校長室より

高松高校同窓会【玉翠会】について

2024年7月3日 15時00分

本校の同窓会組織は『玉翠会』といいます。以前にも書きましたが、本校の前身の一つである香川県立高松中学校(男子校)の同窓会が『玉藻会』、もう一つの前身香川県立高松高等女学校(女子校)の同窓会が『晩翠会』であったところ、昭和24年に二つの高校が合併して現在の高松高等学校が出来上がった際に、同窓会組織も合併して『玉翠会』が設立されました。全日制・定時制・通信制の各課程とも卒業生は全員が会員となりますので、現在の会員数は4万3千名をこえます。会則の第2条に「会員相互の連絡と親睦を図り、母校の発展を期するを目的とする。」とある通り、玉翠会をプラットフォームにして同窓生が縦にも横にもつながりを拡げて交流を深めるとともに、奨学金の給付やGGA(先輩講演会)の講師手配、コロナ禍でのスポットクーラーご寄贈など現役生徒へのご支援もいただいています。また、10年ごとの周年行事を玉翠会が主体となって実施する点は、他校ではあまり見られない形式かもしれません。昨年度に行われた創立130周年記念行事においても、記念誌の発刊(玉翠会HP上での公開)、創立記念文化祭における『玉翠庵』の運営などでご尽力いただきました。残すところは今夏8月10日(土)に開催予定の創立記念祝賀会のみとなっており、想定を上回る参加申し込み数となっているそうで、大変楽しみです。

本校の卒業生は、県内に限らず全国や世界で活躍されている方も多いため、東京、関西、東海、岡山、徳島の5つの地域に玉翠会が設立されており、それぞれ独立して活動をしています。ここで各地の玉翠会のここ一年の活動などを簡単に紹介しましょう。

【東京玉翠会】 玉翠会本体に負けない規模を誇り、平成27年開催の第33回総会では1200名を超える参加者数でギネスブックに掲載されました。今年の総会は6月8日(土)に5年ぶりの対面方式で東京プリンスホテルにおいて開催され、関東一円や高松などから約750名の同窓生が集まりました。普段から会員の皆様のご趣味などでの活動も盛んで、囲碁、観劇、ゴルフなどの同好会、大江戸散歩隊や高高神田会など地域性の強い集まり、部活動に端緒のある東京TBB などの交流も行われています。また、インターネット研究会による独自のHP・ブログも開設しています。毎年本校へ図書購入費をご寄付いただいています。

【関西玉翠会】 歴史を紐解くと戦前より晩翠会の京阪神支部の会合が開かれており、昭和28年に関西晩翠会の発足、昭和33年に大阪高松中学校同窓会第1回総会の開催、昭和38年に玉翠会京阪神支部の結成などを経て、平成6年の本校創立100周年を区切りとして関西玉翠会に名称変更がされて現在に至ります。常任幹事会ががっちり固まっている印象で、他にうどん部、ゴルフ部、カラオケ・コーラス部といった活動や、卒業年次ごとの集まりが活発なようです。今年の総会は10月26日(土)にアートホテル大阪ベイタワーで開催される予定です。現在、本校の食堂で利用している券売機は、関西玉翠会からご寄付いただいたものです。

【東海玉翠会】 名古屋を中心に三重県から静岡県あたりをカバーする玉翠会です。例年その年度のトップを切って総会が開かれますが、今年は5月18日(土)に恒例の名鉄グランドホテルにて総会が開催されました。土地柄なのでしょう自動車関連のご職業の同窓生が比較的多いようで、そのつながりからなのか、参加者の仲の良さが印象的でした。自動車好きの私にはとても興味深い業界のディープなお話しや車談義も伺えて、個人的にも楽しめた総会でした。

【岡山玉翠会】 各地の玉翠会のラストを飾って開催される岡山玉翠会ですが、今年の第44回総会は11月17日(日)にアークホテル岡山にて開催の予定です。3年間に及ぶコロナ禍では、各地の玉翠会が開催を中止したりオンライン開催を取り入れたりして苦慮するなか、最初に完全な対面方式での開催を実現したのは岡山玉翠会でした。令和4年11月20日(日)に開かれた第42回総会は、医療関係の同窓生が多いこともあってか「ノンアルコール&着座方式」ではありましたが、ここを皮切りに各地の玉翠会が対面方式に戻っていった意義は大きかったと思っています。

【徳島玉翠会】 本校創立100周年を記念して徳島在住の同窓生で設立された徳島玉翠会は、昨年度が設立30周年の年でした。それを記念して本校へご寄付金をいただき、放送局委員会が番組作成で使用する映像編集セットの購入に充てさせていただきました。今年の総会は6月22日(土)にザ・グランドパレス徳島にて行われ、大規模ではないもののアットホームな雰囲気で、クイズや一人一分間スピーチなどで大いに盛り上がりました。

若者人口の減少や社会的価値観の変化などによって、同窓会の活動が縮小しているとか組織の存続が危ぶまれるといった声は高校に限らず大学でも聞かれることで、本校の玉翠会においても全く無縁な話しではありません。しかしながら、「高中」「県女」「高高」といった共通の場所を共有し、「中庭のクスノキが」「食堂のうどんが」「校舎の改築工事が」といった思い出を共有する仲間が、決して過去を懐かしむだけでなく現在を楽しみつつ未来につながる活動を継続している玉翠会の存在は、本校にとって心強い応援団であるとともに在校生の人生のお手本ともなるものだと誇らしく思います。今後の玉翠会をしっかりと支え、さらに充実させて行ける卒業生を一人でも多く輩出していかなければ、と改めて思っています。

高高芸術祭 開催

2023年12月15日 15時30分

今年も恒例の高高芸術祭が1213日(水)~15日(金)に開催されました。

1年生の芸術選択の成果発表である『ハートフルギャラリー』としては30回目、「第九・歓喜の歌」演奏発表会を中心とする『ハートフルコンサート』としては36回目となる今年度は、本校の創立130周年を記念した一連の行事をしめくくる役割でもありました。

