓国語、中国語、タイ語などを勉強しているのだという。身近にそんな人が住んでいたことに驚きだった。水曜日に家にも来てもらって、いくつか話をした。ホストマザーの前だったせいか、緊張して文法や単語が飛んで行ってしまったけれど、楽しく会話できたと思う。緊張した原因として彼女が三十台であり、普段から話しなれていないほぼ初対面の人であったというのもあるかもしれない。
二十一日には友達とフェリアに行き、カフェでスムージーを飲んだり花を買ったりして楽しんだ。その後、友達のブースに行ってだらだら喋っていた。なんというか表現するのが難しいのだけれど、外国での生活にずっと付きまとっていた小さなストレスが、ぜんぶ吹っ飛んでいくくらい、本当に楽しかった。今までの友達との外出の中で一番かもしれない。なぜかは分からないけれどそう思った。
それからほかの週に、友達の家に行ってレコードを聴いたりAFSのミーティングでギター弾いたり、抹茶パウンドケーキを持って行ったり、またもやバスで迷子になって3km歩いたりしたが、ささいなことだ。
さて、ここからいくつか話は飛ばして、最後にちょっとした事件を紹介しようと思う。留学の楽しい話ではないので、気にならない人は、ここで読むのを止めて構わない。
二十九日、私たちは恐喝に襲われそうになった。学校終わりのシエスタの時間、中心部にあるサンフアン州庁の庭で友達と寝転がっていると同年代に見える(正直言って)ガラの悪い少年5人組がやってきた。彼らのスペイン語の発音はかなり圧縮した発音で、聞き取れない部分も多かった。始めは軽い話だけだったのだが、持っていたクッキーとチョコラターダをみて、(まぁずうずうしくもというか)くれ、と言ってきた。私たちはトラブルを避けたかったし、逃げるにしても2対5、かつリュックがあったのできつかった。
ひとまず問題を回避し、階段を上って一息。このとき友達は先ほどの五人組の相手に疲れていて、スペイン語をしゃべれなくなっていた。(しばらくロシア語を独り言ちていて、あまりのギャップに結構笑ってしまった)
先ほどのことがあったので、周りを警戒していると、黒い服を着た男性(以下、黒)が近づいてきた。彼は階段下に立っており、別の道から来た青い服の男性(以下、青)に手を振っていた。ここでおかしかったのが、黒と青の間は10mほど離れているのにもかかわらず、近づかずにジェスチャーだけで会話をしていたことだった。ふつう10mもあればもっと近づくか、声を出すだろうと思ったし、ジェスチャーも「回り込もう」と言っているようだった。それに、さっきの少年たちとのやり取りを見ていて、楽に襲えると思われたかも、とも思った。
違和感と不安を感じ、その場を離れることにした。内心焦っていて、移動している途中に「くそっ」とか「ああ、めんどくせぇ」だとか何度か言ってしまった。焦ると母国語が出るのはみんな共通なのかもしれない。
実質的に黒と青から逃げ、ある程度離れたところで後ろを振り返ると、青が階段を上がってきていて私たちの進行方向を確認していた。
その後警察を呼んで、先ほどあったことを話して家に帰った。思い返せばアルゼンチンにおいて、シエスタの時間中に少人数でいて、かつ中心部といういろんなタイプの人が集まる場所は危険なのだ。実感が足りなかったように感じる。反省。
今月は色んな予定とイベントがあった。楽しかったり、不安になったりしたけれど(安全圏から)振り返ればどれもいい思い出だ。10月には、フォルクローレの発表やスペイン語の口頭試験がある。主には試験対策をすることになると思うが、いい経験だと思って楽しんでいきたい。残り少ない留学生活を悔いのないように過ごしたいと思う。