【美術】 展示で飾られた自画像では、写実的なものや印象的な作品、また技法も油絵の具の盛り上がりを生かしたものやモノトーンで統一したものなど、さまざまな個性があふれていました。生徒ひとりひとりの「自分観」が垣間見える作品も多く、作者自身にも意外な発見があったのではないでしょうか。また、石膏を削り出した彫造では、思いのほか硬い素材に苦労する様子を授業中に見て少し心配していましたが、できあがってみれば、滑らかな曲面、細部にまでこだわった造形、工夫したアイデアなど見事な作品たちばかりでした。

【書道】 各自が選んだ漢字一文字を石膏板に刻んだ作品が目を引きました。文字を選んだ理由もあわせて読みながら作品を見ると、文字にも背景にもこだわっていることがよく分かり納得の連続でした。また、130周年にからめて校歌の一節を仮名創作とした作品は、柔らかな平仮名と力強い漢字の組み合わせがそれぞれの思いの表現として創り出されていました。

書道については書道部の書道パフォーマンスも14日に行われ、部員達の深く熱い思いが綴られた二つの作品に見入ってしまいました。

【音楽】 応援団のエールから始まった演奏会は、音楽部の合唱3曲、オーケストラ部の演奏2曲、吹奏楽も加わってさらに1曲と進み、ここで今回のスペシャルゲスト、豪州ブリスベンから来日したSt.Peters Lutheran Collegeの高校生約50名の弦楽団の演奏が2曲ありました。7歳ごろから楽器を始めた生徒が多い彼らの演奏は、耳にも目にも「音の楽しみ」を訴える力を持っていました。そしていよいよ「第九・歓喜の歌」の演奏です。もう一人のスペシャルゲスト、朝比奈千足氏に客演指揮をお願いし、総勢120名以上のぶ厚い演奏と160名以上の渾身の合唱が高らかに歌い上げる「歓喜の歌」が、プラザに響き渡りながら上空に抜けていく様子は、本校ならではの第九のあり様としてとても誇らしく感じました。マエストロの退場まで拍手が鳴りやまなかったことからも、演奏会が成功裏に終わったことがうかがえました。観客を保護者の方に限らせていただいたことは本当に心苦しいことでしたが、ご辛抱いただいた多くの方々に、来年度はぜひオープンにお楽しみいただくことができれば幸いです。

 

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130年の歴史のなかで第二次世界大戦や戦後の学校統合、平成の校舎全面改築など大きな変遷を経ながらも、高高らしさを堅持しつつそこに新たな伝統を加えてさらに本校が輝きを増していく、そんな未来を想像させてくれる高高生のパフォーマンスに心酔する三日間でした。

創立130周年記念式典より

2023年10月31日 16時22分

式辞

 秋の穏やかな日差しの中、本校創立130周年の記念式典が挙行できますことを、校長として嬉しくまた誇らしく思います。最近は、周年行事を簡素化する傾向があるところですが、私は現在の本校で学ぶ生徒の皆さんや教鞭を取られる先生方には、これまで連綿と受け継がれてきた伝統やそれをつないで来られた先輩諸氏、その学校生活を見守り続けた校舎施設、などに思いを寄せることで、受け継いできた輝かしいバトンをさらに磨きをかけて次の世代に引き継いでほしいと願っており、その契機になれば、という思いで今回の式典を挙行することとしました。 

思い返せば、私が高校3年生だった昭和58年に、本校創立90周年の記念式典が、現在の高松ミライエの場所にあった高松市民文化センターで行われました。当時の私は気づきませんでしたが、この周年行事の主催者は、同窓会である玉翠会が主体であった実行委員会でした。平成5年の創立100周年の時には、高松市総合体育館において盛大な式典が行われ、その前日に香川県民ホールにおいて行われた音楽会と合わせて大きな記念行事を開催しました。また、この年は第九演奏会も8月に県民ホールで行い、演奏、聴衆両方に大勢の方が集まって壮大な演奏会となりましたが、これらもすべて玉翠会が主体でした。110周年の年には、現在も朝夕ごとにプラザに響いている『独立自主の鐘』と、校長室前にある旧校舎の模型4種類のうちの2棟を玉翠会よりご寄贈いただきましたし、120周年の年にも、校舎模型のうち教室内部を再現した1棟をご寄贈いただきました。今回の130周年においても、玉翠会のご協力で記念誌を発刊することにしていますが、これまでのような冊子ではなく、Web上で公開する新しい形式にしています。生徒の皆さんにも後日パスワードを配布しますので、ぜひ玉翠会のサイトをのぞいてみてください。

 さて、本校の130年の歴史は、昭和24年の統合を境に前56年間と後74年間に分けることができます。

統合前に男子校であった旧高松高等学校は、明治26年、政府が教育制度の近代化、西洋化を目指すなかで、帝国大学への学生輩出を目途とするいわゆる第一中学校として設立されました。当時の名称は『香川県尋常中学校』といい、場所は現在の高松工芸高校が建っている場所、土地の大部分は旧藩主の松平家から寄付されたものでした。校章は二本のペンとそれを貫くホコ、現在は三本のペンとホコで三角形になっていますが、その原型となったひし形のものでした。その後、法令改正に伴って『香川県立高松尋常中学校』、『香川県立高松中学校』と名称を変え通称『高中』と呼ばれるようになります。ちなみに、これは以前にも紹介しましたが、高中の校歌の歌詞は、別のメロディを付けて応援歌『朝日輝く』として残しています。 

一方、統合前に女子校であった高松高等女学校は、私立の『進徳女学校』として明治24年、高中より早く設立されます。場所は天神前にあったお寺の書院を借り、教育内容は和漢と家事、つまり今でいう国語と家庭科でした。その2年後、高中の創立と同じ明治26年に『香川県高等女学校』と改称し、場所も現在本校が建つこの場所に移転したことから、この年を本校の創立年とし、ここから数えて今年が131年目となるのです。明治34年には、当時の美術教師が卒業生のための寄せ書きに描いた図案をもとに「雪持笹」が校章として制定され、現在までほぼそのままに122年の間受け継がれています。明治35年に県立に移管したことから学校名が『香川県立高松高等女学校』となり『県女』の呼称が定着します。