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第7回 留学体験記

2025年9月7日 09時27分
 「八月」と聞いて、何を頭に思い浮かべるでしょうか。海やプール、すいかやそうめんを思い浮かべることが多いでしょうか。今年の八月、私は冷たい風の吹く中コートに身を包み、暖炉の前で震えながら過ごしていました。先月よりは寒さも幾らか和らぎましたが、それでもヒートテックがないと厳しい冬が続いています。
 今月の21日で留学生活も半年が過ぎ、ちょっとした節目を感じています。帰国までの残り期間で何ができるのかを考えて、焦ったり寂しくなったりしていますが、なによりも自分の納得を優先しようと思います。
 八月の初め、私はAFSサポーターの方と、アメリカからの留学生の友達と登山に行きました。サポーターの方がハイラックスみたいなごつい車を持っていて、それに揺れに揺れながら舗装されていない山道を進んで行きました。それはもう尋常じゃないくらいに揺れ、ディズニーかUFJのアトラクションくらい揺れていました。幸い、全員が乗り物酔いをしないタイプだったので無事に登山口までたどり着くことができました。登山と言っても、決まった道があるわけではなく乾いた川の跡や、ごつごつした岩のかけらを踏み越えてハイキングをしていた印象ですが。
 今回の登山は、月一回の軽い報告も兼ねていたので、とりあえずのゴールでマテ茶を飲み、自分のスペイン語がなかなか上達しないことを話したり、同行していた留学生の友達自身のことについて尋ねたりしていました。帰るときに近くの山に向かって、やまびこを試したり、打ち捨てられていた廃車の中に入ったりしていました。(やまびこをするときは"Eco"と言います。動詞Echarの名刺版ですね。)
 その次の週、八月七日には原爆についての校外学習があり、小学校のときに広島の原爆ドームに行った話をしたり、みんなで折り紙を折ったりしました。日本以外の国でも原爆について教えているんだな、と興味深く思いました。授業内容としては、原爆は誰が作り、どんなサイズで、どんな影響があり、今サンフアン市内で爆発したらどこまでが実際に被害を受けるのか、というものでけっこう面白く聞けました。(説明の内容は半分も分かりませんでしたが、知ってたので推測できました)
 その日の放課後に友達からアルゼンチンの戦争について聞いたりおしゃべりしたあと、別の博物館のなかにあるキッズスペースでジェンガを四回くらい遊び、引き分けになったところで持ち越しました。……ここから友達間でのジェンガブームが幕を開けるのですが、それはまた別の機会に。
それから八月後半までに、こまごまとしたことが幾つかありました。こんな感じに。
・友達と美術館に行く。
・人生初めてのネットカフェに行く。
・メンドーサ州に再び行き、ホストシスターの誕生日を公園で祝った。
・カップケーキがもらえるという情報に釣られ、未だに正体が分からないワクチンを打つも、会場が違ったのでケーキを食べられなかった。
・エッグタルトを作ろうと試みるも、枠に対して材料が足らず、かつ生焼けっぽくなった。カスタードのつくり方は理解したが、お腹を壊すかもしれないという恐怖が二日間くらいまとわりついていた。
・初めてスカウトの活動に参加する。本では知っていたけれど、実際に参加したことがなかったのでいい経験になっていると思う。これからも参加し続けるつもり。友達もできたし。
・「こどもの日」におやつセットをもらう。お高めのアルファホールが入っており、しばらく温存しておいたが誘惑に耐えきれず食す。
・休み時間に「進化版UNO」のようなものをする。手札が50枚を超える。
・放課後の暇つぶしにサンフアン州の市民センター(字面では小さいイメージだが六階建ての巨大なビルである)に行き、町の風景の写真を撮った後、友達のおばあちゃんの職場にお邪魔する。外の広場でその友達(空手を習っている)の提案により、私は空手の技を、その友達は背負い投げをそれぞれ体験し草むらに寝転がる。
・ヤギのチーズをバザーで買い、食す。
・再びPijamadaに行き、300ピースある「凱風快晴」のパズルを二時間かけて組み立て、ホラー映画を見た後お好み焼きを作る。友達が初見でひっくり返すのを完璧にこなし、めっちゃはしゃぐ。(だって彼女、フライパンを上に振るだけでひっくり返したんですよ!)
・イタリアに帰った友達に送るために、レモンを握りつぶして汁をジュースの様に飲むという動画を取ろうとしたところ、思ったようにいかず汁が顔全体にかかったうえ、目に入り悶絶する。
いつも放課後に話している友達と一緒にPanchoのお店に行ったり、ミルクシェイクを飲みに行ったりする。
・クラスに新しく留学生がやってきて、みんなでお祝いした。一緒にコーラも飲みに行った。これからの留学生活をぜひ楽しんでほしい。
と、ここまでまとめてみましたが自分でも結構楽しんでいるなぁ、と思います。
さて、最後にはこの間あった月末のキャンプについてまとめます。
 このキャンプはスカウトの活動の一環として行われ、本やテレビで見聞きしていたような"スカウト"の活動でした。ひもを結んで足場を組み立てたり、清掃活動をしたり、一つのテーマについて考えて意見を発表したり、ヒントを探して暗号解読を行ったりと様々でした。正直なところ、参加を決める前から実際に着くまで、何をするか具体的に全く知らなかったのですこし怖く、面倒くさく思っていました。でも、スカウトのキャンプと言ってもみんなカードゲームをしたり、本を読んだり、暖房器具の近くで寝たりと気ままだったので、落ち着いて過ごすことが出来ました。
 これらの活動は本当に楽しかったのだけれど、実は頭痛が常に襲ってきており、いつもよりも聞き取る力が低下していたので大変でした。毎回友達に何をすればいいのか尋ねて何とかこなしましたがそも、単語も普段使わないものが多かったので難しかったです。それでも教えてくれようとしてくれた友達に感謝。ありがとう。めっちゃ助かりました。
また、この二日間雨が降っており、気温は2度まで下がっていました。一部では雪も降っていたようです。その上、寝袋しか用意しなかったのでちょっぴり寒かったです。次のキャンプにはマットを用意しようと思います。
 最後にスペイン語の状況について。自分のInstagramのほうではB1くらいと書きましたが、正直なところまだA2にとどまっていると思います。まだ語彙が少なかったり、話すスピードが遅かったり、文法が正確ではなかったりといった感じです。(最近感じたのは、"持って行く"と"持ってくる"の使い分けです。いつも前者ばかり使うので、たまに後者のシチュエーションになると良く間違えます。)
 話を聞いて要点をつかむことはできるのですが、表現までは追い切れていません。でも、友達との会話はほぼ困らなくなり、翻訳なしで一日の会話を終えることもできるようにはなりました。でも、長い説明を理解しきれない自分と友達と会話をこなせる自分と、どちらを信じればいいのでしょうね……。まぁ、そこらへんが今のところの悩みになります。
またの機会に。
では。
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第6回 留学体験記

2025年8月7日 18時55分
 7月に入り、アルゼンチンでの留学生活も折り返し地点を迎えました。ここまであっという間だった気もするし、長かった気もしています。残りの5か月半、今出来ることを全部やりきるつもりで生活していきたいな、と思います。
 今月はほとんど冬休みの期間だったので、普段は出来ないことがいくつも出来ました。お泊まり会やお好み焼き作りなどから順に書いていこうと思います
 月始めにPijamada(お泊まり会)がありました。同じAFS派遣生の友達の帰国が近づいたので、仲の良い友達で集まってピザ作りをして、チョコケーキを食べることになりました。
 ちょうどその週は"La semana de la Dulzura" (スイーツの週)という一週間で、「みんなで甘いものを食べよう!」という雰囲気がどの友達やお店からも発されていました。友達にお菓子を渡したり、一緒に食べることで感謝の意も含まれているのだろうと考えています。
 さて、お泊まり会の会場についた私達はまず、ピザ生地をこね始めました。と言っても、スペースが無かったのと、その友達がピザ作りの達人のように生地をこねていたので、私がしたのはツナ缶の油を抜いて、ピザ窯からピザを取り出して切ることだけでした(笑)。
 ピザを食べながら、弟に初めてビデオ通話をして近況報告をしたり、ダーツ(おもちゃ)で遊んだりしました。その後はテントを組み立てたあと、夜2時くらいまで頑張って起きていましたが、睡魔に勝てず他の四人よりも先に寝てしまいました。
 起床したあと、友達二人と軽く散歩に行き、フクロウを見ました。地面の中に住むタイプのフクロウで、近づくと鳴き声を上げて飛び去っていきました。
 私は生まれて初めて生の野生のフクロウを見たことで嬉しくなってしまい、十分くらいずっと、近づいて追いかけてを繰り返していましたが、気づくと一緒に出ていた友達二人は先にテントに戻っていたので、後ろ髪を引かれる思いで帰りました。
 そんなこんなでお泊まり会を楽しみ、冬休みの良い思い出になりました。
 その2日後からも3日間ほど街に出て、友達の家に行ったり、留学のサポートをしてくださっている方と定期談話をしたり、ホストシスターの誕生日会に行ったりと、イベントが盛り沢山でした。
 冬休み最終週に、今まで延期にしていたお好み焼き作りを決行しました。手に入る材料が限られているので、天かす代わりにスナック菓子を使ったり、豚バラが無かったので、塊を層ごとに切ったりして、なんとか形にしました。
 家族からもぼちぼち好評で、日本から持ってきたお好み焼きソースにかなり助けられたなぁ、と思います。
 なぜ"ぼちぼち"なのかというと、アルゼンチンではキャベツを主体にした料理が少ないので、口に合いにくかったのだろうと思います。(私の説明不足もありますが)
 また、同い年の友達の家に行き、バクラヴァを食べさせてもらって、くだらない話もたくさんしました。翻訳アプリがまだまだ必要ですが、前に話したときよりも会話が幾らかスムーズになって、進歩しているのを実感できました。
 そう言えば、先々月から行き始めたジムは前触れなく、往復一時間半かかる場所に移転しました。これからは散歩の量を増やさなければ。
 今月は自分の状況について、特に悩んでいました。半年近く経っても会話を膨らませることが出来ず、学校終わりに一人で行動することも頻繁にあります。
 まだ身に付ききっていないスペイン語を使っているので思考力も落ちており、勉強しても身に付いているのかそうでないのか、分からなくなります。
 でもきっと、これはずっと考え続けてしまうだろうし、学んでいく上で必ず通る道なのかも、と思います。
 他のAFS生のインスタグラムの投稿を見ると、自分がすごく置いていかれている感覚がします。難しいけれど、ある意味「自分は自分」と考えて少しずつでも成長して、自分を納得させてあげたいです。
 そう。例えば8月からは、学校終わりに友達をどんどん誘ったり、近くの小さな博物館に入り浸ろうかな〜。
 そんな調子です。