第二次世界大戦の終戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指揮のもとで日本が急速に民主化されるなか、日本国憲法や教育基本法なども次々と制定されて学校制度は現在の形に整理されます。それに従って昭和23年、高中は『香川県立高松高等学校』に、県女は『香川県立高松女子高等学校』にそれぞれ改称され、高中側に通信制課程が、県女側に定時制課程が設置されます。そして翌年の昭和24年に両校が統合されて男女共学の『香川県立高松高等学校』が再編成され、定時制、通信制の両課程もそれぞれ共学となります。校舎は県女側の鉄筋3階建ての校舎が戦禍を免れていたのでこの場所を本館、戦争で被災した高中側の校舎を西館として、しばらくは両方を行き来しながらの学校生活でした。やがて鉄筋校舎の増築が進んで全ての授業をこちらでできるようになった後に、西館はグラウンドの半分と合わせて高松工芸高校に譲渡されました。また、同窓会も統合され、高中の同窓会『玉藻会』と県女の同窓会『晩翠会』から一文字ずつ取って『玉翠会』が発足します。一方、統合されなかったものもあって、例えば校章は2種類が並存する全国でも珍しい学校となっています。当時、校章を統一する考えもあったようですが、生徒のアンケートでは半数強が統一に反対で、賛成は26%にとどまったようです。恐らく、両校の伝統や特色を残したという思いが強かったのではないかと想像します。実際、統合前には統合そのものへの反対もあったようで、高中の2割ほどの生徒、県女にいたっては大部分の生徒が反対だったそうです。しかし、統合後の学校生活は予想以上に順調だったようで、統合から100日がたって行われた生徒と先生方による座談会では、心配されていた両校の学力差が感じられないことや、今でいう校友会活動が共学になって大いに盛り上がったことなどが語られています。また、統合後初代の自治会長は男子生徒が就任しましたが、二代目の自治会長は女子生徒が選出され、この男女共学における女性会長は全国でも初めてのことだったそうです。以降、昭和25年度に女子の制服が戦前のセーラー服から現在のブレザー型に改められたり、昭和26年度に現在の校歌が卒業生の河西新太郎氏作詞、芥川也寸志氏作曲で作られたり、昭和27年度に現在の学年章のバッジが制定されたりして、現在の本校の原型はこの頃にできあがります。 

統合後の74年間の歴史の中で最大の出来事は、やはり校舎の大改築でしょう。旧校舎は昭和13年に県女の校舎として建てられたもので、当時としては近代的で立派な建物であったものの、50年を超えて老朽化が進んでいたことに加え、増築を繰り返した不具合、新しい教育方法への対応不足などが目立ち始めたことから、本県の基幹校としてふさわしい校舎機能に刷新するべく、昭和61年、体育館の建築工事を皮切りに改築が始まりました。昭和63年に体育館が落成、平成3年に現在の新校舎が落成、平成5年にグラウンドが竣工、平成8年にアルカディアや部室棟が竣工と、実に足掛け10年の大工事によって建造物のほとんどが生まれ変わりました。残っているのは、旧正門が北東の角に、旧校舎の中庭にあった大楠など何本かの樹木がグラウンド東面のメモリアルゾーンに、旧校舎内の木造階段や円柱などが図書館前の階段横に、などいくらかだけです。旧校舎で学んだ卒業生にとっては一抹の寂しさもあったものの、新築なった現校舎は、やはり立派で壮麗なものでした。建築当時、校舎の5階建ては県下にまだなかったのですが、玉翠会の所有であった玉翠会館を上に載せるという理由で建築許可がおり、またそこへ出入りされる同窓生の利便性を考えて、これまた県内でまだなかった一般校舎でのエレベーター設置が実現しました。新校舎の特色としては、第一に「教える学校から学ぶ学校へ」ということがあげられ、各フロアに各教科のメディアセンターやゼミ室といった「学びの場」とコモンスペースの「談話の場」を設置したことで、生徒が自主的かつ主体的に学びを深める仕掛けを用意しました。第二に「快適な生活空間の形成」があり、コモンスペースや校舎中央に設けたプラザを利用して、生徒が交流や団欒を深める場としています。建築当時としては斬新で重厚なつくりのこの校舎も、今年で33年目を迎えるに至って、少し傷みが見られる場所や、ノンバリアフリーなどの設計の古さが見られる点も出てきていますが、校舎建築に込められた本校への思いや理念は、確実に伝承されているものと考えます。

理念と言えば、本校には校訓と呼ばれるものがなく、校歌に歌われる『独立自主』の精神が受け継がれていることは周知のことでしょう。この『独立自主』は単なる個人的な自由や気ままといったことではなく、社会や人類全体を俯瞰したうえでの高邁な理想や崇高な精神を胸に、自らの使命を自らの才覚と努力の積算によって実現させていく高高生の姿を表現した言葉だと思います。校歌に歌われたから高高生の本懐となったのではなく、当時の高高生に備わっていた気風を歌詞の中に落とし込んだものだと考えます。例えば、戦争中の高中時代には軍事教練という軍隊用の訓練が教育活動に組み込まれましたが、実は「高中の軍事教練は県下最低」と評されていたそうですし、そのことを当時の校長先生は怒らなかったそうです。また、進学先も軍関係の学校がことさら増えることはありませんでした。世間にまん延する軍国主義に踊らされることなく、「至誠一貫」「文武両道」を合言葉にあくまでも上級学校への進学と運動競技での全国優勝を目標に高中生は燃えていたのです。一方の県女においても、高松空襲によって県庁の庁舎が焼失したため、県女の校舎は一時期県庁の庁舎として使用されることになったのですが、このとき、それまで女子生徒が雑巾で磨き上げてきた木製の廊下を、県庁の職員が土足で歩くことに我慢ができなかった生徒の代表が、県知事のところへ直訴に行ったという逸話が残っています。どちらの事例も、自らの存在に使命感や誇りを持ち、それに照らして理不尽なことには合理的に反駁する、そんな『独立自主』の姿を見ることができます。 