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第5回 留学体験記

2025年7月8日 09時56分
 六月。すでに季節は冬になり、マフラーが欲しくなってくる頃です。今月は学校で文化フェアがあったので、一か月を通してそれに向けての準備をしていました。先月作ったあんこをより美味しくできるようにリベンジして、納得のいくものを完成させることが出来ました。あんこを作るために小豆豆が必要だったのですが、売っていなかったので、赤インゲン豆で作りました。
 私が現在通っている Escuela Normal Superior Sarmiento には他の国からもAFS生が来ていて、英語の授業の一環で互いの国を紹介するイベントがありました。クラスごとに複数のグループを作り、それぞれが一つの国についての発表を体育館のような場所でする形式でした。以前作っていたスライドを元に展示物を作成して、前述のあんこをもとにどら焼きを作りました。それぞれの国についてのクイズもあって、いろんな生徒と交流できて楽しかったし、お菓子も好評で充実したフェアでした。
 また、月の中盤にはメンドーサ州に旅行に行きました。一番上のホストシスターが大学生でメンドーサに住んでいるので、四連休を利用して会いに行きました。車の中でカードゲームなどをしていましたが、ふと外を見ると荒野に突入していて地平線が広がっていました(写真とは反対方向にありました)。人生初の地平線で車内なのにテンションが上がってしまいました。
 さて、メンドーサ州ではCharly Garcia のCDを買いに行ったり、大きな公園に行ってゆっくりバザーを見たりしました。また15日は父の日で、日付が変わった瞬間にお祝いしたりもしました。この日の夜は最近ルールを覚えたTrucoをしていました。
 そして月末には、久しぶりに風邪をひきました。39.5℃まで上がりましたが、症状が基本的なものくらいだったので幸いでした。手洗いうがいとか忘れてたのがよくなかったですね。これからは半袖で寝ないようにします。
 