このような本校からの薫陶を受けて巣立たれた卒業生は、全て合わせて55,657名に上ります。そのなかには、明治の文豪、菊池寛氏のように後世に大きな足跡を残された方もおられますし、政治家の玉木雄一郎氏や女優の高畑淳子氏のように、今現在テレビで拝見する方もおられます。各界において活躍する卒業生たちの存在は、まさに綺羅星の如しと言えるでしょう。しかし、いわゆる有名人ではなくとも、本校の卒業生はそれぞれの地域や家庭を支える人材であり、各自の個性と能力を発揮することで社会に貢献する粒よりのスターであることもまた確かです。 

昨年からのウクライナ侵攻や最近の中東情勢など、世界には戦争や紛争が絶えません。また、気候変動や環境破壊など地球規模で深慮すべき課題も山積しています。現役生徒の皆さんがこれから巣立ちゆく社会は、諸問題が複雑に絡み合い正解のない状態に見えるかもしれません。しかし、だからこそ皆さんには、『独立自主』の精神のもと、本校で身に付ける豊富で高度な見識と豊かでたおやかな人間性を生かして、与えられた状況のなかで最適解を見つけるために、自らの頭で考え、自らの腕で切り開いた道を、自らの足で歩いていく人間であって欲しいと思います。そしてそのために、本校が「教わるのではなく学ぶ」ための場であるという真の意味を理解し、その姿勢を体得して欲しいと願っています。その積み重ねこそが、本校が10年後も20年後も本県の基幹校として輝き続ける唯一最大の方法であると考えます。現役の生徒諸君と先生方に、改めてその願いをお伝えし、130周年記念の式辞といたします。

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     香川県立高松高等学校長 中筋功雄

創立記念文化祭 終了!

2023年9月10日 16時15分

二日間の文化祭が終了しました。R5文化祭クッパ城

今年は四年ぶりの完全公開、フルスペックの高高文化祭でしたので、初日の9日(土)から大勢の客様にお越しいただき、教室を使っての展示にはそこかしこに順番待ちの行列ができていました。また、屋外の展示物にはなかなか見ごたえのある大物がそろっており、こちらも写真を撮るための行列ができていました。各文化部の展示や演奏などにも昨年まで以上の頑張りや意地(?)が見られ、やはり見ていただける喜び、聴いていただける喜び、参加していただける喜びが、生徒の活動を高めてくれたのだと実感しました。

二日目の10日(日)は、午前中に本校が『人道プログラム』で取り上げている杉原千畝・幸子夫妻のお孫さんにあたる杉原まどかさんによる講演会を催し、生徒・職員及び事前に申し込みをいただいた保護者の皆様とともに、『命のビザ』で有名になった杉原氏の功績やその行動の意義について理解するとともに、ウクライナ侵攻を筆頭に戦争や地域紛争が継続している今だからこそ各自が意識しなければならない、平和の大切さや人権・人道の重みを確認することができました。 幸子さんがかつて、本校の前身の一つである高松高等女学校の生徒であったことから、高女時代のお写真やエピソードも交えてのお話しで、より身近な方のお話しとして捉えることもできました。「一人の行為でも世界を変えることができる」というお言葉は、これから様々な方面で未来を担っていく高高生への大切なメッセージになりました。

R5文化祭JAWS

二日目の一般公開は11:30からでしたので、お客様には長らくお待たせしたのでしょう、開門直前には門の前に人だかりができていました。開門と同時にたくさんのお客様が押し寄せ、一日目以上の大混雑になりました。特にお昼ご飯時ということもあって、食堂バザーの券売所には長蛇の列ができてしまいました。また、開門する頃から随分と湿度が高くなり、体育館をはじめ各所で大変な思いをされたかもしれません。

ただ、大勢のお客様にご覧いただくことによって、生徒達の工夫を凝らしたアイディアや、夏休み期間から少しずつ創り上げてきた制作物が、「すごいね」と言っていただけたり、沢山の写真の中に収まったり、皆様の記憶に少しでも残っていたりするならば、校長としてこの上ない喜びです。

お忙しいなか、またまだまだ暑さが厳しいなか、文化祭にお越しいただいたお客様、本当にありがとうございました。

生徒の皆さん、先生方、本当にお疲れ様でした!

校長室より

創立130周年記念事業の概要について

2023年5月16日 17時00分

カラーver.〈背景透過〉先般の拙稿でお知らせしたように、今年度本校は創立130周年の記念の年を迎えます。つきましては、記念事業を計画しておりますので、それらについて下記に概要をお知らせいたします。

なお、本校の過去の周年行事は同窓会である「玉翠会」の多大なご支援、ご協力のもとで行われ、現役の生徒や保護者に負担を強いることなく執り行われてきました。今回の130周年の事業につきましても同様に、玉翠会との協働で準備を進めておりますことをあわせてお伝えいたします。

【1】創立130周年記念式典

  ・日程:令和5年10月31日(火)

  ・場所:本校体育館

  ・校内式典とし、現役の生徒等と教職員が参加

  ・あわせて『創立記念先輩講演会(令和5年度第2回GGA)』を開催

    講師:池田豊人氏(現香川県知事 昭和55年卒)

【2】創立130周年記念誌

  ・10月末頃発刊予定

  ・玉翠会のHP上で玉翠会員等に対して限定公開(冊子としての頒布はいたしません)

【3】創立記念130周年記念文化祭

  ・日程:令和5年9月9日(土)・10日(日)

  ・シンボルマーク使用

  ・玉翠庵(玉翠会による教室展示など)を復活

【4】創立130周年記念第九演奏会

  ・日程:令和5年12月14日(木) (高高芸術祭(12/13~15)の中日)

  ・St Peter's Lutheran College(豪州ブリスベンの高校)からの弦楽団約50名との合同演奏

  ・朝比奈千足氏(朝比奈隆氏ご子息)による客演指揮

それぞれの事業において一般公開とするかどうかは、感染症の拡大状況、施設設備の準備状況などを勘案して今後決定し、随時本校HPなどで公表いたします。生徒の安心安全や通常の教育活動の実施を最優先で考えてまいりますので、ご理解いただきますようお願いいたします。

高松高校 創立130周年にあたり

2023年5月16日 09時25分

校章(大)

本校の歴史は、明治26年(1893年)に設立された香川県尋常中学校と、同年に私立進徳女学校より改称した香川県高等女学校から始まります。この年から数えて本年は131年目、創立130周年という記念の年を迎えるのです。その後、県立への移管や校名変更などを経て、香川県立高松中学校(通称「高中」)と香川県立高松高等女学校(通称「県女」)の時代が45年以上続きます。そして、昭和24年、戦後の教育改革のなかで両校が統合されて現在の高松高等学校の形が出来上がります。この前年には、高中(この年に「香川県立高松高等学校」に改称)に通信制課程が、県女(この年だけ「香川県立高松女子高等学校」に改称)に定時制課程が設置されていましたので、統合後は両課程ともに男女共学となって現在に至ります。

本校のように旧制中学由来の男子校と女学校由来の女子校が統合されて新制高校となった例は他県においても多くみられますが、本校の場合は校章に両校の独自性を残しています。学生服タイプの制服につける校章は高中のものから旧職員がデザインしなおしたもの、ブレザータイプの制服につける「雪持笹」は県女のころからのほぼそのままと、制服に応じて二つの校章が存在する全国でも珍しい学校となっているのです。他にも、同窓会である「玉翠会」は高中の同窓会「玉藻会」と県女の同窓会「晩翠会」の名称から一文字ずつ取って名付けたものであることや、高中の校歌の歌詞が現在の校友会の歌『朝日輝く』の歌詞に使われていること、もともと高中があった場所に現在の高松工芸高等学校が移転される際に校地の一部を本校の第二グラウンドとして残したがゆえによく工芸高校のグラウンドを借りていると勘違いされることなど、統合の歴史は70年以上がたった今でも垣間見ることができます。

明治、大正、昭和、平成、令和と激動の近現代史のなか、本校も教育活動に戦争の影響があったことを筆頭に、直島分校の開校と閉校、現在の校舎の大改築などさまざまな変遷をたどってきています。それでも香川県の基幹校としての立ち位置を130年間維持し続け、五万五千名を超える有意な人材を各方面に輩出し続けていることは、ひとえにこれまでの生徒の皆さんの絶え間ない努力や先輩教職員の卓越した教育力などによるものと敬服するところです。

別の記事で紹介いたしますが、今年度は創立130周年の記念事業をいくつか計画しています。それらを進めるなかで、生徒、教職員ともに本校の歴史を振り返り、その豊潤な背景に思いを馳せつつも新しい時代を切り拓いていく決意を新たにする、そのような大切な節目の一年としたいと考えています。

本校に関わりのある皆さまには、これまでのご厚情に感謝申し上げるとともに、今後とも高松高校のためにご指導、ご支援を賜りますよう改めてお願い申し上げます。

新年度がスタートしました🌷

2023年4月17日 09時01分

昨日の16日(日)に本校通信制課程の始業式が行われ、先週9日(日)に行われた入学式とあわせて通信制課程の生徒全員がそろって授業が開始されました。

通信制課程の生徒の大部分は『専修生』といい、高等学校卒業を目指して授業や学校行事に取り組む高校生です。自宅学習を基本とし、学校から送られてくる各教科の教材(レポート)を自学自習で解いて返送すると、それを教員が添削指導する、というやり取りで学びが進んで行く学習形態です。通常の対面での授業や体育など実習を伴う授業は、月に2~3回、日曜日に行われる面接指導(スクーリング)で受講しますので、生徒が登校するのは日曜日が基本です。ただ、本校通信制課程は普通科ですので、上級学校への進学を考えている生徒もおり、授業の内容をさらに深めた学びを希望する生徒や、教員に質問したい事柄がある生徒などには、水曜日と金曜日に学習会が用意されていて、自由参加で有効に活用しています。

『専修生』の他にも、個人の興味・関心に基づいて希望する授業だけを受講する『特修生』もおり、それぞれの学びを継続・深化させています。さらに、今年度はたまたまいませんが、定時制課程など他の課程の生徒が特定の教科・科目の授業だけを受講して単位修得を目指す『併修生』という制度もあります。

今年度は161名が在籍する通信制課程ですが、在籍する生徒がなぜ通信制課程で学ぶことを選んだのかの目的や経緯はさまざまですし、年齢や職業や学習歴もさまざまです。まさに生徒としての多様性がここにはあるのです。だからこそ得られる情報や刺激も期待でき、授業などの学習活動以外にも通信制課程で学ぶ意義があると考えます。

一方、全日制課程や定時制課程では、すでに6日(木)の始業式と7日(金)の入学式で新メンバーがそろっており、授業や学校行事などの学習活動が開始されています。

朝から登校する全日制課程の生徒、夕方から登校する定時制課程の生徒、そして日曜日に登校する通信制課程の生徒。三つの課程の多様な生徒が、それぞれの目標や目的に応じてそれぞれの学びにしっかりと向き合って真摯に努力を重ねていく、そんな学びの多様性を実現する場所として本校が役立つことを校長として願っています。

豊かな音楽に包まれて🎵

2023年3月28日 13時30分

去る3月21日(火 春分の日)、本校吹奏楽委員会の第48回定期演奏会がレクザムホール大ホールにおいて開かれました。4年ぶりに制限なしの開催とあって、大勢のお客様にご来場いただき、開演前からホール全体に何ともいえないワクワク感が漂っていた気がします。どのお客様の顔を見ても、音楽を楽しむことだけでなく、人と集うことやおめかししてお出かけをすることなど、日常を取り戻しつつある実感とともに喜ばしい気持ちを持たれている様子がうかがえました。校長として、また吹奏楽委員会OBとして、誇らしい気持ちを感じずにはおれませんでした。