 今月ほかにあったことと言えばこんな感じです。
・地理のテストで点数が足りず、冬休みに補習に行くことが確定。(無事合格しました)
友人の散髪について行って暇だったので顔そりをしてもらったこと。すっきり~。
・クラスの女の子たちとお菓子をもってピクニックに行った。
・ベルトを買いに行った際に、ジャージを買った。いままでジャージを倦厭していたのだけれど、けっこう便利で内心驚いている。
・文化フェアの時に友達二人にパンケーキをお願いしたら、タコスに使うような生地を作ってきたこと。アルゼンチンではパンケーキと言うと薄いものを指すのだという。これはこれで面白かったのでよかったかなと思う。
フリーレンとかエヴァの同じ話を日本語で見た後スペイン語に切り替えて三周くらいするのにはまった。ネットフリックスを一緒に使わせてもらっていて、前から見たいと思っていたRRRを英語で見たりした(さすがに最初からスペイン語はまだ無理……)。
 
と、ほどほどに息抜きをしつつ少しずつ話す量やリアクションのレパートリーを増やしていっています。来月七月はほとんどお休みなので、友達と遊びに行ったり、お好み焼きを作ったりしようかなと思います。
体調に気を付けて。
では。
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第4回 留学体験記

2025年6月5日 15時07分

 部屋にカレンダーは置いていないけれど、街路樹を見るたびに季節の移り変わりを感じます。アルゼンチンはいまは秋で、黄色くなった葉っぱが毎日少しずつ散って冬への準備をしています
 留学生活において、最も重要とされる最初の三か月を振り返ってみると、無意識に日本の価値観のまま生活していたなぁ、と感じています。「特にどの部分がどうこう〜」というわけではありません。日常生活のちょっとした違和感が積み重なって、俗にいう、カルチャーショックなるものになっていくのかもなと思いました。
 今月は、友達の家に遊びに行ったり、街に出かけたり、ラーメンを食べてもらったり、日本についてのプレゼンをしたりと、まぁ、考え付く順に言えばいくつかのイベントがありました。さすがに、このページに今月のすべての内容を書くだなんてことはできないので、適当に見繕って書いているのだけれど。
 スペイン語の上達具合についてはまだまだというしかありません。今月はこんなことがありました。先月より会話量が増えたので、自分から質問したりすることが増えました。でも、私の文の組み立て方が間違っていることが多く、よく"No entiendo" と言われます。直訳してしまうと「理解できない」となってしまい、きつく聞こえますが、実際の感覚としては「ちょっとわからんなぁ」くらいです。しかし、私の脳内ではentiendo は「理解する」として覚えていたので、言われるたびに心にグサッと来ていました。
 このように、辞書や翻訳アプリの通りだけに覚えていると、思わぬところでダメージを受けます。一つの表現だけにとどまらず、幅をもって「理解する」ことが必要だと知ることが出来ました。まぁ私のメンタルが弱いだけかもしれませんが(笑)。
 留学に行く前、スペイン語のサーチの段階として、「日本人にとってスペイン語は簡単かも!?」みたいな動画とかサイトとか見たりしていましたが、それは入口の問題であって、過程はどの言語も厳しい、と最近は思います。文法が理解出来ていても、単語量が少なければ会話についていけないし、指示も理解できません。前に勉強していたギリシャ語と比べても、難易度はさほど変わらないと思います。あんまり、こういう表現は好きではないけれど結局は「やるかやらないか」になります。なので、最近はeasy spanishというYoutubeとankiというアプリを使って、耳と語彙力を鍛えています。……鍛えると言えば、今月初めからジムに通いだしました。月水金と順番に鍛えるのは身体にきますが、新鮮だしどうせなら楽しもうと思います。ほぼ毎日筋肉痛。目と耳が筋肉痛にならないのは、この三か月最大の幸いです(笑)
 ふと思い出したのですが、前にニュージーランドの説明会の際、教頭先生の宮武先生が、「言い方は悪いけれど留学は苦労をお金で買うものだ」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。この三か月間で何度も頭が真っ白になる体験をしたし、言葉が通じなくて悔しい思いもたくさんしました。きっとこれからも何度も経験すると思います。
 でも、言葉が通じた時にはすごくうれしいし、気持ちを共有できた時は一緒に楽しむことができます。これらの体験が、人々を留学へと駆り立てるものなのかな、と考えました。
 ……と、まだ三か月しか経っていない人間が大層なことを書き連ねましたが許してください(笑)。一応全部事実だと思っています(笑)。
 正直に言うと、現在のスペイン語の理解度は三割程度です。日常会話や友達の話はある程度こなせるけれど、授業やジムでの会話はほとんどできません。(話がたいてい長いので、集中力が切れてしまう。)いつも友達に頼りっきりなので、半年たつ頃には六割くらい意味を理解できるようになりたいな、と思います。また、六月には学校で文化フェアがあるので、そのためにどら焼きを作ろうと思います。さっき、この文章を書く前にあんこを作ってみたのだけれど水分が飛んでしまって、徳島県の県境で売ってる甘納豆みたいになってしまいました。どなたかしっとりしたあんこのつくり方を知っている方はこのブログにコメントする形で教えてください。
ではまた来月。