演奏会は、スタンダードナンバー主体の第一部、ストーリー仕立ての第二部、地力を聴かせる第三部と、多彩な構成でしたが、演奏のレベル、演出の内容など非常にハイレベルな演奏に引き込まれました。実は今回、東京から来県した高校時代の旧友(彼も吹奏楽OB)と一緒に演奏を聴いたのですが、卒業以来久しぶりに定演を聴く友人は、特に二部の凝った演出に、「これは高高生が考えたの?」といたく感心していました。また、アンコール最後の【例の曲】でも、踊りながら演奏するなんてご法度だった世代の我々からすると、とても楽しく若々しいステージを楽しませてもらいました。

ただ、残念だったことが一つ。それは、隣の小ホールでほぼ同時刻に、本校の音楽部(合唱部)を含む五つの高校の合唱系部活動が『第5回ジョイントコンサート』を開催していたことです。本校音楽部の部員は、12月に行われた『第九演奏会』でソリストを務めた少数精鋭の四名、しかも、本校オーケストラ部がゲスト出演するとあっては、校長として「どちらも聴きたい!」となってしまい、結局大ホールと小ホールの間を行ったり来たりしながら両方を聴いていました。なので、両方とも全体を通しては聴けていないわけで、演奏会の全体的な感想を述べることができないのです。

とはいえ、合唱は合唱で沢山のお客様にお越しいただいていましたし、小ホールならではのほっこりとした空間に高校生の瑞々しい歌声が響き渡っていました。第5回と歴史が浅いがゆえの手作り感が微笑ましかったり、5校合同ゆえの時折垣間見えるギクシャク感が初々しかったりと、演奏会の形態や楽しみ方はそれぞれだなあと感じました。

どこの高校でも合唱人口は減少傾向だと耳にしますが、このように豊かなハーモニーを何の道具も使わずに奏でることができる合唱の魅力を、より多くの方に味わってほしいと思いますし、部活動としても盛り上がってほしいと願うばかりです。

二つ身体がほしくなるほど慌ただしい数時間でしたが、二つの演奏会を心から楽しみ、高校生の若いエネルギーに包まれ、おまけに旧友との旧交も温められて、本当に大満足な数時間でした。

出演した生徒の皆さん、お疲れ様でした。

ご協力いただいたOBなど関係の皆様、ありがとうございました。

お越しいただいたお客様、お楽しみいただけましたか? 来年もよろしくお願いいたします♪

卒業式が行われました🌸

2023年3月3日 15時45分

今年度も、卒業証書授与式が無事に行われ、全日制314名、定時制3名、通信制33名の合計350名の卒業生を送り出すことができました。

文部科学省や香川県教育委員会からは、感染対策を十分にとったうえでマスクの着用は求めない旨の通知がありましたが、本校では全日制の多くの生徒が国公立試験の前期日程を全国で受けて帰ってきた直後であること、来週には同じく中期・後期日程の試験を控えている生徒が少なくないこと、また国歌・校歌の斉唱を行うことなどの理由から、マスクの着用を原則お願いしての挙行としました。

生徒の皆さんには、結局3年間マスクをしたままでの学校生活となってしまいましたが、出席された皆様にご理解とご協力をいただいたことで、全員にとって安心感のある卒業式とすることができたと考えます。ありがとうございました。

卒業生の皆さんは、本日この高高を巣立ち、明日からそれぞれ次のステージに向かいます。

全日制の生徒の多くは次の学びの場へ向かうことでしょう。それは、将来の職業に繋がる学びかもしれませんし、自分の飽くなき探究心を満たす学びかもしれません。いずれにせよ、学びに終わりはありません。学ぶことで成長する、学ぶことで進化する、学ぶことで新しい境地を開く、そんな自分を楽しみながら学びを続けてほしいと思います。

定時制、通信制の生徒のなかには、進学や就職で新しい環境に飛び込む人がいます。新しい人間関係や生活スタイルを自分のものにするためには、やはり積極的な学びの姿勢が大切です。特段大きな変化が起こらなさそうな人にとっても、高高を卒業した本日をひとつの節目とし、さらに彩り豊かな人生につながるよう、チャレンジする姿勢、学び続ける姿勢を忘れないでほしいと思います。

全ての卒業生の今後に幸多からんことを心より願っています。

ご卒業おめでとうございます!

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「人道教育プログラム」について

2022年12月23日 18時43分

(全日制 冬休み前講話より)

 今年度、本校では「人道教育プログラム」を始めています。これは、三菱みらい育成財団からの助成を受け、『杉原千畝・幸子氏から広がる人道の輪~高校生同士の交流が世界へと繋がる~』というテーマで令和6年度まで三年間継続する計画のプログラムです。

杉原千畝さんは、明治33年に岐阜県で生まれた外交官で、第二次世界大戦中にリトアニアの領事館に赴任していた際、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ系避難民に対して、日本の外務省からの訓令に反して通過ビザを、記録が残るものだけでも二千枚以上の大量に発給することで、実際には四千人とも六千人ともいわれる避難民の命を救ったことで知られています。残念ながら日本での知名度は、昭和61年にご逝去されて以降に高まった感がありますが、それ以前にイスラエル政府から表彰されるなど、海外では早くから尊敬される存在でした。

この千畝さんの妻であった幸子さんは、大正2年に静岡県の沼津市で生まれましたが、父親が現在の香川県立志度高校の校長先生だった関係で香川県に住んだ時期があり、実は本校の昭和6年の卒業生です。千畝さんが自分の生命も顧みずにユダヤ系避難民にビザを発給したことには、幸子さんの精神面での支えがあったと言われています。また、千畝さんが亡くなった後に幸子さんが書いた手記『六千人の命のビザ』によって、日本国内のテレビドキュメンタリーや演劇などで取り上げられるようになり、多くの日本人が千畝さんの功績を知ることとなったといっても過言ではありません。

今回のプログラムでは、千畝さん・幸子さんの業績をたどることを通じて、「国際平和」や「人道」について学ぶために、ユダヤ系避難民の足跡を尋ねるとともに、千畝さんの母校である旧第五中学校、現在の愛知県立瑞陵高校の高校生との交流を図っています。今年度はすでに、8月に福山市のホロコースト記念館の訪問、10月に神戸市にある神戸ジューコム跡地などの訪問を行いました。瑞陵高校とは、3月と11月のオンライン交流を経て、いよいよ来週、28名の1・2年生が一泊二日で愛知県を訪れる予定です。

ちなみに二年目の来年度は、幸子さんの生誕110周年もあって活動を更に広げ、8月に東京のイスラエル大使館、3月にリトアニア大使館を訪問する予定です。また、本校の文化祭が創立130周年記念の文化祭になることもあって、千畝さん・幸子さんのお孫さんにあたる杉原まどかさんをお招きしての講演会も計画しています。瑞陵高校へは来年も12月に訪問をする予定ですが、今度は沼津へも足を延ばして、沼津の高校生との交流や沼津市長の表敬訪問を行う予定です。

そして最終年度の令和6年度には、本国イスラエルまたはリトアニアへの海外訪問を中心に、二人の功績をまとめる計画です。大切なのは、この二人の物語を調べることで、広く人権についての知見を広げ、それをプログラムに参加した生徒から他の高高生に、そして他校の高校生に広げて行くことです。高高から香川県全体に人道の輪が広がることが目標であり最大の成果だと考えています。

高高生には将来、社会や地域のリーダーとして人をまとめたりプロジェクトをけん引したりする人材が多いと思っています。また、家庭においても、家族の幸せや豊かな生活を支える人材であって欲しいと思います。だからこそ、生徒の皆さんには日々の授業や学習の積み重ねから高い学力を獲得することと並行して、豊かな人間性、他者のことを慮ることができる想像力、鋭い人権感覚なども身に付けてほしいと思います。今回の「人道プログラム」を高松高校として始めるにあたり、校長としては高高生の「人として」の部分の成長にきっと役立つものになると考えました。生徒の皆さんには、部活動があって参加が難しい時や、卒業までに間に合わないという事情もあるでしょうが、自分なりの方法で今回のプログラムを受け止め、しっかりと利用して、「人として」の部分に役立ててほしいと願っています。 

 

文化祭が無事に終了

2022年9月11日 13時45分

二日間の文化祭が終了しました。

二日とも前夜に雨が降り、野外展示の作品は若干の損傷IMG_2193-tckcheckedがありましたが、工夫と協力でそれを最小限に食い止め、初めて見た方にはそれとわからないレベルに修復してお客様にご覧いただきました。

教室展示では、感染対策で窓などを閉めきれない条件のなかで、運用に知恵を凝らしてお客様に楽しんでいただきましした。

校友会の演奏や作品発表は、どの団体も見ごたえ、聴きごたえがあり、高高生のポテンシャルの高さを感じることができました。ここで引退となる部員にとっては、お客様に称えられての花道になったことでしょう。

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校長として2回目の高高文化祭を見て、手前味噌ではありますが、やはりもっと多くの方に鑑賞してもらいたいという思いを強くしました。非公開での開催だった過去2年間と比べれば、たとえ保護者1名に限らせていただいたお客様でも、今年は随分と文化祭全体が華やかになりましたし、生徒のやる気も違ったはずです。それでも、かつては廊下が歩けないほど行列ができていた教室前や、座る席を探さなければいけなかった体育館での演奏会などを思い出すにつけ、文化祭を限定公開にとどめておくのはもったいないと思わずにはおれません。コロナの完全な収束は見通せませんが、ウィズコロナが進むことで、来年度の130周年記念文化祭は多くのお客様をお迎えして開催できるよう祈るばかりです。

文化祭にお越しいただいた保護者の皆様、誠にありがとうございました。今回はご来校をご遠慮いただいた皆様、記録写真のHP掲載は今しばらくお待ちください。

各クラスの生徒諸君、校友会の部員諸君、そして文化祭委員会の生徒諸君、本当にお疲れ様でした!

第72回文化祭の開幕に寄せて

2022年9月10日 07時30分

(文化祭プログラムより)

いよいよ、今年も高松高校文化祭が開幕しました。今年のテーマは『Freely』ということで、コロナ禍でも守り抜いてきた伝統、強敵に直面したときにも屈さなかった努力、後輩へ託したい思い、それらを踏まえて文化祭を作り上げる生徒諸君の決意を込めているのだそうです。

確かに、令和元年度末からのコロナ禍にあって、令和2年度の文化祭は中止とした学校も少なくなかったなか、本校は生徒諸君の熱い希望を当時の校長先生や先生方が酌まれ、非公開の一日ながら敢行されたことで、伝統は途絶えることなく守り抜かれました。また昨年度も、突然の夏休み期間延長に翻弄されながらも、時期を遅らせ非公開の一日開催とすることで、授業や模試との折り合いをつけつつ文化祭は開催できました。文化祭委員会や各クラス・校友会の生徒諸君が、急な変更や前日の悪天候という強敵に相当な努力を払って取り組み、見事に克服してくれたことを覚えています。

そしてコロナ禍三年目の今年。保護者一名に限らせていただく制限つきながら三年ぶりにお客様をお迎えして、一日半開催の文化祭となります。このプログラムの冊子を従前に近い形で作成することも含めて、いつ収束するかわからないコロナと文化祭が共存していくためには、どのような形が適切なのかを模索する、そんな第一歩を踏み出す実にチャレンジングな文化祭となっています。ちなみに、来年度の文化祭は本校創立130周年を記念した文化祭とする予定ですから、そこへの試金石にもなる感染対策の取り組みがあちこちにちりばめられています。