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P.S. このアルゼンチンだよりにはコメント欄はありません。

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第3回 留学体験記 

2025年5月1日 15時04分

 四月が終わり早くも五月になろうとしています。スペイン語も基本的な動詞や名詞も覚え、過去形や現在完了を勉強する段階になっています。最近難しいと思った文法は「再帰動詞」というものです。これは、動作をする人物の行動がその人物地自身に帰るというものです。たとえば、「わたしは朝七時に起きる」という場合は"Me levanto a las siete" (わたしは自分を七時に起こす)という文になります。こうやって書くとなんだか回りくどいなぁ、と思うかもしれませんが日本語の場合は動詞のなかにすでに含まれていたり、英語であればoneself やyourself を使って表すことができます。これだけなら簡単なのですが、再帰動詞を使うことによって意味が変わる場合があります。"Ya me voy" と"Ya voy" にはそれぞれ”irse” と ”ir” が使われていますが、前者は「もう帰ります」後者は「もう行きます」と、進行方向が逆になっています。ここが文章や会話でネックになっているところです。

 困っていることは、スペイン語の綴りは英語と語源が同じなので文章上では読めるのですが、音として聞くとなかなかわかりません。そのため、なんとなくわかる言葉に関しては、勉強しても英語に引っ張られてしまうので進展が遅いのが問題です。

 最近嬉しかったことは、値段をきちんと確かめることが出来るようになったことです。先日、クラスの友達と学校終わりにジュースを飲むことになって、バス停前のテーブルにつきました。一本2600ペソで、三本買って15人で分け合うのに1000ペソ出して〜と言われました。まぁもちろん相手側も冗談だったのですがそれで30分くらい話して520ペソですみました。(まぁそのあとに一人がお金を忘れたから貸してくれといったのでしぶしぶ貸しました。多分帰ってこないと思います。)

 このような感じでアルゼンチンでは過ごしています。ときどき言葉が伝わらなくて、お互いに困ることも結構ありますがこれからもっと表現を覚えて日本語を話すように会話できたらいいなと思います。

 ここからは結構どうでもいい話になるのですが、Google mapとChatGPTを使って、自分が住んでいる地域の地形について調べてみました。添付した写真の様に山には木や草があまり生えておらず、斜面が砂や礫を中心とした地層になっていると思います。そして地図のように私が住んでいるZondaという町は離れた西にアンデス山脈があり、平原が続いた後Zondaにつながる標高1300程度の山があります。また、Zondaは東に行くほど標高が低くなっていき、東にあるSun Juanの中心部と比べて100mほど高低差があります。よって、Zondaの地形は古い扇状地であることが分かりました。またChatGPTの推測では、フェーン現象が発生することもあり、乾燥帯の気候になっているそうです。

では。

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第2回 留学体験記

2025年4月1日 10時41分

アルゼンチンで生活し始めて1か月が過ぎました。学校にも通い始め、日々楽しく生活しています。まだまだスペイン語の語彙を知らないので授業ではあまり聞き取れませんが、自分から話すことはできるようになりました。まだ過去形や活用語尾の変形方法は覚えきれていませんが、初めての経験なのでどうせなら楽しんでいこうと思います。