今年の文化祭が成功となるかどうかは、文化祭委員会の並々ならぬ努力やアイディアが重要なのはもちろんなのですが、生徒諸君全員の知恵、自制心、協調性などが高度に発揮されなければなりません。誰かが思い切り楽しむために誰かが地べたで這いずり回っているのではなく、生徒・教職員の全員が一丸となって今年の文化祭を注意深く慎重に運営し、そして全員が目一杯楽しみましょう。私も校長として、高高生の作り上げる高高文化祭らしい『Freely』な空間を楽しみにしています。

いよいよ文化祭

2022年9月7日 17時45分

今年も文化祭の時期がやってきました。

校長室前のプラザ(中庭)では、夏休み期間の記録的猛暑のなかでも屋外展示用の骨組みを制作する生徒の姿がありましたが、それがだんだんと立派になり、壁材を貼られ、いよいよ立ち上がろうかという段階を迎えています。校舎内を歩いてみても、いたる所に展示物のパーツや製作途中の作品が置かれており、日ごとに完成に近づいているのがよくわかります。書道部が練習する声、吹奏楽委員会が合奏している音楽、応援委員会が叩く太鼓の音など、耳からも文化祭が間近である気配が伝わります。

 生徒諸君にしてみれば、自分たちの制作物や普段の練習などに真剣に取り組んでいればいるほど、その成果をだれかに披露したくなるのは当然のことでしょう。そこで、今年の文化祭は、3年ぶりにお客様をお招きして開催することとしました。ただ、新型コロナウイルス感染症への対策を緩めることはできないため、各生徒1名につき保護者1名に限らせていただいての限定的公開です。全日制3年生の保護者の方でさえご遠慮いただくことには、大変に申し訳なく思います。また、一般の方や本校への進学を考えている中学3年生など、本校に興味をお持ちの方から、文化祭を見たいとのご要望をいただいたことも承知しています。文化祭の開催と学校の安心安全を維持することの両立のために、なにとぞご理解いただきますようお願いいたします。

なお、保護者の方に生徒を通じてお配りする入場整理券は、ご来校の際に必ず必要となりますので、くれぐれもお忘れのないようにお願いいたします。

 ともあれ、過去2年間がそうであったように、制限・制約のなかでも高高生は工夫と英知を結集して、素晴らしい文化祭を作り上げてくれることでしょう。校長として、今年も高高生のさまざまな輝きの発露を楽しみたいと思います。

第71回高高文化祭が開催されました

2021年9月16日 13時32分

今年の文化祭は、夏季休業期間の延長を受けて日程を遅らせた昨日9月15日(水)に、
「Infinite Decimal〜無限小数〜」のテーマのもと開催されました。 当初の計画でも感染症対策として部屋の締め切りを禁じることや、イベント待ちの行列を緩和すること、 体育館などの客席数を制限してチケット制にすることなど、様々な制約のなかで開催する予定でしたが、 さらに二日間の日程を急遽一日に短縮したり、おまけに当日は前夜からの雨で屋外展示が打撃を受けたりと、 緊急対応だらけの開催となりました。

それでも生徒諸君は頑張ってくれました。
文化祭実行委員会、生徒会の運営スタッフは、文化祭の実施と感染症対策の難しいバランスを取りながら、見事なアイデアと実行力で強力に推進してくれました。
クラスや校友会等の生徒諸君は、面倒な制約も真摯に受け止めてくれ、 そのなかでも極めてハイレベルな作品、アカデミックな展示、素晴らしい演奏、迫力ある演技、そしてウィットに富んだ小ネタなどなど、文化祭を彩る大技小技を繰り広げてくれました。
校長として本校の文化祭を初めて内側から見た感想は、「大満足!」の一言に尽きます。
ただ、その完成度が高かっただけに、 昨年度に続いて非公開での開催となったことは、大変残念に思います。
保護者や地域の方々、卒業生や小中学生など、本校に関心を持ってくださる方に、本校の底力を、そして高高生の輝く姿を直接ご覧いただく貴重な機会がまたも失われてしまったことは、大変残念でもったいないことだと思います。
すぐにでも文化祭の様子をホームページにアップしたいところですが、 著作権の問題などからなかなか急ぐ間に合わないのも歯がゆいところです。
ただ、正門前を通られる通行人のうちでたくさんの方が、総合最優秀賞である「Infinite Decimal賞」を受賞した『金剛力士像』の写真(↗)を撮ってくださっていたのは、せめてもの救いです。
コロナ禍にあって、楽しいイベントが減少したり、何かと制約があって楽しむ気持ちも減退する毎日が続くなか、 普段とは違う弾けた高高生が活躍する、いい一日となりました。

生徒諸君、お疲れ様でした!

全国からの生徒募集

2021年7月30日 13時55分

7月28日の報道でご存じの方も多いと思いますが、
すでに一部の学校で行われている「せとうち留学(全国からの生徒募集)」を、
今年度末に行われる令和4年度入学者選抜(一般選抜)から、
全校で開始することとなりました。
本校でも、4名を上限として、入学定員とは別に募集をいたします。
基本的には【県外の自宅から通学する】ことを想定していますが、
香川県内に在住の方(祖父母等の親族等)を『身元引受人』とすれば、
【生徒のみが本県に転住する】ことも可能です。
ちなみに『身元引受人』とは、
・生徒の健康、食生活及び日常生活に関する見守り
・生徒の状況の学校(担任、顧問など)、保護者との共有
・けがや病気など、緊急時の対応
などを主な役割とするものです。
『保護者(連帯保証人)』や『保証人』のように、
「生徒の身上に関する責任」 や、
「授業料等諸経費の納入に関する責任」 を追うことはありません。

現在香川県以外でお住まいの方でも、
県都高松のアーバンライフと穏やかな気候風土のなか、
「独立自主」の校風のもとで生徒自らが「学ぶ学校」を目指す本校で、
豊かで輝きのある高校生活を送りませんか。
人数枠は多くありませんが、
他の都道府県から吹いてくる、個性や能力の薫風に期待しています。