スペイン語を勉強していて思うのは、「英語ってなんて簡単なんだろう」、ということと「なんで自分って日本語喋れてるんだろう…?」ということです。こうして文章を書いたり読んだりはできていますが、常に靄がかっているような気分がしています。頭の中で日本語で思考する機会が減ってきていて、口から出るのはぽつりとでる日本語や簡単なスペイン語だけになってきました。

今、英語で話せる時や英語を聞き取る時は開放感がとてつもないです。まるで自分が空を飛んでるかのような気分になります。例えるなら「風の谷のナウシカ」でナウシカが王蟲の金の触手の上を歩いているときみたいな気持ちになります。それくらい原型を覚えたらすぐに使える英語の偉大さを身を持って感じています。

学校生活としては日本で中学3年生にあたる年齢の子たちと同級生なので、数学の授業や英語の授業は楽々とこなせます。授業も長くて13時までしかありません。そのため、午後はゆっくり昼寝をしたりしています。

日本と違う点は、科目が文学、数学、歴史、倫理、公民、社会経済、地学、英語、と社会系が多いことです。歴史も範囲が違っていて、第一次世界大戦を例に挙げるとヌイイ条約やトリアノン条約などドイツ以外の国が結んだ条約についても勉強しています。

今、私はサンフアン州のソンダという町に住んでいます。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから西にしばらく行ったところにあります。(距離としては香川から東京までの距離の2倍です)ソンダは標高750m台の土地で心なしか空が近く見えます。田舎ではあるけれど楽しい生活が送っています。

【食事について】

じゃがいもと肉がメインです。海からかなり遠いので魚介類は滅多に食べません。また、ファクトゥーラというお菓子兼朝食が甘くて美味しいです。おすすめです。また、dulce de lecheという牛乳と砂糖を煮詰めて作ったクリームも美味しいです。そして、お寿司は私たちが普段食べるものとは違います。面白いのは海苔じゃなくて米が外側にあること。寿司も普通から甘いのまであります。甘いのは慣れていないのでたくさんは食べれなかったですが、面白いな〜と思いました。

さて、このあたりで今月分を書き終わります。アルゼンチンがどんな国か少しでも伝わればいいかなと思います。では。

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第1回 留学体験記

2025年3月4日 18時39分

こんにちは。留学体験記の寄稿を月に1回、計12回考えています。まず、この文章を開いてくれてありがとうございます。これは私がアルゼンチンへの年間留学に挑んだ際の記録でありレポートです。ちょっと気になった人や留学に行こうか考えている人などが読むと思いますが、どんな人にも幾らかの期待と驚きをもたらすことが出来ればいいなと思います。

私は、AFSという団体を通じて留学に参加しました。留学先がアルゼンチンに決まり、これを書いている一週間前に、アルゼンチンに到着しました。飛行機は合計で33時間かかり、行くだけでくたくたになりました。そして、なんとWi-Fiもありませんでした。本来はもう少し早く行くことが出来たはずでしたが、今はロシアとウクライナが戦争をしているため、ロシアの領土の上ではなく、北極の上を通っていきました。こういうところにも影響があるんですね。

留学を始めて1週間が過ぎました。この1週間がどんなものだったかを振り返って思うことは、まず日本とは時間の進み方が違うということです。実際には同じ24時間なのですが、アルゼンチンの人は朝8時くらいに起き、午後に2時間ほど昼寝をして夜は12時頃に就寝という生活リズムです。今は長期休暇の途中だからというのもありますが、何といっても1日が長いです。1週間を1か月だと感じました。日本でいつも通りの生活を送ってたら1週間なんてあっという間なのに。1日のスケジュールとしては、午前8時起床、午後1時昼ごはん、午後2時から5時くらいまで休憩、午後10時夕食、という感じです。

毎日大量のスペイン語に晒され、英語を仲介して話すことになっていますが、ホストファミリーはとても親切で、アルゼンチンの料理もおいしいため、日本に帰りたい気持ちはあまり起きません。この前、私がこれから通うことになる学校に行きました。中学3年生と同じ年の子たちと同級生になるのは、なかなか新鮮で楽しみです。授業はすべてスペイン語ですが、心の中では正直「3か月経てばだいたい分かるようになるって聞くし、悲観的になることはないだろう」と考えています。では、次の機会にまた。

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